No.030
Issued: 2011.07.26
ハーパースフェリーセンター訪問
ハーパースフェリーセンターは、アメリカ国立公園局の総合メディアセンターだ。建物のデザインは近代的で、隣接する古めかしいレンガ造りのマザー研修所とは対照的だが、この2つの施設が隣接することには実は大きな意義がある。インタープリテーション技術を教えるマザー研修センターと、国立公園内の展示や様々なデザインを一元的に担当するハーパースフェリーセンターの連携が、アメリカの国立公園というブランドを支えている。
国立公園の「メディアセンター」
国立公園局ハーパースフェリーセンターは、各国立公園のパンフレット、インタープリテーションの教材作成、解説板、ビジターセンターの展示物などをデザイン、制作している国立公園のナショナルメディアセンターである。
マザー研修所のちょうど後ろに建物があるため、研修所を訪れたあと、引き続きインタビューのお願いをしていた。ハーパースフェリーセンターの自然解説メディア研究所(Interpretive Media Institute)のデービッドさんが、センターの中を案内しながらいろいろ説明してくれた。
「国立公園局のロゴマークはご存じかと思いますが、実は少しずつデザインが変わっているんです」
国立公園局のロゴマークは、ネイティブアメリカンの使用していたヤジリをモチーフにしていることから、通称「アローヘッド」と呼ばれる。そのデザインを組織創設当時から時代を追って見ていくと、確かに少しずつ違う。徐々にスマートなデザインになってきた感じだ。
「同時期のロゴマークでもデザインにばらつきがあったり、運用が徹底されず、ロゴマークをあしらった旗がつくられたりもしました」
国立公園局には組織を象徴する旗はなく、旗にロゴマークを使用することも認めてはいない。
有名なパークレンジャーのユニフォームも時代に応じて少しずつ変化してきた。ロゴマークやユニフォームは、組織のアイデンティティーを統一する上でとても重要なツールだ。統一イメージをつくりあげるのもハーパースフェリーセンターの業務の一つだ。
「このセンターができるまでは、ワシントンDCとサンフランシスコに同様の機能を持つセンターがありました。1970年にハーパースフェリーに施設が建設され、自然解説の教材やプログラムデザインなどの機能が一元化されるとともに、隣接するマザー研修所におけるレンジャー養成と連携することで、大きな相乗効果が得られました」
こうして、デザインの統一による「国立公園」というアイデンティティーの確立を強力にすすめることができるようになった。
その例が、全国の国立公園に備え付けられている地図入りのパンフレットの制作だろう。このパンフレットは、通称「ブラックバンド」と呼ばれる。国立公園のパンフレットは横長で、パンフレットの上端に黒い帯が印刷されているが、それが「ブラックバンド」の由来となっている。黒い線は、パンフに限らず国立公園局のほぼすべての印刷物に表示され、印刷物に統一されたイメージを提供している。なお、折りたたみ式のパンフであることから、別名パークフォールダーとも呼ばれる。
「この黒い帯を入れるデザインは、もともとワシントンDCの地下鉄表示に用いられていたものです。ニューヨーク在住のMr. Massimo Vingelli氏が考案しました」
実は、黒い帯はパーツのひとつに過ぎないという。
「Vingelli氏が考案したのは、『ユニ・グリッド(Uni-grid)システム』というものでした。これは、パンフレットの紙面構成の基本となるB版用紙に、あらかじめ格子状のマス目(グリッド)を設定し、それにあわせて、文字や写真を配列するというアイデアでした」
このユニ・グリッドシステムを導入することにより、ハーパースフェリーセンターでのデザイン統一に目途がたった。いわば国立公園局の印刷物の「原理原則」といえる。国立公園というと、写真や図面など、どうしても不規則になりがちなパーツを取り入れなければならない。グリッドそのものは表示されないが、文字の段組や写真をマス目を目安に配置することにより、全体的なまとまりと統一感が生まれる。公園ごとの個性を尊重しながら国立公園局としてのイメージを打ち出すことができる、画期的なアイデアだった。
ところが、近年このセンターをめぐる状況はあまり好ましくないという。
「国立公園局では、1995年に組織改編がありました。担当地域内の公園のデザインの統一と、国全体のスタンダードとの整合という意味からハーパースフェリーセンターの機能を支持していた地域事務所の機能が縮小され、相対的に各公園の力が強化されました。」
各公園の予算執行の権限が強くなり、実際の「お金」を握るようになると、事態は変化した。
「それぞれの公園の所長が勝手に印刷物やインタープリテーション用の解説板を作るようになりました。『国立公園』としての統一感は薄れ、国立公園はよりローカルなものへと質を変えつつあります」
これは、国立公園局の存在意義にもかかわる重大な変化だ。
「パンフレット制作予算は、ワシントンDCから直接センターに配分されています。つまり、公園ごとの財政状況にかかわらず、全国同じ質のパンフレットを提供できるよう配慮されていたのです」
最近は、ワシントンDCにある国立公園局本部からの予算配分が削減され、十分な予算が確保できなくなったという。
「不足分は各公園に負担してもらうことになるのですが、センターから発行せずに、直接業者に発注して制作する公園も出てきました。その方が印刷費を安く抑えられるというのです」
ただ、そのためにはデザインの統一感やコンテンツのレベルが犠牲になる。
ハーパースフェリーセンターの職員
このセンターにはどのような職員が勤務しているのだろうか。
「このセンターには、いわゆる『パークレンジャー』はほとんど勤務していません。文章を作ったり、調査したり、デザインを考えたりする業務が多いため、エディター(執筆・編集者)やアーティストが多いのです。公園の現場に勤務するレンジャーは、そうした技能を持ち合わせてはいません。かといって、各公園がそれぞれに専門職員を雇用するのは効率が悪いのです」
案内されたのはパンフレットなどに用いられる地図を制作するセクションだ。大型のPCが何台も置かれている。
「この地図セクションでは各地の国立公園の地図制作や加工を担当しています。GISでいろいろな地理情報を組み合わせるだけではなく、デザイン上の加工を加えて、わかりやすい地図をつくるのです」
一般のビジターにとってわかりやすい地図とはどのようなものだろうか。
「例えば、地形図の色分けの色調などです。標高や植生を勘案して、なるべく実際のイメージに近い配色を用いています」
見かけは似たようなものだが、よくみると公園ごとに色調が全く違うのがわかる。
「アラスカなど高緯度地方の公園は氷河、ツンドラなど青白色〜黄色に、メキシコに近い乾燥した草地は赤褐色を基調にした乾燥地らしいデザインにしています。また、雨の多い地域の鳥瞰図には、地図の隅の方に『雲』のデザインを挿入します。大気が水分を多く含んでいることを表現しているわけです」
国立公園の解説板をデザインしている部署にも案内してもらった。路傍解説板の実物が設置されている。ここは少し国立公園の現場に近い雰囲気がある。
解説板は、目の前にある岩や植生、野生動物などに関する情報をビジターに提供するためのもので、自然公園の施設の中でもとても大切なものだ。様々な地図や写真、イラストとともに自然に関する解説が表記されている。制作や設置には手間もお金もかかるもので、公園管理者にとってはなかなか手間のかかる代物だ。
「このアルミ製のフレームはとても頑丈に作られていて、ちょっとやそっとでは壊れません。問題は盤面なんです」
見本として設置されていたのは、胸くらいの高さのフレームで、解説板の表示面が斜めについているものだ。このタイプの解説板はアメリカの国立公園で数多く目にする。ビジターの視界をさえぎらず、また遠くから見てもそれほど目立たないという利点がある。視線を下に移せば必要な情報を読むことができるが、その分雨風や直射日光をまともに受ける。日本では、表示面を目の高さに垂直に設置するタイプのものが主流だ。この方が長持ちするし、大きな情報板を掲示することができるという利点がある。その分圧迫感があり、眺望を遮ってしまうおそれもある。
「こうした解説板には、『難敵』が2つほどあります」
「ひとつはいたずらです。ペンキを塗られたり、割られたり、傷を付けられたりすることが多いのです。また、いたずらがなくとも、時間がたつと変色したり色が薄くなってしまったりします。もうひとつは内容の変更です。内容が古くなったり、新たに追加が必要になる情報が出てきたりします」
そのため、この解説板にはおもしろい工夫がある。
「実は、この表示面は『紙』でできているんです」
一見すると、プラスチックの板に見えるが、実際はカラー印刷した紙を樹脂でコーティングしているという。
「最初のデザインができたら、その時点で複数枚制作しておきます。予備は、設置先の公園とハーパースフェリーセンターの両方に保管しておきます。公園でいたずらが頻繁にあったりして足りなくなったらセンターから追送します」
色があせたり破損したりしても、板の部分だけを交換できるので費用が低く抑えられるという。また、内容に変更があっても、印刷原稿のファイルを修正して印刷するだけなので、対応も容易だ。
「解説板の部品を大きく2つに分け、板面は消耗品、フレームは耐久品と考えました。それにより、合理的な制作が可能になりました」
これは、ハーパースフェリーセンターでの長年の努力の成果といえるだろう。なお、こうした標識(サイン)類のデザインや構造の統一化については、「ユニガイドシステム」(UniGuide System)というマニュアルに一元化されている。
古めかしい缶詰やお菓子が積み上げられた部屋に案内された。デザインは古いが、よく見ると「商品」は新品だ。
「これは、ハーパースフェリー歴史公園内の『売店』に並んでいる『商品』です。当時の店を復元したもので、もちろん今は営業していません。すぐ近くにある公園は、職員の格好のトレーニングの場なのです。センターの職員は、歴史公園の展示の制作やメンテナンスなどにより、多くのことを学んでいます」
ハーパースフェリー歴史公園はセンターから徒歩ですぐのところにある。ここで試行錯誤することにより、そうそう行き来することのできない全米各地の国立公園のビジターセンターの展示や、建物の修復技術などにその成果をフィードバックしているのだ。
センター所長インタビュー
一通り施設の見学を終えると、センターの会議スペースに案内され、所長のクミンズさんのお話を伺った。
「私がセンター長に就任してから既に7年が経っていますが、このように長期間同じポストにとどまるのは異例のことです。国立公園局ではこれまで、3〜4年ごとに異動して多くの経験を積むべきという考え方が主流でした。ところが、時代も変わり、共働きの職員も増えてきました。短期間の異動は職員の家族にとって大きなストレスです。組織にとっても、引越しに伴う費用負担は小さくありません」
ハーパースフェリーセンターの所長のポストは日本で言えば特別職にあたる(米国ではSenior Executive Serviceと呼ばれる)。一般職員の級は15級までなので、15級から特別職に昇進するようなケースは原則公募を経なければならない。クミンズ所長も応募したそうだ。
「幹部から『君からの応募用紙が見たいんだが』という電話が入ったんです。これは暗にこの職を受けてみろ、という指示だったわけです。もちろん、あくまでも公募プロセスを経る必要があります」
こうした適格者選出のプロセスでは、候補者の知識(knowledge)、技能(skill)、能力(ability)を考慮して決定される。
「中でも『people skill』と呼ばれる、地域社会などの外部関係者との人間関係構築に必要な技能が国立公園局では重視されます。例えば、国立公園ではアメリカ原住民との関係は微妙で、注意を要します。連邦政府とインディアン社会との関係は法によらず協定(treaty)によるものであるため、一段高いレベルの関係と見なされます」
一方、このセンターならではの特殊性もあるという。
「このセンターは他のどのような国立公園局の組織とも異なる特徴があります。それは、特殊な技能職員が芸術や技術などの主観的な業務に携わっているということです。センターの業務の性質からすれば、効率より創造性を優先させなければなりません」
その反面、近年の連邦政府は特に費用対策効果に注目する傾向がある。こうした創造性の高い業務と時間コストの効率性を追及する傾向とは、どうしても相容れない部分がある。例えば、パンフレットだ。
「国立公園局が製作している質の高いパンフレットには、相当の費用がかかります。ところが、パンフレットによる自然解説の効果は、単に印刷部数では計測できません」
そもそもインタープリテーションの目的についても、公園を管理する職員間ですら議論があるそうだ。
「現在では、国立公園の管理は区域内の資源を守ることが主たる目標であるとされていますが、そうではない意見を持つ職員もいます。つまり来訪者への自然体験機会の提供であり、そのためのインタープリテーションの充実です」
ゲートでの入場管理がしっかり行われていることが多いアメリカの国立公園では、どうしても入場者数の多寡が公園の魅力の判断基準になってしまうことが多いのも事実だが、国立公園の管理や効用を「利用者数」といった単一の尺度で測ることはこうした観点からも適切ではないという。
国立公園の「国立公園局の組織の歴史的背景」
「歴史的にみると、アメリカの各国立公園の所長は、日本でいう『大名』のようなものでした。1900年代の終わりまで、『準軍隊(quasi-military)組織』と呼ばれていた組織の気風によるものかもしれません」
例えば、ウェストバージニア州に所在する公園は、ネブラスカ州の公園には全く違う事情があるが、各公園ではそうした事情の違いを理解できない。
「国立公園の所長は、ワシントンDC本部を嫌う傾向があり、独立性が強いのが特徴です。それぞれの公園の現場における管理で実績を上げ、7つある地域事務所長になることが目標です。このような独立性の強い組織を、1つの統一されたイメージを持つ組織としてまとめるために、ハーパースフェリーセンターが必要だったのです」
また、国立公園局として、他の公有地管理組織との資源管理方針の違いを明確に打ち出す必要もあった。同じ内務省に属する組織であっても、公有地管理局(Bureau of Land Management: BLM)は、管理地域での開発行為を認めている。そのような管理地と国立公園局とが境界を接しているケースも多く、標識(サイン)などで国立公園区域であることを明らかにし、違法行為を未然に防止する必要がある。
「そのために、標識の外観、色、デザインなどから、一目でそこが国立公園だとわかるような努力を行ってきました」
それには相応の予算が必要になる。
「国立公園をあまり訪れたことがない人々も含めて、一般市民が国立公園の設立や運営に協力的なのは、国立公園局としての『コーポレートルック』が確立されているからではないかと考えています」
自然解説活動は、人々が国立公園を訪れて初めて行うことができる。民主主義では、公園利用者以外の多くの人たちの支持も得なければ、予算も定員も確保することはできない。
「ご存知の通り、国立公園ではユニフォームやマーク、サイン(標識)などのデザイン、及び公園のイメージを支える理論的な基礎が統一されています。それは、言い換えれば、日本の自動車メーカーなどのもつ統一された企業イメージ、つまりはサービス及び製品の質の高さなどに関するイメージが明らかにされていることと同じです」
そのような役割を果たしているのがハーパースフェリーセンターだといえる。
「ですから、車一台一台の販売への波及効果は明確でないとしても、組織やブランド全体を考えた場合に、その効果は計り知れないものがあるといえます。ただ、このような効果は目に見えません。それが近年のこのセンターの予算や人員が頭打ちになっていることにも現れています」
国を一つにまとめる象徴としての国立公園
「国立公園局の持つもっともパワフルなところは、インタープリターが直接人々に語りかけるということです。インタープリテーションには、人々が自然や文化資源について理解を深める助けになるものであると同時に、アメリカ国民を1つのコミュニティーとして結びつける役割も求められています」
親しみやすくかつ知識豊かな職員が、国立公園を訪れた人々の案内役を務める。それは単に知識を教えるということだけではなく、アメリカの誇る大自然を守る国立公園の存在が、アメリカ人としてのアイデンティティーのよりどころにもなっているのだろう。
「ハーパースフェリーセンターは、このような業務に携わる職員をサポートするための教材やマニュアルなどを提供しています。それは直接的な費用対効果に現れにくいものですが、国立公園としてもっとも本質的な業務であると考えています」
「カナダの国立公園では、必ず『パークスカナダ(カナダ国立公園局)の○○○国立公園ユニットへようこそ。カナダの国立公園は△△△を目的にしています。』と伝えることが義務付けられています。このような規定はアメリカにはありませんが、とても大切なことだと思います。なぜなら、国立公園には、人々を1つの国にまとめる力があるからです」
たとえ一つ一つの公園が、小さく、無名公園であっても、体系的なシステムに組み込まれることで大きな力を発揮するという。
「それによって、黒人などのマイノリティーなども含め、人々を1つにする力が発揮されるのです。それは『包含の精神(Spirit of Inclusion)』とも呼ばれるものです」
カナダ公園局の取組は、単に一つ一つの公園について紹介するのではなく、それがカナダの公園システム全体を形成している1つのユニットだということを印象づけることになる。
「ハワイの国立公園に勤務したことが、私にとって大変貴重な経験となりました。そこでは、白人(Caucasian)はマイノリティーなのです。マイノリティーが公園を利用する気持ちというものがよくわかりました」
アメリカの人口構成は変化してきており、米国本土でも白人がマイノリティーになりつつある。
「ヒスパニックの人々は、昔のアメリカ人のように大家族でピクニックを楽しみます。4人がけのピクニックテーブルでは合わないのです。また、グランドキャニオンでは、裕福なアメリカ人のリタイア組か、もしくはドイツ、イタリアなどの長期休暇の取れる外国人観光客がほとんどです」
米国人の多くは忙しく、とてもゆっくりと国立公園に滞在する時間がない。そのために、インタープリテーションプログラムも短いものが好まれる傾向にあるという。
「ところで、私は1983年に日本に行って富士山に登ってきました。そこで何人かのパークレンジャーに会いましたが、公園管理に携わっている人々には共通の価値観があると感じました。国立公園が、関係者同士を兄弟姉妹のような関係にしてくれるのではないでしょうか。私たちはお互いに協力しあうことで、もっとうまく問題に対処していけると思います」
公園の管理システムが大きく異なる日米の国立公園でも、共通する問題は多いのかも知れない。
国立公園のサイン(標識)
アメリカの国立公園には、必ず入口付近に特徴のある「看板」がある。国立公園の名称や国立公園局のヤジリ型のロゴマークが入っているので、写真にとっておくとアルバムのインデックスのような役割を果たしてくれる。私たちもできるだけこの入口標識の前で写真をとるようにしていたが、記念になるだけでなく記録としても便利だった。また、国立公園のまわりには信号などはないので、高速道路から公園の入口までノンストップで到着してしまうことも少なくない。料金ゲートの前で、国立公園の年間パスを財布などから取り出したり、車の中を片付けたりと、ちょっとした小休止にちょうどいいのだ。エンジンをとめて三脚を立てていると、静かな国立公園の雰囲気に包まれ、ようやく国立公園に来たことが実感される。
この標識を過ぎると、そこから先はいつ珍しい動物やすばらしい風景に出会っても珍しくない自然の豊かな地域だ。ビデオやカメラの準備を準備しておくチャンスでもある。
標識が設置されている場所は、大抵どちらかというと風景はあまりよくない。その代わり、必ずといっていいほど、十分な駐車スペースが用意されている。車を停めて辺りを見渡すと、看板の周りにも人が並んで立てるスペースが確保されていることがわかる。アメリカの国立公園の入口標識は、単に大きな看板ではなく、国立公園にとって重要な施設のひとつで、大げさに言えば、国立公園のイメージ戦略上も重要な役割を果たすビジターサービス施設といえる。
国立公園における標識整備とCCC
現在の国立公園の公園施設の基礎は、CCC(Civilian Conservation Corps: 民間人保全部隊)【1】によって築かれたといわれている。CCCは、1933年にニューディール政策の一環として導入された雇用対策のひとつであり、職にあぶれた多くの若者が、公園内に設営された軍隊式のキャンプに寝泊りしながら施設整備に従事した。全国各地の国立公園で、それまで遅れていた道路、駐車場、建築物、歩道、標識などの整備を「人海戦術」によって進めていった。
こうした大規模な公園整備を進める過程で、国立公園局とCCCは、施設計画やデザインの体系化をせまられることになった。大規模な施設整備が全米で行われるようになると、一つひとつの工事を公園施設の専門家がつきっきりで指導することができない。公園施設に関する専門的知識がなくても、ある程度の土木設計技術があれば設計・施工が可能なマニュアルが必要になった。このような背景から制作されたもののひとつが、「公園及びレクリエーション施設(Park and Recreation Structures)」という公園施設の事例集だ。1938年に取りまとめられている。
この事例集では、それまでに自然公園に整備された施設が、写真とともに解説されている。標識類は、主に「エントランス車道(entrance ways)」と「標識(signs)」の項で取り上げられている。
「エントランス車道」の項からは、当時、国立公園が急増する自動車利用に手を焼いていた状況が伺われる。当時普及しつつあった自動車の受け入れは、国立公園にとっても利用者が増えるというメリットがあったが、同時に国立公園での自動車の利用を適切化することが求められることを意味していた。
例えば、単に近道をするために商業トラックが国立公園内を通行したり、公園に到着したビジターが、それまで走ってきたままのスピードで公園内を疾走したりする問題が起こることになった。
交通対策としてまず導入されたのが、パイロン(石積み塔柱)やゲート(門)など、入口や境界を明示する構造物だった。主要な入口など扉部分がつけられない場合でも、両側の門柱部分、擁壁、アーチなどを設置することにより、「ここからは国立公園です。ゆっくり走りましょう」というメッセージをビジターに伝えることをねらいとする。
マウントレーニエの大きなゲートなどのように、オリジナルのゲートが残っている公園もあるが、ほとんどの場合はゲート自体は既になく、入口標識にこうしたゲートなどの意匠が取り入れられている。
標識の左右どちらか一方に石積みの部分がある場合は、おそらくパイロンの意匠を取り入れたものだろう。同じように、標識の脇に何本かの丸太が立っていることがある。これはアメリカで昔使われていた木製ゲートの名残のようだ。さらに、これらが混在しているケースもある。
もちろん、純粋に標識としてデザインされた入口看板もある。その代表的なものは、丸太を横たえたもの、一本支柱、一本支柱に腕木をつけたもの、二本支柱とサイン板、そして屋根つきのものなどである。
1988年のサインマニュアル
2003年に新しいユニガイド基準が策定されるまで、国立公園内の標識類のマニュアルとして用いられてきたのが国立公園局の「1988年のサインマニュアル」だ。
このマニュアルでは、「国立公園の入口標識は、それぞれの国立公園に固有のもの」と位置づけられている。言い換えれば、各公園が独自のデザインを採用することを認めている。いわば、地域ごとの公園地に合ったデザインとすることで、それぞれの公園のイメージを打ち出すための「顔」としての性格付けを行ったものであり、それが現在の有名国立公園の個性あふれる入口標識として残されている。
マニュアルの内容で特徴的なもののひとつに、使用される材質に関する記述がある。入口標識には、それぞれの公園の性格をイメージさせる素材を使用することが求められている。公園内で見られる岩石、木材を用い、さらに、そのサイズも、原生林のある公園であれば太い丸太を、そうでなければ普通の規格の木材を用いるべきであるとしている。
その一方で、国立公園局の管理する「ナショナルパークシステム」全体が統一的なイメージを持つことができるようなデザインの統一についても一定の基準を打ち出している。入口標識については、「ロゴマークと国立公園名」のみを記載することとし、場合により「組織名」を含めることができるとしている。板面の記述を簡略化・統一化することにより、入口標識の機能を明確化し、あわせて共通のイメージを提供することを目指している。
1988年マニュアルのもうひとつの特徴は、エントランス道路の設計速度や、規模幅員などに応じて、盤面の大きさ、高さ、文字の大きさなどを選択するための基準が示されたことである。通行する車両の走行速度などから、文字の大きさなどが選択できるようになったため、道路の設計速度に応じて合理的な標識がデザインできるようになったのだ。これらは、現在のユニガイド基準に採用されている統一規格の導入などにつながるものだ。
ユニガイド・プログラム
ユニガイド・プログラム(UniGuide program)は、ハーパースフェリーセンターが主導する国立公園内の標識類をはじめとした国立公園に関するデザインの体系化に関する取組である。1990年代に開始され、2003年にようやく「ユニガイド・サイン基準」(以下、新サイン基準)が策定されて完成した。この新サイン基準では、サインの目的、設置場所、車道、歩道、利用のタイプ(通過型、散策型など)、記述内容などについて、細かくかつ具体的なデザインが示されている。ページ数は全体で600ページを超える。
このサイン基準の特徴のひとつは、前述のユニグリッド・システムで採用されている「ブラックバンド」が標識にも導入されたことである。色は黒色ではなく濃緑色だが、表示面の上端に、設置者である国立公園局の名称とマークの入った帯(オーバー・バー)がデザインされている。これにより、標識についても印刷物同様に「国立公園局の管理する公園地」(=「ナショナルパークシステム」)の統一的なアイデンティティーを演出するための基礎が整ったといえる。
国立公園局が管理する公園地には歴史公園、戦跡など、小規模な国立公園も少なくない。また、大規模な公園として国立レクリエーション地域などがあるが、これらは利用に重点が置れており、自然保護を目的とした国立公園とは異なる。これまで、こうした公園地もカバーできるような基準が十分ではなかったことから、このサイン基準は、これらの園地の標識類にも統一的な基準を示したという意味で、画期的だったといえる。
新サイン基準のもうひとつの特徴は、木材や石材などの天然素材の使用にこだわっていないという点にある。これまで使われてきた基準(1988年マニュアル)が、木材や石材などその公園らしい自然素材の使用を求めてきたことを考えれば、大きな方針転換といえる。
標識の構造については、かなり詳細に仕様が示されている。内容に変更の多い表示面は取替えが可能になっている一方で、台座は長期間の使用に耐えうる材質と構造が選択されている。例えば、材質はアルミニウムのような腐食しにくい金属やコンクリートを用い、木材もレッドウッドなど耐久性の高いものが指定されている。表示面は塗装するか、もしくはシートを貼り付ける仕様が採用されている。
このような構造や部品の共通化は、設計や維持管理コストの縮減・合理化にも大きく貢献するだろう。また、それは近年進められている設計やメンテナンスのアウトソーシングの流れに沿うもののようにも思われる。
このハーパースフェリーセンターによる取組は、これまでの国立公園のデザインに関わってきた蓄積のなせるわざといえるだろう。一方で、これまでの個性的で歴史的な国立公園の標識については、取り扱いが難しい面もある。それぞれの国立公園がもつ固有の特色を残しながら、システム全体が大きなブランド力を発揮するしくみ。この両者を統合していくための壮大な実験が今も積み重ねられているようだ。
- 【1】民間人保全部隊(CCC)
- 第6話 遠征編 from Mammoth Cave(その4)「国立公園の整備と民間人保全部隊(CCC)」参照
関連情報
- ハーパースフェリーセンター:ユニガイド・サイン・プログラムウェブサイト
- NPS Identity 1, Summer 2004; Office of NPS Identity, Harpers Ferry Center, National Park Service, U.S. Department of the Interior
- National Park Service Sign Manual, revised January 1988, United States Department of Interior
- Park and Recreation Structures; United States Department of the Interior and National Park Service, 1938
- 米国国立公園の標識整備(入り口標識を中心として)『国立公園』(財団法人国立公園協会) November.2003(通巻658号), p.24-25
- 米国国立公園の標識整備(入り口標識を中心として)『国立公園』(財団法人国立公園協会) November.2003(通巻658号), p.26-27
- 米国国立公園の標識整備(入り口標識を中心として)『国立公園』(財団法人国立公園協会) November.2003(通巻658号),カラー写真のページ「米国国立公園の標識例」
妻のひとこと
ハーパースフェリー歴史公園は、古い町並みがそのまま保存されている公園です。幹線道路から町中に入っていくと、両側に昔ながらの石造りの家が多くなってきます。みやげ屋さんや民宿のような建物が並んでいて、どこからが公園なのかはっきりとした境界がありません。展示は、そういった昔の建物の内部をうまく改修して作られています。
おもしろかったのは、昔のままに復元された雑貨屋さんでした。実際に店の中に入れるのですが、商品一つ一つが忠実に再現されています。店の棚に並んだ缶詰はそれぞれ真新しいのですが、貼られているラベルはまったく当時のままなのです。ガラスビンやいろいろな生活雑貨もそのまま並べられています。洋服店やバーなども復元されていました。
そうかと思えば、建物がまだ「修復途中」のものもあります。わざと内部の壁などを取り除き、材木を切り出した時ののこぎりの跡が残っていたり、基礎の部分が見えるようになっていたりしています。時計屋さんにもいろいろな時計が並んでいますが、時計は修理中で、今にも時計職人が戻ってきそうな雰囲気です。
大きな建物の内部は展示スペースになっていて、自然環境に関する展示や、ミニシアターなどもあります。もちろん、南北戦争に関する展示や、当時の黒人奴隷の様子、奴隷解放のためにハーパースフェリーで武装蜂起したジョンブラウンという人物について、相当詳しく解説されていました。当時の奴隷の値段がどのくらいだったのか、奴隷の生活や悲惨な人生などについても克明に解説されています。かわいらしい家の建ち並ぶ町並みだけからは想像できない、激戦地としての横顔や、南北戦争が果たした奴隷解放の偉業といったものを学ぶことができます。
武器の工場、鉄道、川にかかる大きな橋、そして運河の跡など、この小さな公園は、アメリカの人たちにとって、今でも重要で特別な場所なのでしょう。
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なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。