No.030
Issued: 2014.06.10
焼き芋と氷河?
- 古今亭志ん彌(ここんていしんや)さん
- 1974年 古今亭円菊師匠に入門、1988年 初代古今亭志ん彌となり、真打昇進。
上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末広亭、池袋演芸場、国立演芸場など、都内各寄席などで高座を務める。
好きな噺は、「大工調べ」「三方一両損」など江戸っ子が啖呵を切る噺や夫婦の情愛を描いた噺。出囃子は「元禄花見踊り」。
落語のほか、芝居、オペラ、テレビなどにも出演。
千葉の知人の家で久々に焚火をした。
子供の頃は当たり前に焚火をしていたはずだが、都会では近頃、焚火をする事が出来なくなった。子供のころは浦和に住んでいたが、冬、小学校に通う途中で藁で焚火をしている農家があった。毎朝、そこの方が「温まっていきなよ」と声を掛けてくれたので数人で藁の焚火を囲んで温まってから登校した。炎がまだ立たずに煙がモコモコと立ち上っている。どういう訳か煙を避けようとすると必ず煙が自分たちをめがけて来る。煙との鬼ごっこだ。煙を沢山被り一日中藁の煙の臭いに囲まれているのはいい心持だった。
たまにこの焚火の中に芋が入っており「食ってけ」と焼き芋をくれた。焼き芋を頬張りながらの登校である。先生が後ろからチリンチリンと自転車のベルを鳴らしながら来た。「おおっ!今日はもうけたなあ!」と言って白い息を吐いてス〜と行った。僕たちはフフ〜しながら暖かい焼き芋の息を吐いて行った。それが冬の日課となり、焼き芋がないと「今日はハズレだ」などと言いながらの登校は楽しいものだった。
火を見ているのが好きだ。囲炉裏の火。暖炉の火。臭いも好きだ。
寄席の楽屋には未だに火鉢で炭を熾す。大御所と云われている噺家が炭を熾して上手く熾ると自慢気な顔をしていた。
噺家になって「何が趣味ですか?」と聞かれ、思わず「焚火です」と答えた時、聞き手が妙な顔をした。「焚火の会」などというものをつくり焚火をするためにだけ集まる会を作ったこともある。しかし今では焚火をするのもひと苦労だ。昔は紙などのごみを庭先で平気で燃やしていたのだが、今はそれも出来ない。焚火どころか伝統的な野焼きなども規制されそうだ。この火にもいろいろあり純粋な火がいい。純粋な火の臭いがいい。火や煙の臭いに純粋も不純もあるか?と言われればそれまでだが、私の中にはある。
焚火や野焼きぐらいは地球温暖化には関係ないと思っていたらそうでもないようだ。「塵も積もれば山となる」というが「火も積もれば温暖化」か?
数年前飛鳥という客船の仕事でアラスカに行ったことがあった。広大な景色に圧倒された。氷河が海に流れ出るところを見るために大きな飛鳥が氷河ギリギリまで迫っていった。巨大な氷河がピッチ・ガッチ・ピッチ・ガッチ、と氷の割れる音がする。ドドド〜ンと氷河が崩れ落ちていく。このアラスカの絶景を見ながら飛鳥のジャクジーは楽しいものだった。更に夜のアラスカでジャグジーに入ってみようと友人を誘った。ジャグジーに入ったのはいいが出ようとするとたちまち歯の根が合わなくなりガチガチ音がした。そのまま陽が昇るまでがジャグジーに入っていなくてはならないのか?と思われるほどの寒さだった。
氷河が海に崩れ落ちるのは、自然現象で、温暖化でなくても崩れ落ちるものだ。しかし、崩れていく速度が速くなっているのは、これは地球温暖化によるものと断定できるらしい。白熊はどうなるんだろうか?アザラシは?極寒で暮らしている人たちの生活はどうなるんだろうか?など自分が心配しても何にもならないけど、やっぱり考えてしまう。数年後には北極の氷が無くなり航海が可能になるという事だ。
今、まさにこの原稿を書いている時に、海水温度の上昇によって南極の棚氷が数十年後に消えてしまうという事が判ったというショッキングなニュースが耳に入ってきた。大変だなあ。
以前地球温暖化防止の為に自分が出来ることは?と知人に聞いてみれば、
「早く寝て早く起きる事だよ」
「ええっ?」
「朝、早く起きて、明るいうちにやることやって、早く家に帰って早く寝る。こうすれば電気を使わなくても済むだろう。ささやかだけどこれをみんなでやるんだよ。節電になるし、まあ、ちょいと便利さからのダイエットをするだな」
そうか、大仰な事は出来なくてもチョイと気を遣えばいいんだ。そうか、それこそ「塵も積もれば山となる」だなあ。と妙にガッテン!ガッテン!ガッテン!した。
取りあえず寝よう。お休みなさい。
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(記事・写真:古今亭志ん彌)
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