[8]野川の自然再生(東京都小金井市)
事例8-2:禁止事項をなくした独特のルールで、身近にある自然を遊び、守る
■現状の利用調整による自然再生を図る、第二調整池地区
第二調節池は、第一調節池から取水堰を越えた上流側にある。幅が狭く細長い第一調節池と較べて、グラウンド的な利用のしやすい広さと形をしている。取材に訪れた日も、短く刈り込まれた草地の広場では、ユニフォーム姿の少年野球チームが練習をしていた。
第二調節池については、こうしたスポーツ・レクリエーション利用に対する強い要望が都にも寄せられている。協議会は、自然保全や自然再生を推進する立場の人ばかりでなく、スポーツ・レクリエーション等の利用団体の関係者もメンバーとして参加している。
こうした意向を踏まえて、協議会では、第二調節池地区には湿地や池、水路などを作らずに、現状の利用を調整しながら自然再生を図っていくエリアとして、広場の草地を残していく方針だ。
現在、下流側の一部で小さな杭を打ってロープを張った簡単な区画(2m×5m)をつくって、草を伸ばしているエリアがある。土を10cmほど耕転し、オオバコ、スズメノカタビラ、チガヤなど6種類の草の種を撒いた。調べているのは、踏まれた状態と踏まれてない状態で、どんな植物が生えてくるか、また在来種の種を植えてみて、それがどうなっていくかなど。
目的は、グラウンド的な利用と草っぱらとしての自然再生をどう兼ね合いとっていくか、その判断材料を得ること。つまり、どんな草地にすればグラウンドとしても使えて、なおかつ生きものにもやさしい環境にしていけるか。そのためにはどういう管理をしていけばよいか。
こうした実験の結果なども踏まえて、自然再生の方針や方法を協議している。
■なるべく制限をしない管理の方針
溜め池のまわりなどにいくつか看板を立てているが、なるべく制限をしない方針でやっていこうというのが、ここ野川の方針だ。
協議会会長の平井正風さんは、その方針について、こんなふうに語ってくれた。
「どじょう池をつくったときからそうなんですけど、『禁止』ということをなるべく言いたくないんです。安全管理についても、柵をつくって立ち入り禁止にするといった過度のことはしていません。誰でも自由に入って、泥んこになって遊べるようにしよう、それがみんなの合意としてあった。なるべく危険のないように、深みをつくったりしないといった最低限のことはしていますが、それ以上のことはしていません。ちょっと自由に入りすぎて、生きものが捕られすぎてしまうのは、困っていますが(笑)」
オタマジャクシもたくさん産まれるというが、1週間もするとみんな捕られてしまう。魚を飼っている人が餌にするためか雑魚や小エビを大量に持っていくこともあって困惑している。それでも、『捕るな』『入るな』という看板は立てないでいこうと、ぶれはない。
「(第二調節池の)下流の方は今草ぼうぼうになっていますから、火事の心配や子どもの危険性──今の時代、危ないですからね──、そういうことを気にされる方も非常に多い。また池をつくっているので、水の事故の問題。みなさん、相当に気にされていますが、そこらあたりを気にしすぎると何もできなくなっちゃいますし、危険なことをすべて排除していくような発想には疑念もある。自然の中で人が出会う危険というものがあるわけですから、そういうことを理解してこういうところに来てほしいという気持ちがあるんですよ。危険だからやめようということはなるべくしないで…。かといって、危険なものをつくる気はさらさらありませんが」
こうした市民の心配や苦情は、むしろ河川管理者である都に寄せられてくる。
都北多摩南部建設事務所第二工事課の落合貴代司さんが、そんな一般市民からの苦情について、説明してくれた。
「草をのばして植生実験をしているところについては、『なんで草を刈らないんだ』といった苦情が入ってきます。協議会では合意がとれていることでも、一般の人にとってはなかなかわかってもらいづらいんですね。そうした場合、協議会の中で話をしていることなのでということでご理解をお願いしています。100%納得いただけているどうかはわかりませんが」
一方、現場の手応えについて、平井さんはこんなふうに説明してくれた。
「でも、私たちが作業しているところにきて立ち話をしてくれるような人は、概ね理解してもらえているようにも思います。最初は『また無駄なことをして』と思われることも多いんですが、だんだんと池や水路ができて、風景が目に見えてくるにつれて、喜んでくれるようになってきています。生き物を捕って調査をしていると『こんなにたくさんの生きものがいるんですね、今度遊びにこようかしら』などと言ってくれる人もいます」
■釣り人が入ることで、“見守る目”が確保できるのなら…
溜め池では、釣りをする人も多いという。釣り人が入ると、放流や外来魚の問題なども起きる。ブラックバスやブルーギルこそ入ってきていないものの、池ができた次の日には金魚が泳いでいたりする。
「ブラックバスやブルーギルが棲息するには狭すぎるんでしょうね。ただ、放流は多いですよ。一夜にしてオタマジャクシが真っ黒になるくらい泳いでいたことがありました。自分の家の庭でイヤだからと、持ってきて放していくんですよ」
「釣り禁止という声ももちろんありました。釣りをする人が増えると放流が起こる。生態系の攪乱もあるから、放流を抑止するためにも釣りをさせないという意見は根強い。でも、そうやって誰かしらが入って釣りをしているということは、逆に子どもたちが水辺で遊ぶときの“見守る目”があるということにもなります。むしろ多くの人に入ってもらって、釣り堀みたいになってもよいじゃない、釣り人たちが子どもに水遊びのマナーを教えたりといった交流でも生まれてくれれば、それも自然再生の役立ち方のひとつといえるんじゃないかって、今はそんなところに落ち着いています」
■決まりごとではなく、提案としての「野川ルール」
野川には、野川流域連絡会という連絡組織がある。自然再生協議会が、第一・第二調節池地区という野川全体からみるとごくわずかな限定地域の自然再生事業に特化した組織であるのに対して、流域連絡会は上流から下流まで、また支流の仙川、入間川を含む野川流域全体をカバーする。設置者は東京都。自然再生協議会同様、北多摩南部建設事務所工事第二課に事務局を置いている。
流域連絡会には2つの分科会と1部会(生きもの分科会、水環境分科会、納得部会)があって、それぞれ月1回ほどの会合を持っている。
その「生きもの分科会」では、『野川ルール』というユニークなルールを提唱している。野川と地域の人たちが楽しくつきあうためのルールとして、考えてほしいことを投げかけているものだ。
通常、川岸で見かける看板は、河川管理者からの通告事項のような形で、「生き物をとってはいけません」「エサをやらないでください」「ペットを放流してはいけません」「ゴミ捨て禁止」など、やってはいけないことをルールとして定めていることが多い。
『野川ルール』は、「魚にエサを与えるよりも生きものがいきやすい環境を作っていく方がいいですよね」などと、一人ひとりに野川との付き合い方を自分のこととして考えることを投げかけるもの。決めたことの型にはめるのではなく、自分事として考え、判断していくことを求めているといえる。
野川ルールができたのは、平成19年3月。つくるまでに2年間の月日を要した。
■自然に対する考え方の変化を象徴するひとつの現れだと思うんです
このユニークな「野川ルール」は、野川における市民活動を象徴するものといえるし、一方でそうした独自性は自然再生事業にも色濃く投影している。
「野川は、個人の活動あり、市民団体ありと多彩ですが、それらの多様な主体が、流域連絡会に入ったり、協議会に入ったりしているから、情報や意識の共有ができていて、関係者同士のネットワークが非常に強い流域なんですよ」と、平井さん。
いくつかの階層でいろんな組織があって、それらに参加している人たちがオーバーラップしているから、意識の共有が非常に強くなる。しかもその事務局がすべて東京都なので、市民と行政が互いに顔見知りになって、四六時中、話ができるという。
これを、例えば多摩川の状況と比べてみると、野川のフットワークのよさが想像できる。
「多摩川は非常に広くて長くて、関係自治体がたくさんあって、しかも事務局が国交省ですから、何かひとつやるにしても、かなり労力がかかる。一方、野川は小さな川ですから、ちょっと『あそこでこんなことが起きている』と言えば、都もすぐに来てくれて、いっしょに考えることができる。そういう意味で、すごく扱いやすいんですよ。自分たちのちょっとしたことでできちゃうということが大きなメリットとしてあります」
ところが、市民と行政(都)が今のように良好な関係を築けるようになったのもそう古いことではないという。
「仲良くなり始めたのは、どじょう池をつくりはじめる頃からかな。それまではケンカばかりですよ。いわば、対決の時代。『こういうことをしたいんです』というと、『そんなのダメです』と、取り付く島もなかった」
きっかけは、人だという。行政の担当者の意識を変えた一つの契機として、河川法の改正があった。
これは効きました。国交省が変わったら、都も変わった。そうすると自治体も変わっていって、だんだんと全体の意識が変わっていったんですね」
どじょう池を掘るときでも、当時の係長は最初、「市民にツルハシなんて持たせません」と頑なだったという。定年で辞めて、新しい担当者が赴任してきてから事態が好転した。ただその前任の係長も、定年間際になって「ああ、いっしょにやりましょう!」と言うまでにはなっていた。
それほどの変化が、時代の流れとしてあった。
一方で、市民も変わっていった。かつて、市民は「あれしてほしい」「これしてほしい」というだけの“要求団体”だった。それが、近隣の大学との連携を進め、市民運動の行動の仕方を学んでいく中で、「いっしょになってやろう」「いっしょに考えよう」という意識を持つようになってきた。
それと、どじょう池の成功体験を重ねていったこと。
お互いが協力してやっていくことでいい結果が生まれたという成功例を積み重ねていくことができたことが大きかった。
一面では、行政に金と力がなくなってきて、市民に頼らざるを得なくなってきたとの事情もある
落合さんも、笑い混じりに、「それは大いにあるんじゃないですか(笑)」と肯定する。
「野川ルールは、ひとつの時代の流れの象徴だと思うんですよ。禁止事項がない。『こうしましょう』『これについて考えてみましょう』という投げかけだけなんです。そんな発想で川の管理ができるようになってきたというのは、管理者・市民双方の意識レベルが上がったことの証だと思いますし、自然に対する考え方がやさしくというか柔らかくなってきたひとつの現れだと思うんですね」
野川発のこうした発想と取り組みが、今、注目を集めている。
(取材・執筆:貴家章子)
この特集ページは平成22年度地球環境基金の助成により作成されました。