No.027
Issued: 2010.10.07
マンモスケイブ再訪
デンバーを出発し、高速道路インターステート70号線をひたすら東へ向かう。コロラド州からカンザス州、ミズーリ州、イリノイ州などを横断する。今まで経験したことのない、内陸の大平原だ。途中、グレートプレーンズの穀倉地帯を通過する。この豊かさがあったからこそ、西部開拓前には6,000万頭ともいわれるアメリカバイソンが生息していたのだろう。
ミシシッピー川を渡れば、もうすぐケンタッキー州だ。徐々に紅葉したオークの森が多くなり、起伏の多い懐かしい石灰岩地形が現れる。
デンバー出発
一連のインタビューを終え、次の目的地、マンモスケイブ国立公園をめざす。フォートコリンズを含め、デンバー周辺での滞在は全体で1週間ほどになった。
デンバーの市街地を出ると、道路の両側には平坦な乾燥地が広がる。マンモスケイブ国立公園はケンタッキー州にあり、そこまで、カンザス州、ミズーリ州、イリノイ州、インディアナ州の各州を東へと横断していく。
カンザス州に入ると、両側に牧草地や農地が広がってきた。小麦畑、トウモロコシ畑、牧草地と、豊かな穀倉地帯が広がる。これが農業国アメリカの穀倉地帯、グレートプレーンズなのだろうか。ちょうど東海岸と西海岸の真ん中あたりを走っているはずだ。高速道路からは集落らしきものは見えず、文字通り地平線まで農地が続いている。どこまでいっても同じ風景が続くような錯覚にとらわれる。景色が単調で眠くなるほどだ。時折、等高線に沿ったかたちで作付けが行われている畑があり、作物の列がまるで立体の地形模型の等高線のように波を打って続いている。途中ものすごい濃霧に包まれたりして、大陸内陸部の気象現象のスケールに驚かされた。
カンザスシティーは大都市だった。早朝のうちに横断しようとしたが、運悪く通勤ラッシュに巻き込まれ、ジェットコースターに乗っているようなスリルを味わうことになった。走っている車はほとんどウィンカーを出さず「自由に」車線変更する。
「今の車の運転手、お化粧してたわよ」
妻が驚きの声を上げる。停まっている車ではない。ひどい運転をしていたので、追い越す際に見てみたのだという。雑誌を読んでいる男性ドライバーもいた。当然、運転しながら朝食を食べているドライバーはざらにいる。
ミズーリ州に入ると、道路脇には集落も増えてきた。地形の起伏が大きくなり、少しずつ山がちになってくる。オークの樹林も多くなってきた。セントルイスを通過するのも一苦労だった。
ようやくセントルイスの外周道路を走り抜けるとミシシッピー川が現れた。おどろくほど川幅が広い。川にかかる巨大な鉄橋をゆったりと走って米国東部に入る。昨年テキサス州の手前でこの川を渡ってから、本当に長い間旅してきたと感じる。
アメリカの国立公園の歴史は、このミシシッピー以西の広大な土地を合衆国が手に入れたことが出発点になっている。私たちの旅は、ルイスとクラークが西部を探検してから200年後、便利な自動車によるものだった。それでも、このミシシッピー川以西には、今でもすばらしい自然環境が残されていることが実感できた。
ケンタッキー州到着
ミシシッピー川を渡るとイリノイ州だ。通行する車両台数がぐっと減り、両側には鬱蒼としたオークの森が続く。一部に赤く紅葉しているのはメープルだろうか。
ケンタッキー州に入る手前でインディアナ州の南端をかすめる。地形は比較的平坦だ。黄葉したオークの林の間に石油の汲み上げ井戸がところどころにある。ケンタッキー州には西の方から入るかたちになった。雨が降っていて、道路両脇の森はいかにも晩秋のケンタッキーらしい、暗く落ち着いた雰囲気をたたえている。カントリーロードは、石灰岩地方に特有の緩やかなアップダウンを繰り返す。
道の左右には、農場のバーン(納屋)や牧草地が見える。農場の中にあるため池は、シンクホールというすり鉢状のくぼみに水がたまったものだ。週末がハロウィーンなので、家々の玄関や庭にはカボチャや干し草で人形やデコレーションが飾ってある。一軒一軒工夫を凝らしている。
大統領選挙の直前で、(当時の)民主党の「ケリー」候補と共和党の「ブッシュ」候補への投票を呼びかける看板があちこちに立っていた。
帰ってきた!
マンモスケイブ国立公園には北西端のゲートから入る。公園の南側のゲートが「正面玄関」だとすると、こちらは「勝手口」だ。周囲は石灰岩台地の景観をよくとどめており、雰囲気がいい。車が少ないので、ゆっくりと車を走らせる。
まずは、ホーチンズフェリーを訪問する【1】。あいにくその日、私たちの釣りの師匠であるアーバートさんは非番だった。久しぶりのフェリー駐車場には、以前と同様、釣り用のボートを牽引してきたトラックが停まっていた。
道路の両側はあいかわらずきれいにモーイング(芝刈り)されている。さすが“ブルーグラスステート(青草の広がる州)”ケンタッキーだ。また、それは、この国立公園がこうした管理のための予算と人員を十分に有しているということも意味している。道端の芝生では、七面鳥の一団が出迎えてくれた。
この日はビジターセンターなどには立ち寄らず、公園を通り抜けて、ホテルのあるケイブシティーへ向かう。ケイブシティーはマンモスケイブ国立公園のゲートシティーの1つで、ホテルも多い。
公園のメインエントランスは大幅に改修されていた。前所長が進めていた大規模なリニューアル工事の成果だ。驚いたことに、道路自体が付け替えられていて、それまで優先されていた通過車両より、公園内に進入する車両が優先されている。このあたりにもフィープログラム【2】の特徴がよく現れている。フィープログラムは入場料収入の一部を利用施設の整備などに充てるという制度で、これにより公園施設の整備が促進されたが、その一方で施設の過剰整備や利用促進への偏重なども懸念される。
国立公園訪問
翌日、かつての職場の科学・資源管理部門を訪れる。懐かしい建物に入ると、いつものように受付のジュディーさんがいる。何気なく声をかけると、少しぽかんとしてから、
「あらどうしたの? カリフォルニアから帰ってきたの?」と質問攻めにあう。その声につられるように、科学・資源管理部門の職員が集まってきた。私たちにとってはつい先日のことのようだが、マンモスケイブでは確実に10ヶ月間の月日が流れていた。
上司だったブライスさん【3】の部屋に顔を出す。
「見つかったバターナッツは60本になったよ」
ブライスさんがうれしそうに報告してくれた。私たちも立ち上げを手伝ったプロジェクトだ【4】。今でもその樹木の樹皮がまぶたに浮かんでくる。森の中を探し回ったものだ。
「1本ずつ、ワタルとモモコの木を決めたんだ」
樹木は1本ごと、GPSの位置情報で管理されている。そのデータの備考に名前が入力されているそうだ。残念なことに、モモコの木は夏の台風で幹が折れてしまったらしい。
「今年は寒くてハリケーンの被害も多かった。クルミの量も少ないんだよ」
ニューオリンズなどではハリケーンカトリーナの被害もあって、夏の天候は大荒れだった。クルミなどのナッツ類が少ないと、リスやシカの越冬が大変かもしれない。
「少し英語が上手くなったみたいだなあ」
お世辞交じりに褒めてもらった。決して流暢な英語ではないし、かなり文法や発音もいい加減だ。それでも、レッドウッドでの「主張しなければ損をする」、そんな環境と多くのインタビューにより、英語を話すことに抵抗を感じなくなっていたのは確かだ。
今回の訪問では、レッドウッド国立州立公園について発表させてもらう機会をいただいた。GIS専門官のリリアンさんが、私たちのプレゼンテーションの世話をしてくれた。
「明後日のお昼に予定しているの。レッドウッド国立州立公園の話、楽しみにしているわ」
プレゼンの当日、会場となった休憩室はぎゅうぎゅうだった。そこにジェシーさん【5】も来てくれていた。普段この建物にはあまり入ってこないメンテナンスの職員なので、ちょっと居心地が悪そうだったが、プレゼンはしっかりと見てくれていた。
帰りがけ、懐かしいボランティアハウスを覗いてみる。人影はなかったが、きれいに整頓されていた。おそらく、リタイア組のボランティアが入っているのだろう。学生ボランティアではこうはいかない。
公園を出た後、ボランティアコーディネーターとして大変お世話になったメアリーアンさん【6】のお宅を訪問した。ご主人のリーさんもマンモスケイブ国立公園勤務で、お二人で私たちの世話を焼いてくれていた。現在は悠々自適のリタイア生活だ。以前と同じように、立派な門と長いアプローチ道路の奥に白くて大きな建物が建っていた。
「モモコ、ワタル、レッドウッドはどうだった?」
庭にいたリーさんが出迎えてくれる。家の中からはメアリーアンさんが出てきて招き入れてくれた。
「ちょうど週末のハロウィーンの準備をしていたの」
見れば、いろいろなプレゼントと包装紙がテーブルの上に広がっている。プレゼントと言っても、こうして自分でラッピングしたりメッセージを添えたりと大変そうだ。
「馬を見せてもらってもいいですか?」
リーさん自慢の馬を見せていただく。私たちがいたころに生まれた子馬も大きくなっていた。
「ワシントンDCからもそれほど遠くないよ。また遊びに来なさい」
マンモスケイブからワシントンDCまではアメリカ人からすればそれほど遠くはない。ただ、いったんDCで研修を始めてしまえば、帰国まであっという間に過ぎてしまう。これから厳しい冬に入る。もう帰国前にはお会いできないだろう。
ところで、リーさんもメアリーアンさんも、日本で言えば公務員だった。リーさんはかつて国立公園ユニットの所長(superintendent)も勤めた上級職員ではあるが、それでも、退職後これほど広大な邸宅を手に入れることができるというのは、やはり驚きだ。さらに、最後は2人とも自宅に近いマンモスケイブという「職場」で勤務して退官を迎えている。待遇もさることながら、こうした人事上の配慮なども組織のスケールメリットなのだろう。
カブの味噌汁
翌日は、いよいよ釣りの師匠、アーバートさんの家だ。
「どう、かわいいでしょう?」
奥さんがお孫さんの写真を見せてくれる。私たちがレッドウッドに出発する直前に生まれた子だ。もうだいぶ大きくなっている。この孫のために家のカーペットを張り替えたり、家具をいじったりして模様替えまでしたそうだ。
「ちょっと散歩しないか?」
以前も案内してもらった広い庭と牧場を見せていただく。牧場は石灰岩のなだらかな地形上にあり、青々とした牧草をたたえている。相変わらず、時々繰り出されるジョークにはまったく歯が立たないが、今回は話を理解する余裕がでてきた。切り返すことはできなかったものの、時々いいタイミングで笑うことができるようにはなったように思える。
畑に来ると、奥さんが、
「ターナップ(カブ)がたくさんできたのよ」
と、うれしそうに教えてくれた。立派なカブがたくさんできていて、おみやげにも持たせてくれた。
アーバートさんは、国立公園の職員としては、いわゆる「労務賃金体系」に属する職員であり、前出のリーさんのような幹部職員や一般のパークレンジャーなどとは給与体系が異なる。奥さんは専業主婦である。家はこじんまりした平屋でそれほど大きな構えではないが、馬数頭とボートを持ち、さらにかなり広さの牧場を持っている。少なくとも、退官を前にして既に生活の基盤は十分に確立しており、かつプライベートも充実しているように見える。
こうしてリーさんとアーバートさんのケースを見てみると、国立公園局の職員は、その職種はどうであれ公私共に充実した人生を送っているように見える。日本でも最近「ワークライフバランス」ということばが聞かれるようになったが、これらのケースは単にバランスがとれているばかりでなく、それぞれがwin-winの関係で成り立っているようだ。このような職員の人生設計に国立公園局がどのように関与しているのか、残り少ない研修期間中に調べてみたいと感じた。
遅くならないうちにお宅を後にする。ふと、アーバートさんがいつも飲んでいた「スキー」という飲料【7】を思い出し、スーパーで購入した。天然のオレンジやレモンの果汁の入った炭酸飲料で、なぜかカフェインが入っている。おとなりのテネシー州にある会社が作っており、この地域特有の飲料だ。カロリーとカフェインが少しだけ気になるが、すっきりとしておいしい。
この夜の夕食は、アーバートさんの畑からもらってきたカブが味噌汁になった。久しぶりにたくさん野菜をとることができた。
週末の散策
せっかくなので、国立公園内の歩道を散策する。オークの森は晩秋を迎え、すっかり葉を落としていた。私たちは、ビジターセンターの奥の方にあるグリーン川展望台に行ってみた。歩道を歩いていると、オジロジカが顔を見せる。グリーン川は以前と同様ゆったりと森の間を流れていた。
アメリカの大統領選挙
ホテルの近くに公民館のような施設があり、その施設の駐車場では、毎週末ファーマーズマーケット(朝市)が開催される。新鮮な野菜が安く購入できるとあって、地元の人たちでにぎわう。マンモスケイブを発つ日の朝、地図を確認するためたまたまこの公民館の駐車場に車を停めた。ちょうどその日は大統領選挙の投票日で、早朝にもかかわらず建物の前には長い列ができていた。並んでいるのは、皆退職後の高齢者で、皆きれいな身なりをしている。まるで日曜日に教会の礼拝に集まるようだ。ご夫婦で並んでいる人も珍しくない。一方で、ファーマーズマーケットに来るような若い世代はほとんどいない。大学生のような若者に至っては1人も見かけなかった。
新聞などでも、若者や働き盛りの人たちの選挙離れがたびたび報道されていた。ただ、こうして投票の様子を目の当たりにすると、以下のような揶揄もまんざらではないのではないかと思えてしまう。
「このあたりではブッシュが強い。それは若い人が選挙にいかず、高齢者だけが投票しているからだ。高齢者の心配の種は、いつまでたっても自立しない頼りない息子のことだ。それがブッシュに重なる。ブッシュへの支持は、彼を支えるしっかり者のローラ夫人と、アメリカの伝統的な母であるバーバラ・ブッシュへの同情票なんだ」
真偽は別にして、確かに、この地域の若者が政治にあまり興味がないことも理解できる。社会は安定していて生活環境が恵まれている。黒人社会を除けば貧困や差別の問題もない。ここは、カリフォルニア州ほどには貧困が顕著ではない。
一方、アメリカの政治は常に大きく動いている。また、それは様々な面で生活や社会の制度に影響を与えている。国立公園も例外ではなく、予算の逼迫とそれを補うためのフィーマネー(公園入場料などの収入に基づく特別会計予算)の導入などにより確実に変化しつつある。若い世代の政治離れは、アメリカ民主主義の変質のひとつの表れなのだろうか。また、それは今後の国立公園の運営にどのような影響を及ぼすのだろうか。
マンモスケイブの見所
ここで、以前ご紹介できなかったマンモスケイブ国立公園の見所をご紹介したい。
乗馬
マンモスケイブ国立公園では、夏の間だけ乗馬ツアーを楽しむことができる。民間の業者が公園の特別利用許可(special use permit)を取得して営業している。業者は公園に隣接した土地を購入して厩舎を構えている。利用者はそこで乗馬の基礎を教わってから公園内のホーストレイルへと入っていく。
このトレイルは、森の中をなだらかな上り下りを繰り返しながら周回して同じ入り口に戻ってくる。緑の中をゆったりと馬に乗って回るのは、とても気持ちがいい。馬もきちんと調教されているので、初心者でも心配はいらない。業者と公園との契約は、ホーストレイルの維持管理も含まれているということだ。
カヌー
マンモスケイブ国立公園の中央を東西に流れるグリーン川には適度に瀬があり、カヌー下りにもってこいだ。公園の入り口近くに業者がおり、カヌーのレンタル、運搬を行ってくれる。
ガイドを依頼することもできるが、カヌー経験者がいれば春から秋にかけての天候と水量が安定している日を選んで自分たちで十分安全に下ることができる。お弁当を持って行けば、普段行けないような川の中洲でピクニックなどもできる。川からは、両岸に続くきれいな河畔林を眺めることができ、アオサギ、カワセミなどの鳥を間近に見ることもできる。
グリーン川フェリーの横からは、コンセッション業者が運行する観光船(グリーンリバーフェリー)が発着している。手軽に国立公園を川から楽しみたい場合などにはおすすめだ。
マンモスケイブ国立公園からの日帰り旅行
日本では、ケンタッキー州はあまり知られていない。おそらく、「ケンタッキーフライドチキン」のふるさとというのが一番わかりやすいだろう。お酒の好きな人や競馬ファンにとってはもう少し身近かも知れない。なお、奴隷解放に貢献したリンカーン大統領はケンタッキー州出身だ。
ケンタッキーフライドチキン
ケンタッキーフライドチキン(KFC)の本社は、ケンタッキー州北部の都市ルイビルにある。アメリカ人はあまり訪れないようだが、個人的にはかなり気に入った観光スポットだ。
本社には、創始者、カーネルサンダース氏の執務室がそのままに保存されている。ロープなどもなく、自由に「社長のイス」に腰掛けることができる。アメリカでは滅多に見ることのできないカーネルサンダース人形もある。一説には、各店舗に人形が置かれているのは、日本と韓国ぐらいだそうだ。
本社の地下にはカンパニーショップがあり、カーネルおじさんのTシャツなど、キャラクターグッズがたくさん売られている。
競馬
ルイビルにはチャーチルダウンズ競馬場という大きな競馬場があり、毎年5月の第一日曜日、世界的に有名な「ケンタッキー・ダービー」が開催される。博物館が併設されており、レースのない日でも競馬場内のガイドツアーに参加すれば場内や厩舎などを見学することができる。
その他、ルイビルには野球のバットを製作している工場があり、見学ツアーなどもある。
さらに、ルイビルから少し南下したレキシントンにも競馬場がある。こちらは大変美しい牧場風景の中にあり、シニックウェイ(文字通り「景観のよい道路」)を車で回ると、なぜケンタッキー州が「グリーン・グラスステート」と呼ばれているか実感することができる。レキシントンにはホースパークと呼ばれる大きな公園があり、いろいろなアトラクションを楽しむことができる。なお、この公園の駐車場やエントランスのつくりは、日本の東京都立川市にある国営昭和記念公園に似ていて興味深かった。
バーボンウイスキー
ケンタッキー州にはトウモロコシ畑が多いそうだ。そのトウモロコシを原料に、内側を焦がした独特の樽で熟成するのがバーボンウイスキー、略して「バーボン」だ。なぜ、ケンタッキーはバーボンをたくさん作っているのか聞くと、次のような答えが返ってきた。
「昔ケンタッキーは僻地だったから、トウモロコシより『液体』の方が運びやすかったのさ」
ところが、この地域は敬虔なクリスチャンが多く、アメリカの「バイブルベルト」と呼ばれることもある。バーボンのような強い蒸留酒を飲む習慣が一般的でないことはもちろん、「ドライ・カウンティー(郡)」と呼ばれる、お酒の売られていない自治体も少なくない。私たちの住んでいたエドモントンカウンティーも「ドライ」だったので、スーパーなどではビールすら売られていなかった。
酒類の販売が許可されているカウンティーでも、日曜日はお酒のコーナーにカーテンがおろされている。レジに持って行っても売ってくれない。しかも、スーパーではビールくらいしか売っていない。ワインやウィスキーなどを買うには、専門の酒屋に行く必要がある。そのような店は軒数も少なく町外れにあって、どことなく後ろめたい雰囲気を感じさせる。バーボンの産地ケンタッキー州の意外な横顔だ。
一方、この地方のバーボン蒸留所にはそれぞれ特徴がある。日本でもよく知られている銘柄も少なくない。さらに都合がよいことに、こうした醸造所は比較的近くに固まっているのだ。ガイドツアーやビジターセンターのある工場もある。蒸留所めぐりのパンフレットもある。
私たちは、ジムビーム、メイカーズマークといった日本でも名の知られている工場を訪問した。3回ほど訪れたメイカーズマークの工場は木造の落ち着いた雰囲気で、黒く塗られた外観に、赤い窓枠が鮮やかだ。この赤色は、バーボンのボトルの栓を固めるロウと同じ色だ。
工場の見学ツアーもあり、原材料から発酵、蒸留、樽での熟成、ボトル詰め、ロウ付けの各作業過程を見学することができる。また、実際にロウ付けを体験することができる。売店でまだロウ付けされていない小瓶を購入し、自分でどろどろに溶けたロウで封をすることができる。いい記念になるのだが、なかなかそのロウを切って栓を開けることができない。
リンカーンを記念する公園
メイカーズマーク蒸留所に行く途中、何気ない田舎道沿いには、リンカーン元大統領が幼少の頃を過ごした家が大切に残されている。国立公園局が管理しており、常駐の職員までいる。リンカーンのお父さんは篤農家で、お金をためながら少しずつ大きな農場を手に入れ、あちこち転居していたそうだ。家だけでなく、当時使われていた農地も残されている。
【ノブクリーク、アブラハムリンカーン幼少時代の家】(後述する国立歴史公園の一部(飛び地))
リンカーンは貧しい農家に生まれ、独学で学問を修め、そして強固な意志と実行力により奴隷を解放し、南北戦争を戦い抜いた。まさにアメリカンドリームの体現者であり、アメリカの民主主義の象徴といえる。それが実感できるのが、「リンカーンバースプレイス」だろう。文字通り、リンカーン元大統領の生誕地だ。
この公園地も国立公園局が管理しており、駐車場脇には立派なビジターセンターがある。内部にはレクチャールーム、レンジャーのいるカウンター、展示スペース、そして売店などがそろっている。売店では絵ハガキの他、「リンカーン」「地域の文化」「奴隷解放」「南北戦争」などに関する様々な図書や、他の国立公園のガイドブックなども販売されている。
【アブラハムリンカーン生誕地国立歴史公園(ケンタッキー州)】
ビジターセンターを出て公園の中を進むと、白い大きな神殿のような建物とそこに続く長い階段が現れる。階段を上り、中をのぞくと、木造の小屋がそのまま展示されている。リンカーンが生まれ、そして幼少時代を過ごした家だ。小屋は一部屋だけの質素なつくりだが、柱や壁に使われている木材は立派だ。当時、この周辺の森林資源が豊かだったことが伺われる。また、小屋といっても天井が高く部屋の内部も広々としている。
皇族や王族のいないアメリカにとって、リンカーンは人種を超えた民主主義の象徴的存在なのかもしれない。また、そのような国をひとつにするようなイメージを維持し、後世に引き継いでいくことが、国立公園局が担うミッションといえるだろう。
これらの充実した展示は、アメリカ人のルーツや伝統を学ぶいい機会になった。現代の経済活動こそ、典型的な大量生産大量消費の形態をとっているが、人々の間には、まだリンカーンが生まれ育った頃の質実剛健な文化が引き継がれていることを感じる。
ケンタッキーでは、テレビなどのマスメディアに氾濫する超巨大企業による経済活動と、一般のごくまともな日常生活や良識とのギャップをいろいろな場面で目の当たりにした。
アメリカ式の民主主義はこうした歴史と比較的まともで独立心の強い市民層を持つ国だからこそうまく機能するものであり、日本や他の複雑な歴史を持つ国にそのまま移植しても、なかなか上手くいかないのではないかとも感じた。一方、そのアメリカの民主主義がひとつの曲がり角に差し掛かっていることも確かであり、それは若者離れの進むアメリカの国立公園の抱える問題にも共通しているといえる。
シボレーコルベットの工場
マンモスケイブから車で30分程のボーリンググリーンには、日本でも有名なスポーツカー、シボレーコルベットの工場と博物館もある。
- 【1】ホーチンズフェリー
- 第4話「マンモスケイブ国立公園での生活」
- 【2】フィープログラム
- 第6話「フィー・プログラム」
- 【3】ブライスさん
- 第3話「ボランティア開始」
- 【4】バターナッツ調査
- 第5話「マンモスケイブ国立公園の夏」
- 【5】ジェシーさん
- 第4話「マンモスケイブ国立公園での生活」
- 【6】メアリーアンさん
- 第2話「受入れ先決定〜マンモスケイブ到着」
- 【7】アーバートさんがいつも飲んでいた、この地域特有の炭酸飲料「スキー(Ski)」
- スキー(Ski)(Wikipediaより)
<妻の一言>
■アーミッシュのジャム
今回のマンモスケイブ訪問では、ぜひアーミッシュの手作りジャムを購入したいと思っていました。そのジャムは、以前カリフォルニアに向けてマンモスケイブを離れる際、アーバートさんの奥様のキャロリンさんにいただいたものです。
アーミッシュ(Amish)は、もともとはオランダから来たキリスト教徒の移民で、300年以上前の移民当時とほぼ同じ自給自足の生活を送っています。家も自分たちで建ててしまいます。電話は集落に一つしかないそうです。
ペンシルベニア州が有名ですが、マンモスケイブ国立公園の北側にもいくつかの集落があります。男性はヒゲを生やし帽子とオーバーオールを着用しています。女性は頭巾をかぶり、スカートをはいてエプロンのようなものを着用していることが多いようです。移動には車ではなく、馬車を使います。
いくつかアーミッシュか経営するお店もあります。自給自足とはいえ、日用品や材料の購入、病気治療などのためには現金が必要なため、手作りの品を販売しているそうです。また、手工芸品や裁縫に必要な材料、工夫すれば使える半端品なども並んでいて、これらアーミッシュの人たち向けではないかと思います。
私はまず、お目当てのジャムを買いました。ワシントンDCや、これからのインタビュー先へのお土産も見込んで大量に購入しました。気がついたら、ダンボール2箱分にもなっていました。種類も豊富で、ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリーなどに、それぞれ大きいサイズと小さいサイズがあります。人気のラズベリーは余り数がありませんでした。主人は、バーナーが2口の携帯ガスコンロの本体を見つけ、大喜びでした。半端品でしたが、新品で4ドルという破格の値段です。
木のおもちゃもありました。トラックやトラクター、木のかご、子ども用のおもちゃなど、おもしろそうなものがいっぱいありました。
レジに行くと、中学生くらいのかわいい女の子が計算してくれます。日本人の来店に少し緊張していたようです。笑顔なども初々しく、とても気持ちよく店を出ることができました。普通のアメリカ人の子どもだと、せいぜい小学校低学年までしかこのような雰囲気はないような気がします。テレビやインターネット、ゲーム機などのない世界で子どもたちはすくすく育つことができるのかもしれません。
■リーネルさんとのランチ
週末、ブライスさんとお母さんのリーネルさんに昼食に誘っていただきました。リーネルさんは元学校の先生で、とても明るく素敵な方です。ご自宅のあるグラスゴーの近くの公園にあるレストランに、「ホットブラウン」という料理を食べに行きました。食パンにチーズとベーコンをたっぷりかけてオーブンで焼いた料理です。この店のホットブラウンは評判だそうです。
公園内のダム湖には釣り船などが浮いていて、ゆったりとした大きなバンガローも並んでいます。夏休みシーズンには相当にぎわうのではないでしょうか。
食事のあと、リーネルさんのお宅にお邪魔しました。昨年レッドウッド国立州立公園に行く前にもクリスマスランチにお招きいただいたことがありました。その当時、まだご主人のピートさんはお元気だったのですが、私たちがカリフォルニアに行っているうちに急逝されてしまいました。ピートさんは物静かで優しい方で、地域の墓地の調査をライフワークとされていたそうです。その資料が書架にずらっと並んでいました。
お嬢さんには、日本人の親友がいらっしゃるそうで、私もいろいろ気にかけていただいていただきました。帰りがけに、また来ることをお約束したのですが、結局帰国までにもう一度お邪魔することはできませんでした。
この記事についてのご意見・ご感想をお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。
なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。