No.019
Issued: 2013.07.09
セーヌ川遡上で出会った光
- 後藤 泉(ごとう いづみ)さん
- ピアニスト。
ソリストおよび室内楽奏者として国内外で活躍。ウィーンフィル首席奏者との共演も多い。ベートーヴェン〜リスト編:交響曲第3番「英雄」&第1番のCDをリリースしているほか、この交響曲全9曲をレパートリーとしている。
お話つきのコンサートや、他分野の方々とのコラボレーションも好評。
フランス、セーヌ川の河口からルーアンまでを約5万トンの大型客船で遡ったことがあります。セーヌ河口からルーアンまでは、直線距離で70キロ。川は蛇行を繰り返すため航行距離は約130キロにもなります。6時間あまりをかけてのゆったりとした船旅は、5月の爽やかなお天気に恵まれました。
手の届きそうな両岸に広がる青々とした牧草地帯と森、丘の斜面にときおり顔をのぞかせる白い岩肌、真っ白い船体を浮き立たせるようなどこまでも青い空に浮かぶくっきりと切り取れそうな雲。それらは限りなく明るく透明な日差しの中で、ゆったりと移ろって行き、蛇行する川を静かに進む船の後ろにはゆるやかに水紋が広がっていきました。周囲を流れて行く風景はまるで光に満たされた印象派の絵を見ているようでした。
パリの街中で見るセーヌ川もしっとりと独特の雰囲気を醸し出して大好きだったのですが、この川上りがこんなにもいいお天気に恵まれあまりにも鮮やかな風景を見せてくれたことで、私にとってのセーヌ川は、まったく違う表情をも持つさらに魅力的な川となりました。
私が20代の頃、初めてフランスに行くことになったときに、フランスで長く勉強し生活していらしていたことのある恩師ゴールドベルク・山根美代子先生が仰ったことは、「色を見て来なさい」ということでした。とりわけフランスで他と一番違うのは紺色だと。日本の深い紺色とは違う、鮮やかな紺色を見てくるべきだと仰いました。初めての異国の地では見るものすべてが身体に新しい風を吹き込み、見事な夕焼けや、ひまわり畑や、バゲットの香りや、フランス語の響きなど、それはそれは忘れられない体験となったのですが、肝心の「紺色」には、残念ながら「これだ!」という出会いを出来ないままでした。
船が到着したルーアンはジャンヌ・ダルクの処刑地としても知られている町です。船から降りて街を歩き大通りを抜けて、モネの描いた絵でもよく知られた大聖堂を訪れました。静かな内部のひんやりとした空気の中で、一隅に佇むマリア像はステンドグラスからのバラ色の柔らかい光に包まれていました。それは忘れることの出来ない美しさでした。
恩師の言葉から15年あまりが経ちましたが、セーヌ川遡上の一日のうちに出会った、身体を貫き通すような鮮やかな光と、身体に沁み入るような柔らかい光によって、紺色の違いは「光」を見ることだと思うようになりました。そしてもうこの世では会うことの出来ない恩師の心に触れられたような気持ちになりました。
今回も音楽をお楽しみ頂ければと思います。ドイツの作曲家J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲のプレリュードに、フランスの作曲家グノーがメロディーを乗せました。バッハ〜グノーのアヴェ・マリアとして知られている曲です。時代も国も超えた合作ともいえる作品です。光のプリズムのような美しさを持つ曲だと思います。
「バッハ〜グノー:アヴェ・マリア(ピアノ:後藤 泉)」
(mp3形式 3.2MB : 2分45秒)
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記事・写真:後藤 泉(ごとう いづみ)
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