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H教授の環境行政時評環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。

No.040

Issued: 2006.05.11

第40講 50年、過去と未来 付:第三次環境基本計画

目次
その後のPSE法
随意契約は悪か? 環境省委託事業
第三次環境基本計画スタート
50年その1 ―水俣病、カネミ油症
50年その2 ─アスベスト
50年その3 ─化石燃料
50年その4 ─H教授の場合
50年その5 ―未来予測は可能か

Aさんセンセイ、昨日(4月23日)の千葉七区の補欠選挙で民主党が接戦の末勝ちましたね。

H教授ん、どうやらコイズミフィーバーは終わったようだ。
それだけじゃない。同日投票の岩国市長選は米空母受け入れ反対の現職候補が自民党候補を圧倒。ダブルスコア以上の大差で葬り去った。

Aさんこれからの政局はどうなるんですかねえ。

H教授さあ、面白くなることだけは確かだ。
でもコイズミさんはやはりすごいよ。ひょっとして今日の事態を予想して、続投しないことを宣言していたのかもしれない。

Aさんマッサカー!


H教授ま、それにしても自民党の大半はコイズミさんの勢いに乗っていただけで、本心からコーゾーカイカク路線を支持していたかどうか疑問だから、ガラっと流れが変わるかもしれない。
ただ、コイズミ改革はトータルではボクは否定的なんだけど、いい点も結構あったんだ。その点だけは見失っちゃいけない。

その後のPSE法

Aさんはいはい。ところでセンセイ、前講のPSE法の話【1】ですけど、満身創痍のまま船出したみたいですね。電気用品の中古品市場はどうなったんでしょう。

H教授ぼくの住んでいるS市じゃあ、もともと電気用品を扱っているリサイクルショップもないし、4月以降は報道がガクンと減っちゃったからよくわからない。
それにしてもその第39講、非難轟々かと思ったけど、ほとんど反応がなくって拍子抜けした。

Aさんこの時評自体が読者に飽きられたか、あるいはどこかのブログで言われたように“呆れられた”んじゃないですか。

H教授キミが飽きられたか、呆れられたんだよ。

Aさんセンセイのほうです!


随意契約は悪か? 環境省委託事業

Aさんところで環境省の委託事業の大半が随意契約で、しかも複数の会社などから見積もりを取ってないとNHKがスクープしました。古巣のことだけに気になるんじゃないですか。

H教授その前に、似て非なる話として「談合」が世間で騒がれているけど、実は悪いことばかりじゃないと思っているんだ。過当競争による倒産や失業を防いで、地域社会を安定させるというよい面だってあったんだ。だからこそ、法律違反とされながらも何十年も根絶できなかった──というより、余程悪質なものでない限り見て見ぬ振りをしてきたのかもしれない。
でも時代は変わり、今やそんなことは到底言い出せなくなっているし、事実、防衛施設庁の談合事件なんて新聞で見る限り、およそとんでもないと言わざるを得ない。
今回のNHK報道も、そうした世間の風潮の延長線上で取り上げたんだろうけど、談合と違って、随意契約は法律違反でもなんでもなく、専門性の高い業務などは当然として判例でも認めている。随意契約の場合、業務の内容によっては複数の見積もりを取る必要性だってないと思うけどな。

Aさんでも、不正や癒着の温床になりかねないですね。

H教授問題はその随意契約が客観的に見て適正な委託先か、また適当な金額の範囲内かどうかだ。そのために透明性を高めるとともに、そういうことをきちんとチェックするような仕組みが必要だ。
だけど、一切合財なんでも競争入札なんていうのは角を矯めて牛を殺すようなもんだ。すべてを金額だけで評価するなんて、どうかと思うよ。業務内容にもよるけど、技術力の評価とか、アイデアや場合によって安全性なんかの評価は、どう考えているのかな。
似たような話は廃棄物収集の世界でも起きていて、鹿児島では「南九研時報」というミニコミ誌で主宰者の桑畑さんがそのことに関して論陣を張っておられるから参考にするといいよ【2】
あとねえ、だいたい単年度予算主義がそもそも間違っていると思うよ。息の長い仕事なら、初期投資も必要なんだから、5年とか10年だとか、トータルのプロジェクト年限で考えるべきだな。

第三次環境基本計画スタート

Aさんところでセンセイ、第三次環境基本計画【3】が閣議決定されましたね。

H教授うん、去る4月7日に閣議決定されたけど、新聞もテレビもほとんど取り上げてなかったな。

Aさん環境熱がそれだけ冷めたんですかねえ。

H教授いや、そんなことはないと思うけど、やはり総花的すぎて取り上げにくかったんだろう。

Aさんえ? センセイ、読んだんですか。

H教授うん、一応はね。

Aさんへえ珍しい。
その第三次環境基本計画ですが、今後の環境政策の展開の基本的な方向として環境、経済、社会それぞれの側面を統合的に向上させるとしています。重点分野ごとに定量的な指標や目標も定めたし、政府だけじゃなくて自治体、産業界、市民など多様な主体に期待される役割なども明示したんですってね。

H教授ほう、発表資料ぐらいは目を通したようだな。
ま、それはその通りで、非の打ちようがないほど、正しいことを書いてあるけど、なんか環境白書を読んでるようで、面白くなかったな。
それと今後の具体的な予算や人員の貼り付けだとか、あるいは環境税はどうするのか、第二約束期間への対応はどうするのかと言った焦眉の課題は曖昧模糊としたままだ。

Aさんそりゃまあ、閣議決定ということは各省が納得するようなものだから、そうなっちゃうんでしょうね。
でも、10の重点分野政策プログラムを明確に挙げ、それを重点に政策を展開していくことを明らかにしたんでしょう。

H教授その10の重点分野政策プログラムって、どういう内容だか知っているか?
事象別には、(1)地球温暖化問題に対する取組、(2)物質循環の確保と循環型社会の構築のための取組、(3)都市における良好な大気環境の確保に関する取組、(4)環境保全上健全な水循環の確保に向けた取組、(5)化学物質の環境リスクの低減に向けた取組、(6)生物多様性の保全に向けた取組。
また、事象横断的な分野として、(7)市場において環境の価値が積極的に評価される仕組みづくり、(8)環境保全の人づくり、地域づくりの推進、(9)長期的な視野を持った科学技術、環境情報、政策手法等の基盤の整備、(10)国際的枠組みやルールの形成等の国際的取組の推進 ──をあげている。

Aさんえー、なんか、すべての環境問題を10の重点事項にグループ分けしたみたいじゃないですか。これでいくと重点じゃないものなんてなくなっちゃいますよ。

H教授全ての部局課の担当事項をなんらかの形で重点分野政策プログラムに網羅しておかないと、そうでないとされたところの職員の意気が阻喪しちゃうし、組織の削減にもつながりかねないからなあ。
まあ、それがこうした公式計画の宿命なんだ。


50年その1 ―水俣病、カネミ油症

H教授前講でも言ったけど、この第三次基本計画の目玉はバックキャステイングの手法を用いた50年先の超長期ビジョンを作成するとしたことだろう。それがどういうものになるのか楽しみにしよう。

Aさんところで水俣病公式発見から50年目ということで、いろんなメディアでも取り上げていましたが、前講でも話があったように、50年も経ったというのに、まだまだ問題は解決していないんですねえ【4】

H教授うん、水俣病だけじゃないよ。50年は経ってないけど、38年前、1968年に起きたカネミ油症の問題も最近また大きく取り上げられているしねえ。これだって最終解決には50年かかるかもしれない。


Aさん確かライスオイルにPCBが混入して、多くの被害者が出たんですよねえ。

H教授原因はPCBよりもそれに含まれていたダイキシン類の一つベンゾフランではないかという調査結果が数年前に出た。
ま、それはさておいて、西日本で14,000人を越す被害届出があったけど、水俣病と同じで認定患者は2,000人弱にとどまったため、未認定の人たちを救済しないでいいのかという問題がある。それと、これにはもう一つ問題があるんだ。かつて国を被告とする裁判が提起され、途中段階では国敗訴の判決も出たため、国は損害賠償の仮払い金27億円を支払ったんだ。だけど、その後、上級審で国の責任を否定する判決が出て、87年には和解が成立し国への訴えを取り下げた。結果、その仮払い金の返済義務が生じたんだけど、17億円強が返済されないままになっていて、これをどうするかで問題になっている。
こちらの方は、国は債権を放棄するという方針がようやく決まったようなんだ。

Aさんよかったですねえ。でも問題が解決したわけじゃないんですね。

H教授うん、何十年も前の負の遺産の処理はまだ終わってないんだ。

50年その2 ─アスベスト

Aさん負の遺産といえばアスベストもそうですね。
アスベストですけど、クボタが被害にあった周辺住民に最高4,600万円を支払うという記事が出てましたねえ【5】

H教授うん、大英断といっていいだろう。企業イメージを大切にしたんだろうねえ。クボタは「環境にやさしい」企業として有名だったからなあ。

Aさんでも企業の社会的責任というだけで、被害との因果関係を認めてはいないというのがひっかかるんですけど。

H教授被害との因果関係を認め、損害賠償だと明言しちゃうと、被害者が石綿新法(救済法)の適用を受けられなくなっちゃうんだ。その可能性を残しておくということからくる苦肉の策じゃないかな。

Aさんアスベストでは、また今月(4月)半ばにNHKが特番やってましたねえ。

H教授あれはひどかった。
「国はなぜアスベストを7〜80年代に禁止せず、『管理使用』するようにしたか、それが今日の惨劇を招いた!」というのが基本主張で、被害者=死者の映像がそれを効果的に支えている。
だけど、少し考えればすぐわかることで、潜伏期間からして、今日の惨劇はその大半が60年代以前の「管理なき使用」時代の負の遺産なんだ。つまり大きく言えば、50年前のツケが回ってきたんだ。
70年代以降の「管理使用」が、今後どの程度の惨劇をもたらすかは、実はまだ未知数。
もちろん70年代から80年代にかけての「管理使用」の「管理」はまだ緩いものだったから、これからも被害は出てくるということは予想される。
でも80年代半ば頃からは欧米と歩調を一にして、緩いものから厳しいものに変わってきたから被害はぐっと減ると思うよ。
それにアスベストの効用も大きかったということは、率直に認めなきゃいけない。

Aさん善玉、悪玉というのもはっきり描かれていましたねえ。

H教授セリコフ博士が善玉。環境庁は悪玉役を割り当てられたようだ。
確かにセリコフ博士がアスベストについて警鐘を乱打していたのは事実だけど、それでも「より厳しい管理」を主張していただけで、即時使用禁止なんて唱えていなかったし、唱えられる時代でもなかった。
環境庁にしてもそういう意味では権限もなく、力も足りなかったが、考えはセリコフ博士と基本的に同じだったんだ。
後世、どんな厳しい「管理使用」でも使用自体が誤りだったと仮に証明されたとしても、真の悪玉は別にいる。
大体その頃メディアは何をしていた? 真の悪玉の一翼はNHKを含めたメディアも担っていたんだ。

50年その3 ─化石燃料

H教授ところでキミは化石燃料の使用を即時禁止しろという主張をどう思う。

Aさんなんです。いきなり。そんなのできるわけないじゃないですか。

H教授うん、いま、化石燃料の即時使用禁止なんてことを唱えられるわけがないし、実現できようはずもない。せいぜい省エネの徹底や代替エネルギーの開発などで、二酸化炭素の排出抑制を主張できるぐらいだよね。
でも、ひょっとすれば50年後には、「50年前の世代はなぜ化石燃料を即時使用禁止しなかったのか! 環境省はなにをやってたんだ!」と叩かれるかもしれない。
あのNHK特番を見てそう思ったね。

Aさんそういう意味ではさっきの超長期ビジョンじゃないですけど、50年先を見据えた政策が必要なのかも知れないですね。
ところでセンセイ、じゃ50年前ってどんな時代だったんですか。


50年その4 ─H教授の場合

H教授ちょうど55年体制が確立して、高度成長期がはじまる頃だね。

Aさんそんなことぐらい、歴史の時間に習いましたから知ってます!
もっと具体的な生活の話です。センセイは高校生くらいですよね。


H教授バカ、まだ初恋も知らない初々しい小学生だ。
そうか、初恋ねえ。「まだあげそめし前髪の…」か。

Aさんは、なんです。その呪文みたいなのは?

H教授島崎藤村の「初恋」だよ。じゃ、ツルゲーネフって知ってるか。

Aさん知りませんよ! じゃ、センセイ、F4のメンバー全部言えます? そんなカビの生えたような知識をひけらかさないでください。

H教授(閉口して)わかった、わかった。
ところでなにが聞きたいんだ。ボクがいたのは古都の下町の外れで、必ずしもオールジャパンのことじゃないから、そのつもりで聞いてほしいんだけど。

Aさんその頃、冷暖房は?

H教授決まってるだろう。冬は練炭の入った掘炬燵か火鉢だ。学校では石炭ストーブ。まだまだ生活の中で薪や炭が重要で、田舎に行けば至るところに薪や炭を提供する里山というか、薪炭林があった。

Aさん寒そう。じゃ夏は?

H教授窓や戸を開けっ放しにして、団扇でぱたぱただ。ヒートアイランド現象もそれほどじゃなかったから、朝夕は結構涼しく感じられた。それに、日中も打ち水をすればひやっとしたもんだ。

Aさん電化製品は?

H教授電灯、電気スタンドにラジオはどの家庭でもあったな。台風のときは必ず停電したから蝋燭の備えは必要だったけど。

Aさんそれだけですか。信じられなーい。電話は?

H教授我が家にはなかった。ボクの近所じゃ3〜4軒にひとつぐらいで、呼び出し電話が普通だった。

Aさんテレビは?


H教授町内でお金持ちがぼちぼち白黒テレビを買い出した頃かな。
なみにボクの家でテレビを買ったのはボクが高校3年、受験勉強をはじめる頃だった。だから免疫ができてなくて、ついついテレビを見てしまい、勉強がはかどらなかった。あれさえなければ今頃は、東大の法学部を出て政治家になってるか、理学部を出て一流の研究者になっていたかもしれない。

Aさんレバは肉屋、タラは魚屋。センセイんちは、場末のちっちゃな貸本屋だったんでしょう。テレビがなくたってその代わり商品のマンガを読んでいたに決まってます。

H教授へいへい。確か、庶民の間ではテレビ、洗濯機、冷蔵庫が憧れの的で、「三種の神器」と言われていた時代だ。
洗濯はおふくろがたらいと洗濯板で行っていた。
冷蔵庫は電気を使わない木製のものがあって、氷屋さんから氷の塊を買ってきて中に入れていたんだ。
ご飯を炊くのは当時はかまどだった。「はじめチョロチョロ 中パッパ、赤子泣くとも蓋取るな」ってね。

Aさんクルマは木炭で動いていたんでしょう。

H教授バカ言うな。それは戦争中の話だろう。ちゃんとガソリンで動いていたよ。
もっとも大通り以外ではクルマを見かけることは滅多になかったから、道路が遊び場で、道路を全部ふさいでドッジボールをしてても大丈夫だった。

Aさん信じられないほど貧しい、不便な生活だったんですね。

H教授いやあ、みんながそうだったからなんとも思わなかった。

Aさんじゃあそれほど貧富の差はなかったんですか。


H教授そんなことはないさ。家が広いか狭いか、持ち家か借家か、家具がたくさんあるかどうか。それから着るもの、食べるものの差はあったさ。
そうそう食べるものといえば、ボクんちじゃ、肉がせいぜい週一回で、あとは野菜中心。その代わり秋になるとマッタケはたくさんあったな。肉より安かったから年に一回、秋祭りのときのすきやきは肉よりマッタケが多かった。

Aさん遊びは?

H教授もっぱら路地や道路だな。当時は街そのものが遊び場だったんだ。
近所のおじさん・おばさんが誰か全部知ってるし、おじさん・おばさんたちも近所の子どもはどこの子どもかって全部知ってた時代の話だ。
あとはちょっと遠出して畑や川、雑木林でも遊んだ。当時は農薬もそれほど普及していなくて、小川もコンクリートで固めてなかったから、ホタルやフナ、ドジョウ、畑ではイナゴなどもいっぱいだった。移入種のアメリカザリガニ──ボクらはエビガニって言ってたけど──もいっぱいいて、そうしたものは食材の足しにしていた。
それにボクんちもそうだったけど、お店の子どもなんかは結構労働力としてもこき使われてた。「勉強するぐらいだったら家の仕事を手伝え!」なんて怒られたもんだ。

Aさん習いものなどはしなかったんですか。

H教授したよ。近所のみなと同じで、ソロバン塾に通った。全珠連の3級をとったのはちょうど昭和30年頃じゃなかったかなあ。ボクが運転免許証以外に持っている唯一の資格だ。2級の試験に落ちたからやめちゃったけど。

Aさんそれでも3級なんて、すごいじゃないですか。

H教授いや、1年ほど習えばだれでも3級まではとれたんだ(笑)。
学習塾なんてのはあったのかも知らないけど、ボクの周りじゃ誰も行ってなかった。
だいたい、ボクの小学校の同級生で高校へ行ったのは半分以下、大学に行ったのは一割いるかいないかという時代だった。だから昼間働きながら夜間高校に通うということも珍しくなかった。
ボクの両親にしたって、近所のおじさんおばさんにしたって初等教育しか受けてないから、小学校の先生なんてのはすごく尊敬されていたな。なんせ師範学校を卒業した大インテリだったんだから。
あ、そうそう、他には習字にもちょっと通ったな。

Aさんウソ、ウソです。それだけは信じられません。よくもあのミミズののたくった汚い字で習字をしてたなんて!

H教授ほっといてくれ。下手でも一応は読めるだろう。キミのマルっこい字なんて読めないぞ。おまけに漢字はしょっちゅう間違うし。「一応」を「一様」なんて書いてたじゃないか。

Aさん(赤面して)もういいじゃないですか。段々本論からずれてきましたよ。
で、当時はお風呂は銭湯に行ってたんでしょう。

H教授うん、家に風呂なんて誰も持ってなかったし、銭湯が社交場になってたな。ただ毎日なんて行けなかったから、夏場はたらいで行水だった。

H教授

ふうん、いつかセンセイ言ってましたけど、貧しさのゆえにいやおうなく人と自然、人と人が共生していたんですね。そして貧しさのゆえにいやおうなく循環型社会を強いられていたんですね。

H教授そう、家庭から出るごみの量は京都市のデータによると今の20分の1。だって、残飯なんてそもそも出せるほどリッチじゃなかったし、それでも出る魚の骨やなんかは犬猫のえさ。ボクなんか次男だったから着るものはいつも兄貴のお古。靴下に穴が空いたってオフクロが繕ってくれた。
そんな貧しい時代だったけど、どの家庭でも新聞を取ってたし、政治にはみな関心があったな。

Aさん古新聞なんかは民間の回収車が回っていて、買ってくれたんでしょう。

H教授それはもっと後。街にはごみ屋さんというのがいて、リヤカーを引いて回っていた。今でいうリサイクル業だね。
それに古新聞と言ったって、包装紙に使ったり、トイレットペーパー替わりに使ったり、竈の炊きつけに使ったり重宝してたよ。
ReduceReuseは当たり前、デポジットや中身だけの量り売りも一般的。鋳掛け屋さんとか研ぎ屋さんって言ったけど、鍋や包丁を修理して回る人もいた。

Aさん(恐る恐る)じゃあ、トイレは当然汲み取りですね。

H教授そりゃそうだ。下を見ると蛆虫がうじゃうじゃいて、用を足すとポチャンと跳ね返りがくるので、それを避けなきゃならなかった。

Aさんやーだ。気持ち悪い。

H教授その頃までは近在のお百姓さんが汲み取りにきて、持って帰ってくれた。江戸時代と違って売れはせず、無料だったけどね。畑の片隅には必ず肥えタゴと称する屎尿を熟成させる大きな桶が埋められていて、遊ぶときにはまらないよう注意したもんだ。

Aさんでもそんな社会だとのんびりしていて、治安はよかったんでしょう。

H教授実感的にはそんな感じがしたけど、でも統計で見る限り、人口当たりの犯罪率はやはり経済の豊かさに反比例していて、多かったようだよ。
ボクの家の裏のおじさんがやはり近所の顔馴染みのおじさんを借金のもつれかなにかで刺殺した事件もあった。

Aさんそうなんですか。でも公害はなかったでしょう。

H教授近くに某大工場があり、そのそばの川だけは真っ黒だった。プクプクと泡が出ていて、あ、こんなところにも生き物がいて息をしているんだと思ったけど、今にして思えば、あれは底に溜まった有機汚泥嫌気性分解していてメタンガスを出していたんだと思うよ。

Aさん不便で貧しい社会だけど、その代わり暖かい人情ときれいな環境があると思ってたんだけど、必ずしもそうじゃなかったんですね。

H教授そりゃあそうさ。でも不便だとか貧しいとかは思わなかったな。
それに今に比べると隣近所同士が濃密な付き合いがあったし、頼母子講のような相互扶助のシステムもあったのも事実だ。時にはそれが重たかったかもしれないけど。
都会の下町だったけど高層ビルなどなくてネオンも輝いてなかったから、山が眺められ、夜は星空がきれいだった。公園は少なかったけど、町の中にも蝶やホタルなど生物は多かった。もちろん、ハエや蚊なども多かったけど。
レクリエーションったって、クルマがなかったから行けるところも限られたけど、隣近所が連れ立ってお花見に行ったり、茸や山菜採りに行ったりした。自転車で飯盒炊爨に出かけるのが楽しかったという記憶があるよ。

Aさんふうん、それが今や崩れつつある“日本型システム”なんですね。

H教授うん、そりゃまあそうなんだけど、日本型システムといっても江戸時代から連綿とつづく地域コミュニティのシステムと、1940年に始まったといわれる総力戦体制のための日本型経営システムというか会社共同体システムの二通りがある。
どちらも崩壊に瀕しているんだけど、その二通りがあることは理解しておいた方がいい。時系列的にいえば、前者は高度経済成長の中で後者に取って替わられ、90年代に入りバブルが崩壊して以降、後者も風前の灯になっている。
ま、どちらもプラス、マイナスの面があるんだけど。

Aさん後者というのは会社に滅私奉公することによって、年功序列だとか終身雇用だとかで会社が酬いたってやつですね。でも1940年からだったら、センセイの子どもの頃もあったんじゃないですか。

H教授あったかもしれないが、ボクんちも隣近所もだいたい個人商店か零細企業勤めの人ばっかりだったからあまり実感がない。

Aさん延々とセンセイのこども時代の話を聞いてきたけど、いったい何が言いたいんですか。/p>

H教授何を言ってるんだ! キミが50年前の話を聞きたいと言ったからじゃないか!

Aさんあ、そうか、忘れてた。ところでそこからの教訓は。

H教授幸や不幸、悲しみや喜びはいつの時代にもあって、そんなに変わるわけじゃない。
ただ当時の生活は、今にして思えば持続可能な社会だったことだけは確かだ。
8,000万の人が飢死することなく、食料も資源もほぼ自給していた。エネルギー消費は今の10分の1。GNPは、円ベースでは10分の1ぐらいだし、ドルベースで20分の1。
国際的にみても取るに足らない貧しい三流国家だったけど、そこを起点にして、経済は二流でいいから持続可能な別の意味での一流社会を築くことはできなかったのかなあという気がしないわけじゃないんだ。
ま、それはともかくとして、これから以降の50年間を、少し指標で振り返ってみようか。
実はボクの得意ネタなんだ。


50年その5 ―未来予測は可能か

Aさんあ、それは次回にお願いします。
それよりも、その頃今のような社会になっているなんて想像できました? あるいは誰か想像している人はいました?

H教授そんなものできるわけないだろう。その頃すでに誕生していたテレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」が10年後には9割以上の世帯に普及することさえ想像できなかったのに。
天才、手塚治虫サンのSFマンガは好きだったけど、まさか彼が描いた摩天楼や高速道路が日本にできるなんて夢にも思わなかった。でもそれは英米では現実のものになりかかっていたから描けたことで、あの天才ですら携帯電話なんて予想もできなかったし、逆に手塚マンガではとっくにできているはずの、心を持ったアンドロイドもロボットも太陽系外への旅行も、いまだ実現の兆しもない。
先日、名著「惑星ソラリス」のスタニスワフ・レムが亡くなった。レムと並ぶSF界の双璧、アーサー・C・クラークの不朽の名著「幼年期の終わり」は1953年の作品で、今頃の時代を描写しているんだけど、その作品じゃ依然としてメディアの中心はラジオなんだ。

Aさんでも当たっていることだって多いんじゃないですか。

H教授ある知人から教わったんだけど、1901年に報知新聞が20世紀の予言をしているんだ。ずばり3分の2はかなり当たっている。
「十九世紀の昨年に於て、少なくとも五十日間を要したる世界一周は、二十世紀末には七日間を要すれば足ることなるべく、また世界文明国の人民は男女を問はず、必ず一回以上世界漫遊をなすに至らむ。」なんてね。
もっともまるっきり外しているのも多い。
「天災中の最も恐るべき暴風起らんとすれば、大砲を空中に放ち、変じて雨となすを得べし。」とか
「獣語の研究進歩して、小学校に獣語科あり、人と犬猿とは、自由に対話することを得るに至り、従つて下女下男の地位は多く犬によりて占められ、犬が人の使いに歩く世となるべし。」とかね。

Aさん昭和30年頃に50年後を予言したものはないんですか。

H教授時期はずれるけど1960年代は「未来論」というのが盛んで、薔薇色すぎる未来を描いていた。
ま、ロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」【6】みたいなものだけど、当たったものより、外したものの方が多く、環境問題やエネルギー問題がその最たるものだ。

Aさん悲観論もあったんじゃないですか?

H教授うん、ボクはそっちの方が好きだった。書いた年代はバラバラだけどオーウェルの「1984年」、ハックスリーの「素晴らしい新世界」、ザミャーチンの「われら」とかいうデトーピアものと言われてたものだ。
こちらの方が外した割合はもっと多いけど、「未来論」より学ぶものは多かった気がするね。ある意味じゃローマクラブの「成長の限界」より得るものは大きかった。

Aさんじゃ、これから50年先の予言なんて当てにならないですね。

H教授これもさっきの知人が教えてくれたんだけど、某東証一部上場大企業の社員たちが21世紀中はこうなると描いたものがある。
「5万人から十万人が住む海上都市がいくつもできている」とか「重力をコントロールする」とか「リュックを背負う感覚のジェットパックが開発され、皆が空を飛べるようになる」とか予測しているらしい。

Aさんはは、まるで「ドラえもん」ですね。

H教授でも、ひょっとするとかなりのものが実現しているかもしれない。
ただ、こういう未来予想は不均衡なんだ。
ガンの特効薬だとか核融合だとか、30年先には実用化されると大昔から騒がれていても一向に実現しないものもあるし、一方じゃ、レコードがカセットテープに変わったかと思えば、いまじゃCDとかDVDみたいに信じられないほど変わってしまうこともある。
そういう意味じゃ技術進歩の予測は門外漢には不可視だし、あまりそれに頼ることをせずに、社会システムを持続可能なものに変えることを考えるべきだ。
50年先だったら道州制は実現しているかもしれないし、そのときは国定公園だとか都道府県立自然公園なんてなくなっているかもしれない。

Aさんコーゾーカイカクすべきだってことですね。

H教授もちろんそうなんだけど、肝心なのはなんのためのどういうコーゾーカイカクかってことだ。
80年代には日本型経営システムが評価され、「ジャパンアズナンバーワン」なんて言われていた。
ところがバブルがはじけた途端、日本型経営システムは、けちょんけちょん。
でもねえ、バブル崩壊以降、地価や株価の右肩上がりはなくなったけど、GNPだとかGDPは伸びの大幅な減速があっただけで決して下がっちゃいないんだ。
江戸幕府260年間で豊かさはやっと2倍という試算があるらしい。それが普通だろう。50年で10倍とか20倍も豊かになるなんていうのはそもそもが異常なことで、そんな割合でこれからもずうっと成長し続けたらとんでもないことになる。
日本型経営システムがかつてもてはやされたのも、今のコーゾーカイカクがもてはやされてるのも、高い成長率の実現のためなんだけど、人口が減ってきているのに毎年何%も成長するということ自体、異常だという感覚を持つべきじゃないかな。

Aさん経済成長」は地球や他の生き物にとっては「刑罪逝弔けいざいせいちょう」かもしれないというわけですね。

H教授く、くっだらん。
(独り言)うん、でもなかなかいいこというな。今度どこかで使ってみよう。


注釈

【1】前講のPSE法の話
【2】南九研時報
「南九研時報」第49号(平成17年2月)、第54号(同18年4月)。
連絡先:〒895-0005 鹿児島県川内市永利町1607(南九州地域環境問題研究所 TEL: 0996-20-4515)
【3】 第三次環境基本計画
【4】 50年経ってもまだ解決していない水俣病
【5】クボタのアスベスト対策
【6】ロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」

(平成18年4月24日執筆、5月頭編集了)
※本講の見解は環境省およびEICの公的見解とは一切関係ありません。
※「50年その5」に関しては畏友吉田誠宏氏より資料の提供を受けました。ここに記し謝意を表します。