一般財団法人環境イノベーション情報機構
アメリカ横断ボランティア紀行

No.014

Issued: 2008.01.10

ヨセミテ国立公園へ!

目次
セコイア・キングスキャニオン国立公園
世界一の巨木、ジャイアントセコイア
科学に基づく自然資源管理 ──管理火災
国立公園管理の課題
マンザナー国立史跡
ヨセミテ国立公園の誕生
ヨセミテ国立公園のダム湖!?
ヨセミテ国立公園到着!
ヨセミテバレーの周回道路
資源管理上の課題
NPS(国立公園局)オープンハウス(公園内開発事業説明会)
インタープリターによる説明
ヨセミテ国立公園の総合管理計画
適正なビジター利用(Visitor Use)レベル
User Capacity Management Program(利用者容量管理プログラム)
VERP(利用者経験および資源保護プログラム)
ヨセミテとセコイア・キングスキャニオンの違い
アメリカの国立公園管理の歴史 ──1960年代という時代──
謝辞など
ヨセミテ国立公園ハーフドーム

ヨセミテ国立公園ハーフドーム

 レッドウッド国立州立公園から、針葉樹林の中を走る「レッドウッドハイウェイ」を南下する。セコイア・キングスキャニオン国立公園、そしてヨセミテ国立公園を目指して車を走らせる。同じ道をレッドウッドに向けて北上したときから、ほぼ4ヶ月。いよいよアメリカの国立公園制度の「聖地」ともいうべき、シエラネバダ山脈の山岳地帯を訪れる機会を得た。
 途中、カリフォルニアワインの生産地、ナパバレーを通る。道の両側にはブドウ畑が広がっている。サンフランシスコに近づくにつれ、大規模なワイナリーとワインツアー客の乗るバスやリムジンが多くなってきた。


セコイア・キングスキャニオン国立公園

セントラル・バレーの乾燥した牧草地

セントラル・バレーの乾燥した牧草地

 まずは、セコイア・キングスキャニオン国立公園を訪問することにした。同じカリフォルニア州にあるというのに、レッドウッドからは1,000km弱もの道のりがあり、約10時間の行程だ。ナパを過ぎるとセントラル・バレーと呼ばれる盆地に入っていく。

 セントラル・バレーは、カリフォルニア州の太平洋に沿って横たわるコースト山脈と、内陸側のシエラネバダ山脈の間に広がる広大な盆地だ。太平洋側の湿潤な気候は、内陸に向かうに従って乾燥していく。

 セコイア・キングスキャニオン国立公園とヨセミテ国立公園は、シエラネバダ山脈の懐に位置している。ジャイアントセコイアの生育地として有名だが、鍾乳洞が多いことでも知られ、鍾乳洞内ではここにしか生息しない珍しい生物が発見されている。


キングキャニオン国立公園の入口には、巨大なジャイアントセコイアがそびえる

キングキャニオン国立公園の入口には、巨大なジャイアントセコイアがそびえる

 セコイア国立公園とキングスキャニオン国立公園は、実はそれぞれ独立した国立公園だ。区域が隣接していることもあって、共通の公園事務所が管理を行っている【1】

 料金の徴収方法や印刷物からみても事実上1つの国立公園の体裁をとっているが、この2つの公園はそれぞれ異なる設置法に基づく独立した国立公園である。アメリカの国立公園は、原則的にはそれぞれ個別の設置法に基づいて設立され、それぞれ異なる法的な保護や利用目的を持っている。ただ、区域が近接しているような公園では、管理組織を合理化する目的で1つの事務所が複数の公園の管理を担当する例が見られる【2】

 日本の国立公園国定公園都道府県立自然公園が、「自然公園法」という1つの法律に基づいて地域指定されるのとはまったく異なる点だ。かつて日本では、こうした制度的な理由に基づいて、すべての国立公園の許認可手続きを霞ヶ関にある環境庁本庁で処理していた。ところが、経済発展などに伴って許認可件数が急増したことで、管理組織を合理化する必要が生じ、複数の国立公園をひとつの事務所が管轄する「ブロック・専決制【3】」が採用されることになった。例えば、私が環境庁に採用された平成6年当時は、中部山岳国立公園管理事務所が白山国立公園と上信越高原国立公園も兼轄し、それぞれの地域を担当するレンジャーから進達される許認可案件を処理していた(現在は、地方ブロックごとに地方環境事務所が設置され、ほとんどの許認可手続きはそこで行われている)。

 一方で、アメリカの国立公園は、現在も公園ごとに独立した管理体制を維持している。公園管理の根拠法がそれぞれ異なるという理由もあるだろうが、やはり予算人員ともに充実している巨大組織でこそ可能な体制と言える。


世界一の巨木、ジャイアントセコイア

 セコイア・キングスキャニオン国立公園の圧巻は、何と言ってもジャイアントセコイアだ。中でも、セコイア国立公園の「巨人の森」(Giant Forest)にある「シャーマン将軍の木」は世界で最大の体積を誇るとされ、「世界最大の生物」とも言われている。

シャーマン将軍の木にて

シャーマン将軍の木にて


 また、キングスキャニオン国立公園にある「グラント将軍の木」は、「国民のクリスマス・ツリー」として指定されている【4】

グラント将軍の木にて

グラント将軍の木にて

グラント将軍の木の上部

グラント将軍の木の上部


 ジャイアントセコイアは、レッドウッド国立州立公園に分布するコースタルレッドウッドと共通の祖先を持つレッドウッドの一種でありながら、ずんぐりむっくりの樹形が特徴的だ。近くで見ると、とにかく根元と幹が太い。その森も、鬱蒼とした原生林というよりは、まさに孤高の「巨人」があちらこちらに悠然と立っているという雰囲気だ【5】
 コースタルレッドウッド同様、部厚い樹皮を持ち、幹の組織にはタンニンが多く含まれているため、害虫の被害を受けにくい。これが、2,000年を超える生存を可能とし、巨大な樹木に生長するゆえんでもある。
 かつて、この巨木を伐採して、見世物にしたり木材として売り払う輩が現れたことがあった。中にはヨーロッパにまで運ばれたものもあったそうだ。幸か不幸か、ジャイアントセコイアの伐採には費用や手間もかかる割に、肝心の材質が脆かった。せいぜいブドウの添え木や、鉛筆用材、屋根板、つまようじなどにしか使えなかったこともあって、伐採はその後下火になる。それでも、19世紀の終わりまでに、何千本ものジャイアントセコイアが切り倒されたと言われている。
 いずれにしても、ジャイアントセコイアの伐採が早期に終息したことが、国立公園の設立に有利に働いたことは想像に難くない。材質が軽く丈夫で、経済価値の高いコースタルレッドウッドの商業伐採が続き、森林の保護がなかなか進まなかったこととは対照的だ。
 ちなみに、国立公園局のマークには、ジャイアントセコイアが描かれている。このマーク(その形からアローヘッド(Arrowhead=「やじり」の意)と呼ばれる)は、1951年の7月に、当時の内務長官により承認されたものだ(告示は1962年)。国立公園の各種標識、印刷物の他さまざまなものに表示され、アメリカの国立公園のいわば「トレードマーク」といえる。セコイアの木が「植生」、バイソンが「野生生物」、山と水が「景観及びレクリエーション的な価値」、やじりの意匠が「歴史的・文化的な価値」をそれぞれ表している【6】

国立公園局のマーク「アローヘッド」と法執行担当のレンジャー(マンモスケイブ国立公園)

国立公園局のマーク「アローヘッド」と法執行担当のレンジャー(マンモスケイブ国立公園)


 ジャイアントセコイアの生育地であるシエラネバダ山脈は半乾燥地だ。セコイアの生育条件である「豊かな日光」と「温暖で湿潤な気候」のうち、水分条件が制限要因となる。分布域の標高、1,500メートルから2,400メートル程度の一帯は、ちょうど雨雲が停滞し、比較的降水量が多い。このような気象条件に恵まれた土地や、地形的に地下水が豊かな場所など、水分条件が良好なところにだけジャイアントセコイアが生育できるといわれている。このため、連続した原生林を形成するコーストレッドウッドと異なり、ジャイアントセコイアは「グローブ」と呼ばれる一群の森を構成し、それが点々と分布する。現在残されているグローブは75ヶ所で、そのうち30ヶ所がこのセコイア・キングスキャニオン国立公園内にある。

ジャイアントセコイア。樹皮には野火のこげ跡が残る。

ジャイアントセコイア。樹皮には野火のこげ跡が残る。

散策路に倒れていたジャイアントセコイア(倒木の下に散策路を作った?!)

散策路に倒れていたジャイアントセコイア(倒木の下に散策路を作った?!)

倒木の下を自家用車でくぐる「トンネル・ログ(トンネル丸太)」

倒木の下を自家用車でくぐる「トンネル・ログ(トンネル丸太)」


 一方、キングスキャニオン国立公園は、その雄大な渓谷とダイナミックな地形が特徴だ。谷底に向けて車を走らせると、その高低差に目がくらむ思いだ。セコイア国立公園の平和な巨木林とはかなり対照的な景観を有している。なお、その高低差は8,200フィート(約2,500メートル)あり、米国内で最も深い峡谷と言われているそうだ。地形的な特徴は違うものの、グランドキャニオンの高低差が約6,000フィート(1,830メートル程度)であることを考えると、キングスキャニオンの谷がいかに深いかがわかる。
 この公園にもさまざまな課題がある。中でも、人口密集地帯から流入してくる大気汚染物質は、樹木の抵抗性を損ない、害虫による立ち枯れの原因にもなっている。

<キングスキャニオン国立公園>

 1940年に、既存のグラント将軍国立公園(General Grant National Park:1890年10月設立)に、広大な峡谷部分が編入されるかたちで設立された。1984年には公園区域の多くがウィルダネス地域に指定された。キングス川の刻み込んだ大渓谷とシエラネバダ山脈の高峰からなる雄大な国立公園。面積約18.7万ヘクタール、2004年度の利用者数は155万人(セコイア国立公園分を含む)。

キングス川を目指し谷底に下る。車道は絶壁にへばりつくようにつくられている。曲がりくねった道は狭い上に景色もいいため、景色に見とれたりスピードを出しすぎたりして対向車線にはみ出してくる車両が少なくない。

キングス川を目指し谷底に下る。車道は絶壁にへばりつくようにつくられている。曲がりくねった道は狭い上に景色もいいため、景色に見とれたりスピードを出しすぎたりして対向車線にはみ出してくる車両が少なくない。


<セコイア国立公園>

 1890年9月、イエローストーンに次いで2番目に設立された、面積約16万ヘクタールの国立公園。1984年に、公園区域の約70%がウィルダネス地域に指定されている。「世界で最大の生物」と呼ばれるジャイアントセコイアが生育する。また、モロ・ロックからのシエラネバダ山脈の眺めは圧巻。公園内には、アラスカを除く米国大陸48州でもっとも標高の高いホイットニー山(Mount Whitney:標高4,421m)が聳え立つ。ちなみに、セコイア国立公園の南東に位置するデスバレー国立公園内には全米でもっとも標高の低い地点(海面下約85m)があり、この地域の造山活動の激しさを物語っている。

セコイア国立公園の境界標識。巨木の森を守る国立公園にふさわしいデザインと質感

セコイア国立公園の境界標識。巨木の森を守る国立公園にふさわしいデザインと質感

標識の裏面は隣接するセコイア国有林の境界標識となっている

標識の裏面は隣接するセコイア国有林の境界標識となっている

ロッジポール・ビジターセンターの入口標識

ロッジポール・ビジターセンターの入口標識

ロッジポール・ビジターセンター

ロッジポール・ビジターセンター


ジャイアントフォレスト・ミュージアム

ジャイアントフォレスト・ミュージアム

ジャイアントフォレスト・ミュージアムの内部。室内は広々とした雰囲気

ジャイアントフォレスト・ミュージアムの内部。室内は広々とした雰囲気

ミュージアムのジャイアントセコイアに関する展示。91,000個の種を集めてようやく1ポンド(約454グラム)になる。こんなに小さな種から巨木が育つというのは驚きだ。

ミュージアムのジャイアントセコイアに関する展示。91,000個の種を集めてようやく1ポンド(約454グラム)になる。こんなに小さな種から巨木が育つというのは驚きだ。

モロ・ロックからの眺め。西海岸の都市部から流入する汚染物質で、せっかくの雄大な景色が霞んでしまっている。

モロ・ロックからの眺め。西海岸の都市部から流入する汚染物質で、せっかくの雄大な景色が霞んでしまっている。


科学に基づく自然資源管理 ──管理火災

 管理火災(prescribed burning, prescribed fire)は、延焼防止対策を講じた上で、野火に替わって人工的に森林火災を発生させるものだ。森林内に蓄積された倒木や落枝を定期的に燃やすことで、火災の被害を軽減することが主な目的だ。
 かつて、国立公園内では野火に対して消火活動だけを行なってきたが、これがかえって被害の深刻化を招くことになった。いったん火災が発生すると火力が強くなりすぎ、自然状態では燃えるはずのないものまで消失してしまったのだ。その反省から、森林内に蓄積されたバイオマスの状態を調査し、バイオマス量に応じて計画的・人工的に燃焼させる人工的な火災が管理手法として取り入れられた。この管理火災は、自然の野火による生態系の更新機能を、「科学的」な情報に基づいて再現することによって自然環境の管理に用いるという、画期的なプログラムだ。
 この管理火災が初めて行われたのもセコイア国立公園であった。セコイア国立公園では、消火などによる人為的な火災抑制のため、ジャイアントセコイアが世代更新しないという問題を抱えていた。数十年間にわたる調査や試行錯誤の末、1964年に人工火災試験が行われ、ようやく1968年に試験が成功した。これを受けて、森林火災の生態系保全機能が見直され、徐々に公園の生態系の管理に取り入れられることになった。しかしながら、森林火災を管理のために用いるという考え方が一般国民に受け入れられるまでには、さらに20年間もの月日が必要だった。
 1988年、イエローストーン国立公園で、過去最悪の森林火災が発生した。この火災で、イエローストーン国立公園のおよそ半分の面積に相当する森林が燃失したと言われている。樹木が枯死した森林面積はそれよりも小さかったものの、7月から9月まで燃え続けた火災は多くのビジターの目に止まり、一般利用者や政治家からの批判を招いた。これを受けて、1989年に関係省庁共同の報告書が取りまとめられ、同国立公園の火災管理の方法が適当であったとの結論を下された。こうして、森林火災は自然のプロセスの一部であり、公園内の自然資源の管理に管理火災を取り入れるということが一般にも認められることとなった。
 なお、現在、セコイア・キングスキャニオン国立公園において実施されている管理火災は、近隣の農務省森林局の国有林や内務省公有地管理局(Bureau of Land Management)などと共同で実施されている。省庁横断型のファイヤー・マネージメント・プログラムが設立され、そのプログラムに基づき火災管理部隊が組織された。これは、それぞれの省庁が管理する保護区などでの管理火災や消火活動を一元的に行う組織だ。このようなプログラムがつくられた背景には、森林が複数の組織の管理地にまたがっていることが多いことに加え、管理火災の実施には専門的なトレーニングや装備が必要なことなどから、関係する組織が共同でプログラムを運営した方が、効率的でかつ効果的であるという理由があるようだ。


国立公園管理の課題

 セコイア・キングスキャニオン国立公園が抱える問題の中でも、大気汚染の影響は深刻だ。西海岸の人口密集地帯から流入してくる大気汚染物質は、樹木の抵抗性を損ない、害虫による立ち枯れを助長していると言われている。
 また、地域固有の生物の生育環境も悪化している。一例として、シエラネバダの山岳地帯にしか生息しないとされるマウンテン・イエローレッグ・フロッグ(Mountain Yellow-legged Frog)というカエルの個体数の急激な減少が挙げられる【7】
 100年以上前に、このカエルの生息域にトラウト(マス科の淡水魚)が人為的に導入された。それまで、マスなど肉食性の魚類は滝などによって遡上できず生息していなかったが、外来マスの導入によって捕食圧が高まり、個体数の減少を招いた。さらに、この外来マスなどが媒介するウイルスは、マウンテン・イエロー・フロッグの突然死を引き起こし、個体数の減少に拍車をかけた。前出の大気汚染物質に加えて、シエラネバダ山脈の麓に広がる全米屈指の大農業地帯サンホアキン・バレーからは、散布された農薬が大気流に乗ってこの地域に流れ込んでくる。これらの化学物質が、降雨・降雪などによって国立公園内に降り注ぎ、水質や土壌を汚染する。生存には清浄な水が欠かせない両生類にとって、このような生息環境の悪化は致命的であり、この種はまさに絶滅の危機に直面している。


マンザナー国立史跡

 セコイア・キングスキャニオン国立公園の東側、シエラネバダ山脈を越えたところに、「マンザナー国立史跡」がある。国立公園局の管理する歴史的な公園地だ。今回の訪問の際に立ち寄りたいと考えていたが、日程的に難しく断念した。

 「近々マンザナーで新しいビジターセンターの開所式があるんだけど、日本語のパンフレットがないんだ。訳してくれないか?」
 今回の調査出発の直前、国立公園局本局国際課のルディーさん(第6話参照)から依頼があった。締め切りは2日後。とても急な話だったが、レッドウッドでの調査業務の合間に、妻と手分けして翻訳する。インターネットで調べると、第2次世界大戦当時の日本人強制収容所があった場所だとわかった。
 マンザナーはオーエンズバレーという盆地にある。シエラネバダなど盆地の西側(太平洋側)に聳える山脈によって、太平洋からの湿った空気がほぼ完全に遮ぎられ、気候は乾燥している。現在は何も残っていない荒涼とした平地には、日本人の収容施設が広がっていたのだ。
 米国連邦議会は、1992年3月3日に、面積550エーカー(約223ヘクタール)のマンザナー国立史跡を設立した(この史跡の管理はデスバレー国立公園の管理事務所が担当している)。
 マンザナー収容所(原文では、転住センター(relocation center))は、第2次世界大戦中に日系アメリカ人及び米国在留日本人が抑留されていた10ヶ所の収容所の一つだ。パールハーバー爆撃の2ヵ月後、当時のルーズベルト大統領は、西海岸に居住する日系人すべての収容を命じた。
 マンザナー収容所は1942年3月に建設が開始され、全米で最初の常設収容所として、最後の被収容者が施設を退去する1945年末まで使われていた。収容者数はもっとも多かった時点でおよそ10,000人にものぼると言われている。拘留施設全体はおよそ6,000エーカー(約2,400ヘクタール)もあり、拘留所の他、近接農業利用地域、貯水池、空港、墓地及び下水処理施設などもあった。そのうち、かつての居住区が、国立史跡として保存されている。ただし、現在では収容所の建物はほとんど残されていない。
 ヨセミテ国立公園の写真撮影で有名なアンセル・アダムス氏が、収容所の写真を撮影している【8】。戦争により引き起こされた強制収用の悲惨な歴史にもかかわらず、写真に残る人々の笑顔からは力強ささえ伝わってくる。

 日系人の強制収用のことをそれほど詳しく知らなかったこともあって、この翻訳作業は驚きの連続だった。教科書で学ぶ「歴史」とはまったく違う、生々しい事実の片鱗に触れたように感じた。今、自分が享受している平和や自由を実感し、大切に守っていくために、その事実を学び、次の世代に伝えていかなければならない「戦争の記憶」というものがあるように思えた。こうした意味において、かつての過ちを国立記念物公園という形で後世に伝えようという米国政府の姿勢は、評価に値するのではないだろうか。


ヨセミテ国立公園の誕生

ヨセミテバレーとマーセド川の流れ。世界中から多くの人々が訪問する。

ヨセミテバレーとマーセド川の流れ。世界中から多くの人々が訪問する。

 ヨセミテ国立公園は、1890年に国立公園として設立された。1872年に世界初の国立公園としてイエローストーン国立公園が設立されてから18年の年月を経ていた。
 ヨセミテ国立公園の核心部、ヨセミテバレーとマリポサの巨木群(計約150平方キロメートル)は、1864年に連邦政府からカリフォルニア州政府に対し、公園の設立を目的に委譲されている。当時としては画期的なことで、連邦用地の委譲のために制定された「ヨセミテ公園法」が、後にイエローストーン国立公園設置法の下敷きにされたとも言われ、アメリカの国立公園の原型とみなされている。

 「ヨセミテ」といえば、「国立公園の父」と呼ばれるジョン・ミューアが活躍し、アメリカの国立公園制度の原型が形作られた地として知られている。その意味で、米国国立公園の発祥の地とも言える。
 1916年の国立公園局設置法によれば、「国立公園(national park)」とは、現世代がその資源を消費してしまうのではなく、次の世代にもその恩恵が享受できるような形で利用し、伝えていくというものだ。このような国立公園の概念は、カリフォルニア州知事に宛てて提出されたヨセミテバレーの管理の改善に関する要請書に、その原型を見出すことができる。この要請書は、ニューヨークにあるセントラルパークの生みの親である造園家(landscape architect)のオムステッド(Fredrick Law Olmsted)が、1865年に提出したものだが、当時の政治的な利害関係から握りつぶされてしまう。


○国立公園局組織法(National Park Service Organic Act of 1916)からの抜粋

 国立公園局の目的:「景観、自然及び文化的な遺産、区域内に生息する野生生物を保護するために設立された連邦所有地である国立公園、国立記念物、保護区等の利用の振興と規制を行うことにより、これらの資源を損なわずに次世代に引き継ぐことのできるような形で国民がその恩恵を享受できるよう管理すること」
 この設置法で打ち出された「保護と利用の両立」という概念が、国立公園制度の基本的な考え方であり、目標といえる。

※英語の原文:
The service thus established shall promote and regulate the use of the Federal areas known as national parks, monuments, and reservations hereinafter specified by such means and measures as conform to the fundamental purposes of the said parks, monuments, and reservations, which purpose is to conserve the scenery and the natural and historic objects and the wildlife therein and to provide for the enjoyment of the same in such manner and by such means as will leave them unimpaired for the enjoyment of future generations.

 ミューアは、オムステッドの要請書が提出された3年後の1868年に初めてヨセミテを訪れ、その自然のすばらしさに感銘を受けた。その後この地で羊飼いやホテル従業員、ガイドなどをしながら生活し、シエラネバダ山脈を踏査した。ヨセミテのすばらしさを、サンフランシスコの新聞などに記事として投稿するとともに、自らの調査結果をもとに、ミューアはヨセミテバレーが氷河により作られたことを実証してしまう。その論文はそれまでの学説を覆したばかりでなく、ヨセミテの原生的な自然を広く社会に広げる役割を担った。
 ところが、当時のヨセミテ州立公園は、不法侵入、伐採、牧畜などにより自然環境が危機的な状況に置かれていた。ヨセミテの自然を守るため、ミューアはヨセミテ国立公園の設立を提案し運動を展開した。その結果として、国の森林保護区としてヨセミテ国立公園が設立されることになった。ヨセミテ国立公園の設立は、セコイア国立公園が設立(1890年9月25日)された数日後のできごとであり、後にキングスキャニオン国立公園に編入されるグラント将軍国立公園の設立と同日(1890年10月1日)のことである。
 また、こうしたヨセミテの保護活動の経験から、ミューアはシエラクラブを設立し、同団体はアメリカ合衆国でも有数の自然保護団体へと発展していった。

ヨセミテ国立公園のダム湖!?

 ヨセミテ国立公園には、実はダム湖がある。ヨセミテバレーの北方約30キロメートルにあるヘッチヘッチー湖だ。もともとはヘッチヘッチーバレー(Hetch Hetchy Valley)と呼ばれる、ヨセミテバレーに引けをとらない景観地だったが、サンフランシスコの慢性的な水不足の解消を目的に、ダムが建設された。アメリカの国立公園の歴史の中でも、最大の汚点のひとつといえる。ジョン・ミューアは、彼の設立したシエラクラブとともにこの開発計画の阻止に向けて闘ったが、組織の分裂や政治的な圧力などもあり、ダム計画は1913年に正式に決定された。そして残念なことに、その翌年、ミューアは息を引き取ってしまう。
 ところが、このヘッチヘッチーダム問題は、思わぬ成果をもたらした。この問題をきっかけとして、1916年に米国内務省に国立公園局が設立されたのだ。また、自然保護団体も世論形成能力と政治的な運動の必要性を痛感し、組織の規模拡大や財政基盤の強化、ロビー活動の展開などが進む契機となった。こうしてアメリカの国立公園制度は徐々に強化され、NGO団体もその勢力を拡大する大きなきっかけになった【9】
 ところで、国立公園局の設立は、引用した組織法(囲み)によるが、その法律の中で打ち出された「保護と利用の両立」という概念が、国立公園の人気を高めると同時に、国立公園の管理を複雑で難しいものとしたのも確かだ。


ヨセミテ国立公園到着!

 ヨセミテ国立公園のゲートを過ぎ、しばらく公園道路を走る。何気なくトンネルを抜けると、そこに有名な「トンネルビュー」が広がる。国立公園の核心地、ヨセミテバレーの入口に位置する展望台からは、氷河によって形作られたすばらしい地形が一望できる。
 拍子抜けするほど簡単に、これらのすばらしい風景を楽しむことができる。道路脇の広々とした駐車場に車を停めるとすぐ目の前に雄大な景色が広がっていて、バスや自家用車でアクセスできるのだ。これこそがアメリカの国立公園の魅力といえる。

トンネルビュー。まるで人の手がまったく入っていないかのような原生的な風景が広がっている。

トンネルビュー。まるで人の手がまったく入っていないかのような原生的な風景が広がっている。

トンネルビューも、一歩展望台を離れてみるとこのとおり。これでもまだ混雑していないそうだ。

トンネルビューも、一歩展望台を離れてみるとこのとおり。これでもまだ混雑していないそうだ。

後から後から大型バスが到着する。サンフランシスコからは日帰りも可能だ。

後から後から大型バスが到着する。サンフランシスコからは日帰りも可能だ。


ヨセミテバレーの周回道路

すばらしいヨセミテ滝の眺め。その手前、写真の向かって下の方に周回道路を走る車の列が見える。

すばらしいヨセミテ滝の眺め。その手前、写真の向かって下の方に周回道路を走る車の列が見える。

 ヨセミテバレーには周回車道が整備されている。片側2車線のゆったりした道路を走り、雄大な風景を満喫しながら自由にドライブできる。一方通行区間も多いので、距離は短いものの「やむをえず」もう1周しなければならないという事態も起きる。その意味で、「車で思う存分走り回ってください」といわんばかりの施設設計だ【10】
 駐車場や路傍駐車場も充実している。氷河で削られた巨大な一枚岩のエルキャピタン、ハーフドーム、数多くの滝、広々とした自然草原(メドー)、透明な水の流れるマーセド川と、どこを切り取っても絵になる。気が付くと、また車を停めて写真を撮っている始末。このすばらしい風景をのんびりと楽しめないのが、いかにも貧乏性な観光客だ。

 ヨセミテバレーとは規模が違うものの、日本の上高地といろいろな意味で共通しているように感じる。氷河によって形成された荒々しい地形、アクセスが1箇所に限られる盆地と集中する利用客。美しい森林と澄明で豊かな川の流れ。違うのは、まさに道路と自家用車の管理だ。
 上高地では、昭和50(1975)年の夏に日本で初めてのマイカー規制が導入された。利用者は麓の駐車場に車を停め、シャトルバスで上高地に入山する。また、上高地のバスターミナルより奥には車道はなく、盆地内は年中「歩行者天国」だ。
 そんな光景に慣れていた私にとって、ヨセミテでのドライブには罪悪感もあった。
 「やっぱりこの道路建設はやりすぎではないか?」
 そんな考えが頭を離れない。その一方で、「これはすごい」という気持ちも抑えきれない。車でどこへでも行ける自由。次第に「これがアメリカの国立公園なのだ」という気持ちが強くなっていった。郷に入らば郷に従え、ここでは私は一介の外国人観光客に過ぎないのだ。

 宿泊は公園内のバンガロー。私たちの予算では、公園内のバンガローか公園外の安モーテルがせいぜいで、ヨセミテ公園内のホテルにはとても泊まれない。季節はもう5月というのに、朝方には気温は氷点下になる。シュラフと毛布だけではなかなか眠れなかった。


宿泊は常設テントのようなバンガロー。朝方は氷点下にまで気温が下がる。

宿泊は常設テントのようなバンガロー。朝方は氷点下にまで気温が下がる。


資源管理上の課題

 見所満載の公園だけに、過剰利用は大きな問題だ。利用者はメモリアルデー(毎年5月最後の月曜日)付近から始まる休暇シーズンに集中する。写真撮影や散策のために歩道を外れて植生に立ち入るため、植生が荒廃する。利用者の持ち込む食料やごみによって餌付けされたクマが起こすテントや車両の被害は、年間800件を超えるそうだ。裸地化した草地から流出する有機物質は河川の水質悪化や透明度の低下につながる。

 バレー内には無料の巡回シャトルバスが運行されており、このバスを利用する人も多い。日本ではそれほど違和感がないが、車社会のアメリカでシャトルバスが受け入れられているのはかなり意外だった。もちろんそれには理由もある。ヨセミテバレー内の駐車場はかなり限られているため、夏の休暇シーズンにあちこちの見所を回ろうとすると、行く先々で駐車場を探したり並んだりしなければならない。15分間隔で運行されているシャトルバスに乗る方が楽なのだ。レンタサイクルもあり、渋滞でのろのろとしか進まない自動車の列を尻目に、家族連れが自転車で走り抜けていく。とはいえ、路上駐車する車は絶えず、路肩の植生の荒廃や渋滞の原因になっている。

日帰り客用の駐車場の側に設けられた仮設のインフォメーションステーション

日帰り客用の駐車場の側に設けられた仮設のインフォメーションステーション

ヨセミテバレー内で運行されている無料のシャトルバス

ヨセミテバレー内で運行されている無料のシャトルバス


 公園外からの汚染の影響も深刻だ。カリフォルニア州は米国でも特に大気汚染が進んでいる州のひとつに数えられる。西海岸地域に広がる人口密集地帯から流入する汚染物質が原因で発生する「かすみ」が景観を損ない、植生への悪影響も懸念されている。

グレーシャーポイントという展望台からの眺め。霞がかかっているのは、おそらく大都市から流れ込んできた汚染物質によるものだ。

グレーシャーポイントという展望台からの眺め。霞がかかっているのは、おそらく大都市から流れ込んできた汚染物質によるものだ。


 移入植物対策も課題となっている。特に、2000年ごろに行われた道路工事の際に、工事車両によって意図せず導入された移入種の種子が、道路沿いに繁茂している。主に職員が手作業で駆除作業を行っているが、繁殖個体数が多いため、ガスバーナーによる焼却除去も行われているそうだ。

NPS(国立公園局)オープンハウス(公園内開発事業説明会)

NPSオープンハウスの様子

NPSオープンハウスの様子

 ヨセミテ滞在中、「国立公園局オープンハウス(NPS Open House)」というイベントに参加した。ヨセミテバレー・ビジターセンターのホールで開催されていたもので、一般来訪者向けに毎月開催されている。公園内で行われている各種の事業について公園職員が担当事業の説明パネルを掲示し、内容の説明をする。休日にもかかわらず多くの職員が参加し、午後2時から午後6時までの4時間、ひっきりなしに利用者が訪れていた。


下水道施設更新事業の説明パネル

下水道施設更新事業の説明パネル

 ヨセミテバレー内の老朽化した下水管などの地下埋設施設の更新事業に関する説明は大変興味深かった。利用施設から排出される排水は膨大で、公園内には200万ガロン(約7,600立方メートル)の容量の巨大な排水タンクが設けられている。排水は、いったんバレー内の各施設から下水管によりこのタンクに蓄えられた後、公園外の処理場までポンプにより圧送される。これらの排水を集める下水管が老朽化しており、汚水の流出が懸念されている。ところが、配管の一部はバレー内の自然草地(メドー)に埋設されているうえ、下水管は河川を13回もまたいでいる。既存の配管類を撤去して共同溝として再整備しようとするこの事業は、汚水の漏出を抑える効果は大きいが、相当大規模な工事になる。特に自然草地を大規模に掘り起こさなければならにことが問題視されていた。このため、自然保護団体が工事中止を訴え、訪問当時も事業は中断されたままだった。
 日本でも、湿原に設置される木道の杭などは、打ち込むときよりも引き抜くときの方が大きな工事になってしまうことが多く、こうした湿原や自然草地での工事の扱いは難しい点が多いのは確かだ。


整備が予定されているトイレの平面図が掲示されていた。

整備が予定されているトイレの平面図が掲示されていた。

 ヨセミテ国立公園では、このオープンハウスを含め早い段階から利用者に情報を公開しており、パブリックインボルブメントに対してかなり前向きな姿勢を見せていた。政府関係の事業は、環境影響評価や事業評価などの手続きの関係で、事業着手までには少なくとも1〜2年もの期間が費やされる。関係者とのコミュニケーションの確立は、円滑な事業遂行のために避けて通れないものとなっている。
 ヨセミテ国立公園では、事業に対するコメントを随時受け付けており、定期的な情報送付を希望する人のための登録用紙なども備え付けられていた。日本では通常、パブリックコメントには批判的な意見が相対的に多く寄せられるが、ヨセミテ国立公園では、こうした利用者の巻き込みによって、事業を前向きに評価する意見も発掘されているようだ。これらの努力が訴訟回避につながることはもちろんだが、サイレントマジョリティーたる多くの“国立公園応援団”から建設的なコメントが寄せられるのも、公園管理者にとっては得がたいことと言える。


インタープリターによる説明

現在のヨセミテバレー(グレーシャーポイント展望台から)。樹木があるため、道路や駐車場があまり目立たない。

現在のヨセミテバレー(グレーシャーポイント展望台から)。樹木があるため、道路や駐車場があまり目立たない。

 オープンハウスの開始から30分後、インタープリターによる説明が始まった。公園の歴史とさまざまな課題、主要な開発行為についての解説だ。説明のプロだけあって、パワーポイントを用いたプレゼンテーションは大変わかりやすい。約20名の参加者も高い関心を示し、活発な質疑が交わされた。一方、その内容は、「キャンプサイトをもっと増やすべきだ」と利便性向上を訴える意見があると思えば、「小さな橋の付け替えについても細心の注意を払うべき」と施設建設の抑制を促す意見も出された。興味、関心の方向性はさまざまで、こうした意見の収斂を得ることは容易ではないだろう。

 「公園の抱える課題の原因のほとんどは、過剰利用にあります」
 自然植生の中に自動車が乗り入れられ、ところかまわずテントが張られている様子が映し出される。相当に古い白黒の写真だ。こうした無秩序な利用が植生を著しく荒廃させた。また、1860年代のヨセミテバレーには10を超えるホテルが建ち並び、一大ホテル街だった。その後、ほとんどのホテルは取り壊され、現在は1ヶ所のみが残されている。

 「当時の利用者は長期間滞在が中心で、夏の間ずっとヨセミテバレーに滞在していることも珍しくありませんでした」
 それに対し、現在は日帰り利用者が約8割を占め、その平均滞在時間は4時間足らずだ。皆慌ただしくバレー内の見所をまわり、買い物をして帰途につく。

 「野生生物の管理についてもいろいろな問題がありました」
 過去には、観光客を呼び込むため、この地域には棲息していないエルクをヨセミテバレーで飼っていたり、残飯を野生のクマに与えたりしたこともあった。釣り客のために、カリフォルニア州政府がブラウントラウト(マスの一種)を放流したことで、もともと棲息していたレインボートラウトの棲息環境が脅かされた。

 「1931年、ヨセミテにはテニスコートがありました。また、『ファイアーフォール』というアトラクションが行われ、大人気でした」
 このアトラクションは、ヨセミテの夏の名物だった。夏季には涸れてしまう本物の滝に代わって出現する「火の滝」は、焚き火の燃えさしからできていた。バレーを臨む崖の上に巨大な焚き火を起こし、これを一度に落として「火の滝」を見せる。周囲の森林が切り出され、多くの薪材が用意された。
「1899年と1961年当時のヨセミテバレーの写真です」
 2枚の写真を比較すると、違いは一目瞭然、樹林地が大幅に増えているのだ。管理方針の転換によって、森林面積が約50%も増加した。

 「私たちは、皆さんからのコメントを歓迎します。ヨセミテには難しい問題が山積していますが、コミュニケーションを通じていろいろな課題を解決していきたいのです」
 インタープリターからの締めくくりの言葉だ。国立公園局からのメッセージが直接伝わる、すばらしいコミュニケーションの場だった。私も試しに情報提供を申し込んでみたところ、以降、定期的に資料や案内が届くようになった。


ヨセミテ国立公園の総合管理計画

 アメリカの国立公園には、それぞれの公園の管理方針などを定めた総合管理計画(General Management Plan:GMP)という計画書がある【11】。公園の特性や利用者数など具体的な数値を元に、長期的な観点から取りまとめているものだ。
 GMPに定められているヨセミテの基本的な管理方針は、次の5点である。

  • かけがえのない自然の美しさを再生する
  • 自然のプロセスが卓越するようにする
  • 利用者の充実した経験を促進する
  • 自動車渋滞を大幅に緩和する
  • 混雑を解消する

 国立公園局が掲げる、「自然を守り伝えながら、利用者の体験を増進する」という国立公園の理念がうまく取り入れられている。前述したヨセミテの歴史をたどってみても、この相反する「適切な利用」の実現は、試行錯誤を通じて徐々に進んでいるように見える。ご参考まで、この管理計画の内容を一部引用してみたい。

 まず、目を引くのがヨセミテのGMPが掲げる理想の高さである。「はじめに」の中で、管理方針として「すべての車両を締め出し、開発行為を公園外に向け直す」と打ち出している【12】
 この方針を実現するための「5つの目標」の中では、

  • 国立公園局の管理事務所、職員宿舎、倉庫などの公園外移転
  • 公共交通機関増発による私用車の締め出し
  • 管理火災の実施

 などの内容を盛り込んでいる。特に、ヨセミテバレーからの私用車の全廃を謳っていることは、注目に値する。また、地区ごとの「適正なビジター利用レベル(appropriate visitor use levels)」が設定されている。


方針実現のための5つの目標

  1. かけがえのない自然の美しさの回復
    優れた自然地域が、職員宿舎、事務所、倉庫、ゴルフコース、美容室などの用地として用いられており、その自然を回復する必要がある。国立公園局ヨセミテ国立公園事務所及びカレー社(当時、ヨセミテ国立公園内のホテルなどの収益施設を独占的に経営していたコンセッション業者)の本部は、公園外に移転されなければならない。
  2. 交通渋滞の大幅緩和
    近い将来、ビジターの私用車の使用を制限し、公共交通機関を増発することにより、交通渋滞は大幅に緩和されるだろう。国立公園局の最終目的は、すべての私用車を盆地部(ヨセミテバレー)より排除することにある。
  3. 自然のプロセスを優先する
    自然現象が起こることを理解し、受け入れる。氾濫原、及び地質学的危険地帯から施設を撤去する。自然火災が植生維持に果たす役割を模した管理火災を実施する。
  4. 混雑の緩和
    適正なビジター利用レベル(appropriate visitor use levels)を公園区域全体にわたって設定する。
  5. ビジターの理解と自然体験の増進

適正なビジター利用(Visitor Use)レベル

 GMPによると、ヨセミテバレーの施設エリア(developed area)の宿泊収容レベルは、キャンプ場及び宿泊施設の規模から算定して7,771人、日帰り利用(Visitor Use)レベルは、日帰り利用客の利用可能な駐車場容量及び、計画策定当時ツアーバスで入場していた日帰り利用者数に基づき、10,530人とされている。
 計画では、バレー内の駐車場の数を大幅に削減し、盆地外の駐車場からバスによる輸送を打ち出している。パークアンドライドだ。それにより、自家用車の乗り入れによる悪影響を低減し、最終的には私用車をヨセミテバレー内から締め出すとしている。こういった施設の削減により、ビジター利用レベルを一定範囲に抑えようとしている。利用者が集中した場合には、入場制限も可能としているが、今のところほとんど入場が規制されたことはないらしい。

 ヨセミテバレー地区には、GMPとは別に「ヨセミテバレープラン」という大部の計画がある。2000年に策定され、計画に基づいて、バレー内の利用拠点の再整備などが進められている。

 この計画の特徴は次の通りである。

  • 250以上の具体的な事業、対策
  • 大面積の草地、樹林地の再生
  • 日帰り利用客のための駐車場収容台数の拡大(550台)
  • ヨセミテロッジの改築
  • Northside Driveの車両通行の禁止と多目的トレイル化
  • 特定の区間についてシャトルバスの増発

 プランでは、GMPの打ち出した「自家用車のバレーからの締め出し」とは逆に、駐車場の増設計画が盛り込まれている。理由を簡単にまとめると、「GMPでのバレーの総収容人数は1日10,530人であるが、1980年に比べて宿泊容量が減ったために、その分日帰り施設を増やすことができる」としている。見方によっては相当に無理のあるこじつけだ。国立公園局がこのような無理を押し通す背景には、ヨセミテバレー地区の利用者数の急増がある。ヨセミテバレープランによれば、1980年のGMP策定当時から2000年にかけて倍増している【13】
 その上、日帰り利用者の約86%は、依然として自家用車を運転してバレーを訪れている。典型的な混雑日には、バレー東側を訪れるビジターの27%が、路肩や日帰り利用客用以外の駐車場に車を停めるか、駐車スペースを探して走り回ることがわかっている。こうした混雑日におけるバレー内の延べ走行距離は、概算で69,014マイル(約11万キロメートル)と試算されている。
 こうした実態を受けて、バレー内の渋滞が激しくなるハイシーズンには、日帰り利用者用駐車場の利用と、無料の巡回バスや自転車、徒歩での移動をするよう誘導しており、日帰り駐車場増設の必然性が説明されている。結論はどうあれ、政策決定の裏付けデータがしっかりと計画書に書き込まれていることはすばらしいことだと思う。

ヨセミテバレープラン(2000年)

I.Yosemite Valley Plan Volume 1A ~Purpose and Need / Alternatives / Affected Environment~(p.2-15)Visitor Use and Parking Considerations
 1980年のGMPでは、ヨセミテバレー日帰り利用者向け駐車場の駐車スペース区画上限は1,271とされている(1日当りの利用者数10,530人)。計画策定後にキャンプ場と宿泊施設の収容力が削減されたため、GMPに定められた日帰り及び宿泊利用を合わせた一日当りの総利用者最大数(daily maximum number)を維持するには、1,622区画の日帰り駐車場が必要となる。
 この1,622区画の駐車場案について、地形分析及び自然資源価値の評価を行った結果、自然地域の改変は避けられないものの、高い価値を有する自然資源に大きな影響を与えずに、バレー中央部のTaft toeに設置することができると報告されている。また、さらにバレー東部公園内周回道路の北側部分(ヨセミテロッジからエルキャピタンまでのNorth side Drive)を閉鎖することにより、さらに800台分の日帰り利用者の車両を受け入れることが可能であるとしている。


User Capacity Management Program(利用者容量管理プログラム)

 「ヨセミテバレーの利用者数をどのように管理するかは大変難しい問題です。先進的な輸送システムとインターネットによる情報提供が重要と考えています」
 ヨセミテプランでキャンプ場の増設を打ち出している一方で、利用者数の抑制には施設の削減が必要であるという認識が公園職員にもある。バレー内の交通量を半減するため、現在ループ道路となっているバレー内道路を一部閉鎖して、南側車道を双方向通行とすることも検討されている。
 こうした取り組みをみると、この利用者容量管理プログラムは、訪問客数自体をコントロールすることよりも、むしろ公園の自然環境に影響のない方法で利用者を受け入れ、さらに満足度も向上させることを主な目的としているということがわかる。その手法を論理的にまとめたものが、次にご紹介するVERPというプログラムだ。


VERP(利用者経験および資源保護プログラム)

オープンハウスで展示されていたVERPに関する解説パネル

オープンハウスで展示されていたVERPに関する解説パネル

 利用者容量を明らかにするために国立公園局が開発したのが、「Visitor Experience and Resource Protection(利用者経験および資源保護プログラム)」、通称VERP(ヴァープ)だ。ヨセミテバレーを流れるマーセド川に関する利用者容量管理プログラムが実施されているが、これにもVERPの手法が用いられている。

 ヨセミテ公園の訪問当時、すでにこのVERPに関する資料を入手していたものの、具体的にどのように使われるものなのかが理解できずにいた。そこで、プレゼンテーションの後、さっそくヨセミテ国立公園計画室のMark Butler氏に、VERPについてお話を伺うことにした。

 「VERPは、植生などの資源の保護と利用者の便宜向上の両立を目指すものです。影響を受けやすい資源を保護しながら、ビジターを比較的影響を受けにくい代替地点に誘導する、国立公園局全体で行われている取り組みです」
 そんなことが可能なのだろうか。私はまだ半信半疑だった。
 「VERPの要点は次の通りです」

  • 公園管理者は、特定の地域ごとに、原状回復のための措置を講ずる必要性の有無を知るための基準と指標を定める
  • 資源専門家が定期的にその地域における影響の兆候についてモニタリングする
  • 対象地域における影響が、公園の定める基準を超えた場合に、管理者はその解決策を提示し、場合により必要な措置を講ずる

 ヨセミテバレー全体におけるVERPの適用は、指標策定などの作業が訪問当時にも続いていて、残念ながら本格的な運用は始まっていなかった。
 「これまでの調査の結果、ヨセミテでは次のような利用傾向があることがわかっています」

  • 国立公園への入口4箇所は、それぞれ利用者数全体の25%ずつが入場すること
  • 入場者数のうち95%はヨセミテバレーを訪問し、バレー訪問客の75%はヨセミテ滝を訪れること

展望台(グレーシャーポイント)における6段階の混雑度合い

展望台(グレーシャーポイント)における6段階の混雑度合い

 公園内の主要な興味地点で、利用者自身がどの程度の利用密度を好むかという聞き取り調査が実施されていた。その結果は大変興味深いものだった。
 「主要な展望台でアンケートをしたところ、適度に混んでいる方が安心できる、という結果が出ました」
 これは意外だった。国立公園の利用者は、原生自然の雰囲気を求めて訪れているものと思い込んでいたが、アンケートの結果は必ずしもそうではないことを示している。
 「車道もないバックカントリーではそうなのですが、展望台などの利用施設では、むしろまわりに人がいた方が安心するようなのです」

 観光要素の強い利用施設においては、混雑が居心地の悪さを強いる反面、極端に人が少ない状況もさびしさを呼び起こすことになるらしい。
 「逆に、もっともストレスを感じるのは、駐車場が満車で待たなければならなかったり、駐車場に入れず引き返すことになったりした場合です」
 つまり、ヨセミテ国立公園のような観光目的の利用者が多い公園では、大規模な施設さえあれば、利用者にストレスを感じさせることなく収容することが可能ということになる。また、駐車場の混雑状況を随時把握し誘導することにより、より多くの利用者をストレスなく受け入れることができる。
 施設利用者数の上限として、利用者に不快感を与えない範囲の設定をアンケート等の調査をもとに算出し、その利用者数のレベルが保たれるように、駐車場の収容台数を調整したり、興味地点への到達経路の入口に駐車場待ち時間などを掲示することで利用者を誘導したりする。
 バックカントリーのように、自然環境の保全が優先される地域とは異なり、ヨセミテバレーのような観光目的の利用者が多いところでは、それまでの経験則やモニタリング調査の結果をもとにした情報の提供と利用の誘導によって、利用者のピークを分散させるといった社会科学的な対策が奏効する。つまり、人間の心理的な許容量と自然の収容力の間には多少のギャップがあること、それがVERPの成立する要件であり、また、これこそ国立公園局がようやくたどり着いた、「保護と利用の両立」のひとつの姿なのだろう。こうした社会科学的な手法を積極的に採り入れていることも、米国国立公園局の公園管理の特徴といえる。

(参考)VERPの作業手順

  • 手順1:学際的プロジェクトチームの設置
  • 手順2:パブリックインボルブメント戦略の策定
  • 手順3:公園管理者による、目的、重要性、主要な教育的テーマ、計画上の制約などに関する公式見解の策定
  • 手順4:公園の資源および現在の利用動態の分析
  • 手順5:潜在的な利用の幅と資源の状況に関する説明書の作成
  • 手順6:公園内の特定の地点に関する潜在的なゾーニングに関する説明書の作成
  • 手順7:指標(indicators)の選定とそれぞれのゾーン関する基準(standards)の設定
  • 手順8:資源と社会的指標のモニタリング
  • 手順9:(必要な場合に)管理措置の実施

ヨセミテとセコイア・キングスキャニオンの違い

セコイア・キングスキャニオン国立公園内の公園道路。ヨセミテと比べて細く片側一車線だ。

セコイア・キングスキャニオン国立公園内の公園道路。ヨセミテと比べて細く片側一車線だ。

 ヨセミテ国立公園とセコイア・キングスキャニオン国立公園は、ともにシエラネバダ山脈に位置し、アメリカの国立公園の設立運動初期に設立されている。いずれも、氷河により形成された雄大な地形を持ち、その景観を守るために、ジョン・ミューア、シエラクラブをはじめとする多くの関係者が保護運動の展開に尽力してきた。その結果として、「国立公園」という当時としては世界に類を見ない制度が創設され、その制度は、後に世界の自然地域の保護に絶大な影響を及ぼすこととなった。
 ヨセミテもセコイア・キングスキャニオンも、国立公園としてそのすばらしい自然環境が守られてきたものの、2つの国立公園がたどった運命や管理方針には大きな違いがある。
 ヨセミテ国立公園は、サンフランシスコという巨大都市から近く、利水や電力などに対する需要を背景とする、強大な政治的圧力に常にさらされてきた歴史をもつ。その結果として、ヘッチヘッチーダムが建設され、また、シエラネバダを横断する道路(タイオガ・ロード)が国立公園内を貫き、スキー場もある。
 一方、キングスキャニオン国立公園では、ダム建設の計画が持ち上がったものの中断に追い込まれた。セコイア国立公園の隣接地域で計画されたスキーリゾート開発も頓挫し、現在その区域は国立公園に編入されている。また、公園を横断する道路も建設されていない。実際に公園を訪れてみても、ヨセミテ国立公園の大規模な周回道路のようなものはなく、地形的な要因もあって、道路幅員は狭く、曲がりくねっている。さらに、キングスキャニオン国立公園は、アメリカ国内でも先進的なバックカントリーの管理計画を立案してきたことでも知られている。

 1964年頃、バックカントリーの環境容量(Carrying Capacity:特定の自然環境が許容できるとされる人間活動の上限)の概念を取り入れた入山許可制度も取り入れている。この制度は、国立公園内に「入山許可区画」を指定して、各区画の入山者数を制限するもので、全米で初めての取り組みだったとされる。制度導入に先行して1960〜61年にかけて取りまとめられ、1963年に公表された「セコイア・キングスキャニオン国立公園バックカントリー管理計画(Back Country Management Plan For Sequoia and Kings Canyon National Parks)」には、「ウィルダネスとは」「国立公園管理における科学の必要性」「環境容量」「ウィルダネスの保護と個人の自由」などの方針が明確に打ち出されており、その後の他の公園におけるバックカントリー管理計画書の下書きともなったといわれている。一国立公園の管理計画を越えた画期的な計画書であり、また、この計画書の策定は、1960年代という国立公園行政の大きな変革の時代のひとつの象徴でもある。


アメリカの国立公園管理の歴史 ──1960年代という時代──

 国立公園における「保護と利用の両立」という課題は、その制度発祥の地アメリカでも常に議論の的であった。その歴史を簡単に振り返ってみたい。
 1916年に設立された国立公園局の初代局長であるステファン・マザーと、その右腕であり後継者でもあるホラス・オルブライトは、国立公園システムの基礎を固め、組織の運営方針を明確にした。その方針は、多くの人々の予想に反し、利用(レクリエーション)優先ではなく、「人々のインスピレーションと教育(inspiration and education of the people)のために国立公園を管理していく」というものであった。これは、1918年に当時の内務長官名で発表された「政策方針書(policy statement)」の中で具体的に示され、「保護の優先」も打ち出された。
 ところが、その後も国立公園内では人間中心の自然資源管理方針がとられた。例えば、捕食動物の駆除(predator destruction)、通景線伐採(vista clearing of forests)、外来種の導入、及び殺虫剤・除草剤の公園内での使用などである。
 オルブライト氏は、局長就任後にも捕食動物駆除を否定し、公園をすべての生物種の生息地として保全することを主張した。また、同局職員で野生生物学者のジョージ・ライトは、1932年に「国立公園の動物相(Fauna of National Parks)」を自費出版した。同氏はこの書の中で、科学的な野生生物管理の原則と、政策決定をより適切なものにするためのさらなる調査研究のための制度導入を提唱した。この考え方に基づき、国立公園局内に野生生物課が創設され、ライト氏がその代表者に就任した。しかし、1936年の同氏急逝によって、取り組みは頓挫する。その後、ライト氏の思想の多くは無視され、利用に偏った管理が続けられることになった。
 一方、1933年にCCC(Civilian Conservation Corps:市民保全部隊)が、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として組織され、失業者が国立公園などの公共施設建設に従事することになった。これにより、国立公園の基本的なインフラが急速に整えられた。同年、オルブライト局長は、「国立公園における調査研究(Research in the National Parks)」など一連の通達を行い、一貫した管理のために体系的な調査研究体制の必要性を明確に示した。しかしながら、このCCCによる公園の過剰整備や国立公園システムの急成長【14】などが逆に災いし、科学的情報の収集及び公園管理方針へのフィードバックの体制が確立されることはなかった。

 その後、第二次世界大戦による予算不足の時期などを経たものの、利用を優先した管理方針を採り続けたことが、国立公園局に対する国民の絶大な支持につながった。また、そのような大衆の人気に裏付けられた、大きな政治力を獲得することになった。その結果、同局は大規模な予算救済策である「ミッション66(Mission 66)」の獲得に成功した。1956年に開始されたこの事業は、総予算額10億ドルにものぼる一大プロジェクトで、国立公園における大規模な建設事業や開発事業が進められた。
 このミッション66は、大々的な触れ込みと楽観的な観測のもとに開始されたものの、数年のうちに批判の的になってしまった。直接の理由は公園の過剰整備であったが、その背景には保全生態学の発展や科学の飛躍的な進展があった。それまで、国立公園局は「趣の保護(preservation of atmosphere)」やその他の組織設立当時の思想に固執し、生態学的、科学的理論を受け入れようとしなかったと言われている。言い換えれば、風景(見かけ)にはそれほどの変化がないものの、生態系などに影響が生じていることやその因果関係が、科学的な調査により明らかになってしまったわけだ。
 それまで組織として風景管理やビジターサービスを優先してきた国立公園局では、こうした客観的で科学的な情報に基づく公園管理といった、新しい考え方についていくことができていなかった。ところが、一般国民の目には施設の過剰整備が明らかで、「国立公園局は、本当に公園を守ろうとしているのか?」といった本質的な疑問が呈された。
 このような批判を受け、国立公園局はようやく調査プログラムを立ち上げた。その結果とりまとめられた2つの重要な内部文書のひとつが、前出のセコイア・キングスキャニオン国立公園のバックカントリー管理計画であった。
 もう一つの報告書は、1962年に発表された、通称「スタグナー報告書(Stagner Report)」である。この報告書は、1932年に発表されたライト氏の「国立公園における動物相」の内容を踏襲した形で、公園管理の原則がとりまとめられている。さらに、1963年には外部委員会による2つの相互補完的な報告書が発表され、上記2つの内部報告書が改めて外部有識者に認められる形となった【15】

 一方で、1960年代は、環境保全運動が大きな盛り上がりを見せたことを背景に、数々の環境関連法が制定された時代でもある。政府機関である国立公園局にも、その業務に様々な制約が生じることになった。これが組織の変革に拍車をかけた。
 1962年、レイチェル・カーソンの有名な著書『沈黙の春』が出版された。同書は、人間による自然や野生生物に対する深刻な影響を指摘し、大きな反響を巻き起こした。これをきっかけに環境保全運動が一気に盛り上がりを見せた。
 その2年後の1964年、ウィルダネス法(Wilderness Act of 1964)が制定された。これに対して国立公園局は、「国立公園は既に保護のために管理されており、ウィルダネス法の適用はその管理方針と重複している」と主張した。国立公園局がこの法律の国立公園への適用に後ろ向きだった背景には、ヨセミテ国立公園のタイオガ道路計画など大規模な道路建設計画などの予定があり、それらの事業実施の妨げが懸念されたという事情があったと言われている。
 1967年に制定された大気浄化法(Clean Air Act)は、公園保護の強化に貢献する一方で、公園管理者側としての規制遵守義務が生じた。翌1968年には、原生及び景観河川法及び国立トレイルシステム法が制定され、国立公園システムはさらに拡充し、複雑になった。
 1960年代を通してもっとも重大な影響を与えた法律は、何と言っても国家環境政策法(National Environmental Policy Act of 1969:NEPA)だ。この法律は米国の環境保護の基本憲章というべきものであり、各政府機関は環境への影響が最小になるような方法で自らの業務を行うことが求められることになった。連邦政府が実施するすべての開発事業について、潜在的な環境影響に関する調査を行った上で計画を策定することなどが求められる。この法律の画期的な点は、計画過程で一般に対し情報を公開し、事業に対するインプットを受けるプロセスを設けることが義務付けられたことである。このパブリックインボルブメントの原則義務化は、環境保全団体の影響力を飛躍的に向上させる結果となった。
 これらNEPAをはじめとする一連の環境法規によって外部圧力が高まり、国立公園局の業務の進め方は大きな方向転換を余儀なくされ、事業評価や評価を行うための科学的なモニタリング体制の整備が急ピッチで進められた。その一つの典型例が、ヨセミテ国立公園で行われているオープンハウスをはじめとするパブリックインボルブメントの取り組みといえる。

 シエラネバダ山脈に位置するこのヨセミテとセコイア・キングスキャニオンという2つの自然地域を舞台に、保護と利用や開発をめぐって様々な政治的抗争が繰り返されてきた。その抜き差しならない対立を経て、アメリカが世界に誇る「国立公園」という制度が実現した。その制度は完璧なものではないかもしれないが、こうしたさまざまな関係者の努力の歴史に触れるとき、アメリカの生み出した「国立公園」という制度は、国立公園の守る景観と同様にすばらしいものだと実感することができる。


謝辞など

 なお、今回の原稿執筆にあたっては、上岡克己氏著「アメリカの国立公園」(築地書館, 2002)、ならびにLary M. Dilsave氏著「America's National Park System:The Critical Documents」(Rowman & Littlefield Publishers, 1994)を参考にさせていただきました。

 また、セコイア・キングスキャニオン国立公園の部分につきましては、同公園の国際ボランティアとして約一年間勤務された寺井克之氏に全面的にご協力をいただきました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。寺井氏は、国立公園のGIS専門家として活躍された後、昨年日本に戻られました。


【1】セコイア国立公園とキングスキャニオン国立公園
セコイア・キングスキャニオン国立公園周辺の地図
【2】アメリカの国立公園における管理体制の合理化の例
ヨセミテ国立公園の南東部に隣接するデビルス・ポストパイル国立記念物公園(Devils Postpile National Monument)も、セコイア・キングスキャニオン国立公園管理事務所の管理下にある。また、サンフランシスコにあるゴールデンゲート国立レクリエーション地域では、近接するジョン・ミューア国立記念物公園を管理している。ワシントンDCに点在する国立公園ユニットを東西2つの公園管理事務所が管理している例などもある。
【3】レンジャーの大先輩でもあるH教授がこの制度の導入を実現。詳しくは、H教授の環境時評(第7話)「レンジャーの現在と将来」参照。
H教授の環境行政時評「レンジャーの現在と将来」
【4】グラント将軍の木
1926年4月28日に、第30代アメリカ大統領、ジョン・カルビン・クーリッジにより「国民のクリスマス・ツリー」(Nation's Christmas Tree)に指定された。毎年、クリスマスの二週間ほど前の日曜日に地域人々が集まり、盛大なクリスマス記念行事が行われる。
グラント将軍の木(国立公園局ウェブサイトより)
【5】ジャイアントセコイア、コースタルレッドウッド
ジャイアントセコイアとコースタルレッドウッドの分布域(国立公園局ウェブサイトより)
【6】国立公園局のマーク「アローヘッド」
「アローヘッド」の歴史(国立公園局ウェブサイトより)
【7】マウンテン・イエローレッグ・フロッグ
マウンテン・イエローレッグ・フロッグに関する情報(ヨセミテ協会ウェブサイトより)
【8】アンセル・アダムス氏
アンセル・アダムスのフォトギャラリー(国立公園局ウェブサイトより)
マンザナー国立史跡(国立公園局ウェブサイトより)
マンザナー国立史跡の位置図(国立公園局ウェブサイトより)
【9】
1920年に制定された連邦発電法(Federal Power Act)の翌21年の改正によって、国立公園及び国立記念物公園内におけるダム建設は、連邦議会による特別の承認がない限り禁止されることになった。この改正は、自然保護活動家などの活動に負うところが大きいとされている。
【10】ヨセミテバレーの周回道路
ヨセミテバレー地区拡大地図(国立公園局ウェブサイト)
【11】総合管理計画
ヨセミテ国立公園総合管理計画(1980年策定:YOSEMITE NATIONAL PARK GENERAL MANAGEMENT PLAN(Visitor Use/ Park Operations/ Development 1980))。このGMPの下位計画として、自然資源管理計画(Natural Resources Management Plan)、文化資源管理計画(Cultural Resources Management Plan)などが定められている。
【12】GMPの「はじめに」(Introduction)
「ヨセミテバレーは縦7マイル(約11キロメートル)、横1マイル(約1.6キロメートル)ほどの大きさである。盆地には、約30マイル(約48キロメートル)の道路があり、毎年100万台程度の自家用車、トラック及びバスが通行している。国立公園局の方針は、ヨセミテバレー及びマリポサの森からすべての車両を締め出し、開発行為の実施を公園外に向け直すことである。」
【13】ヨセミテバレー地区の利用者数
1980年当時のヨセミテバレーの利用者数は不明だが、ヨセミテ国立公園全体の利用者数は、1980年の258万人から、2000年には355万人に増加している。しかしながら、1996年の419万人をピークに利用者数は減少傾向をたどり、2006年の訪問者数は336万人にとどまっている。
【14】国立公園システムの急成長
1933年の連邦政府の組織再編に伴い、全ての公園、記念物公園、戦跡、及び記念物が国立公園局の管轄の下に置かれることになり、現在の国立公園システムの基礎が整った。
【15】外部委員会による2つの相互補完的な報告書(1963年)
「国立公園における野生生物管理に関する諮問評議会報告(Report of the Advisory Board on Wildlife Management in the National Parks)」は、その議長の名にちなみ通称「レオポルド報告書」と呼ばれている。この諮問評議会は、内務長官のステュワート・ユーダルが、イエローストーン国立公園におけるエルクの過剰摂食やその他の特定の野生生物関連問題について勧告を求める目的で組織したものの、評議会はその枠を大きく越えて、国立公園管理の基本思想を定義した。その思想とは、公園の第一の目的は、その地域を初めて白人入植者が訪れた時の、生命活動が相互に関連しあった状態を保つことである、というものであった。報告書はまた、このような管理上の優先事項を監督するための、常勤科学者をすべての公園に配置することを求めている。
もう一つの報告書である「国立公園における調査研究に関する諮問委員会報告(Advisory Report on Research in the National Parks)」、通称「ロビン報告書」は、先のレオポルド報告書などにより提案された、国立公園における管理方針転換を促すものであった。
このような動きを受けて、国立公園における大掛かりな科学調査活動及び「生態系保護(ecosystem preservation)」に向けて、徐々に国立公園局が舵を切り始めることとなった。

<妻の一言>

 レッドウッド国立州立公園は1日10時間労働の4日勤務でしたので、2泊3日の小旅行ならいつでも出かけることができました。これに1〜2日の休暇を追加すれば、ちょっとした遠出もそれほど難しいことではありません。このため、レッドウッドに来てから、いろいろなところに「遠征」することが多くなりました。
 ただ、主人は、いつも研修報告書や役所からの宿題などの締め切りに追われていて、そうした準備はもっぱら私の担当でした。また、公園での作業予定がなかなか決まらないので休暇の予定が直前まで立たないことが多く、ホテルの予約などは大変でした。今回ご紹介したヨセミテ国立公園のように自家用車で行けるところなら、荷物を車に積み込んでしまえば準備も楽ですが、飛行機とレンタカーを組み合わせるとなるとさらに大変になります。

 旅行日程が決まるとまず天気を調べます。国立公園は特に天候の変化が激しいので、気温や天候などを注意深く調べます。服装や靴、雨具などの装備を決め、パッキングします。

 次に、道路情報を調べます。私はナビ役なので、地図やルートを事前に調べなければなりません。とりあえず、AAA(トリプルエー)に地図やガイドブックの送付を予約しますが、だいたい一週間で申し込んだもの一式が届きます。会員であればこのサービスは無料です。
 運転ルート、距離、所要時間などは、マップクエストというサイトで調べます。

 次に取りかかるのは食料計画です。私たちは自炊が基本でしたので、食材や調理器具をいろいろと用意します。

 ところで、ヨセミテのブラックベアー(日本のツキノワグマに近い種類)による被害は想像以上に深刻なものでした。私たちはキャンプ場のバンガローに宿泊しましたが、食料用のロッカーが1つずつ割り当てられていました。

バンガローに備え付けられている食料品用のロッカー。食料品だけでなく歯磨き粉などにおいを出すものはすべてこの中にしまわなくてはなりません。

バンガローに備え付けられている食料品用のロッカー。食料品だけでなく歯磨き粉などにおいを出すものはすべてこの中にしまわなくてはなりません。

キャンプ場のロッカー。キャンプ用の食料などでいっぱいです。

キャンプ場のロッカー。キャンプ用の食料などでいっぱいです。


 食べ物を車の中に入れておくと、ガラスを破られ食料をそっくり取られてしまうそうです。車の中に、おいしそうな(?)ポテトチップスやフライドチキンが散乱するアメリカ人の習慣からすると、むしろ自然な行動かもしれません。考えてみると、ここはシエラネバダ山脈のまっただ中に開けた盆地です。ブラックベアーにとっても絶好の棲家のはず。そこにおいしそうな食べ物を山のように持ってくるわけですから、ちょっと手を出してみたくなるのは自然なことといえます。

 ちなみにカリフォルニア州の旗にはクマが描かれています。これはヨセミテなどで見られるブラックベアーではなく、グリズリー(ハイイログマ)だそうです。グリズリーはカリフォルニア州の「州の動物」にも指定されているのだそうです。
 ところが現在、このグリズリーはカリフォルニア州内にはいません。1922年に、最後のグリズリーが現在のセコイア・キングスキャニオン国立公園のすぐ外側で撃ち殺されてしまったそうです。

 大量の食材を食事のたびに毎回運ぶのは大変でしたが、そうした食料品の保管や出し入れが、このような国立公園が、もともとは野生生物の棲家だということを思い出させてくれます。ハイイログマのような悲しい歴史を繰り返さないためにも、こうした食料品のロッカーを使うということは意味があるのではないかと思いました。でも、ロッカーには隙間があり、においが流れ出しているでしょう。やはりクマにとっては、つらい状況にかわりはないのではないかと思います。

セコイア・キングスキャニオン国立公園ではブラックベアーを見ることができました。

セコイア・キングスキャニオン国立公園ではブラックベアーを見ることができました。


(記事・写真:鈴木 渉)

〜著者プロフィール〜

鈴木 渉
  • 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
  • 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
  • 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
  • 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
  • 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
  • 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
  • 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
  • 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
  • その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
  • その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
  • 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。