No.023
Issued: 2013.11.08
音が消えて心に残るもの
- 後藤 泉(ごとう いづみ)さん
- ピアニスト。
ソリストおよび室内楽奏者として国内外で活躍。ウィーンフィル首席奏者との共演も多い。ベートーヴェン〜リスト編:交響曲第3番「英雄」&第1番のCDをリリースしているほか、この交響曲全9曲をレパートリーとしている。
お話つきのコンサートや、他分野の方々とのコラボレーションも好評。
最近、ごく近い空間でのサロンコンサートの機会がとても増えました。大きなホールとは違った一体感や臨場感、親しい雰囲気などが魅力ですが、ある時、ピアノのすぐ近くに座られたお客様から、ピアノの音ってこんな風に消えるのですね、と言われたことがあります。
弦楽器や管楽器は弓や息を長く使うことで、音が出た後もコントロールし増やすことまで出来ますが、ピアノの音は鳴らしてしまったら最後、どれだけ頑張っても音は消えていく運命を逃れることは出来ません。打鍵の瞬間より後は鍵盤を押そうとも、揺らそうとも、顔をしかめようとも、空を仰ごうとも、音はただ消えていくのみなのです。
消えていくものに尽くす手がないことは、寂しいことですが、でもこの音の減衰こそが私はピアノの音のもっとも美しく愛おしい特徴だと思っているので、お客様からの一言はとても嬉しく感じました。
冬のキエフで、シュニトケ作曲「ピアノと弦楽器のための協奏曲」を演奏させて頂いたことがあります。この曲の最後の部分は音が遥か宇宙の彼方に飛び去るがごとく静かに神秘的に終わります。またベートーヴェンのピアノソナタ「テンペスト」の最終楽章の最後の部分では、この曲で起こったすべてのドラマがつむじ風が吹き去ったように消えてしまいます。ドビュッシーの「沈める寺」では町が再び海に沈んでいき光の届かない世界へ溶け込んで終わります。
これらは私がもっとも好きなエンディングで、曲がひとつの物語であり、ひとつの人生であるとしたら、このように曲が終わり消えた後の静寂はとても神秘的で、死への回帰のような、どこかへ戻っていくような穏やかな懐かしさを感じます。
一方、始まりの好きな曲の一つが、ベートーヴェン:交響曲第九番「合唱」の静かな出だしです。まるで宇宙の始まりのように暗闇に塵が浮遊して、それがひとつのエネルギーへと爆発する瞬間を待ちかねているかのようです。この静けさと緊張感がやがて爆発し、2楽章3楽章を経て、第4楽章の歓喜の歌へと続いていきます。
ベートーヴェンの交響曲をリストが編曲してピアノ1台で弾けるようにしたものがあります。私はピアニストには叶わないことだと思っていた、交響曲を自ら演奏し体験出来る喜びに魅せられてしばしばコンサートで演奏しています。CDも第3番「英雄」&第1番をすでにリリースさせていただいていますが、今年の年末に向けて、この「第九」をリリースすることになりました。
宇宙の始まりのような静かな大好きな出だしから圧倒的な力強さで終わる最後の盛り上がりまでを演奏していつも思うのは、この曲から与えられる力の凄さです。最後の音が消えた後、そこに残るのは充実した生の喜びであり、明日への希望です。もしも、この世が「第九」のない世界だったら・・・なんと寂しいことでしょうか!
聴いてくださる方々へもこの思いが伝わりますようにと願ってこれからも演奏したいと思っています。
「ベートーヴェン(リスト編曲):交響曲第9番」(後藤 泉:ピアノ)MM-2169(2013年11月25日発売)より
(mp3形式 770KB : 49秒)
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記事・写真:後藤 泉(ごとう いづみ)
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