No.003
Issued: 2006.06.08
ボランティア開始
公園の管理事務所ではボランティア・コーディネーターのメアリーアンさんが待っていてくれた。早速、ボランティアの簡単な契約書にサインする。ところが、どういうわけか契約書が2枚用意されていた。「2人でボランティアやるんでしょ?」と当然のように言うメアリーアンさん。妻も特にやることはなかったし、英語でうまく説明できそうにはなかったので、そのまま2人ともボランティア登録することにした。手続き終了後、ボランティア時間の記録票と帽子を1つずつもらった。
後でわかったことだが、ボランティア宿舎に滞在するには、週におおむね40時間程度の勤務が必要だ。家族も例外ではない。ボランティアハウスに入居させてもらえることになった時点で、妻にもボランティアとして勤務する義務が生じていたのだった。
ボランティアハウス
案内された宿舎は、公園内に建つ白い木造平屋の一戸建てだった。個室が3部屋あり、トイレが2つ、うち1つはシャワーつき。広々としたリビングルームには、衛星テレビに、ソファーセット、パソコンなどが置かれてる。キッチンには冷蔵庫、電子レンジ、コーヒーメーカー、食器、なべ、巨大なオーブンまで備えられている。洗濯機、乾燥機はもちろん、なぜか裏庭にはテーブルつきベンチやバーベキューグリルまである。少し古いが手入れが行き届いたきれいな宿舎で、当然のようにセントラルヒーティングだ。個室にはベッド、寝具、タンス、クローゼット、スタンド、ラジオつき時計など、着替え程度を持ってくれば、すぐにでもボランティア生活に入れるだけの設備が整っている。玄関にはちょっとした土間のような空間があり、9ヶ月の滞在期間中、作業着を乾かしたり、装備の補修や準備に重宝した。
アメリカのボランティア制度は安上がり?
研修の期間を通じて、様々な場面でアメリカのボランティア制度がうまく運用され、また市民に根付いていることが実感できた。アメリカ人は、「ボランティア活動をする」のではなく、「ボランティアとして働く」のである。そこには権利もあるが義務も生ずる。
公園ごとにボランティア制度があり、様々な市民が参加している。ボランティアとして働くために特定の団体に所属する必要はなく、ボランティアをしたいと思った人が公園のボランティア・コーディネーターに直接申し込みを行うのが一般的だ。
公園のボランティア制度の象徴的な存在がボランティアハウスだろう。その多くは旧職員用宿舎や軍から払い下げられた兵舎、中古のトレーラーハウス、昔の事務所などの中古施設が多く、とにかくお金をかけていないのが特徴だ。宿舎ではなく、テントサイト、キャンピングカー用の区画を無料提供するという方法もあり、とにかく既にあるものを有効活用し、リユースするという姿勢が一貫している。アメリカは光熱費が安いため、自前のメンテナンス部隊を抱えていれば、建物の維持補修にはそれほど費用がかからない。ボランティアの入居も、鍵の貸し出しだけでいいという利点もある。また、調度品も中古品が多い。所長室で使用されていたソファーセットをはじめ、公園内のホテルからもらってきたベッド、マット、ブランケット、バスタオル。キャンプサイトであまっていたテーブル付ベンチや、焚き火用のファイヤーサークルまで備わっているところもあった。洗濯機、乾燥機、テレビなど使用頻度の高い電気用品以外、ほとんどのものはどこからかやってきた「お下がり」ばかり。“消費(浪費)大国”というイメージばかり先行しているアメリカだが、実際には古いものを大切に使う側面もあって、特にケンタッキー州の田舎ではそのような習慣を様々なところで目の当たりにすることができた。
アメリカの国立公園におけるボランティア制度の基礎は、このような形で提供される無償のボランティア用宿舎の存在であるといっても過言ではない。憧れの国立公園に無料で滞在できるからこそ、毎年質の高いボランティアを大量に確保することができる。日本でも、古くなったビジターセンターや管理事務所を転用するなどの工夫ができそうだ。
貸与されるユニフォームも中古だということが働いているうちにわかった。ある日、ボランティア・コーディネーターのメアリーアンさんが大量のシャツを持って、ボランティアハウスにやってきた(ボランティアハウスは倉庫としても使用されている)。中古シャツを仕入れてきて、ボランティア・ユニフォームに仕立てるという。確かに、どのボランティア・ユニフォームも色とワッペンだけは共通だが、シャツ自体のデザインはまちまちだった。どこかでいらなくなった作業服を大量に買い付けてきて、ワッペンだけを貼り付けているそうだ。
安上がりといえば、ボランティア参加者もお金をかけずに国立公園を満喫することができる。入場料だけでも10ドル(1,200円)は下らない国立公園に滞在し、自然の中で生活できる。休日は公園内のトレイルを散策したり、公園内のあちこちで開催されるレンジャープログラムに参加することもできる。気が向いたら公園のベンチで昼寝、夕食はボランティア仲間と焚き火でバーベキュー。ボランティア宿舎に入ることができれば、かばん一つでやってきて、その日からすぐにボランティアを始めることができる。短期ボランティアなら、公園内のホテルに特別料金で泊まることができるそうだ。
ボランティア勤務開始
ボランティア契約を済ませたその日は市内のホテルに泊まった。翌4月1日の朝早く、ホテルをチェックアウトして、再度マンモスケイブへ向かう。ホテルまで、メアリーアンさんが官用車で迎えに来てくれた。途中、大きなスーパーマーケットに寄ってくれたので、念のためインディカ米やニンジン、パンなどを購入した。巨大な平屋の建物に、これでもかという大量の食料や日用雑貨などが並んでいる。
公園に到着すると、科学・資源管理部という部署に案内され、早速その日から作業に参加することになった。作業着として貸与されるのは通常シャツのみだった。万が一のことを考えて、作業ズボンとローカットのトレッキングシューズを手荷物で持ってきたのが幸いした。ただ、石灰岩のごろごろする不安定な斜面を歩き回るため、ローカットの靴では足首が十分に固定できず、苦労した。
所属部署の職員やボランティアへの紹介は、玄関で立ち話をしながら。日本の国立公園であれば、公園の所長室に通されてお茶の一杯くらいはでてもおかしくはない。その後すぐ作業に連れ出され、以降、毎日毎日森の中での作業が続くことになった。これまで日本人が研修に来たことはなかったらしく、私たちの名前も覚えにくかったようだ。誰とはなしに、夫婦まとめてスズキーズ(Suzukies)などと呼ばれるようになった。
つい2〜3日前までの霞ヶ関勤務とは正反対の毎日。当初は戸惑いも覚え、落ち込むこともあったが、次第にこの気楽な職場の雰囲気や仕事のやり方に慣れていき、むしろ病み付きになっていった。ボランティアにはボランティアの、所長には所長の役割があり、それぞれに尊重され責任も負っている。さらに、ボランティアは組織に縛られてはいない。公園内の各部署にも、結構自由に出入りすることができる。この「特権」を生かして、公園内の様々な部署の職員にインタビューを重ねることもできた。
私たちの上司、ブライスさん
私たちを担当してくれたのは、ブライス・リーチさんという男性職員だった。ケンタッキー州の地元出身者で、インタープリテーション(自然解説)部門で10年近く勤務した後、希望して科学・資源管理部門に異動してきた。
毎朝、レンジャー・トークのようなジョーク(ダジャレ?)交じりの作業指示から仕事が始まる。当初は、英語のジョークなどとても理解できなかったが、そんなことはお構いなし。ケンタッキーなまりの「レンジャー・トーク」は、以降作業中も続いた。はじめての公園勤務で右も左もわからなかった私たちにとって、このレクチャーはとてもためになった。
国立公園局のインタープリテーション担当職員は、年号を覚えることから勉強を始めるという。「1869年、この公園では…」という言い回しをよく耳にしたし、いかにも説得力がある。ブライスさんもとにかく公園の歴史に詳しく、作業をしながら様々な講釈を伺うことができた。マンモスケイブ国立公園は、もともと人が住んでいた場所を買い取って設立された公園であり、様々な歴史やいきさつがある。特に、国立公園設立の直接のきっかけともなった、鍾乳洞探検家フロイト・コリンズ氏の死亡事故などの話は、何度も何度も聞かされた。加えて、変な冗談やアメリカ人独特の言い回しなどを存分に学ぶことができたのも収穫(?)だった。
また、これまで公園のガイドツアーを率いてきたというだけあって、ボランティアの「群れ」を管理するのがとてもうまい。ボランティア仲間からは「スレイブドライバー(奴隷使い)」とちゃかされるほどだった。
私たちの初仕事は、クリの一種、アメリカンチェスナッツを植える作業だった。このクリの木は、日本のクリとは異なり、まっすぐな幹を持つ大木で、かつてアメリカ東部を覆っていたという。ところが、1900年代始め頃に、中国から輸入したクリ材から病原菌が感染し、ほとんどの木が枯れしてしまった。1950年代にはもともとの分布面積の1%未満にまで減少したといわれている。
古い民家の骨組みや立派な家具にはこのクリ材が使われていることも少なくないそうだ。また、アメリカンチェスナッツは良質な果実(クリの実)を大量に生産するため、ネズミ、リスからクマなどの大型哺乳類まで、この地域一帯の豊富な野生動物の個体群を維持するのに貢献していたものと考えられている。このため、東部地域における生態系の回復のためには、チェスナッツ林の再生が大きな役割を果たすものと期待されている。
マンモスケイブ国立公園にも感染して枯れた木の朽ち果てた株があちこちに残っている。ところが、根の部分は病原菌に侵されにくいため、萌芽を繰り返しながら生きながらえている株も少なくない。ただ、こうして萌芽してくる若木も、いずれ菌に侵され、枯れてしまうために、成木まで生長する樹木はごくまれである。
植林の際には、苗木にマイコライザーと呼ばれる共生菌のゼリーを塗布したもの、土壌菌類を殺菌したうえで植えられたもの、そのまま植えるものに分類し、根本直径と樹高を記録して、その後の生育状況を比較検討する。この再導入事業はいくつかの国立公園の共同プロジェクトとして2002年度より開始され、マンモスケイブ国立公園がとりまとめ役を担当している。2003年度には約2,000本を植栽することになっており、私たちはそのチームに配属されることになった。
フィールドワーク中心の仕事は楽しかったが、苦労したのがマダニだった。オークの林の中で作業をしていると、1日に5〜6匹ほどが体のどこかに食いついている。うまくとらないとアゴの部分が残り傷口が化膿してしまう。2人とも2年間治らなかった咬み跡が数箇所あり、ケロイド状の跡が残ってしまった。この地域のマダニはライム病などの病原菌を媒介しており、少なくとも24時間以内に取り除かなければ、感染の確率が高くなってしまう。発病すると高熱を発し、死亡することもある。
夜、宿舎のシャワールームからは必ずといっていいほど妻の悲鳴が聞こえてきた。
作業中、ブライスさんは、折りたたみのペンチを常に携帯していて、ボランティアについたダニをうまく引き剥がしてくれた。この年、妻からもらった誕生日(4月)のプレゼントは、それによく似た携帯ペンチ(4.95ドル)だった。
ボランティアの1日
- AM 5:00
- 起床、朝食を食べ、弁当の準備をする。ルームメイトの2人も7時ごろ起き出してきて、シャワーを浴び、マスクラットの調査用のトラップ(わな)の確認に出かける。マスクラットは、川岸で生活するネズミに似た小型の哺乳類で、泳ぎがうまい。ルームメイトはテネシー大学の大学院生と定年を迎えた元気なおじいさんだ。2人は公園内を流れるグリーン川で哺乳類調査を担当している。ボート講習も受けているので、2人だけでボートを借り出して調査を行うことができる。
私たちは、朝食後ラジオで天気を確認してから、ダニよけのスパッツ(ゲーター)、雨具、医薬品、おやつ、電子辞書などを背負って出勤。勤務先の科学・資源管理部門までは徒歩で5分ほど。途中メンテナンス部門の職員とよくすれ違ったが、皆手をあげて挨拶してくれる。ケンタッキーの田舎道では、車ですれ違う時、見知らぬ人でも手をあげて挨拶することが多かった。やはり田舎は居心地がいい。
- AM 8:30
- ブライスさんの事務所に顔を出し、準備するものなどの指示を受ける。他の学生インターンや公園内にある職業訓練校の学生なども続々集まってくる。朝一の作業は、当日使う苗木の準備など。例えば、3種類の苗木を100本ずつ、苗木の番号を控えながら準備するといった単純なものだ。こういう仕事は私たちに向いていた。特に妻は、作業の手順を考えて小分けにしたり、足りなかった場合を考えて予備を入れたりと、きめ細かな配慮が好評を博したようだ。語学は弱いものの、何かとおおらかな(大雑把な?)アメリカ人の大学生ボランティア達のなかにあって、日本人らしい几帳面さが次第に評価されてきたようだった。
準備ができたら何台かのピックアップトラックに分乗して目的地へ。地図とGPS端末を使って予定の植栽場所へ徒歩で移動、早速作業にとりかかる。
- AM 12:00
- 昼食。作ってきたお弁当を取り出す。昼食中の会話にはまったくついて行けなかった。私たち2人だけ笑いに取り残されることも多い。それでも皆でピスタチオを分け合って食べたりしながら、いろいろ日米の習慣の違いについて聞かれたり、午後の作業の進め方を相談したりと、食事の時間を楽しく過ごすことができた。
- PM 1:00
- 午後の作業開始。学生のボランティアメンバーは単調な作業に飽きてくるのか、徐々に作業が雑になってくる。疲れてくると事故やけがのおそれが出てくるため、午後3時を過ぎたあたりから早めに片付けを始める。荷物をトラックまで持ち帰り、事務所へと向かう。
- PM 4:30
- 道具の片付け、事務所でデータの整理、翌日の準備などを済ませ、事務所をあとにする。
- PM 6:00
- 台所での調理時刻が重ならないように気をつけながら夕食を準備して食べる。ルームメイトは早めの夕食後に、日課となっている夜間の哺乳類調査に出かける。
夕食後シャワーを浴びるが、ルームメイトたちは朝シャワーを使う人が多かったので、夜間のシャワーは私たちだけでのんびり使うことができた。ボランティアハウスには大型の電気温水器が備え付けられており、3〜4人が生活するには十分なお湯が出る。それでも、冬期間や女性の割合が高い時期などは、全員が一度にシャワーを浴びるとお湯がなくなってしまい、最後の人は冷水を浴びることになる。また、驚いたことに、米国では洗濯にも温水を使用することが一般的なようで、週末などにルームメイトが溜め込んだ洗濯物をまとめて洗ったりすると、しばらくの間シャワーが使えなかったりした。
- PM 10:00
- 翌日の準備などをして早めに就寝。リビングルームでは、学生ボランティアが集まって映画を見はじめたりする。
<妻の一言>
マンモスケイブのボランティアハウス
ひとことで「ボランティアハウス」といっても、設備や構造、備品などは様々なようです。マンモスケイブ国立公園にはベテランのボランティア・コーディネーターがいらしたので、きめの細やかにケアされていました。
私たちの部屋には、家具などはもちろん、バスタオルや寝具も用意されていました。キッチンには十分な食器、鍋や調理器具が完備し、ラップやアルミホイル、布巾まで揃っていました。オーブン用のピザ皿、ケーキ型などもありました。歴代のボランティアたちが残していった、砂糖、塩などの調味料、コーヒーやワイン、果ては「ムーンシャイン」と呼ばれるケンタッキー州の有名な(?)自家製蒸留酒などまでありました。
リビングにはテレビや電話もありました。テレビは衛星放送が受信できましたが、チャンネルはニュースや天気予報など最低限のものに限られていました。電話は、公園内の通話は無料ですが、日本を含めそれ以外の地域への通話は有料で、事前にフォーンカード(テレフォンカードのようなもの)を購入します。ボランティアハウスの電話は一回線しかないので、ルームメイトに気を遣いながらダイヤル回線でインターネットを閲覧したり、メールの送受信をしていました。
掃除用具もそろっていましたが、掃除機はじゅうたん用なのか超大型で、ものすごい音がします。日本から持参した小さめの掃除機が意外に役に立ちました。
トイレは2つ、うち1つのみがシャワー付です。若い学生ボランティアはほとんど掃除をしません。主人も掃除は好きな方ではないので、もっぱら私が掃除をすることになりました。電球、ヒューズ、トイレットペーパーは公園から支給されます。アメリカは紙製品が高かったのでとても助かりました。
ハウスの周囲には、リス、シカの他、キツツキやスカンクなどの野生動物が姿を見せ、部屋の窓などから観察できます。何度か家の中にネズミが入ってきましたが、家ネズミだったのか、それとも野生のネズミだったのかはわかりませんでした。
ところで、日本では当たり前のごみの分別。アメリカでも当然分別するものと思っていましたが、実際生活してみてびっくりしました。一般の家庭では生ごみもビン・カン、プラスチックもみな一緒です。国立公園や野生生物保護区でよく見かけるのは、野生生物がごみをあさらないよう工夫されたごみ箱でしたが、ごみの分別はまったく行われていない公園もありました。
そのような中で、マンモスケイブ国立公園は分別と資源の再利用に熱心で、資源ごみの集積所が公園内に数箇所ありました。集積所には緑色の大きな回収ボックスが並んでいて、ビン、缶、プラスチック、紙などの資源ごみが分別回収されていました。さらに、ビンは透明、緑色、茶色に、缶はスチールとアルミに分かれていました。回収日や集積の時間帯などは決まっておらず、各自分別してボックスに入れておけばいいので楽でした。
ボランティアハウスでは、勝手口の外にビン、カン、プラスチックを集める箱が置かれています。その他のごみはすべて一緒です。ルームメイト達は分別などかまわず捨てるので、私たちがビン・カンなどを拾い出して分別することも少なくありませんでした。もちろん、集積所に持っていくのも私たちの役目(?)です。何となく、日本人としての習慣からごみの分別をせずにはいられなかったのでしょう。生ごみは堆肥化しようとしましたが、野生生物が豊富なために、シカやスカンクが掘り起こして食べてしまいました。
公園の職員の中には、自分の住んでいる地域でごみが分別されていないため、公園の回収ボックスを利用している方もいらっしゃいました。
パーティーの後片付けの際、プラスチック製のスプーンやお皿を洗って再利用している私を見て、あきれている友人もいました。今でこそ有名になった「もったいない」の思想ですが、そのような人たちにわかってもらうのはなかなか大変でした。
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(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。