No.089
Issued: 2010.06.10
第89講 EICネット最終講宣言 ―― 未知の世界へ
口蹄疫対策への疑念
Aさんセンセイ、昔センセイのおられた宮崎が大変なことになっていますね。
H教授(暗い顔で)口蹄疫のことだろう。
3月末から疑われる事例があったが、4月に入って急速に拡大。20日には農水大臣を本部長とする口蹄疫防疫対策本部が設置された【1】。だが封じ込めに失敗し、県内で爆発的に感染が広がり、5月22日には当初否定していたワクチン接種をついにはじめた。20万頭以上にワクチンを接種するとのことだ。
5月28日現在で232の農場で感染が疑われている牛や豚が見つかっている。それが見つかると、その農場内の全頭を殺して埋めなきゃいけない。殺さなければいけない牛は2万頭、豚が13万頭を越していて、大半は殺したけど、埋葬処分等が終わっていないのも多い。
Aさんえー、全部で15万頭以上も殺しちゃうんですか。
H教授いや、ワクチンはウイルスの爆発的な伝播を抑えるために接種しただけで、抗体と感染とを区別することは不可能だから、接種した20万頭も最終的には殺さねばいけないんだ。
Aさんそ、そんなあ。なんでそんなことが。
H教授家畜伝染病予防法でそう定められているんだ【2】。口蹄疫の感染が疑われたら、ただちにその農場の全頭を殺処分し、農場の責任で速やかに埋葬しなければならない。
そしてその農場周辺10キロメートル以内では生きた家畜や殺処分した家畜の移動を禁止し、10〜20キロメートル以内では生きた家畜の移動を禁止している。
それだけではなく、5月22日には口蹄疫対策特別措置法を全会一致で成立させた【3】。殺処分に強制力を持たすこと、消毒、埋葬場所などを国の責任で手当てすること、受けた損害は国が補償することなどが決められた。1000億円はかかるそうだ。
FAOも「世界的にみて過去十年間で最大規模の発生」だとして他国に感染させないよう全国規模で感染を封じ込めるように要求している【4】。
Aさんそうか、口蹄疫ってそんな恐ろしい病気なんですね。人間で言えばペストみたいなものですね。
H教授う〜ん…牛や豚がどんどん死んでいくという悲惨な伝染病だったらよくわかるんだ。どんな可哀想でもやらねばならない。でもそうじゃないらしいから、不思議なんだ。
Aさんどういうことですか。
H教授口蹄疫は主として偶蹄目といって牛や豚、羊など蹄が二つに割れている動物がかかるウイルス性の急性伝染病だ。
ウイルスの型によって幾つかのタイプのものがあるそうだけど、発熱、下痢そして口のなかや蹄の付け根などの皮膚の柔らかいところに水泡ができて、ものが食べにくくなり、肉質が落ちたり乳の出が悪くなるんだ。
Aさんそして衰弱してどんどん死んでいくんじゃないんですか。
H教授いや、確かに伝染性はきわめて強いようだけど、死亡率はおとなの牛や豚でせいぜい数%だ。仔どもの場合は死亡率が50%近くに達することもあるそうだけど、そう高いとはいえない。
Aさんでも、いったん罹っちゃうと、死ななくたって深刻な後遺症があるんじゃないですか。
H教授発症したら水泡のあとにやがて瘡蓋ができて、それがぽろっと落ちたら治癒、元通りになるらしい。発病から治癒まで一週間程度と新聞に書いてあった。
Aさんえっ? たったの一週間?
あ、ひょっとして人間に伝染しないようにかな。狂犬病は犬だけでなく犬から人間にも伝染し、人間が死ぬこともあるんでしょう?
H教授人間に伝染することはきわめて稀で、死亡例も知られていない。法律で禁じられてはいるけど、感染した牛や豚の肉を食べても感染しないそうだ。
Aさんだったら、なんで、殺処分だなんてそんな残酷なことをしなければいけないんですか。
H教授だからそれがわからないって言っているんだ。全国に広がるからといったって、一週間程度で回復するものなら、なんで殺さなきゃあいけないんだ。
ボクらは牛や豚を食って生きている罪深い存在だ。でも食べるんだったら仕方がないけど、それ以外の理由で大量殺戮するというのはどうにも納得がいかない。誰か教えてくれないかな。ある掲示板でも、そういう議論がなされていた。
Aさんこの問題は環境省は関係ないですよね。
H教授畜産業から排出される家畜の死体は産業廃棄物になっている。今回のことで何か対応をとったかどうかは知らない。
石綿訴訟で国の敗訴
Aさんうーん…。ところでアスベスト工場の元労働者の集団訴訟、国が敗訴しましたね。
H教授うん、大阪泉南地区は中小の石綿紡織工場の密集地帯だった。そこの労働者や周辺住民とその遺族29人が肺がんやアスベスト肺などに罹ったのは国が規制を怠ったからだと訴えたんだ。
泉南地区は100年ほど前、日本ではじめて石綿紡織工場ができた土地で、それ以来の重要な地場産業だった。
Aさん29人中、26人に国の不作為責任を認め、4億円強の支払いを命じたんですね。
どういう不作為だというんですか。
H教授アスベストは1959年にはアスベスト肺の、1972年には肺がんと中皮腫の原因物質であるという知見は概ね集積されていたのに、労働省はその時点で必要な規制を行わなかった。これが不作為だとされた。
なお、一般環境中においてもアスベストによる健康被害が生じうるという知見が1989年以前に集積されていたと認める証拠はないとしている。
いずれにせよ長年の筆舌に尽くしがたい原告の方々の苦しみが、少しでもこの判決で癒されればいいと思う。
Aさん国の不作為についてセンセイはどう思われます。
H教授国に不作為があったとされ、直接的には労働省が責められている。
今も言ったようにいい判決だとは思うが、もし仮に労働省の担当官が、あるいは担当部局がその時点で必要な規制を行おうとしても、到底できなかっただろうということだけは言っておきたい。
Aさんどうしてですか。
H教授昔から新たな規制の導入は役人の勲章だし、その省やシマの利権にも関係してくる。だから可能なら規制しようとしたはずだ。
それができなかったのは、たとえそうしようとしても産業界や他省庁、政治家やマスコミ──つまり社会の総体──がそれを許さなかったに違いないからさ。そういう時代だったんだ。その意味では犠牲者の方々は時代の犠牲者として手厚く報わねばならないし、二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。
ところで、キミ、来年度から化石燃料の使用を半分にするような規制が可能だと思うか。
Aさんえー、なんですか、いきなり。そんなことできるわけないじゃないですか。
H教授どうして?
Aさんどうしてって言われたって…。
H教授50年後の裁判官はそうしなかったことは国の不作為だと断罪するかも知れない。そのことを充分に知っておいた方がいい。
アスベストは確かに健康被害が知られてはいたけど、その当時は「静かな時限爆弾」だなんて誰にも思われていなかったんだ。
判決では触れられていなかったけど、70年代初頭に大阪府ではこの泉南地区を事実上のターゲットとして一般環境中へのアスベストの排出について条例で規制を導入した。もちろん、現時点でみると、きわめて緩い規制だけど、まったくの四面楚歌のなか、大げさに言えば命がけで導入したことは環境行政の誇りといっていいと思うよ。
Aさん政府は控訴するんですか。
H教授まだ決まっていないが、控訴しないことを祈るな【5】。 そしてこの判決の翌日──まあ、偶然の一致だろうが──、それまで肺がんと中皮腫に限定されていた石綿健康被害救済法、通称石綿新法の対象疾病に重症石綿肺とびまん性胸膜肥厚を追加する施行令の改正を閣議決定した【6】。
Aさんアスベストについては、第31講 アスベストのすべてを参照してくださいね!
14年ぶりの「もんじゅ」運転再開
Aさんあと5月に入り14年ぶりに高速増殖原型炉「もんじゅ」が運転再開しましたね。
H教授まだ本格稼動までは行っていない。臨界を確認した1時間後に19本の制御棒のうち2本を入れて未臨界の状態に戻したそうだ。
本格運転は2013年春の予定で、それまで臨界、未臨界の状態を繰り返し、各種実験を行うそうだ。
高速増殖炉については、前にも取り上げている【7】から、おさらいしておくとよい。
Aさんいつから商業運転ができるんですか?
H教授そんなのわかんないよ。
原子炉の開発では、発電設備のない「実験炉」が第一段階で、茨城県の「常陽」がそれだ。次の段階が出力28万kWの原型炉。技術上の問題点を調べて経済性を試算する段階で、「もんじゅ」がまさにそれに当たる。第三段階が出力50〜75万kWの「実証炉」で、大型プラントでの経済性を重視した検証を行うものだ。これの目標が2025年だが、場所も何も決まっていない。
その先の「商業炉」は2050年目標だから、随分先だ。事業主も未定だし、実用化されるようになるかどうかも不透明だ。
Aさんそんなのんびりしたことで大丈夫なんですか。国際的にはどうなっているんですか。
H教授実証炉はロシアが建設中。原型炉を運転しているのはロシアと日本だけだ。実験炉もロシア、日本以外はインドだけ。
エネルギー需要が逼迫しているところ以外は依然様子見といったところじゃないかな。金属ナトリウムを制御するのは容易じゃないし、生み出されるプルトニウムの管理をどうするかも大問題だからなあ。
温暖化アラカルト
Aさん地球温暖化の方は何か動きがありましたか。
気象庁の発表では09年のCO2濃度が観測史上最高だったと発表したそうですが。
H教授うん、人為の影響の小さいバックグラウンド濃度ということで岩手の三陸、東京の南鳥島、沖縄の与那国島の三箇所で定点観測しているんだが、三箇所とも年平均値でいずれも390ppm弱と過去最高を記録したそうだ。
Aさんそんな中、温暖化対策基本法【8】が衆議院の環境委員会で強行採決されましたが、そのまま成立することになるんでしょうか。
H教授大気汚染防止法・水質汚濁防止法一括改正法は成立したが、温暖化法とアセス法改正はどうなるか微妙だ。とにかく政局が緊迫しているからねえ。
ただ、温暖化基本法で面白かったのは自民党と公明党がともに対案を出し、反対したことだ。
Aさん当然でしょう。野党なんですもの。
H教授いや面白いのはその反対理由なんだ。
自民党は景気対策等からして、条件付き2020年対90年比25%はやりすぎとして反対。ま、福田内閣や麻生内閣のときと同じスタンスだから、それはよくわかる。
不思議なのは公明党で、福田内閣や麻生内閣の温暖化対策の一翼を担っていたはずなのに、「条件付きがけしからん、無条件に2020対90年比25%を目指すべき」として反対。
つまり、つい先日まで連立を組んでいた二党がそれぞれ正反対の立場から反対したというわけだ。
Aさん米国の温暖化法案のことも新聞には出ていましたねえ。
H教授うん、下院では2020年に対05年比17%カットの法案を可決しているが、上院では共和党が反対していて難航している。
そのため、共和党の主張にも配慮した新たな修正案を出したんだ。
原子力発電の導入と、沿岸の石油・天然ガスの探査が凍結されていた海域での凍結解除を盛り込んだものなんだ。ところが…。
Aさんメキシコ湾での原油流出事故ですね【9】。
H教授うん、4月末に国際石油資本の英BPが採掘権を持つ掘削基地が爆発し、海底に沈没。海底の油井と基地を結んでいたパイプが倒壊し、原油が流出し続けている。トップキルという封じ込め作戦も失敗し、いまだ解決のメドは立っていない。
現在までの推定流出量は7000万リットルと、89年アラスカ沖の4200万リットルを上回る米国史上最悪の原油流出事故となっていて、漁業や環境、観光に大きな被害が生じている。
BPと掘削基地の運営会社が責任の押し付け合いをしていて、オバマさんは「ばかげたほど見苦しい」と強く批難している。
Aさんとなると沿岸油田の開発促進などとんでもないという議論になりますね。 つまり、温暖化法を通すための妥協自体が批判されて…いったいどうなるんですか。
H教授さあなあ…。
Aさん海底は油田だけじゃなく、メタンハイドレートだとか、夢のような、でも一方じゃあ危険と隣り合わせの話もありますね。
ところで潮力だとか波力で発電はできないんですか。
H教授原理的にはできるが、実用化の域に達していないということで、公的支援が受けられないんだ。もっとも受けられたとしても日本の場合は結構難しいだろう。
Aさんどうしてですか。
H教授ヨーロッパでは海上にずらーと風車が並んでいる写真をよく見るだろう。でも日本ではほとんど見たことがない。どうしてだと思う?
Aさんさあ…。
H教授日本では海で何かしようとすると、必ず漁業権との調整が必要になる。つまり、それだけカネがかかるんだ。
漁業に実際に影響がなくたってカネがかかるだとか、自分はサラリーマンでも死んだ爺ちゃんが漁業者でその関係で自分も漁協の組合員だから今でも漁業権があるなんていう話もよく聞く。
それが本当だとすれば、漁業権も水利権などと一緒に、一度見直す必要があるだろうな。
そんな中、東電が銚子沖で洋上風力発電の実証事業に乗り出すそうだ【10】。なんとかうまく行ってほしいね。
引越し宣言
Aさんセンセイ、今回の時評も環境と直接は関係ない話や、独断と偏見、暴論・愚論満載で、編集部も困惑するんじゃないですか。
H教授当然カットされるんだろうな(寂しく)。ただ、ボクの信念として、環境行政だけで完結しているわけじゃなくて、政治、経済、社会や生活との関わりの中で環境問題を見ていかなくちゃいけないと思っているんだ。
Aさんそれはわかりますけど…。
H教授とはいっても、事業仕分けだとかなんだとかで、公益法人を取り巻く状況も激変している。
EICネットも公益性・公平性を強く求められるようになってきて、個人の意見を前面に出したこの時評が掲載しづらい状況にあるようだから、この際、EICネットから撤退して、うちの学部のホームページに引越ししようかと思っているんだ。
Aさんえ? 学部のホームページ編集委員会がOKと言ったんですか?
H教授それはこれからの交渉次第だろう。
Aさんそんなのムリ、載せてくれるはずがないじゃないですか。
センセイ、うちの学校じゃあ“歩くセクハラ”だって言われて、教職員からも学生からも忌み嫌われているんですよ、知らなかったんですか。
H教授知、知らなかった…(激しく落ち込む)。
Aさんそう落ち込まないで下さい。アタシがセンセイのために掛け合ってみますから。じゃあ、来月はどうするんですか。
H教授うん、第89講まで延々と書いてきたんだから、節目の第90講は引っ越すに当たって ―― 引っ越せればだけど ―― 読者からご意見を頂戴し、それにお答えしてEICネットと最後のお別れをしようかと思っているんだ。
Aさんご意見ねえ。来るのかしら。読者の皆さん、何かご意見があればお寄せくださあい。お願いします。
注釈
- 【1】口蹄疫防疫対策本部の設置
- 口蹄疫の疑似患畜の確認及び口蹄疫防疫対策本部の設置について(農水省報道発表)
- 【2】口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫指針
- 特定家畜伝染病防疫指針について(平成16年12月1日公表)(PDF:292KB)
- 口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫指針
- 【3】口蹄疫対策特別措置法の成立
- 提出時法案(衆議院)
- 【4】口蹄疫の脅威増加を警告
- FAO が口蹄疫の脅威増加を警告する(FAO日本事務所)
- 【5】
- 政府では、当初控訴断念の方向で調整してきたが、最終的に高裁控訴を決定した。
- 【6】石綿新法の施行例改正について
- 「石綿による健康被害の救済に関する法律施行令の一部を改正する政令」について(お知らせ)
- 【7】高速増殖炉について
- 第18講(その4)「核燃料サイクルと高速増殖炉」
- 【8】温暖化対策基本法について
- 第87講(その1)「難産の末、温暖化対策基本法案まとまる」
- 【9】メキシコ湾の原油流出事故
- Oil slick in the Gulf of Mexico (NASA)
- 【10】洋上風力発電の実証実験
- 洋上風力発電システム実証研究の委託先を決定 ―国内初の沖合での洋上風車の実証研究開始へ―(NEDO)
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なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(平成22年5月30執筆 6月1日編集了)
註1:原稿にあった、環境に直接関係しない(社民党、連立政権離脱!)(事業仕分けー官からの天下りと民からの天下り)の項は、編集部判断によりカットさせていただきました。筆者のブログでお読みいただけます。
註2:本講の見解は環境省およびEICの見解とはまったく関係ありません。また、本講で用いた情報は朝日新聞と「エネルギーと環境」(週刊)に多くを負っています。
註3:次講は読者からのご意見を紹介するとともに、コメントをお返しする場として、EICネットからの撤退の言葉に代えさせていただきたいと思います。なお、これまでの80数回の原稿に対し担当のS1さんや某公益法人のS2兄が事実誤認や誤字脱字等のチェックをしてくれていて、そういう意味では合作と言ってもあながち間違いではありませんでした。これまでのお二人のご厚情に深く感謝します。草々。
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。