No.008
Issued: 2007.01.18
大陸横断編・その1(テネシー州−ミシシッピー州−ルイジアナ州−テキサス州)
ゆったりとしたカーブが鬱蒼とした森の中に続く。アメリカの国立公園での最初の研修となった、ケンタッキー州マンモスケイブ国立公園での9ヶ月間の勤務を終え、次の研修地、カリフォルニア州レッドウッド国立州立公園を目指す。約9ヶ月間のレッドウッド勤務を経て、3ヶ所目の研修地、ワシントンDCでの研修を終えると、アメリカ大陸を一往復することになる。
この最初のアメリカ横断の旅は、ナチェストレイス・パークウェイからはじまった。テネシー州の州都ナッシュビル近郊からミシシッピー州南部のナチェスまでをつなぐ総延長444マイル(約710km)のパークウェイは、かつての交易路に沿って整備されている。交易路はナチェストレイスと呼ばれ、近代アメリカ合衆国建国の歴史が文字通り「刻み込まれて」いる。
1800年代の初頭、水路が物流の動脈だったころ、ペンシルバニア州、オハイオ州、ケンタッキー州などから、農民や舟子などがオハイオ川(ミシシッピー川の支流)を下って、木材や農産物などの物資を下流のナチェスやニューオリンズなどの港まで運搬した。これらの運搬人(Kaintucksと呼ばれた)は荷を港に納めると陸路で帰る。お金のある人は馬を借り、そうでない人は徒歩でこのナチェストレイスを北上した。途中追いはぎが出たりする危険な旅だったそうだ。こうして酷使されたトレイルは深くえぐられ、深いところでは切り通しの高さが数メートルもある。このトレイルに立つと、アメリカ開拓民の底知れぬパワーが感じられる気がする。現在はほとんど通る人もなく、トレイルは当時の姿をそのままに残している。
ナチェストレイス・パークウェイと、アメリカの“先史時代(pre-history)”
トレイル同様、パークウェイもそれほど交通量が多いというわけではない。道沿いに集落もなく、両側を森で覆われた美しい風景が続く。実に快適なドライブコースだ。
アメリカでは、ネイティブ・アメリカン、いわゆるインディアンの歴史はpre-historyと呼ばれている。直訳すれば「先史時代」というわけだ。国立公園局の公園管理の目標の一つは、この白人入植者が入る以前の自然(=アメリカ大陸本来の自然と人が作り出した風景)を再現し、公園を訪れた利用者が、かつて開拓民がはじめてそこに到着した際に得たものと同じ経験を提供することである。ビジターセンターでの展示も、ネイティブ・アメリカンや入植者に関する展示に重きが置かれていて、地質や野生生物などの展示はむしろ少ない。
今はほとんどインディアン保留地の残っていないアメリカ東部も、かつてはこれらの人々の大居住地域だった。パークウェイの沿線だけでも多くの遺跡がある。私たちはエメラルド・マウンドという遺跡を訪れた。巨大な古墳を思わせる人工的な丘は、ネイティブ・アメリカンによる祭りの場と聖職者の墓地だったそうだ。この、地域最大級という規模に圧倒される。このような文化が失われてしまったことは実に残念なことだと思う。
セントキャサリンクリーク国立野生生物保護区
セントキャサリンクリーク国立野生生物保護区は、ナチェストレイス・パークウェイの終点近く、ミシシッピー川に面した河畔の湿地帯にある。面積約10,500ヘクタールの保護区は、私たちにとって初めて訪れる国立野生生物保護区(National Wildlife Refuge)だった。
この野生生物保護区に来てまず驚いたことは、施設が簡素で少ないことと、何か日本の国立公園によく似た雰囲気を持っていることだった。アプローチ道路や案内標識がそれほど充実していないため入口がわかりにくい。細い住宅地の中の道路を抜けると砂利道に変わり、そこではじめて野生生物保護区に入ったことがわかる。しばらくすると控えめな入り口看板がある。国立公園のように2人で記念撮影をしようと思ったが、道路の路肩斜面に立てられているので、うまくカメラの三脚が立たない。国立公園であれば、路肩に駐車できる余裕を持たせ、看板の前には人が並ぶことのできる十分なスペースを確保して設計される。国立公園とは施設の質や整備水準も相当異なるようだ。
その日は12月31日。日本なら年末年始休暇の真っ只中だ。私たちはアポイントをとっていなかったので、とりあえずビジターセンターに向かった。ビジターセンターは簡素な平屋の建物の一部に設けられていた。
「自然資源管理について学ぶために日本から研修に来ています。マンモスケイブ国立公園でのボランティア勤務を終えて、レッドウッドに向かうところです。その途中いろいろな保護区や公園を回っています。お話を伺えないでしょうか」
「少しお待ちください。職員の方に聞いてみます」
カウンターの若い男性が丁寧に対応してくれた。彼もボランティアのようだ。
「対応できる職員がおりましたので、こちらへどうぞ」
私たちはすぐに執務室に通された。このビジターセンターは管理棟の一部に併設されている。スティーブさんという魚類野生生物局の職員が対応してくれた。
「これから大陸を横断されるんですか。いいですね!」
スティーブさんは気さくな方だった。
「では、せっかくなので簡単に保護区の説明をしてから現地をご案内します」
この親切な対応には驚かされた。その後、各地の保護区や事務所を訪ねて、こうした対応が魚類野生生物局の職員に共通していることがわかった。関係者とのコミュニケーションを大切にする。相互理解のためには決して労を惜しまない。これは、何か問い合わせのメールを魚類野生生物局の事務所に送っても同じだ。かなりの高い確率で所長さんから直接返事がある。正直なところ、日本の役所では、なかなかこうはいかない。
保護区内での狩猟 ──頭数調整の役割と、国民の権利としての保護区の「利用」
「この保護区はもともと開発された農地でした」
地図を見ると、確かに堤防がめぐらされ、干拓の跡がはっきりわかる。
「この保護区は、ミシシッピー川沿いに渡りをするガンカモ類をはじめとする鳥類、およびシカの保護が目的です」
この保護区を訪れてはじめて知ったのだが、多くの野生生物保護区では狩猟も認められている。狩猟をするには、まず狩猟許可をとり、狩猟スタンプ(切手)を購入する。州と保護区の規制で定められた方法、時期、数量などを守り、捕獲した野生生物の頭数などを報告する。例えば、この保護区ではシカのアゴの骨の一部を提出することになっている。
保護区側は生息数などをモニタリングし、それに基づき狩猟頭数の上限や期間を決める。オオカミやコヨーテなどの捕食者が駆除されてしまった今日、ハンターがいなければ個体数がどんどん増えてしまうそうだ。
狩猟行為を含め、保護区の利用は国民の権利でもある。その極端な例が車椅子用の狩猟小屋だろう。小屋のすぐ脇まで砂利道があり、小屋にはスロープがつけられている。小屋の前には0.5ヘクタール程度の草地が整備されている。シカが小屋の前に現れやすいように林を切りひらき、餌となる草の種子や肥料がまかれている。かなり人気があり、リピーターも少なくないという。
狩猟料金収入は、フィー・プログラムの一環として徴収額の8割が保護区に還元される。保護区で狩猟が行われているのには驚かされたが、考えてみれば合理的でもある。狩猟行為の可・不可ではなく、資源量(=野生生物の個体数)をモニタリングし、利用しながら適正な状態を維持する。納税者たる利用者に狩猟を楽しむ機会を提供し、少ないながら受益者負担を科す。この資源管理の考え方こそアメリカの保護区管理の基礎といえる。
ひるがえって日本の国立公園は、土地所有とは関係なく公園を指定できるというメリットはあるものの、「他人の土地」を公園にしているので、公園内の資源自体には当然所有権がある。そのため土地や資源の管理は土地所有者が行い、公園内での行為規則は環境省や地方自治体が行っている。だから、開発抑制などを目的とした土地利用規制としては有効だが、シカやクマなどの野生生物の増減など動的な変化への対応が難しい。反面、一律の規制は、公園の中に何があるか(資源目録=インベントリー)、その量や変化がどうなっているか(資源量・質およびその変化=モニタリング)ということを把握する必要がない。
そろそろ日本の国立公園でも、自然の“家計簿”をつける時期に来ているのかもしれない。
外来生物
「ここでの資源管理の問題は、外来の浮水植物です」
スティーブさんが、現地を案内しながら説明してくれる。
「観賞用の浮草が爆発的に繁殖し、生態系に大きな被害を与えています」
駆除には農薬が有効だが、その使用には厳しい環境影響評価が必要なのだそうだ。
「この植物はミシシッピー川沿いに急速に広がっています。何とか対策を講じなければならないのですが、保護区として管理できるのは、せいぜい直接河川と水面がつながっていない堤防の内側くらいです」
国立野生生物保護区といっても、保護区の境界線を越える問題は解決が難しく深刻だ。
保護区の管理
案内をしてもらいながら何気なく目をやると、管理道脇の本道に鉄製と思われるやぐらと大きなタンクが見える。
「ああ、あれは石油採掘施設です。保護対象の水鳥には影響がないので、野生生物保護区としては石油の採掘権までは購入していません。そういった権利は高いのです。現在も掘削が続けられていますが、野生生物保護区内では石油採掘施設の更新工事ができませんので、将来施設が老朽化してしまえば掘削も終了されることになります」
堤防で囲まれた元干拓地にはポンプや水門が設けられており、水位も調整できるようになっている。水鳥の渡りのシーズンには水位を高く保つ。それ以外は水位を下げるため湿地が現れる。このように人為的に水位の調整が行われている池は「impoundments(貯水池)」と呼ばれている。
「ところで、カウンターに座っていたあの青年、実は所長の息子さんなのです」
所長官舎と取締官の宿舎は保護区内にある。人手が足りない時は所長さんの息子さんがカウンター業務を手伝ってくれるそうだ。ビジターセンターのスペースと執務室が同じ建物にあるのは、カウンターに座るボランティアがいなくても、すぐに職員が対応できるためだという。また、建物の棟数を減らせば光熱費が抑えられるというメリットもある。国立野生生物保護区では職員数や利用者数によってだいたいの施設の規模が決まっているそうだ。なお、職員が少ないので、草刈りなどのメンテナンスは、所長以下、全員総出となる。なんとなく日本の自然保護官事務所の状況にも似ている。
総面積約3,840万ヘクタールの国立野生生物保護区システム(日本の国土面積約3,780万ヘクタールより若干広い)では、約3千人(メンテナンス職員を除く)が働く。これは、総面積約3,400万ヘクタールと若干面積の小さい国立公園システムで働く職員数約2万人に比べて、圧倒的に少ない。にもかかわらず、保護区の候補地はまだまだ多く、今後も面積は拡大される見込みだ。既存の保護区に対する人員の補充はあまり期待できない。ただ、ビジター向けの情報スペースを事務所内に設置するなど、業務の合理化を見越した施設整備を行ってきたことが功を奏して、人件費、維持費の負担の低減に成功しているそうだ。その点では、施設が大きく、職員数も多い国立公園局の機関とは対照的である。
ちなみに、職員1人あたりの管理面積は、日本の国立公園では約8,200ヘクタールであるのに対し、アメリカの国立公園では約1,650ヘクタールと約5分の1だ。一方、国立野生生物保護区は職員1人あたり約13,000ヘクタールとなる。この国立野生生物局の職員数は同局の予算書から引用したものだが、その職員数にはメンテナンス職員数が含まれていないため、おそらく実態的に両者はほぼ同程度と考えられる。こうしてみると、アメリカの国立公園よりは国立野生生物保護区の管理手法や施設計画などの方が、むしろ日本としては参考になるのではないだろうか。
今回はアポなしの訪問にもかかわらず、スティーブさんのご好意で無事インタビューを終えることができた。少しホッとしてホテルにチェックインする。明日はミシシッピー川を越える。約200年前にアメリカ合衆国の一部となった大西部へといよいよ歩を進めることになる。
フランスからルイジアナ(当時の呼称:ミシシッピー川以西の当時のフランス領)が割譲された後ルイスとクラークの西部地帯の遠征が行われた。これは、広大な西部の原生地域を調査する探検の旅だった。1804年5月から1806年9月まで行われた遠征は、誕生して間もないアメリカ合衆国が、広大な西部地域に目を向ける契機となった。探検隊は、イリノイ州を出発し、太平洋(現在のオレゴン州ポートランド付近)に達した後、ほぼ同じルートを通って無事帰還した。2004年は探検が開始されてからちょうど200周年でもあり、各地でイベントが開催されていた。
(ルイス&クラーク遠征200周年記念イベント)
- National Lewis & Clark Bicentennial Commemoration
また、この探検隊を記念した国立長距離トレイル、「ルイス・アンド・クラーク歴史トレイル」も指定されている。
砂漠の旅
私たちはニューオリンズには立ち寄らず、一路西のテキサス州を目指すことにした。テキサス州に入るころから気温も上昇し、久しぶりにTシャツ一枚の陽気になった。これまでの緑豊かな風景は一変し、乾燥した荒地が広がる。横断の旅もいよいよこれからが本番、アメリカ南部を西へと向かう。天気もよく道も空いているのでどんどん距離が稼げる。途中、平原の半乾燥地に低いテーブル状の山(メサ地形)が観察されたり、古い油井などがそこかしこにある。別の世界にやってきたようだった。
2004年1月4日、テキサス州フォートストックトン(Fort Stockton)で一泊した後、ビッグベンド(Big Bend)国立公園へ向かう。ビッグベンド国立公園は1944年に設立された、テキサス州の南西端にある面積約324,100ヘクタールの広大な国立公園で、リオ・グランデ川をはさんでメキシコと国境を接している。公園のほとんどはサボテンと潅木に覆われる半乾燥地であるが、死火山であるチソス山(Chisos Mountains)の麓には低木林がみられる。ネコ科の大型哺乳類であるマウンテンライオン(クーガー)をはじめ、国立公園内には多くの動植物が生息している。
乾燥地帯に入ると初めて目にする動植物も多くなる。まず、サボテンが多くなった。動物もハベリーナと呼ばれる小さなイノシシや、地面を走り回るハトほどの大きさのロードランナーという鳥も出てきた。
有料公園と聞いていたが、公園の入口ゲートに人影はない。しばらくすると、正面に大きな岩山が見えてくる。チソス山だ。その裾野を巻くように右折し、公園道路に突き当たると、そこがパンサージャンクション(Panther Junction)・ビジターセンターだった。
ビジターセンターは公園の面積にしては小さい。その上、展示スペースの3分の1は図書などの物販スペースが占めている。カウンターに立っているのはインターンの大学生だった。
「公園のパンフレットを頂きたいのですが」と尋ねると、
「結構ですよ。入場料金のレシートはありますか?」と聞かれる。
「ゲートに人がいなかったので、支払っていません」
「ゲートには、今人がいないんです。料金をこちらで頂きます」
私たちは、ナショナルパークパス(国立公園の年間パスポート)を購入していたので、これを提示した。
入場者数が少ないときは、入口ゲートに職員がおらず、ビジターセンターでサービスと引き換えに入場料を納付してもらう仕組みになっているそうだ。逆に言えば、特にサービスを要求しないビジターからは、入場料を徴収していない。
ビジターセンターを後に、ホテルに向かう。少々料金は高いが今回は思い切って国立公園内のホテルを予約した。テレビも冷蔵庫も電話もない木造のホテルだが、なかなか居心地がよかった。ホテルは、チソス山のカルデラの中にある。チソス山は標高が高いためか湧き水も豊富で緑が濃い。ホテル近くにはバリアフリーの歩道もあり、距離は短いがいろいろな景色が楽しめる。
その日はまず、公園西側のカストロン(Castlon)を訪れた。この地は古くから防衛の要衝で、古い砦や軍の施設(小屋)が残っている。そのうちひとつが、現在は小ぶりのビジターセンターとして活用されている。国立公園局では、このような歴史的な建物を公園施設として活用することを "adaptive use" と呼んでいる。
カストロンにあるミニビジターセンターには、ジュディーさんという女性のボランティアが勤務していた。カリフォルニア州からご夫婦で来ているそうだ。
「主人の退職後、冬には2人でここに来ることにしているんです。暖かいし、他にもいろいろなボランティアがいます。皆キャンピングカーに乗って全米から集まってきます。町までは遠いですが、買い物も交代で行くようにするとそれほど苦になりません」
この公園は気候のよくなる冬がハイシーズンで、ボランティアの競争率も高いという。
サンタエレーナ渓谷(Santa Elena Canyon)は、巨大な石灰岩の山塊をリオ・グランデ川が削りこんだ深い渓谷だ。川を挟んで左側はもうメキシコ。時折カヌーが下ってくるが、浅いところはカヌーを降りて歩いて引いている。
その穏やかな流れとは対照的にそそり立つ石灰岩の岸壁。この公園はこれまで訪れた温潤な米国東部の公園とはまったく趣を異にしている。風景が荒々しく雄大だ。
ところが、晴れているにもかかわらず遠景には何か霞のようなものがかかっていて、うまく写真に写らなかった。
この後、再びパンサージャンクション・ビジターセンターに戻って、カウンターの女性職員に、インタビューをお願いしているビダル・ダヴィラ氏の事務所の場所を聞く。
「ビダルは私の夫です。今日は資源管理の話をしにきたの?」
そういえば、マンモスケイブ国立公園でお世話になったボランティアコーディネーターのメアリーアンさんとそのご主人のリーさんのデイビス夫妻も、夫婦で同じ国立公園に勤務していた。組織が大きいからなのか、雇用形態が柔軟なのかその理由は定かではないが、日本人の感覚からするとおもしろい。
ダヴィラ氏とのインタビューの約束までまだ時間があったので、ビジターセンター近くの歩道に出て妻と2人でスケッチをする。サボテンの葉などをよく見ると、とても面白い形をしているのがわかる。
科学及び資源管理部門は、ビジターセンター裏手の職員住宅の奥にあった。大きめのトレーラーハウス(トラックで運ぶプレハブのような家)に入っている。周囲にも似たような建物やキャンピングカーが配置されている。ボランティア用の宿舎もしくは、キャンピングカー用の駐車区画だそうだ。
ビッグベンド国立公園 科学・資源管理部長のインタビュー
今回のインタビューの目的は、乾燥地の国立公園における資源管理についてお話を伺うことだった。
事務所では、科学・資源管理部長のビダル・ダヴィラ(Vidal Davila)氏が迎えてくれた。
「科学・資源管理部門には合計9名の職員が勤務しています。博物学専門官(Museum specialist)は、予算削減のため空席になっていますが、ポストは合計で10あります」
*ビッグベンド国立公園科学・資源管理部門のポスト一覧
- Chief(部長)
- Wildlife biologist(野生生物学者)
- Geologist(地質学者)
- Archeologist(考古学者)
- Botanist(植物学者)
- Physical Scientist(Air and water quality)(物理系科学者(水質及び大気))
- Physical Technician(物理系技官)
- GIS specialist(GIS専門官)
- Administrative assistant(庶務補佐)
- Museum specialist(空席)(博物学専門官)
「この他、SCA(Student Conservation Association)奨学生が4名勤務していますが、5日勤務のうち1日のみ科学・資源管理部に勤務し、残り4日間は自然解説部門に勤務しています。ボランティアは多く、現在も2人の常勤ボランティアがいます。2ヶ月間の野生生物ボランティア2名と地図整理ボランティア2名が来週着任する予定です」
科学・資源管理部門の年間予算は、通称ONPS(Operation National Park Service)と呼ばれる国立公園局管理費ベースで525,000ドル(約6,000万円)。予算の内訳のほとんどは人件費である。ボランティア制度に対する予算は、公園全体で年間12,000ドル(約140万円)程度と少ないが費用対効果が大きい。予算不足に悩む公園側としては貴重な働き手となっているようだ。
「ボランティア予算のほとんどはユニフォーム代とトレーラーで滞在している人たちのためのプロパンガス代です。ボランティアのほとんどは退職した老夫妻で、皆さんキャンピングカーを持参し滞在しています。若いSCA奨学生や学生ボランティアの場合には、トレーラーハウスを3人程度でシェアしてもらっています。2段ベッドの並ぶバンクハウスもあるので、短期間のグループ参加の場合はそちらを使ってもらっています。」
ビッグベンドでの主な資源管理問題
(1)リオ・グランデ川の水質及び水量
公園を流れるリオ・グランデ川の水量が減少し、また水質も悪化している。
「上流での農業用水などの取水と排水による水質の汚染が主な原因です。現在では本来の水量の5分の1程度の水しか流れていないと言われています。水生生物については、すでにこの区間では姿を消してしまった魚類や貝類も多いのです」
アメリカ、メキシコ両国側の水資源利用と関係するため、問題はさらに複雑なようだ。
(2)大気汚染
「国立公園の周辺に立地する発電所から排出される硫黄酸化物やばい煙の影響により、公園内に霞(かすみ、Haze)がかかり視界がきかない日が多くなっています。これには、テキサス州内でとれる石炭の質が悪く、硫黄分を多く含んでいるという理由もあります」
また、最近はメキシコから火山の噴火による天然の硫黄酸化物も流れてきており、汚染に拍車がかかっているという。
(3)外来生物
ビッグベンド国立公園のような乾燥地にも、外来生物の問題があった。例えば、外来植物であるタマリスクが泉のまわりに繁殖し、水を大量に吸い上げてしまう。そのために泉が枯れ、野生動植物に悪影響が出ている。このような事案は、水の限られている乾燥地域では深刻だ。
「カールスバッド国立公園(ニューキシコ州)にこの地域の外来生物駆除チームがあり、定期的に巡回してきて、1回に2週間程度駆除作業が行われます。この公園では今月(1月)末に駆除チームを受け入れる予定です」
また、Buffelgrassという草本植物が公園区域に侵入してきているそうだ。この植物は周囲の畜産業者によって導入された牧草であり、テキサス州南部で広く栽培されている。
「手による抜き取りや薬品による処理を行っています。薬品の使用についてはワシントンDCの本省の承認が必要であるため、手続きに時間がかかります」
その作業の主力も、やはりボランティアだそうだ。
国際協力
リオ・グランデ川をはさんでメキシコと国境を接しているビッグベンド国立公園では、メキシコ側の野生生物保護区に技術支援等をしながら同時に外来生物対策に取り組んでいる。
「河川の水を介して繁殖する外来生物については、河川の両岸が共同で対策を講じる必要があります。2年前からビッグベンド国立公園が、助言、作業日程の立案、物資の提供などを通じてメキシコ側管理者の能力向上と外来生物対策の実効性の向上に取り組んでいます。問題は、世界貿易センタービルの航空機テロをきっかけに、米国が国立公園付近の国境を封鎖してしまったことです。年に1回の会議に出席するため、地理的にはすぐ隣の保護区に勤務しているメキシコ側の管理者が、わざわざ片道11時間かけて迂回して来なければならなくなりました」
また、メキシコや他の途上国への技術協力のため、公園局の職員が派遣されることがあるそうだ。
「ワシントンDCの本省が旅費を全額負担してくれることもありますが、場合によっては公園がその費用を負担しなければならないこともあります。予算の制約で参加できない場合もあります。また、職員数も逼迫しており、要望に応えられないこともあります」
スペイン語を母国語とする国(メキシコ、コスタリカなど)については、この地域に位置する公園の職員の多くがスペイン語を解することから、多数の要請が寄せられるそうだ。
公園の資源管理におけるボランティアの位置付けについて
「ボランティアは公園内の資源管理のためになくてはならない存在です。例えば、この公園には野生生物の専門家は1名しかいないため、公園内の遠隔地に出かけて行き数日間に渡る調査を行うことは、事実上不可能です」
そのような調査を担当してもらっているのが、ボランティアだという。続けて、
「公園内には数多くの稀少な野生生物がおり、その調査のためにはボランティア制度が不可欠です」
また、予算の関係で空席となっている博物学の専門官ポストはボランティアによって代替されているという。
「しかしながら、ボランティアの仕組みをこれ以上拡大するのは難しいのです」
主な理由はボランティアのための滞在施設とオフィススペースが限られていることだ。バンクハウス(2段ベッドなどの相部屋からなる短期滞在用の施設)など比較的居住環境がよくない宿泊施設ですら、収容人数が限界に達している。
「オフィスは来年建替えの予定ですが、カリフォルニアでの森林火災の対策のために8,200万ドル(約94億円)を公園局全体で支出しなければならなくなり、オフィスの建設費140万ドル(約1億6千万円)が引き上げられてしまいました。設計費用として、すでに270,000ドル(約3,100万円)支出してしまっているのですが、まだ予算の目処はたっていません」
また、ボランティアとは少し違うものの、大学が公園内で実施する調査研究への協力も重要だという。大学の行う調査を公園側が許可するかわりに、調査結果のデータを提供してもらう。
「調査のために公園に滞在する学生については、1日あたり6.7ドル(約770円)を徴収して、バンクハウスを宿泊施設として提供しています。昨年は90のプロジェクトが実施されましたが、調査費用を負担せずにデータを取得できるため、公園としても助かります」
乾燥地における自然資源管理とボランティア
乾燥地における資源管理には、他の地域にはない特徴がある。灌木林や草地の広がる平地は広大で、自動車による移動にも時間がかかる。動物は主に日没後に活動するために、野生生物の調査には泊りがけの日程を組む必要がある。また、隣接して民間の牧場があり、外来の牧草などが公園区域内に侵入してくる。公園境界線は長く、その侵入を防止することは難しい。外来生物対策など、一度に多くの人手を必要とする作業や、長期間バックカントリーで調査を実施するには、ボランティアが不可欠だ。
一方、ボランティアをする側にとっても魅力がある。ジュディーさんのようなリタイヤした人々にとって、ボランティア勤務は公園を楽しむ第2の選択肢となっているようだ。1泊90ドル(約1万円)程度と高い公園内の宿泊が長期に渡って無料で提供される。その上、公園管理に貢献しているという満足感も得ることができる。参加者にとってボランティアとしての勤務は、レクリエーションと社会貢献、さらには自己実現につながるもののようだ。
山岳地帯の大公園が雪に閉ざされる冬季間になると、多くのボランティアが南にある国立公園に集まる。特に、老夫婦は暖かで乾燥した公園を志向する傾向が強く、ビッグベンドはこのような人々に人気があるそうだ。
ボランティアに求められる専門性と資源管理業務
ところで、ボランティア制度と一口に言っても、国立公園では様々な業務にボランティアが活用されている。そして、それぞれの業務において、ボランティアには異なった“専門性”が求められる。
国立公園の“花形”ともいうべきインタープリテーション業務では、公園内で見られる動植物や公園の歴史文化についての専門知識と、それらを伝える話術等が求められる。さらに、小中学生の団体を迎えることも多いので、教育に関する専門知識や経験が生きる。そのため、休暇中の現役教員や退職者は大歓迎される。
ビジターセンターなどでの接客業務では、公園の自然、歴史、利用施設、ガイドツアーなどに関する幅広い知識と、温厚な接客態度が求められる。キャンプ場のホスト役についても同様で、特に、人生経験が豊富で比較的長期間滞在できる“リタイア組”の老夫婦は、このような接客業務に向いている。このようなボランティアは、キャンピングカーで全米各地から集まってくる。国立公園側も、質の高い人材を求めて、キャンピングカーの雑誌などに募集広告を載せることも多いそうだ。
これに対し、資源管理業務やメンテナンス(維持管理)業務では、上記のような“専門性”や話術、語学能力は必要とされない。多少の野外活動の知識と体力があれば、誰でも参加できる。短期間の滞在、学生、接客が得意でない人、言葉の得意でない外国人などにも広く参加の機会を提供してくれる。さらには他の業務の余剰人員についても柔軟に受け入れることができる。
また、自然管理業務は、野生生物調査、GISなどを用いたデータ管理、水質・大気環境調査などの経験を積む絶好の機会でもある。このため、学生や海外からの研修生の実習の場としても幅広く活用されている。このように、資源管理業務でのボランティアの活用は、単に公園の管理補助にとどまらず、様々なボランティアのニーズに対応するための重要なツールのひとつにもなっているようだ。
国立公園における霞の問題
「ヘイズ(Haze)」とは、日本語で霞(かすみ)のことだ。霞がそれほど大した影響を与えるものとは思わなかったが、ビッグベンド国立公園で、初めてその問題の重大さが実感できた。いくら国が公園用地を持っていようと、公園内の施設のデザインを工夫しようと、公園外から容赦なく流入してくる霞がその努力を台無しにしてしまう。雄大な景観を売りものにする国立公園が、その景観が損なわれることに何ら有効な手段を持っていないのだ。
国立公園側の対策の大きな柱はモニタリングだ。大気汚染の状態を継続して観測し、そのデータを持って、連邦政府や州政府に規制の強化を働きかける。大気モニタリングにはいくつかの全米ネットワークがあり、各国立公園の大気モニタリングステーションは、その中核的な役割を担っている。
ビッグベンド国立公園のモニタリングステーションを見学することはできなかったが、マンモスケイブ国立公園とグレートスモーキーマウンテンズ国立公園で実際にステーションを見る機会があった。
モニタリングステーションでは、雨水(wet deposit)、乾燥粉塵(dry deposit)などが決められた方法によりサンプリングされる。塵やpHの測定など比較的容易なもの以外は、モニタリングネットワークの分析機関にサンプルを送付し一元的に分析される。
驚くべきことに、アメリカでは今でも水銀が重要な測定項目になっている。
米国の新聞社大手の一つであるUSA TODAY紙の記事によれば、全米の電力の約51%が石炭火力発電所によりまかなわれている【1】。排出規制が緩い米国では、このような火力発電所から発生する煙、硫黄酸化物、そして水銀の影響が懸念されている。グレートスモーキーマウンテンズ国立公園では、尾根筋の樹木が枯れてしまっているところがあるが、これは東部の工業地帯からの煙や酸性雨などの影響といわれている。もちろん、霞もモニタリングの対象だ。USA TODAY紙の別の記事では、全米でもっとも霞がひどい公園として、ヨセミテ国立公園、セコイア/キングスキャニオン国立公園、ヨシュアトゥリー国立記念物公園、グレートスモーキーマウンテンズ国立公園、シェナンドア国立公園、アケイディア国立公園、ケイプコッド国立海岸の7箇所を挙げている。
アメリカの国立公園は国有地であるとはいえ、この霞や外来種問題、水質汚染、過剰取水、気候変動などの影響がいまや軽視できない問題になってきている。
その一方で、公園管理者はその非を声高に唱えるのではなく、淡々とモニタリングを続けてデータをまとめ、政府や有権者に訴える。このように継続的に観測されたデータや写真に裏付けられた説明は説得力を持つ。
一見何の変哲もない“風車のついた小さな小屋”であるモニタリングステーションであるが、その果たす役割は大きい。
<妻の一言>
アメリカの日常生活では車が欠かせません。ところが、私たちが免許を取得したのは、到着してから6ヶ月後の10月も半ば過ぎでした。ケンタッキー州では、免許の申請にソーシャルセキュリティーナンバー(年金番号のようなもの)が必要です。私たちはボランティアの立場でしたので、その番号を持っていませんでした。また、外国人は必ずDMV【2】の面接を受けなければなりません。
DMVの窓口に相談に行くと、
「ITIN【3】でも結構です。これならIRS【4】で取得できますよ。それとパスポートを持ってきてください」
次はIRSの事務所です。
「本日申請できます。ワシントンDCまで行きますので、一ヶ月くらいで通知が行くはずです」
これらの事務所はいずれもボーリンググリーンという町にあり、マンモスケイブ国立公園から車で片道40分ほどかかります。平日はなかなか休暇が取れなかったので、あちこちたらい回しにされて、申請まで時間がかかり大変でした。
納税者番号が取れたので、DMVに電話をすると、今度はアポイントが2週間先まで一杯だと言われてしまいました。
ようやくアポイントを取ってDMVに行くと、またまた難題。
「このビザだと勤務先のレターが必要です」
私たちのビザは公用のもので、ボーリンググリーンの事務所ではそれまでに見たことがないそうです。主人は、さすがに興奮して係官に噛み付いています。レターは、翌日メアリーアンさんにお願いすることにしました。
「例のテロ事件以降うるさくなっているんでしょう。免許証はとても重要な身分証明証ですから、滞在先や期間をはっきりさせないといけないのかしらね」と快く引き受けてくれました。
私たちも国際免許証があるので運転はできるのですが、免許証がないと日常生活でもいろいろ不便が出ていました。
アメリカ生活で不自由を感じたのが「身分証明」です。アルコールを買うときや、政府機関の建物や博物館に入るときなど身分を証明しなければならない場面が多くあります。その都度国際免許証を提示していましたが、あまり歓迎されませんでした。免許の取得にはそういった事情もありました。
申請手続きを始めてから4ヶ月近く経ってようやく試験を受けられることになったのですが、問題は筆記試験と実技試験があることです。ケンタッキー州の交通規則は88ページ。このルールブック一冊を読んで覚えなければなりません。ルールも日本とは相当違います。その上、私は日本ではペーパードライバーで、アメリカに来てからもほとんど運転したことはありませんでした。
テストは、エドモンソン・カウンティー【5】の役場で行われます。私は、最初の筆記に落ちてしまいました。主人は間違えたのが2箇所だけでということで、合格しました。合格には正答率が8割以上である必要があります。試験官はその場で間違えたところを教えてくれます。
「日本語の問題用紙もあります。次回持って来ましょうか」
親切に聞いてくれましたが、お断りしました。試験問題が日本語でもルール自体を理解していなければ意味がありません。
2度目の試験は何とか合格し、実技の方は先に合格していた主人が「模擬教習」してくれました。試験は自分たちの車で行います。ウインカーやシートベルトなどの整備不良も減点の対象となります。
幸い試験官はとても親切で丁寧な方でした。実技も無事合格して、やっと免許を手にすることができました。申請手続を始めてから半年が過ぎようとしていました。
試験の行われたブラウンズビルという村は、信号機もなく、また片側一車線しかありません。マンモスケイブ国立公園のあたりでは歩行者の姿もほとんどなく、人よりもシカやウサギなどの野生生物に注意して運転していました。
ちなみに、実技試験の点数は主人より私のほうが高く、主人は納得がいかない様子でした。
- 【1】全米の電力供給と、石炭火力発電所の割合
- source:2001年 Department of Energy’s Energy Information Administration
- 【2】DMV
- Department of Motor Vehicle(陸運局)
- 【3】ITIN
- Individual Taxpayer Identification Number(納税者番号のようなもの)
- 【4】IRS
- Internal Revenue Service(財務省内国歳入庁)
- 【5】カウンティー
- 「カウンティー」は、日本の郡に相当する地方行政組織
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(記事・写真:鈴木 渉)
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〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。