No.010
Issued: 2007.05.17
大陸横断編・その3(アリゾナ州〜ネバダ州〜カリフォルニア州)
グランドキャニオンは、コロラド川に沿って形成された延長277マイル(446キロメートル)、幅15マイル(約24キロメートル)、深さ6,000フィート(1,830メートル)にも及ぶ大峡谷。私たちは、このグランドキャニオンを目指し、アリゾナ州フラッグスタッフから北上していた。これまでの砂漠地帯と比べるとずっと緑が濃くなってきたが、マンモスケイブ国立公園のある米国南東部と異なり針葉樹が多かった。
○グランドキャニオン国立公園
グランドキャニオン国立公園は面積1,218,375エーカー(約49万ヘクタール)。アリゾナ州北西部のコロラド台地上にある。半乾燥地にある隆起台地は雨水による侵食を受け、深い渓谷を形成している。標高の高い部分には森林も見られる。
1908年に国立記念物公園に指定され、1919年に国立公園として再指定された。1979年には世界遺産に指定されている。
2003年の利用者数は410万人と、米国の国立公園としてはグレートスモーキーマウンテンズ国立公園に次いで利用者が多い。
グランドキャニオン国立公園
フラッグスタッフからグランドキャニオン国立公園に向かう途中、ガソリンを入れたスタンドで昼食のサンドイッチを食べる。夏期にはファーストフードのレストランになると思われる野外卓ベンチを使わせてもらった。
グランドキャニオンに近づく。公園の周囲は驚くほど平らな針葉樹林で、遠くから見ると大地に細長い裂け目が入っているように見える。おそらく峡谷のほんの上部だけが細く横一線にみえているのだろう。
グランドキャニオンには、峡谷をはさんで南北にサウスリムとノースリムがあるが、私たちは、アクセスが容易で多くの観光客が訪れるサウスリムへと向かった。料金ゲートを過ぎて乾燥した針葉樹林の中を走る。しばらくすると大きな駐車場が出てくる。もうその右側には目も眩むような大渓谷が広がっている。
駐車場に車を停めて展望台に直行する。シーズンオフということもあり、展望台には人もまばらで、その風景をゆっくり楽しむことができた。目の焦点が思ったよりずっと遠くにあるのがわかる。雄大な景観というのはこのようなものをいうのかもしれない。
車を降りてすぐに大渓谷が見えてしまうのは少々拍子抜けするが、これなら車椅子の人でも簡単に観光することができるだろう。それにしても、この時期はどの公園でも、裕福そうな白人の高齢者ばかりが目に付く。グランドキャニオンは外国人観光客も多い。この季節、学校があるので家族連れが少ないのはわかるが、それにしても客層にかなりの偏りがある。
アメリカの子供や学生などに聞いてみると、ほとんどと言っていいほど、「国立公園は素晴らしい」という答えが返ってくる。ところが、実際に国立公園を訪れたことがある子供は意外と少ない。大学生になってようやく、友人の車に相乗りしながらバックパッキングでいくつかの公園を訪問したというような人も少なくない。
国立公園局のホームページには、社会科学に関する調査研究のページがあり、同局の様々な調査報告書が掲載されている。いくつか関連のある調査を引用してみたい。また、このような調査の他にも、利用者の受入れ容量などに関する調査報告書などもあり、ぜひ一度ご覧いただきたいページの一つだ。
1)The National Park Service Comprehensive Survey of the American Public, Technical Report
<「国立公園」という言葉から連想するものは何ですか?>
- 美しさ、自然、植物、動物:29%
- (特定の国立公園名):21%
- 国の遺産、ランドマーク、伝統、公園:14%
- レクリエーション:7%
- 政府、官僚的、連邦政府管理地:7%
- 保護管理、保存:7%
自然の美しさや野生動植物、国の遺産といったものが上位を占めるのは当然という気がするが、「レクリエーション」と「保護・保存」がいずれも7%と低く、また同じ割合で「官僚的・政府」という回答があるのはおもしろい。
<国立公園に行かない理由(過去2年間に行ったことがない回答者について)>
- 距離が遠すぎる:39%
- 時間がない、忙しすぎる:34%
- 情報がない、不十分:17%
- 全体的な費用:12%
- 興味がない:10%
国立公園に行かない理由として、「興味がない」がわずか10%で、多くが「距離」と「時間」を挙げているのは、アメリカの国立公園が僻地の原生地域にあるという「宿命」と、国立公園の持つ「魅力」といったものを裏付けているといえるのではないだろうか。また、意外なのは「情報がない」という回答が17%もあること。これだけ充実したホームページやパンフレットを備えた国立公園局でも、一般の利用者にはまだまだ情報が行き届かないということなのだろうか。
<学歴別にみた過去2年間に国立公園を訪問した割合(カッコ内は回答者に占める割合)>
- 高卒未満(5%):訪問あり15%、なし85%
- 高卒以上(25%):訪問あり18%、なし82%
- 短大その他の準学士(32%):訪問あり30%、なし70%
- 4年制大学卒(23%):訪問あり44%、なし56%
- 大学院卒(14%):訪問あり50%、なし50%
利用者の学歴をみてみると、高卒者は回答者全体の25%を占めるが、その82%は過去2年間に国立公園を訪問していない。その一方、4年制大学の卒業者は全体の32%を占め、その44%が過去2年間に国立公園を訪問している。このように、高学歴になるほど国立公園を訪問した人の割合が高くなっている。
国立公園利用者の人種や民族についても興味深い調査結果がある。
<人種別の過去2年間に国立公園を訪問した割合(カッコ内は回答者に占める割合)>
- アメリカンインディアン、アラスカ原住民(1%):32%
- アジア系(3%):33%
- 黒人またはアフリカ系アメリカ人(13%):14%
- ハワイ原住民または太平洋島嶼民(1%):18%
- 白人(83%):35%
このデータからすると、この調査の回答者には白人【1】が圧倒的に多いことがわかる。
ここで注目すべきは、アフリカ系アメリカ人の利用率が極端に低いことである。この問題については、以前から調査が行われており、次の調査報告書もそのような取り組みの一つである。
2)Race, Ethnicity and Use of the National Park System(1999)
この報告書によれば、1982年から翌年にかけて行われた、National Recreational Surveyの結果、白人回答者のうち国立公園を過去一度も訪れたことのない人の割合は42%であったのに対し、非白人マイノリティーについては、実に83%が国立公園を一度も訪れたことがなかった。特にアフリカ系アメリカ人が国立公園を訪問する割合は低く、その理由の一つをこの報告書では「行動様式の違い」に求めている【2】が、その他に、「交通手段の有無」(access of transportation)、「差別的な経験」が挙げられている。
公共交通機関がほとんどない国立公園においては、自家用車か観光バスを利用する必要がある。アメリカは一般的に自動車が高価である。また観光バスはあまり一般的ではなく、あったとしても外国人観光客向けが多い。
「差別的な経験」については、正直なところ私たちにはあまり実感がなかった。おそらくこれはアメリカ社会に深く根ざしたものなのだろう。
また、この調査報告書では、ヒスパニック系の利用者の特徴として、大人数でのグループ利用が多いことを挙げている。セコイヤ国立公園、ビスケイン国立公園などでは、大人数で楽しそうにピクニックしているグループを目にした。なお、ヒスパニック系の利用者を多く見かけたこれらの公園は、住宅地などから比較的近く、無料かもしくは比較的入場料金の安い公園であった。
また、利用者数について、将来予測のための有識者会合報告書が掲載されていた。
3)Visitation Forecasting and Predicting Use of NPS Parks and Visitor Centers:Focus Group Report; James H. Gramann, Visiting Chief Social Scientist, National Park Service Social Science Program
この調査報告書によれば、1987年から国立公園局の管理する公園地の利用者数は、横ばいもしくは減少傾向にある。その点からすると、アフリカ系アメリカ人をはじめとするマイノリティーの利用者を増やすことには大きな意味があるといえるだろう。
一方、前出のアンケート調査の結果に戻れば、そのような新規利用者の取り込みには難しい問題があることがわかる。
<年収別の利用割合(過去2年間に国立公園を訪れた割合。カッコ内は全回答者に占める割合)>
- 2万米ドル(約240万円)未満(18%):18%
- 2万米ドル以上5万米ドル(約600万円)未満(42%):29%
- 5万米ドル以上10万米ドル(約1,200万円)未満(30%):42%
- 10万米ドル以上(10%):50%
年収によって国立公園利用の有無に大きな開きがあることがわかる【3】。
<年齢(過去2年間に国立公園を訪れた割合。カッコ内は全回答者に占める割合)>
- 18才〜24才(12%):28%
- 25才〜44才(41%):34%
- 45才〜64才(29%):36%
- 65才(18%):23%
利用者数の割合についていえば、必ずしも高齢者の割合が高いわけではないが、60才程度までは年齢とともに利用の割合が上昇している。25才から44才までの、一般的に「子育て中」の年齢層の利用割合は高いが、利用者の性別ごとに見た利用割合は、女性が28%と男性の37%よりも10%程度低い。女性にとって国土公園はそれほど魅力がないということなのだろうか。財布を握っているこの女性層の取り込みが、次の世代を担う子供たちの国立公園経験を増やすためには避けて通れない。
グランドキャニオンビレッジ
私たちの訪れたサウスリムには「グランドキャニオンビレッジ」と呼ばれる一大拠点があり、ビジターセンター、公園の管理事務所、ホテルなどが集まっていた。さらには、大きなスーパーマーケットや車の修理工場まで完備されているのはいかにもアメリカらしい。日本の国立公園にも「集団施設地区」という地区があり、米国国立公園内の「ビレッジ」に似ている。もしかするとこのような「ビレッジ」からアイデアを得たものなのかもしれない。
集団施設地区
日本の集団施設地区は、国立公園の核心部分もしくはそのアプローチ地点に、ホテル、ビジターセンター、トイレ、駐車場、バスターミナルなどの利用者向けの便益施設を集中的に整備する地域。自然環境に対する影響を抑えながら、押し寄せる利用者を受け入れ、情報を提供した上で自然の豊かな「核心地域」に送り出す。中には、こういった地区にある旅館に宿泊するだけの利用者もいるが、それはそれでひとつの自然公園の利用形態ともいえる。ただ、このような人たちが、「国立公園に来ている」ことを認識しているかどうかについては定かではない。
グランドキャニオンを訪れる利用者の多くも、いくつかの展望台を回って写真を撮る人たちがほとんどで、原生地域のトレッキングに繰り出す利用者の割合はそれほど多くはないだろう。
到着したその日はホテルにチェックインして早々に休む。翌日は早朝から展望台に繰り出すためだ。
私は、早朝、夕刻の公園の景色が好きだ。特に、グランドキャニオンは、朝日によって荒々しい地形に深い陰影が刻まれる早朝の風景にその真髄があるように思える。刻々と山肌の色が変化する風景は圧巻だ。
展望台に向かう道路には信号はないが、交差点は四方向一旦停止になっている。スピードリミットも時速20マイル(約30キロメートル)と大変厳しい。これらの規則を守っていると、距離の割に移動に時間がかかる。のんびりと車を運転しながら展望台を「はしご」してゆっくりと風景を楽しむ。さすがに冬のシーズンオフだけあって、利用客もまばらだ。
渓谷に向かって左奥から順に写真を撮っていく。最初の展望台ではまだ日が出ていなかったが、ヤバパイ・ポイントという展望台にたどり着く頃には、すっかり日も高くなっていた。この展望台には前面がガラス張りの大きな展望室も併設されている。売店もあって、ここなら寒暖の差が大きいグランドキャニオンでも、子ども連れでゆっくり景色を楽しむことができるだろう。定期的にレンジャープログラムも行われているそうだ。
ビジターセンターでのレンジャープログラム
ビジターセンターのまわりはゆったりとしたスロープになっていて、トイレ、ビジターセンターともバリアフリー化が徹底している。ビジターセンターの内部は、椅子席と簡単な展示があるだけで、大変簡素でゆったりとした印象を与える。
日が西に傾き始めた頃、ビジターセンター内で地質学に関するインタープリテーションが始まった。40分程度のレクチャーだったが、ビジターセンターの展示をうまく使った素晴らしいものだった。
グランドキャニオン国立公園のビジターセンターは、少し変わっている。細長い体育館のような広々とした建物に、控えめな展示といすが並ぶレクチャースペースが一隅にある。この建物は、シャトルバス導入を想定してデザインされたということを聞いたことがある。言われてみれば野外展示もバスターミナルに似た雰囲気がある。
地質に関するレンジャープログラムは建物右端のレクチャースペースから始まった。地質年代順に左側へ移動し、公園職員のいるインフォメーションカウンター前で終了する。
レクチャースペースで簡単なイントロダクションの後、館内の展示パネルを1つずつ見ながらのインタープリテーションが始まる。展示パネルは、通路の中央部に水平に置かれ、さらにそれとほぼ同じ内容の展示が壁に垂直に展示されている。参加人数が多くなると、後ろの方からは中央の展示が見えにくくなるため、壁の展示でも説明ができるよう配慮されているようだ。レンジャーはレーザーポインタを持っていて、床と壁の展示をうまく使い分けながら解説を進めていく。ビジターセンター内部でもこのように充実した自然解説が提供されている。子供や高齢者でも、冬期の寒い夕方に、ゆったり説明を聞くことができるというのは素晴らしいことだ。
スーパーマーケットでの買い物
マンモスケイブ国立公園を出発してからの疲れが溜まっていた。連日の長時間の運転と乾いた気候、そして何よりもバランスの悪い外食が響いたようだった。
「白いご飯と味噌汁が食べたいなあ」
やはり自分は日本人だと実感する。幸い、お米や味噌は車に積んである。キャンプ用のコンロもある。問題はコンロに合うブタンガスのボンベだった。
私たちが持参していたのは登山用コンロで、アメリカではアウトドア専門店でもなければ専用のボンベを入手することは難しい。グランドキャニオン国立公園に来るまで、途中いろいろな店に立ち寄ったがどこも扱っていなかった。
公園内の売店であるパークストアはさすがに大きい。さながらスーパーマーケットのようで、驚くほど品物も充実している。生鮮食料品からお土産までほとんど何でも揃う。その上、アウトドア用品も充実している。私たちはここでようやくブタンガスボンベを購入することができた。さらに、一般的な汎用のプロパンガスカートリッジを使用した携帯用コンロも売られていたので、そのコンロも購入することにした。これならたいていのスーパーでボンベを購入することができる。早速購入したボンベでご飯を炊いてみる。久しぶりでうまい。
以来、時間が許す限り毎日ご飯を炊くようにした。朝、出発前にお米を研いで水を切り、タッパー容器に入れてから出かける。お昼にピクニックテーブルでご飯を炊く。少し余計に加熱しておこげを作ると、懐かしいにおいがしてくる。それでも、加熱している時間はせいぜい15分ほどだ。インスタントの味噌汁をつけたり、ラーメンを作ったりもしてみた。具はキャベツだけなどと、学生時代を思い出してしまうようなメニューだったが、驚くほど美味しく感じられた。残ったご飯は夕食に取っておく。こうして白米を炊くことができるようになってから、私たちの体力も徐々に回復してきた。
レイクミード国立レクリエーション地域
「観光地」というイメージがどうしても先行してしまうグランドキャニオンだが、やはり素晴らしい公園だった。南のメキシコ国境からはるばる北上しての寄り道で、行程的にも少し無理があったが、いろいろな意味で勉強になる訪問だった。南の砂漠地帯にある国立公園と比べると、明らかに一味も二味も違う。この公園を一目見るために、世界中から多くの利用者が訪れる。そういった人々を受け入れるための施設、交通規制、自然解説プログラムなどがしっかりしている。
一方で、実際にこの公園を訪れてみると、国立公園がいかに遠い僻地にあって、費用や時間がかかるものか、実感することができる。アメリカの国立公園を楽しむためには、お金や時間に相当の余裕が必要だ。その意味で、庶民にとっての国立公園訪問は、まだまだ縁遠いものといわざるを得ない。
グランドキャニオン国立公園を発って、妻の運転でレイクミード国立レクリエーション地域(Lake Mead NRA)をめざす。途中フーバーダムを通ったが、教科書で見たものとは違っていたような気がした。もともと歴史や地理は苦手だったが、こうしてアメリカ大陸を旅していると、もっと真剣に勉強していればよかったという気がしてくる。
レイクミード国立レクリエーション地域にはたくさんのボートが浮かんでいた。国立レクリエーション地域は、その名のとおりアメリカ国民のレクリエーション需要に対応するために整備された公園だ。日本でいえば、国土交通省の所管する国営公園がそれに近い。多くはダム湖の周辺に整備されているが、中にはゲートウェイ国立レクリエーション地域やゴールデンゲート国立レクリエーション地域など、かつて軍事上の要衝であった大きな湾を囲む旧軍用地を利用しているものもある。
○レイクミードNRA
ミード湖はコロラド川がフーバーダムによって堰きとめられてできたダム湖。レイクミード国立レクリエーション地域は、ミード湖を中心とする面積1,501,216エーカー(約61万ヘクタール)の広大なレクリエーション公園。1936年設立と、国立レクリエーション地域としては最も古い。年間を通じて利用が可能で、ボート、釣り、自然プログラム、ウォータースポーツを楽しむことができる。キャンプ場、ピクニックエリアも充実している。
ラスベガス
その日のの宿はラスベガス手前でとる予定であったが、適当な宿がみつからないまま、ラスベガスに入ってしまった。なるべく中心部から離れたホテルを探してチェックインする。ホテルの駐車場からはカジノ街の目映いばかりのネオンを望むことができた。
予想に反して「歓楽の街」ラスベガスも、中心地から少し外れれば静かなものだった。「にわかギャンブラー」たちは既にカジノに繰り出してしまったらしく、ホテルには人影もまばらだ。ホテルの料金も驚くほど安い。少し古びてはいるが、ツインベッドのそこそこの部屋が一泊40ドル(約4,800円)ほどだった。これは、今回移動中に宿泊したホテルの中でも最も安い部類に入る。ホテルの軒数が多いからなのか、それとも、カジノで落ちるお金がめぐりめぐって税金が安く抑えられているためなのか、理由はよくわからない。とにかくホテル代が安く上がったのはありがたかった。
ラスベガスでは当然カジノなどは訪れず、いつもの通り早寝早起きに徹する。ホテルをチェックアウトし、早朝のカジノ街を通ると、朝日に照らされた自由の女神やスフィンクスが私たちを見下ろしている。まさにアメリカ南西部のオアシスだ。カジノ帰りとおぼしき人たちが歩いているのがちらほらみえる。
ラスベガスを過ぎるといよいよ横断も後半戦だ。デスバレーを越えれば次の研修地、レッドウッド国立州立公園のあるカリフォルニア州は目の前だ。
デスバレー国立公園
「この先72マイル(約116キロメートル)ガソリンスタンドありません」
デスバレー国立公園へと続く道路に入るとすぐにこのような看板が立っていた。
デスバレー国立公園は形も大きさもちょうど長野県に似ている。この公園を越えればもうカリフォルニア州なのだが、デスバレーが大きいうえ、カリフォルニア州の面積は日本の国土面積の約1.1倍もある。カリフォルニア州の北端にあるレッドウッドまでの道のりはまだまだ遠い。マンモスケイブを出発して2週間が経過し、さすがに2人ともヘトヘトになっていた。幸いといっては何だが、デスバレー国立公園以降はインタビューを予定していなかった。
デスバレー国立公園に入ると、「デスバレー(死の谷)」という名のとおり、荒涼とした風景が広がる。最も低いところで海抜マイナス85メートルにもなる盆地には、あちこちに塩類が集積していた。盆地を挟んで両側には山脈が聳える。標高差はグランドキャニオンのそれの2倍にもなるそうだ。その雄大な景色に圧倒される。路傍の解説版を読みながら車を走らせていると、国立公園はさながら巨大な自然史博物館のようだ。
○デスバレー国立公園
最高気温は華氏128度(摂氏53度)、過去30年間の年平均降水量は2.5インチ(約6センチメートル)。海抜マイナス282フィート(約85メートル)の盆地には一面に塩の結晶が析出しており、その名のとおり「死の谷」の様相を呈する。北米大陸で「最も暑く、最も乾燥していて、最も低い」と言われている。面積は136万ヘクタールと日本の長野県とほぼ同じ大きさ。公園の形も似ている。1933年に国立記念物公園として設立され、1994年に国立公園として再指定されている。2003年の利用者数は約90万人。
その日は公園内の宿舎に宿泊することにしていた。公園外のモーテルよりは割高だが、国立公園を楽しむならやはり公園内に宿泊するに限る。公園の朝夕、特に早朝の公園には、原始の自然の雰囲気が残されているような気がする。
ホテルには、何とプールがある。植物のほとんど生育しない乾燥地というのに、シャワーの水もたっぷり出る。ところが、少し口に含むと「しょっぱい?!」。ここの水道水は塩水なのだ。
夕食は部屋で軽めに済ませ、早目に就寝した。大陸横断の旅を始めた当初は外食が主体だった毎日の食事も、スーパーのデリ(お惣菜)などを経て和食が主体になっていた。お米もまだ20kgは車に積んである。コーヒーメーカーで味噌汁用のお湯を沸かしたり、こちらで購入した湯沸し用の電熱器でおかゆを作ることも覚えた。あらかじめ米に十分給水させておけば、結構まともなおかゆができることがわかった。
翌日、公園の展望台に登る。展望台はバレーを囲む山脈上にあって、車道が展望台まで整備されている。途中の道はものすごい急坂で、車の温度計はレッドゾーンに入りっぱなしだった。荷物を満載のまま登るのだから、車への負担もかなりのものだろう。マンモスケイブ国立公園を出発する前にトランスミッションを修理していなかったら、今頃どうなっていたかわからない。
何とかたどり着いた展望台からの眺めはさすがに素晴らしかった。広大な盆地が一望の下に見渡すことができた。塩類が集積している部分が白く浮かび上がっている。しかしながら、ここでもビックベンド国立公園同様、白っぽいかすみがかかっていた。せっかくの景色が台無しだ。発生源が公園区域の外であるために、国立公園局管理者だけではなかなか打つ手がない。アメリカの大気汚染は、景色を売りものにしている国立公園にとっては大きな打撃だということがよくわかる。
サンフランシスコ到着
デスバレー国立公園を抜け、カリフォルニア州に入ると、突然化学臭が鼻をつく。デスバレーの方向から下ってくると、小さな盆地全体が白煙に覆われていた。
しばらく走ると、化学工場とおぼしき建物の前を通る。白煙が猛烈な勢いで排出されている。外を歩いている人影もまばらだ。おそらく企業城下町か何かなのだろう。
車の窓を閉めていても耐え難いにおいがする。こんなひどい大気汚染でも住民からは苦情が出ないのだろうか。不思議な風景が広がっていた。
アメリカの環境対策は、素人目に見てもずさんに映る。大気汚染防止法(Clean Air Act)などの画期的な規制法を世界に先駆けて導入している一方で、実際の発電所の排出規制など執行面はあまいようだ。産業界からの猛烈な圧力で骨抜きにされているのだろうか。現在でも、雨水中の水銀濃度は重要な観測項目になっており、その原因は古い石炭火力発電所からの排出だという。「民主主義の国」アメリカの知られざる側面が時に垣間見られる。ここでは様々な人間がそれぞれ有権者としての権利を行使することができるのだ。
(参考)ナショナルジオグラフィック(2006年10月号)
「National Parks in Peril」OCTOBER 2006
低い峠をいくつか越えるうちに、緑が多くなり、久々の霧に包まれる。太平洋に近くなってきたせいだろうか。時折ぱらつく雨が懐かしい。私たちの緊張も少し和らいできた。
民家も増えてきた。ここまで、西へ西へと向かってきたが、ここからは進路を北に変え、サンフランシスコを目指して北上する。
サンフランシスコは、これまでの横断の中で最大の都市だ。高速道路の交通量も増え、道路の両側には大規模な建築物や集約型の農場や畜舎が目に付くようになってきた。
私たちは混雑を避け、海側のルートを北上する。海岸線に沿った一般道でサンフランシスコに入っていくと、住宅が海岸線の丘陵地帯に張り付くように広がっている。その風景は日本の住宅街を彷彿とさせる。
サンフランシスコでは、日本人街にあるホテルにゆっくり4日間滞在した。その間に、公用旅券の渡航先追加手続きや物資調達、洗濯、インタビューの整理、JICAへの定期報告書の作成などを済ませてしまうつもりだった。次の研修地レッドウッド国立州立公園にも状況を報告しなければならない。
「ジャパンタウン」
ジャパンタウンと呼ばれる日本人街にあるそのホテルは、久しぶりに造りがしっかりしていた。通路は建物の内部にあり、空調も集中冷暖房で静かだ。何といってもお風呂が日本風だし、ベッドや布団も心地いい。アメリカのモーテルは格安で部屋も広いが、質はそれなりだ。長期間移動を続けていると、その違いが疲労や健康状態に大きく影響してくる。
部屋で少し休憩してから、すぐ隣の小さなスーパーマーケットに買い物に入る。このスーパーは日本食を扱っており、お惣菜コーナーにはサバの塩焼きがあった。こうした青魚の類は田舎のスーパーではほとんど売られていない。本当にご無沙汰だった。探していた日本の歯磨き粉やハブラシもあった。値段には目をつぶって大量に買い込む。もうこの先レッドウッドに入ったら、こういったものは買えないだろう。ワサビ、海苔巻き用の巻き簾、醤油、酢など2人で両手に抱えきれないほどの「物資」を購入し、今しがた出てきたばかりのホテルに戻る。
午後、妻はジャパンセンターにある日本人経営の美容院に髪を切りに行った。日本を発ってから美容院に行ったのは1回のみ。以来、私が時々毛先をそろえていたが、さすがにどうしようもなくなっていたようだ。私は部屋で書類や記録の整理、レポートの作成。インターネットの回線も安定していたので溜まっていたメールもすっかり処理することができた。
夕方は日本食レストランで夕食。
「このエビフライ美味しいよ。食べてみない?」
妻に勧められて一本分けてもらう。久しぶりの日本風のフライに頬が落ちそうだった。私の料理も少しおすそ分けしながら、サンフランシスコ到着を二人で祝った。
ジャパンセンターにはいろいろなテナントが入っていたが、中でも書店には何度も足を運ぶことになった。
「立ち読みなんて久しぶりだね」
妻は女性向け雑誌を片っ端から読んでいる。私は、マンガ週刊誌と、散々迷った挙句に、以降、研修中の愛読書となった禅語の本を購入した。「禅」など日本では見向きもしなかったのに、海外だと一つ一つの言葉が心に染みこんでくるのはなぜだろう。
出発を明日に控えた私たちが行ったのは、サッポロラーメンの店だった。味噌バターラーメンと餃子をたらふく食べた。値段は日本より相当高かったが、サンフランシスコ滞在を締めくくる食事としては申し分ないものだった。
ゴールデンゲート国立レクリエーション地域
サンフランシスコでは、ゴールデンゲート国立レクリエーション地域(National Recreation Area:NRA)を訪れた。本来であればマンモスケイブ国立公園の次の研修地となるはずだった公園だ(→第2話、第7話参照)。
ゴールデンゲート国立レクリエーション地域は、サンフランシスコ湾を囲む広大な旧軍用地を公園化したものである。サンフランシスコの有名な観光地であるプレシディオなどの都市公園区域を含む一方、ゴールデンゲートを渡った対岸には自然地域が広がり、ネイチャートレイルも整備されている。
軍の兵舎や様々な庁舎もそのまま引き継がれているものも多いそうだ。歴史的な建築物は博物展示施設に、実用的な建築物は公園の管理用の施設やビジターセンター、環境教育センターなどに、そして旧兵舎は長期滞在のボランティアのための宿舎に転用されている。立地がいいこともあり、ゴールデンゲートNRAでは環境教育やボランティアプログラムが大変充実している。
当初の予定では、ここの長期ボランティア宿舎に滞在しながら、北部区域のトレイルメンテナンスに従事することになっていた。
ミュア・ウッズ国立記念物公園
ゴールデンゲート国立レクリエーション地域の北部区域に隣接して、ジョン・ミューアを記念して設立された「ミュア・ウッズ国立記念物公園(Muir Woods National Monument)」がある。小さな公園のため、管理はゴールデンゲートの管理事務所に一元化されている。
この地域はレッドウッドの南限で、公園にはレッドウッドの大木が残されている。私たちはこの生きた化石とも呼ばれるレッドウッドの実物に、初めてここで出会った。かつてサンフランシスコの一帯はレッドウッドの原生林に覆われていたということだが、今や米国でも有数の人口密集地に変わり果ててしまった。現在はこの記念公園に残されたレッドウッドの他には、「パロアルト(スペイン語で「高い木」の意)」や「レッドウッド・シティー」などの地名にその名残をとどめるに過ぎない。それでも、数百年前まではこの霧の大都市もレッドウッドの原生林に覆われていたのだ。
ジョン・ミューアは、アメリカの国立公園の父とも呼ばれる人物で、いくつかの国立公園の設立に深くかかわったばかりでなく、シエラクラブの創設や、数多くの国立公園を設立したセオドア・ルーズベルト大統領にも大きな影響を与えるなど、アメリカの国立公園制度の創生期に残した功績は計り知れない。また、その自然へのかかわり方もユニークで、同氏が特に好んだシエラネバダ山脈では、羊飼いとして現在のヨセミテ国立公園付近に長い期間滞在したり、そうかと思えばアラスカに渡ってグレーシャー湾を発見したりしている。こうした徹底した現地踏査に裏打ちされた論文や著作が、アメリカにおける自然保護躍進の原動力になったのであろう。
日本でも、いわゆる「レンジャー」の先達が、国立公園候補地の境界線全てを踏査したという逸話が残っている。こういった国内外の国立公園設立に尽力された人々の熱意と業績に触れる度、「ナショナルパーク(=国立公園)」という制度の素晴らしさとその得難さのようなものを実感させられる。国立公園はもともとそこにあったのではなく、多くの人々の良識と努力により設立され、維持されてきたものなのだ。どうすれば、このような公園本来の意義というものを、風化させずに受け継いでいくことができるのだろうか。ミュア・ウッズ国立記念物公園に残されるレッドウッドの森は、そのような使命を担っているようにも思える。
○ミュア・ウッズ国立記念物公園
1800年代までカリフォルニア州北部海岸地域はレッドウッドに覆われていたが、その後急速に伐採が進んだ。現在のミュア・ウッズ公園の一帯は当時アクセスが悪く、原生林が残されていた。その後篤志家が買い上げ、連邦政府に寄付することにより公園が設立された。
ジョン・ミューアは、ヨセミテ、セコイヤ、マウントレーニエ、ペトリファイドフォレスト、グランドキャニオンなどの国立公園の制定に携わり、アメリカの「国立公園の父」とも呼ばれる。シエラクラブの創設者でもあり、著書「私たちの国立公園(Our National Parks)」は、ルーズベルト大統領の自然保護政策に大きな影響を及ぼし、それが多くの国立公園、国立記念物公園、そして野生生物保護区の設立につながったといわれている。
ミュア・ウッズ国立記念物公園は、サンフランシスコ湾周辺では数少ないレッドウッドの原生林を守る公園であるとともに、ジョン・ミューアの名を後世に伝える役割を果たしている。
なお、カリフォルニア州には、この国立記念物公園とは別に「ジョン・ミューア国立史跡」がある。
- 【1】
- 最近急増しているヒスパニック系住民は白人に分類されている。白人に占めるヒスパニックの割合は11%、うち過去2年間に国立公園を訪問した人の割合は27%であった。
- 【2】白人とアフリカ系アメリカ人の行動様式の違い(行動様式に関する調査の結果例)
- カッコ内は、白人:アフリカ系アメリカ人の対比。屋外での水泳(52%:28%)、観光(69%:48%)、屋外演劇及びダンス(43%:56%)。アフリカ系アメリカ人は一般的な野外レクリエーションや観光よりも、集団で楽しむ演劇やダンスを志向する傾向があることを示している。
- 【3】
- 同調査報告書によれば、平均的な旅行費用は、1グループ1回当たり310米ドル(約37,000円)であり、内訳としては宿泊費用が最も高く、150米ドル(約18,000円)。
利用者の32%は日帰りであるため、宿泊利用者の平均旅行費用はもう少し高くなるだろう。
<妻の一言>
「ルート66」
ルート66は、シカゴとロサンゼルスを結ぶ、昔の主要な幹線道路です。アリゾナ州を走っていると、時折「Route 66」と書いた大きな看板が出てきます。現在の高速道路網のインターステートができる前は、アメリカの東部と西海岸をつなぐ唯一の道路だったそうです。1960年代にはその名も「ルート66」というテレビドラマが人気で、その主題歌もヒットしたそうです。主人が学生時代に英語を勉強したNHKラジオの「英会話」もこのルート66をテーマにしたものだったらしく、しきりと懐かしがっていました。この66号線には博物館まであり、また昔ながらの街並みも残されています。インターステートでの移動に疲れると、しばし昔の町並みを抜けるこの旧道を走り、散歩やピクニックなどを楽しみました。
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(記事・写真:鈴木 渉)
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〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。