No.059
Issued: 2016.11.21
世界初・パンダ専用の人工乳を開発した、株式会社森乳サンワールド顧問の高津善太さんに聞く、動物園等における哺乳動物の人工乳導入の現状と課題
実施日時:平成28年11月4日(金)10:30〜
ゲスト:高津善太(たかつ ぜんた)さん
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎
- 株式会社森乳サンワールド 顧問。
- 1968年森永乳業株式会社入社、研究所・乳製品工場勤務を経て、森永エンジニアリング株式会社にて他社食品工場等有機排水等設備の基本設計・建設・納入に関わった。さらにバイオ医薬品研究開発、人間の赤ちゃん用ミルク等研究開発に従事。その後、森乳サンワールドに出向、ペットフード・ペット用ミルクの開発に従事。
- このような多様な経歴がどのように動物乳に役立ち、また邪魔をしているか、自分ではわからない。
野生の場合、母乳が出なければ、あるいは哺乳ができなければ赤ちゃんは育ちません
大塚理事長(以下、大塚)―
エコチャレンジャーにお出ましいただきありがとうございます。高津さんは、動物園で飼育されている哺乳動物の赤ちゃん向け人工乳【1】の開発に携わられ、世界ではじめてパンダ専用の粉乳を調製するなど、日本はもとより海外でも活躍されておられます。今日は、希少動物の保護にも貢献する人工乳の開発の状況や課題などについて、経験談を交えたお話を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
早速ですが、最初に初歩的なことを教えてください。現在、動物園で人工乳はどのくらい使われているのでしょうか。
高津さん― これは難しい質問ですね。それぞれの動物園の資料をチェックすれば分かるかもしれませんが、正確な答えはなかなか出ないのではないですか。
大塚― 概数で結構ですのでお願いします。
高津さん― 上野動物園【2】を例にとりましょう。上野動物園で飼育されている哺乳類は日本動物園水族館協会の資料(2012年)では132種です。日本の動物園の数は大体90園です。仮に、それぞれの動物園での種数が上野と同じで、それぞれの種が年に1回出産するとすれば、合計11,880頭以上が毎年生まれていることになります。このうちの1割が出産の際に人工乳を利用するとすれば、1200頭以上ぐらいということになりますね。
大塚― 思っていたほど多くないようにも感じます。
高津さん― 132種で1200という数は非常にラフな推測ですが、それほど多くないと言えそうですね。もっとも、ゾウのように大きなものからネズミのように小さなものまでいるので、ミルクを飲む量も10キログラムぐらいから10グラムぐらいとさまざまで、この量はミルクの製造会社にとっての関心事です。とはいえ、高々この程度の数ですと、それぞれの動物用のミルクをつくってお届けするのは難しいのです。
大塚― 乳業会社の立場はよく分かります。
ところで、動物園で飼育されている哺乳類の赤ちゃんの約10パーセントが、人工乳を必要することについて高津さんはどう思われますか。
高津さん― 野生の場合ですと、人工乳はもちろんないわけで、母乳が出なければ、あるいは哺乳ができなければ赤ちゃんは育ちません。野生パンダの出産では、子どもが1頭のことも2頭のこともありますが、2頭産まれると1頭を捨ててしまうのです。多分、母親と2頭の子どもが成長すると、主食の竹などが不足する可能性もあり、強い方の1頭だけを育てるのだろうと思います。
動物園では当然2頭とも育てます。面白いことに、パンダの場合は赤ちゃんに母乳と人工乳を交互に飲ませます。動物の種類によっては、人間が赤ちゃんに触れるだけで母親が近づかなくなることもあるのですが、パンダはお人好しなのですよ。
私が感じているのは、パンダに限るわけではないのですが、動物が本来の環境でない動物園で飼われているためにストレスを受けているのではないかということです。自然の状態に比べて母親が母乳で育てることが少なく、また母乳の分泌量が少なくなり、人工乳を必要とすることが増えているかもしれません。
パンダの赤ちゃんは体重が100グラムぐらいで、初めは飲むミルクの量も1度に10ミリリットルもない
大塚― 高津さんが、人工乳の開発に関わることになった経緯をご紹介ください。
高津さん― きっかけは、上野動物園の獣医さんとの出会いです。1987年のことでした。その方は、人間の医療を獣医療に応用することを目的の一つとして、上野に近い東大病院(東京大学付属病院)で研究補助員をされていました。当時、私は医薬品開発に関わっており、東大病院の先生方と共同研究をしていました。その研究室が、その獣医さんの研究室の隣だったのです。
大塚― それは偶然だったのですか。
高津さん― まったくの偶然でした。
その頃、上野動物園はパンダ(ジャイアントパンダ)の人工授精を目指していました。動物園のスタッフがアメリカのサンディエゴ動物園【3】での学会で、パンダの人工授精に成功すると2頭産まれる可能性が高く、その場合にはミルク(人工乳)が必要になるという情報を得たのです。どうしようかと悩んでいたところ、たまたま乳業会社に勤める私がいたので、聞いてみようということになったようです。
私が東大病院に出向していたのは医薬品開発のためだったのですが、当時はほとんど前例がなかったパンダを人工乳で育てること、とくにミルクの組成を研究することに興味をもったのです。会社に報告すると、パンダに与えるミルクのために事故が起きるリスクもあると心配をされました。少なくとも、パンダのミルクつくりが、乳業会社のビジネスにはなりそうもないとの判断は、今も正しいと思います。それでも試験的にということで許可がおり、人工乳つくりをスタートさせたのです。
大塚― 高津さんにとっては、まったく新しいことへのチャレンジですから、技術開発をはじめ多くのご苦労があったと思います。
高津さん― パンダの赤ちゃんは体重が100グラムぐらいで、飲むミルクの量も1度に10ミリリットルにもならないのです。ミルクの成分などについては後でお話ししますが、私が今でもよく思い出すのは、生後すぐの小さな赤ちゃんのために本当に少量のミルクをお届けしたことです。
大塚― 赤ちゃんは本当に小さいですね。それでも、生後の成長は速いですよね。
高津さん― 速いです。ヒトは生後1年間で体重が3倍ほどにしかならないのに、パンダは100グラムで産まれ、1年すると30キログラムと、300倍にもなります。
大塚― ミルクの組成についてお伺いする前にお聞きしたいのは、赤ちゃんを人工乳で育てるとき、母乳と違うので受け入れられないことはないのですか。
高津さん― その心配はいりません。赤ちゃんの嗜好性はあまり厳格ではないので、乳の味が適正であれば大丈夫です。
母乳の一般組成である、たんぱく質・脂質・炭水化物・灰分・水分の5つが入口
大塚― 問題のミルクの組成ですが、高津さんは人間用のミルクの組成からヒントを得てつくられたのですか。
高津さん― そうではありません。私はその時まで、人間のミルクの成分の検討に直接関わったことがありませんでした。しかし、乳業会社にとっては、パンダでもほかの動物でも、母乳の組成がわかればある程度の水準の人工乳をつくることは可能です。
パンダについて問題は母乳の組成が分からないことでした。上野動物園と私はまず種が類縁のクマに近いだろうと考えました。しかし、クマは冬眠中に出産することもあります。冬眠中には水分を摂りませんから、母乳中の水分も少なくなります。そのため、クマは授乳しながら赤ちゃんの尿を飲むことさえするのです。それに対して、パンダは冬眠しませんし、笹のような水分の多いものを摂取するのでもう少し固形分が少ない可能性もあるなど、いろいろと考えて組成を決め、その後2010年に母乳の組成分析値の細部に合わせ、ラクトフェリン等の機能性成分を加えて改良しました。
大塚― 動物によって母乳の組成はずいぶん違うようですね。
高津さん― 私たちは母乳の一般組成と呼んでいますが、たんぱく質・脂質・炭水化物・灰分【4】・水分の5つにまず着目します。そのうち、熱量(エネルギー量)【5】になるたんぱく質・脂質・炭水化物と灰分の含有量を、主な動物について示しておきましょう。
大塚― いろいろと興味深いのですが、ヒトはずいぶん特殊にみえますね。
高津さん― ヒトはかなり変わっています。体の構成成分として重要なたんぱく質がこんなに少ないのは、成長が遅いことに関係しています。ヒトに限らず、それぞれの動物が、どのような環境でどのように生きるか、そして子どもがどのように成長するかに応じて、ミルクの組成も変わるのです。
アザラシは、ほかの海獣類もそうですが、海に生息し授乳も種によっては海の中でするわけですから、ミルクの組成も非常に特徴的です。水分が少なく濃厚で、熱量も非常に高いですね。また、海獣類が棲む水の中は熱伝導率が空気中よりも良いので、体温が奪われやすいともいえます。このことも、母乳中の熱量が高くなる理由でしょう。
現在でも、母乳のデータがない動物は数多く、レッサーパンダもその一つ
大塚― 高津さんは、パンダのミルクをつくった後、さまざまな動物のミルクつくりに関わってこられたのですね。うまくいった例をご紹介いただけませんか。
高津さん― うまくいったかどうかは分かりませんが、私としては、母乳の組成に関する情報を一生懸命集めました。多くの方は、諸動物の母乳の組成くらい分かっているだろうと思われるでしょうが、そんなことはないのです。先ほども述べたように、組成のデータがあるとしても、その多くは1960年代から1970年代までに調べられたものです。それ以後、このような基本的な事の研究をされる方がおられないのです。このような研究のために、研究費が投資されなかったともいえます。
現在でも、母乳のデータがない動物は数多くいます。レッサーパンダもその一つです。レッサーパンダの場合は、母乳を採取することが難しいのは確かですが、世界中探してもまったくデータがないのです。このような場合、私たちは動物の分類上の近縁性や生活の仕方などを考えて、人工乳の組成を決めるしかないのです。
大塚― 高津さんは、レッサーパンダのミルクつくりにも関わられたのですよね。
高津さん―そうではなく、 レッサーパンダのミルクが必要になった動物園が、生活様式が似ているとしてジャイアントパンダ向けのミルクをトライされたのです。厳密に考えると問題がないわけではないのですが、幸い、現在までレッサーパンダの赤ちゃんはジャイアントパンダ用のミルクで良好に成長しています。類縁のアライグマ、イタチ等の母乳組成がジャイアントパンダに比較的近いので、うまくいったのだと思います。
大塚― 先ほどもあげられたアザラシにも、高津さんが関わられたのですね。
高津さん― アザラシは、動物の輸入業者さんから頼まれました。
アザラシに限りませんが、海獣用のミルクは日本の別の乳業会社が以前から製作し販売しています。ところが、この輸入業者が動物園に納めるために一時的に飼育していたゴマフアザラシに赤ちゃんが産まれたのです。私が連絡を受けたのは土曜日でした。もう産まれてしまったと言うのです。
その業者さんのところは遠いし、ともかく指示を出すことにしました。最もポピュラーなイヌのミルクを近くのペットショップで買い、ある比率で生クリームを混ぜるようにと伝えました。しかしその後で、イヌのミルクよりパンダのミルクの方が、乳糖【6】の含有量が少ないからいいかと考え直しました。私どものパンダのミルクを送るとともに、それに混ぜる生クリームの比率などを伝え、2日目から切り替えるようお願いしました。
大塚― うまくいきましたか。
高津さん― いろいろな問題がありましたが順調に育ちました。パンダ用に限らず、私どものイメージするミルクは、アザラシの赤ちゃんには水分が多すぎるのです。アザラシは、私たちがイメージするように、哺乳瓶を咥えて飲むようなことはしません。仕方ないので、病人に使うカテーテル【7】という管で直接胃の中にミルクを入れるようにして飲ませます(人間の医療現場ではしばしば行われる方法です)。
このアザラシについては私も心配になり、1週間後に輸入業者の飼育施設を訪ねました。その時は元気にミルクも飲んでいましたし、イワシも食べ始めていましたが、市販品のミルクがあってもこのような状況が起きたわけです。市販のミルクがない動物の方が多いのですから、こうした緊急事態に対処できる情報を増やさなければと強く感じました。
人工乳をつくるには、一般成分のような栄養素などだけでなく、実に多くの原材料が必要
大塚― 高津さんが培ってきたノウハウと機転のおかげで、アザラシは救われたのではないかと思います。今ご指摘されたことに関係し、どのような研究が急がれるとお考えでしょうか。
高津さん― この分野は広い生物界の理解が必要ですが、母乳の組成をしっかり把握することが何と言っても第一です。乳業会社では、原料乳の購入、販売する製品の組成の測定値にバラツキがないように細心の注意を払います。そのため、ミルクの組成の検査のために大量のサンプルを使用して測定するのが常です。他の例では、人間の場合にも他の動物の場合にも血液の成分分析では、1ミリリットルもあれば30項目ぐらいの分析ができます。ところが、ミルクの場合は最少の項目を分析するのにも50ミリリットルも必要とするのが取引で認められる公定法【8】であり、動物の母乳の場合にはサンプルを得ること自体が難しいのです。また一般成分の分析も大変ですが、ビタミン類の成分分析になると、採取後に測定まで迅速に行う必要もあり、また各項目の分析用に別々のサンプルが必要でさらに難しいことになります。しかし、人工乳をつくる上でまず第一に必要なデータは信頼できる一般組成と考えています。
大塚― 人工乳の開発は希少動物の保護にもつながりますし、公的な研究機関などが担当する可能性はないのでしょうか。
高津さん― 民間の乳業会社でなく、大学や研究機関の研究者が人工乳をつくれるか、と言うと困難もあるのです。成分分析はできるとしても、人工乳をつくるには、実に多くの原材料が必要になるからです。私どもの乳業会社は、どのようなミルクをつくるのにも100種類以上の物質を原材料として使用しています。それらの物質を購入する経費を考えただけでも、大学の先生などでは負担が大きすぎるのです。結局、私どものような立場の者が片手間でつくるという現状に落ち着いています。
大塚― 大変難しい問題のあることがよく分かりました。とはいえ、改良が簡単ではないとしても、ポイントはかなりはっきりしていますね。
高津さん― そうですね。動物のミルクや人間のミルクをつくるメーカーの者と、大学の先生などが協力して開発に携わるということしょうね。今日はお話しする時間がありませんでしたが、人工乳は熱量やたんぱく質の供給源としてだけでなく、ビタミンやミネラルという微量栄養素を補う役割も大きいのです。現在、人間用のミルクには、厚生労働省の基準を大きく上回る多種類の微量栄養素が含まれています。動物用のミルクも、改善する余地は多くあると思っています。
大塚― いろいろなお話を伺い、動物のミルクつくりに奥の深いことがよく分かりました。EICネットをご覧の皆さまの中には、動物好きな方も多いのではないかと思います。最後になりますが、高津さんからのメッセージをお願いいたします。
高津さん― 私が望むのは、動物に限るわけではなく植物もそうかもしれませんが、希少な野生動植物を保全する一環として、これらの動植物を動物園や植物園で増やし自然に返すことです。日本でも、ほんの一部が始まっていると言えるかもしれませんが、難しい問題も多くあり、それほど進んでいない状況かと思います。私どもが直接関わっている動物のミルクつくりが、この動きにわずかでも寄与できれば幸いと考えています。
大塚― 動物園で飼育されている動物用の人工乳つくりで、高津さんが長年にわたって苦労されてきたことを、分かり易くお話しいただきました。これからも、新たなチャレンジを期待しております。本日は、ありがとうございました。
注釈
- 【1】人工乳
- 人間向けでは人工乳、人工栄養の言葉が一般的であるが、動物用(飼料用)では「代用乳」の言葉が使われる。
- 【2】上野動物園
- 正式名称は、東京恩賜上野動物園。東京都台東区に位置し、1882年3月20日に開園した日本最初の動物園。
- 【3】サンディエゴ動物園
- アメリカ・カリフォルニア州の動物園で、1915年にパナマ=カリフォルニア博覧会を機に開設された。現在、約800種の約4000頭の動物が飼育されている、世界最大規模の動物園。1980年代に野生個体が絶滅したカリフォルニア・コンドルを飼育し、増殖した個体を野生に戻す試みを行っている。
- 【4】灰分
- 栄養学で、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、鉄など、いわゆるミネラル成分のこと。歯・骨・血液・内臓などに含まれるとともに、体液に溶け、体をつくる材料としてだけでなく生理機能の円滑な働きにも不可欠である。
- 【5】エネルギー源
- 熱量(あるいはエネルギー量)はキロカロリー(kcal)で表され、脂質1グラムが9キロカロリー、たんぱく質と炭水化物1グラムが4キロカロリーに相当する。
- 【6】乳糖
- ラクトース。グルコースとガラクトースが結合した二糖類で、哺乳類の乳汁に含まれる。
- 【7】カテーテル
- 医療用に血管や管膣部に挿入する中空の軟らかい管で、体液の排出や薬液などの注入・点滴に用いられる。
- 【8】公定法
- 分析化学・微生物培養の分野での成分分析や培養検出において、国際機関・国・公定試験機関などにより指定された方法。
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