No.064
Issued: 2017.04.10
人は場所を選ぶ
- 松本 弥(まつもと わたる)さん
- 早稲田大学卒、専門は古代エジプト史。
日本オリエント学会正会員、大阪大学民族藝術学会正会員。NHK文化センター青山教室講師(2004年以来)。
著書に、『ヒエログリフ文字手帳』[自然風土のめぐみ編][人びとの暮らし・生活編]、『Let's Try! ヒエログリフ』、『黄金の国から来たファラオ』、『写真は伝え、切手が物語るエジプト』、『物語 古代エジプト人』など多数。
テレビでは、「サハラ沙漠 謎の岩絵〜エジプト文明の起源に迫る〜」(2009.NHKスペシャル)、「ひとはなぜ絵を描くのか」(2010.ETV特集)、「異端の王・ブラックファラオ」(2011.NHKハイビジョン特集)、「クレオパトラの古代エジプト天文学」(2015.NHK BS コズミック・フロント)、「メロエの古代遺跡群(スーダン)」(2017.TBS 世界遺産)など。
人は場所を選ぶ。何をするための場所かに合わせて、その環境のなかで、もっとも適した場所を選ぶ。私が遺跡を訪ねるのも、古代の人びとによって、なぜその場所が選ばれたかを実感したいからだ。こればかりは、他人の撮った写真や映像ではわからない。実際に、その場に立って、景色を見渡して、その場の空気に触れないことには理解できないと私は思う。
また今年も、どうしてもその場に立ってみたかった遺跡をリサーチし、挑戦した。訪ねたのは2月15日早朝。エジプト中部、ルクソールのナイル西岸、高さ約460メートルのナイル河岸段丘の頂上につくられた神殿遺跡である。通称は「トトの丘」という。「トト」は古代エジプト時代の知恵の神のことで、暦、時間、文字を司るとされていた。
その場所は、紀元前2000年頃、この地の王が国家を統一したことをきっかけに、天文観測を通じて、国家の暦、時間を正常に管理するために設けられたと考えられている。
当時の新年は、現在の暦で7月30日頃。この頃、天体のなかでもっとも明るい星シリウスが、日の出前の薄明時に、東南東の地平線から昇ってくる(この日までは、シリウスが太陽よりも後に昇ってくるので、夜間には見ることができない)。ちょうどこの頃、ナイルの水源のひとつであるエチオピア高原が雨期に入り、ナイルの増水がはじまる。およそ4ヶ月の増水季の間に、一時は水位が8メートルも上昇し、エジプトの耕地のほとんどが水没するが、この増水によっておのずと土壌改良がおこなわれた。人びとはこの自然現象によって水が退くと、豊かな収穫を約束する肥えた耕地がもたらされることを経験的に知り、ナイルの増水を期待していた。増水の季節はナイルの恩恵に感謝し、次の豊穣を祈る祝祭の季節だ。
天文神官はシリウスの出現を観測するために、「トトの丘」を選んだのだった。
ナイルの河岸段丘には1本の草もない。獣道のようでしかない登り道を、およそ1時間半かかって辿り着く。幅40メートルほど、高さ3メートルほどの日干しレンガの塔門に至って、振り向いて景色を見てみると、ナイルの流れが朝日に輝き、天文観測には絶好のポイントであることがわかる。磁石で確認すると、確かに神殿の軸線は東南東に向いている。この神殿の中心に座って明け方の東の空を観ていた天文神官の目には、オリオン座の印象的な三つ星が昇ると、少しの間を置いて明るく輝くシリウスの出現が映ったことだろう。
河岸段丘の上は平坦で、神殿の後方、2分ほど歩いたところには大きな水瓶などの遺物をともなって住居址も残っている。ここで寝泊まりして観測の任務にあたった者があり、彼らのために、日々の食糧、水を運んだ人びとがいたようすが鮮やかに甦る。
なるほど町から近くはないが、周囲を見渡してもナイルを見下ろせる場所でここよりの高見はなく、360度の地平線が見渡せる。ここが天文観測所として選ばれたことに納得である。
1年365日、12ヶ月、1日24時間を定めた人類の知恵の起源に触れることができる場所である。こうなると、次は7月30日の夜をここで過ごし、シリウスの出現を観測してみたくなる。
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(記事・図版:松本 弥)
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