No.169
Issued: 2009.10.22
小笠原諸島の世界自然遺産登録を目指して 実録・環境省レンジャーものがたり(第5回)
「世界自然遺産」とは
小笠原諸島の世界自然遺産登録に向けて、先月(9月)末、日本政府は世界遺産委員会事務局に推薦書(暫定版)を提出しました。
テレビやマスコミ等でも世界遺産がよく紹介されていますが、そもそも「世界遺産」とは何なのでしょうか。
世界遺産は、人類全体の世界の遺産として、世界遺産条約に基づき登録されているもので、文化遺産と自然遺産、複合遺産に分かれます。
日本の世界遺産の登録状況は、文化遺産が日光の社寺、姫路城、原爆ドーム等の計11か所、自然遺産が屋久島、白神山地、知床の3か所で、文化遺産と自然遺産の両面の価値を有する複合遺産は、現在のところありません。世界中の登録件数でも、複合遺産の数はとても少なく、また文化遺産に比べ自然遺産の数が少ない傾向があります。
世界遺産へ登録されるためには、遺産価値のクライテリア(評価基準)である(1)地形・地質、(2)生態系、(3)自然景観、(4)生物多様性の1つ以上(ただし、自然景観を含む場合は2つ以上)に合致する、顕著で普遍的な価値を有することが条件となります。いわゆる世界でナンバーワンの価値をもっていること。これに加えて、国内の法律などにより、評価される価値の保護・保全が十分に担保されていること、さらに、関係行政機関、団体が連携・協力を図り、適正に管理しながら事業を進める基本方針を示した管理計画を有すること等の条件を満たすことが必要とされています。
小笠原諸島が自然遺産候補地に
2003年に環境省と林野庁が開催した「世界自然遺産候補地に関する検討会」では、登録基準と必要条件を満たす可能性が高い地域として、知床、小笠原諸島、琉球諸島の3地域が選定されました(このうち知床は2005年に登録が実現)。
その後、2007年1月29日に、日本の暫定リスト(世界遺産として価値があると考え、将来推薦を行う意志のある候補リスト)に自然遺産として小笠原諸島を記載することを決定しました。
小笠原諸島が該当すると整理したクライテリアは3つあります。
その1つめは、「地形・地質」。海洋性島孤の形成過程を、マグマ組成の変化や火山活動の位置の変化により観察できる場所があります。代表的な岩石としてボニナイトがあり、小笠原の各所に露頭を観察することができます。世界中でボニナイトの露頭を見ることができるのは、世界中でも、ここ小笠原以外にはほとんどありません。ボニナイトの露頭では、風化を受けて堅い部分(古銅輝石)だけが残り、海岸に集まった緑色のうぐいす砂が集まってきます。晴れている日は緑がかった砂浜がきらきら光りとてもきれいです。
2つめのクライテリアは、「生態系」です。小笠原はこれまで大陸と一度も繋がったことのない海洋島であり、島にたどり着いた限られた動植物を元に独自の進化が進みました。このため、固有の生態系が成立したのです。内地の植生とは違う独特の景観を有した乾性低木林及び湿性高木林内に多数の貴重な動植物が生息、生育しています。小笠原固有の陸産貝類であるカタマイマイ属の形や色の多様性を見ると、今でも進行中の進化の過程を観察することができ、まさに“進化の実験室”といえます。
3つめは、「生物多様性」です。小笠原は海洋島としてオセアニア系、東南アジア系、本州系など多様な起源の種が混在しています。また、アホウドリ類3種をはじめとする多くの海鳥類が繁殖し、オガサワラオオコウモリ、メグロなど固有種・固有亜種等も多く、世界的に重要な絶滅のおそれのある種の生息、生育地になっています。
小笠原における外来種の問題と、その対策
東京の竹芝桟橋から「おがさわら丸」に揺られて約25時間半で父島の二見港に到着します。一見手つかずの自然に見えますが、実は1830年の入植以降、島外から様々な外来種が入り込み、固有の生物相に影響が生じた結果の景観です。
外来種は意図的、非意図的に人間が小笠原諸島に持ち込んだ生物で、維管束植物だけでも既に300種類以上が定着していると言われています。
外来種も、もともとの生息・生育地(原産地)では生物同士の棲み分けが行われていて、その地の生態系の構成要素の1つとなっています。しかし、移入された土地には、競合種や天敵がなかったりして、大繁殖することも珍しくはありません。特に小笠原は一度も大陸と接したことがない海洋島であるため、外からの侵入に弱い傾向があります。その理由は何なのでしょうか。
海の真ん中に浮かぶ海洋島である小笠原に動植物が侵入するには、漂流(海流)してきたり、風によって運ばれてきたり、鳥などの動物に付着してやってきたり、自力で泳いだり飛んだりしてたどり着くなどの方法しかありません。
このため、島の形成から現在までの間に植物ではブナ科が生育していませんし、動物では両生類が見られません。小笠原には小笠原独自の生態系が成り立ってきました。いわば、温室育ちのひ弱な生態系といってよいかも知れません。“ガラスの生態系”と揶揄されることもありますが、小笠原の動物はのんびり過ごしてきたのか競争することが苦手だったようです。 内地でよく見られるサルトリイバラも小笠原ではトゲを生やしません。毒のある植物も少なく、また山を歩いていても沖縄で見られるハブはいません。 こうした小笠原独自の生態系に他の場所から外来種が入ってくると、元々生息していた在来の動植物との競争に打ち勝ってニッチを奪ったり、捕食対象として根こそぎ食べ尽くしたりと、甚大な影響を与えます。
現在、世界自然遺産登録へ向けた取り組みとして環境省をはじめとして林野庁、東京都、小笠原村、NPO等が連携協力しながら外来種対策の各種事業を実施しています。 環境省では、種の保存法により国内希少野生動植物種に指定されているアカガシラカラスバト、オガサワラシジミ、ムニンツツジ、アサヒエビネ等の小笠原諸島の貴重な固有種について、保護増殖事業や各種外来種対策事業を実施しています。
トンボやチョウを食べるトカゲ 〜グリーンアノール
家畜やペットとして持ち込まれ、野生化した 〜ノヤギ・ノネコ
父島内の道路や歩道を歩いていると時々ノヤギを見かけます。家畜として持ち込まれたものが放逐され、野生化しています。ノヤギは固有植物を食べ、生態系に悪影響を及ぼしています。一方、ノネコは海鳥繁殖地である母島南崎において海鳥を捕食したり、父島でアカガシラカラスバトに接近したりといった事例が観察され、鳥類保全上で問題になっています。
このため、父島の東平では、希少植物や小笠原群島に40羽程度と推測されているアカガシラカラスバトの生息環境の保全を目的に、ノヤギやノネコの排除柵の設置する作業を進めています。排除柵設置後は柵内や柵周辺のノヤギを排除していく予定です。
薪炭材として育てた木があっという間に広がった 〜アカギ・モクマオウ
母島の桑ノ木山や南北に通じる都道を走っていると、鬱蒼とした林内が続きます。薪炭材をとるために持ち込まれた移入種が生長して、アカギの純林を形成しています。湿潤した場所を好むため大きくなったのでしょうか。伐っても萌芽のスピードが早いため、駆除の方法としては、根元に薬剤を注入して枯死させています。弟島ではほぼ駆除が終了しており、現在、母島の北部でアカギの駆除を実施しています。
一方、モクマオウは乾燥に強く、栄養分の少ない土地でも生育できることから、海岸沿いの露岩の間に根を張っています。林床はモクマオウの葉に覆われ、他の植物が生育できない状況となります。兄島内陸部の緩やかな傾斜地において薬剤処理を含めた駆除を実施しながら、効率的・効果的な作業体系の確立を目指しています。
船の積み荷に紛れてやってきた 〜クマネズミ
船舶の積み荷に紛れて侵入したと言われるクマネズミは、北之島、南硫黄島を除く小笠原の島々に広く分布しています。
クマネズミは在来植物の種子や果実、陸産貝類、小型海鳥やその卵を食べることが知られており、在来生態系に大きな影響を及ぼしています。
このため、平成20年度に東島及び聟島で、ヘリコプターを用いて殺鼠剤を散布する試みを実施しました。根絶できたかどうかは今後のモニタリング結果によりますが、ネズミの場合は「ネズミ算」と言われるように雄、雌の2個体が残っていると一気に増えていく可能性があることから、今後も油断はできません。
海鳥や固有植物を守ることで海洋島独自の生態系が少しでも戻ることを期待しながら、事業を進めています。
食用に持ち込まれ、野生化した 〜ウシガエル・ノブタ
弟島には食用として持ち込まれたウシガエルやノブタが生息していましたが、ワナなどで捕獲したことによりほぼ根絶状態となっています。今後も生息状況のモニタリングをしながら固有トンボ類の回復へ向けてトンボ池を設置しています。
固有動植物やそれを含む生態系を守るための外来種対策
上記に述べた外来種の他にもオオヒキガエルや、陸産貝類を食べるニューギニアヤリガタリクウズムシ、カンショオサゾウムシ、ギンネム、メダケ、シンクリノイガなど、色々な侵略的外来種が小笠原には生息しているため、各種対策を実施しています。
ただ、外来種対策は島の固有動植物やそれを含む生態系を回復するために行っているものであり、外来種そのものが悪い訳ではありません。大部分は人によって島に持ち込まれたものですが、高い侵略性を持っていることから仕方がなく駆除していることなのです。
外来種を排除するには、膨大な労力と時間を要します。また、外来種を駆除したことによって発生する新たな問題にも対処していかなければならないと感じています。生物間同士の関わりは本当に多様であり、人はその一部について理解できているに過ぎません。
このため、内地から来島される際には、島にしか生きられない動植物のことを考え、くれぐれも外来種を持ち込まないようご理解・ご協力をお願いします。
世界遺産登録は、小笠原の自然を守り、残していくためのスタートに過ぎない
小笠原に限らず、世界遺産登録推進の動きが全国各地にありますが、世界遺産登録はゴールではなく、むしろ世界の遺産として後生に残すためのスタートなのです。
世界遺産登録は行政が一方的に進めるものではなく、地元に住んでいる方々の理解と努力が不可欠です。
父島、母島は有人島であり、両島あわせて約2,400人の人々が暮らしています。遺産登録は、住民が小笠原のよさを再認識し、自分たちにできることは何なのかと考えるきっかけづくりになればと思っています。著者を含め島民の大半は数年で入れかわるという小笠原の特殊事情もありますが、島民自らが島を誇りに思い、島とともに歩んでいくことが大切です。
世界自然遺産に登録された屋久島の例を見ると、遺産登録の影響や航海時間の短縮等で入島者数が増えました。屋久島のシンボルのひとつである「縄文杉」を守るため、周囲にはウッドデッキが築かれました。歩道等はオーバーユースになり、屎尿問題など利用の適正化が問題になっています。
小笠原の場合は船のみの交通手段に限られていることから、遺産後の急激な変化は少ないと考えられますが、空港開設の動きもあり、入島者への対応を事前に島内で議論し、島のガイドや島の経済を守る仕組みづくりが大切だと考えています。
小笠原は小さい島ながらも、海から山まで魅力が多く、変化に富んでいます。世界自然遺産登録が小笠原のますますの発展につながるよう、まだまだ若輩ものですが現地の自然保護官として、その準備に携わっていければ幸いです。
参考文献、資料
- 環境省関東地方環境事務所(2007)小笠原の自然のために私たちが取り組むこと
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(記事・写真:小笠原自然保護官事務所 有山 義昭)
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