一般財団法人環境イノベーション情報機構
掲示板(環境Q&Aへの疑問・質問)
登録日: 2013年03月11日 最終回答日:2013年03月29日
カテゴリ:環境一般 >> その他(環境一般)
震災から2年。Hキョージュの環境行政時評も最終講のようです・・・
No.39085 2013-03-11 23:01:35 ZWlba5 ronpapa
お節介ながらご案内します。(久し振りの掲示板へのコメント投函です)
『新・H教授の環境行政時評』も、キョージュの退職を期にいよいよ最終講(“最終時評―2013年の環境政策のみどころ” http://semi.ksc.kwansei.ac.jp/hisano/2013_winter01.html )となりました。【*】
当サイトでの連載から外されてからも、意地と根性で2年間続けてこられた環境行政に対する時評も最終講かと思うと残念な気もします。
その後、当サイトの表看板で(穴埋めのためか、別の意図を持たれてか)センター理事長自身が連載を始められたインタビュー記事ですが、こちらは面白いと思ったことはあまりないのですが・・・。
【* 気が向いた時にキョージュからの続講なり補講はあるのかもしれませんが?・・・しかし、大学のサイトから外れた場合の続行は難しくなるかもしれませんね。】
今日は震災から2年。 私自身、間接的な復興支援に参加してはいますが、改めて考えさせられることの多い一日でした。
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No.39089 【A-1.】
Re:震災から2年。Hキョージュの環境行政時評も最終講のようです・・・
2013-03-12 22:32:29ZWl7b25 筑波山麓 ronpapa様。読ませていただきました。良いことなのか?悪いことなのか?自分とは判然とはしませんが、諸外国などでは、このような事故の場合、東電社長、会長などの企業トップへの処罰はもっと厳しいのではないでしょうか?
彼らの不作為の作為とも言うべき、やるべきことをやらなかった企業トップとしての責任をもっと追及すべきであったと思います。また、それによって、初めて、以後の事故が生じた場合の企業トップへのより厳しい処分も決まり、企業が全責任を持って、事故を防止する機運が生じると思いますが、如何でしょうか?
すべてを国に求めること、完全な安全を求めることは無理があると思われます。
また、歴史的に見ても、人類学史的に見ても、このような最先端の技術を追求することは国家の死命を制する事業であり、これを辞めることは他国が最先端の技術を制したときに、日本国、民族が、その国に制されることを黙認することになると思われます。
したがって、企業トップの普段の安全追求の姿勢が最も強く要求されるところであると思います。
回答に対するお礼・補足
筑波山麓さま。2013/03/13、20:50
私も同感です。問題の本質を明らかにせずに未来の展望などあり得ないと考えます。東京電力など企業トップへの責任追及と処罰は勿論ですが、原子力ムラを形成するに到った歴史的背景も含めて全ての根本原因と責任を明らかにして、それらにこそ社会改革のメスを入れなければならないと感じています。 政治家も行政・官僚も、産業界における企業組織も、学界から学閥も含めて、さらには国民ひとり一人の持つ欲望や弱さに対して、何が問題だったのか、何が大切で何が不要なものだったのか・・・。
私達は未来の子供たちに対して誇れる社会を築けているのか。
改めて責任ある社会の仕組みを再構築しなくてはいけないのではないでしょうか。
民主党政権から自民党政権に戻って、そのような責任ある社会の仕組みを再構築するどころか、元に戻って旧来然とした経済政策や環境政策の決定プロセスを繰り返しているだけのように感じています。 H教授の最終講の中にも触れられていますが、前政権のスローガンであった「コンクリートから人へ」は好ましく思っていました。しかし自らそれに挫折(放棄?)し、現政権に到っては「人からコンクリートへ」戻ろうとしています。
根本の原因や責任を明らかにせず、社会的な仕組みの再構築にも着手せず、経済的な豊かさを再度追求する道の果てに何が待ち受けているのやら。
何かを論ずるにしても賛成か反対かの二元論だけではなく、そこに隠されてしまう危険性や社会的不公平、さらには構造的な欺瞞の所在を知ることが必要であり、何かを決定し実行する過程においても、疑問は疑問として持ち続ける心持ちの強さが必要なのではないでしょうか。
(ご容赦ください。個人的雑感を述べました)
私も同感です。問題の本質を明らかにせずに未来の展望などあり得ないと考えます。東京電力など企業トップへの責任追及と処罰は勿論ですが、原子力ムラを形成するに到った歴史的背景も含めて全ての根本原因と責任を明らかにして、それらにこそ社会改革のメスを入れなければならないと感じています。 政治家も行政・官僚も、産業界における企業組織も、学界から学閥も含めて、さらには国民ひとり一人の持つ欲望や弱さに対して、何が問題だったのか、何が大切で何が不要なものだったのか・・・。
私達は未来の子供たちに対して誇れる社会を築けているのか。
改めて責任ある社会の仕組みを再構築しなくてはいけないのではないでしょうか。
民主党政権から自民党政権に戻って、そのような責任ある社会の仕組みを再構築するどころか、元に戻って旧来然とした経済政策や環境政策の決定プロセスを繰り返しているだけのように感じています。 H教授の最終講の中にも触れられていますが、前政権のスローガンであった「コンクリートから人へ」は好ましく思っていました。しかし自らそれに挫折(放棄?)し、現政権に到っては「人からコンクリートへ」戻ろうとしています。
根本の原因や責任を明らかにせず、社会的な仕組みの再構築にも着手せず、経済的な豊かさを再度追求する道の果てに何が待ち受けているのやら。
何かを論ずるにしても賛成か反対かの二元論だけではなく、そこに隠されてしまう危険性や社会的不公平、さらには構造的な欺瞞の所在を知ることが必要であり、何かを決定し実行する過程においても、疑問は疑問として持ち続ける心持ちの強さが必要なのではないでしょうか。
(ご容赦ください。個人的雑感を述べました)
No.39111 【A-2.】
Re:震災から2年。Hキョージュの環境行政時評も最終講のようです・・・
2013-03-29 16:08:27ZWld61d なんと 3月11日を半月過ぎ、メディアから震災に関する記事がまた少なくなってまいりました。
自然災害の恐ろしさを痛感しながら、一方で自然に脅威を与えているのも我々人類です。
人間が自然を破壊してまで手に入れようとしているものは何なのでしょうか?
それでいて人間にとって都合が悪くなって初めて対策に躍起となっている人間は客観的に見て、とても愚かな生物なのでしょう。
携帯電話などにしてもこの十数年で一気に普及しましたが、新たな犯罪や青少年への悪影響を考えると、本当に必要だったのかどうか疑われます。(環境とは違いますが。)
ronpapa様をはじめ諸先輩方々には遠く及ばない知識の私ではありますが、『環境』という分野の片隅に携わる者としましては、人間(私を含め)の愚かさ加減が情けなくて仕方がありません。
本スレッドにはそぐわないコメントかと思いますが、環境行政時評を見ての率直な思いを投稿させていただきました。
ご容赦ください。
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