No.031
Issued: 2011.09.09
国立保全研修所訪問
魚類野生生物局(FWS)の所管する国立保全研修所(National Conservation Training Center:NCTC)は、保全に関する連邦政府機関連携型の施設で、アメリカ国内の自然環境の保全に関する研修所として設置された。ウェストバージニア州シェファーズタウン郊外の、広々とした敷地にゆったりと整備されており、ハーパースフェリーセンターのFWS版ともいえるメディアセンターの他、アーカイブ(収蔵庫/博物館)が併設されている。
リック所長
「始めまして、所長のリック・レモンです。リックと呼んで下さい」
私たちをセンター入口で待っていてくれたのは、何と所長ご本人だった。とても気さくな感じの方だ。これまで国立公園局の関係機関を数多くまわってきたが、担当者との面会だけで終わることも少なくはなく、所長に直接会えたのはまれだった。所長本人に出迎えていただけるとは、正直驚いた。
「よく来てくれましたね。ロビーに保全に関する展示があります。そこでまずアメリカの保全の歴史についてご紹介したいと思います」
ロビーに入ると、高い天井からシャンデリアのような照明が下がっている。外観も立派だが、内装もかなり贅沢なつくりだ。展示スペースには、鳥の模型が吊られており、展示には剥製と模型などがうまく組み合わせられている。
「訪問者の方には、まずここで『保全(conservation)とは何か』を理解してもらいます」
1700年代の野生生物の乱獲から始まる展示は、1970年代の保全運動の高まりまでの背景や歴史をわかりやすく解説している。これまで国立公園を中心とした歴史を学んできた私たちにとって、「アメリカにおける保全」との初めての出会いとなった。
展示では、アメリカ開拓時代からの恐ろしいほどの野生生物の乱獲の歴史が具体的に解説されていた。また、そうした違法な狩猟を取り締まるレンジャーの命がけの様子なども描かれている。連邦政府の法秩序よりも個人の自由と力(銃)が尊重されていた時代に、違法捕獲を取り締まることがいかに困難だったかが想像できた。
「実は、レイチェル・カーソンは、FWSの職員だったのです。」
その名前は当然大学の授業で聞いて知っていた。『沈黙の春』を著し、農薬の生態系への影響に警鐘を鳴らしたということくらいは覚えている。ただ、保全研修所に訪問したこの場面で、なぜ彼女の名前が出てきたのだろうか。何か重要なアイコンになっているようだった。
ロビーの展示を一回りしてから所長室に案内される。所長室の入口のところで何人かの職員に紹介された。
「保全研修所は、関係する政府機関共有の研修所です。FWSがその管理を行っています。国立公園局のマザー研修センターからも職員が一人派遣され、こちらで勤務しています。」
リエゾンオフィサーと呼ばれる職員は、確かに国立公園局のユニフォームを来ている。皆にこやかに挨拶してくれる。
この研修所は、国立公園局のマザー研修所とは対照的に、新しく現代的な造りをしている。敷地や建物も格段に大きい。また、やはり敷地はポトマック川に面しており、静かですばらしい立地だ。マザー研修所に比べるとずっと明るく開放的なイメージを受ける。
「この施設をここに建てたのは、やはり地の利と広い土地があったことです。ウェストバージニア州には当時大変有力な議員がいて、その意向が働いたということもありますが、このすばらしい景観が一番の理由だと思います」
敷地内にはハクトウワシが2つがいも生息しているそうだ。でも、なぜ「保全(conservation)」に関する研修所が必要なのだろうか。日本では、「野生生物の保全」とか、「自然環境の保全」とか保全の対象があるものだが、アメリカでは「conservation(保全)」そのものが目的になっている。
「1990年代の初め、多くの若者が保全に興味を持ち、この世界に入ってきました。ところが、保全のコンセプト自体を理解することは容易ではありませんでした。スミソニアン博物館に行ったことはあっても、そこには西部の標本があるだけで、保全の思想はありません。西部開拓の歴史は利用(utilize)と絶滅(extinction)の積み重ねに他なりません。その意味で、アメリカでは、『なぜ私たちは、野生生物や魚類を保全しなければならないのか』ということがなかなか理解されにくいのです」
アメリカでは、まず国立公園のようなかたちで原生自然地域を政府所有地とし、開発の対象から除外した。
「国立公園にすることにより自然の『部分』は保護できるようになりました。ただ、この動きはごく一部の人々に支持されていたに過ぎず、国立公園以外の地域は、徹底的に開発されてしまいました。この国の多くの人々が保全活動に関心を持ち始めたのは、農薬など過度の化学物質による環境汚染がきっかけでした。まさに、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』出版の背景となった問題です。『このような過ちを二度と犯すべきではない』という人々が多くなりました」
そのような動きの中でウィルダネス法(Wilderness Act)も成立し、保護地管理にも新たな時代が到来した。しかしながら、保全政策にはまだまだ問題が山積しているという。
「この研修所は、保全に関する歴史、技術を身に付けるために必要な研修を実施するだけでなく、教材や教育プログラム、そして保全に関するあらゆる人のパートナーシップを構築する場でもあります」
だとすると、マザー研修所のような自然解説活動などに特化した研修施設とは相当性格が違う。
「学校に通う子どもたちが実際に野生生物保護区を訪れたり、野生生物に触れたりすることは難しいのです」
子どもたち向けにはそのような体験をコンピューター上でもできるようにしてあげることが必要だという。
「15、16歳になってくると、車、ファッション、ボーイフレンドなど誘惑が多くなります。そのような世代にも、少しでも保全へのつながりを持ってもらいたいのです。私たちが子どもの頃と違い、現在はずっと多くの子どもたちが都市で育っており、自然とのつながりが希薄になってきています」
FWSの職員研修
保全研修所は、もちろんFWSの職員研修も実施している。
「FWSの職員のほとんどは生物学の学士号を持っており、修士号を持っている職員も少なくありません。ですので、学術的なバックグランドはしっかりしています」
ところが、専門的な知識と仕事のスキルとは全く異なるものだと指摘する。
「外部関係者とのコミュニケーションや人間関係作り、問題解決、対立解消などのスキルは大学では教えてくれません。保全の分野で最も困難な問題は『人』により引き起こされるのです」
FWSは非常に幅広い業務を担当しており、職員数は全体で約8000名にも上る。
「このうち管理職のレベルまで昇進することになる職員には、必要な管理技術、戦略的な計画立案などを身に付けてもらう必要があります。この先5年間に局内で何人がリタイアするかを見定め、それに見合う幹部職員を養成することになります」
現在の幹部職員の多くはベビーブーム世代だ。今後3年間で幹部の実に4割が退官する予定だという。
「ベテラン職員はコミュニケーションに長けています。それに見合う職員を養成するために、短期実務研修【1】などを積極的に実施しています」
その他、中級管理職員を上級職員として養成するための、上級管理職プログラム(Advance Leadership Program)も行われているそうだ。
当然ながら、FWSの幹部職員は、民間、NGO、州政府職員、他の政府機関と常に連携や調整を行いながら仕事を進めていく必要がある。
「幹部職員が効果的に関与するには、例えば『木材会社と弁護士を交えて議論をする段階』では遅すぎるのです。対立が決定的になる前に調整する、それが私たちの重要な任務なのです。幹部職員には人間関係を築くための能力が求められます」
職員には、幹部職員向けとその他の一般職員向けのガイドブックが配布されている。
「ガイドブックには、ごく基本的な情報以外はほとんどが電話番号などのコンタクト先とその部署の概要で占められています。職員にコミュニケーションをとるための基本的な情報があれば、あとは職員が自ら問題を解決することができるはずです」
このような能力を養成することを目的として、研修にはいろいろな工夫が施されている。例えば、同じ研修コースにいくつかの異なる組織の職員を参加させ、その中で異なる意見や考え方を聞き、コミュニケーションをとる経験を積んでもらうということなどだ。
「研修にはアメリカの大手のNGOや民間企業なども参加します」
また、保全にはほぼ全ての分野が関係する。保全に関係する人材だけを養成しても、保全をめぐる状況を改善することはできない。
「そのため、保全とは直接関係のない海軍将官の研修を受け入れています。軍の幹部候補生たちは、将来世界のあらゆる場所でリーダーシップを発揮することになります。少しでも保全に理解のある人々が、20年後に幹部職員として活躍してもらいたいと願っているのです」
同様の目的のために、ボーイスカウト、ガールスカウトの団体にも使ってもらっているという。また、この施設では外部の組織が会議を開催することもでき、年間500〜600程度のイベントや会議に利用されている。デュポンや大手NGOであるTNC(ネーチャーコンザーバンシー)などが会場として使うことにより、このセンターがあらゆる分野の人々にとって保全に関係する研修の場となることを目指している。
「私たちは、とにかく人々にこのセンターに来て、使ってもらいたいと考えています」
最新技術の活用
保全研修所の会議施設の特徴は、施設のオートメーション化と様々なコンピューター技術を活用していることだという。それぞれの部屋に必要な機器が備え付けられており、タッチパネルなどですべての機器を操作することができる。
「初期費用はかかりましたが、技術革新によって将来のコストは低下していきます。もし機器操作のための職員を雇用すると、人件費は将来必ず上昇していくことでしょう」
FWSは施設の管理コストを削減しながら、予算的、人的資源を本来の目的である保全の理解推進に集中投下している。
「私たちが取り組んでいるのは、『認識を高めること』(built awareness)です。国立公園局は、実際に国立公園を訪問してもらい、自然を体験してもらうことを目的としていますが、私たちは必ずしも保護区を訪れてもらわなくてもいいと考えています」
いったいどういうことだろうか。
「FWSは野生生物を守ることを第一の目的としているからです」
国立公園が守る対象としている「地形」や「景観」と異なり、野生生物は時間帯や季節、さらにはその分布域などが限られているため、実際にその姿を観察することは容易でない。また、国立公園と比べて国立野生生物保護区を訪れる人は少ない。あまり大勢の人々が訪れるようになると野生生物の生息環境が影響を受けてしまう。
「野生生物に親しみ、野生生物保護に対する理解を深めてもらうための手段として、映像は欠かせないのです。近年、映像やIT技術が急速に進歩してきて、自ら映像を作成し、配布、配信することが容易になりました」
NCTCの特徴は、そのような技術革新のメリットを最大限活用しているところにある。
「このセンターには、AV教材、教育用パンフレットなどの教材を作成するために、グラフィックデザイナー、写真家、映像製作スタッフなどが勤務しています。撮影スタジオもあり、遠隔地教育のための教育プログラムを放送し、双方向コミュニケーションによる講義も行われています」
こうしたメディア関係の職員が勤務しているところはハーパースフェリーセンターとも共通しているが、NCTCでは動画やAV教材もつくれる。映像の編集はコンピューターにより自動化されている。
センター内には「イメージライブラリー(映像図書館;Image Library)」と呼ばれる施設があり、写真、映像などが保管され、必要に応じて配布されている。
「以前には想像できなかったことが可能になり、より多くの人々に野生生物の映像や私たちのメッセージを届けることができるようになりました」
私たちもライブラリーのカウンターで、サンプルとしてDVD数枚をいただいた。こうした映像等の教材は、国立野生生物保護区や関係部署、教育関係の施設などにも配布されるとともに、ウェブサイトなどを通して一般にも公開されている。
研修プログラム
NCTCの研修プログラムは、「研修コースカタログ」としてウェブサイトで公表されている。研修部門には、魚類(fish)、野生生物(wildlife)、保全(conservation)、技術(technical)、管理(leadership and employee management)の5つの部門が設けられており、それぞれ様々なプログラムが用意されているという。 「これらの研修には、FWSをはじめとする政府職員以外に、民間団体、海外などからも参加があります。幅広い人々が、野生生物資源の保全に関する理解を深めてもらうことが目標です」 研修プログラムの実施についても新しい技術を最大限に活用しているという。 「印刷物は重い上に、研修に参加していない人たちと共有することが困難です。私たちは、印刷物にも必ずCD-ROMを添付しています。こうして電子化しておくと、印刷した資料を持っていなくても、必要に応じて情報をダウンロードして使用することができます」
こうした研修資料を充実することには他のねらいもあるという。
「保全の研修はあまりにも分野が広いため、すべての分野について研修プログラムを組むことはできません。また、保全の分野では、GISの知識、コンピューターの活用など、常に新しい技術の習得が必要です」
保全研修所では、野生のサケ類を養殖場で孵化した個体と区別するための保全遺伝学など、専門的な研究についても研修を行っているそうだ。
「NCTCは職員数も少ないために、なるべく講義ベースではない方法により研修を行うことに取り組んでいます。ブロードバンド接続のある野生生物保護区や地域事務所では、より多くのウェブベースの研修プログラムを提供するようにしています。このような講座は『非講義型研修(non-class room training)』と呼ばれます」
保全に関する問題の解決は、対立する利害を有する関係者が、いかに共通点を見いだすことができるかにかかっているという。また、そうした能力を養成することがこの研修所の大きな目的になっている。
「私たちは知識の伝達よりも、参加者同士のコミュニケーションを重視しているのです。実際の成果としても、参加者同士のコミュニケーションにより得られるものの方が大きいと考えています。ここでは、1〜2週間の講義の約半分は、参加者によるディスカッションの時間に費やされます」
研修中、講義室以外でコミュニケーションを図る場所の確保にも気を遣っている。また、そうした環境に対する要望も高くなっているという。
「宿舎には個室の他に談話室を設けています。参加者間の親交を深める場として機能しています」
食堂にも工夫があるという。
「多人数を収容することのできる食堂は、コミュニケーションの上でも重要な場所です。天井には、吸音効果を高めるため細かい横木をはめ込んでいます。これにより、食事中の会話がしやすくなっています」
確かに、居酒屋などうるさい場所では、ついつい大声を出してしまう。話の内容も単純になるし、全員で同じ話題を共有することができない。食堂は、まるで小規模なコンサートホールのように、とても静かな印象を受ける。天井の音の反射を抑えることにより、静かな雰囲気が保てるというのだ。
食後にも会話が続けられるよう、バーやラウンジも併設されている。何ともうらやましい話だ。
「保全の問題を巡っては、多くの人々の利害が対立しています。利害や目的が異なる集団同士がいかに共存するか、意見の一致する点を見つけようと努力できるかどうかが重要だと思います。研修所として今後進めていかなければならないことは、専門的な教育よりも、むしろこのような妥協点や接点を見つけだすための能力や考え方だと考えています」
そのために教材を電子化し、できるだけ講義のための時間を省く。そして異分野とのコミュニケーションを学ぶための時間を確保している。
また、ここで忘れてはならないのは、魚類野生生物局の保全政策が、地域住民、NGO、民間企業との協力抜きには語ることができないということだろう。
「保全イーズメント【2】を効果的に実施するためには、いかに早くその土地を取得するかが鍵になります」
政府の予算プロセスは複雑で、土地所有者が売却したいタイミングと政府の土地の買い入れのタイミングとが合わないことが多い。政府の直接買い入れでは、どうしても民間デベロッパーに遅れをとってしまう。
「そこで、NGOが土地を先行買収するケースがあります。購入した土地は、後で政府が買い戻すのです」
以前は保護政策に反対していたような山林所有者も、最近は山林を売りたがっているという。
「木材の輸入量が増加し、山林の価値が低下しているのです。1960年代、70年代には様々な環境関係の法律が制定され、規制によって森を守っていこうとしてきましたが、現在は対立ではなく協力によって保全を実現していくことができる時代といえるのではないでしょうか」
こうした特長は、土地を確保し、厳しい規制権限を持つ国立公園局とは大きく異なる点だ。
レモン所長はさらに続ける。
「経済的な発展にしても、このペースではいずれ近い将来に行き詰まるでしょう。ゴミを埋める場所も少なくなり、エネルギーも枯渇しようとしています。私たちの生活を支える環境容量(carrying capacity)がどんどん小さくなってきています」
そして、アメリカの人々も、昔、自然に頼っていた生活に戻らざるを得ないと指摘する。
「自然と調和した生活様式に移行することは容易ではありません。ただ、保全というものを持続可能な形で実現するためには、避けて通れない道だと思います」
メディア部門
所長のインタビューのあと、センター内の主要な部署を案内していただいた。まず訪問したのがメディア(AV)部門だった。
メディア部門には映像制作のためのスタジオが設置されている。国立公園局のマザー研修所が実施している遠隔地研修システム(TELプログラム)も、この施設を使っているということだ。スタジオには編集設備が付属しており、6名の技術者が勤務しているという。そのうち3名は映像担当だ。
スタジオでは、魚類野生生物局と各国立野生生物保護区のための研修ビデオや一般来訪者向けの映像教材を作成している。1本あたり500本以上をコピーする場合には外注するが、それ以外はすべて自前で複製するそうだ。VHSであれば、汎用のビデオデッキを用いたダビング装置により一度に15本ダビングできる。汎用型のケースにカラー印刷したラベルを挿入して、外箱への印刷経費を節約している。言われてみなければわからないほどの完成度の高さだ。やはり専門のデザイナーが勤務している強みはこういうところにも現れている。
(ミュージアム)
保全研修所には付属のミュージアム(小規模な博物展示施設)がある。室内に入ってみると、雰囲気は倉庫のようだったが、専属の学芸員が数名勤務する本格的なものだ。クマの剥製や書類などが室内のいたるところに展示してある。キャビネットの中にもぎっしり資料が詰まっている。中国風の不思議な彫刻のようなものが多い。
「これは、空港で没収された象牙類です」
FWSは、ワシントン条約関係の輸入規制も担当しており、空港での輸出入の取り締まりも業務の一つだ。没収した禁輸品の一部が広報用に展示されているそうだ。
「これも大切な展示品なんです」
学芸員が大振りな拡大鏡を持ってきてくれた。聞くとレイチェル・カーソンが使用していたものだという。
「事務用品も国の財産なので、彼女がFWSを去る時に置いていったのです」
レイチェル・カーソンは、水生生物学者としてFWSの前身である漁業局に採用された。当時は女性がカーソン氏を入れて2名しかいなかったそうだ。さらに驚くべきことに、女性蔑視や迷信がまだ強く残っており、女性は調査船にも乗れなかったという。水生生物学者でありながら船に乗れないということは、彼女の専門家としての将来を絶望的なものとしたことだろう。
ところが、この障壁が思わぬ方向に彼女を導くことになった。
「そこで、彼女は調査結果を分析し、文章化するエディター(執筆者)の業務を担当することになったのです」
彼女はFWSにいる間、保全や野生生物の必要性を広く一般の人々に伝えるため、精力的に執筆活動を行ったという。
「『沈黙の春』はあまりにも有名ですが、彼女がFWS職員時代に担当した、『conservation in action(動き出す保全活動)』は、1960年代以降大きな盛り上がりを見せた保全活動に、かなり早い段階から着目し、発信していたということでしょう」
この冊子のシリーズは訪問当時もFWSのウェブサイトで公開されていた(現在はリンクが切れているが、FWSデジタルライブラリーからダウンロードが可能)。専門的なFWSの野生生物の保全活動をわかりやすく表現したはじめての取組といえる。このほかにも彼女は様々な雑誌などの記事に登場し、保全活動の大切さを直接国民に訴えかけるメッセンジャーとしての役割を果たすことになった。
「1945年、新たな殺虫剤としてDDTが発売されました。カーソンを含め、生物学者の中には生態系への影響を危惧する者も少なくありませんでした。ただそれを表明することで、農薬を製造している企業からは強い反発が起こることも予想されました」
レイチェル・カーソンもそのような専門家のひとりだった。誰かがその危険性を訴えなければならない。だが、それには大きなリスクが伴う。農薬を製造販売する巨大企業の反発は、様々な形でFWSにも及ぶだろう。
「それでも彼女は、DDTの危険性を訴えることを決心したのです」
レイチェル・カーソンは比較的広い農地や資産を持っており、仮に辞職に追い込まれても自分ひとりが食べていくには困らない状況にあった。周囲の男性職員の多くにはそうした財産がなく、養うべき家族もいる。残念ながらそのようなリスクは犯すことはできない。FWSの上司にも相談したものの、組織にも様々な政治的圧力がかかっており、彼女を支えることはできない、という回答が返ってきたという。
こうして、1952年、レイチェル・カーソンはFWSを辞職し、執筆活動に専念することとなる。そして1962年、ついに『沈黙の春』の出版に成功した【3】。
1935年:漁業局臨時職員として採用
1936年:同初級水系生物学者として採用(当時女性は2人のみ)
1943年:FWS水系生物学者(後にエディター長)
1945年:DDT発売
1952年:辞職
1962年:『沈黙の春』出版。環境保護(conservation)運動が一気に盛り上がる。
1964年:56歳で死去。ウィルダネス法成立
1965年:『センス・オブ・ワンダー』出版
1967年:大気浄化法(Clean Air Act)成立
1969年:国家環境政策法(NEPA)成立
1970年:環境保護庁(EPA)創設
1973年:絶滅危惧種法成立
1978年:レッドウッド国立公園拡張
1980年:アラスカ重要国有地保全法成立
(環境保全活動)
レイチェル・カーソンは1964年に没してしまったが、彼女の著書『沈黙の春』はアメリカ、そして全世界の環境保全活動に大きなうねりを巻き起こした。急速な化学工業の発達に、汚染物処理対策が追いつかず、多くの先進工業国において公害問題が発生してしまっていた状況とも重なる。
当時の政権党であった共和党もそのような動きを無視できず、大気浄化法(Clean Air Act)や国家環境政策法(NEPA)などの歴史的な法律を次々と打ち出していくこととなった。
彼女の勇気ある行動がなければ、『沈黙の春』は出版されず、環境保全対策もさらに遅れ、これほどの力を持つことはなかったかもしれない。
FWSは、レイチェル・カーソンが組織を去らなければこうした画期的な著述ができなかったことを反省し、こうした業績をたたえ記念するための保護区を設立している。
- 【1】短期実務研修(details)
- 局内の現地事務所などに派遣して実務研修を行わせる制度。数週間から数か月まで派遣期間には幅がある。
- 【2】保全イーズメント
- 第26話参照
- 【3】『沈黙の春』
- レイチェル・カーソン関係の書籍にあたると、『沈黙の春』執筆の経緯について、これとは異なる記述があるが、本稿においてはFWS職員のインタビューの内容に基づいて記述しています。
妻のひとこと
ワシントンDCへ
マザー研修所にインタビューにお邪魔してから魚類野生生物局の国立保全研修所(NCTC)まで、1週間弱も同じホテルに泊まっていました。保全研修所のインタビューを終えて、私たちはいよいよ最後の研修地、ワシントンDCに向かうことになりました。新しいホテルは部屋も広く、朝食も充実していました。たまっていた洗濯物もようやく片付きました。
研修所からワシントンDCへはインターステートを利用しなくても2時間弱の距離でした。来るときに経験したこのあたりのインターステートの混雑とスピードを思い出し、私たちはゆっくり普通の道路を通ることにしました。
研修所を出てしばらく丘陵地帯を通るカントリーロードを走ると、あっけなく郊外型の住宅地に入りました。片側2車線のまっすぐな道路を走っていると、あっという間にDC郊外のヴィエナという町に入りました。ここは、1年数ヶ月前にはじめてワシントンDCに来た際に泊めていただいたN書記官のお宅のあるとことです。
Nさんは帰国され、後任のH書記官一家が住んでいました。私たちはHさん宅に泊めていただき、そこから魚類野生生物局が用意してくれるボランティアアパートに入居することになりました。奥様の手料理の日本食と、暖かいもてなしに、徐々に2回目の横断の緊張がほぐれていきました。
この記事についてのご意見・ご感想をお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。
なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。