No.026
Issued: 2014.02.10
思えば遠くに来たもんだ
- 古今亭志ん彌(ここんていしんや)さん
- 1974年 古今亭円菊師匠に入門、1988年 初代古今亭志ん彌となり、真打昇進。
上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末広亭、池袋演芸場、国立演芸場など、都内各寄席などで高座を務める。
好きな噺は、「大工調べ」「三方一両損」など江戸っ子が啖呵を切る噺や夫婦の情愛を描いた噺。出囃子は「元禄花見踊り」。
落語のほか、芝居、オペラ、テレビなどにも出演。
噺家になって四十年になろうとしている。古今亭志ん彌。今年六十四歳になる。
まさか自分が噺家になろうとは正直思ってもいなかった。なんの因果か?因縁か?
大学生の時に寄席に入ったのがきっかけだ。薄暗い階段をトコトコと三階まで登っていく。そこは池袋演芸場。昼間の寄席はなんと、お客様が三人しかいなかった。
まだ早いから、これから混んで来るんだろう?しかし、終演まで十人にもならなかった。それでも笑い声は沢山あった。こんな世界もあるのか?「へえっ?」てな感じだ。
ウン。これで暮らしていけるならいいなあ。「ヨシ!落語家になろう」押上にある師匠の門をたたいて「落語家に、弟子にしてください」と、押しかけたのはつい昨日のようだ。師匠は古今亭圓菊。マスコミには全くと言っていいほど無縁の噺家であった。「悪い事は言わないからやめた方がいいよ。食っていけないよ。大変な世界だよ」何度も断られたが、どうにか弟子にしてもらえた。勿論給料はない。自分でどうにかしなくてはならない。ただ御飯だけは充分に食べさせてもらった。通い弟子だったので交通費を工面するのが大変だった。上野から浅草を通り、吾妻橋を渡り、押上まで歩くことも度々あった。
掃除、洗濯、食事仕度、後片づけ。子供のおもり。その合間に噺の稽古や着物の着方、たたみ方。袴のたたみ方。師匠とおかみさんがどこの馬の骨だかしっぽだか判らない小生に教えてくれた。寄席の楽屋に入れたのはそれから半年後だ。見習いとして働き始めた。
給金は?人様に言えないほど情けない額だった。それでも嬉しかった。その時になって
「ああっ!大変な世界に入ってしまった」
と実感した。が、もうやめるわけにもいかない。前座にも格があり一番上が立前座。そして前座。見習い前座。年齢に関係なく入門順である。中学を卒業したばかりの兄さんがいた。この先輩が寄席がハネて(終わって)からちょいとご馳走してくれる。香盤が一枚でも上なら後輩にはご馳走するという習わしだから「半分出します」なんて言うとかえってしくじってしまう。
寄席は太鼓で始まり、太鼓で終わる。開場時に叩く一番太鼓。「ドンドンドンとコイ。ドンドンドンとコイ」とお客様が大勢お見えになるように叩く。各師匠の出囃子の太鼓も前座が叩く。そして終演時の追い出し太鼓はお客様が早く出ていけ、とばかりに「デテケ、デテケ、デテケ」と叩く。すべて先輩前座が教えてくれた。
驚いたのは売れっ子真打でも、また大御所と云われてる師匠でも、擦り切れてミシンで修理してある帯を絞めていた。「なんてしみったれだ」と思ったが今になってその帯を使っているのが良く判る。今では自分でもかなりヨレても使っている。しみったれてるわけではないのだ。使いやすいのだ。手になじんでいる。身体になじんでいるのだ。同じ帯でも使いやすい帯とそうでない帯がある。足袋の親指の処がかなり怪しくなっていても「まだ大丈夫だな、勿体ないよなあ」と、自分に言い聞かせている師匠もいた。
「噺家自体が世間の無駄なんだから、食べ物でもなんでも無駄にするな」とのべつ言われていた。前座修行中は無我夢中だったが、今思うと面白かったなあ。失敗ばかりだった。前座から二つ目、そして真打昇進。小生も真打になり二十数年が経った。真打ちになり暫くしたら小生のような者にも弟子入りを志願してくる若者がいた。なんども断ったがとうとう弟子にした。
それから数か月後。水道局の方が来て、
「漏水してませんか?ちょっと調べてもいいですか?」
「なんで?」
「いや、どうも急に水道代金が倍に上がっているので漏水しているんじゃないかと思いまして?」
検査をしてもらったが何でもなかった。
「お宅はご夫婦二人暮らしですよね」
「そうですが」
「おかしいなあ?こんなに急に増えるなんて」
「メーターが壊れてるんじゃないですかねえ?」
「いいやそんなことはないんですよ」
「ああっ、今、弟子が一人いますのでそれで増えたんじゃないですかねえ」
「でも一人じゃあこんなに増えないんですよ」
どうも妙な感じだ。驚いたのは翌朝、弟子が掃除をするときに雑巾をバケツに水を溜めるでもなく、水道の蛇口を全開のままでジャアジャアと水を流してゆすいでいた。ゆすいで拭き掃除をしている時もしっかりとは止めていない。チョロチョロ流れ出している。ああっ、これだ。雑巾のゆすぎ方、搾り方から教えなくてならなかった。その後は水道料金も基に戻った。
先輩諸氏はなんでも大事にしていた。なんでも大事に使わなくては可哀そうだ。噺も丁寧に。優しく。大切に。そんなことを知らず知らずのうちに前座修業が学ばせてくれたんだ。修行は有り難いもんだ。
あれから四十年か。思えば遠くに来たもんだ。
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(記事・写真:古今亭志ん彌)
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