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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.058

Issued: 2016.10.11

客船船長の職務

幡野 保裕(はたの やすひろ)さん

幡野 保裕(はたの やすひろ)さん
1944年 北京生まれ。
東京、横浜で幼年時代を過ごし、その後尼崎へ。高校時代は信州・長野で柔道の県代表インターハイ選手として活躍。
東京商船大学卒業後、'68年日本郵船(株)へ入社。以来14年間の海上勤務ではコンテナ船、オイルタンカー、バルカー船の経験を積む。また13年間の陸上勤務では主に船員の教育、労働管理、人事管理を担当。'89年に船長に昇進。飛鳥には、'95年4月より副船長として乗船後、'95年6月より2003年3月まで飛鳥船長を務める。 その間、4回の世界一周クルーズを指揮した。
2003年6月郵船クルーズ代表取締役常務、2005年4月同専務、2010年4月同顧問、2011年3月郵船クルーズ退任、現在は飛鳥IIのリピータクラブであるアスカクラブ会長を務める。

 今年の夏は、台風の発生場所も北上コースも、例年にない状況となり、飛鳥IIの運航も対応に苦労しました。
 北が好きな台風が多く、北海道が沖縄状態、飛鳥IIも大時化の三陸海岸沖の航行を避け、日本海に逃げ込み関門海峡経由で太平洋側に出たりすることが2度もあり、燃費に響きました。また、ショートクルーズのキャンセルも発生しお客様にはご迷惑をおかけしてしまいました。

 さて、今回は少し環境問題から離れて、そんな「客船船長の職務」についてお話しします。
 船長が職務で優先すべき事項は世界共通です。
 (1)人命の安全、(2)船舶の安全、(3)経済的な運航管理、(4)乗組員の士気の高揚、(5)自然環境の保護

客船の特殊性

 客船の船長は商船と異なり、はるかに多くの人間が関係する点が特色です。
 お客様はクルーズを楽しむためにご乗船されます、船が提供するサービスに好意的で満足してくれていることが客船の存在理由です。また、乗組員の圧倒的多数は船乗りと言うよりもホテル・レジャー産業の技術・経験を有する、第三次産業の人達です。
 この特殊性を十分に認識している事が客船船長にとっては不可欠です。

凪の太平洋を航行する飛鳥II号(撮影 中村庸夫氏)

凪の太平洋を航行する飛鳥II号(撮影 中村庸夫氏)


リーダーシップとマネージメント能力

 船長にはリーダーシップとマネージメント能力が必要です。
 これはあらゆる種類の船の船長に必要とされる能力ですが、客船の場合は特に、一般の商船と比較して圧倒的に多くの人間関係(お客様と乗組員)の中でそれが要求されます。
 リーダーシップの伝統的な定義は人間の資質でありましょう。それは常に仕事を通して人間の幅を広げていかなければならない、決して終わることのない努力と研究であると考えます。

(1)決断力

 客船の船長は好むと好まざるに拘わらず、すぐに渾名を付けられてしまいます。
 好意的な渾名を頂戴すれば幸いですが、その逆もあります。晴れ男もいれば雨男もいます。抜港船長という不愉快な場合もあります、自然が相手の仕事ですから多くは天の采配ですが、船長は不公平に渾名で評価されてしまう宿命を覚悟しなければなりません。

 船長を評価するには多くの言葉が使われます。曰く、「有能」、「陽気」、「勇敢」、「厳格」、「寛容」、「寡黙」、「公平」、「交渉力」、「カリスマ的」…船長としては、少なくともこのいくつかを所有していることが望まれるのです。

 私の信ずるところ、資質として必須なものは「決断力」です。
 過酷な自然環境のなかで孤立し、即現場で判断しなければならない緊張感は、色々な計器、通信設備の発展、情報収集手段の発達で随分緩和されました。正確な気象予報が何時でも得られます。事態解決に向けての適切なアドバイスも陸上からいつでも得られます。精度の高い船位をどんな荒天時でも知ることができます。
 それでも非常事態は依然として起こり、年に数回は危険を避けるため即座の決断を迫られるのです。進むか、待機するか、退くか、右か、左か、決められたスケジュールを維持するために、船の性能と自らの技術で安全と信ずる範囲内での決断です。
 今にして思うとそんな決断力の習得の基礎になっているのは、若かりし学生時代の横帆練習船での遠洋航海での経験・訓練だったと確信します。
 学生時代は帆船のデッキで、どうしてこんな時代遅れの航海術の勉強に苦労しなければならないのかと、ぶつぶつぼやいていたことを思い出しますが、その時に身に沁み込んだ自然と対話することや観天望気の精神こそが、確信をもって判断を下すこと、自分の目、感性、判断に自信を持つことに繋がっています。帆船訓練は船乗りにとって宝物です。

(2)マネージメント

船橋で入港操船する船長

船橋で入港操船する船長

 マネージメントの大部分は多くのお客様と乗組員との人間関係の管理です。
 会社の代表として、ホスト役として、お客さまを応接することは難しく骨の折れる仕事です。
 大抵は楽しく、時には恐ろしく退屈で、お客様がクルーズに不満足な場合は不愉快でもあります。
 お客様と接する機会を増やし、船内の状況を正確に把握することはクルーズを成功させるために不可欠です。船長はいつでも非公式に不平をいわれます。これは仕方がないことですが、むしろ船長に敬意をもって頂いている結果としてありがたく受け止め、そのことを自覚しておくことは肝要です。
 お客様の不平は直接接客するホテル部門の乗組員が受けることが多く、船長は彼らの負担をできる限り軽減してあげることが可能な立場であることを認識しなければ成りません。
 客船の伝統的な格言は、「全てのお客様が100%満足ということはあり得ない。不満足のお客様は必ず存在し、お客様の1%は確信犯で高待遇を狙って意図的に不満を言うクレーマー、5〜7%は真面目に不満を抱く人達、10%は自分の不満を他人に当たり散らす人達。第一のクレーマーには毅然として、第二の人達には忠告を早く受け入れサービスの改善に努める、最後の人達にはよく話を聞いてあげる」です。
 船長はそんな格言を胸に、気軽に、明るく、柔軟に、時には毅然とお客さまに接します。

 客船船長の特長的なところをまとめました。
 客船のマネージメントは幸にして、その組織が明確なヒエラルキーで確立されていることです。これは全ての船舶がそうであり、即断、即決が必要な船の現場で培われたものです。
 英語では「Chain of Command」の確立と言われます。

 船長は船舶の運航者としてはプロですが、機関関係、ホテル関係については素人と言ってよいでしょう。それぞれの部署にはプロの管理職がいます。信頼関係を築き、権限を委譲し、責任を取る覚悟をすれば、お客様にも乗組員にも大切にされます。
 また、船内で注目の的であり、自身で自分の考え方を表現し、お客様にも乗組員にもわかってもらえる場面が多くあります。
 船長が率先してお客さまに喜んで頂けるように行動すれば、幸いなことに、それはすぐに乗組員に浸透します。

 また、全ての能力に最優先されるべきはその運航・操船能力です。
 先ず、お客さまに快適にお過ごし頂くためには船を揺らさないことが重要です。
 海が相手、時化もあれば凪もありますが、航路の選定、針路、速力、スケジュールの確保、全てを考慮して揺れないように航行します。大時化でどうにもならない、そんな時にはお食事の時間帯、ショー・タイム、等々では揺れないように、針路を変え、船速を落とし、お客様がベッドに入られた時間帯はスケジュール確保のために速力を上げたりもします。

 客船の運航はお客さまに見せる要素が多く、景色のよい海域は陸岸に可能な限り接近し、景色が美しく見える時間帯やアプローチする方向も考慮します。赤道上や日付変更線上を航行するときには、お客さまにお知らせするサービスも必要です。
 大洋上は東西に航行することが多いので朝日、夕日の綺麗なときは針路を南か北に変え、舷側から見やすくします。
 入港・出港の操船をいかにスマートにするかも、船長の腕の見せ所です。
 お客様の信頼を得るためには、船長の卓越した運航・操船能力が大きな役目を果たします。
 これは一般商船では考えられないことです。


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(記事:幡野 保裕、写真のクレジットのないものは筆者撮影)

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