1.産直市場グリーンファームの取り組み(長野県伊那市)
事例1-3:野の草採集は資本金ゼロのなりわい
事例1-3:野の草採集は資本金ゼロのなりわい
■ナズナを採る
森登美男さん(70歳)は、グリーンファームから車で15分のところに住む。グリーンファーム指折りの「野山の採集物」出荷者である。
取材した2月中旬は、ナズナ出荷のピークだった。採集したナズナの売上は、なんと、月額12万円。グリーンファームに2割収めるので10万円。霜が降りてから3月のお彼岸まで続く。
ナズナはアブラナ科の野草で、春の七草の一つ。ペンペン草とも呼ばれ、道端で省みられないものの代表のように見なされているむきもある。花の最盛期は4月。咲いてくれば「とうがたつ」わけだからおいしくはない。冬は、日当たりのよいところではちらほら花を見るが、おおむねロゼットという葉で過ごしている。この葉を採って食べる。
普通、冬のナズナなど小さくて目につくものではないが、牧場など肥えた土のあるところでは大きくなると森さんやグリーンファームの小林会長は言う。伊那では昔から野菜のように食べているとのことで、ナズナの育苗の研究もされているらしい。もともとアブラナ科といえば野菜の王者。キャベツ、白菜、ブロッコリー、カブ、大根、クレソン、ワサビなどもこの科なのだから、野菜としての素質は十分だろう。
1日3時間位採集する。帰ってきて、ゴミや根や枯葉を取り、洗って束にして包装するのに6~9時間。買った人が洗わずにすぐ調理できるところまできれいにする。1日に80把ぐらい作り、売上は5、6千円。
■ずくのある人
森さんは郵便局の職員だった。退職する頃から、自然の大切さを感じるようになった。田畑も持っているが農業を営むほど広くはない。出荷するほど生産していないので、野山で採集したものを売っている。けれども、1日働いて5、6千円の売上なら、年金もあるのだから働かなくてもいいと考える人もいるだろう。やる人とやらない人の差は、「ずくがあるかないか」だと、グリーンファーム会長の小林さんは言う。
「ずくがある」というのは信州の言葉で「精がある」「まめだ」「一生懸命体を動かす気力・体力がある」「甲斐性がある」というような意味。こたつのことを「ずくなし箱」という。入っていると何にもやりたくなくなってしまうから。「あの人はずくのある人だ」というと、働き者だという意味のほめ言葉になる。
田んぼも畑もなくても、ずくがあれば生きていけるんだよ、と小林会長は言った。
■四季おりおりの自然を追う
森さんの場合。
11~3月。ナズナ。
4月。ふきのとう。5、6キロ(出荷用のケース1杯)をシーズンに1、2回。人の田んぼの土手で採る。
5~6月。フキ。山で採る。1回30kgをシーズンに5、6回。塩に漬けて自家用にするものもある。
ふきを採りながら、コシアブラ、タラの芽。タラの芽は木が絶えてきたが、財産区に秘密の場所があるのでまだ採れる。絶えたのは、外の人が山菜採りに来て、採り尽くしてしまうため。森さんや地元の人は、来年もまたその恵みがいただけるような採り方をする。
夏。カブトムシ。成虫をシーズンに1500~2000匹採集する。1日に80~170匹。1匹150円で売れる。クワガタはもっと高い。カブトムシをグリーンファームに出荷している人は5、6人いるが、野生のカブトムシは減るどころか、昔より増えているという。「まだまだ採っても大丈夫」という実感がある。
9月は山は休み。ただ、山際のところどころにイチョウの大木があるので、ぎんなんを拾う。200kgぐらい拾い、コンテナに入れて足で踏み、川で果肉を洗い落として種だけにして、3日干して出荷。都合のいいことに森さんの家は川に面していて、庭から階段で川原に降りることができる。
続いて、川沿いに自生するクルミ(オニグルミ)。川に生えるクルミもそれぞれ所有者が決まっているという地方もあるようだが、伊那では誰がどこで採ってもよい。これも肥料のビニール袋に入れておくと3、4日で果肉が腐るので、川で洗って殻だけにする。それを20分ほど炒り、少し割れ目ができたら金づちで割り、中の実を取り出して出荷する。炒るのは夜中。深夜電力を使って経費を節減するためである。
9~10月は、イナゴも獲れる。1時間で500~600gは獲る。イナゴは農薬のため一時期激減したが、最近また増えている。どこで獲っても喜ばれる。
■子どもの頃の山遊びが財産に
森さんは長野県の南箕輪育ちで、子どもの頃、祖父について山を歩いた。それが今に生きている。もちろん、カブトムシ捕りも子どもの頃の経験が生きる。木をゆすって落とす術も知っている。どんな木のどんな場所にカブトムシがいるか、勘がある。
「クルミなんかねえ、うちの周りを1時間オートバイでぐるーっと歩くとコンテナー2杯ばか拾えるよ。前は郵便局勤めてたけど今年はもうフリーになったもんで、夏場でもこうやって20何万稼ぎ出せるでね」
山でいろいろなものを採ってくるのは「ずくが要るけど、運動にもなるし、お金もかからない。大変なときもあるけど、楽しい」と。確かに、同じものがずらっと植わっている畑に比べると、山では収穫の効率は悪いが、変化には富む。道草をしながら、予期していなかったものを見つけ出す楽しみがある。自然は宝の宝庫だと森さんは言う。特に伊那では、田んぼの土手や山で地域の誰かが採集していても、とりたてて文句は言われない。ふきのとうも、その家で食べてもまだ余りあるほど採れるので、誰が採ってもいいのだという。ただ、それは地域の暗黙の了解の上に成り立っているものである。自然から採集するときのルールを知らない人が大勢踏み込めば、地域もまた変わってくるだろう。
■お金よりも山の楽しさ
「今の若い衆は山に行かなくなった」と森さんは言う。森さんの子どもさんも、周りの若い人も、山には全く興味がないらしい。今グリーンファームに出荷している人たちがこの先さらに高齢になったら、その後どうなるかは、今は分からない。もしかすると、採集の「楽しさ」に目を向ける前に、その必要に迫られる時がまもなく来るのかもしれない。いずれにしてもそれは、現代の人間のあり方の「ゆがみの修正」であり、人間本来のあり方に立ち返れという自然からの要請ではなかろうか。
郵便局を退職して山ばかり行っている生活はどうですか、と聞くと、「いやぁ、いいね! いいね! あんまりお金にはならんけどね」と返ってきた。
(取材・執筆:清藤奈津子)
この特集ページは平成22年度地球環境基金の助成により作成されました。