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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.053

Issued: 2016.05.12

出会いの不思議

草田 照子(くさだ てるこ)さん

草田 照子(くさだ てるこ)さん
歌人。長野県出身。
1981年、馬場あき子に師事。「かりん」会員となり、作歌を始める。編集委員を経て、選歌委員。
歌集『天の魚』『父の贈り物』『聖なる時間』など。歌書『うたの信濃』。
朝日カルチャーセンター新宿教室・横浜教室、昭和女子大オープンカレッジ各短歌教室講師。朝日新聞長野版歌壇選者。

 旅をしていると何もかもがそのとき限りで、もう二度と同じ人、同じ場面に遇うことはないという思いがして、急にさびしくなることがある。逆にいえば、それは次々に新しい土地や新しい人との出会いの可能性がさらに見込まれるということなのだが、たぶん、そう考えられるのはある程度若いときのことなのだろう。
 ただ、そうはいっても、たとえば飛鳥Uなどで航海中に出会う光景は、ときに夢かと思うようなこともあって忘れがたいものもある。去年、大西洋を渡ってカリブ海を南下しているときのことだった。11階のデッキからふと目を落とした船べりに、白い大きなイルカが立ち泳ぎしつつ、まるで笑っているかのように私たちを見上げていたのである。ほんの一瞬のことだった。もし、隣りに人がいなかったら、夢か幻と思うほかなかっただろう。今まで見かけた、集団でジャンプをくり返しながら海を渡っていくイルカとはまるで違っていたからだ。誰かに話しても信じてはもらえないそうもない、そんな偶然に遇うのも旅ならではの楽しみだ。

 人生はよく旅にたとえられる。それにしても、私と短歌との出会いは、そのような夢のようなものでもなければ、幻でもなかった。単にミーハー的で、むしろふわふわしたものだったかもしれない。30代後半のころ、偶然、当時のNHK教育テレビで馬場あき子が与謝野晶子について話しているのを見て、この人の講座を受けてみたいと思ったのが始まりだった。日常の中で立ち止まって自分自身の人生の時間を見つめてみたいという、もやもやを抱えていたころであった。短歌など一つも作ったこともなく、新聞歌壇さえも読んでいなかった。つまり、短歌は馬場あき子との偶然の出会いから始まったものであった。何でもよかった、たぶん他のものでも。今から思えば、あったのはかろうじて残っていた若さのみだった。
 こんなふうに短歌を始めることになった私が、やがて教室をもつようになり、今では新しく来られた方に「年なんて関係ないの。始めた時があなたにとって一番良い時期なのだから」などと言っているのだから、不思議といえば不思議だ。ともあれ、短歌を始めはしたが、私は頑固で不器用な性質なのでうまくいくはずがない。

 それでも、 短歌を続けているうちにさまざまな出会いも広がってゆく。馬場あき子が朝日新聞歌壇の選者をしているので、そのアシスタントとなり、4人の選者がともに仕事をする場に出るようになった。そして、亡くなった近藤芳美、島田修二、それに現代短歌を代表する佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏という歌人と触れ合うことや、そのほか同年代の歌人たちとの交流などが、少しずつ私を育ててくれた。「大きく」と言えないところが残念で、大勢の方に応援していただきながらと心苦しくもあるのだが、原因は全く私の頑固と不器用さにある。それでも今になってもまだ、飛鳥Uで教室を担当するようになって、またまた新しい出会いがあったし、教室を担当していると、年を経るにつれてさまざまの人との出会いも広がる。
 とりわけ、レギュラーのカルチャーセンターでの出会いは、期間が長くなることもあり、歌を通してよく知りあうことにもなるのでけっこう、深い友情につながることも多い。夫は病を抱えて長かったが、そのことで私を縛ることは厭うた。むしろ、普通にしてくれる方がいいという考え方だったから、最後の入院中も教室や歌の仕事は休まなかったし、葬儀のあとも普通に仕事をした。最もラッキーな出会いは、夫との出会いだったのかもしれない。


読みし本会ひし人よりなるひと生(よ)深く思ひて頭(づ)を垂るる夜    草田照子

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(記事:草田 照子)

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