No.081
Issued: 2005.09.29
対馬アクティブ・レンジャー便り(1)「保護のむずかしさ」
環境省では今年(2005年)6月から、全国の国立公園や希少野生生物の生息地のうち47地区に60名のアクティブ・レンジャーを新たに配置しました。アクティブ・レンジャーは、現地に駐在する環境省のレンジャー(自然保護官)を補佐して、保護地域のパトロールや環境調査、保護増殖事業、利用者案内などの活動を行うもので、これまで手薄とされていた、現地における保護管理体制の充実が期待されています。
昨年8月、EICネット「ピックアップ」コーナーで、絶滅危惧種ツシマヤマネコとその保護を取り巻く状況を取り上げました。生息地の対馬には、2名のアクティブ・レンジャーが配置されることになりました。そのうちのひとりに、当該記事を執筆した前田剛さんが採用されました。
このたびEICネット「ピックアップ」では、対馬アクティブ・レンジャーとして地元に駐在することとなった前田さんから、折々のタイムリーな情報を織り交ぜつつ、ツシマヤマネコ取り巻く現状と、その保護に当たるアクティブ・レンジャーの活躍ぶりを、3回に分けてレポートしてもらいます。
なお、アクティブ・レンジャーは地域固有の課題に取り組んでいるため、事務所ごとに業務内容が異なります。対馬と同じ九州管内での特徴的な業務内容として、阿蘇では草原再生のための環境教育や地域との連絡調整、くじゅうや屋久島では登山道の点検調査及び補修などに取り組んでいます。屋久島ではまた、外来種(タヌキ)の捕獲作業にも取り組んでいます。
ツシマヤマネコに迫る危機 ──最新の生息状況調査の結果より
2005年8月6日(土)、対馬野生生物保護センターにツシマヤマネコの交通事故死体が運び込まれました。センターでは1992年から交通事故記録をとっていますが、通算34件目、そして30頭目の交通事故死でした。ツシマヤマネコにとって、依然厳しい状況が続いています。
ツシマヤマネコ(学名Prionailurus bengalensis euptilura)は、日本では長崎県対馬のみに生息するネコ科の哺乳類で、1994年には種の保存法に基づく国内希少野生動植物種に指定され、環境省レッドリストでも、絶滅危惧IA類(ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種)とされています。
かつて、ツシマヤマネコは対馬島内全域にわたり広く分布していましたが、最新の生息状況調査(ツシマヤマネコ生息状況等調査【1】)では80〜110頭と推定されています。同調査によると、1980年代には約100〜140頭、1990年代には90〜130頭生息していたとされ、1980年代から1990年代にかけては7〜9%の減少、1990年代から2000年代前半にかけては9〜10%の減少と、ツシマヤマネコの減少傾向が続いていることを示唆しています。
生息分布に関する知見としては、対馬の上島のほぼ全域に生息していることが明らかになった一方、1990年代までフン等の痕跡で生息情報があった下島では、ツシマヤマネコが確実に生息しているとの情報は得られなくなっています【2】。下島での確実な生息情報(死体や保護捕獲個体等)は、1983年に厳原町の瀬で交通事故死体が発見されて以来途絶えています。センターには、「つしまる」に会いにたくさんの人たちが来館しますが、下島の住民からも「下島ではヤマネコはまったく見らんねー」という声を耳にします。
生息状況調査で得られた保護マップ基礎図【3】を見ると、上島の北半分では生息密度が高く、南半分で低いことがわかります。現在、生息数が80〜110頭と推定されているツシマヤマネコ。冒頭で紹介した交通事故死以外の死因も含めると、1992年以降、死亡個体は53頭を数えます(2005年9月現在)。
ツシマヤマネコの生存を脅かす要因
ツシマヤマネコの生息数は、なぜ減少しているのでしょうか。ツシマヤマネコの生息を脅かす主な要因として、(1)生息適地の減少・改変・分断(広葉樹林の減少、荒廃植林地の増加、造成による生息地の改変・分断など)、(2)人為的事故(交通事故、イヌによる捕殺、トラバサミ【4】による錯誤捕獲)、(3)外来種(野生化したイヌやネコ、イノシシ等)による生息環境の攪乱、(4)イエネコからの病気感染、(5)餌資源の競合などが指摘されます。
ツシマヤマネコの個体数減少を食い止め、ツシマヤマネコが安心して暮らせる状態にするには、それらの要因を1つ1つ取り除いていくことが重要です。環境省では、1995年に「ツシマヤマネコ保護増殖事業計画」を策定し、関係者の参画と協力を得ながら、ツシマヤマネコの生息状況の把握・モニタリング、生息環境の維持・改善、飼育下繁殖、外来種対策、普及啓発などの保護増殖事業に取り組んでいます。
今回の対馬AR便りでは、センターで進めている保護活動のひとつとして、(2)の人為的事故のうち、特に「トラバサミ」による錯誤捕獲の防止対策について紹介します。
実感する、保護のむずかしさ
ツシマヤマネコは、民家のニワトリ小屋に入り込んでニワトリを襲うことがあります。センター開所以来、ツシマヤマネコがニワトリを襲おうとして罠(トラバサミや箱ワナ)に掛かったり、ニワトリを襲って小屋から出れなくなって保護収容されたケースが18件ありました【5】。そのうち6件がトラバサミによる錯誤捕獲で、ツシマヤマネコに致命的なダメージを与えたこともありました。
ニワトリが襲われれば、飼い主がそれを守ろうとするのは当然のこと。しかし、襲ってきた個体を捕獲しても、まわりにいる他の野生動物が食害を引き起こす可能性は消えません。また、罠を仕掛けても、襲った動物だけが掛かるとは限りません【6】。一方、野生動物が飼育されているニワトリを餌として依存することは本来の生態(食性や行動)を攪乱するおそれもあり、その生態を守るためにも、適切な対策を進める必要があります。
ニワトリの食害を防ぎ、人も野生動物も安心して暮らせるようになるには、罠による駆除ではなく、ニワトリ小屋の補強・工夫がより効果的であろうと考えられます。
そこで、センター近くにある民家のニワトリ小屋をひとつひとつ、夏期実習生【7】と一緒に点検して回ってみることにしました(対馬市上県町佐護湊・友谷・井口地区)。ニワトリ小屋にすき間や壊れたところなどがないか、被害の状況はどうなのか──。実際に小屋を見てみると、いろんな補強や工夫のアイデアが凝らされていることに気付く一方、被害があるところないところのパターンが浮かび上がってきました。また、飼い主の方々の事情やニワトリ被害、ヤマネコなど野生動物に対する感情を聞き取ることで、生活者の視点に立った対策が大切であることを知りました。やはり、現場で見聞きしなければ、具体的な解決策は出てこないことを改めて実感させられました。
食害の多くは、野生動物の餌が減ると言われる冬場に起きています。「食害と錯誤捕獲は知恵と工夫で防げる」と確信しつつ、センターでは冬に入る前に、それらの点検結果をもとに野生動物が入り込みそうなところの改善案や補強・工夫の事例を示すなど、具体的、かつ効果的な対策を進めていく予定です。
アクティブ・レンジャーとして対馬に勤務してから早4ヶ月。取り組めば取り組むほど様々な課題に気付かされます。この野生生物保護の現場で、たった1つの種を守ることが、そしてその生息を脅かす要因のうちたった1つを取り除こうとすることが、どれだけ大変で難しいことなのかを思い知らされています。(つづく)
- 【1】ツシマヤマネコ生息状況等調査
- 環境省が実施するツシマヤマネコに関する総合的な調査。これまで、昭和60年度〜62年度(第一次)、平成6年度〜平成8年度(第二次)、平成14年度〜平成16年度(第三次)の3回実施されている。最新の3回目の調査では、ヤマネコの死体、保護・捕獲、自動撮影、DNA分析済の糞の確実な情報をもとに生息分布図が作成されたほか、密度分布の把握や生息数の推定、過去の調査結果の見直しが行われた。糞については、第三次の調査よりDNA情報に基づく種の同定法が採用され、ヤマネコの糞と他の動物の糞を識別することが可能となり、生息状況がより正しく把握できるようになっている。
- 【2】
- ツシマヤマネコの可能性のある糞が採取された。しかし、最終的にはDNA破損等の要因で種の同定ができず、確実に生息しているとの情報を得ることはできていない。このため下島の個体群は絶滅している可能性があり、もし生息していたとしてもその個体数は極めて少ないと考えられている。対策として、本年度(平成17年度)、緊急的にヤマネコの可能性のある糞が採取された地域の重点的な調査が予定されている。
- 【3】保護マップ基礎図
- 限られた予算・労力のなかでツシマヤマネコ保護を効率的に進めていくには、「誰がどこで何をするかの役割分担の整理と連携の構築」が必要となる。その中の「どこで」の基礎となる図面が、この保護マップ基礎図。今後、この図に交通事故情報やイエネコの病気情報等、目的にあわせて情報を重ね合わせた「保護マップ」を作成していく予定であり、保全のための重要な基礎資料としての活用が期待されている。
- 【4】トラバサミ
- 動物を捕獲するための罠の一種。触れるとバネが作動して金属板が閉じて足を挟み込むことで自由を奪う仕掛け。動物に重大な怪我を負わせる可能性が高く、鳥獣保護法により規格や使用方法・場所等が規制されている。
- 【5】
- 『對馬島誌』(對馬教育會、1928)には、「人家近く出て鶏舎を襲ふことあり。害獣少き本島に在ては悪むべき獣類の第一なり」と書かれており、ツシマヤマネコによるニワトリ食害はかなり昔から起こっていたと推測される。
- 【6】
- 対馬には野生の食肉目として、ツシマヤマネコ以外にツシマテンやチョウセンイタチが生息している。また、ノラネコやノライヌなどが鶏舎を襲うことが考えられる。点検した限りでは、ツシマテンによる食害がもっとも多いことが分かった。
- 【7】夏期実習生
- 対馬野生生物保護センターでは夏の間に実習生を受け入れ、現場業務の体験や地域住民の方々との交流等を通じ、希少野生生物保護について具体的に感じ考える機会を提供している。
この記事についてのご意見・ご感想をお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。
なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(記事:環境省対馬自然保護官事務所アクティブ・レンジャー 前田剛)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。