No.029
Issued: 2011.04.27
国立公園『レンジャー養成所』訪問!(その2)
国立公園局の初任者研修のエクスカーションに参加するため、アンティータム国立戦場を訪問する。
アンティータムは南北戦争の歴史の中でも有数の激戦地だ。こうした戦争の歴史を伝える歴史公園の管理についてもお話を伺うことにした。これまで訪れた国立公園とはひと味違うお話しが聞けそうだ。
アンティータム国立戦場での研修
マザー研修所のインタビューの翌日、研修所から車で30分ほどのところにあるアンティータム国立戦場を訪問することになった。急遽参加させてもらうことになった国立公園局の初任者研修のエクスカーション(現場視察)だ。
アンティータム国立戦場(Antietam National Battle Field)
アメリカの歴史上、最も凄惨な戦闘といわれている「アンティータムの戦い」の戦場を記念する公園地。国立公園の管理する国立公園ユニットのひとつ。メリーランド州シャープスバーグ近傍に位置し、面積約2,000ヘクタール。
1862年の9月17日に行われた戦闘は1日で終結したが、12時間という短い間に23,000人以上の兵士が死傷、もしくは行方不明となった。1日の戦闘としてはアメリカの歴史上最も犠牲者の多い戦いといわれている。この戦いは結果的に北軍の勝利に終わり、これがリンカーン大統領による奴隷解放宣言につながったと言われている。
国立戦場にはアンティータム国立墓地(Antietam National Cemetery)が併設されている。戦闘で死亡した約4,000人に加え、戦闘後にも怪我や病気により死亡した戦士が多数に上ったため、静かな農村であったシャープスバーグは巨大な野戦病院と埋葬地となってしまった。これらの遺体を収容してつくられたのがアンティータム国立墓地である。
アンティータム国立戦場は広々とした公園で、南北戦争当時の田園風景がそのままに残されている。激戦が繰り広げられた橋のたもとや道路脇などに看板や解説板が立っているが、それがなければ普通の農地と区別がつかない。当時の田舎道がそのまま残されているような道路は、ゆっくりと車でまわるのに適している。
講義の会場は、農家のような風情のあるセミナーハウスだった。入り口を入るとミニシアターのような部屋があり、中央に演台が据えられている。
講師として演台に上ったハワード所長は恰幅がよく、いかにもベテランの国立公園職員といった感じだ。
「国立公園に勤務していると、時々思いもよらないことが起こったりすると思います。そういう事件には往々にして複雑な事情があって、『こうすればいい』という単純な解決策がみつからないことが多いものです。今日の講義では、この公園で実際に起こった問題について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います」
ハワード所長は、そう前置きすると、まずこの公園の概要を簡単に説明してくれた。
「アンティータムは、南北戦争当時、最悪の激戦地のひとつといわれています。この戦いを記念するため、当時の戦場の様子をできるだけそのまま保存・再現しています。例えば、農地は周辺の農家に委託し、当時のように作物を育ててもらっています」
「この戦場跡地には国立墓地が併設されています。公園の所長がその管理責任者も兼務しています。墓地の区画はすべて割り当てが決まっていて、新たな戦没者の受け入れはできないことになっています。ところが、この墓地についてちょっと困った問題が起きました」
この地域出身の兵士が海外に派兵されていたが、現地で発生したテロ行為により戦死。遺族からは、殉死した息子を地元のアンティータム国立墓地に埋葬したいとの強い要望が寄せられた。
「地元選出の政治家に熱心な陳情活動が行われ、政治問題化しました」
当時のテロ行為に対する政府の姿勢などもその背景にあったのだろう。
「当時のゴア副大統領からも電話がかかってきました。『何とか埋葬してあげてほしい』という内容です」
国立墓地の管理規則では新たな区画を設けることができない。所長とはいえ、独断で脱法措置をとることはできない。その一方で、国立公園局本局からも善処するよう圧力がかかる。
「ここで重要なことは、仮に1件でも例外的な取扱をすると、その後、同じような事態が生じた際、断ることができなくなるということです。規則を守りながら、事態を収拾しなければなりません」
まずは、研修生のディスカッションだ。自分だったらどうするか、様々な意見が出てくる。
ちなみに、その後、時代はアフガニスタン紛争の泥沼化、イラク戦争の勃発と長期化などが相次ぎ、殉職者の数も急増した。もし、ここで安易な解決策をとっていたら、その後の国立墓地の管理は大混乱していただろう。
参加者からは様々な発言があり、真剣な議論が繰り広げられた。「受け入れを拒否すべきだ」「いや、例外的に受け入れるべきだ」と意見が二つにわかれた。
所長が議論をいったん打ち切り、公園のとった対応について説明を始めた。
「私たちはまず規則を詳細に検討してみました。その結果、区画を新たに増やすことはできませんでしたが、もし区画に空きがあれば埋葬は禁じられていないということがわかりました。早速、墓地の区画を1つ1つ確認していきました」
実際に埋葬されているかどうかは、古い記録を整理しなければわからなかったという。さらに、割り振られた区画と、実際の埋葬者などの対応が不明な部分もあった。
「その作業には相当手間取りましたが、ようやく誰も埋葬されていないとみられる区画が2ヶ所見つかりました」
1区画目を確認してみると、その区画には岩盤が露出していた。墓地内では岩盤を掘削するような改変が認められていないことから、埋葬ができないことがわかった。
「2ヶ所目の区画にはまだ誰も埋葬されていませんでした」
台帳に記載された遺族に連絡をとろうとしたが、情報が古く、すぐには特定できなかった。権利者の死亡などの経緯から現在の権利所有者を見つけ出し、そして区画の譲り受けについて了解をとらなければならない。
「権利者を特定し、話を聞いてみることができました。埋葬されるはずだった兵士の遺体は、遺族の意向で別の墓地に埋葬され、やはり誰も埋葬されていないことがわかりました。遺族は快く、区画の権利を提供してくれました」
こうして、殉職した兵士の遺体を無事埋葬することができた。ただ、今後似たようなケースがあった場合には今回と同じ手法は使えない。
「国立公園は、連邦政府の管理下にありますが、それは国民共通の財産でもあります。私たちはその管理を委託されているにすぎません。私たちは常にチームとして問題解決のために知恵を絞り、一つひとつ解決していかなければならないのです」
マニュアル化することが難しい問題について、ケーススタディーにより対応のための姿勢や原則を学ぶ。現場で出会う多くの難題に対処するためには、このようなワークショップが欠かせないようだ。
講義が終わってから、私たちはハワード所長に公園の管理について少しお話しを伺った。
「1930年代には、多くの国立史跡(National Monument)や戦場跡地が国立公園局に移管されました。自然地域の管理しか経験のなかった公園局にとっては苦労が絶えませんでした」
戦場の大部分はトウモロコシ畑だったために、現在も農家に公園の土地を貸与して、当時と同じ作物を同じ手法で栽培してもらっている。このような景観管理は公園の資源管理部門の職員が担当している。
「まとまった面積の草地が維持されているので鳥類が多く、バードウォッチングにも適しています。ハクトウワシも2羽生息しています」
資源管理部門には、部長、上席生物学者、科学技官が2名、GIS技官が勤務している。その他、夏期には臨時職員が4名配置されるそうだ。国立戦場であっても、他の国立公園ユニット同様、公園内の自然資源を維持していく義務がある。
「文化資源の担当職員は、自然資源の担当職員とは別に4名おり、メンテナンス部門がその業務を補助しています」
公園内で行われるプロジェクトは、すべて事業評価プロセスを経ることになっているという。資源管理部門の職員が事業による影響を評価し、必要な場合には事業の見直しや中止を勧告する。
「1つの事業の審査には、だいたい3週間程かかります。これまで、完全に中止になった事業がひとつあり、ほとんどの事業内容が修正されます」
史跡公園であっても資源管理部門があるというのは驚くべきことだが、そうだからこそ、きちんとした事業評価も可能なのだ。
<妻の一言>
アンティータム国立戦場はとてもきれいなところで、ちょうど私たちが最初にボランティアをしていたケンタッキー州のマンモスケイブのような田園風景が広がっていました。そののどかな風景からはそこが昔激戦地だったということが信じられませんでした。
国立戦場の中には、農地を縫うように道路が走っていて、車でのんびり公園内を見てまわることができます。また、高い展望台があってそこに登ると園内を見渡すことができます。
ビジターセンターはゆったりとしていて、室内からも風景を眺めることができます。職員が定期的に案内するようなプログラムもあります。
センターの中には、南北戦争時代や戦闘の様子を伝える展示室がありますが、そこに展示されている写真には当時の凄惨な戦場の風景が記録されていました。
研修が終わるともう薄暗くなっていました。私にとっては南北戦争も歴史の教科書の1ページに過ぎませんでしたが、国立戦場を後にする頃には、アメリカの人たちにとってはとても大きな意味があるということが理解できた気がしました。
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(記事・写真:鈴木 渉)
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〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。