No.007
Issued: 2006.11.30
さよならマンモスケイブ
「W氏はもうここにはいません。国立公園局を去りました。残念ながら鈴木さんたちのことを引き継いでいる者はおりません」
2003年11月。マンモスケイブ国立公園のボランティア生活も半年を越え、そろそろ次の研修先であるゴールデンゲート国立レクリエーション地域での生活について準備を始めなければならない時期に差し掛かっていた【1】。予想外の回答に、私たち夫婦は2人とも面食らってしまった。
「ボランティア宿舎も既にいっぱいで、受け入れることは困難です」
結論もはっきりしていて、あきらめる以外になかった。
ゴールデンゲートには、それまでも何度かメールを送っていたが返事がなかった。これはおかしいと思い、マンモスケイブ国立公園のボランティア・コーディネーター、メアリーアンさんにお願いして連絡を取っていただいた。何度かのやり取りがあって、ようやくもらった返事がこれだった。これから、また研修先を探すと思うと、本当に気が重くなった。
ゴールデンゲートに代わる研修先を求めて
「冬は宿舎も空いているので、好きなだけ延長してもらっていいわよ」
メアリーアンさんは滞在期間の延長を勧めてくれた。妻もすっかりマンモスケイブが気に入っていたので、二つ返事でお願いすることにした。
「いっそのことここにずっといてもいいと思うよ。ワシントンDCまでならすぐだし、何よりも引越しが楽じゃないかな」
翌年11月に開始する魚類野生生物局での研修は、ワシントンDCの本部勤務が既に決まっていた。居心地のよいマンモスケイブでの研修をこのまま続けられれば、その方が楽だと思う。ただ、研修の目的からいえば、いよいよこれから西部の大公園について学ぶところだ。何としても、もう少し西に移動したかった。
その日から、またインターネットとの格闘が始まった。私は国立公園局のウェブサイト、妻は政府のボランティアの募集サイトを当たった。長期・宿舎・英語…条件は厳しい。
ほどなく、カールスバッド国立公園とグアダルーペ国立公園の2つの国立公園が、私たちの要件に合いそうなボランティアの募集をしていることがわかった。ともにアメリカ南西部の乾燥地帯にある。とにかく願書を作成し送付する。願書の作成作業は出発前に散々やっていたので、お手のものだった。
上司の連絡先として、直属の上司であるブライスさん、メアリーアンさん、そして科学・資源管理部門のマーク・デポイ部長の3者を登録した。推薦者としてはいずれも申し分ない。ほどなく、これらの推薦者に照会が入り始めた。
「カールスバッド国立公園も鍾乳洞の保護のために設立された国立公園で、この公園とも関係が深い。職員もよく知っているし、大丈夫だと思うよ」とブライスさん。
ところが、妻はこの2公園に行くのは反対だった。
「近くにスーパーがないし、メキシコ国境に近くて治安だって良くないと思う」
「だけど他に受け入れてくれそうなところがないかもしれないよ」
「もう少し待ってみましょう。マンモスケイブだっていいんだし」
半ばけんか腰になったが、妻の主張にも一理ある。
すると、パソコンのモニターを見ていた妻が、
「ねえ、レッドウッド国立州立公園って知ってる? 資源管理の仕事があるみたいなんだけど」
正直言って初めて聞いた名前だった。地図を見ると、カリフォルニア州の北のはずれに、太平洋に沿った形で細長く公園区域が記載されている。世界で最も高い木、レッドウッドを守るために設立された公園だ。レッドウッドの樹齢は2千年以上にも及ぶという。
その公園の植生管理グループが長期のボランティアを募っている。太平洋とレッドウッドの原生林、エルクなどの野生動物。ホームページを見て2人ともすっかり気に入ってしまった。急いで願書を用意する。
受入れの回答
まず、カールスバッド国立公園とグアダルーペ国立公園から相次いで受入れ可能との連絡が入った。
レッドウッド国立公園からはなかなか連絡がなかった。一週間ほどして、スコットさんという人からメールが入った。
「何がやりたいの? 森林の調査だけど、興味ある?」
控えめだが、かなり前向きな印象を受ける。すぐにこちらの興味事項を返信する。
レッドウッド国立公園から、またメールが入った。メールは間違えて同報されたようだったが、いきなり「マンモスケイブの2人の評価は高いし、ぜひ受け入れてみてはどうかしら」という内容だ。これには私たちも勇気付けられた。
このメールの主であるスタージアさんこそが、私たちの受入れをボランティア・コーディネーターに直談判してくれ、またレッドウッド滞在中にいろいろ世話を焼いてくれた方だった。
この後、レッドウッド国立州立公園からも受入れ可能との連絡が入った。
レッドウッドに行くとすると、他の2公園を断らなければならない。カールスバッド国立公園は、マンモスケイブのいわば兄弟分。マンモスケイブの関係者も、私たちのために先方を説得してくれたのだろうということは容易に想像がつく。でも妻はお断りすべきとの一点張り。おそるおそる上司のブライスさんに切り出してみた。
「そんなこと気にする必要はないよ。レッドウッドには行ったことはないが、ぜひ一度行ってみたい公園だなあ」
ブライスさんもとても喜んでくれた。
あとは、JICAや役所の関係の手続きが残っている。確認してみると、JICAの方は正式な変更手続きが必要だった。特に、変更の理由が難しい。「次の受入れ先の担当者が辞めてしまった」では済まされない。今回は「国立公園局の事情による変更」であり、「変更後の研修内容がさらに充実する」ものであることをきちんと説明しなければ変更は認められそうにない。幸い、元国立公園局国際課で国際ボランティアプログラムを担当していたことのあるメアリーアンさんは、そのような海外からの研修生の事情もよくご存知だった。
「とりあえず私にまかせて。来週にはレターをお渡しするから」
理由書の作成の他にも、離任に向けていろいろな手続きを進めてくれることになった。私の方は、これまでの研修について、計画通り進んでいること、進んでいないこと、新たに見付かった課題などについても考え、研修計画の変更申請に盛り込むことにした。
メアリーアンさんのレターに和訳を添付し、書類をJICAに提出した。計画の決裁が下りるまでの間、マンモスケイブでのボランティアを続けることになった。こうして、私たちはマンモスケイブでクリスマスを迎えることになった。
キャンプ場改修工事
夏のキャンプシーズンが終わると、公園施設の大規模な改修シーズンの到来だ。マンモスケイブ国立公園には、家族向けと団体向けのグループキャンプサイトがある。私たちが参加したのは、一部の老朽化した家族用キャンプサイトを改修して、学校利用やボーイスカウトなどの団体の利用に適した大規模なサイトを増設する工事だった。
今回の改修では、まず角材で外枠をつくり、次に内側に砂利を敷きつめる。工事は公園職員及び契約職員により実施される【2】。重機は小型のブルドーザー1台程度で、ほとんどが手作業で工事が進められる。砂利を敷き詰める方式はかなり乱暴に思えるが、現場はすでにキャンプ場として利用されている場所であり、木の根などが露出してしまっている。興味深いのは、工事前にはあまりしっかりした図面が準備されておらず、現場あわせで工事を進めていくという点だ。図面上にはキャンプサイトの概ねの規模と位置だけが記載されている。実際の工事は公園職員の判断で、立ち木を避け、キャンプサイトを作っていく。もちろん仕上がりにはムラがあるが、施設は地形にあわせて丁寧につくってあるので、風景にもよく溶け込んでいる。国立公園のキャンプ場としては十分な施設レベルであり、かつ構造が簡単なため、補修も比較的容易だということも大きな利点だろう。
工事の実施(契約)形態についていえば、自然資源に影響のありそうな工事は職員、契約職員、そして私たちのようなボランティアが作業に当たる。それに対しキャンプ場内車道の再舗装など、仕様がしっかり決まっていて特に自然に影響のないような工事は、請負契約により発注する。このような柔軟な発注形態により、経費の節減、自然への影響の低減、そしてボランティアの活用が可能になっているようだ。
ホットスプリング国立公園
11月の2週目、ワシントンDCにある日本大使館のN書記官と若手職員数人がマンモスケイブに遊びに来てくれた。最終日は皆さんを空港に送った後、N書記官とテネシー州、ミズーリ州を抜けて、アーカンソー州にあるホットスプリング国立公園を訪れた。全米地図では近いように見えるが、距離は相当ある。一泊したがかなりの強行軍となった。
途中車の調子が悪くなり、アーカンソー州の州都リトルロックでジェネラルモーターズ(GM)のディーラーに飛び込むことになった。エンジン関係のエラーメッセージを読み出したようだが、どこが悪いかはっきりしない。らちがあかないのでディーラーを出る。料金は80ドル。GMのディーラーでは、コンピューターのエラーメッセージを読むだけでこの程度のお金がかかる。これまでも何度も行っているのでもう慣れたが、なぜそんなに請求されるのか理解できなかった。
ところで、アーカンソー州はクリントン前大統領の出身地。同氏の生家などもあるそうだ。ホットスプリングはその名の通り温泉地で、温泉の泉源を守るために設立されたナショナルリザーブ(国立の保護地域)がそのはじまりだ。設立は1832年とイエローストーン国立公園よりも古い。国立公園になったのは1921年。面積約2,245ヘクタールの小さな公園であるが、区域内には泉源47箇所が含まれている。国立公園及び周辺一帯の地域は、古くからの温泉保養地で、現在でも、年間約157万人が国立公園を訪れている(2002年度、レクリエーション利用客数)。なお、温泉は火山性の泉源ではなく、雨水が地下深くまで浸透し、熱湯になったものが再度地表に湧出しているものだそうだ。国立公園にはこの雨水が地中に浸透する区域も含まれている。
ホテル街や土産屋などの繁華街が隣接しており、夕方でも人通りや車の通行が絶えない。国立公園には、かつて入浴施設として利用されてきた建物群(バスハウス・ロウ)が歴史的な建築物として残されている。そのうちの1棟はビジターセンターとして改修され、一般に公開されている。他の原生的な自然資源を有する広大な公園とはまったく性格を異にする公園といえる。
温泉に浸かるといっても、何種類かのバスタブに順番に浸かりながら垢擦りをしてもらうという方式で、日本の温泉とはだいぶ趣が異なる。最近は水着を着て自由に入る温泉プールのようなタイプも増えてきているようだ。街並はまさに日本の温泉街そのもの、公園の境界もわからないほどに近接してホテルが建ち並び、公園と温泉街が一体となっている。
ところで、読者の皆様は日本の「温泉法」という法律をご存知だろうか。温泉が枯れないよう泉源保護を目的として作られた法律で、環境省の自然環境局が所管している。ホットスプリング国立公園を訪問すると、この法律のアイデアはこの公園から得たのではないかという印象を受ける。泉源保護の仕組みばかりでなく、飲泉施設、成分表示板、足湯、公営浴場の整備など、よく似た制度や施設がある。
ホットスプリングにある公営風呂に入り、テネシー州のメンフィスをまわってナッシュビルへ。途中、車を何度か休ませたが、何とかN書記官を空港に送り届けることができた。
今回の反省から、私たちは車の修理に本腰を入れることにした。アメリカでは車の信頼性が生命の保障にもつながる。また、何といっても西海岸にあるレッドウッドまでのアメリカ横断が控えているのだ。
修理費2,700ドル!?
「ヘジテイティング」──これが、私たちがこの旅行から学んだ英単語だった。
アクセルを踏み込んでも加速しない。それどころか次第に減速する。このような症状を、英語で「ヘジテイティング」と表現するのだそうだ。気がつくと後続車が後ろにぴったりとはりついていたり、インターステート(高速道路)の路肩に止まったことも一度や二度ではなかった。
私たちがまず相談したのは、車を購入した中古車販売店の修理工場だった。ところが、その店はGMの代理店ではないため、GM車に搭載されているコンピューターのエラーコードが読めないらしい。そこで近くのGMのディーラーに持ち込むことにした。当然のようにエラーコードを読むだけで80ドル請求され、それと引き換えに私たちが手にした見積書は、なんと2,700ドル(約30万円)。車両購入代金の約半分にあたる。内容はトランスミッションの交換だった。
「これ絶対高すぎると思う。一度帰って、リーさんに相談しましょう」
妻は車の構造についてはそれほど詳しくはない。にもかかわらず、なぜか説得力があった。その「直感」を信用して、修理を断りディーラーを出た。
翌日、早速メアリーアンさんのご主人であり、私たちの「お世話役」のリーさんのオフィスを訪ねる。
「トランスミッションを修理しないといけないのか。でもそれは高すぎる。幼なじみが修理工場をやっているから、一度そこに相談してはどうかな?」
リーさんは早速電話を入れてくれた。
コーツさんという汗かきのアメリカ人が経営する工場は、ガソリンスタンドを改装したものだった。周囲には部品やガラクタが雑然と積み上げられている。
「リーさんから話は聞いてるよ。日本からわざわざマンモスケイブにボランティアをしに来てくれたんだってね。これからカリフォルニアまで行くんじゃ心配でしょう。とりあえずどこが悪いかみてみよう」
コーツさんはすぐさま車に飛び乗りテストドライブに出かけた。
帰ってくるなりトランスミッションオイルの色をみてにおいをかぎ、機械でエラーコードを読み取る。エラーは2つ。ディーラーと違い、エラーの内容は自動検策されない。分厚いマニュアル本でコードを参照し、エラーの内容を調べる。エラーも含めて様々な情報から故障の原因を読み解く。ここが修理工場の腕の見せ所だ。
コーツさんが書架から一冊の雑誌を取り出した。
「GMのこのタイプのトランスミッションは、走行距離が10万マイル(約16万km)前後になると不都合が生じることが多い。ある部品を交換すれば直るのだが、リコール対象にはなっていません。これまでに3台ほど同じような症状の車を修理したので、まず間違いないでしょう」
雑誌の記事によると、問題の部品は直径1.5cm、長さ6cmほどの円筒型で、何と不具合を是正した並行品まで出回っている。
「GMはこの不具合を認めていないので、トランスミッションをそっくり交換したがるという話を聞いたことがあります」
その日は修理待ちの車があったので、出直すことになった。
「一週間後にまた来ます。今日はおいくらですか?」
すると怪訝そうな表情で、「今日はタダだよ。だって修理してないだろう?」
当然のように答える。これまでエラーコードのチェックだけで毎回1万円弱の金額を払ってきたので、これには拍子抜けした。よくみると、パトカーが何台も修理を待っている。走行距離が長く、地域の事情にも詳しい警察官が修理を依頼しているということは、しっかりした修理工場という証明なのかもしれない。
車を持ち込んで数日ほどで修理は完了した。
「吸気を調節するための部品もダメになっていたから交換しておいたよ。高いものだから中古の部品にしたんだが、全部で600ドル(約7万円弱)になってしまった。労賃が少しかさんでしまったんだ」
少し申し訳なさそうに説明してくれる。「とんでもない、予想よりとても安くあがりました」と言おうとしてもうまく言えず、結局いつものように「サンキュー、サンキュー」の繰り返しに終始する。
その後、前輪のショックアブソーバー2本を交換すると、愛車モンタナの走りは見違えるようになった。これで何とかカリフォルニア州までたどりつけそうだ。
フロリダ旅行
11月下旬、休暇を利用してフロリダ半島南部を旅行した。
私たちは、まずエバーグレーズ国立公園(Everglades National Park)を訪問した。この公園は、フロリダ半島南部に広がる広大な湿地で、公園内にはサギ、アメリカトキをはじめとする多くの鳥類、ワニ、シカなどが生息している。
公園は1947年に指定され、公園面積は約610,250ヘクタールと広大だ。ビジターセンターが5箇所あり、公園内ではボート、カヌー、キャンプ、釣りなどを楽しむことができる。一方、施設は古く、印刷物も不足している。職員も少なく、メインゲート近くのビジターセンターでさえボランティアが1名で対応していた。
1992年に公園を襲ったハリケーンは、公園内の多くの施設に大きな損害を与え、現在もその復旧工事が行われている。公園の予算の多くがその工事に充てられていることが、通常の公園管理のための予算を圧迫してしまっている。また、公園内の生態系も、マイアミなど周辺都市の過剰取水、汚水流入、さらには外来種問題などにより危機に瀕している。
公園内のボートツアーなどはコンセッション業者(公園内での営業権を有する民間会社)が運営している。ただし、よく知られる巨大な扇風機のついたエアーボートで湿原内を走り回るようなツアーは公園の区域内では行われていない。
有料ツアーの自然解説もコンセッションの職員が担当していることが多い。例えば、エバーグレーズの北の玄関口であるシャークバレー(Shark Valley)ビジターセンターからは、舗装された歩道(幅員は車道並み)が数マイルにわたって伸びているが、その道路上を運行しているトラム・ツアーの営業も業者が行っている。ドライバーが自然解説も行うが、大変知識が豊富で楽しませてくれる。
トラムを降りて道路から湿地を見ると、水がとてもきれいで、大きな魚が悠々と泳いでいるのが見える。実はエバーグレーズは湿原全体が大きな川だ。1日に30mというゆっくりとした流れではあるが、歩道を地下で横断する導水管からは勢いよく水が溢れだしており、水が動いていることがわかる。
歩道の終点には巨大なコンクリート製の展望台が設置されている。展望台に上ってみると、360度のパノラマが満喫できる。スロープがついていて、車椅子でも登ることができる。公園が平坦で広大であるためにこれだけの展望台が必要になるのだろうが、景観上の影響は小さくない。このような建設工事に対して反対はなかったのだろうか。
展望台のデザインは、グレートスモーキーマウンテンズ国立公園の山頂にあったものともよく似ている(→第6話その3)。日本でも、国立公園を訪問する楽しみは、何といってもその美しい風景を眺めることだろう。公園施設としても展望台には人気がある。一方で、設置場所やデザインによっては、せっかくの風景を台無しにしてしまう危険性もある。アメリカの展望台は、むしろ国立公園のランドマークとしての役割を担っているようでもある。エバーグレーズやグレートスモーキーマウンテンズの展望台も、そのように考えると納得がいく気がする。
次に訪れたのは、ビスケイン国立公園(Biscayne National Park)だった。ビスケイン国立公園は、エバーグレーズの東側の海岸に沿って広がる海洋公園で、1968年に国立史跡、1980年に国立公園に指定された比較的新しい国立公園である。公園区域(69,953ヘクタール)のほとんどは、海域とその中に浮かぶ大小の島々で、自動車で到達できる陸域の利用拠点は1箇所しかない。
陸域の利用拠点にはビジターセンターと小規模な船着場があり、ベイクルーズ、カヌー、シュノーケリング、釣りなどが可能である。ただし、海岸線はマングローブに覆われているため、シュノーケリングは近くの島やリーフまで行かなければ難しい。比較的公園職員の配置が充実していて、コンセッションのツアーにも公園局の職員が同行している。もっとも、職員が常駐しなければいけないような施設はビジターセンター1箇所程度なので、前出のエバーグレーズなどに比べれば管理にそれほど人手を要しないともいえる。
区域内の海域にはマナティーが生息しているが、ボートのスクリューによる殺傷や藻場などの生息地の減少などにより、その絶滅が危惧されているそうだ。その一方で、ボート業界、開発会社、海洋産業界などからは、マナティーの絶滅危惧動物としての位置付けを変更するよう州政府に対して強い要望が出されているなど、野生生物の保護には軋轢があるようだ。
なお、この公園は無料公園である。多くのヒスパニック系の家族連れが、のんびりとピクニックをしたり、釣り糸を垂れていたりしたのが印象に残った。
ビッグ・サイプレス国立保護区(Big Cypress National Preserve:1974年指定)は、エバーグレーズの北側に隣接する保護区で、面積は約291,600ヘクタールある。区域内には絶滅が危惧されているパンサーをはじめ、多くの野生動物が生息している。国立公園と異なり、区域内には民有地も含まれ、狩猟、石油採掘などが許されている。国立公園局が管理している公園地ではあるが、ビジターセンターと必要最小限の歩道、キャンプ場以外に目立った利用拠点はない。
ワイルドケイブツアー
フロリダから帰ってきて間もない11月最後の日曜日、「ワイルドケイブツアー」に参加した。このツアーは、マンモスケイブのケイブ(鍾乳洞)ツアーの中でも最も難易度が高い。真っ暗な鍾乳洞の中を、ヘッドランプの明かりを頼りに腹ばいになったり懸垂したりしながら潜り抜けていく。定員数が少なく、すぐ予約で一杯になってしまうので、ボランティアといえどもなかなか参加させてもらえないツアーだ。ツアーの概略をご参考まで、以下にご紹介したい(内容は2003年当時)。
- 所要時間:
- 6〜6時間半
- 延長:
- 5.5マイル(約8.8km)
- 定員:
- 14名(要予約)
- 自然解説のテーマ:
- 安全な鍾乳洞探検テクニック、環境問題、鍾乳洞探査、チームワーク
- 高低差:
- 300フィート(91.2m)
- 求められる運動の程度:
- 鍾乳洞内の壁をよじ登る、9インチ(約23cm)の隙間を這いつくばって進む、身を低くして歩く、手と膝を使って尖った岩や土の上、水溜りを腹這いで進む、狭い道に身体をねじりながら出入りする。
- 参加制限:
- 16歳以上。18歳以下は保護者の同伴が必要。厚底で足首を覆うような編み上げの靴を着用。胸囲、おしり周りが42インチ(105cm)未満であること。作業用手袋や登山用手袋、長ズボンを着用。
このツアーは、ケイビングの醍醐味を体験するのにもってこいのツアーだ。はいつくばったり、岩をよじ登ったりといった全身運動が求められるためか、翌日は体中が筋肉痛になってしまった。もし、このツアーに挑戦される方がいらしたら、ぜひ2泊程度のゆったりした日程で訪問されることをお勧めしたい。
所長インタビュー
マンモスケイブを発つことを決めてから、マンモスケイブでの研修をふりかえってみると、やり残していることが本当に多いことがわかった。その中でも所長へのインタビューはぜひ実現させたかった。
マンモスケイブ国立公園の所長(superintendent)、ロナルド・シュイッツァー氏には2〜3度しかお会いしたことがなく、ゆっくりお話しを伺う機会がなかった。
クリスマスも近づいた12月12日、ようやくお時間をいただくことができた。「ロンはやり手だからね」と同僚がいうように、シュイッツァー所長は豪腕所長として名が知られていた。
「この公園では予算が逼迫していて、毎年赤字が出ている」
インタビューの冒頭はいきなり予算の話しだった。
「特に常勤職員の給与負担が大きい。一方、昨年度のボランティア実績は合計のべ34,000時間で、常勤職員の勤務時間の16.5%にも相当する。ボランティアは公園の管理になくてはならない存在だ」
しかしながら、ボランティア制度については、予算上の制約があり拡充は困難だそうだ。
「ボランティア・コーディネーターが退職する予定だが、予算の関係でその後任者を採用できない。それだけで、年間50,000〜60,000ドル(約600万円から720万円)を節約することができるからだ。また、ボランティアの勤務実績が多いと、それを理由に常勤職員の人件費が減額されるおそれもある。ボランティアハウスの管理コストを考えると、宿舎を増設することも難しい」
「フィー・プログラムの予算があると思いますが」
「マンモスケイブ国立公園はこの予算によりビジターセンターの改築、道路の大規模改修などを実施する予定で、施設の更新は確かに大幅に進んでいる。その一方で、施設を新築してもその維持費はこの予算の対象外だ。せっかくいい施設を作ったとしても、それが維持管理されなければ短期間で施設が劣化してしまう。施設がだめになったらまたフィー・プログラムで建て直せばいいという考え方もあるが、それは本来あるべき予算執行の姿ではない」
素直なコメントに、それまでの疑問点がどんどん解消されていく。
シュイッツァー所長の経歴は国立公園局職員としては異色だ。臨時職員としてメサベルデ国立公園の法執行部門に勤務した後、大学院に進学。専門は考古学だったそうだ。
「ある日、国立公園局の職員が大学の研究室にやってきて、ダム建設に伴う遺跡保存の責任者になってくれないかと頼まれた」
当時、シュイッツァーさんは26歳、事業は9,000万ドルの大事業だったそうだ。事業がうまく完了したことで、国立公園局に採用されることになった。
「そこで、『所長になりたいんです』と言ってみたんだ。そうしたら、いきなりメサベルデの所長に任命され、臨時職員時代の上司が全員私の部下となった。これは大変貴重な経験だった。私は若い職員をどんどん起用していけばいいと考えているが、最近はなかなか難しいようだ」
思い切って、科学・資源管理部について質問してみることにした。
「なぜ、このように厳しい財政状況にあっても、この公園の科学・資源管理部門は充実しているんですか?」
その答えは意外なものだった。
「これまで各国立公園は、それぞれの公園にどのような資源が存在しているか知らなかったんだ。どのような資源を保全の対象にしなければならないか、どのような資源がどのような割合で影響を受け、損なわれているかということすらわかっていなかった。国立公園ごとにインベントリー(目録)を作成し、モニタリングを行うための体制を構築することは、公園局全体の緊急の課題なんだ。また、全米の公園ユニットを合計32の生物地理学的な(biogeographical)ユニットに分けてモニタリングネットワークを構築する取り組みも行われており、米国南東部一帯の広葉樹林地域ネットワークの事務所がこの公園内に設けられている【3】。公園自体の職員とあわせて、大変充実した科学・資源管理組織を持つことができた」
所長が、1冊の冊子を取り出した。
「これは、最近取りまとめたマンモスケイブのビジネスプランです【4】」
ビジネスプラン? 国立公園に?
「より多くの人々が訪れ、より長く滞在することが国立公園の評価につながる。それはいかに多くのお金を使ってもらえるか、ということを意味するのです」
核心をつく所長のコメントに圧倒されっぱなしだ。
「米国では母親が家事を担当し、子どもが家にいるという従来の家族像は崩壊してきている。両親も子どもも仕事があり、家族がそろって旅行するのは難しい。その場合、お金や家族のスケジュールを決めるのは女性だ。ところが国立公園は女性の持つニーズに対応しきれていない」
所長の説明はさらに続く。
「もう一つ無視できないのは、米国の高齢化(Graying America)だ。余暇時間と可処分所得の50〜60%を保有するといわれる、いわゆるベビーブーマーが退職する。このような高齢者のニーズをくみ上げることも大切だ」
「さらに、ヒスパニック系米国人が増加し、アフリカ系米国人人口を追い抜いてしまったことにも注目すべきだ。彼らは家族で行動する傾向があり、祖父母、両親、子どもたちがそろってピクニックに出かける。可処分所得がほとんどないために、1日中ピクニックをして楽しんでいる。ヒスパニック系の利用者は布を敷いて直接地面に座ってしまう。地面に穴を掘ってそこで調理してしまうので、テーブル、グリルは必要ない。これからは、このような利用形態にも対応できるよう、施設構成も再考する必要がある。いいかえれば、人口ダイナミクスを先取りした公園の経営戦略が不可欠であり、ビジネスプランの狙いはここにある」
そういえば、ビスケイン国立公園のヒスパニック系の家族連れも、そのような過ごし方をしていた。
こうして約束の1時間半はあっという間に過ぎた。これまで学んできた断片的な情報が、この所長インタビューを経てようやくつながり始めた。
イースタンナショナル
「何で私たち、今まで会わなかったのかしらね」
イースタンナショナルという団体で責任者として働くカリアさんが、本当に不思議そうに話し始めた。私たちの出発の一週間前のことだ。オフィスは私たちのボランティアハウスの隣にある。この「お隣さん」は、いわゆる国立公園の協力団体(associate organization)と呼ばれる団体で、ビジターセンターで図書を販売している。
「公園を出る前にぜひ話を聞いていった方がいい」と公園の上級契約官で私たちの世話役でもあるリーさんから薦められた。お隣さんといっても、私たちの出勤時にはすでに働き始めており、私たちが戻ってくるころには帰宅している。結局今まで会わずじまいになってしまった。
「あなた方アメリカを横断するんですって?」
カリアさんは驚いたように聞く。アメリカ人にとっても自動車による大陸横断はあまり身近なものではないようだ。
イースタンナショナルという組織の説明から私たちのこれまでの体験まで、豪快に笑いながらの会話はあっという間に2時間に達した。
この事務所は、アメリカ南東部支部を兼ねていて忙しい。アシスタントのペニーさんは、私たちが話をしている間も休みなく電話を受けている。イースタンナショナルは、図書販売の売り上げから経費を除いた収益を、それぞれの公園に還元する非営利の公園協力団体だ。単に資金を提供するばかりでなく、公園の依頼により環境教育のマニュアルなどを作成、印刷して提供する。地元の専門家に執筆を依頼し、地域の自然・文化に関する図書を出版したりもする。それをまたビジターセンターなどで販売する。販売する品目は事前に所長の許可を得る必要があり、単に土産物ではなく、国立公園の自然や文化に関係する教育的効果の高いものに限られる。
各国立公園にも同様の協力団体がある。ビジターセンターでの買い物は、それ自体国立公園訪問の楽しみの一つでもある。売店では、一般の書店ではなかなか買えない図書、地図、教材が豊富だ。また、簡単なことであれば国立公園に関する質問にも答えてくれる。ビジターセンターのカウンターが混んでいるときなど、清算しながらの立ち話でも結構勉強になる。
なお、このような団体からの還元額は、全米の国立公園全体で年間約5千万ドル(約53億円)にものぼるということだ。
アメリカ横断のルート取り
準備も大体整い、いよいよこれからカリフォルニア州を目指すことになった。もうすぐこのマンモスケイブを離れるということが2人とも信じられなかった。ここにあと一年くらいいてもいいとも思うほど居心地がいい。一方で、この公園で学ぶことは少なくなってきていた。そろそろ西海岸に移動して、全く違う自然環境を守る公園でまた新しいことを学ぶ時期にきていた。
アメリカを横断するなら、インターステート40号を走るのが最も近道だが、この機会にぜひいろいろな保護区を回っておきたい。国立公園でのボランティア勤務には週40時間の勤務が義務付けられている。そのため、なかなか他の保護区を回る余裕がなかった。
地図を見ているうちに、隣のテネシー州ナッシュビルから南下する国立のパークウェイを見つけた。また、ボランティアとしての受入れを申し出てくれたグアダルーペ国立公園とカールスバッド国立公園にも立ち寄ってお礼を言っておきたかった。これら2公園も南の乾燥地帯に位置している。また、アメリカ南西部にはその他にも国立公園や保護区が多かった。
荷物
荷物の移動は、研修中、常に悩みの種だった。日本を出発するときには7箱だった荷物が、帰国時にはその3倍ほどになった。それも、3分の1は重い書籍や書類。私が各地で集めた資料の山だ。ヨセミテの分厚い影響評価書などの貴重な資料を途中で相当処分したにもかかわらず、まだまだ書類の山は減らない。
問題は量だけではない。横断している間の預け先も悩みの種だった。
アメリカでは、自分でトラックを運転して荷物を運ぶのが一般的のようだ。インターネットなどでMover(引越し)を検索すると、ほとんどは引越し用のトラックとトレーラーのレンタル会社の広告だった。引越し業者もいるようだが、とても高い。また、荷物の引越しはさまざまな悲喜劇を引き起こした。
最も安い宅配便をみつけて送ったものの、国が広いせいか、値段はそれほど安くない。また、アメリカは「安かろう悪かろう、高かろう悪くなかろう」という傾向がはっきりしている。カリフォルニアで私たちを待っていた荷物は、送付時とは似ても似つかない様子になっていた。大切な炊飯器はコントロールパネルがぱっくりと割れ、鍋は面白いようにへこんでいる。本は箱から飛び出している始末。あらためて日本の宅配便サービスの素晴らしさを実感した。
私たちの山のような荷物はレッドウッドの事務所宛に送ることになったわけだが、当然のことながら職員に驚きをもって迎えられた。
出発−さらばマンモスケイブ
「ところでガソリンは持った? ブランケットとロウソクと水も持つのよ」
マンモスケイブ出発を数日後に控えたある日、メアリーアンさんは心配そうに聞いてきた。
「え、ガソリンスタンドくらいないんですか?」
「テキサス州に入るとガソリンスタンドも少なくなるし、道に迷うかもしれない。嵐や洪水で立ち往生することだってあるのよ」
私たちの愛車モンタナは、さながら西部開拓時代の幌馬車だ。何でもかんでも積み込んである。やはりワンボックスタイプにしておいてよかった。2人の座席以外は足の踏み場どころか、これ以上荷物を入れる隙間すらない。
出発の日は雨。ゆっくりとボランティアハウスの前を離れる。皆にはすでに挨拶を済ませていた。ボランティアハウスや、いつもきれいに刈りそろえられている芝生がどんどん遠ざかる。
その日は足をのばしてミシシッピー州のTupeloという町に泊まる。ホテルにチェックインし、「もうこれでマンモスケイブには戻れないのだ」と思うと、ぐっと寂しさがこみ上げてきた。妻にとっても私にとっても、マンモスケイブはアメリカでの故郷になっていた。
○カールスバッド鍾乳洞国立公園(Carlsbad Caverns National Park)
ニューメキシコ州にある国立公園。国立公園内には北米最大の鍾乳洞も含まれ、各種の鍾乳洞ツアーが用意されている。1923年に設立され世界遺産にも指定されている。面積約18,900ヘクタール。利用者数は2003年現在で年間約46万人。
○グアダルーペマウンテンズ国立公園(Guadalupe Mountains National Park)
テキサス州にある国立公園。1972年に設立され、面積は約34,960ヘクタール。今から約2億5千万年前に海中で形成された、400マイル(約640キロメートル)にも及ぶ石灰岩質のリーフが隆起した雄大な地形は圧巻。入場料は無料であるが、バックカントリー利用が主のウィルダネス区域が多くを占めているためか、年間入場者数は約18万人(2003年)と比較的少ない。
- 【1】ゴールデンゲート国立公園での研修
- 第2回「受入れ先決定〜マンモスケイブ到着」参照
- 【2】契約職員
- 契約職員とは、個別に契約を結んで公園が雇用した職員で、政府職員としての身分を持たない。
- 【3】米国南東部一帯の広葉樹林地域ネットワーク
- ネットワーク名はカンバーランド・ピードモント・ネットワーク(Cumberland Piedmont Network)。このネットワークは、アラバマ、ジョージア、テネシー、ケンタッキー、サイスカロライナ、ノースカロライナの各州にある14の国立公園ユニット(公園)により構成されている。
同ネットワークのバイタルサイン・モニタリング計画
Cumberland Piedmont Network Vitals Signs III Monitoring Plan(17.36MB) - 【4】マンモスケイブ国立公園ビジネスプラン
- Mammoth Cave National Park Business Plan(4.69MB)
- 【5】ポットラックのパーティー
- 持ち寄り形式(pot luck)のパーティーのこと
<妻の一言>
〜アメリカでのクリスマス〜
■マンモスケイブでのクリスマス
マンモスケイブを出発したのは12月29日。アメリカで初めてのクリスマスをマンモスケイブで迎えることになりました。クリスマスが近づくにつれ、ラジオでもクリスマスソングが流れてきます。職員もクリスマス休暇に備えて忙しそうに働いています。科学・資源管理部門の事務所もきれいに装飾され、私達2人の送別会を兼ねたポットラックのクリスマス・ランチパーティー【5】も開かれました。また所長が、職員やボランティアなどに昼食を振舞ってくれる日などもありました。国立公園といえども、やはりクリスマスは特別なイベントのようです。
マンモスケイブ国立公園では、毎年クリスマス前に、地元の住民などを集めてイベントが開催されます。この年は12月7日(日)に行われました。この日は、一般客向けのツアーのほとんどが休みとなります。イベントには職員の家族やボランティアも招待され、鍾乳洞の中で歌を歌います。
通常は、有料のガイドツアーでしか入れない鍾乳洞(ケイブ)も、その日は無料となります。集合場所はマンモス鍾乳洞唯一の自然開口部の入口(natural entrance)付近。両側には石灰岩の斜面が迫っています。マンモスケイブのあたりは日本のように四季があり、冬はかなり冷え込みます。12月に入ると雪が降ることもあり、その日も今にも雪が落ちてきそうな空模様でした。
鍾乳洞入り口向かって右手の斜面上にあるテラスで、バグパイプの演奏が始まりました。見上げるとはるか高いところにシルエットだけが見えます。スコットランドの正装であるキルト(kilt)を着た男性が一人、すばらしい演奏でムードを盛り上げます。
鍾乳洞の入り口で国立公園の職員が手短に挨拶をした後、地元出身の女性歌手が無伴奏で国歌を独唱しました。彼女は公園職員の娘さんだそうです。とても感動的なオープニングでした。家族と来ている私服の公園職員の姿も見られ、目礼を交わしたり、小声で家族を紹介しあったりしました。
鍾乳洞からは湿った温かい空気が噴き出していて、中に入るとぐっと気温が上がります。鍾乳洞内は年間を通して摂氏16度くらいです。そのため夏は涼しく、冬は暖かく感じられます。天井の低い鍾乳洞をしばらく歩くと、「ロタンダ」と呼ばれる大きな円形のホール状の空間に突き当たります。ここは独立戦争時代の硝石採掘現場が残されている場所で、ケイブツアーでも目玉のひとつです。その中央にクリスマスツリーが控えめな照明に浮かび上がっていました。ツリーの前では、金管楽器の四重奏がクリスマスソングを奏でています。よくみると演奏者は皆サンタクロース姿です。ロタンダから長い階段を下りるとイベント会場です。この「カテドラル(教会)」と呼ばれる部分は天井が高く、壁面の鍾乳石は祭壇にも見えます。国立公園になる前には、ここでキリスト教のミサが行われたこともあったそうです。
前の方からロウソクがまわってきました。参加者は手に手にロウソクを持ち、火を灯します。ほどなく、ケイブ内の照明が落とされ、奥の方から合唱が聞こえてきました。地元の合唱団やバンドが奥に控えているようで、次々に歌や演奏が披露されます。最後に参加者全員でクリスマスソングを合唱しました。歌の名前や歌詞はわかりませんでしたが、温かい雰囲気に包まれ、イベントが終わり出口に向かう列からは歌声が途切れることはありませんでした。国立公園局が行う行事は宗教行事ではないものの、この国に深く根ざすキリスト教文化に触れた気がしました。
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(記事・写真:鈴木 渉)
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〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。