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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.074

Issued: 2018.02.09

ヒューマニズムの現在

八巻 和彦(やまきかずひこ)さん

八巻 和彦(やまきかずひこ)さん
早稲田大学名誉教授・桐朋学園大学特任教授。西洋哲学と文明論を専攻。
主たる研究対象は15世紀の思想家ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus)。
昨年刊行した著書、編著書として、『クザーヌス 生きている中世』(ぷねうま舎刊)、『「ポスト真実」にどう向き合うか』(成文堂刊)、“Anregung und Übung” (Aschendorff Verlag刊)がある。

 敗戦直後に生まれた「ベビーブーマー」の一人である筆者の子どものころには、「文化的」とか「科学的」とかという語と並んで、「ヒューマニズム」という言葉が、それの訳語としての「人道主義」と共に、新聞や書物にあふれていた。
 その結果、「人道主義」としての「ヒューマニズム(Humanism)」がおおいに人々から尊重されることになった。さらには人間に安楽さや便利さを提供するものは何であれ「良い」ものであるととらえられるようになった。するとその副産物として、日本の社会には「公害」と言われる現象が目立つようになってきた。

 熱烈な「科学少年」であった私も、高校生から大学生の頃になると「科学技術」を謳歌する風潮から距離をとると同時に、「ヒューマニズム(Humanism)」にも疑念をいだくようになった。ヨーロッパ語で‘….ism’とは、‘ism’の前にある‘….’の概念を中心に据える思想という意味なので、Humanismとは人間を中心に考えるということとなり、それが「公害」などを生みだしているのではないかと考えたわけである。学生になってからは「ヒューマニズム」でも「人道主義」でもなく「人間中心主義」と表記することにした。そして、大学での或るレポートに「Humanism・人間中心主義」と書いて提出したら、返却されたレポートには赤鉛筆で「これは不要」と先生が記していて、がっかりした記憶がある。
 あれから半世紀。今では、Humanismを「人間中心主義」と理解することがほとんど自明のことになっている。その背景には、公害問題どころか、人間による自然破壊とか地球温暖化というより大きな問題が一般的に共有されていることがあるだろう。「先進国」を中心に一定の反省と事態の改善への努力はなされているが、全世界の人口が70億人に近づきつつあるという人口圧力と、人々の「何とかなるさ」という短慮と、「無限に進歩する科学がいつかは解決してくれるさ」という根拠なき科学信仰とによって、本質的改善からはほど遠い現状にあるだろう。

 最近では、このような地球上の人間が引き起こしている一大変化の時代を、「人新世(Anthropocene)」と名付けようという動きが学界に生じている。つまり、地球は人間の行動の影響によって新たな地質年代に入っているという捉え方である。従来の地質年代の変化は、地球そのものの地質的変化や太陽系の変動によってひき起こされたのだが、今や人間の行動が地球全体に対して、新たな地質年代と捉えるべきほどの大変化をひき起こしているというわけである。 そして危惧されているのは、人類自身が自己の生存を不可能にするような事態や状況をひき起こすことである。それは言うまでもなく、核戦争や大規模な環境破壊であるが、最近では、環境ホルモンの影響により先進国の男性の精子の数が顕著に減少しており、このままでは受精を成立させえないほどの減少域に到達することも想定される、という報告もある(雑誌『世界』2018年2月号所載の水野玲子論文)。つまり人類「絶滅」の危惧である。

 翻って考えてみると、「ヒューマニズム」が「人道主義」として、そして人間の命が何よりも大事であるという意味として敗戦後の日本と世界で受け取られたのには、十分な理由があった。日本人だけで300万人、中国や東南アジアの犠牲者も含めると1000万人、さらに世界全体では5000万人以上の犠牲者が出たとされる世界大戦が終了した直後だったからである。人命が軽んじられることは二度とあってはならないという、当時の人々の思いの表明であったに違いない。
 しかしその後、「ヒューマニズム」が人間のエゴイズムの許容へと拡大解釈され、今や、「人新世」と名付けられるほどに人間が「のさばっている」。私は、人命尊重の意味での「ヒューマニズム」には全面的に賛同するが、人間のエゴイズムとしての「ヒューマニズム」は、なんとしても抑制しなければならないと思う。後者の「ヒューマニズム」の延長上に、核兵器や原子力発電のような恐るべき反人道主義的なツールが開発され利用されているのだからである。このようなものに頼ろうとするのは、思考の怠惰であり、人として恥ずべきことだと思う。


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