No.021
Issued: 2009.06.11
アラスカへ(その3)
デナリ国立公園の少し手前にデナリ州立公園がある。駐車場に車を停めると、すぐ目の前にマッキンリー山とアラスカ山脈が広がる。手前に広がる森林地帯とのコントラストがとてもきれいだ。最初に訪れたキーナイフィヨルド国立公園とは異なる、内陸の本格的な山岳公園らしい景観だ。
デナリ国立公園へ
アンカレッジを出発した日は、よく晴れた寒い朝だった。9月はじめというのに、もう霜がおりている。市街地を抜けると、遠くに白く雪山が見える。マッキンリー山だ。アンカレッジとフェアバンクスをつなぐジョージパークス・ハイウェイは、なだらかな起伏のある平野を走っていく。アンカレッジを出てしまうと大きな町はなく、針葉樹の樹林地と荒地が交互に広がっている。
アンカレッジから国立公園までは車で約6時間の行程だ。国立公園に近づくにつれて、次第にマッキンリー山の白い山塊が大きくなり、目の前に迫ってくる。さすがに標高が6,000mを超えると迫力が違う。
デナリ州立公園は、国立公園の手前にある。車道から駐車場に入り車を停めると、目の前にアラスカ山脈が広がる。手前に広がる川の氾濫原や森林地帯とのコントラストが見事だ。
デナリ国立公園にようやく到着する。予約していた翌々日の公園内バスツアーのチケットを発券するために、入口近くのビジターセンターに入る。センターには展示やブックストアもあるが、チケットの発券カウンターが多くを占めており、まるで駅舎のようだ。カウンターの列に並び、チケットを受け取った。
「当日は朝7:15にこのセンターの裏に集合してください」
このツアーはとても人気があり、なかなか予約がとれない。ようやくチケットを手にしてほっとする。公園のエントランス看板などの前で写真を撮ってから、宿に向かった。明日は早速インタビューだ。
国立公園事務所インタビュー
デナリ国立公園の管理事務所は、公園の入口から車道を5キロメートルほど入ったところにある。私たちは車道ではなく、林間トレイルを歩いて行くことにした(このトレイルについては、「妻のひとこと」をご参照下さい)。
事務所に着くと、2階の所長秘書室に案内された。デナリ国立公園のアポイントは、所長秘書が調整してくれた。まず、公園のパンフや国立公園内で使われている犬ぞりに関するの図書などをいただく。その後、インタビュー先である、資源管理部門(Resource Management Division)に案内された。この部門は、所長室のある建物に隣接する別の建物の中にあった。実用的な雰囲気のある建物だ。
○デナリ国立公園及び保護区
1917年、マウントマッキンリー国立公園として設立。1978年に、隣接してデナリ国立記念物公園が大統領布告により設立された後、1980年に2つの公園が統合され、デナリ国立公園及び保護区(Denali National Park and Preserve)が設立された。
公園内には、北米大陸最高峰のマッキンリー山(6,193メートル)があり、アラスカ山脈の広大な氷河とそこから流れ出す河川、ツンドラやタイガ生態系が広がる原生的な国立公園。公園名の「デナリ」は、アラスカ原住民であるアサバスカン(Athabascan)族の言葉で「高きもの(high one)」の意。
公園内にはカリブー、ドールシープ、モース、ハイイログマ、シンリンオオカミなど多くの野生生物が生息する。
国立公園と国立保護区を合計した面積は6,075,030エーカー(約246万ヘクタール)で、日本の国立公園の総面積(約206万ヘクタール)を大きく上回る。うち、国立公園の面積は4,740,912エーカー(約192万ヘクタール)、保護区部分が1,334,118エーカー(約54万ヘクタール)。1980年にウィルダネス地域1,900,000エーカー(約77万ヘクタール)が指定されている。
インタビューに答えてくれたのはジョーさんというベテランの生物学者だ。通された部屋は、会議室というよりは作業室といった部屋で、図面や調査用具が並んでいる。レッドウッドで私たちが働いている事務所と雰囲気が似ている。
「私は1978年に採用され、それ以降ずっとこの公園で資源管理部門に勤務しています。採用当時は、資源管理部門には職員が2人しかいませんでした」
1980年、ANILCA法により、新たに200万エーカーの区域が追加された後も、この2名体制がしばらく続いたそうだ。現在は、12〜14名の常勤職員が勤務している。
「人々は、国立公園局が潤沢な予算を持っていると考えていますが、実はそうではありません。次々に新たな問題が起こり、常に予算が不足しているのです」
予算は、金額的には横ばいだが、給与の上昇分を差し引くと、実質的な業務経費は減少しているそうだ。
「国立公園局では、こうした予算不足を補うために、私企業から寄付を受けています。ただ、私企業ですから、相応の見返りを期待しています」
自動車メーカーは、高価で収益性の高いSUV車(sports utility vehicle:日本のRV車に相当)を売りたい。このようなオフロード車が売れるには、それを使うのにふさわしい「フィールド」や「目的地」が必要だ。国立公園内には車道も駐車場もしっかりと整備されている。すばらしい自然景観の中を快適にドライブすることもできるし、未舗装路を通って自然の核心地域に踏み込むこともできる。国立公園に置かれているパンフレットなど気をつけてみてみると、自動車メーカーの広告が多いことがわかる。
こうした自動車利用が、アメリカの国立公園を魅力的なものとしている一方で、多くの課題も生んでいる。これは、アメリカのモータリゼーションの発展と、アメリカの国立公園の制度づくりがほぼ同時期に進んだということと関係があるのかもしれない。
国立公園の直面する課題
「この国立公園の将来は、動力付き移動手段(motorized vehicle)の使用問題の解決にかかっているといえます」
いわゆるスノーモービルや小型のプロペラ機などの問題だ。
「仮に、公園側と利用者側がこの問題について早急に合意することができなければ、今後20年ほどの間に、公園の大半の資源が損なわれてしまうでしょう」
加えて、気候変動の影響も顕在化しているそうだ。
「今年、この地域は異常に乾燥しており、多くの森林火災が落雷により発生しています。特に、フェアバンクス周辺で発生した火災は大規模で、その煙がデナリにも流れてきて、広範囲にわたる霞の原因になっています」
この他、カリブーの個体数の大きな変動や氷河の消滅など、気候変動の影響によるものとみられる現象があちこちで観察されているそうだ。
「この国立公園の資源は、確実に変化してきています」
ANILCA法の抱える問題
「1980年以前に設立された旧マウントマッキンリー国立公園部分については、ほぼその管理手法が確立されていますが、拡張部分の管理には依然複雑な問題が多いんです」
新たに拡張された国立公園部分は、原住民による生活のための狩猟採取行為(subsistence activities)が認められている。さらに、新たに追加された保護区(preserve)部分では、レクリエーション目的の狩猟(sports hunting)も認められている。
「政治的圧力もあって、ANILCA法では、保護区部分に入り込む動力付き移動手段(motor vehicles)を排除することができませんでした」
同法により、地域住民による伝統的なアクセス(traditional access)手段の使用が認められているが、この「伝統的な」という規定に関する定義がはっきりしていないそうだ。
「例えば、ATV(all terrain vehicle:レクリエーション目的の小型四駆バギー車)は、保護区が追加された1980年代にはまだまだ一般的ではなかったのですが、ANILCA法制定の1ヶ月前からでも使用していれば「伝統的」と主張するわけです」
また、当時すでにあったスノーモービルも、近年の技術革新により、より遠くまで速く移動できるようになった。冬になると車道脇に毎日100〜150台の車が駐車されており、車1台あたりでスノーモービル2〜3台を持ち込んでいるそうだ。
「一般の利用者は「伝統的利用」がレクリエーション利用を含むと主張しているわけです」
技術の飛躍的進歩が、1980年の法律制定当時には想定していなかったような状況を招いてしまっている。
「ATVは、ツンドラに致命的な被害を与えます」
ATVの利用によって、ツンドラ地帯は、すぐ沼のようになってしまう。次の利用者はその沼地を避けるように大回りしていく。そのうち、一面が沼のようになってしまう。
「このような状況が、1980年以来20年続いているが、保護側も利用者側も合意や妥協のために歩み寄ろうとする動きがまったくないのです」
車道規制
「これに対し、1972年に導入されたシャトルバスサービスと、それに伴う自家用車乗り入れ規制は、利用者規制の成功事例といえます」
1970年代にジョージパークス・ハイウェイが舗装されるまで、アラスカ鉄道(1920年代に完成)が、デナリ国立公園にとって唯一の主要なアクセス手段だった。
「このハイウェイが舗装される時期を逃さず、公園の中心部へのアクセスをシャトルバスかツアーバスに限定したことは、画期的な判断でした。この判断は、アラスカを除く米国の大陸48州の各国立公園で繰り返されてきた失敗から教訓を得たものといえるでしょう」
イエローストーンやヨセミテのような国立公園では、設立当初から自家用車が入り込んでいた。このような公園での自家用車の乗入れ規制は確かに難しいだろう。これらの公園では車道そのものが自家用車の利用を想定して計画されている。また、前述のように自動車メーカーなどが国立公園を支援する背景には、そういった国立公園の計画、管理方針との利害が一致するからこそという側面がある。
デナリ国立公園では、こうした自家用車の乗り入れ禁止の措置を、公園へのアクセスが鉄道から自家用車へと転換する時期に導入したことと、それを想定した車道計画を取り入れたことで、その後大量に押し寄せることになった自家用車を公園から締め出すことに成功している。
「この規制に対する圧力はいまだに大きいのですが、このアクセス制限を続けることが、デナリの価値を守ることでもあるのです」
新たなアクセス計画
一方、デナリにおけるアクセス規制については、まだまだ安心できる状態にはない。現在も問題になっているのが、いわゆる「ノースアクセスルート問題(North Access Route Issues)」だ。
「ノースアクセスルート」は、公園の北側に公園の入口を新設し、別のルートで公園の核心部分に到達するルートを開こうとする案である。
現在、公園の核心部分であるワンダーレイクと公園入口とを結ぶ路線は、パークロード(Park Road)と呼ばれる車道が唯一のアクセス路だ。ノースアクセスルートの開設で公園の利用は格段に利便性が向上する。これが実現していないのは、デナリ国立公園の地質が不安定で、現在のルート以外での道路建設が現実的ではないからだ。デナリの自然保護の観点からは、これが幸いした。
また、アクセスコントロールの観点からは、車道の本数やゲートが少ないことに加えて、道路が行き止まりで周回利用できない形状が、交通量や混雑のコントロールを容易にしている。今回提案されているノースルートが開設されれば、車両台数が増えるとともに、周回利用する通行車両の管理が大きな課題になるだろう。
「提案されている新ルートの大部分は、過去に鉱物採掘のために建設が進められた砂利道跡です。この路線の建設には数億ドルの巨費が投じられたものの、当時の技術では地盤が安定せず、結局完成することはありませんでした」
このルートは湿地帯を通り、脆弱な植生への影響や、動物の生息域の分断などが懸念されている。そのため、国立公園としてはこのアクセスルート建設は何としても阻止しなければならない。
「この問題は、国立公園管理者がしっかりとした立場を貫くべき問題といえます」
現在のところ、このルートの建設は棚上げされているが、政治的な圧力などは依然強く、連邦政府議会の各種委員会における審議が続いている。国立公園は、このような様々な圧力に抗しながらアクセス規制を貫き、それが公園を守ることにつながっている。
○参考:デナリ国立公園関係年表(ノースアクセスルート関係)
- 西暦
- 主な事項
- 1917年
- マウントマッキンリー国立公園(Mount McKinley National Park)設立(2月26日)
- 1922〜1938年
- カンティシュナまでの公園道路(現在のツアーバスルートで唯一の公園道路)建設。建設工事は国立公園局の予算を用いてアラスカ道路委員会が実施。
- 1878年
- デナリ国立記念物(Denali National Monument)が、大統領の公告(Proclamation)により設立される(12月1日)。この他、同時期に行われた公告による国立記念物設立により、アラスカ州内での資源開発に歯止めがかけられる。
- 1980年
- アラスカ重要国有地保全法(ANILCA)が制定される。同法により国立公園の区域は拡張され、ハイイログマ、オオカミ、カリブーなどの大型哺乳類の生息環境を保全するために十分な面積を有するデナリ国立公園及び保護区(Denali National Park and Preserve)が設立される。
- 1986年
- 国立公園の総合管理計画(General Management Plan)が策定される。同計画では、新たな北側アクセス道路の建設が適当でない旨記載されている。
- 1992年
- カンティシュナへの代替ルートに関する検討委員会が設立され、砂利道の建設は適当でないとの結論に達するが、鉄道もしくはモノレールの建設については今後の検討にゆだねられることになった。
- 2003年
- アラスカ州知事が、デナリ国立公園内の代替ルート建設はアラスカ州の観光振興上不可欠と発言する。地元州政府は、現在も道路建設のための働きかけを活発に行っている。
「同じアクセスルートでも、隣接するデナリ州立公園側からのいわゆる『サウスアクセスルート』には公園も前向きです」
サウスアクセスルートは、南側に隣接する州立公園側から国立公園に入るためのルートだ。州立公園側からならマッキンリー山が見える。現在の国立公園入口からはマッキンリー山が見えないため、どうしても利用者が公園の核心部に入り込んでしまう原因になっている。また、入口が2ヶ所になれば、利用を分散することも期待される。
さらに、近傍のトルキートナ(Talkeetna)には空港もある。国立公園のエントランスとしてはとても条件がいい。
「アクセスルートについては、1986年に総合管理計画(General Management Plan:GMP)にも追加されています。現在は調査中で、開発構想計画(Development Concept Plan)とその環境影響書案(Draft Environmental Impact Statement:DEIS)を作成し、パブリックミーティングなどを行っているところです」
バックカントリー管理計画
「現在、デナリ国立公園では、バックカントリー管理計画(Backcountry Management Plan)の策定作業を行っています【1】。この計画は、ノースアクセスルートを含め、現在この公園が抱えている幅広い問題についても検討の対象としています」
「国立公園の利用レベルの設定は、VERP【2】という手法に基づいて設定されています。このバックカントリー管理計画案でも同様の計画手法が用いられています」
デナリ国立公園のバックカントリーにふさわしい利用者の経験レベルや混雑度合いとはどのようなものなのか、また、脆弱な植生や野生生物への悪影響を回避するための指標とはどのようなものなのか、などについて検討が続けられているという。
「今回のバックカントリー管理計画案では、利用者のバックカントリー経験の質を次のような指標を用いて判断しています」
- Solitude(独居感):到達可能で、頻繁に利用されている地域ながらも、自然景観が維持されていて、人工物はほとんど目に入らない。利用者は、最盛期を除くと、通常は1日10組を超える他の利用者とは遭遇しない。
- Primitive(原生的):ほとんど利用者がなく、あたかもまだ新たな発見があるかのように感じられる地域。1日に遭遇する他の利用者はおよそ2組までで、アクセスポイント以外では自然資源への影響がほとんど見られない。
- Natural(自然):ほとんど踏査されていないように見え、利用者はこれまで誰も訪れたことのない原生自然に入り込むかのような印象を受ける。他の利用者との遭遇は、一週間に3組以内。
「その他にも、原生地域の管理のための指標として、次のようなものが考えられます」
- 目に見える範囲にいくつテントが見えるか
- キャンプサイトがどの程度使われているように見えるか。
- 1つのパーティーが目にするゴミや人の排泄物の頻度
「つまり、このような受け手側の感覚として把握されるような自然環境の変化を目安として、バックカントリーの状態や変化を把握し、管理していこうというわけです」
サウントスケープ
「バックカントリー利用者から寄せられる苦情でもっとも多いものは、実は機械的な騒音なんです。これには相当強い嫌悪感が持たれているようです」
地上の移動手段が非常に限られているデナリ国立公園では、遊覧飛行(Flight seeing)が急増している。せっかく地上のアクセスコントロールをしても、頭上を次々と飛んでいく飛行機の騒音で、バックカントリー利用環境は台無しという訳だ。
「遊覧飛行による騒音問題は、実は他の公園でも深刻だったんです。だから、連邦議会は、各公園ごとに遊覧飛行管理計画(Air Trip Management Plan)を定め、区域内の飛行機の運行を規制するよう命じました」
ところが、アラスカ州だけはこの命令から除外されているという。
「これは、アラスカには1972年から連続当選してきた開発派の影響力を持った上院議員がいたためと言われています。アラスカにおける公園管理は、しばしば、このような政治的な圧力に直面します」
前述のスノーモービルやATV、そして航空機利用など、この公園の抱える最大の課題は、こうした新たなアクセスの問題にどのように対応していくか、という点に尽きる。
「デナリ国立公園の『原生的な価値(wilderness value)』をいかに守るかが、この国立公園がこれからも『特別な場所』としてあり続けることができるか否かの試金石になるのです」
航空機により引き起こされる問題は、1990年に入ってから急増した比較的新しい問題といえる。
現在、航空機利用問題について国立公園管理者がとっている対策は次の通りだ。
- 公園内に着陸できるパイロット数の制限
- 飛行エリアの自主的制限要請
- 着陸エリアの制限
「利用者にとって遊覧飛行の目玉は、氷河に着陸し、周辺を散策することです。だから、着陸エリアを制限することは大きな意味があるのです。これをバックカントリー管理計画に定めることができれば、効果は大きいはずです」
地域住民と国立公園
「国立公園周辺の住民にとって、国立公園のアクセスコントロールに対する考え方は様々です。もともとアラスカの人々は気さくで親切です。観光客をもてなすのが好きで、どちらかというと個人客や小さなグループを好む傾向があります」
そこでジョーさんが紹介してくれたのが、キーナイフィヨルド国立公園に隣接する港町・スワードの例だった。
「スワードでは、大きな客船をなるべく排除して、定員が30〜40名ほどの客船までしか受け入れていません」
巨大クルーズ船は、ただ大量の観光客を送り込むだけなので、町の雰囲気も悪くなってしまう。そのため、住民が反対するようになったそうだ。
「アラスカでは、産業としての観光業が受け入れられにくい土壌があって、ある程度の規制もやむを得ないと考える人が多いのです」
規制的な措置が受け入れられやすい素地があるということだ。
「一方で、公園の南方に位置するトルキートナという町では、観光客数が増えたことにより、より多くの客を呼び込むべきという人々と、今まで通りの静かな町の雰囲気を保つべきという人々が対立して町を2分する論争が起きています」
ビジターの増加が、地域社会の変化を引き起こしてしまっている一例だ。
デナリ国立公園の周辺にも、大企業が経営するホテルがある一方、小規模のベッドアンドブレックファーストもまだまだ多い。そのような小さな宿舎がある地域の方が、地域の雰囲気やコミュニティーも保たれている。
これは、日本の国立公園にも当てはまる。国立公園に指定されることによって様々な規制が課せられるが、規制には地域の関係者の意向が反映される。このため、中小の温泉宿やペンションなどによって構成される地域のコミュニティーが保たれているところも少なくはない。
「利用者から寄せられるコメントも、国立公園の管理や規制の考え方に賛成してくれる意見がほとんどです。現在検討中のバックカントリー管理計画案へのパブリックコメントは約9,500件寄せられていますが、その95%は公園の規制案に賛成する内容です」
まさに圧倒的だ。
「しかし、アメリカでは、このような意見は力をもたないのです」
「影響力を持つのは、やはりワシントンDCの政治と、その背景にある利権や開発への圧力です」
例えば、イエローストーン国立公園のスノーモービル問題などは、国立公園の示した規制案を支持する何万件というパブリックコメントがあるにもかかわらず、規制計画が覆されてしまった。反対派は、スノーモービルのツアー会社が多く位置しているウェストイエローストーンという公園のゲートシティにある12社と、それを支援するメーカーなどだ。
かつては共和党ですら、大気浄化法(Clean Air Act)、水質浄化法(Water Act)、国家環境政策法(NEPA)などの規制的な法律を制定してきたが、現在の米国は、正反対の世論がそれぞれ極論に走り、そして拮抗してしまっている。こうした意見の対立を解消し、地域住民や利害関係者の理解を得るのはますます難しい状況になっている。
「アラスカの人々の間には『利用を制限しなくても国立公園は保全できる』という幻想がまだまだ根強いんです」
一般に、「資源は有限であり、自然は守らなくてはならないもの」ということは常識のはずだが、アラスカではまだ社会的な合意が得られていないという。
「アラスカでは、『まだここにはフロンティアが残されている。資源は無限である』という考えがまだまだ主流です。さすがに最近では限界が近づいてきていることに気付きはじめている人々も多いはずですが、耳を傾けようとはせず、頑なに否定しようとしています」
自然環境が豊かなだけに、逆にそういった理解が得られ難いということだろうか。
そのような状況下で、デナリ国立公園はバックカントリー管理計画案を提案し、規制区域や具体的な利用の制限を打ち出した。
「それは、パレード中に浴びせられた突然の雨に喩えるとわかりやすいのかも知れません。ついにこの地域にまで、『限界』が及んできたということを突き付けるものだったといえます」
これまでのような利用を続けていけば、自然環境へのダメージを回避することができなくなることが明らかになってきた。利用者にとっても、「動物と出会う頻度」、「風景」、「騒音の程度」、「人に会う頻度」など、国立公園の魅力と恩恵を十分に得ることができなくなりつつある。
「これは、『アラスカでも、すでにフロンティアは消滅してしまっている』ということを告げるメッセージでもあるのです」
デナリ国立公園のバックカントリーは、地域の人々にとってまさに「最後のフロンティアであるアラスカ」のよりどころでもあった。逆に言えば、自然を守る国立公園が、「フロンティアの幻想」を守り育ててしまったとも言える。「便利な暮らしをしていたって、国立公園に行けば大自然が残っているじゃないか」という免罪符を与えてきたことは、アメリカの国立公園管理の抱えるひとつの功罪といえるだろう。
利用規制(アクセスコントロール)の考え方
デナリ国立公園の車道のように、利用規制(アクセスコントロール)を円滑に行うポイントをジョーさんに伺ってみることにした。これは、私の研修課題の中でもっとも重要でかつ難しい点だった。これまでも、いろいろな公園で同様の質問を繰り返してきた。
「簡単に言えば、アクセスコントロールとは『あなた方は行けるけど、あなた方は行けませんよ』という選別をすることです」
国立公園におけるアクセスコントロールは、歩道からの踏み出しを防止する柵や木道の設置といった簡単なものから、パークアンドライドによる自家用車乗り入れ抑制、キャンプ場など公園施設の事前申し込み制、ゲートの設置による利用者数の制限など、様々な手法や段階がある。アメリカの国立公園においても施設による利用誘導が主だ。
デナリ国立公園のように、乗用車を締め出し、利用手段をツアーバスに限定しているケースは稀だ。デナリの場合も事前の利用申し込み制を導入しており、ゲートで職員が直接規制や選別を行っていることはない。それでも、利用者にとっては大きなストレスとなる。
「大切なことは、国立公園が人々の期待を裏切らないことです。つまり、『制限があって今は行けなくても、いつか行くことができる』、『国立公園は、そのゲートを閉ざしてしまうことはない』という信頼を得ているということです」
確かに、デナリ国立公園の車道ですら定期的にツアーバスが運行され、相当数の利用者が核心地域に到達することができる。バックパックを背負って、ちょっとした手続きをすれば、国立公園内を自由に、どこまでも歩いていくことができる。
「規制する以前に、まず社会全体が、『国立公園』というものに誇りを感じ、それが貴重なものであると理解してもらうことが大切です。アメリカでは、国立公園や原生的な自然の重要性に対する基本的な理解があると思います。また、それを育んでいくことこそが国立公園の役割でもあるのです」
日本で利用規制を考えようとすると、まずその理由や区域に関する議論が先行してしまう。規制の導入以前にまず、国立公園自体が十分な社会的支持を受けていること、そして、その規制が規制のためにあるのではなく、自然を守り、持続可能な利用のためにどうしても必要なことであるという理解を得ることが必要だということを示唆するものだった。
「そのような理解を得るためには、公園の有する価値の判断(value judgment)を的確に行うことが必要です。その上で、20〜30年後の公園のあるべき姿を見定め、望ましい利用レベルを設定する必要があるのです」
利用制限を導入するためには、国立公園が将来のビジョンを描き、公園がそれに足る価値をもっていることを示して人々を説得しなければならないということだろうか。ビジョンを描くための素材集めとして自然環境の調査・モニタリングを国立公園管理の基本に据え、それを利用者にわかりやすく伝えるためのインタープリテーションが徐々に社会的な合意が形成していく。
「私たち資源管理部門の仕事は、現地に出て、公園内にどのような資源があるかを記録することが基本です。私たちが収集・整理したデータを、自然解説(インタープリテーション)部門がわかりやすく人々に伝えていくという地道な積み重ねが、人々の信頼を得るためには必要なことなんです」
ジョーさんのインタビューの中で印象的だった一言がある。
「People believe in parks as a society」。──「人々は、社会的な合意として、国立公園を信頼してくれている」、そんな意味だろうか。
まったく予想していなかったことだっただけに、とても新鮮だった。「規制」と「信頼」は表裏一体なのだ。
今回のインタビューは、この地の果てとも言えるデナリ国立公園の、それも小さな作業室で行われた。地図や様々な資料が積み重ねられた静かな部屋で、資源管理部門一筋のベテラン職員がとつとつと語ってくれた話は、アラスカにとどまらず、アメリカの国立公園行政全体を俯瞰したものであった。国立公園局職員の質の高さを改めて実感するとともに、国立公園行政は、中央官庁ではなく、こうした現場業務により支えられていることをあらためて実感した。同時に、そんな理想的な公園管理を行うためには、公園ごとにしっかりとした調査・モニタリングを行うための資源管理部門が不可欠だということが理解できた。国立公園が市民の理解と信頼を得るための努力が、アメリカではごく当然のこととして行われている。
70年代という時代(アメリカ国立公園拡充の時代)
アメリカの国立公園にとって、ANILCA法の成立する1980年までを含む1970年代は、国立公園システムに膨大な区域が追加された「拡充の時代」といえる。
連邦議会は、1970年に一般権限法(General Authorities Act)【3】を制定した。同法により、「国立公園局が管理する公園は、ひとつの『国立公園システム』を構成する同等の国立公園ユニットであること」、そして、「それぞれのユニットの管理は、『1916年の組織法』【4】の規定に整合する管理が行われなければならない」とされた。つまり、伝統的な大規模で原生的な国立公園だけでなく、都市部にある小さな歴史公園でも法律上は同じような保護と管理が必要となったのである。
2年後の1972年、ニューヨークとサンフランシスコという2つの大都市に、国立レクリエーション地域が設立された【5】。
これにより、都市域の国立公園ユニットが大幅に充実し、国立公園システムは都市域から原生地域までをカバーするものとなった。ここに、現在の「国立公園システム【6】」の基礎がつくられたといえる。
一方、伝統的な自然地域の国立公園の管理についても大きな動きがあった。1960年代後半、アメリカで起こった「生態学的な革命」は、70年代になって国立公園管理にも大きな影響を及ぼすことになった。
1972年、保全基金(Conservation Foundation)という財団は、「国立公園の価値の保護」【7】というレポートを発表した。このレポートでは、「国立公園に関する政策決定は、残されているウィルダネスの保護にもっとも高いプライオリティーを置くべきであり、社会的な国立公園の価値を測定するためには、利用者数以外の指標を用いるべきである」などの提言を行った。その他、このレポートでは「それぞれの国立公園ユニットに関する物理的、生態学的、心理学的な環境容量(carrying capacity)の決定」「quota system(入場定員制)の導入」「国立公園内からの、ホテルタイプの宿泊施設、自家用車、オートキャンプの締め出し」などについても提言している。レポートの内容はかなり先鋭的であるが、当時の国立公園局の原生的な国立公園管理の問題点を鋭く指摘している。また、当時の国立公園に関する「自然保護への回帰」の雰囲気が読み取れ、興味深い。
個別の国立公園としては、1968年に公園に指定されたレッドウッド国立公園の拡張問題が持ち上がっていた。周辺の大規模な伐採活動が、国立公園内の生態系に深刻な影響を与えていたため、1978年に連邦議会は公園の拡張を承認し、生態系保全を目的として隣接する二次林が公園区域へと編入されることになった。
この公園拡張に際しては、連邦政府が直接用地と立木を有償で購入するとともに、職を失う伐採労働者に対する収入補償が支払われたが、これは前例のないことであり、国立公園政策の大きな転換点といわれている。
また、この公園区域拡張のための法律には、前述の国立公園局の組織法の一部改正が盛り込まれていた。この法律改正では、レッドウッド国立公園の拡張が遅れたことにより、国民共通の遺産である貴重な公園の資源が損なわれたという反省に立ち、「国立公園システムにおいては、連邦政府議会が決定しない限り、国立公園の価値を損なうようないかなる行為も行ってはならない」ことを定めた。これは、単に開発行為を認めないということではなく、それぞれの公園の「価値」を把握して、それが損なわれていないか常に監視することを公園管理者に求めることを意味しており、その後の国立公園管理に大きな変化をもたらすことになった。
レッドウッド国立公園が拡張された同年、カーター大統領は、アラスカ州において進みつつあった搾取的利用から貴重な生態系を守るため、遺物保存法に基づいて、多くの国立記念物公園を設立した。
2年後の1980年、アラスカ重要国有地保全法(ANILCA)が制定され、1978年に設立された国立記念物公園を足がかりとして、多くの国立公園、国有林、野生生物保護区、そして原生及び景観河川が設立され、これにより国立公園システムの面積は一気に倍増した【8】。
環境法規としては、1972年に連邦水質汚染規制法(Federal Water Pollution Control Act)及び海岸地域管理法(Coastal Zone Management Act)が制定された。後者は、五大湖の湖岸を含む海岸線の保全のために、連邦政府と州政府との間で調整をとらなければならないという内容を盛り込んでいる。これは、州政府が高い独立性をもつアメリカにおいては、大変大きな意味を持っていた。
1973年に制定された絶滅危惧種法(Endangered Species Act of 1973)により、連邦政府機関は、絶滅危惧種に指定されている動植物の保護を図るために、自らの活動を制限もしくは変更することが義務付けられた。国立公園の多くは、絶滅危惧種の避難地として多くの種の生息地を提供していることから、この制度は、公園内における建設事業に著しい影響を与えた。また、それまで野生生物の保護と狩猟は主に州政府の専管事項であったが、絶滅が危惧されている種については連邦政府が管轄することになったことも意味深い。
このように、1970年代は環境保全運動の大きな盛り上がりを背景に、国立公園をはじめとする保護区の面積が拡大し、生態系や種の保存といった新たな命題が国立公園に課されはじめた、大きな時代の転換点でもあった。アラスカにおける国立公園の大幅な拡充は、その象徴的なできごとだったといえる。
バスツアー
インタビューの翌日は、いよいよ公園の見学の日だ。片道85マイル(約140キロメートル)、約11時間のバスツアーは、公園内に1本だけの車道を、公園核心部のワンダーレイクというところまで往復するバスツアーだ。このツアーはいつも人気でなかなか空きがないが、シーズンオフだったため何とか予約がとれた。
朝7時、ビジターセンター裏のバス停に集合する。私たちが一番最初だったが、続々乗客が集まってくる。あたりはまだ薄暗く、かなり寒い。
バスがやってきた。国立公園らしい緑色のボンネットバスだ。車両番号は「252」。同じようなバスがたくさん走っているので、間違えて別のバスに乗ってしまうと大変なことになる。
座席はバスの両側に2列ずつ並んでいる。少し迷ったが、右側の一番後ろに座ることにした。後ろの窓から風景が見えるのではないかという予想からだったが、これが誤算だった。
乗客は30名ほどで、バスの中は満員だ。ほとんどが白人の高齢者だ。
乗り込むとすぐに暖房が入った。暖かくなってきたが、音がかなり大きい。運転手が何やら話しているが、後部座席ではその声がほとんど聞き取れない。
程なく、朝日が昇り始めた。
森林火災の靄も晴れて、空気も澄んでいた。しばらく走ってタイガ地帯を抜けると、左側に雄大なマッキンリー山が姿を現した。雲ひとつない晴天に白い大きな山塊がそびえている。ドライバーはしばしバスを停車してくれた。
残念なことに、マッキンリー山はバスの左手に見える。右手はすぐに山の斜面で、風景に広がりがない。野生生物が出てきたら間近に見えるのではないかと考えて右側の座席にしたのだが、その日はあいにくなかなか動物が出てこない。
「あなたたち、もっとこっちにきて写真を撮りなさい」
幸いなことに、左隣の老婦人がしきりと勧めてくれる。私たちも遠慮なく写真やビデオを撮影させていただくことにした。車内は和気あいあいという雰囲気で、皆手に手にカメラや双眼鏡を提げて、バスの中を行ったりきたりしている。
バスはまた走り出した。道路はタイガを抜け、ツンドラ地帯に入ってきた。一面紅葉したツンドラがじゅうたんのように広がっている。
次第に道路の位置が高くなり、左側は急な斜面になってきた。道路の左側には、はるか下の方に広々とした河川の氾濫原が広がる。
車道の入口から15マイル(約24キロメートル)の地点、サルベージ川にかかる橋を通り過ぎた。橋をわたったところにゲートがあり、職員が駐在している。このゲートから先は一般車の通行は禁止されている。
ゲートを過ぎると道路はさらに細くなり、砂利道になった。もうもうと巻き上がる砂煙が車内にも舞い込んでくる。後ろの窓からの景色もすっかり茶色にかすんでしまい、私たちの狙いはすっかり外れてしまった。ガイドブックには左側の前の席がよいと書かれていたが、おそらくそれが正解だったのだろう。最後部席は乗り降りに時間がかかるので、バスで一番若い私たちが座る席としては悪くない気もする。
砂利道に入ると、バスがすれ違うたびに1台が停車するようになった。それだけ道の幅が狭い。
相変わらず天気はよく、バスの左側にはどんどんマッキンリーが近づいてくる。ものすごい迫力だ。
バスがゆっくりと停車した。バスのエンジンが止まった。
「グリズリーです」
その日初めての動物に、バスの中は大騒ぎだ。グリズリーベアー(ハイイログマ)は、そんな騒ぎを気にする様子もなく、バスのすぐ近くで、鼻を地面にすりつけるようにしながら何かを食べている。ベリーなどの実だろうか。近くでみるとなかなか迫力がある。
グリズリーがバスから遠く離れるまで待ってから、バスが走り出した。
「あれ、何かしら」
妻が、ゆっくりと走るバスの右手の方を指差す。ツンドラの中に、小さな動物が立ち上がってこちらを見ている。地リスだった。バスはそのまま走り抜けた。
アイルソンビジターセンター
公園入口から66マイル(約106キロメートル)、アイルソンビジターセンター(Eielson Visitor Center)に到着した。ここで、40分ほど休憩だ。
「わあ、すごい!」
ビジターセンターの前には、マッキンリー川の支流が作り出した広大な氾濫原と、その向こうにそびえるマッキンリー山などの険しい雪山が連なる。道路の反対側は、ツンドラに覆われた斜面だ。皆、思い思いに写真をとったり、散策したりしている。
ビジターセンター自体はごくごく小さいもので、ほとんど展示もない。狭い休憩室内のベンチには、カリブーの角が無造作に置いてあったりする。簡素なトイレが併設されているが、売店もなく、バックカントリーらしい最小限の施設となっている。
このビジターセンターの目玉は何と言ってもその展望だ。展望デッキや、テラス状のスペースにあるテーブルベンチからは、ゆったりと目の前に広がる原生的な風景を楽しむことができる。私たちも一通り写真を撮影した後、持ってきたサンドイッチを広げて昼食をとることにした。こんなところで食事ができるだけで、大満足だった。
アイルソンビジターセンターを出ると、道路沿いに大小の沼が見えてきた。地形も少し緩やかになってきたようだ。
「左手にムースがいます」
バスが静かに路肩に停車する。1頭が、車道からそう遠くない茂みの中に見え隠れしている。ウマのような感じだが、鼻が少し長い。バスの乗客は皆ムースに釘付けだ。
「もう一匹いるぞ」
後ろの方からもう一頭ムースが現れた。
「こちらはオスですね」
皆、双眼鏡やカメラをそれぞれ覗き込む。ふと気が付いたのだが、このバスはまるで自然の中のサファリバスのようだ。乗客は確かにデナリ国立公園の核心部にいるのだが、バスから降りることはなく、ほとんどバスの車内から動物を観察している。確かに自然への影響も小さいし、利用者の満足度も高い。アメリカの利用者管理の典型は、意外とこのようなバスツアーにあるのではないだろうか。
終点のワンダーレイクに到着したのは午後1時になっていた。この青い水をたたえる湖は道路の起点から85マイル(約140キロメートル)の地点にある。湖面の周りをブラックスプルース(トウヒの一種)がぐるっと取り囲んでいる。出発から6時間弱が経っているのだが、あっという間に感じられる。
湖に達する歩道はツンドラ地帯の中に続いている。
「これ野生のブルーベリーかしら」
しぼんでしまっているが、色や大きさからするとおそらくブルーベリーだ。そのほかにも赤いきれいなベリーがついている。途中でてきたグリズリーもこういう木の実を食べていたのだろう。見かけは同じように見えるが、ツンドラはこうした異なる潅木がモザイク状に組み合わさってできている。
帰りの行程は早い。今度はバスの右側、私たちの座っている方が谷側になった。手前の深い谷の向こうに雄大なアラスカ山脈が連なっている。ところが、午前中と打って変わって風景はすっかり霞んでしまっている。フェアバンクス周辺の森林火災の煙が流れ込んできたようだ。
その日は夕方6時過ぎにツアーが終了した。11時間のツアーはあっという間に終了してしまった。帰りは、ビーバー、グリズリー、ドールシープなどが出てきてくれた。これだけ楽しめるものだからこそ、利用規制が受け入れられるのだろう。一般の利用者が規制区間に入ることはなかなかできないが、入ることができればすばらしい経験が待っている。ツアーは有料だが、自家用車を運転する必要はなく、いろいろな解説も聞くことができる。同乗のツアー客とのコミュニケーションや和気あいあいとした雰囲気もいい。こうした満足感が利用規制成功の秘訣なのだ。
フェアバンクスに向けて出発する朝、もう一度公園の車道をゲート手前まで行ってみることにした。車から降りると、ツンドラの潅木の中から鳥の鳴き声が聞こえてきた。前日と打って変わってあいにくの曇り空で、結局その日もカリブーには出会えなかった。
デナリ国立公園ではあと4日でバスツアーも終了し、本格的な冬じまいの季節を迎える。私たちは後ろ髪引かれる思いでデナリ立ち去ることになった。デナリ国立公園は、私たちにとってもやはり「特別な場所」であった。
※今回の原稿執筆には、Lary M. Dilsaver著「America’s National Park System: The Critical Documents」を参考にさせていただきました。
- 【1】
- デナリ国立公園のバックカントリー管理計画(Backcountry Management Plan)は、2006年に策定され、国立公園のウェブサイトで公開されている。
Backcountry Management Plan 2006 - 【2】VERP
- VERP(Visitor Experience and Resource Protection:利用者の経験及び資源保護)という手法は、Limit of Acceptable Change(LAC:受容可能な変化の限界)という手法をもとに開発された。VERPでは、まず利用者からの聞き取り調査など、社会的調査手法により適切な利用者の経験レベルや混雑度合いの受容範囲などを明らかにし、その上で、影響を受けやすい公園内の自然・文化資源への悪影響を回避しながら、ビジターに質の高い利用環境を提供するのが狙いである。
- 【3】一般権限法(General Authorities Act)
- 正式名称は、「内務長官による国立公園システムの管理の改善のため、また、同局の国立公園システム、もしくはその他の目的に関する権限の確認に関する法律(An Act to improve the administration of the National Park System by the Secretary of the Interior, and to clarify the authorities applicable to the system, and for other purposes)」。
- 【4】1916年の組織法(Organic Act of 1916)
- 国立公園局の設置法。国立公園の恩恵を現在の世代が享受するとともに、その価値を損なわずに将来世代に引き継ぐという、「保護と利用の両立」「消費的な資源利用の禁止」を定めている。アメリカの国立公園にとって、いわば憲法ともいえる。
- 【5】
- ニューヨーク大都市圏内のゲートウェイ国立レクリエーション地域とサンフランシスコに位置するゴールデンゲート国立レクリエーション地域
- 【6】国立公園システム
- 米国内務省国立公園局の管理する公園地の総称。国立公園のような原生自然地域にある広大な公園から、小規模な歴史公園まで、様々な種類・規模の公園(国立公園ユニット)により構成されている。2009年現在で391の国立公園ユニットが存在する。(参考:国立公園ユニットの主な種別)
- 【7】「国立公園の価値の保護」
- PRESERVATION OF NATIONAL PARK VALUES, Report of a Task Force Assembled by the Conservation Foundation as Part of Its National Parks for the Future Project, 1972
(著者:Joseph W. Penfold, Chairman, Stanley A. Cain, Richard A. Estep, Brock Evans, Roderick Nash, Douglas Schwartz, Patricia Young) - 【8】
- 公園の新設及び拡張面積は計4,700万エーカー(約1,900万ヘクタール)。現在の国立公園の総面積(8,400万エーカー、約3,300万ヘクタール)の半分強に相当する。
<妻の一言>
■デナリのB&B
デナリ国立公園内滞在中、私たちは公園の入口から10キロほど北にいったところにあるヒーリーという集落に宿泊していました。この集落には、小さめのホテルと、B&B(ベッドアンドブレックファースト)が何軒か建っていました。公園内のホテルは高いのですが、こうしたB&Bは私たちでも泊まれる程度のお値段です。私たちが泊まったのは、小さいながらきれいなB&Bでした。チェックインの手続きなどもありません。掲示に従って、それぞれ割り振られた部屋に入るだけです。
部屋には、朝食を食べるテーブルと椅子、食器類、電子レンジと小さな冷蔵庫が置いてあります。冷蔵庫を開けると、きれいに盛りつけられた果物が皿に盛ってありました。電子レンジの脇には、パンとマフィン、そしていろいろなシリアルなどが置いてあります。自炊派の私たちにはとてもうれしいものばかりでした。お風呂も広く、久しぶりにバスタブもありました。ゆったりと深いバスタブです。地下には洗濯機もあり、洗濯物を溜め込んでいた私たちは、ここで大量の洗濯物を片付けることができました。
ベッドはとても上等なもので、いつも泊まっているモーテルやボランティアハウスのベッドとは比べ物になりません。ベッドの上には、ムースなどのぬいぐるみが置かれています。
何といってもすばらしいのは窓から景色でした。ヒーリーは国立公園区域外でしたが、目の前には湖と山並みが広がっていて、建物なども一切ありません。一度だけですが、ムースが姿を現したこともありました。
もしかすると、アメリカに来てから泊まった宿としては、一番居心地のいい部屋ではなかったかと思います。支払いもネット上で済ませてあるので、宿のご主人とお会いすることはほとんどありませんでしたが、なぜかとてもアットホームな感じのするB&Bでした。
■タイガトレイル
タイガトレイルは、その名のとおり、タイガの中を抜けていくトレイルです。そこから、ロッククリークトレイルを通り、管理事務所まで、ちょうど低い丘をひとつ越えるような感じです。インタビューは午前11時からの約束でしたので、7時半ごろからゆっくりとトレイルを歩いて事務所に向かうことにしました。
その日の朝はとても寒く、足元のツンドラには一面霜が降りていました。案内標識も表面に霜がついていて、読めません。厚着をしていましたが、登り坂でもちょうどいい感じでした。
しばらく登っていくと、ちょっと獣のようなにおいがしてきました。何か近くにいたのでしょうか?でも、そのような動物に出会うことはありませんでした。また、その先を歩いていくと、ようやく太陽が昇ってきました。トレイルから後ろを振り向くと、きれいな風景が朝日に照らされていました。アスペン(シラカバのような樹木)が黄葉し、暗緑色の針葉樹とのコントラストがとてもきれいです。
足元のツンドラをよく見てみると、小さなベリーが実を付けていました。小さな丸い形をした葉は紅葉していて、白い霜に縁取られています。ちょうど道の両側をじゅうたんのように覆っています。
しばらく歩いていると、トレイル上に何か小さなものが動いています。近づいてみると鳥だということがわかりました。ハトより一回りほど大きく、飛び立とうとはしません。ライチョウです。しばらくすると、もう一羽がおそるおそるとツンドラの茂みから出てきました。どうやらつがいだったようです。オスが私たちの気を引いているうちに、メスが先に逃げられるようにしているようです。このつがいを脅かさないように、ゆっくりと歩きます。ちょうど、よちよち歩くライチョウに道案内をしてもらっているようでした。約束の時間が近づいてきて少しハラハラしましたが、ようやくライチョウも近くの林に入ってくれました。
下りもなだらかな道でした。少し早足で歩きましたが、無事、10分前に管理事務所に到着することができました。このトレイルはそれほど長いものではありませんし、取り立ててすごい自然があるわけではありませんでしたが、これまでに訪れた歩道の中でも、私にとっては一番のトレイルだったように思えます。
到着した管理事務所はログハウスのような建物でした。また、そのすぐ裏にはドッグケンネル(犬ぞり用のイヌの飼育施設)がありました。インタビューの後行ってみると、たくさんの大きなイヌが、めいめい犬小屋のまわりで気持ちよさそうに寝そべっていました。シベリアンハスキーだそうです。今でも冬期の国立公園の巡視には犬ぞりが使われているそうです。管理棟にはまだ小さな子犬が母イヌと寝ていました。公園の職員の方がそのうち1頭を抱かせてくれました。人間に早く慣れさせるためということでしたが、母親はちょっと不安そうに見ていました。子犬は小さいですが、とてもかわいらしく元気でした。
ケンネルには、昔の犬ぞりやテントなども展示されています。テントの中には、簡単な料理もできるストーブまでありました。こういったものをそりに乗せて探検や狩猟などをしていたのでしょう。
「ワンワンワンワン!」
突然、そこらじゅうのイヌが吠えはじめます。犬ぞりのデモンストレーションの時間がやってきました。雪はありませんが、ケンネル内にある砂利道のコースを一回りします。皆、自分が犬ぞりを引きたくてうずうずしているようです。リーダー役や、力の強い大きなイヌなどが職員により選ばれ、10頭ほどがうまく配置され、引き綱につながれます。
国立公園の中でイヌが飼われているというのはとても意外でしたし、エサ代などの経費もばかにならないようです。イヌの形をした募金箱がユニークでした。
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(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。