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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.034

Issued: 2014.10.10

江戸時代はエコ世界

古今亭志ん彌(ここんていしんや)さん

古今亭志ん彌(ここんていしんや)さん
 1974年 古今亭円菊師匠に入門、1988年 初代古今亭志ん彌となり、真打昇進。
 上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末広亭、池袋演芸場、国立演芸場など、都内各寄席などで高座を務める。
 好きな噺は、「大工調べ」「三方一両損」など江戸っ子が啖呵を切る噺や夫婦の情愛を描いた噺。出囃子は「元禄花見踊り」。
 落語のほか、芝居、オペラ、テレビなどにも出演。

 こんなに真剣に環境の事を考えたことがあるだろうか?何となく漠然とはいつも考えるが、自分の身において景観や日照、騒音を心配しなくてはいけないなどと思ってもみなかった。
 事の発端はというとこうである。
 我が家は都内某所の7Fである。住まいの前は低い建物で桜がまわりを囲んでいる。桜が満開になるとそれは壮観である。わざわざ遠くにお花見に行こうなどとは思わない。7Fからちょいと一杯やりながらお花見ができる。
 春夏秋冬いつでも遠くに富士山が見え、冬の天気の良い日などは富士山頂が荒れているのが良く判る。富士山初冠雪とニュースで聞けば窓を開けて確かめたりもした。前にさえぎるものがないからお月見にもって来いだ。騒音もないのでとても気に入っている。


 ここに三十年住んでいたが、今、一大事が起こっている。
 この広大な土地に18階建て、12建て、10建て、スーパー、有料介護施設が建つという、今までの景観、日照などが一挙に崩れていく。高い建物が今まで建たなかったのが不思議なのかもしれない。ではあるが、周りの環境がガタガタガタと音をたてて崩れていく。これは私、個人からみると壊れていくのだが、他所から見ると前進的建設なのかもしれない。
 しかし、この景観と日照を失しなうのはなんとももったいないなあ。そもそも高い建物にあまり魅力を感じていない。
 高村光太郎は智恵子抄で「東京には空がない」と言っているが、だんだん東京に空がなくなっていく感じがする。真上を見ないと青い空がないなんて気持ちが小さくなっていくように感じてしまう。
 ヒートアイランド現象だってそうだ。海風を遮ったせいで内陸が異常な暑さになり、夏場は気温の高さを競ている。どうして頭の良い方が多いのにそうなることが計算できないのだろう?不思議で仕方がない。
 発展し続ける事がいい事なのだろうか?高い建物を建てたり、原発を稼働させて、何十万年も地中に埋めておかなければならなかったりするのが、世に中の進歩なのだろうか?と疑問に感じてしまう。あらら?話が大きくなりすぎてしまったかな? 話を変えよう。

 今、「紙屑屋」という噺を稽古している。この噺はもう二十年ぐらい前に稽古してもらった噺だが、今一度やり直してみようと思い稽古しているところだ。
 大店の若旦那が遊びが過ぎて勘当され、知り合いの大工の棟梁の家に居候を決め込んだのはいいが、おかみさんと折り合いが悪く、とうとう追い出されて紙屑屋に奉公するという噺。
 ここで、白い紙、真っ黒な紙、煙草の空き箱、ミカンの皮、髪の毛などをそれぞれの篭に分別する仕事に就く。雇い主から「白い紙は白紙(ハクシ)と言って再生すればまだ使えるからこの篭に。黒い紙はカラス、もう使えないからこの篭に。煙草の空箱はセンコウガミと言ってまた再生するからこの篭に、ミカンの皮は珍皮(チンピ)と言ってきれいに洗って乾燥させて漢方薬などに使う(いまでは考えられない)。毛はケといって、鬘になったり、人形の髪として使うからこの篭に」と教わる。
 また、この紙屑の中から金貨銀貨、ダイアモンド、珊瑚の五分玉等が出て来ると、それを貰えるというので喜んで作業していると、手紙が出てきて読み始めてしまう。
 雇主に怒られて、「白紙は白紙〜カラスはカラス〜線香紙は線香紙、珍皮はチンピ、毛はケ」と、やっていると都々逸の本が出てきて、口三味線で歌いだす。
 若旦那に台詞に好きな個所がある「箸は右だと教えた親に左団扇をもたせたい。好きだなあ、こういうの。二重丸としておこう」なんて若旦那の言葉と思えない。
 また怒られて作業に戻り「白紙はハクシ、カラスはカラス、線香紙はセンコウガミ、珍皮はチンピ、毛はケ」とやり始める。「ものは大事にしないといけないなあ」とか「まだ使えるじゃないか、勿体ないなあ」とか若旦那を借りてそれとなくいわせているのがいい。おまけに、義太夫が出てきたり新内が出てきたりして演じ手が思う存分遊べる賑やかな噺である。
 こんな話に再生可能な紙を仕分けして使うのだ。などと教訓めいた事が有ろうとは思いもしなかった。
 最近環境問題やエコについての講演の時には、この「紙屑屋」を噺すことにしている。

寄席のそでの様子

寄席のそでの様子

 また「肥い瓶」別名「祝い瓶」はいつも世話に成っている兄貴分が引越しをいたのでお祝いを何にするかと考えたが、お金もあまりないので、馴染みの古道具屋さんへ行き、何がいいか考えた末、兄貴の家に水瓶が無いのを知り瓶を持って行くことになったが、この瓶がとんでもない瓶で(肥え瓶)、台所に据えて水で一杯にしたが、兄貴が瓶を覗くとオリが浮いているので「鮒はオリを食うってから、今度来るときには鮒、五、六匹持ってきな」「「いやあ、鮒には及ばねえ、いままで肥え{鯉}が入っていた」というサゲになる。
 屑屋さんや古道具屋さんが登場する噺が多々ある。屑屋さんが出てくる噺には「らくだ」「井戸の茶碗」「子別れ」、古道具屋さんがでて来る噺には「火焔太鼓」など。骨董になると「初音の鼓」「普段の袴」「大名房五郎」。
 まあ、ざっとこんな具合である。
 兎に角物を大事に扱う。鍋に穴が開けば直す職人(鋳掛屋)さんがいたり、桶の縁のタガが緩むとそれを直す職人(たがや)がいたり、着物も洗い張りして縫い直して使ったりしていた。
 使えなくなったらすぐに新しい物と買い替えるという事はせずに、まずは直して使う、最後まで使い切る。
 使い切る文化がなくなってしまっている感じがする。
 本来持っていた勿体ない文化をマータイさんに教えてもらって再認識するってちょっと恥ずかしい感がある。
 落語は本来遊び心が大事なので教訓的なものは良しとされないが、最近は少し落語を聞いて物を大事にすることを学べばいいのになあ…なんて思う。

 ああっ、噺家が教訓めいた事を言ってはいけないなあ。
 というような訳で、今回で古今亭志ん彌の環境さんぽ道コラムはお開きとなりました。
 へい。お後がよろしいようで。


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(記事・写真:古今亭志ん彌)

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