No.002
Issued: 2006.04.20
受入れ先決定〜マンモスケイブ到着
当初の甘い見通しに反し、研修先が決まらなかった苦悩の日々。今思えば、公園側のニーズも応募者側(=私たち自身)の特性も考えず、闇雲に当たっては砕けていた。研修の権利失効期限が迫る一方、なかなか出口の見えない手探り状態が続いていたが、ここにきてようやく、少しずつコツらしきものも見えてくるようになっていた。
受入れ先決定!
結論から言えば、有名公園、大公園、山岳地にある風光明媚な公園での長期ボランティアへの応募は全滅。また、自然解説やビジターサービス部門などからもほとんど相手にされなかった。
受入れが可能との回答をくれたのは、ニューヨーク近くのゲートウェイ国立レクリエーション地域の資源管理部門、サンフランシスコのゴールデンゲート国立レクリエーション地域のトレイル管理部門、そしてケンタッキー州にあるマンモスケイブ国立公園の科学・資源管理部門の3つのみだった【1】。アメリカの国立公園といえば、イエローストーンとかグランドキャニオンとかヨセミテが有名だ【2】。これらの有名国立公園での研修を夢見ていただけに、正直なところこの結果にはがっかりさせられた。
特にゴールデンゲートは、まさにサンフランシスコの中心部に近い都市型の公園で、雄大な原生自然の中の国立公園というイメージからはかけ離れる。ただ、西海岸にはヨセミテを始め多くの国立公園があり、サンフランシスコからはそれほど遠くない距離にある。悩んだ末、ケンタッキー→サンフランシスコ→ワシントンDCという研修日程にすることにした【3】。
アメリカのイラク攻撃開始!?
こうして、ようやく研修先が決定したのは2003年の1月。研修の権利失効まであとわずか。ところが、国立公園局からは、テロ対策の関係で、研修受入れ決定をしばらく待って欲しいとの連絡が入った。国立公園局の受入れ承認がなければJICAの研修計画の承認が下りず、研修のための正式な環境省の発令が出ない。その結果、パスポートの発給が受けられないのでビザの申請ができず、出国できない。この状態が続くと研修は失効してしまう。
2月に入って、念のため応募していたモンタナ大学大学院から合格通知が届いた。モンタナ大学は自然資源や保護地域の管理の分野でその名が知られており、著名な研究者も多い。モンタナ州は寒いが住みやすそうなところであり、近傍には国立公園を始めとする保護地域も多い。ただ、入学が6月なので、入学前に語学コースなどを履修しなければ4月から研修が開始できない。また、入学が遅れると修了まで実質1年半しかない。モンタナ大学の留学生向け語学コースは日程が合わないため、4月から開始される他大学の語学コースへの申し込み手続きを進めることにした。
3月になって、ようやく国立公園局から受入れ承諾書がFAXで届いた。それによりJICAからの承諾も下り、外務省からパスポートが交付された。ところが、18日に在京の米国大使館にビザを申請した矢先、今度はイラク攻撃が開始された。それでなくても、同時多発テロ事件以降、ビザの審査は厳しくなり、発給審査期間も延びていた。出発予定日は曜日の関係で3月29日までしか延ばせない。祈るような気持ちで待っていたところ、手続きをお願いしていた旅行代理店から無事ビザがとれたという連絡があった。パスポートとチケットを実際に手にすることができたのは出発予定日の前日、まさに綱渡りの出発となった。
マンモスケイブ国立公園到着
2003年3月29日、シカゴ空港を経由してテネシー州ナッシュビル空港に到着した。ナッシュビルはアメリカのカントリーミュージックの聖地ともいうべき都市であり、カントリーミュージックの殿堂博物館や大小のライブハウスが軒を連ねている。到着日は土曜日だったために、私たちはしばらくぶりにゆっくりと食事をしたり、これからの予定を考えたりすることにした。最初の研修地であるマンモスケイブ国立公園は、テネシー州のとなりのケンタッキー州にあり、ナッシュビルから車で約1時間半の距離にある。
マンモスケイブ国立公園(Mammoth Cave National Park)は、世界で最も長い鍾乳洞(約560km)を保全するために設立された国立公園である。公園面積自体は約213km2と、アメリカの国立公園としては比較的小さい。民有地を買収して設立された米国では珍しい国立公園で、現在の公園の区域の多くはかつて牧場や居住地として使われていた。このため公園の自然資源の管理方針は、自然環境の修復、野生生物の再導入などに重点が置かれている。国立公園の設立は1941年であり、その後、ユネスコ【4】の世界遺産(1982年)、国際生物圏保護地域(1990年)にも指定されている。
ところで、アメリカには何とか無事に到着したわけだが、まだいくつかの問題が残されていた。
1点目は、大学院進学への振替の検討や手続きの遅延の影響などもあり、1月以降マンモスケイブ国立公園に連絡を取っていなかったこと。ボランティアとしての採用は、まだ有効だろうか。もう誰か他の人が替わりに採用されていれば、他の受入れ先を探すことにもなりかねない。
2点目は、マンモスケイブまでの交通手段だ。いろいろ探したが、公共交通機関はおろか、ツアーバスも出ていない。唯一、グレイハウンドという長距離バス会社が公園のゲートシティ(公園の入り口集落)までの路線を持っていることがわかったが、そこから公園の事務所まではさらに10km以上の距離がある。
とにかく、「お元気ですか。今、ナッシュビルにいます。...」という間抜けなメールをボランティア・コーディネーターのメアリーアンさんに打つことにした。交通手段は、悩んだ末、レンタカーを借りて向かうことにした。国際運転免許証を持っているとはいえ、右側通行は生まれて初めて、それもいきなりアメリカの高速道路ともいえるインターステート・ハイウェイを走ることになった【5】。
一路、マンモスケイブ国立公園へ!
明けて月曜日の朝、メアリーアンさんよりさっそく返信のメールが入った。
「無事到着したの!? 心配してたのよ! 事務所で待っているからいつでもどうぞ」──という内容。
さっそく電話を入れ、これからすぐ向かうことを伝えた。レンタカーはすぐ借りることができた。道順を聞くと、「2つ目の信号を右に曲がって、あとは65号線の看板にしたがって行けば着くよ」。とりあえず走り出してみた。
右側通行というのは本当に変な感じだったが、インターステートに乗ってしまえばそれほどの不自然さは感じなかった。通行料金は無料で、テネシー州からの区間は、制限速度が時速65マイル(約104km/hr)、片側2〜3車線の高規格道路だ。ただ、路面状態は悪く、路肩がない部分があったり、工事区間の誘導がめちゃくちゃで、運転には相当気をつかった。ウィンカーを使わない人も多く、それぞれの車が勝手気ままに走行し、車線を替える。特に大型トレーラーの割込みはひどい。次々に出てくる標識は馴染みのないものばかりで、へとへとになりながら、ようやく目的の国立公園の降り口までたどり着いた。
ほっとして、高速道路から一般道路に出た瞬間、思わず左車線に入ってしまった。対向車の大げさなジェスチャーに、アメリカに来たことを実感するとともに、助手席で絶叫してくれる妻の存在に改めて感謝した。高速道路の出口ランプなど、一方通行からの合流の際いきなり左車線に入ってしまうハプニングは、以降3ヶ月程度続いた。
公園の入り口看板の前で記念撮影をして、事務所に向かった。沿道には白いヤマボウシ(ハナミズキ)と紫色のレッドバッド(red bud)という木の小さな花が満開だった。
国立公園ユニットの主な種別
<国立公園紹介>
○ゴールデンゲート国立レクリエーション地域(Golden Gate National Recreation Area)
カリフォルニア州のサンフランシスコを中心に広がる、面積75,398エーカー(約30,500ヘクタール)の国立レクリエーション地域(National Recreation Area:NRA)。1972年設立。NRAは国立公園システムを構成する国立公園ユニットの種別(表参照)の一つ。それまで僻地にしかなかった国立公園を都市近郊にも配置し、都市住民のレクリエーション需要に応えることを目的として、主に大都市近郊やダム湖周辺に設置されている。
この公園は、ゴールデンゲート・ブリッジ北側の半島部分からサンフランシスコ南方にかけて広がっている。公園内にはアルカトラズ島、プレシディオなどのサンフランシスコ観光の目玉ともいうべき見所も多く、年間訪問者数は約1,600万人にものぼる。また、アメリカと旧スペイン王国との戦争、カリフォルニア・ゴールドラッシュなどにまつわる様々な歴史の舞台ともなっている。
なお、都市に近い立地にもかかわらず、この公園には連邦政府指定保護種もしくは絶滅危惧種33種の生息が確認されている。環境教育プログラム、ボランティア・プログラムなども充実しており、ゴールデンゲート・ブリッジの北側には、ミュアー・ウッズ国立記念物公園(Muir Moods National Monument)などもあり、都市近郊にもかかわらず、豊かな自然が残されている。
○ゲートウェイ国立レクリエーション地域(Gateway National Recreation Area)
ゲートウェイ国立レクリエーション地域は、ニューヨーク州とニュージャージー州にまたがっている。ニューヨークの大都市圏にありながら、26,000エーカー(約10,500ヘクタール)の広さを誇り、公園内には、様々な利用施設とともに、野生生物保護区も設定されている。公園は、アメリカ東海岸におけるシギチドリ類の渡りルート上に位置し、重要な生息地を提供している
○マンモスケイブ国立公園(Mammoth Cave National Park)
マンモスケイブ国立公園は、ケンタッキー州中部のカルスト台地上に位置する面積約213km2の国立公園で、地下には世界で最も長い鍾乳洞(総延長約590キロメートル)が存在する。1941年に国立公園として開設され、その後ユネスコにより世界遺産(1981年)、生物圏保護区(1990年)にそれぞれ指定されている。
鍾乳洞の一部は一般にも開放されており、レンジャーによる有料ガイドツアーの参加者は年間50万人にものぼる。また、公園の地上部は米国南東部特有の落葉広葉樹林に覆われ、トレイル、キャンプ場、ピクニック広場などが整備されている。トレイルは一部を除き乗馬が可能で、駐車場は馬用のトレーラーも駐車場できるよう配慮されている。公園内を流れるグリーン川ではカヌーや釣りが盛んで、各所に乗船場が設けられている。公園区域内には橋梁がなく、代わりに小規模なフェリーボートが2台運行されている。
このように、鍾乳洞以外にもいろいろな魅力があり、また比較的市街地から近い立地の良さもあって、多くのビジターが訪れている(2003年度の公園全体の利用者数は約190万人)。アメリカの国立公園といえば原生の自然環境を誇る広大な自然公園が有名だが、この公園には過去に人が住んで生活していた歴史があり、教会や墓地がその名残として残されている。
詳しくは、国立公園雑誌の記事をご参照下さい。
- 【1】受入れ可能と回答をくれた三公園
- 詳細は、文末の公園紹介の欄参照。
- 【2】有名国立公園
- 詳しくは、前回(第1話)文末に掲載した公園紹介の欄参照。
- 【3】研修先の公園
- 実際に勤務を始めると、実務を学ぶにはむしろ小規模な公園の方が風通しがよく、近くの公園への調査やインタビューをする余裕もあることがわかった。大公園ではボランティアは単なる歯車であり、組織の中に埋没してしまう。むしろ、小さい公園に勤務して、公園職員からの紹介で大きな公園にインタビューや見学に行くのが得策だ。また、田舎の方が親切にしてもらえるのではないかという妻の予想は的中し、最初の研修地、ケンタッキー州のマンモスケイブは私たちの第二のふるさとともいうべき地となりました。
- 【4】ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)
- 第二次世界大戦が終戦した1945年に、教育や科学、文化の振興を通じて国際平和と人類の福祉の促進を目的に設立された、国連専門機関。本部はフランスのパリにあり、世界52箇所に地域事務所が置かれている(2005年4月現在)。加盟国は191ヶ国(同年月現在)。日本は、1956年の国連加盟に先だつ1951年に、第60番目の加盟国となった。
- UNESCO
- 【5】インターステート・ハイウェイ(Interstate Highway)
- アメリカ大陸を横断・縦断する幹線道路で、総延長7.5万kmに達する。文字通り、各州(ステート)の間をつなぐ(インター)。日本の高速道路に相当する道路で、他の道路とは隔離され信号もない。ただし、ほとんどの区間は通行料金が無料。有料道路は、一般にターンパイク(Turnpike)、パークウエイ(Parkway)等と呼ばれる。ただし、通行料金自体はそれほど高くはない。
出口インターチェンジの番号や、路線名、ジャンクションでの標識は、方向(東西か南北か)や位置、基点からの距離(マイル数)など、法則性のある簡単な規則に沿って決められているようだ。日本の案内標識のように「○○方面」と書かれた矢印標識は少なく、初めは不自由を感じたが、その法則性を知るにつれ、意外と合理的だということがわかってきた。
<妻の一言>
マンモスケイブ国立公園を選んだ理由
私も学生時代に海外旅行が病みつきになったひとりですが、アメリカの国立公園はテレビや雑誌などを通じて知っているだけで、行ったことはありませんでした。
「サンフランシスコのゴールデンゲートとケンタッキー州のマンモスケイブから受入れ可能という回答が来た」と聞いてもピンときませんでした。もちろん、「国立公園局」というものも全く知りません。当初は、国立公園の中に住むというので、電気や水道はあるのか、近くにお店や病院はあるのかといった心配ばかり。そこでどんな仕事をするのかよりも、18ヶ月も生活していけるのか不安でした。
旅行雑誌やインターネットで現地の写真を見たり、情報を得て比較してみました。その結果、単純ですが、ゴールデンゲートは都会、マンモスケイブは田舎であることはわかりました。田舎は、(1)人々が親切、(2)都会より治安がよい、(3)アメリカといえば車社会だが、交通渋滞などもなく運転が楽、という私の勝手な先入観と、(4)カントリーライフへのあこがれ、という4つの理由からマンモスケイブを選んだのです。
事実、この4点はすべて当たっていました。日本人はもとより、外国人の少ないマンモスケイブで私たちは非常に目立っていたので、よくも悪くもみんなが注目してくれ、アメリカでの生活や公園での仕事を楽しむことができました。
以降、「ケンタッキー州のマンモスケイブからやってきた日本人夫婦」は、行く先々で珍しがられることになったのです。
この記事についてのご意見・ご感想をお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。
なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。