No.078
Issued: 2018.06.11
民主主義の現在
- 八巻 和彦(やまき かずひこ)さん
- 早稲田大学名誉教授・桐朋学園大学特任教授。西洋哲学と文明論を専攻。
主たる研究対象は15世紀の思想家ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus)。
昨年刊行した著書、編著書として、『クザーヌス 生きている中世』(ぷねうま舎刊)、『「ポスト真実」にどう向き合うか』(成文堂刊)、“Anregung und Übung”(Aschendorff Verlag刊)がある。
「民主主義」のことを英語で‘Democracy’と言うことは、知らない人がいないだろう。そして、日本やアメリカ合衆国が「民主主義国家」であることを疑う人も、ほとんどいないだろう。
しかし、「民主主義」とはどういう制度のことかを、しっかりと考えたり調べたりする人は、今の日本では残念ながらそれほど多くないだろう。それをじっくりと学ぶことは、――意図的にせよ、無意識のうちにせよ――敗戦後70年以上を過ぎた現在、ほとんどなされなくなってしまったようだ。
しかし私は、今、世界中で「民主主義」の空洞化が進行中なのではないかという危惧を抱いている。空洞化するとどうなるか。それは古代ギリシア時代の‘Demoscratia’に陥るということに他ならない。
世界史ではこのギリシア時代の政体を「衆愚政治」と表記することを、高校時代に世界史でならったことを思い出されるだろう。これが意味することは、ものが分からない大衆を政治に関わらせると、彼らは目先のことだけを追い求めるので、国家にとってはろくなことにならない、ということである。だから、ものの分かった人だけが政治に関わることがよいのだというのが、古代ギリシアの哲学での主流であった。
以来、ヨーロッパでは、王政か貴族政治が長く続いて近代を迎えた。その時に至って思想的な一大変革が行われた。それは、一般の民衆でもきちんと教育を受ければ<ものが分かる>ようになることが可能であるから、民衆も政治に参加させるべきだという、J-J. ルソーらの主張がフランスで市民権を得たということである。そして、それをベースにして1789年にフランスで「大革命」が成立した。それが、近代における‘Democracy’の始まりであった。しかし、女性の参政権は、民主主義の先進国とされるイギリスやアメリカでも1920年代に到るまで、そしてフランスと日本では第二次世界大戦の終了後までは、認められなかった。このような先人たちの苦労の結果として、今の民主主義があり、確かにその結果として、民主主義は人々の才能を開花させ、社会に豊かさをもたらした。
しかし、民主主義が、「衆愚政治」ではなく真の「民主主義」として機能するためには、それに参加する一般国民が<ものが分かる>ようになっていて、それぞれの国民が自身の政治的な課題と任務をきちんとわきまえて投票行動をすることが不可欠である。
その点が今、日本やアメリカ等では急速に弱まりつつあるのではないだろうか。日本の若い世代の投票率は著しく低い。総務省の調査によると、2017年衆議院選挙での20歳代の投票率は34%で、60歳代の72%の半分以下である。自分たちの将来に大きな影響を与える政治であるはずなのに、それに関心が薄いということだろう。
さらに深刻なことは、彼らの投票行動が、「フェイクニュース」と言われる、耳目に入りやすいが正確ではない情報によって左右されやすいことである。これは、ITの発達によって情報の受け渡しが、人類史上かつてなかったほど極度に個人化された結果として生じている事態である。
スマホを手放すことがない若者たちは、表面的な知識は豊富にもっていても、それの価値判断を冷静に行うことが出来にくい状況に置かれている。その結果、選挙の際には資金力の豊富な陣営がIT技術を駆使して、有権者をほとんど意のままに操作して自分の側に投票させることが可能になっていると言われている。それは、スマホ等を用いる人々の検索情報が蓄積・分析されて、それぞれの人の好みに応じた情報が提供されつつ、巧妙に誘導されるからである。イギリスのEU離脱投票の際にも、一昨年のアメリカ大統領選挙の際にも、このようなことが行われたと言われている。
こういうことは日本には起きていないのだろうか。また、こういう大規模でありつつも見えにくい世論操作に若者がさらされつつあることを、われわれは「自己責任」として放置しておいていいのだろうか。誰もが「自分は知っている、分かっている」と思いながら、壮大な「衆愚政治」‘Demoscratia’に陥りつつあるのが、日本をはじめとする「先進国」ではないのだろうか、と、今、私は心配になっている。民主主義という恩恵を受けるためには、われわれの側がなすべき努力もあることを忘れるべきではないだろう。
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