No.046
Issued: 2015.10.09
キューバと結びつく、カナリア諸島
- 板垣 真理子(いたがき まりこ)さん
- 写真家、文筆家。
アフリカ、ブラジル、キューバ、バリなど灼熱の地を愛し旅する。著書、写真集、写真展など多数。「アフリカン・ビューティ」「キューバへ行きたい」「カーニバル・イン・ブラック」など多くの読者とファンを持つ。写真の審査員や、大学、専門学校で後輩の指導にもあたる。2014年、大同生命地域文化研究特別賞受賞。HP http://orange.zero.jp/afrimari/
2015年より、キューバ在住。現地からのリポートを届けます。
前回は、キューバの有機農業と、食の変化を想うことについて書いた。
今回は、大西洋を渡って、アフリカ大陸にこよなく近い「スペイン」、カナリア諸島について書く。7島からなるこの諸島の、一番アフリカに近い島からアフリカまでは100キロ程度である。いきなり、カナリア? と思われるかもしれないが、実は私は今、カナリア諸島に住んでいる。住み始めて三か月が経過。その理由については後に書くとして。
ここカナリア諸島と、キューバの関係の歴史は長く深い。あえてキューバだけではなく、キューバも含むカリブと中南米、と言っておいたほうがいいかもしれないが。というのも、以前、ここカナリア諸島から、大西洋を渡った先への移民がかなりな数あったからだ。カナリア諸島は来てみればわかるが、真水を得ることの難しい乾燥した土地柄である。現在は海水から得る水によって水道水は難なく蛇口から出てくる。ただし、飲み水としては使えないし、料理にも100%「買った水」が必要である。我が家にも、大型の飲み水のペットボトルの空き容器がずらりと並んでいる(どのくらい飲んだか観てみたいために、捨てずにいるせいである)。
そんな場所の土地はやはり痩せていて、農業に最適な、とは言い難い場所だったため、多くの人たちがキューバやベネズエラなどに渡ったという。現在ではもちろん、農業も主産業のひとつであり、バナナやトマトが特産品だ。
私のキューバの知人の中にも、聞いてみれば祖先にカナリアの人がいる、という人が少なからずいて驚く。
そして、今、その逆、つまりキューバからカナリアへ移住してくる人の数もまたかなりに上っている。キューバからの海外移住は、さまざまな理由があり、なに一つ「一概に言えるもの」などないが、カリブの島国と、地図で見ればあと一歩でアフリカ、という大西洋の端っこの島とでは、かなりな距離がありながら、こうした血統だけではなく、文化的なつながりもかなり多くみられる。
街を歩けば、「ハバナ・カフェ」があり、「マレコン・デ・ラ・ハバナ」というサルサを演奏するバーもあり、「ロミオとジュリエット」というキューバ産煙草の銘柄が描かれている壁にも出会う。ラム酒を置く店も多く、「モヒート」とキューバのカクテルの名前を言えば、訊きかえされることなくすんなりと出てくる。また、頻度はけっして多くはないけれど、キューバ独特の「アフリカ系の神様」のネックレスが、カトリック大聖堂の裏側で、さらりと売られていたりする。「これは?」と質問すると、「ああ、それはキューバの神様よ」と、これまたあっさりと答えが返ってくるのだった。
今、キューバからこの島国への「移住」は、そうそう簡単ではなくなっている、とも聞くが、カナリア諸島は人々に知られざるキューバの飛び地のよう…といえば少し大げさか。しかし、こんな場所であるとは驚きだった。
そもそも私がこうしてカナリア諸島に来ているのもキューバで習い始めた歌の先生がカナリア在住で、一時帰国中のキューバから、移住先のカナリアに帰ってしまったために、「もう少し習おう」と、一緒に来てしまったためである。あと少しで私は「ビザなしスペイン滞在期間の90日」が切れてしまうために、キューバに戻る予定であるが。
カナリアのもともとの先住の人たちは、グァンチェと言う名前の、「恐らく」アフリカのベルベル系の人たちなのではないか、とされている。後に、アラブ人、ノルマン人、ポルトガル人たちがやってきて、その後、カスティーリャ王国が支配した。スペインの、中南米進出のための重要な拠点だった。かつては、マグロ漁船の仕事のために日本の人もかなり多くいた。今は、100名いるかいないか程度であるという。
さて、主に人々の移民としての「ネイチャー」の話になってしまったが、ここは、アフリカにこよなく近い「スペイン」という特殊な土地柄だけではなく、「自然」もまた、特異である。二つの大陸、つまりは、ヨーロッパと、アフリカ大陸の北端を覆った氷河期の影響を受けなかったため、固有な生物種も多く、植物相を見る上でも重要な土地とされている。
また、スペインにある国立公園のうち、4カ所もがカナリア諸島にある。今、私の住むグラン・カナリアには一個もないのであるが、お隣の島、テネリフェ島にあるスペイン最高峰、ティデ山は、真っ黒な火山岩の山で、異様な雰囲気も漂っていた。ティデ山は、富士山よりほんの少しだけ低い。
そうだ、この島の名前にふれておかないと。日本で「カナリア」といえば、ほぼ皆が、あの黄色く可愛い鳥を思い浮かべるが、そもそもは「犬」の意味のラテン語だったという。あまりにも多くの犬がいたために、諸島の名前となったというのが一説。そして、その島にいる、「いい声で啼く鳥」をカナリアと呼ぶようになった、というわけである。もともとの種は、あの黄色ではなかったらしい。自治州であるここの、州旗の紋章にも、鳥のカナリアではなく、犬が描かれている。
カナリア諸島の自然は、島によっても異なりがあるが、特徴的なのは、一年中温暖で激しい温度の差がないことである。また、アフリカ大陸に近いのに、ほぼ一年を通して涼やかな風が吹き、実際の温度よりもはるかに涼しく感じる、そういう点では過ごしやすい場所である。
だた、なんといってもアフリカに近く。風の向きによっては、サハラからの砂風が吹いてきて、そういう日には風景がぼぉっと霞んでしまう。私がこの島に来た直後、ただ一回だけであったが、珍しく雨が降り、その雨が真茶色の砂色だったためにかなり驚いた。しかし、それはその時、一回だけである。かなり珍しいことのようだった。そもそも、年間降水量が200ミリ程度の土地である。サハラの風の吹かない日の空は「カナリアン・ブルー」とよばれる綺麗な色である。
茶色い雨の降った朝には「ブラウン・レイン」という言葉が頭に浮かんだ。「カナリアン・ブルーと、ブラウン・レイン」。それがなにかの歌か、なにかの詩にもならないままに、もうすぐ、「キューバへ帰国」の日が近づいてきた。また、あの暑く熱いキューバが待っている。
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(記事・写真:板垣真理子)
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