一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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アメリカ横断ボランティア紀行

No.038

Issued: 2014.05.09

アメリカ横断ボランティア紀行(総集編)

目次
地元対策としての教育プログラム
国立公園のイメージ戦略
変質する国立公園職員
国立公園を訪問するヒント
施設計画
国立公園における入場料収入
日米料金徴収事情
アラスカの保護区
魚類野生生物局での研修
国立公園、そして社会におけるボランティア
あとがき

地元対策としての教育プログラム

 では、アメリカの国立公園は地元との連携をどのように模索しているのだろうか。

 国立公園局の地域戦略の大きな柱は教育プログラムだ。マンモスケイブでもレッドウッドでも、国立公園内には自然解説(インタープリテーション)部門とは独立した教育プログラムが存在する。この2つの部局は似たような業務を担当しているのに、なぜ独立しているのか当初は理解できなかった。実際には、目的も対象も全く異なることが次第にわかるようになっていった。

 教育プログラムの対象は、原則として地元の小中学校に限られる。学校のカリキュラムに対応したプログラムを作成し、学校で授業を行ったり、生徒を公園に受け入れて野外授業を行ったりする。児童・生徒が移動する往復のバスは学校負担だが、それ以外の費用はかからない。教師向けのテキストの作成費用などには、ビジターセンターで物品販売をした収益などが充てられている。勤務する臨時職員も大学の教育学部の学生が多い。自然解説部門のように「トーク」が得意な人材ではなく、プログラムを作成したり、そのための教材を用意したり、場合によっては実際に地元の学校に出向いて授業を行うことのできる人材を配置している。

マンモスケイブ国立公園での環境教育プログラムの様子。国立公園をフィールドとして様々なカリキュラムに対応した授業が行われる。

マンモスケイブ国立公園での環境教育プログラムの様子。国立公園をフィールドとして様々なカリキュラムに対応した授業が行われる。

教師向けの環境教育マニュアル。ビジターセンターでの物販収益を用いて制作される。

教師向けの環境教育マニュアル。ビジターセンターでの物販収益を用いて制作される。


 シーズンオフには学校とスケジュールやカリキュラムの調整を行う。シーズン中はひっきりなしにスクールバスがやってきて、国立公園で野外授業が行われる。駐車場はもちろん、講義室、芝生広場、ピクニック広場、トイレなども充実しているので、学校のクラスをまとめて受け入れるのに最適な条件がそろっている。もちろん授業の場となる自然環境は一級品だ。レッドウッドには自然学校まであり、教育棟には大規模な厨房が備え付けられている。保護者が食事をつくり、子どもたちの世話をする。夜は子どもたちだけでバンガローに宿泊する。まるで林間学校のようだ。

 教育プログラムは教室だけではなく、レッドウッドの原生林の中でも行われる。ふかふかの林床に寝転んで100メートルもの高さの巨木を眺めながらいろいろなゲームが行われる。また、レッドウッドの特徴は、差別や貧困のため、教育機会が十分に確保されていないアメリカ原住民の子どもたち向けの教育プログラムもあるのだ。いかにも西海岸らしい取り組みといえる。

 華やかなインタープリテーションに比べ、教育プログラムは地味だ。ところが、開始から20年以上経過し、国立公園に対する地元理解の醸成という点ではかなりの効果がでているという。国立公園の大切さや自然保護などの意義を、実際に今、地域で意思決定を担っている世代に理解してもらうことは困難だ。目の前の経済的な問題の方がずっと重要な課題だ。そもそも、そのような価値観を共有していないから、理解する素地すらない。

 ところが感受性の高い子供たちは違う。実際に自然を体験しながら、その大切さを学ぶことで、素直に国立公園の重要性が理解できる。また、子どもたちから話を聞くことで、親の世代もその重要性に気が付いたりする。だからこそ、将来地域を担っていくことになる子どもたちに訴えかけるのだ。講義を受けた子どもたちが地域社会を担う年齢層に達し、地域社会の価値観が少しずつ変化している。根気の必要な息の長いプログラムではあるが、国立公園局の戦略は着実に実を結んでいるといえる。

レッドウッド国立公園内にある自然学校。

レッドウッド国立公園内にある自然学校。

自然学校の内部。

自然学校の内部。

自然学校の敷地内にあるバンガロー。子どもたちは泊りがけのプログラムに参加することも可能だ。

自然学校の敷地内にあるバンガロー。子どもたちは泊りがけのプログラムに参加することも可能だ。

国立公園のイメージ戦略

 アメリカの国立公園といえば、まず頭に浮かんでくるのが「パークレンジャー」だろう。グレーのシャツに濃緑色のズボン、丸いつばのある帽子をかぶって現れ、すばらしいトークを展開する。国立公園については何でも知っているし、公園内を歩いているとよく見かける。フレンドリーに手を振ってくれたりする。それに比べると日本の国立公園にはレンジャーがいないとよくいわれる。日本には屋外で活動するパークレンジャーがほとんどいないという理由もあるが、実はちょっとした「からくり」が隠されている。

 まずはユニフォーム。アメリカの国立公園職員はユニフォームが統一されているため、公園内で見かける職員は、皆「パークレンジャー」に見える。でも、実際には様々な職種があり、「パークレンジャー」というのはある意味で架空のキャラクターだ。自然解説プログラムをこなし、公園内の犯罪者をつかまえ、自然環境の調査を行う。実際にはそれぞれの要素は分業化されている。アメリカの国立公園の大きな特徴はこの分業化にあり、それを統合するのがユニフォームなのだ。特に重要なのは色彩だ。シャツがグレー、パンツや上着が濃いモスグリーンに統一され、事務職からメンテナンス職員、警察官まで、パッと見は区別がつかない。

 ユニフォームの由来は軍隊だ。国立公園が設立された当初、公園は軍隊によって管理されていた。そのため、公園職員は「レンジャー」と呼ばれ、ユニフォームにも軍隊の名残がある。

 ビジターの前に登場する「パークレンジャー」は、土星のような形の帽子をかぶって登場する。ユニフォームはシャツもズボンもしっかりアイロンがかけられたきれいなものが多い。トークがとても上手で、人当たりもやわらかい。このような職員は、組織上は「パークガイド」と呼ばれる。ビジターを対象としたインタープリテーションプログラムを専門に担当する職員であり、国立公園の「顔」でもある。この職員がパークレンジャーのイメージを代表している。

ビジターセンターなどで勤務し、インタープリテーションプログラムを提供するパークガイド。一般的に「パークレンジャー」と紹介されることが多い。

ビジターセンターなどで勤務し、インタープリテーションプログラムを提供するパークガイド。一般的に「パークレンジャー」と紹介されることが多い。

ボランティアコーディネーター(事務職)の正装。土星のような形の帽子が特徴的。

ボランティアコーディネーター(事務職)の正装。土星のような形の帽子が特徴的。

自然資源管理部門の職員。屋外作業に適したキャップをかぶっている。ビジターサービスを行うことのできる職員は胸に金色のバッジをつけている。

自然資源管理部門の職員。屋外作業に適したキャップをかぶっている。ビジターサービスを行うことのできる職員は胸に金色のバッジをつけている。

警察官(取締官)とレンジャーステーション。拳銃を携帯しており、特別なバッジをつけている。

警察官(取締官)とレンジャーステーション。拳銃を携帯しており、特別なバッジをつけている。

メンテナンス職員のユニフォーム。色合いは同じだが、屋外作業に適した生地が用いられている。バッジはつけていない。Bタイプの制服。

メンテナンス職員のユニフォーム。色合いは同じだが、屋外作業に適した生地が用いられている。バッジはつけていない。Bタイプの制服。

メンテナンス職員の正装。ウェスタンハットが採用されている。

メンテナンス職員の正装。ウェスタンハットが採用されている。


ユニフォームには大きくビジターサービスを行うAタイプと行わないBタイプとに分かれる。それぞれ給与体系に基づき明確に区分けされる。簡単に言ってしまうと前者がホワイトカラー用で、後者がブルーカラー用だ。Aタイプは上質な生地を使っていて、胸に金色のバッジと金属製のネームプレートをつけている。

シェナンドア国立公園のパンフレットとパークニュース。ほぼすべての公園ユニットにこうした印刷物が備えられており、ハーパースフェリーセンターがそのデザイン統一のための役割を果たしている。

シェナンドア国立公園のパンフレットとパークニュース。ほぼすべての公園ユニットにこうした印刷物が備えられており、ハーパースフェリーセンターがそのデザイン統一のための役割を果たしている。

 Bタイプはメンテナンス職員である。ユニフォームは作業仕様で綿などの丈夫な素材でできている。帽子は作業に適したキャップをかぶっていることが多いが、正式な場面では、Aタイプ職員の土星型の帽子とは異なり、ウェスタンハットタイプが用意されている。屋外作業が主で、原則としてビジターサービスは行わない。

 ユニフォームは個人の所有物だ。採用時、そしてその後6か月ごとに手当てが支給され、カタログで各自が必要な制服を選び、購入する。採用当初、新人職員は替えが少なく、先輩職員からのおさがりをもらったり借り物で代用したりする。制服のパンフレットを見ると、水着や防寒具まで様々な仕様がそろっている。値段は意外と高い。服装のきれいな職員は、それだけでベテラン職員であることがわかる。

 手当てが支給される代わりに制服の着用規定も厳しい。きちんとした身なりをするとともに、ビジターへの接し方に関する心得なども示されている。国立公園のイメージ戦略の核をなすユニフォームには、十分な予算や制度が用意されていることがわかる。

 その他、国立公園のイメージ戦略という意味では、ハーパースフェリーセンターにおける各種パンフレット、標識デザイン、マザー研修所におけるレンジャー教育なども密接に関連しているが、詳細はこれまでの連載記事をご参照いただきたい【11】

変質する国立公園職員

ゴールデンゲート国立レクリエーションエリア。ゴールデンゲートを挟んで都市公園的なエリアと自然公園的なエリアが広がる。

ゴールデンゲート国立レクリエーションエリア。ゴールデンゲートを挟んで都市公園的なエリアと自然公園的なエリアが広がる。

マンモスケイブ国立公園メンテナンス部門のジェシーさん(右端)とビルさん(中央)。この日はバックカントリーサイトの掃除を手伝った。

マンモスケイブ国立公園メンテナンス部門のジェシーさん(右端)とビルさん(中央)。この日はバックカントリーサイトの掃除を手伝った。

取締官が公園内を乗り回すパトロールカー。「レンジャー」と呼ばれる職員は実は公園のお巡りさんだ。

取締官が公園内を乗り回すパトロールカー。「レンジャー」と呼ばれる職員は実は公園のお巡りさんだ。

シャイでジョークが好きなメンテナンス職員の皆さんには大変お世話になった。

シャイでジョークが好きなメンテナンス職員の皆さんには大変お世話になった。

 国立公園の管理を軍隊から引き継いだ当時、国立公園局の職員は、いわば「何でも屋」だった。人数も少なく、メンテナンスや取り締まりから自然解説まで何でもこなさなければならなかった。交通機関が発達していなかった当時は利用者も少なかったが、自動車利用が一般化すると利用者が急増した。サンフランシスコやニューヨークなどの大都市近郊にレクリエーション地域などが設立されると、各種の犯罪も急増する。特に、公園内での取り締まり業務には連邦政府の法執行官の資格が必要であり、人事も業務形態も完全に独立している。こうして公園職員の分業化が一気に進むこととなった。

 これに対し、日本の公園職員はジェネラリストとしての教育を受ける。本省や地方環境事務所では国立公園業務だけではなく、野生生物、施設整備、外来生物や遺伝子組換え生物、生物多様性業務と幅広い業務に携わる。そして、現地の最前線となる自然保護官事務所に駐在すれば、それこそ一人で何でもこなさなければならない。今でも、1事務所1人の単独駐在事務所すらある。アメリカのようにひとつの国立公園に1つずつ管理事務所が設置され、公園事務所1か所で日本の全レンジャーの総数を越えるような職員が勤務しているような状況とは全く異なる。いろいろ課題はあるものの、日本のレンジャーは幅広い視野を身に着けることができる。すべての業務を自ら実施するのではなく、関連する他の行政組織と連携して実施することを前提としているだけに、コーディネーターとしての役割が期待される。日米の大きな違いだ。

 アメリカの国立公園の現場では、組織の硬直化など様々な変化が指摘される。職員の高齢化が進み、若い職員の採用枠がない。後述する入場料金制度の変革により、臨時職員の割合が高くなっている。利用者の多い夏休み期間中、ビジターセンターなどで働く若い職員の多くは臨時職員、それも大学生のアルバイトが多い。実際、金曜日の夜一緒になって飲んで騒いでいた学生のアルバイト職員が、翌日はしたり顔でプログラムを実施していたりする。夏休みが終われば学生は皆大学に戻っていくから、国立公園で本当にベテランのプログラムを体験したければ、シーズンオフに訪問する方がいいだろう。かつては、学校の先生が夏季休暇中にボランティアをすることもあったらしいが、最近はほとんどいないという。こうした状況からも、夏休み中のインタープリテーションの質が相当下がったと嘆く声が少なくない。

 インタープリテーション部門にはマニュアルがぎっしりと並んでおり、それを読めば大体同じようなプログラムを実施することができる。職員はこうしたマニュアルを熟読し、勉強してプログラムに臨む。マニュアルに沿った、決まったことを話すことはできても、質疑応答で馬脚が現れる。せっかく子どもがおもしろい質問をしても、しどろもどろの回答しかできなかったりする。ちなみに、こうしたデータを提供するのは、公園内の資源管理部門。その部門でボランティアをしていた私たちは、実に様々なことを学ぶことができた。

 公園内でよく見かける職員は、実はメンテナンス職員と法執行官(お巡りさん)が多い。メンテナンス職員のほとんどは平日しか勤務していないが、芝刈り、看板の修理、建物の管理と実に忙しそうに公園内を行き来している。大きなピックアップトラックに乗り、気さくに手を振り返してくれるのがこんな人たちだ。

 取締官は、専用のパトロールカーに乗車し、道路を走り回っている。公園内のスピード違反や駐車違反の取り締まりが主な仕事である。土日の別もなく、昼も夜も交代制で公園内をパトロールしている。公園内にあるボランティア宿舎の近くにもよくパトロールに来てくれていた。取締官は腰に銃も下げており、連邦政府取締官の特別のバッジをつけているから、すぐに見分けがつく。表情も厳しいし、それほどフレンドリーでもない。ストレスと運動不足からか、お腹がでっぷりと出ている。体型からすると、ほっそりとした体形が多いガイドとは大違いだ。ちなみに、職種としては、彼らこそが「レンジャー」と呼ばれる職員だ。アメリカの国立公園の特徴は、よく知られているように公園管理者が独立した警察権を持つことだ。「レンジャーステーション」と表記があれば、それはビジターセンターではなく、おまわりさんの詰所である。

  対照的に、国立野生生物保護区の多くでは取締官が少ないため、警察権を州政府に依存しているところが多い。警察権が独立していると、区域を出てしまったら逮捕できないなどの弊害がある。保護区の境界が入り組んでいて民有地が多い野生生物保護区にはむしろその方が向いている。

 取締官だった方に話を聞いたところ、取締官とパークガイドは最も離婚率が高いのだそうだ。土日もなく仕事をしなければならず、家族との時間をなかなか持てないのがその理由とのことだが、実際にその勤務状況を見ていると納得できる。

 マンモスケイブでの研修中、私たちが大変お世話になったのもメンテナンス部門の職員だった。ボランティアハウスの修理だけでなく、時間があるとよく声をかけてくれた。ほかの職員に比べ、不思議と「外人」アレルギーが少ないのも特徴だった。その理由はすぐにわかった。メンテナンスには軍人出身者が多い。退役軍人は、政府職員に優先的に採用される権利がある。優先度合いは実際に戦闘に従事したか、負傷したかなどによって変わってくる。マンモスケイブ国立公園には、ベトナム戦争に従軍した経験のある職員が多く、私たちのようなアジア系の人間とも抵抗なく付き合えるようだ。

 こうした退役軍人出身者の多くは定年を迎え、今後世代交代が進む。その一方で、最近の定員削減の影響によって職員の補充がうまく進んでいないという話も聞く。公園を支える縁の下の力持ちであり、アメリカの国立公園の特徴のひとつでもあるメンテナンス部門の弱体化は残念なことである。これはマンモスケイブ国立公園に限ったことではなく、全米的に進んでいる。それに伴い、メンテナンスの外注、メンテナンスフリー施設への改修などが進んでいる。こうした動きは、もともとメンテナンス部門のない日本の国立公園にも参考になるだろう。施設は作ることよりも維持する方が難しいのだ。

国立公園を訪問するヒント

国立公園の職員の職務は非常に細分化されている。何か特定の事項についてお話を伺うためには、こちらの意図を明確に伝え、しっかり平日に時間をとって訪問することが必要。

国立公園の職員の職務は非常に細分化されている。何か特定の事項についてお話を伺うためには、こちらの意図を明確に伝え、しっかり平日に時間をとって訪問することが必要。

 研修期間中、日本からのお客さんが国立公園を訪問するための取り次ぎをすることも多かった。いつも苦労したのがスケジュール設定だった。日本からの出張は日程が窮屈になるため、国立公園訪問は週末になることが多い。ところが国立公園の職員も公務員なので、基本的に公園管理事務所は土日が休みだ。公園はもちろん休日や休暇シーズンが稼ぎ時だが、働いているのはごく一部の職員だけだ。休日シフトは必要最低限の職員のみが勤務し、繁忙期はなおさら余裕がない。

 パークガイドは決まったトークはできるが、公園管理について外部からの問い合わせに答える立場にはない。きちんとした責任者に対応してもらおうとすれば、やはり平日にアポイントをとることが必須だ。短い時間でもいいから、金曜日か月曜日を訪問に割いていただくため、粘り強く説得したものだ。

 私がアメリカの国立公園に勤務しているから、取次がスムーズになると期待されたが、実際はそれほど変わりはない。アメリカの国立公園は外部からの問い合わせに対し非常に対応が丁寧だ。専門的な問い合わせは別として、公園のホームページの問い合わせフォームから申し込むと、すぐに返事がくる。私も大抵そのような方法をとっていた。

 役所の受託業務で調査に来る一行が、過剰な期待を抱いているケースもあった。実際に国立公園を訪問し質問をすれば、すべての情報がそろうと期待していることも少なくなった。現場で話を聞くのは重要だろうが、訪問時間が2〜3時間しかないことを考えると、よほどポイントを絞らないと表面的な訪問レポートに終わってしまう。国立公園局の情報はほぼすべてウェブサイト上に公開されている。面倒でもそうした情報をあらかじめ調べ、それに基づいて話をした方が双方にとって実りある訪問になるはずだ。そのような経験も、研修レポートをまとめる上での重要な視点となった。

施設計画

 国立公園を訪れて驚かされるのは、施設がしっかりしていてかつ使いやすいことだろう。特に、自動車で公園を訪問すると、まるで高速道路のサービスエリアにでも行っているような錯覚さえ覚える。前述のとおり、組織の性格からすると、国立公園局は日本でいえば国土交通省のような公物管理に慣れた事業官庁としての性格が強い。自然地域で道路や箱モノを作らせれば、他に敵う役所はないだろう。

 特筆すべきは、公園のアプローチ道路の計画だ。それぞれの国立公園には、サービス用道路を除けばアプローチ道路は限られる。これは偶然ではなく、効果的な公園施設の配置、管理業務の効率化、そして訪問客にとって忘れがたい経験をしてもらうためだ。各アプローチ道路には必ず大きな公園標識看板が設置されている。国立公園に来た利用者の多くは、そこで車を止めて一息入れる。

 日本と異なり、アメリカの田舎には信号があまりない。また、コンビニのような都合のいい店舗もない。特に国立公園は辺鄙なところに多いから、その周辺にはなおさらそうしたサービス施設は少ない。その日の朝モーテルを出発して、途中ガソリンスタンドやインターステートのパーキングで休憩した他は、看板前で止まるまで一度も車を降りないということもある。公園に入る前後で車から降りて、深呼吸をしたりするのはとてもいい気分転換になる。また、公園のゲートで支払う入園料を用意したり地図を確認したりするにも好都合だ。中にはトイレまで併設されている場合もある。まさに車の利用者のことを最優先に考えた施設といえる。

 この入口看板は、記念撮影にも絶好の場所だ。石積みの土台の上に、国立公園の名前が大きく記載された表示板がある。そこで写真をとることにより、どこの公園に行ったか(公園名)、世界遺産やMABなどに指定されていないかなども一目でわかる。実にわかりやすい写真インデックスになる。これも国立公園としてのイメージ戦略のひとつだろう。

カールスバット鍾乳洞国立公園の入口標識。石造りのしっかりした造りが鍾乳洞のイメージと合っている

カールスバット鍾乳洞国立公園の入口標識。石造りのしっかりした造りが鍾乳洞のイメージと合っている(第30話より)。

標識のデザインや質感が、グランドキャニオンの地形や色などの特徴をうまく伝えている

標識のデザインや質感が、グランドキャニオンの地形や色などの特徴をうまく伝えている(第30話より)。

グランドティートン国立公園の入口標識。ゲートの意匠を取り入れたデザインを採用している

グランドティートン国立公園の入口標識。ゲートの意匠を取り入れたデザインを採用している(第30話より)。

セコイア国立公園の入口標識。一本支柱に巨大な腕木がついている

コイア国立公園の入口標識。一本支柱に巨大な腕木がついている(第30話より)。

サガロ国立公園の入口標識の脇にはサボテンが植えられている。標識はこの地方特有の土塗りの壁をイメージさせる塗装が施されている

サガロ国立公園の入口標識の脇にはサボテンが植えられている。標識はこの地方特有の土塗りの壁をイメージさせる塗装が施されている(第30話より)。

ミュアウッズ国立記念物公園の入口標識には、公園内に残るレッドウッドの大木をイメージさせる輪切りの木材が使われている

ミュアウッズ国立記念物公園の入口標識には、公園内に残るレッドウッドの大木をイメージさせる輪切りの木材が使われている(第30話より)。

イエローストーン国立公園の入り口標識

イエローストーン国立公園の入り口標識(第18話より)。

キーナイフィヨルド国立公園の入口標識。手前に路傍駐車スペースが確保されている

キーナイフィヨルド国立公園の入口標識。手前に路傍駐車スペースが確保されている(第30話より)。

ラッセン火山国立公園の入口標識。パイロン(石積み塔柱)が標識のデザインとして残されている

ラッセン火山国立公園の入口標識。パイロン(石積み塔柱)が標識のデザインとして残されている(第30話より)。

ラッセン火山国立公園の古い入口標識(国立公園局 公園及びレクリエーション施設より)

ラッセン火山国立公園の古い入口標識(国立公園局 公園及びレクリエーション施設より)(第30話より)。


 こうした看板をよく見てみると、いろいろと面白いことがわかる。まず、看板が公園の性格や自然のタイプを実によく表しているということ。大木のある公園では大きな丸太で、乾燥地にある公園は岩や粘土、鍾乳洞のような公園では石灰岩と、雰囲気がそれぞれ違う。看板が設置されている地点もポイントの一つだ。前述のとおり、アプローチ道路の途中、エントランスゲートの前に設置されていることが多い。これは、国立公園における入口標識発達の歴史を反映している。

 自動車の発達に伴い、国立公園の利用客数が急増した時代、国立公園の管理者が最も苦労したことは自動車の公園内への乗り入れ対策だったという。現代と同様、自動車は長い距離を走行して公園に到着する。一般道を疾走してきたそのままのスピードで公園内を走行されると、せっかくの自然の雰囲気が台無しになってしまうし、利用者にとっても危険だ。そこで国立公園局がもっとも力を入れたのが、道路計画、中でもエントランス道路だ。アプローチを工夫することにより、「ここから特別な場所に入る」という雰囲気を利用者に伝えようとしたのだ。入口標識は、実はこうしたアプローチ道路の設計の中から誕生する。

 例えば、大きな石積みの柱から発達したタイプがある。これは、国立公園の境界を明示するために設置されていた道路脇の石積みを起源とするタイプだ。現在も、ラッセン火山国立公園の入口標識などにその名残がある。別のタイプとしては木造のゲートの支柱から発達したものがある。それらが抽象的な形で様々な入口標識の意匠の一部として残されていることはなかなか気が付かない。いずれにしても、アプローチ道路と入口標識は、利用者の気分を変え、これから国立公園という特別な場所に入る心構えを整えてくれる場所、そしてそれに対する期待感を高めてくれる場所だ。私たちが国立公園を訪問する際には、できるだけこうした標識で車を停めることにしていた。

 入口標識をもう少し見てみたい。まず、大きさだ。入口標識は看板の盤面が大きく、看板の周りには人が並ぶスペースやカメラを構えるスペースがしっかりと確保されている。さらに車をゆったり止めることのできるスペースもある。また、標識の土台部分は階段状になっていて、何列かで並ぶこともできる。つまり、記念撮影のための条件をすべて満たしているのだ。入口標識のまわりを見ると、駐車場造成並の工事が行われていることがわかる。もうひとつおもしろいことがある。周囲はあまり展望がよくないのだ。ここはアプローチ部分でしかなく、公園の核心部で見られるであろう素晴らしい景色が期待できるはずもない。看板が設置されている場所は、標識を設置するための十分な余裕があり、車からでもしっかり視認されるような場所にあればよい。看板で車を停め、一息つかせ、準備をさせ、そして期待を膨らませてもらう。

  日本だと、公園標識の多くは、景色のいい展望地点や、対照的に公園の入口となる境界線上などに設置されている。前者の場合は利用者の集中を招き、後者の場合は利用上はなはだ中途半端な位置に設置されることになる。車を停めるどころか、全く視界にも入らないことすらある。これは、国立野生生物保護区に似ている。保護区境界が入り組んでいることが多く、境界を明示することに重きが置かれているのだ。そもそも、アメリカの国立公園の入り口標識は規模も大きく、造成工事も必要になる。道路の法面などに設置される日本の標識とは構造が違うのだ。

 日本の国立公園の場合、道路は道路管理者が別にいて、また土地所有も異なる。アプローチ道路も無数にあり、料金ゲートもないので主たる入口を特定できない。車両がすぐに公園の核心地に乗り入れてしまうという事態も生じる。アメリカの国立公園とは条件が違いすぎる。

 その点、日本の国営公園には短いもののアプローチ道路が見られる。入園ゲートが絞り込まれており、ビジターの動線や誘導もよく考えられている。ただ、国営公園は原則として園内に車両を乗り入れさせずに駐車場へと誘導するので、公園内の自動車利用という面での問題はない。

 アメリカの国立公園局の施設計画の特徴は、その主眼が車両誘導、つまりは道路と駐車場、標識類の施設計画にあるということだろう。国立公園訪問者が、自動車を一度も降りずに公園を回ることもあるといわれるほど、国立公園の施設は車利用者に便利なようにできている。また、利用客の方も、Tシャツに短パン、サンダルのような気楽な格好のまま、車両でいきなり原生的な公園の核心地帯にやってくることもある。だから駐車場から歩いて20分ほどの滝に行く途中でけがをしたり遭難したりすることがあるのだ。日本の国立公園でも、ハイヒールでロープウェイに乗ったのはいいが、山頂近くの登山道で困り果てている女性客が話題になったりする。アメリカの場合には、基本的に車両で自由に乗り入れることができるので、その数も半端ではない。

 しかし、アメリカの国立公園内を走る沿道の景観はすばらしい。かの有名なヨセミテ国立公園に行った際、雄大な渓谷の中を自動車で自由に走り回れることには、驚きという以上に、罪悪感を覚えたほどだった。同じような景観の上高地を好きなように車で走り回れるとしたら、という思いがよぎった。

ヨセミテ国立公園の有名な「トンネルビュー」。一面に素晴らしい景色が広がる。

ヨセミテ国立公園の有名な「トンネルビュー」。一面に素晴らしい景色が広がる。

展望台の様子をみるとこの通り。普通の観光客が大挙して押し寄せる記念写真ポイント。展望台が広々としているため、それほど待たずに写真を撮ることができる。

展望台の様子をみるとこの通り。普通の観光客が大挙して押し寄せる記念写真ポイント。展望台が広々としているため、それほど待たずに写真を撮ることができる。

サンフランシスコからの大型バスが次々と到着する。

サンフランシスコからの大型バスが次々と到着する。


 シェナンドア国立公園なども、車窓からでも解説板が読めるし、車からの視界を邪魔しないように高さを抑えたガードレール代わりの石積み擁壁が設置されている。駐車場からすぐに素晴らしい風景を堪能できるし、写真を撮影するポイントもたくさんあって広々としている。ビジター数は多いにもかかわらず、滞留時間も短く、ビジターの回転がはやいから、ストレスも少ない。施設がしっかりしていて、わざわざ植生帯に立ち入る必要もないから自然環境への影響も比較的小さい。主なトレイルの入口には駐車場やトイレ、ごみ箱が設置されている。適度なところに展望台があり、ビジターはそこまで散策し、きれいな風景を楽しみ、そして満足して帰っていく。かなりビジターを甘やかしている感じもするが、その分満足度は高い。日本だと、展望地点まで行っても大した風景が望めず、そのためにトレイルからさらに先まで立ち入るなどして植生が荒れたり、トイレがないため山頂付近で用を足したりといった事態が発生する。

 アメリカの展望地点が魅力的なことには理由もある。展望地点で下を見下ろすと、ほとんどの場合、かなり大規模な伐採(通景伐採)が行われている。かなり大きな切株もあるから大きな樹木も切り倒されているはずだ。展望台の規模も違う。山頂に、さらに大きなコンクリート製のスロープ付展望台があったりする。日本のようにスカイラインを大事にする景観管理からは考えられない施設の設置だ。

シェナンドア国立公園の公園道路に設置された石積み擁壁。自家用車の窓からの展望が確保されるよう高さが抑えられている。

シェナンドア国立公園の公園道路に設置された石積み擁壁。自家用車の窓からの展望が確保されるよう高さが抑えられている。

シェナンドア国立公園の通景伐採。かなり大規模な伐採であることがわかる。

シェナンドア国立公園の通景伐採。かなり大規模な伐採であることがわかる。

グレートスモーキーマウンテンズ国立公園の山頂に設置されていたコンクリート製の巨大な展望台。車いすでも利用できそうならせん状のスロープもついている。

グレートスモーキーマウンテンズ国立公園の山頂に設置されていたコンクリート製の巨大な展望台。車いすでも利用できそうならせん状のスロープもついている。

展望台までの歩道もしっかりと舗装されている。幅員も車道並みで余裕がある。国立公園としては核心地域ではあるが、利用者の服装や靴などをみると、登山客というよりは一般観光客。フロントカントリーの考え方は日本の公園計画の考え方とは相当異なる。

展望台までの歩道もしっかりと舗装されている。幅員も車道並みで余裕がある。国立公園としては核心地域ではあるが、利用者の服装や靴などをみると、登山客というよりは一般観光客。フロントカントリーの考え方は日本の公園計画の考え方とは相当異なる。


 このような一般利用者の利用を想定してしっかりとした施設をつくっているのが「フロントカントリー」の施設計画の考え方だ。これに対して、ビジターの自己責任で利用するエリアが「バックカントリー」だ。公園の地図などでみてみると、フロントカントリーの範囲は非常に限定的であり、その他大部分を占めるバックカントリーは利用するビジター数はごく少数だ。限定されたフロントカントリー区域ではビジターを優先してしっかりと開発を行う一方、公園の多くをバックカントリーとして残すという発想はなかなか合理的だ。山頂に展望台があったとしても、また山腹を通る車道沿いの伐採跡地が目立ったとしても、それはフロントカントリーの部分だけなのだ。そうした展望台は一般的にバックカントリーを望む方向にあるので、一般利用客からの視界には入らない。利用客の9割以上がフロントカントリーだけで満足して帰っていく。利用客の高い満足感は管理者としての義務を満たしていることを証明してくれる。また、有権者の支持にもつながることから国立公園の将来も保証してくれるのだ。

 ここに、日米の国立公園管理の大きな違いがある。日本の国立公園は、土地所有形態を問わず、自然の資質に従って地種区分を行い、それぞれの区分に応じた開発規制を行う。つまり、公園内における人為的な行為は一律抑制されるかたちになっている。利用も規制も薄く広くほぼ公園の全域に及ぶ。

 一方、アメリカの場合には国有地である国立公園の価値を維持することが目的となる。利用を許容する部分とそうではない部分とに分け、前者では景観に影響が生じても、それが土地の価値を増進するものであれば許容されうる。メリハリのきいた管理が可能となる。

 例えば、マンモスケイブ国立公園の遊歩道で外来生物植物のモニタリングを行っていた際、面白いことを知った。歩道の両側にはきれいな花が咲いており、そこに立ち入るのははばかられた。ところが、歩道には柵どころかロープも張っていない。聞けば、立ち入りは禁止されていないという。植生が荒れることがあれば柵などで立ち入りを禁止することになるが、影響が生じない限り、利用者の行為はあまり細かく制限はされない。一方で、歩道を離れて立ち入るようなビジターもほとんどみかけない。歩道がうまく作られていることと、面白そうなところには歩道がすでに整備されて、解説板までついていること、そして、利用者が多いところは思い切って歩道の幅を広げ、表面を舗装することまでしている。つまり、歩道を外れて歩く必要がないのだ。いいか悪いかは別として、アメリカの国立公園の魅力は、こうした思い切った施設整備にあるといえる。また、これを可能にしているのが保護区の土地所有や管理方針の違いなのだ。

国立公園における入場料収入

 アメリカの国立公園で徴収される入場料金は、もともとはすべて国庫に納められていた。納入された収入は、国立公園の管理費用には充当されていなかった。これにはいくつかの理由があるのだが、端的にいえば入場料収入程度で公園の管理費用の全額を賄うことは無理なのだ。

 公園管理者の理想は、すべての管理費を国の予算で賄えること。そして、入場料金は無料にすること。ただ、税金を源泉とする一般会計の額は、日米ともに国会の承認が必要となる。つまり、国民の代表たる国会がその必要性を認めている必要がある。受益者負担として形式的に国立公園の入場料金を徴収してはいたが、かつて国民に絶対的な人気を誇っていたアメリカの国立公園は、それほど苦労せずに予算を獲得できていた。ところが、1980年代後半ごろより国立公園人気にも陰りが出始める。その一方で、国立公園システムには大規模なレクリエーション公園も加わり、規模も管理費も増大していった。

 さらに近年は、利用者にとって国立公園以外にも楽しめる選択肢が増えてきた。レジャーは多様化し、子どもたちは家でゲームやビデオを見て過ごすことも多くなった。共働き夫婦が圧倒的に増え、家族がそろって長期休暇をとるのが難しくなった。収入面での女性の自立が進み、発言権が大きくなり、交通の便が悪く、お金のかかる国立公園での長期休暇より、近くのレジャー施設やモールでの買い物への選好が進むようになった。

 利用者が減ればそれだけ予算額も伸び悩む。こうして徐々に予算不足が顕在化した国立公園システムに導入されたのが「フィーデモンストレーションプログラム」【12】。料金の一部を、徴収した公園が直接使用できるという画期的な制度だ。それまで、せっかく多くの入場料収入を得ても、素通りで国庫に入ってしまっていた有名な公園にとっては朗報だっただろう。特別会計となるため、その使用にあたっては議会の承認も必要とされない。ただ、この制度の導入による悪影響を危惧する声もある。

 そもそも、この制度の対象となる入場料収入の使途には一定の制限がある。受益者負担として徴収された料金であるから、当然ながら利用者の利便のために使用されるべきであるというものだ。そのため、使途は原則としてビジターサービスに限定されている。また、一般会計との違いを明確にするため、職員の給与には充当できない。給与として支給できるのは、ビジターサービスに従事する臨時職員に支給するものに限られる。

 この制度の導入により、2つの変化が生じた。一つは、ビジターセンター、駐車場、道路などの利用施設の拡充だ。予算の使用には期限もあるため、いきおい公園のあちこちで建設工事が行われることになる。大規模な施設は維持管理費も大きい。環境影響評価や事業評価を担当する科学部門への予算や人員の追加はないため、ただでさえ忙しい科学部門に、さらに大きな負担がかかって、結果として評価が十分に行われないという事態も生ずる。施設整備を前提とした形式的な調査にとどまることも少なくない。本来は公園内の資源状況に基づき、事業評価などに客観的な判断をすべき部署が、施設整備の片棒を担ぐことになる。また、こうした予算消化は不要な施設や業務を公園に持ち込んでしまう結果にもなる。

フィーデモンストレーションプログラムを紹介する看板。

フィーデモンストレーションプログラムを紹介する看板。

マンモスケイブ国立公園のビジターセンター前の駐車場改修工事。それほど緊急性があるようには思えない。

マンモスケイブ国立公園のビジターセンター前の駐車場改修工事。それほど緊急性があるようには思えない。


ビジターセンターもすでに建て替えられ、かなり大規模な建物になっているはずだ。

ビジターセンターもすでに建て替えられ、かなり大規模な建物になっているはずだ。

公園内で進む大規模な車道改修工事。フィープログラムが導入されてからこうした改修工事が増加している。

公園内で進む大規模な車道改修工事。フィープログラムが導入されてからこうした改修工事が増加している。

鍾乳洞内でも大規模な歩道改修工事が行われていた。照明システムも最新のLEDシステムに更新される。

鍾乳洞内でも大規模な歩道改修工事が行われていた。照明システムも最新のLEDシステムに更新される。


ラッセン火山国立公園。シーズンオフということもあったのだが、利用者が少なく施設も老朽化していた。入場料収入によって公園にも貧富の差が広がる懸念がある。

ラッセン火山国立公園。シーズンオフということもあったのだが、利用者が少なく施設も老朽化していた。入場料収入によって公園にも貧富の差が広がる懸念がある。

 もう一つの変化は臨時職員の割合の増加だ。特に、多くの公園のトップシーズンに当たる夏季には臨時職員が大量に採用される。その多くは大学生のアルバイト。国立公園といえば、質の高いレンジャーによるビジターサービスが魅力だ。現在も、季節外れにゆったりと訪問できるリタイア後の裕福な高齢者や外国人観光客は、そうしたベテランに出会えるチャンスがある。ところが、夏休みなどに集中する一般の観光客は、急ごしらえの「パークレンジャー」によるサービスを受けることになる。全国どの公園でも同等のサービス(ユニバーサルサービス)を提供するという国立公園局の方針は現在も変わらないが、それを支えるレンジャー教育は正規職員にしか提供されないから、臨時職員が増えれば、サービスの質が公園ごとにばらついたり、低下したりする。

 入場料収入の一部を各公園が直接使用できることによる弊害も小さくはない。入場料収入が公園の予算額の増減に直結することになれば、公園としては収入を増やそうとするのが自然だ。入場者数を増やし、料金を上げる方向に管理方針が変わっていく。入場者数を増やすには魅力の向上が必要だ。手っ取り早いのは道路、駐車場、案内標識など施設のリニューアルだろう。幸い、入場料金収入はそのようなビジター向け施設に使用することができる。入場料金は、ここ20年間でかなり高くなったという。料金収入が公園の管理予算を大きく左右するという状況を考えれば、むしろ当然とも思える。また、一般的な徴収方法は1人当たりではなく、乗り入れ車両1台あたりの料金で、車両の受け入れに対する料金という性格が強い。結果として、利用者数というよりは入場する車両台数を増やすことになり、車道や駐車場の充実が優先される。

 こうして利用者の集中が起きるとともに、過剰な施設整備が進むと、国立公園としての本来の魅力を低下させることになる。リピーターの失望を招くことになれば、将来的な利用者減にもつながるだろう。

 入場料金の上昇は利用者側にとって歓迎されるものではない。もともと入場料金の安い公園ならまだしも、イエローストーン国立公園などの大公園になるとビジターの負担は相当なものになる。もともと国立公園利用の少ないアフリカ系やヒスパニック系アメリカ人の利用はさらに減少し、ビジターの差別化にもつながる。

 共働きの白人系アメリカ人家族への影響も懸念される。こうした利用層の滞在期間はもともと短く、利用も子どもの夏休みシーズンに限られる。前述した夏季シーズンのレンジャーサービスの質の低下とともに、子どもたちが本物の国立公園を体験する機会をさらに減らしてしまう結果にもなる。

 一方、臨時職員の採用増は、この分野に関心のある大学生にとっては大歓迎だろう。臨時といえ、憧れのパークレンジャーのユニフォームを着ることができる。子どもの頃、国立公園を訪問できなかった人たちにとっても、就職前に国立公園を満喫するまたとない機会になる。ただ、正規職員の採用は増えていないから、そこから先の就職にはなかなかつながらない。本物のパークレンジャーへの道は、依然狭き門ではある。

 上記のような弊害に加えて、国立公園局という巨大組織の変化にも注目したい。もともとこの組織は中央集権的な体質を持っていて、その源泉は予算、人事そして各種の規則やマニュアルを本局が握っていることにある。予算は一般会計の割合が高く、国立公園本部が連邦議会との折衝などによって獲得し、それを各公園に配分する。その要が全国7箇所に設置された地域事務所の存在だった。その一方で、各公園の所長(Superintendent)は独立性が高く、権限も大きい。新しい入場料金システムの導入は、公園の独自予算を増やした。その結果、地域事務所からの独立性が高まり、地域事務所の役割の相対的な低下を招く結果となっている。

 さらに、地域事務所の機能が弱体化するにつれ、近隣公園どうしの連携が強まっている。全国の国立公園を生態地理的な共通点からいくつかの地域に分けたモニタリングネットワークが設立されている。このネットワークでは、モニタリングセンターの機能を有する大公園が、ネットワーク内の小公園のモニタリングもサポートしている。このネットワークが、ITサポートやその他の公園管理に関するサポート機能も担うようになってきている。

 もうひとつ見逃せないのが国立公園間の貧富の差だ。一般会計を補う予算は入場料金収入しかない。しかし、もともと人気のある大公園はそれが期待できるものの、収入がもともと少ない公園はそれを期待できない。十分な臨時職員も雇用できなければ、施設の更新もできない。そうすると、有能な職員がわざわざ志望することもなくなる。腰を落ち着けるのは地元出身の臨時職員くらいで、あとは腰掛の若手職員か所長くらいしか赴任してこないという事態も生じる。国立公園の中には、さまざまな経緯から指定された公園がある。中には、マンモスケイブ国立公園のように鍾乳洞ツアーというドル箱を持つ入場無料の公園もあるが、多くの公園の入場料収入はそれほど大きくはない。入場料金を公園の収入とするフィーデモンストレーション制度は、これら弱小公園の切り捨てという側面もあるのだ。

日米料金徴収事情

 では、ここで日本の国立公園の有料化の問題について考えてみたい。2013年夏、富士山で試験的に入山料が導入されたように、日本での国立公園有料化の議論はもっぱら登山道が対象だ。また、これまで行われている実質的な国立公園利用の有料化は、たとえばマイカー規制に伴う駐車場料金やシャトルバス料金の徴収など。これらは成功事例といえるだろう。
アメリカの国立公園は、一般的には入場ゲートで料金が徴収される。この方式は国内では国営公園に近い。国営公園とアメリカの国立公園に共通しているのは、前述のとおり、公園へのアクセスルートをあらかじめ数か所に限定していることだ。入場料金徴収のコスト、特に人件費は大きい。入場料収入より人件費が上回ってしまえば元も子もない。だから、実際には国立公園の料金徴収には実に様々な工夫がなされている。

 たとえば、テキサス州にあるビッグベンド国立公園の入口ゲートは、閑散期は閉鎖されている。利用者はビジターセンターのカウンターなどで入園料を支払うと、領収書とパークガイド(地図付きのパンフレット)をもらうことができる。ただ、自己申請なので、カウンターで特段の問い合わせなどをしない限り、料金の支払いを求められることはない。また、料金も比較的低く設定されているので不公平感もそれほど大きくはない。ビッグベンドは公園面積も大きいためすべての入口に職員を配置するコストも大きい。コストと収入とを比較衡量して徴収方法を変えるという柔軟さがある。

ビッグベンド国立公園のビジターセンター

ビッグベンド国立公園のビジターセンター

国立公園区域は広大でシーズオフは訪問客の姿もまばら。

国立公園区域は広大でシーズオフは訪問客の姿もまばら。


 サガロ国立公園には入口に料金徴収ゲートはない。その代り、公園内でサボテンがたくさん生えている車道区間だけが有料となっており、その入口に職員が常駐している。料金を支払って道路に入る利用者は多くないため、道路をゆっくり回りながら風景を楽しむこともできる。なお、ビジターセンターは無料地域にある。

奇妙な形をしたサガロサボテン。有料道路区間ではサガロが林立する不思議な風景をゆっくりと楽しむことができる。

奇妙な形をしたサガロサボテン。有料道路区間ではサガロが林立する不思議な風景をゆっくりと楽しむことができる。

サガロ国立公園のビジターセンター

サガロ国立公園のビジターセンター


 また、通過利用の多い国立公園にも工夫がある。シェナンドア国立公園は尾根筋に沿ってスカイラインドライブが貫いている。この車道は24時間通行可能だ。ゲートに職員のいない時間帯に入場すれば料金を支払う必要はない。これも合理的といえば合理的な管理方法だ。国立公園の中にはマンモスケイブのような無料公園もある。公園のアクセス道路も多く、駐車場、ピクニックサイト、ビジターセンターなども出入り自由だ。カヌーを持ち込んで川下りをしてもいいし、公園内を流れる川を横断するフェリーも無料、そして公園内は州の遊漁料金も徴収されない。有料なのはキャンプ場の使用料金と、この公園の目玉である鍾乳洞でのガイドツアーくらいだ。ガイドツアーは人気が高く、かなりの収入を生み出しているという。入門編のお手頃なツアーから、一日がかりのマニアックなツアーまで各種そろっている。それも毎回ほぼ満員。料金は近隣の民間施設を参考として決定されているため、相当高額なものもある。通常、国立公園内のガイドツアーは天候に大きく左右されることが多いのだが、ケイブツアーはその心配がなく確実に予約をとることができる。ただ、ツアー料金が予算収入につながることになってから、料金が上昇傾向にある。一方、無料公園としての悩みもある。料金ゲートがないために、車両の通過利用が多い。料金徴収には、乗り入れ車両数の適正化にも効果を持っていることがわかる。

シェナンドア国立公園のスカイラインドライブ

シェナンドア国立公園のスカイラインドライブ

マンモスケイブ国立公園内の2か所に設けられている無料の渡船フェリー。あえて橋をかけずフェリーを運航することにより、通過利用を抑制する目的もあるようだ。

マンモスケイブ国立公園内の2か所に設けられている無料の渡船フェリー。あえて橋をかけずフェリーを運航することにより、通過利用を抑制する目的もあるようだ。


 中にはもっと単純で効率的な料金徴収方式も採用されている。たとえば、予約の必要のないキャンプ場などでは、あらかじめ封筒に必要事項を記入し、料金を入れたうえでポストに投函して、半券を各キャンプサイトの支柱に掲出する。キャンプ場に管理人は常駐していないが、定期的にメンテナンス職員が見回りにきて、半券を確認する。この方法は、森林局や魚類野生生物局などがよく採用していて、入場料金や有料道路の通行料金などの納入方法としても一般的だ。比較的低額の利用料金で、人件費をあまりかけられないケースに多い。

ブラックウォーター国立野生生物保護区の有料道路区間に設けられたペイステーション。職員はおらず、自分で封筒に必要事項を記入しお金を入れてポストに投函する方式。

ブラックウォーター国立野生生物保護区の有料道路区間に設けられたペイステーション。職員はおらず、自分で封筒に必要事項を記入しお金を入れてポストに投函する方式。

ブラックウォーター国立野生生物保護区の有料道路区間に設けられたペイステーション。職員はおらず、自分で封筒に必要事項を記入しお金を入れてポストに投函する方式。

ブラックウォーター国立野生生物保護区の有料道路区間に設けられたペイステーション。
職員はおらず、自分で封筒に必要事項を記入しお金を入れてポストに投函する方式。


 このように、一口に公園での料金徴収といっても実に様々な方法や工夫がある。アメリカ人らしいおおらかさが可能としている側面もあり、またそれだけに難しい面もある。ただ、料金の徴収方法がいずれも合理的で現実的なことには感心させられる。利用者が多い観光シーズンの料金ゲートではほぼ例外なく料金が徴収されるが、ファーストフードのドライブスルーさながら、流れ作業で、車両の種別に応じて統一料金を徴収していく。トレイル沿いに入園する徒歩利用者のようなごく少数の利用者は、料金徴収コストが見合わないため基本的にはあまり力を入れていない。必要があればバックカントリー許可証のような別の仕組みで捕捉することもある。

 アクセスルートが多い場合や利用者が少ない場合には、取りやすいところでとる。その場合には取りこぼしや歩留まりは気にせず、それぞれのビジターの判断に任せる。日本の国立公園はごく限られた利用地点を除いてはアクセスルートが無数にあるといっていい。典型的なアメリカの公園ゲートでの料金徴収は現実的ではなく、時々国立公園内のトイレなどで見かける「清掃協力金」の制度などが、現実的なのかもしれない。あとはその協力金を支払うインセンティブをいかにコストをかけずに向上させられるか、にかかっているだろう。

 日本には優れたETCシステムや電車やコンビニなどで広く普及しているプリペイドICカードなどもある。料金徴収は単なる収入源ではなく、保護区管理の有効なツールでもある。徴収の方法、額、目的などを十分考えながら、日本に合ったスタイルを見出すことにより、それが他国のモデルともなるのではないだろうか。

アラスカの保護区

 研修中、何といっても素晴らしかったのは、アラスカの国立公園と国立野生生物保護区を訪問できたことだろう。アラスカの保護区は、もちろん自然も素晴らしいのだが、歴史が浅く、今も保護区管理が日々変化して、少しずつ進歩している。ヨセミテでもイエローストーンでも、すでに数十年前に決着がついたことが、まだ国立公園の「今」として動いている。それだけに、国立公園や野生生物保護区の理念がまだ生きていて、理念とさまざまな利害が衝突している様子を学ぶことができる、そんな特別な場所だった。

 国立公園管理者が、本土48州よりずっとオープンに話をしてくれ、外国人にも慣れているような印象を受けた。アリューシャン列島には太平洋戦争のつめ跡も残っている。日米で唯一渡り鳥が行き来しているのだから、戦闘機が飛んできたとしても不思議はない。

米国本土からアラスカへの主な航路

米国本土からアラスカへの主な航路 [拡大図はこちら]

アラスカの保護区位置図(訪問先のみ)

アラスカの保護区位置図(訪問先のみ) [拡大図はこちら]


 デナリ国立公園訪問は、いくつかの点で特に思い出深いものとなった。雄大なマッキンリー山とツンドラの景観はもちろん、国立公園を支える現場の職員のインタビューが印象的だった。所長室からご紹介いただいた職員は、臨時職員として長年公園内のモニタリングや外来生物対策を担当してきたベテランの職員だった。その率直な物言いに、アラスカのような地の果てで、ようやく国立公園の「本音」に触れることができた思いがした。

 「People, as a society, believe in National Parks」

 このセリフに出会えただけで、アラスカまで来たかいがあると思えた【13】。日本語に訳せば、「アメリカでは国立公園に社会的な信頼がある」といった意味。人々が国立公園を信頼している、だからこそ様々な規制が導入できるし、開発行為を排除することができる。規制するまえに、まず信頼と安心を確保する。簡単なようで気が付かないポイントではないだろうか。日本における利用制限の議論などには、こうした視点が欠けている気がした。

デナリ国立公園の雄大な風景。マッキンリー山を遠望する。

デナリ国立公園の雄大な風景。マッキンリー山を遠望する。

公園の核心部まで到達できるバスツアー。デナリ国立公園はアラスカ以外の本土48州にある国立公園では実現できなかった自家用車の締め出しに成功している。

公園の核心部まで到達できるバスツアー。デナリ国立公園はアラスカ以外の本土48州にある国立公園では実現できなかった自家用車の締め出しに成功している。

フェアバンクスにある連邦政府事務所。ここに入居する国立野生生物管理事務所2か所を訪問した。

フェアバンクスにある連邦政府事務所。ここに入居する国立野生生物管理事務所2か所を訪問した。


 さらに、アラスカでは国立野生生物保護区が圧倒的な存在感を発揮していた。フェアバンクスにある2つの保護区管理事務所では、丸2日間にわたってみっちりとアラスカの「現実」を学ぶことができた。こうした「辺境」にこそ現在という新鮮な断面があると気付かされた。

 アメリカの国立公園には、確かに「原生的な」自然が残されている。だが、アメリカにも世界にも、もっとスケールの大きな自然地域や質の高い地域はある。アメリカの国立公園の魅力は、保護だけでなく、利用環境がしっかりと確保されているところにある。自然の良さ、素晴らしさをしっかりと訪問客に伝えようという姿勢やサービスにこそ、国立公園の魅力があるのだ。利用を制限するのも、料金を徴収するのも、その自然を将来も変わらずビジターに見せるために必要最低限のものであるという信頼があって初めて受け入れられるのだろう。

魚類野生生物局での研修

ワシントンDCでは、渡米以来はじめての室内での業務となった。

ワシントンDCでは、渡米以来はじめての室内での業務となった。

 ワシントンDCでの魚類野生生物局勤務は国立公園での研修とは全く違ったが、これも忘れられない経験となった。本局はさすがに政治の中心に位置するだけに、生臭い話が多い。元政府高官であるドンさんは、クリントン政権下で、国立公園局と魚類野生生物局の両方を監督する立場にあった。2回の会談では、一歩も二歩も踏み込んだ話を伺うことができ、説得力ある話に引き込まれた【14】。組織をつねに若々しく柔軟に保つための若手の登用、そのためのメンタリングの必要性など、アメリカの保護地域以外についても、含蓄のあるお話を伺うことができた。

 最後のワシントンDCでの研修はあっという間に終了したが、それまでの国立公園の現場での経験を何とかまとめるためにはなくてはならないものだった。


国立公園、そして社会におけるボランティア

植林事業に参加したボランティアと国立公園局の職員。いわゆる日本でいうボランティアというよりは公園のスタッフとして作業に参加する。

植林事業に参加したボランティアと国立公園局の職員。いわゆる日本でいうボランティアというよりは公園のスタッフとして作業に参加する。

 2年間の研修が実現できたのも、アメリカ政府にしっかりとしたボランティア制度があったからだ。それまで「ボランティア」というと「ただ働き」という印象があったが、2年間の研修によって私のボランティア観は大きく変わった。

 まず、甘えは許されないこと。ボランティアは「無給の公園スタッフ」であり、1人当たり週に40時間の勤務義務が生じる。アメリカではボランティアの契約は一人ひとり独立しており、あくまでも公園との一対一の契約の形態をとる。だから、古参も新参者も立場に優劣はなく、それぞれが対等の立場にある。これに対し、日本のパークボランティアは各国立公園にボランティア団体が組織され、そこに所属する形をとる。アメリカにも、公園管理者とMOU(Memorandum of understanding/覚書)を結んだNGOが別途組織されていて、こちらの方が日本のパークボランティアに類似している【15】。いずれにもそれぞれ異なるメリット、デメリットがある。日本にもアメリカ型ボランティア制度の選択肢があってもいいのではないかとは思うが、残念ながら今の段階ではすぐに導入可能な制度とはいえない。

 長期ボランティアには無償の宿舎が提供されるが、ボランティアプログラムに参加するためには経済的な余裕が必要だ。交通費もばかにならないし、毎日の飲食費もある。たまにはほかの国立公園にも出かけたい。そもそも大学生ならアルバイトの機会を犠牲にしなければならないし、社会人だって長期休暇はめったにない機会だ。だからボランティアといっても参加者は皆、真剣だ。毎日ゴミ拾いやキャンプ場の清掃だけでは納得できない。ボランティアに意味ある仕事を手配する役割を担うのが、ボランティアコーディネーターの役割になる。

 私が所属していた資源管理・科学部門の業務は、国立公園内の素晴らしい自然や文化の「秘密」に直接触れることができる。しかも、GPSや非常用のトランシーバーなどを持ってフィールドに出かけていくと、一人前の「パークレンジャー」になった気分だ。

 メンテナンス部門でも、ATB(四輪駆動バギー車)でのバックカントリーキャンプサイトの清掃とか、なるべくおもしろい業務をボランティアに残してくれている。インタープリテーション部門も、日本人の私たちには、国立公園のパンフレットの日本語訳という大役を与えてくれた。翻訳には2か月以上を要したが、そのお礼として最も高額なケイブツアーを無料で提供してもらったりした。

レッドウッド国立公園でのチドリモニタリング調査。原生的な海岸線をひたすら歩きながら生息状況を調査する。)

レッドウッド国立公園でのチドリモニタリング調査。原生的な海岸線をひたすら歩きながら生息状況を調査する。

バックカントリーキャンプサイトの清掃にはATVが使用される。トレイルヘッドの駐車場で操作を練習してからトレイルに入る。

バックカントリーキャンプサイトの清掃にはATVが使用される。トレイルヘッドの駐車場で操作を練習してからトレイルに入る。


節目節目で食事持ち寄りの昼食会などが催される。

節目節目で食事持ち寄りの昼食会などが催される。

ボランティアハウスのルームメイトご一家に食事を招待された。ルームメイトとの生活もボランティアの魅力のひとつ。

ボランティアハウスのルームメイトご一家に食事を招待された。ルームメイトとの生活もボランティアの魅力のひとつ。

レッドウッド国立公園で一緒に働いた国立公園局の職員と。長期ボランティアは国立公園の「ファミリー」の一員のようだ。

レッドウッド国立公園で一緒に働いた国立公園局の職員と。長期ボランティアは国立公園の「ファミリー」の一員のようだ。

マンモスケイブ国立公園で作業の準備をするボランティア。こうした若者がその後正規職員として採用されることも少なくない。

マンモスケイブ国立公園で作業の準備をするボランティア。こうした若者がその後正規職員として採用されることも少なくない。

 ボランティアに対しては、年に1度のボランティア感謝デーがあり、食事がふるまわれ、感謝状がもらえる。公園では、ボランティアはVIP(Volunteer in Parksの略)などと呼ばれ、自尊心をくすぐられる。作業用のユニフォームやTシャツ、トレーナーなども貸与される。9か月といえどもあっという間に過ぎてしまったというのが正直な感想だ。こうして、公園を去る頃には、めでたく2人の熱烈な「国立公園ファン」が誕生するというわけだ。このように、ボランティアプログラムは単なる労働力の確保ではなく、国立公園を支持する裾野を広げるという狙いもある。

 ボランティアハウスのルームメイトは、私たちが滞在した間に10名を超えたが、そのほとんどは同じような結末を迎えている。もともと厳しい選抜プロセスを経て採用されるだけに、ボランティア一人一人の素質や素養は高い。それにも増して、公園側のきめの細かい、かつ自由度の高いホスピタリティーと充実した内容に、非常に高い満足感を得ることになるのだ。また、「これは」という優秀な学生が、その後臨時職員として採用されたりもした。若者にとっては職業体験や採用プロセスの一部にもなっているのだ。金曜日の晩に見せる酔っぱらった姿はよくあるアメリカの大学生だが、いったんユニフォームを身につければいっぱしのレンジャーだ。懸命に努力し、またそれが報われることによって、手ごたえをつかんでいく。現場では、国立公園の難しい現実や課題も目の当たりにする。理想と現実のギャップも小さくはない。そうした現実を学びながら、国立公園や保護区のレンジャーを職業とするか否か、などの選択をしていくのだろう。

 導入編にも書いたことだが、あらためて思うのは、ボランティア制度とは社会への直接貢献の手段ではないか、ということだ。アメリカ合衆国の誕生の過程は、フロンティアの開拓という壮大な実験だった。学校ですら自らの手でつくり、運営しなければ自分たちの子弟を教育することはできなかった。つまり、アメリカの社会そのものがボランティアによって形作られてきたものなのだ。そうしたなかにあって国立公園のボランティア制度はごくごく当然のものなのかもしれない。

 現在は国立公園システムに組み込まれている長距離トレイルシステムは、現在もボランティアの力に大きく依存している。中でも有名なものはアパラチアントレイルだろう。トレイルを踏破する人々のドラマは故加藤則芳氏の素晴らしい著作に譲るとして、ウェストバージニア州ハーパースフェリーにある本部組織(ATC)を訪れた経験は、私にボランティアの価値を確信させた。自分たちの楽しむトレイルを自分たちが作り、管理する。アメリカ人共通の財産たるトレイルを自分たちが守るという気概が伝わってきた。国立公園が面だとすると、トレイルは線だ。前者は土地の取得は必須であるが、後者は通行が保障されればいいのだ。しかし、一か所分断されるだけでルートは成り立たなくなる。これは、日本の国立公園の利用施設計画とも類似している。日本の国立公園は、区域こそ面的に指定されているが、利用のための施設計画をみると点と線によって構成されている。車道、歩道などの線により、利用拠点であるビジターセンターや駐車場がつながれている。特に歩道は土地を取得せず、土地所有者の了解を得る形で不特定多数の利用に供されてきた。しかし、利用者が増加して、歩道が荒廃し、遭難事故が増加して、トレイルランニングなど利用の多様化が起こっている。歩道利用をめぐっては、各地でさまざまな問題が発生しており、受益者が相応の責任と負担を担うべきという意見がますます強くなっている。中にはトラブルがもとになって登山道が閉鎖されてしまった残念な例もある。そんな状況を解決するためにも、歩道を地権者や行政機関任せにしてしまっている現状をもう一度見直すべきなのではないだろうか。実際、そのような取り組みが「信越トレイル」などとして結実し始めている。

国立公園局のトレイル担当者と全米のトレイルの維持管理を行っているボランティアグループの代表からお話を伺う。

国立公園局のトレイル担当者と全米のトレイルの維持管理を行っているボランティアグループの代表からお話を伺う。

ハーパースフェリーでお会いしたアパラチアントレイル保全協会(ATC)の皆さんと。ATCの活動に関するプレゼンからは、自分たちでトレイルを守っていこうという気概が伝わってきた。

ハーパースフェリーでお会いしたアパラチアントレイル保全協会(ATC)の皆さんと。ATCの活動に関するプレゼンからは、自分たちでトレイルを守っていこうという気概が伝わってきた。


短期ボランティアとして植林事業に参加する西ケンタッキー大学の学生たち。ボランティアの役割や意義というものが社会に認められ定着している。 短期ボランティアとして植林事業に参加する西ケンタッキー大学の学生たち。ボランティアの役割や意義というものが社会に認められ定着している。

短期ボランティアとして植林事業に参加する西ケンタッキー大学の学生たち。ボランティアの役割や意義というものが社会に認められ定着している。

原生林の林床には美しいシャクナゲが静かに咲いている。

原生林の林床には美しいシャクナゲが静かに咲いている。

 今、私たちの生活は、国、都道府県、市町村という公的機関、自治会や公民館組織、そして様々な民間サービスによって支えられている。しかし、果たして私たちの意見や要求は、適正な形で「社会」に反映されているだろうか。もしくは、「社会」をよりよいものにするために、十分貢献できているだろうか。投票、納税、消費、職業としての勤労だけで、健全な社会を運営するに足る民意の反映なりフィードバックが機能していると言えるだろうか。そういった点において、ドンさんとの2回目の対話、アメリカにおける民主主義の将来のお話にはいろいろ考えさせられた。
2011年に発生した東日本大震災において、日本でもボランティアに関する社会的認知が大きく変わった。また、原子力発電の是非などについて、「デモンストレーション」という手法が一般市民にもごく自然に受け入れられている。

 こうして考えると、2005年の帰国当時から2013年の現在までに、ボランタリーな社会参加に関するとらえ方は大きく変わってきているように思える。もともと、日本の地域社会はある意味で「普請」や「奉仕活動」という名のボランティア活動で支えられていたといえる。その多くは半ば避けようのない義務的なものではあったけれども、社会を構成する一員としての責任感や使命感を形成することにつながっていた。それが今ではさまざまな「管理業務」に代替され、金銭で支払うことが多くなった。その結果、社会への参画の機会や意識を減衰させることにつながっている。今の社会で、どのようなボランティアの仕組みが本当に求められているのか、私にはわからない。ただ、社会が変わろうとしている現在、職業とは別に、自らの意志で選択して活動できるボランティア活動の機会の重要性はますます高まっているといえる。一人ひとりの自主的な行動が、何等か社会を変える手ごたえを与えるとき、次の新しい時代が到来するような気がするのだ。

 アメリカのボランティアが必ずしもそうであるとまではいわないが、ボランティアとして参加できる機会が確保されていて、その門戸が広く開かれているということだけは間違いない。少し大げさだったかもしれないが、それを「現代の直接民主主義だ」と書いてみた。少なくとも休日に投票所で1票投じることだけが市民として社会に参加する手段ではない。現在の職業の枠内で自己実現を目指すというのも実際には難しい。アメリカの国立公園のボランティア制度のように、自分が応援したい行政分野や社会分野に実際に参加し、その一部となって働くことは、大きな充実感を生むだろう。

 内部事情もわかり、いい面も悪い面も理解しなければならないが、それだけにボランティアは根強い支援者にもなるし、時には手厳しい批判者にもなる。アメリカの国立公園は、そうしたボランティアからのフィードバックに真摯に耳を傾けている。また、そうした良質な市民の参画が、国立公園の管理を助けてくれている。大げさなことかもしれないが、今の日本の社会にも、こうしたボランティアの役割が求められているように思えてならない。

レッドウッドの原生林。太平洋から流れ込む霧が幻想的な光景をつくりだす。膨大な時間をかけてつくりあげられてきた自然の生態系を、人間はたったの100年で切りつくしてしまった。

レッドウッドの原生林。太平洋から流れ込む霧が幻想的な光景をつくりだす。膨大な時間をかけてつくりあげられてきた自然の生態系を、人間はたったの100年で切りつくしてしまった。


あとがき

 この連載は、当初、当時の人気連載記事だった「H教授の環境時評」をまねて、夫婦かけあいの読みやすい記事にしてはどうかなどのアイデアもいただいた。しかし、内容とかみ合わないし、そもそもかけあいの文章は書くのが難しかった。そこで、「ボランティア」と「大陸横断」に注目して、「横断紀行」というあまりシリアスにならないようなテーマで書き始めることにした。最初の導入編を書くまでにはさらに時間がかかり、結局、最初の原稿を書き始めたのは、職場に通勤する途中の駅にある定期申し込み用の小机だった。電車の中で書き出しを思いつき、電車を降りて書き上げ、2時間も遅刻してしまった。

 この原稿が始まりとなり、当初は3回程度という約束が、いつの間にか40話近くになった。それも、5年を過ぎたころから更新の間隔が伸びてしまい、半年に一回のペースということも珍しくなくなかった。研修時の記憶があやふやになり、後半はレポートやインタビューの記録、撮影したビデオテープ、写真などを見直しながらの作業となった。特に最後の方は、インタビューを中心とした抽象的な内容となり、当初のねらいであった、「実際の経験に基づいたアメリカの国立公園の魅力の紹介」とは少し違うものとなってしまったのではないかと反省している。それでも、最後まで記事を掲載いただいたEICネットにはこの場をお借りして御礼申し上げたい。

 なお、各回の連載記事の概要を以下の「ダイジェスト」にまとめたので、必要に応じご活用いただきたい。

 アメリカ横断ボランティア紀行ダイジェスト(PDF:439KB)

【11】国立公園のイメージ戦略統一のためのセンター施設
(ハーパースフェリーセンター)
 第30話「ハーパースフェリーセンター訪問」
(マザー研修所)
第28話「国立公園『レンジャー養成所』訪問!」
(参考:魚類野生生物局の国立保全研修所)
第31話「国立保全研修所訪問」
【12】フィーデモンストレーションプログラム
 第6話「遠征編 from Mammoth Cave」
【13】People believe in parks as a society(人々は、社会的な合意として、国立公園を信頼してくれている)
 第21話「アラスカへ(その3)」
【14】元政府高官のドンさんとの2回の会談
 第33話「ドンさんとの出会い」
第36話「ドンさんインタビュー(2回目)」
【15】
 第34話「国立野生生物保護区訪問」

<妻の一言>

 アメリカでの2年間は、研修の目的もきちんと理解しないまま同行し、ボランティア三昧の日々を過ごしました。この研修制度は、途上国の技術支援のための専門家を養成するという目的から、有意義なものだったのではないかと思います。
私にとってもとてもいい経験となりましたが、そうした研修の目的とは少々違うものでした。異国の地での健康管理の大切さ、病気やけがの時の病院や薬の使い方、日本人の感覚や思い込みをリセットすることのむずかしさ、丁寧なコミュニケーションの重要性など、実際に苦労して気づいたことがたくさんありました。何度も引っ越しをして、引っ越しのテクニックも身に付きました。
専門家になる本人だけが研修するのではなく、家族も研修に参加するチャンスに恵まれたことに感謝しています。英語もままならない私を助けてくれたのは料理でした。もちろん、料理研究家のように何でもできるわけではありませんが、私たちを理解してもらうためにも、お世話になった方にプレゼントを贈るにも、料理やお菓子作りはとても役立ちました。一緒に料理を食べたりすることでコミュニケーションや会話がはずみ、お互いの理解も深まりました。渡米直後は、日本にいる間に英会話スクールに通っておけばよかったと思いましたが、滞在が長くなるにつれ、それよりも料理学校に通っておくべきだったと、つくづく思うようになりました。
振り返ってみると、実際にはせっかくのチャンスを楽しむ余裕もあまりなく、大変なことばかりだったような気もしますが、この経験を生かすことができるよう努力していきたいと思います。

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(記事・写真:鈴木 渉)

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〜著者プロフィール〜

鈴木 渉
  • 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
  • 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
  • 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
  • 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
  • 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
  • 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
  • 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
  • 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
  • その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
  • その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
  • 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。