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アメリカ横断ボランティア紀行

No.024

Issued: 2010.04.08

大陸横断(レッドウッド〜フォートコリンズ)

目次
クレーターレイク国立公園
ラッセン火山国立公園
ロッキー越え
大陸分水嶺
フォートコリンズでの休憩
ロッキー山脈を横断するインターステート80号線

ロッキー山脈を横断するインターステート80号線

 10月半ば、レッドウッドからワシントンDCまでの大陸横断の旅が始まった。マンモスケイブからの横断に対して、今回は西から東への大移動だ。
 前回はメキシコ国境近くを通る南のルートだったが、今回はロッキー山脈の真ん中付近を越えるようなルートをとることになった。ロッキー山脈はそろそろ雪が降り始める時期を迎えており、とにかく雪が降る前に山脈を越えてしまいたい。レッドウッド国立州立公園近傍の国立公園を回った後は、雪に追いかけられるようにして一気にロッキー山脈を越えることになった。

クレーターレイク国立公園

 大陸横断の途中、最初に訪れたのは、オレゴン州にあるクレーターレイク国立公園だった。オレゴン州南部に位置するこの公園は1902年に設立された、紺碧の美しい火口湖が特徴の公園だ。面積74,000ヘクタール、利用者数は年間約45万人。火口湖のまわりには周遊道路と展望台があちこちに整備されており、車に乗りながらのんびりとドライブを楽しむことができる。公園は、冬ごもりのためいたるところで看板が外してあった。幸い、この年は雪が遅かったため、まだ火口湖の周回道路が利用可能だった。

クレーターレイク国立公園の美しい火口湖

クレーターレイク国立公園の美しい火口湖

展望台のトイレ。石積みで周囲の景観に溶け込んでいる

展望台のトイレ。石積みで周囲の景観に溶け込んでいる


湖面の反対側にも美しい風景が広がっている

湖面の反対側にも美しい風景が広がっている

 まず、公園の情報を得るためにビジターセンターに入る。ビジターセンターは、古い建物を大切に使用していて、なかなか雰囲気のある外観だ。室内は狭いが、展示室の他、レクチャールーム、レンジャーのいる室内カウンター、それと物販スペースが併設されている。公園の紹介ビデオをレクチャールームで見てから、地図や絵葉書を購入する。レンジャーのカウンターには長い行列ができている。
 やむを得ず、売店の店員さんに質問することにした。
 「普通タイヤでも大丈夫ですか?周回道路はどちら周りがいいでしょうか」
 店員といっても協力団体(NGO)のスタッフなので公園の情報には詳しい。
 「今年はまだ本格的な雪は降っていません。公園はどちら回りでもいいですが、右回りの方が展望スペースに入りやすいですよね」


ビジターセンターの外観

ビジターセンターの外観

隣接する管理事務所。これも古い建物を使用している

隣接する管理事務所。これも古い建物を使用している


 アメリカの国立公園の実力は、こうした売店の職員の教育にも現れている。NGOが物販の委託を受けるためには、スタッフが最低限の知識を身につけ、ビジターに対するサービスを提供することが求められる。もちろん、販売される商品もあらかじめ公園側と相談している。レンジャーの情報提供業務を補完してくれるのは公園側としても利用者側としてもありがたいことだろう。

 ビジターセンターを出て周回道路(リムドライブ)を走ると、実に展望スポットが多い。火山湖は巨大で、周囲33マイル(約53キロメートル)もある。7,700年前に起きた最後の噴火のために、マザマ山(推定標高3,700m)という火山の山塊のほとんどが吹き飛ばされ、その爆裂火口に水がたまったものだ。湖面は摩周湖の3倍ほどもあるという。リムドライブの車道はゆったり、かつしっかりと建設されている。
 先を急ぐため、湖を一周して早々に国立公園を後にした。途中立ち寄ったリムドライブ沿いのミニビジターでは、水質モニタリングに関する展示などもあり、これについても興味深い話題があるのだろうと思いつつ、先を急ぐことにした。

湖面を眺めながら昼食

湖面を眺めながら昼食

ミニビジターセンター。この施設は開いていなかったが、新しい施設がここから少し湖面側に下ったところにあった。

ミニビジターセンター。この施設は開いていなかったが、新しい施設がここから少し湖面側に下ったところにあった。

新しいミニビジターには展望台が設けられていてすばらしい景色を一望できる

新しいミニビジターには展望台が設けられていてすばらしい景色を一望できる

内部の展示は新しく、水質モニタリングなどに関する展示もあった

内部の展示は新しく、水質モニタリングなどに関する展示もあった


■クレーターレイク国立公園(Crater Lake National Park)
オレゴン州の南部に位置する巨大なカルデラ湖を有する国立公園。クレーターレイクの最深部は594mに及び、アメリカ合衆国で最も深い。湖面の標高は1,883m、面積は53平方キロメートル。もともと魚はいなかったが、放流された個体の一部が繁殖している。国立公園は、1902年5月22日、アメリカで6番目の国立公園として設立された。

クレーターレイク

クレーターレイク

国立公園の入口標識

国立公園の入口標識


ラッセン火山国立公園

ラッセン火山国立公園の風景。公園内は乾燥していて針葉樹がまばらに生えている

ラッセン火山国立公園の風景。公園内は乾燥していて針葉樹がまばらに生えている

 次に訪れたラッセン火山国立公園は、モンタナ州からもう一度カリフォルニア州戻ったところにある。レッドウッドとは全く異なる内陸性の乾燥した気候である。この公園もすっかり冬じまいしてしまっていた。
 でもそれだけにとどまらない、何かさびれたような雰囲気が漂っている。公園面積は43,000ヘクタール、年間利用者数は41万人(2003年)だ。地図を見ても、カリフォルニア州北内陸部にひっそりとマークされている。ヨセミテやキングスキャニオンなどの大公園とは比べるべくもない、イメージの沸きにくい国立公園だ。


ラッセン火山国立公園のゲート。他の公園と比べるとかなり簡素な印象を受ける

ラッセン火山国立公園のゲート。他の公園と比べるとかなり簡素な印象を受ける

 レッドウッドには「世界一高くなる木」があるが、火山を特徴とする国立公園はここ以外にも多い。一部しか見ていないものの、正直「息をのむ」ような景観がここにはあるわけではない。季節のせいもあって利用者も少なく、入口ゲートで年間パスポートを持っていると知ると少しがっかりした様子でパンフレットをくれた。おそらく職員のコストは徴収額を上回っているだろう。冬季ということもあるのだろうが、公園内の施設はことごとく閉鎖され、職員をほとんど見かけなかった。利用可能なトイレも簡素な便槽型ばかりだった。


 私たちにとっては人も少なくのんびりとピクニックテーブルを占領できるので言うことはないが、この「貧しそうな」国立公園を目の当たりにして、複雑な気持ちにさせられた。同じ国立公園といえども、ヨセミテ国立公園やグランドキャニオン国立公園のような有名公園もあれば、小規模な公園もある。言い換えると、国立公園にも「貧富の差」があるのだ。
 フィー・プログラムの導入により、国立公園にも貧富の差のようなものが広がっているという予感があったが、こうして目の当たりにすると、制度のかかえる大きなリスクを思わずにはいられない。人気の高い国立公園でのサービスと施設の過剰整備、利用者数増加への過度のインセンティブ、国立公園管理組織の歪みなど。
 入場料金をそのままその公園の管理費に充てること、それもビジターサービス、施設整備、臨時職員の給与のみに限定することの影響は、こうした相対的に魅力の低い有料公園にもっとも大きなしわ寄せがくることになる。

国立公園の入口標識

国立公園の入口標識

 この公園を去るとき、入口看板の裏側に「Thank you for visiting Lassen Volcanic National Park(ラッセン火山国立公園を訪問していただきありがとうございます)」と書かれているのに気がついた。これまでいくつかの公園を回ってきたが、このような言葉に出会ったことはなかった。あったとしても「You are leaving Mammoth Cave National Park(あなたはマンモスケイブ国立公園を出ます)」など。これまで国立公園を訪問して、「感謝された」という記憶はなかった。利用者には国立公園内での様々な規制や制約、国立公園のすばらしさに関する解説やメッセージはあっても、このような心温まるメッセージはなかった。貧しい(と勝手に決め付けては申し訳ないが)からこそ、利用者の大切さが理解できるのだろうか。
 資本主義が独占するアメリカ社会において、「お客様」の観点は欠かせない。一方で、国立公園のビジターに対する意識は少し違っているらしいと感じることもあり、そのギャップが小さな違和感として残されている。そのギャップは、すなわちビジターはカスタマーではないという認識なのではないかと、ここラッセン火山国立公園の看板の言葉を見てふと思った。
 ほんの短時間の滞在であったが、ラッセン火山国立公園の訪問は大変印象深いものとなった。


■ラッセン火山国立公園(Lassen Volcanic National Park)
カリフォルニア州北東部、カスケード山脈に位置する火山を特徴とする国立公園。1914年から1921年にかけて大小の噴火が観察された。
歴史的には、1907年に、Cinder Cone National MonumentとLassen Peak National Monumentという2つの異なる国立記念物公園として設立され、国立公園としての設立は1916年。公園には5つの車道ゲートがある。
1972年にラッセン火山ウィルダネス(原生地域)が指定され、公園区域のほぼ全域がウィルダネスとして保護されている。利用者数は、2008年現在で38万人と若干減少傾向にある。

ヘレン湖とラッセンピーク

ヘレン湖とラッセンピーク


ロッキー越え

 ラッセン火山国立公園を出発し、車を一路西に向け走らせる。カリフォルニア州を出る頃、グレートベイスンと呼ばれる乾燥地域に入ってきた。乾燥するとともに気温も上がり、Tシャツになった。グレートベイスンは、ネバダ州のほぼ全域と西隣のユタ州の西半分を含む。この地域からは海に流れ出す河川がないため、降った雨はすべて蒸発により失われる。道路わきには草地が広がり、時折灌木林や松林のような乾燥した樹林地がある。
 しばらく走ると、木のほとんどない平野に入ってきた。このあたりは、西部開拓時代には「死の40マイル」と呼ばれていた難所で、駐車場脇にあった解説板によれば、この区間を越えられずに命を落とした人も少なくなかったという。
 この乾燥地域を抜けるインターステート80号の走行車両は軒並みすごいスピードだ。走行車線は大きなトラックが多いが、そこでも時速80〜90マイル(時速130〜140km程度)は出していないとあおられる。

ネバダ州に入り、樹木がまばらになった。早朝に宿をでるよう心がけた

ネバダ州に入り、樹木がまばらになった。早朝に宿をでるよう心がけた

草地が続く。杭が立っているのは放牧のためだろうか

草地が続く。杭が立っているのは放牧のためだろうか


 アメリカのトラック(トレーラー)はとにかく長い。並んで走行すると、車両間の空気が負圧になり、トラックの方に引っ張られる。並走しないためにはトラックに抜かれないようなペースを保つ必要があった。また、トラックにも上手い下手がある。走行速度が一定で、追い越しなどが安定しているトラックの後ろを走るように心がけた。
 アメリカの自家用車の設計は日本車のそれとは大きく違うことがわかる。このポンティアックのモンタナはワンボックスタイプで、総排気量は3.6リッターの6気筒エンジンを積んでいる。アメリカではこのクラスとしては小さい方だろうが、日本の平均的なワンボックスより一回り大きい。相当な荷物を積んで長時間・長距離の運転をしてみてはじめて、アメリカの車の特徴が理解できる気がする。日本の街乗り中心で短距離を走行することが中心の使用環境とは相当異なる。かなり厳しく多様な気象条件の中を、比較的長距離移動するための移動手段なのだ。

GM社のポンティアック・モンタナ。横断中は生活用品や書類が満載だった

GM社のポンティアック・モンタナ。横断中は生活用品や書類が満載だった

 モンタナは、これまでトランスミッション、ショックアブソーバー、プラグ、ハイテンションコード、給気センサーなど、相当手間をかけて修理を重ねてきた、いわば「戦友」だ。大陸横断の時だけは不思議と故障しなかったが、今回もそれを祈るばかりだ。決して性能がいいわけではない手のかかる車ではあるが、車内はゆったりとしていてクッションもきいている。こうして、引越しのため生活用品を積み込んで運転しているとモンタナが「幌馬車」に思えてくる。また、こうした大陸の横断には、何か運命を変える予感のようなものが今もあるような気がする。


 ソルトレイクシティーは、グレートベイスンの東の端に位置する大都市だ。ソルトレイクシティーに近くなると、荒地のところどころに白いものが目立つようになった。サービスエリアに駐車してその白いものをなめてみると塩辛い。雪ではなく、土の中から析出した塩類だった。表面は硬く、歩くと「サクサク」と音がする。
 しばらくすると、道路左手に灰色に広がる湖面が見えてきた。ソルトレイクだ。冬のどんよりした雲の下に広がる湖面は巨大で、海のようにも見える。湖岸には塩田や白い塩の山があちこちに見える。

白く見えるものは塩類が集積したもの

白く見えるものは塩類が集積したもの

後ろにひろがるのはソルトフラットと呼ばれる平原。一面塩類で覆われ灰白色に見える

後ろにひろがるのはソルトフラットと呼ばれる平原。一面塩類で覆われ灰白色に見える


 ソルトレイクシティーは大きな都市だった。市内を通らず周回道路を迂回することにしたが、市街地を抜けたころ、正面に茶色い岩肌が見えてきた。近づいてみると、道路右手にそびえるように迫ってくる。
 驚いたことに、インターステート80号線はこの山塊にまともに直行するように伸びていた。山塊はロッキー山脈のはしりだったのだ。考える余裕もなく、道は壁のような急坂を登り始める。アクセルを床まで踏み込んでも加速しないどころか、空荷のおんぼろトラックにも抜かれる始末だ。

坂の両側には風化して赤茶けた岩が続く

坂の両側には風化して赤茶けた岩が続く

ワイオミング州に入り、道路の両側には荒地が広がる

ワイオミング州に入り、道路の両側には荒地が広がる


 ようやく傾斜がゆるやかになってくると、両側には荒涼とした風景が広がってきた。草もまばらな荒れ地だ。標高が急に高くなり、気温もぐっと下がった気がする。その夜から、眠りが浅くなり、ご飯の炊きあがりも悪くなってきた。標高が高いために気圧が下がり、沸点が下がったようだ。いよいよロッキー山脈の横断が始まった。

 「明日から天気が崩れるみたいよ」
 妻が不安そうにホテルのテレビに見入っている。
 予報は当たり、翌朝は雪になった。予想以上に雪がひどかった。ホテル滞在者たちがあわただしく出発している気配を感じながら、しばらく様子を見ることとした。日が昇るにつれ、雪の降り方は断続的なものとなり、定期的にやむようになった。路面は濡れているが、幸いシャーベット状になる程ではない。
 雪が小止みになったところでホテルを出る。そこからは雪雲との追いかけっことなった。しばらく走行すると雪雲を抜けるが、休憩していると急に風が強くなり雪が降り出す。すると、周囲の荒れ野がみるみる白くなる。

雪が降ると、荒地は一面白くなる

雪が降ると、荒地は一面白くなる

 道路は上り坂が続き、標高は少しずつ上がっていく。ところが、右手を見ると貨物列車がゆっくりと走っている。こんなに標高の高いところにも鉄道が通っていたのだ。


大陸分水嶺

 大陸分水嶺(Continental Divide)は、80キロメートルほどの間隔をあけて2回横断する。2回目の分水嶺は標高約2,100メートルで、なだらかな丘だった。雪の中を水しぶきを上げて走り抜ける。私たちは、「ロッキー山脈」と聞いて、カナディアンロッキーのような険しい山岳地形を想像していた。そのため、このなだらかな地形には拍子抜けした。しかしながら、今超えている山塊は、間違いなくこれまで経験したことのないような巨大な山塊だ。あらためてアメリカ大陸のスケールに圧倒される。
 分水嶺を越えて少し休憩していると、また雪と風が強くなってきた。雪道は下りの方が危険だ。休憩回数を減らし、一気にワイオミング州の州都シャイアンまで走り下ることにした。


ようやく晴れ間が見えてきた

ようやく晴れ間が見えてきた

 雪雲を追い越したのか、路面が乾いて運転がとても楽になった。徐々に草原も出てきた。最後の長い急坂の区間を過ぎると、黄葉したアスペン(ポプラの一種)がちらほら生えているのが見えてきた。久しぶりに見る広葉樹に、ようやくロッキー山脈の東側に帰ってきたことを実感する。
 アメリカ西部は自然も文化も人も想像以上にダイナミックだったことを思い起こす。広葉樹を中心とする中西部や南東部は、自然も文化もずっとマイルドだ。
 私たちのまわりは晴れていたが、今越えてきた山脈の方を振り返ると、真っ黒い雲が覆いかぶさっていた。
 翌日、ロッキー山脈国立公園の横断道路が雪に閉ざされ、本格的な冬ごもりに入ったことを聞いた。私たちはまさに間一髪のタイミングでロッキー山脈を越えることができたのだ。ここからはのんびりと東へ向かいながら、いろいろな政府機関を回って聞き取り調査を行う予定だ。

フォートコリンズでの休憩

フォートコリンズ周辺の風景。緑が濃く、ところどころ黄葉したアスペンが見える。遠くに見えるのは雪をかぶったロッキー山脈だ

フォートコリンズ周辺の風景。緑が濃く、ところどころ黄葉したアスペンが見える。遠くに見えるのは雪をかぶったロッキー山脈だ

 コロラド州の州都デンバーの北にあるフォートコリンズは、コロラド州立大学のある緑豊かな学園都市だ。ロッキー山脈越えのため、車に積む水や食料を最小限にしていたため、食料の調達や洗濯、インタビューなどを行うことにした。レッドウッドの付近と比べると、町が広々としてゆったりと計画されている。建物も街並みも豊かな印象を与える。


コロラド州立大学の入口にて

コロラド州立大学の入口にて

 フォートコリンズのコロラド州立大学は、ロッキー山脈国立公園のお膝元だけあって、自然資源管理においては全米屈指のレベルを誇る。この大学には入学願書を提出したが、書類選考で落ちていた。入学時期が合わないということが直接の理由ではあったが、結局他の大学も含め大学院への進学はかなわなかった(第1話参照)。それでも「もしかしたらここで2年間生活していたかもしれない」と思うと、この高原の大学都市が少し身近に感じられる。
 せっかくだから大学を覗いてみようと思い、キャンパスを散策することにした。自然資源学部には多くの学生が集まり、すごい熱気だ。授業にも多くの学生が詰めかけ、教授の話に聞き入っている。当然ながら学生は皆若い。


 今振り返ると、研修先が大学ではなくてよかったと思う。今さら授業を聞いてレポートを提出するのが億劫ということもあるが、せっかくアメリカに来ているのだから、講義室ではなく国立公園で研修してこそ、現場に役立つ生の体験ができる。国立公園の現場では、本当にいろいろなことを学ぶことができたと思う。
 「ここだと私は何もすることがなかったかもね」
 妻も、今ではボランティア作業や聞き取り調査を気に入ってくれている。聞き取り調査では、2人でメモをとり、妻は写真も撮る。私が相手と話している(ように見える)写真は、妻が上手くタイミングを見計らって撮影してくれたものだ。主要なインタビューのメモは、まず私が手書きで文章に起こす。妻がそれをパソコンに入力してくれる。打ちあがった内容について2人で話をして、あいまいな点などを調べ、加筆修正して保存する。こうして作成した記録は全部で66件。これらの調査とボランティアの経験、各種資料などから徐々に報告書の骨子を考えていく。
 なぜ国立公園に予算が多いのか。どのように利用と保護を両立させているのか。モニタリングがなぜ重要視されているのか。ボランティア制度成功の鍵は…?
 疑問は多くなるばかりで回答はなかなか得られなかったが、少しずつアメリカの「国立公園」というものが理解できてきたように感じていた。
 実務研修の最大の特徴は、そこに「回答」や「教科書」がないということだ。資料、経験、インタビューから持論を積み重ねる。それを現場の関係者にフィードバックして、感想を聞く。「教授」や「上司」のいない立場での作業だ。「誤り」もない代わり、誰も「答え」を教えてくれない。そこが難しくもあり、おもしろい点でもある。
 フォートコリンズからワシントンDCまでは、インタビューが目白押しだ。疑問が解消するか、それとも新たな疑問が発生するのか。ホテルでこれまでのインタビューの概要をまとめながらいろいろ頭をひねってみる。インタビューをするたびに新しい驚きがあるのは今も変らない。

<妻の一言>

旅の伴侶

 クレーターレイク国立公園に立ち寄った時のことです。私たちは思わぬ「同乗者」と出会いました。料金ゲートをくぐるとすぐ右側に小さなトイレがあるのですが、そこで事件が「発覚」しました。
 車のダッシュボードの隅から小さな動物が顔を出しました。すぐに隠れましたが、しばらくするとまた顔を出します。小さなノネズミでした。どこから乗ってきたのかわかりませんが、もしかしたら、レッドウッドで乗り込んでしまったのかもしれません。
 しばらくドアを開けておきましたが、出て行きません。また、考えてみると、このネズミがこの公園に分布しているのかもわかりません。

 「売店の図鑑で見てみよう」
 ということになって、図鑑を探しましたが、あいにくいい図鑑が売られていませんでした。
 とにかく、まずはネズミをつかまえなければなりません。立ち寄ったスーパーで小さな箱型のワナを購入しました。小さなプラスチック製のものです。
 店の店員に聞いたら、
 「クラッカーにピーナッツバターを塗るといいわよ」
 と教えてくれました。小さなピーナッツバターのビンも購入しました。
 夕方、車から荷物を降ろしていると、またネズミに会いました。今度は荷台の食料入れのあたりにいました。今度は一瞬目が合ってしまいました。なかなかかわいらしいネズミでした。私たちは、この同乗者を「チュー助」と呼ぶことにしました。
 しかし、急いでつかまえなければ、ロッキー山脈を越えてしまいます。また、日本食などの貴重な食料も食べられてしまうかもしれません。
 ところが、なかなかチュー助はつかまりません。エサのクラッカーが挟まり扉がうまくしまらず、エサだけを持って行かれてしまったりしました。既に食料のありかがわかったようで、いろいろ食べ散らかしてくれています。
 今度はピーナッツバターを直接箱に塗りつけることにしました。朝、箱を引き上げてみると、中に小さな茶色い塊が見えました。持ち上げてみると想像以上に軽く、中ではネズミが眠そうにしていました。
 書店を見つけて図鑑を調べてみると、「ディアーマウス」という種類であることがわかりました。幸いこのネズミの分布域はとても広く、このあたりにも分布していることがわかりました。
 宿泊したモーテルの近くにちょっとした茂みがあったので、そこで逃がすことにしました。箱のふたを開くと、チュー助が這い出してきました。しばらく体を地面にこすりつけて毛づくろいしていましたが、すっと草むらに潜り込んで姿を消してしまいました。
 ここ2〜3日は、チュー助のおかげですっかりレッドウッドのことを忘れていましたが、静かな2人旅に戻ると、またレッドウッドが懐かしく思い出されるようになりました。レッドウッドにはもう戻ることはないのですが、それがまだ信じられませんでした。


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(記事・写真:鈴木 渉)

※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。

〜著者プロフィール〜

鈴木 渉
  • 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
  • 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
  • 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
  • 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
  • 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
  • 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
  • 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
  • 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
  • その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
  • その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
  • 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。