No.081
Issued: 2018.09.13
タイの僧侶と生活習慣病
- 夏原 和美(なつはらかずみ)さん
- 東邦大学看護学部教授(2018年4月に異動しました)。東京生まれ東京育ち。
アジア・オセアニアの食と環境と健康のつながりについて研究をしている。
東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻修了。専門は人類生態学。
2018年の6月に私の勤務先の東邦大学が大学間協定を結んでいるタイ王国のチェンマイ大学を訪問しました。看護学部では4年生になると、統合実習といって看護専門分野に分かれて行う4年間の学びの集大成ともいえる科目があります。今回は国際看護学を選択した学生6名の統合実習をチェンマイ大学看護学部に受け入れていただきました。 実習の事前学習でタイの文化について学んでいたときに、学生からある疑問が出されました。
「タイの僧侶は女性に触れてはいけないと聞いたが、病気になって入院したときにも女性看護師の行うケアを受けられないのだろうか」
確かに男性看護師は増えてきてはいますが、世界的にみてもまだまだ女性が圧倒的に多いのが看護の世界の現状です。男性看護師だけで入院中のすべてのケアを行うのは現実的ではありません。チェンマイ大学の方にこの点についてたずねてみると、
「大学附属病院では今、僧侶専用の病棟を建築中です。せっかくですのでそこを見学しませんか?」
という、全く予想外の答えが返ってきました。
見学の際に看護師長さんにうかがったお話によると、タイの僧侶の三大疾患は、高血圧、脂質異常症、糖尿病だそうです。肥満も多く、病気にならないように対策を立てなければなりません。ただ、生活習慣病と呼ばれるこれらの病気への対応が、僧侶の戒律があるため、一般の人のようにはいかないのが難しいところです。
例えば食事ですが、僧侶は托鉢で供養を受けたものしか食べることができません。つまり、自分で食事内容を選択することができないのです。お布施をするからには美味しいものを、と村や町の人たちが考え、お肉や甘いお菓子やお店で売っている味が濃いものを供養した場合でも、それを受け入れるしかないのです。
食事からのアプローチが難しいなら、運動を取り入れれば、と思いますが、そこにも僧侶ならではの難しさがありました。
「僧侶がジョギングやエアロビクスをすることを一般市民はまだ受け入れられないでしょう、僧侶はゆっくり動くイメージが強いのです」
と看護師長さんに言われ、うーんと唸ることしかできませんでした。
さらに、合併症予防の点でも課題がありました。糖尿病による神経障害や血流障害がある場合、足にできた小さな傷が潰瘍となり、足の切断に至る場合もあるため、足の保護はとても重要です。しかし、托鉢は裸足で行う決まりがあるため、例え糖尿病の診断を受けている僧侶といえども靴やサンダルは履けないのです。
お話を聞くうちに、僧侶の生活習慣病対策は八方ふさがりのように感じてしまいました。でも、タイの看護師さんたちは「環境を整える」ことを諦めてはいませんでした。お布施をする側の市民に「大切な僧侶を守るために健康的なお布施をしよう」という教育啓発活動をしたり、僧侶自身が血圧や血糖を測れるように教育をして、早期受診につなげたり、お布施の食べ物を全ていただくのではなく、残しても良いという感覚を僧侶の中に広める活動もしているそうです。
肝心の学生の疑問への答えです。
「僧侶専用病棟では男性看護師を募集はしていますが、たぶん男性だけでは足りないので、女性看護師もケアに入ります。病気の時に必要があって女性が触れるのは戒律に反しません」
ということでした。
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(記事・写真:夏原和美)
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