一般財団法人環境イノベーション情報機構
アメリカ横断ボランティア紀行

No.036

Issued: 2013.06.10

ドンさんインタビュー(2回目)

目次
ドンさんインタビュー
政府職員としての心構え
国際的な野生生物取引きに関する問題
絶滅危惧種法
組織を良くするために(メンタリング)
現代アメリカの民主主義
魚類野生生物局への影響
ドンさんに招かれて。

ドンさんに招かれて。

 私たちがいつものように魚類野生生物局の国際課で作業をしていると、国際課幹部のテイコさんが遊びに来てくれた。

「今度ドンがクラブケーキをご馳走したいって言っているんだけど、うちに来ない?」

 クラブケーキ(Crab cake)とは、カニのほぐした肉にパン粉や牛乳、卵などをつなぎにして焼くか揚げるかして作るアメリカの伝統料理のこと。またまた魅力的なお誘いだ。

 テイコさんのご主人は、クリントン政権時代の政府高官、元内務次官補のドン・ベイリー氏。当時、国立公園局と魚類野生生物局の両方を監督する立場にあった。前回お招きいただいた際には、内務省からみた両組織の特徴などについてお話を伺った(第33話参照)。今回はどんなお話を伺うことができるだろうか。

ドンさんインタビュー

チェサピーク湾を横断するベイブリッジ。

チェサピーク湾を横断するベイブリッジ。

ドンさんとテイコさん。

ドンさんとテイコさん。

 ドンさんとテイコさんご夫妻は、ワシントンDCの東にあるチェサピーク湾の対岸に別荘を持っている。インターステートの495号線で約1時間と近いが、ワシントンDC近郊とは思えないほど静かでいいところだ。チェサピーク湾はカニをはじめとする海産物で有名で、今回はドンさんお手製のクラブケーキを振舞ってくれるらしい。

 以前チンカティーグ国立野生生物保護区を訪問(第34話)した際にも通った道だ。チェサピーク湾周辺はかなり開発が進んでいるとはいえ、まだまだ広大な森林や農地が残っている。何度来てもアメリカの自然の底力を感じさせられる風景だ。

 「ようこそ。道はすぐにわかったかい?」

 平屋の別荘はそれほど大きくはないが、チェサピーク湾に面して建てられており、景色がいい。広々としたリビングルームからもチェサピーク湾が一望できる。水面までも近く、部屋からもすぐ手が届くようだ。

 まず、別荘の中を案内していただいた。この別荘は中古で、購入してから友人と改修し、様々な工夫を凝らしたという。写真には楽しそうな作業風景が写っている。

 「このキッチンテーブルの石材はかなりしっかりしているだろう? 気に入ったものをいろいろ探したんだ。重くて載せるのも一苦労だったよ」

 壁材なども吟味されている。キッチンには大きな冷蔵庫がある。冷蔵庫にはデカンタに移された赤ワインなどが入っている。大きく新しいが全く生活感のない冷蔵庫は、まさに別荘ならではのものだろう。小型だがワインセラーもある

 「オードブルをどうぞ」

 以前と同様、手の込んだお手製のオードブルだ。冷えた白ワインはシーフードによく合う。ボランティアハウスでの持ち寄りパーティーとは全く違う本格的なおもてなしだ。妻は、窓から見える夕日に感激した様子で、湾に面した窓辺でテイコさんと楽しそうに談笑している。

政府職員としての心構え

 一対一でお話してみると、ドンさんには独特の迫力がある。温厚で静かな語り口ではあるが、確かな経験に基づく信念のようなものが感じられる。

 今回のお話も予想外の展開となった。研修レポートにそのまま反映するというよりは、レポートそのもののスタンスに影響するようなものになった。今まで越えられなかった多くの壁が実は自分の思い込みからくるものであり、視点を変えるだけで驚くほどシンプルに多くのことがつながってくることを思い知らされた。

 最初の話題は政府職員の心構えともいうべきものだった。

 「政府職員に一般的に当てはまる問題点は『現地に一度も行ったことがなくとも政策を決めることができる』という点にある。当事者にとっては死活問題であっても、実際に会って説明する責任はありません。つまり、事務所に隠れながら自分の持つ権力によって物事を決めることができるわけです。この、政府の有する「匿名性」や「無責任体質」に大きな問題があると考えています」

 日本でも役所にいる限り、自分の名前を出さずに部署名や課長名だけでコミュニケーションをとることができる。また、法律に基づく書面決裁だけで行政的な決定を下すことができる。それによって何が起きるか、どのような不利益が起こるか、個別の事案について把握することは容易ではない。

 「政府職員は人々の生命や生活を預かっているのだから、重要な説明責任を負っているはずです。何か問題が起こったら、実際に会って説明する勇気を持つべきです」

 これは正直なところかなり厳しい話だ。ドンさんももともとは政府職員であり、政府の状況は重々わかっているはずだ。それでもそういうことがいえるところにドンさんの強さと信念が伺われる。

 「特に、政府の要職につく人間の行動が執務室の中だけでものごとを決めるような態度をとり続けると大きな間違いにつながるおそれが高い。日ごろから部下や一般の人々からの声に耳を傾け、率直な議論ができる雰囲気をつくる努力をしなければなりません。私は、公衆の前で恥をかくよりは、内部で部下から反対されることを選びます。そのためには、職員が自分の考えを自由に述べることのできる公平な機会を与えることが重要だと考えています。ブッシュがイラク戦争という大きな過ちを犯したのも、このような態度を持ち合わせていなかったためではないでしょうか? 執務室にこもってしまうことは簡単です。ですが、時には人々が発言するように働きかけることも大切ではないでしょうか」

 ドンさんが内務省にいた時代は、クリントン政権下でいろいろな問題が噴出していた。イエローストーン国立公園におけるスノーモービル規制導入問題もそのひとつだ(第18話参照)。

 「私が内務次官補時代に導入したスノーモービル全面規制は、国立公園のゲートシティーのひとつであるウェストイエローストーンという小さな集落に大きな経済的打撃を与えるものでした。その集落ではスノーモービルのレンタル業が盛んだったため、規制導入に真っ向から反対していました」

  野生生物の越冬環境の改善のための画期的な規制を導入するのか、それとも地元の経済活動を優先するか、この議論は中央政界を巻き込み大きな議論に発展した。

 「私は、地元のスノーモービル関係者に面会を申し入れました。そして時間を4時間とってもらいました。当時、相手方とはかなり緊張が高まっていたため、国立公園局では拳銃を隠し持ったレンジャーを同行させたほどでした。会議の席上、私は何の譲歩もしませんでしたが、とにかくフェアに相手の話を聞き、その問題について、特に、経済的な損失をいかに相殺できるかということを話し合いました」

 ところが、ドンさんはその話し合いから一ヵ月後、職を離れることになってしまう。

 「辞任の前日に、相手のとりまとめ役の人物から次回会合の日程調整のための電話があったのです。辞任することを伝えるととても残念がっていました。相手方は私が彼らの主張を理解してくれるという印象を持ってくれたのでしょう。このような信頼関係が重要だと思います」

 このイエローストーンのスノーモービル問題と同様、問題化していたのが、フロリダ州南部にあるビッグサイプレス国立保護区における四輪駆動車規制問題だ。この保護区では狩猟ができるため、ハンターが移動のために使用する四輪バギー車が植生に大きな影響を与えていた。相手は個人のハンターではない。この問題の背後には、ライフル協会などの巨大な政治力を持つ団体が控えている。民主党政権でなければ手をつけられない難物だった。

 「大きな車輪のついた四輪駆動車が走り回り、植生がめちゃくちゃになっていました。こんなひどい国立公園ユニットをそれまで見たことがありませんでした。ところが国立公園局は公園がそんなひどい状態になるまでなんの対策も講じてこなかったのです。もしくはできなかった。そこで私が乗り入れを規制しようと決断したのです」

  ビッグサイプレスの区域内には私有地が残っており、それがさらに問題を複雑なものにしていた。

 「ハンターグループとは保護区に残る私有地内で面会しました。そこに狩猟キャンプがあったのです。こちらからの条件は、ヘリコプターに乗って一緒に上空から保護区の状況を見ることだけでした。相手は体も大きくライフルも持っていたから、身の危険を感じたのも確かです」

 当初4時間の予定で開始された面会は、結局6時間にも及ぶことになった。

 「相手方は、『こうして直接キャンプまで足を運んでくれた政府職員はあなたが初めてだ』と言ってくれた。会談が始まってみると、地図を持ち出したり、いろいろな資料を準備してくれていたり、こちらに伝えたい情報が山のようにあることがわかりました。その時改めて、こうした面会のために十分時間をとっておくことが重要だと実感させられました」

 自分がこの問題を担当していたら、ドンさんのような行動が取れただろうか。もしくは、上司がこういうことを言い出したら、それを前向きに支えることができるだろうか。

 「関係者や自分の部下の話を聞くことは、信頼関係を構築するための唯一の方法です。時間や手間はかかりますが、組織や責任が大きくなればなるほど、このような努力が必要になると思います」


国際的な野生生物取引きに関する問題

 ドンさんは、ワシントン条約の関係で、国際的な野生生物取引に関する交渉などにも携わってきた。

 「ワシントン条約の外交団の代表を2回務めました。これは大変貴重な経験になりました。アメリカでは、国際交渉に向かう前に、交渉の方針を官報(federal register)に掲載し、関係者からのコメントを募集し反映させます。会議場では、毎日報道陣やNGO、オブザーバーなどに対しブリーフィングを行います。そこでは、アメリカ政府代表団が会議で発言したことを報告します」

 報告に対しては、参加するNGOや報道機関からいろいろな質問や批判がおこなわれるという。

 「私は政府の代表団長として、そうした批判や質問に責任を持って答え、代表団が発言したことの正当性を証明しなければなりません。このような『生きた民主主義(realtime democracy)』が私は好きです。自らが関係者の前で説明責任を果たす、それは古代ギリシャの直接民主主義に通じるものがあるのではないかと思います」

 アメリカとジンバブエの間では、象牙取引の規制について意見が対立していた。

 「アメリカ側はホワイトハウスから『絶対に譲歩するな』という指示を受けていました。こちらが譲歩しなければ相手から譲歩を引き出すことは至難の業です。私は、アフリカゾウの保護を進めるためには、何らかの譲歩をするのもやむを得ない。それよりも具体的な対策を進めるべきだ、という考えを持っていました」

 会議の終盤になっても事態は硬直したままで、交渉が進まない。ドンさんは辞職も覚悟した上で、具体的な譲歩案を用意したという。

 「その案について相手側の信頼できるカウンターパートに内々に打診したのです。その提案は先方がのめるような内容になっていました」

 ところが、カウンターパートはその案を受け入れなかったという。

 「私の打診に対して、『今、その案を受け入れればこの問題は解決できるかもしれません。その代わり、あなたは責任をとって政府を去ることになるでしょう。だとすれば、私は信頼できる交渉官がアメリカ政府内にとどまることを望みます』という答えが返ってきました。これは、私の国際交渉経験の中でも最も印象的だったことの一つでした」

 これもドンさんが築いてきた信頼関係のひとつの例といえるだろう。

 「ご存知のとおり、日米には捕鯨問題について大きな対立があります。私たちにはほとんど妥協点がありませんでした」<

 そのような条件下で、粘り強く交渉が重ねられた。

 「交渉はまとまらなかったのですが、日本の交渉官はなかなかの人物でしたよ。仕事を離れればよい友人同士になれると感じました」

 ただ、クジラ問題に関する交渉については問題があるという。

 「ワシントン条約の会議は基本的には公開なのに、クジラに関する会議はなぜか非公開で、かつ匿名投票になっています。このような秘密主義は情報の公開に逆行するばかりか、公平な議論の妨げとなります」


絶滅危惧種法

 「米国には、現在の絶滅危惧種法の前に2つの法律が成立しています。最初の絶滅危惧種保全のための法律は1966年に制定されました(絶滅危惧種保護法(Endangered Species Preservation Act))。ところが、この法律には規制的な条項がなく、かつ対象も国外の種に限られていました」 (文末資料「アメリカの絶滅危惧種法の制定経緯」を参照

 アメリカでは一般に、国内で規制を行うことは難しいが、国外での規制に関する対策は連邦議会を通りやすいといわれる。

 「海外の規制には、国内の利害関係がほとんど及ばないことがその主な理由になります。そのため、産業界や有権者との不要な摩擦を起こさないですみます」

 つまり、海外に生息する種の保全は、議員が『保全派』であることをアピールすることのできる安心で有効なツールなのだ。

 「また、米国の統治制度の基本は『疑うこと(suspicious)』にあります。抑制と均衡(checks and balances)【1】により、おおむねすべての人にとって『まあまあいいようにみえる(good enough to be)』ような政策決定が行われるようになっています。そのため、議会の仕組みは法律を作ることよりも、提案された法律をとめたりつぶしたりする方がはるかに簡単なようにできているのです」

 その意味でも、多くのロビイストを抱える産業界や他の政府機関に影響するような規制的な法律をつくることはたやすいことではない。
このような状況の中で2番目の絶滅危惧種法として絶滅危惧種保全法(Endangered Species Conservation Act)が制定されたのは1969年だった。

 「この法律にも規制的な条項はありませんでしたが、土地を管理する連邦政府機関に対する努力規定が盛り込まれました。国立公園局、魚類野生生物局、森林局、国防総省などがその対象となりました。これは、連邦政府議会も、ようやく国内種の保護に問題があり、何らかの対策が必要であるという認識に至ったことを示しています。また、現在の絶滅危惧種法制定に向けた大きな布石となりました」

 対象となった政府機関の多くは管理方針などを変更しなかったため、この法律自体にはそれほど実効性はなかったといわれている。法律の対象も国有地のみに限られていたという点も一因といえる。

 1973年に現在の絶滅危惧種法が制定されました。この法律は現在の議会では到底成立しないような強力な規定を含んでいます。この法律には、これまでの法律が規定できなかった、連邦政府機関に対する絶滅危惧種の保全義務が盛り込まれました」

 この時期、レイチェルカーソンの著書「沈黙の春」をきっかけとして環境保全運動が大きな盛り上がりを見せていた。ただ、それだけではこうした思い切った規定を盛り込むことは難しい。その成功の鍵とは何だったのだろうか。

 (レイチェルカーソンの功績と1970年代の保全活動について 第31話参照)

 「ミシガン州選出の環境派議員が法律の書き方を工夫したのです。本来の意味がわからないように、規定を『interagency cooperation(政府機関どうしの協力)』という条項にもぐりこませたのです。ほとんどの議員は内容を読みもせずに採択したので、誰もそれに気がつかなかったわけです。その結果、賛成が470票、反対が1票という圧倒的多数で可決されました」

 この法律により、森林局は木材伐採より絶滅危惧種の保護を優先しなければならなくなり、魚類野生生物局は狩猟対象のガンカモ類ばかりでなく、絶滅危惧種の保全にも力を入れなくてはならなくなった。

 「ちなみにこの法律に署名したのは共和党のニクソン大統領でした。ニクソン自身はそれほど環境に関心はなかったのですが、それが人々に大変人気があるということは理解していました。この大統領は、他にも国家環境政策法、大気浄化法などの一連の環境関連法を成立させました。これは共和党出身大統領としてはきわめて異例なことでした」


組織を良くするために(メンタリング)

 「よい組織をつくるには、部下のメンタリングが重要です。上司を変えようとしても難しい。ですが、若い人たちは違います。早い時期に人材を見出して、そして育てること、ここに組織の将来がかかっている。若手を育てることは役職者の役割といえます」

 次の話題は意外にも保護区や国立公園の話題ではなかった。「メンタリング」【2】という単語の意味がわからなかった私は、ドンさんの話題から必死に意味をつかもうとしていた。話を聞くうち、徐々に「(若い人の)育成」というような意味らしいということがわかってきた。

 「後継者を養成するには、まず有能な人物を探し出すことです。そして、その人に『考えること』と『議論すること』を促すことです。自分のアイデアが一見よさそうに見えるのに、なぜうまくいかないのか、それを自分で気づかせることが大切なのです」

 ドンさんは多くの若手職員の教育役を担ってきたという。

 「日常業務は多忙でしたが、それに優る効果がありました。正直で勤勉な人材を見つけ出し、面倒を見て手助けする。そして、成長したところで適切な機会を与えてあげることです。例えば、魚類野生生物局で2人目の女性局長となった職員は、そのいい例だと思います」

 最初の出会いは、その女性職員が絶滅危惧種課の課長だった頃だという。

 「当時の局長は、女性として初めて局長に就任した職員でしたが、残念ながら任期半ばで癌を患い、死亡してしまいます。その女性局長が、当時課長だった彼女に目をかけていて、ガンで職を辞する間際に内務長官へ直訴したのです」

 もともと、魚類野生生物局は女性が出世することが難しいといわれていたが、この女性局長2人はクリントン政権下で大きな役割を果たすことになったという。

 「組織では、どうしても先に採用された職員の方が有利な立場にあります。そのままにしておくと、若手職員はその壁を越えることができません。組織が活発で適切な政策決定をする能力を持つには若手の教育が大前提です。若手を育て、実力のある人物を責任あるポストに抜擢することはなかなか難しいことですが、結果として組織の政策達成能力を向上させることにつながるのです」


現代アメリカの民主主義

 ここでドンさんの話はより大きなテーマに展開する。それはアメリカの民主主義についてだった。民主主義が有効に機能する前提は何だろうと、ドンさんから質問が投げかけられる。社会科の模範解答としては、皆選挙制度に支えられた選挙権、被選挙権の確保ということだろうか。

 「民主主義が健全に機能する前提は、しっかりとした価値観と判断能力を有する中産階級が存在していることです。それを逆手にとったのがプロイセンのビスマルクでした」

 国民皆選挙権はビスマルクによって初めて導入された。

 「ビスマルクの狙いは、選挙権所有者を広げることにより平均的な有権者の教育水準や有権者の持つ情報や判断能力を低下させ、民意をコントロールしやすくする、というところにあったといわれています。新たに加わった有権者は、難しい『事実』よりも、単純で魅力的な『愛国心』を好む傾向があるのです。言い方は悪いですが『無知な有権者は操作が楽(easy to manipulate uninformed people)』ということになります」

 現代アメリカの課題も、このような「ゆがんだ民主主義」によるものなのだろうか。

 「有権者の多くが正しい意思決定をするために必要な情報を持たず、また十分な教育を受けていないことにあります。アメリカでは、もともとは資産を持つ白人男性のみが選挙権を有していましたが、現在は女性、移民なども含む幅広い有権者により構成されています。今の有権者には、『強いアメリカ(strong America)』『星条旗を支える(support the flag)』などの観念的で単純なスローガンが支持されています」

 人種のるつぼであるアメリカ合衆国が拠って立つものが民主主義に基づく制度だ。判断を下す連邦議会や大統領は、一定の要件を満たすすべての成年男女の投票により選ばれる。もし、このドンさんの仮説が正しいとすると、皆選挙制度によって有権者の判断能力が実質的に低下することになる。

 「アメリカではメディアに流れる情報が劣化しています。その結果、平均的な米国市民は重要な情報に接する機会が少なく、かつ、そのような情報を客観的に判断することができないのです」

 これは今の日本社会にも共通していることではないだろうか。

 「テレビなどのメディアには、センセーショナルだが意味のない情報ばかりが氾濫し、正確なニュースがほとんどありません。信頼できる情報源というものが驚くほど少なくなっています。30年ほど前までは、ABC、NBC、CBSの三大ネットワークテレビのイブニングニュースの信頼性が高く、ほとんどの人がこれらの報道番組を見ていました。番組構成の変化も影響しています。かつては客観的で正確な報道を行うために、放映時間の85%がニュースなどの事実報道にあてられ、残り15%が論説でしたが、現在のニュース番組の85%は論説や、いわゆる知識人のコメントやディベートなどにあてられています。事実に関する報道はほとんどありません」

 確かにCNNを見ていると、そこに流れ続けている映像や情報は膨大だが、「有識者」のコメントや解説、ディベートなどが流れているだけだ。今起きていること、今叫ばれていることだけがたれ流されていて、こうした番組を見た後には徒労感や無力感だけが残る。

 「現在はネットワークテレビが普及し、何百というチャンネルがあります。ところが粗製濫造で信頼性が低い。某テレビ局のように極端な保守派が所有していて、信頼性よりも視聴者の愛国心を鼓舞するような番組すらあります。テレビ局同士の競争も激しく、以前ほど予算も時間もかけられなくなってきています」

 ケンタッキー州にあったマンモスケイブ国立公園のボランティアハウスのテレビでは、他の地上波は受信できなかったのに、その保守系テレビ局だけは受信できた。

 「アメリカが今まさに直面している重大な問題、例えば年金制度問題に関する客観的な報道はほとんどありません。また、一般の人々もそのような深刻な番組を見たいとは思わないでしょう。アメリカで今最も人気のあるテレビ番組は『Desperate House Wives』(邦題:デスパレートな妻たち)というメロドラマなのです。CBSのニュース番組ではありません」

 もうひとつの重要な媒体である新聞にも同様の傾向があるという。

 「全国紙として現在も情報の質を高く維持している新聞はニューヨークタイムズだけでしょう。その対極にある『USAトゥデイ』紙は、簡単な内容の芸能記事や人目を引くような記事ばかりで、あまり重要な内容は含まれていません」

 私たちの「愛読紙」は残念ながらこの新聞だった。スポーツ新聞と一般紙とを組み合わせたような紙面は確かに読みやすかった。

 「私は、毎朝4時に起きてニューヨークタイムズやワシントンポストなど信頼できる数紙に目を通します。職場でいろいろな案件に取り組む前に、世の中で何が起きているのかを知っておきたいためです」

 次は教育の問題だ。

 「教育は学校で行われるものばかりではありません。むしろ家庭でのしつけや自分自身で教養を豊かにするための勉強が重要なのです」

 国によっては学校教育がゆがめられてしまっている場合もある。アメリカにしても、民主主義の基本である「チェック・アンド・バランス」を維持していくためにも学校以外での教育の充実が必要だろう。

 「現代のアメリカ人には、自分や家族の教育に充てる時間がそもそもないのです。共働きが多くなり、子育てや仕事などに追われています。子どもの教育はおろか、自ら勉強したり、将来のことを考えたりする余裕がありません。もし、こうしたことに関心があれば、ぜひ『民主主義の未来』という本を読んでみてください【3】

 意外な展開ではあったが、このお話によりアメリカのテレビ番組やインターネット、新聞などについて常日頃から持っていた疑問や違和感が少し解消できた気がした。


魚類野生生物局への影響

温暖化の影響や石油開発が野生生物にどのような影響を与えているかをわかりやすくまとめた資料(ファクトシート)。ウェブサイトには掲載されていなかった。

温暖化の影響や石油開発が野生生物にどのような影響を与えているかをわかりやすくまとめた資料(ファクトシート)。ウェブサイトには掲載されていなかった。

南極国立野生生物保護区に関する膨大な量のファクトシート。ファクトシートのもとになる調査データも蓄積されている。

南極国立野生生物保護区に関する膨大な量のファクトシート。ファクトシートのもとになる調査データも蓄積されている。

 では、このような変化が保全行政にどのような影響をもたらすのだろうか。

 「魚類野生生物の生物学者は、生き残りのために科学的な事実の報告の方法を変えてしまったのです。本当に得られている生のデータを出さずに、政治家の顔色を伺いながら言い回しをかえるようになりました」

 そのような変化が、魚類野生生物局そのものの信頼性や適切な政策決定のプロセスを狂わせてしまっているというのだ。

 「自然環境に重大な影響があってもそれを事実として公開せず、何もなかったような振りをするようになってしまいました。もちろん、担当レベルが科学的情報に基づいて判断したことを、何らかの事情で上層部が覆すことはやむを得ない場合もあります。判断を覆すことができる権限を持っている職員がその役割を果たせばいいだけです。問題は、現場の科学者自身が科学的な事実を隠蔽することになったということです」

 ブッシュ政権は、専門家による外部評価(peer review)のプロセスを導入するなど、「科学」的な分野に力を入れているとされていた。

 「実際には科学的な知見の公表を遅らせ、かつ情報をあいまいにしているだけなのです。特に気候変動については、いまだに実証できる科学的な根拠が十分ではないというのが公式な見解です。そのような態度をとっていると、アメリカは15年後、20年後、欧州や日本に大きな差をつけられてしまうでしょう」

 実際に、南極国立野生生物保護区(Arctic National Wildlife Refuge)のホームページからは、温暖化影響に関する多くの科学的なデータが削除された。

 「削除はホワイトハウスからの指示でした。その中には、気候変動によるホッキョクグマとポーキュパイン・トナカイの減少、石油・天然ガス掘削による生態系への影響などに関する詳細なモニタリングデータなどが含まれていました【4】。例えば、ホッキョクグマは子育てのために流氷中に巣穴をつくり冬眠・越冬しますが、気候変動の影響で氷が融ける時期が早くなって十分に子グマが育たないうちに海に放り出されてしまうことが多くなったというものもありました」

 また、魚類野生生物局長は、法律により何らかの生物学的な教育及び実務経験が求められている。これに準じ、同局の幹部にもそのような知見や経験が求められてきた。

 「ところが、最近では生物学を専門としない職員が野生生物保護区管理所長になったりしています。その他の幹部にも生物学の知識のない職員が増えています」

 これまでには考えられなかったことだという。

 「管理職は予算や人事など面倒な業務をこなさなければならず、単に生物に詳しいだけでは勤まらないという背景があります。これが『優秀な科学者は最悪の管理者である(good scientists are worst managers)』と揶揄されるゆえんでもあります。確かに、パブリックインボルブメントのプロセスや外部とのパートナーシップ構築は、生物学的なトレーニングでは身につかないものです」

 その点で、国立公園局は正反対のプロセスをたどっているという。

 「私が国立公園局を担当していた頃、国立公園ユニットのうち100ヶ所には科学者が一人も配属されていませんでした。国立公園局は利用者誘導や混雑解消と取締りにばかり力を入れていて、最近まで公園の資源管理(科学的調査や外来生物対策など)は二の次にされていました。改善されたとはいえ、現在もその傾向は強いと思います」

 ここで、いよいよドンさん手作りの料理が登場した。カニから肉を取るところからすべてを自分で行うというクラブケーキだ。ワシントンDCでもおいしいクラブケーキの食べられる店はあるが、これはさすがに別物だった。食事をしながらも日本の環境省や国立公園について質問される。本当に若々しく好奇心旺盛な方だ。その上押しつけがましいところや偉ぶったところがまったくない。

 こうして2回目のドンさんのインタビューが終わった。別荘からの帰り道でも「若手のメンタリング」とか、「アメリカのデモクラシー」といった話題が脳裏に浮かんでくる。現代アメリカの保護区制度や管理体制を考える上で、そうした視点が大変重要だということがようやくわかった気がした。

 アメリカは民主主義の国といわれる。ところが、これまでの歴史の多くの部分は、大企業や営利団体への利益を代表する政治家によって運営されてきた面も否めない。アメリカの民主主義の魅力は、そのような強大な政治的圧力があったとしても、市民、有識者、資産家などによる直接的な働きかけにより、時に大きな変革が起きるということにあるのかもしれない。

 寄付の文化はその代表的なものであるが、ボランティアとして直接参加することも民主主義のひとつの形態ではないかと感じるようになった。自らが大切と考えることへの「参加」が個人の社会への貢献を充実するとともに、社会が少しずつ変わり、よくなっていく。ボランティア受け入れ側は参加者に多くの責任や貢献を求める一方、それに値する経験や待遇、施設、そしてやりがいのあるプログラムを提供してくれる。これは、初めてこのプログラムに参加したマンモスケイブ国立公園で実感した、ボランティアに対する社会の評価の高さもうなずける。ボランティアと民主主義、この一見関係のなさそうなことがドンさんのお話で結びついた。

 当時大詰めを迎えていた研修レポートの作成は、お世辞にも順調とはいえない状態だった。ドンさんのお話を伺わなかったら、おそらく研修レポートはうまくまとめられなかっただろう。それほど手ごたえのあるインタビューだった。

 また、組織を若々しくダイナミックに保つためのメンタリングの話は、私に大きな余韻を残した。私たちのような人間を2回にわたって招いてくれたのも、もしかするとドンさん、テイコさんの若手を育てようという意志の表れなのかもしれない。事実、この2回のインタビューだけは自分たちの努力だけでは絶対に実現することはできなかっただろう。


妻のひとこと

ドンさん、テイコさんご夫妻と。

ドンさん、テイコさんご夫妻と。

 今となっては3人の子どもの世話に追われる毎日ですが、アメリカ滞在中は「親の立場」でアメリカ社会を見たことがありませんでした。ドンさんのパートナーのテイコさんとのお話は、いつの間にか「女性の仕事と家庭」に関する話題になっていました。アメリカ社会では管理職のポストに女性が起用されることが日本より多いのは容易に想像できます。それだけに、なかなか難しい現実もあるようなのです。

 テイコさんのお話によると、管理職の女性の中にも、家族との時間、家庭を大切にしたがっている職員が増えてきている、というお話でした。女性が第一線で活躍することはもちろんいいことなのですが、仕事によっては転勤もあります。仕事は大切とはいえ、そのために長期間家族と離れ離れになってしまうこともあり、こうしたことに疑問を感じる職員が少なくないそうです。また、その傾向は要職に就いている優秀な女性ほど強いというのです。このため、最近ではインターネットやテレビ電話などを活用して在宅で仕事をする女性職員も多いようなのですが、テイコさんはそうした在宅勤務の職員たちのスケジュール調整に苦労するそうです。時間を決めて電話会議などをしても、やはり、顔を合わせてのコミュニケーションとは違います。オフィスを不在にしていることが多いと、ちょっとしたことなどもなかなか相談ができず、仕事もはかどらないそうです。在宅で仕事をしたいという女性たちの希望と、組織としての業務の遂行を両立することは現実にはなかなか簡単なことではないようです。テイコさんにはお子さんがいませんでしたが、もし子どもがいれば仕事にもいろいろな影響があったのではないかとお話してくれました。

 また、別の機会にボストンに住む友人と子育ての話題になったことがありました。彼女には当時2歳になる男の子と、2人目のあかちゃんがお腹の中にいました。私たちが遊びに行ったのがちょうどつわりのひどい時で、それでも我慢して仕事を続けていました。今のライフスタイルを維持するためには夫婦2人で働かなければならないが、一方で子どもを自分の手で育てたいという悩みもかかえていました。その男の子にはベビーシッターを雇っていましたのでお金もかかりますし、また相性のいいベビーシッターさんを見つけるのも一苦労だと言っていました。彼女は、日本では子どもが生まれると、ほとんどの女性は仕事をやめて自分で子どもを育てていると思っていて、それを羨ましがっていました。日本でも仕事と子育ての両立を頑張っている女性が増えてきたことを話すと、「本当にそれでいいの?」と驚いていました。その彼女からは、その後3人目のお子さんが生まれたという知らせと写真が届いています。今も仕事と子育ての両立をがんばっているようです。


【参考】アメリカの絶滅危惧種法の制定経緯

 『沈黙の春』をきっかけとして盛り上がりをみせた環境保護運動初期の1964年に、釣魚及び狩猟鳥獣局(Bureau of Sport Fisheries and Wildlife)の下に、希少または絶滅の恐れのある野生生物種委員会(Committee on Rare and Endangered Wildlife Species)が設置された。この委員会により、はじめてのレッドブックが作られ、63種が絶滅の恐れのある種として選定された。

 1966年、連邦議会は種の保存という問題に包括的に対応するため、絶滅危惧種保護法(Endangered Species Preservation Act)を制定した。この法律は、連邦政府機関に対し、絶滅の恐れのある野生の脊椎動物の生息地を守ることを義務付けた。しかしながら、それは各機関のミッションに適合し、かつ実現可能な範囲に限られていた。また、絶滅危惧種やその一部(部分)の商取引の規制は盛り込まれなかった。このため、実際にはこの法律に基づいて絶滅危惧種の捕獲が禁じられたのは国立野生生物保護区だけであった。一方で、同時にこの法律に基づき、絶滅危惧種保護のための保護区を設立する権限が同局に与えられた。

 この法律自体にはあまり実効性がなく、「広範だが効力のない政策(Broad but toothless policy)」と呼ばれたが、その後の法制度の基礎を作り出すことになった。

 1969年に制定された絶滅危惧種保全法(Endangered Species Conservation Act)は、無脊椎動物にも保護の網を広げた。違法に捕獲されたは虫類、両生類、貝類、甲殻類などの野生生物が州をまたいで取り引きされることは、レイシー法(Lacy Act)の改正によって規制されることになった。

 また、この法律は内務長官に対し、国際的に絶滅が危惧されている種のリストを作成し、それらの種の輸入を禁止することを求めるとともに、種の保全に関する国際条約の制定を促進することを求めた。その結果、ワシントン条約(Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora: CITES)に関する会議が、1973年の2月から3月にかけてワシントンDCにおいて開催された。米国は1973年3月3日に条約に署名し、1975年7月1日に連邦議会により条約締結が承認された。1972年、連邦議会は海棲ほ乳類保護法(Marine Mammal Protection Act of 1972: MMPA)を制定し、海棲ほ乳類の捕獲及び輸入を禁止した。

 この後、1970年代前半の環境保全運動の大きな盛り上がりを背景にして、1973年に絶滅危惧種法(Endangered Species Act: ESA)が制定された。

【表】絶滅危惧種法の主な内容
(条文)(内容)
2連邦議会の確認及び宣言のリスト
3定義
4種選定の手順
5生息地保護のための土地取得権限付与
6絶滅危惧種プログラムにおける魚類野生生物局と州政府との協力
7連邦政府機関、種の保護及び種もしくはその個体の生存に影響を及ぼす恐れのある行為を行なう際には、事前に魚類野生生物局に協議することを、連邦政府機関に対し義務付け
8国際協力
9希少もしくは絶滅の恐れのある種の採取・捕獲の禁止
10第9条に関する除外規定
11取り締まりメカニズムと罰則規定
12スミソニアン研究所に対する、絶滅危惧植物の状況のレビューと植物保全方策の開発に関する指示
13他法令との調整
14絶滅危惧種法の規定と重複する既存の絶滅危惧種関連法の規定の無効化
155年間を1サイクルとする予算の権限付与
16法律が有効となった日の特定
17MMPAの規定を弱めることにつながる絶滅危惧種法の解釈の防止
18内務長官に対し、年関係費報告を種ごとに作成して提出することを要請

(出典:Brian Czech and Paul R. Krausman; The Endangered Species Act: history, conservation, biodiversity, and public policy, 2001 The Johns Hopkins University Pressより抜粋翻訳)

【1】抑制と均衡(checks and balances)
 政治権力が特定部門に集中するのを防ぐために、権力相互間で抑制と均衡を保たせること。また、その原理。
【2】メンタリング
 日本でも「メンター」という言葉がようやく理解されつつある。企業の中には早くからメンター制度を導入し、職員教育に生かしているところもある。役所でも人事院がメンター研修を実施したり、メンター制度を試行的に導入したりする官庁もでてきているが、制度としてはまだまだ検討途上といえる。
【3】『民主主義の未来』
 原書名:Democracy at Home and Abroad (Zakaria,Fareed)(邦題:『民主主義の未来 ─リベラリズムか独裁か拝金主義か』ザカリア・ファリード【著】〈Zakaria,Fareed〉、中谷 和男【訳】)
【4】南極国立野生生物保護区のホームページから削除された温暖化影響に関する多くの科学的なデータ
 これらの資料については、2004年に管理事務所を訪問した際にいただくことができた。その際に入手した情報は相当な量にのぼり、いかに多くの情報が隠されていたかがわかる。

(記事・写真:鈴木 渉)

〜著者プロフィール〜

鈴木 渉
  • 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
  • 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
  • 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
  • 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
  • 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
  • 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
  • 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
  • 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
  • その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
  • その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
  • 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。