花粉症
H教授どうしたんだ、浮かぬ顔して。
Aさんあーあ、やだやだ。また花粉症【1】のシーズンなんですよ。
もううんざりだわ。センセは大丈夫なんですか。
H教授ああ、なんともないよ。
Aさん(小さく)そうか、鈍感な人は花粉症にならないのか。
H教授え?
Aさんいや、なんでもないです。でも、これってやっぱり環境問題じゃないんですか?
H教授まあ、広い意味では環境問題なんだろうな。都市部の方が発生率が高いことから、大気汚染との関係が疑われてる。
Aさん具体的にはどういうことなんですか?
H教授都市部以外の方がスギ花粉が多いから、普通に考えれば郊外の方が発生率が高くなってもいいんだろうけど、現実は逆に都市部の方が多くなっている。つまり、大気汚染など都市部特有の環境問題との複合的な影響が疑われるわけだ。
Aさんなるほどね。ところで、花粉症って大昔からあったんですか。
H教授ぼくが子どもの頃は聞いたことがなかったなあ。高度経済成長が始まってから、広葉樹の林【2】をどんどん切っちゃって、スギやヒノキの一斉造林を始めたからじゃないかなあ。
現在では森林面積の3分の1以上、国土面積の4分の1がスギ、ヒノキの造林地だ。
そのうち半分はなんの手入れもせず、放置されているそうだ。そうしたところでは、ひょろひょろした弱々しい木ばっかりで、もはや材としても使いものにならず、ただ花粉をまきちらすだけ。
Aさんえー、どうしてですか。もったいないじゃないですか。
H教授高度経済成長の初期の頃に、大々的な人口の流動化が起こりだした。つまり、若者がどんどん都会に出ていったんだ。山村は人手が減って、林業の担い手は不足しがちになった。
一方、ほぼ同時期に、燃料革命や化学肥料の普及が重なって、薪炭林【3】が不要になった。里山の雑木林では、10〜20年の周期で伐採して燃料に使うのと同時に、落ち葉などを堆肥に活用するなど、エネルギー的にも物質的にも循環型の生活が成り立っていた。里山林というのは、そうして人手が入ることで維持されてきた二次的環境だから、価値を失ったことで放置され、著しく荒廃していったんだ。
Aさんへえ、踏んだり蹴ったりじゃないですか。
H教授そう、だから、林野行政も大転換を図ることになった。
山の木々は一斉皆伐されて、スギ、ヒノキの造林地になった。林業の大規模化・機械化が進められていったわけだ。
当初は国有林会計も黒字になるなど成功したようにみえたものの、高度成長のあおりで、人件費が高騰するとともに、貿易が自由化され、外国産の材木が安価に流通するようになると、国内の林業は一気に斜陽化してしまったんだ。
人工林というのは、下草刈りや間伐、枝打ちなど折にふれ適切な作業をしていかないとよい材にはならないんだけど、人手不足や価格競争で外国産材に太刀打ちできなくなるなど、もはやマメな林地管理の作業を続ける意欲さえ失って、完全に放棄されるようになったというのが全体的な傾向だろう。これは、外国、特に東南アジアや南米などでの熱帯林の破壊を招くという別の問題も生んでいる。
日本は国土の67%が森林という世界屈指の森林率を誇っているのに、林業は片隅に追いやられ、木材需要の8割までが外材に頼るという木材輸入大国になっちゃった。国有林経営をやっている林野庁もリストラにつぐリストラで、ギブアップ寸前。ほんと、ヘンな話だよね。
Aさんその放置された人工林はそのまま放っておくとどうなるんですか?
H教授さあ? 台風なんかで倒れたり、へたすればほうぼうで山崩れを起すかもしれない。ま、100年か200年もすれば、もとの広葉樹林になるかもしれないが、その間の災害のもとになりかねない。
Aさんじゃ、どうすればいいんですか。
H教授第1講でいったように、いまいくつかの地方自治体では、危機感をもって、緑の公共事業【4】だなんていって、こうした森林の手入れだとか、間伐材の利用だとか、針広混交林化だとかをやろうとしているし、地球温暖化防止対策で森林の吸収機能の評価が追い風になって、農水省も「バイオマスニッポン総合戦略【5】」だとか、昨年末に出した農林水産環境政策基本方針【6】なんかでも、こういう動きを加速させようとしているみたいだけど、それには1日もはやく、従来型の公共事業を見直さないといけないよね(→「ズッコケOBが語る環境省論」)。
Aさんあのお、センセイ。どんどん花粉症の話題から外れていってしまうんですけど。
H教授そうそう、ゴメン。ぼく自身がまだ花粉症じゃないから、あまり切迫感がない。でも、女房も次男も数年前から花粉症には悩まされてるみたいだ。
でもねえ、ライフスタイルが変わったことによる体質の変化というのも相当あるんじゃないかなあ。花粉症以外じゃ、小児アトピー性皮膚炎なんてのも随分増えているような気がするな。
Aさんじゃ減ったものって、なんかあるんですか。
H教授たとえば、冬の手の平や指先のヒビ、シモヤケなんて代表例だろう。冬でも室内は暖かくて、給湯設備が整ったためだろうな。それに昔の子どもってのは、たいていリンゴのような赤いほっぺたをして2本の青い鼻汁を垂らしていたもんだけど、最近そういう子どもは見たことがない。こういうのもライフスタイルの変化が影響しているかもしれない。
Aさんライフスタイルの変化ってなんだろう。食生活の変化ですか、それとも化学物質とか食品添加剤とかそういうものですか。環境ホルモン【7】じゃないんですか。
H教授さあねえ、でもぼくが聞いた中で、おもしろかったのは、花粉症やアトピーが寄生虫との共生をやめたせいで増えたという説。
Aさんはあ? 寄生虫との共生?
H教授うん、昔は100%、今でいう有機農産物を食べていた。肥料はし尿だよね。だから、カイチュウ、ギョウチュウ、サナダムシのような寄生虫が、たいてい腸内に棲んでいて、しばしば虫下しを飲まされたもんだ。つまり否応なく、共生していた。無論、寄生虫は悪さもしたけれど、アレルゲンに対する抵抗力、免疫力をつけていたというんだよね。
でも、化学肥料や農薬を使うようになり、そうした寄生虫を人体から徹底的に駆除してしまったことで、免疫力やアレルゲンに対する抵抗性が低下したというんだ。
実証するのはむつかしそうだけど、なるほどなあと思えるだろう。
Aさんふうん、もしそれが正しければ、花粉症は文明病ってことになりますね。
ヒートアイランド対策
H教授そうかもしれない。同じように、文明化・都市化の生理現象としての環境問題にヒートアイランド現象【8】がある。ヒートアイランドって知ってるよね。
Aさんまかしといてください。都市部の気温が周辺地域に較べて高くなる現象で、地図上に等温線を描くと都市部が島のようになる現象ですね。
H教授そう、都市部ではエアコンだとか自動車の排熱が多いうえに、地面もコンクリートで固められてるから、その排熱が気化熱として奪われにくくなっちゃうんだ。
例えば東京都心部の気温はこの100年間で、3.8度も上昇している。いわゆる地球温暖化現象で全球平均温度の上昇が100年間で0.6度なんていわれてるから、いかに大きいかわかるよね。
Aさんそうですよね。クーラーなんていうけど、じつは室内の熱を外に出して外を暖めてるんだから、地域にとってはヒーターですもんね。
で、表があんまり暑いから、室内に入ってますますクーラーを強くして、よけいに表を暑くしちゃって、という悪循環。それで冷房病になっちゃうんだから世話ないですよね。
でも、センセイの家だって各部屋にエアコンつけてるじゃないですか。
H教授来客のあるとき以外はほとんど使ってないよ。ちゃんと環境のことは考えてるんだ。
Aさんただケチなだけでしょう。学校の研究室じゃ、遠慮なく使ってるんだから。
H教授え? あれは部屋ごとに切れたんだっけ?(とぼける)
それよりも、暑いからって人の研究室に勝手に入り込んで、コーヒーを沸かして飲んでたのはどこのだれなんだ。
Aさん(舌を出して)しまった。やぶへびだった。
ま、でも冬は過ごしやすくなったかもしれないですね。
それはそれとして、政府のヒートアイランド対策はどうなってるんですか。
H教授ヒートアイランド現象自体はずいぶん昔から言われていた。東京とか大阪といった自治体では屋上緑化への補助だとかで、ヒートアイランド対策をはじめ出したけど、政府では、いわゆる消極的権限争い(→第5講)で、主務省庁すら長い間決らなかった。
2年前、ようやく関係府省会議が発足、当初は課長レベルだったけど、その後、局長レベルに格上げされ、昨年末には「ヒートアイランド対策に係る大綱骨子案【9】」をまとめた。
今年度中には数値目標も入れた大綱を策定するとのことだ。この大綱が将来新法制定までいくのかどうかだねえ。
Aさんどんな内容なんですか。
H教授人工排熱の低減、地表面被覆の改善、都市形態の改善、ライフスタイルの改善という4本柱だけどねえ、正直言って、ヒートアイランド現象自体がなくなるなんてことは到底考えられない。ヒートアイランド現象の進行が若干でも改善されればめっけもんてところじゃないかな。
Aさんえ? なんで、なんで?
H教授これは長らく、消極的権限争いがつづいたことと関係あるんだけど、ほとんどの現実的に考えうるメニューは、実は別の行政目的のためにそれなりに実施されてきているんだ。例えば、有力なメニューである都市内の緑地を保全し、増やすことなんてのは、ヒートアイランド現象とは関係なく、それなりに進めてきたよね。省エネだってそうだ。
各省にしてみればヒートアイランド対策にも寄与するって名目で増額要求しやすくはなるだろう。だけど、ヒートアイランド対策の本線となる、抜本的な政策というのは考えにくいから、どの省も及び腰だったんだ。
Aさん対策の本線になるはずの抜本的な対策って?
H教授ヒートアイランドの真の元凶ってなんだと思う。
Aさんえ?
H教授都市化とエネルギー消費の増大だよ。そして、これこそがいままでの日本の発展を担ってきたんだ。
都市部でのエネルギー消費はある試算では注がれる太陽エネルギーの1割にも達するという話を聞いたことがある。田舎の100倍くらいになるんじゃないかな。
でも都市を解体して、田舎へもう一度人を帰すなんて、できる話じゃないだろう?
つまりヒートアイランド現象の完全解消なんて、まず不可能なんだ。
Aさんじゃ、なにもするなっていうんですか。
H教授そんなこと一言もいってないよ。シジュフォスの神話じゃないけれど、人が人であろうとする限り、少しでも進行を食い止めるための最大限の努力をしなくちゃいけない。
そして同時に、都市化ということの意味をもういちど問い直さなきゃいけないんだ。
Aさんあーあ、やっぱり将来は田舎に住もうかなあ。その方が「環境にやさしい」んですよねえ。
H教授そんなことはない。そりゃ、田舎に住んで自給自足の生活をしてりゃそうだろうけど、クルマを乗り回して買い物したりする生活なんだから、1人当たりのエネルギー消費でみりゃ、都会人の方がぐんと少ないさ。
Aさんセンセイの話聞くと混乱しちゃうなあ。どうすればいいのかわからなくなるじゃないですか。
都市景観と街づくり
H教授混乱するのは時代それ自体が混乱しているからさ。
例えば、都市の問題でいうと、建築基準法が都市再生とかなんとかの理由で、規制緩和された。傾斜地なんかのマンションなんかだと最高地盤より下の部分は、地下室扱いになり―俗に「地下室型マンション」なんて言われているよね― 、高さ規制が実質的に大きく緩和されたし、容積率にも地下室部分を算入しなくていいみたいな特例ができるなど大幅緩和された。これまで高層マンションがつくれなかった地域で建築が可能となり、各地で「景観利益」が侵害されたとして反対運動が起きている。
Aさん景観利益?
眺望権とか景観権とかいうのは聞いたことがありますけど...。
H教授眺望権ってのは、自宅からの眺望を楽しむ権利と言うことで、それを建物なんかが建って阻害するのは眺望権の侵害だっていう意味で、使われるけど、他人の家からの眺望を妨げないっていう義務の方はあまり感じられないから、違うんじゃないかな。
景観権ってのはよく知らないけど、ま、似たような意味かもしれないね。
Aさん上から読んだら、景観権、下から読んだら県関係か...。
H教授バカ! ともかく、住民がまちの景観や風致を享受する権利というべきもので、同時に住民自身がそれを乱さないようにする義務を負う。
ところが、住民や市が景観利益という観点から建築基準法以上の厳しい自己規制を敷いていているところで、この規制緩和が悪用されて、とんでもない地下室型高層マンションが計画され、裁判沙汰になっている例があるんだ。
一方で、ちょうど今、住民意見を取り入れた街づくりの推進を謳って、建築物の色彩まで規制する「景観形成法」という新しい法律をつくろうとしているけど、これは本来でいえば順序が逆だよね。
Aさんどういうことですか?
H教授つまり、景観形成法のスキームがあって、それに乗った規制緩和であればいいんだろうけど、一方で土地価格の流動化とマンション建設を加速させることによって、都市再生という名の、ゼネコン、不動産業界の救済をねらった―あ、これはボクの独断と偏見だけどね― 規制緩和の流れがありながら、もう片一方では、住民主導の景観利益を街づくりのルールにするという2つの流れが交錯してみえてしまう。混乱するわけだね。
本来、生活に関わることについては、国は標準を決めればいいのであって、地域・地域では、特に住民が入った組織が決めるのであれば、上乗せ、下出し、横出し なんでもありというのが地方分権の本旨じゃないかな。
Aさんで、裁判の結果は?
H教授景観利益をめぐる裁判では、建築基準法の高さ制限よりきつい制限を地元住民と市でルール化している地域で、建築基準法の高さ制限めいっぱいまで建てようとした高層マンションが景観利益に反すると訴えた裁判で地裁、高裁段階では、住民側勝訴の例も出ている。国立市や名古屋白壁地区の住民訴訟だ。
地下室型マンションの判例はまだないと思うけど、ぼくの知っている例では、高さ10メートル以内、つまり3階建て以下に限るとか、厳しい規制がかかり、そのうえに住民たちがそれ以上の暗黙の街づくりルールで厳しい自己規制をしてきて、落ち着いた風情の低層住宅地をつくりあげてきた「第一種低層住居専用地域」に、実質5階建ての大きな地下室型マンションが建てられるという問題が発生し、景観利益に反するとして裁判沙汰になっている。
Aさんでも、法律の基準を一応満たしていれば仕方ないんじゃないですか。
H教授そういう見方もできるというか、従来はそれが主流だった。でも実際には、そんな場合でも、いままでは要綱をつくったりして、行政指導で、そうした暗黙の街づくりルールをカバーしていたことが多かったんだ。
でもそういう行政指導は不透明でけしからんという時代になってきたんで、都市計画法の「地区計画制度」で、それを法定化しようとしていた矢先に起きた事件なんだ。
問題は暗黙の合意としての街づくりのルールがある場合に、それが実定法上は担保されていない段階での景観利益が民法上の保護に値する権利といえるかどうかだよね。
Aさんセンセイはどう思ってるんですか?
H教授これまでの常識じゃむつかしいんだろうけど、やっぱり時代が変わりつつあるんだろうと思うよ。先に述べたいわゆる国立事件の判決(東京地裁)や名古屋白壁地区の仮処分決定(名古屋地裁)などが出されていることは、こうした景観利益が民法上の保護に値する権利であるという見方が法的に成立しうることの証左じゃないかな。
昭和40年代の前期、各種公害法規がなお未整備で不十分な中、司法が先導的な判決を出し、そのことにより、公害行政が飛躍的な進化を遂げたこと―例えば無過失責任制度【10】の公害法規への導入など― もあるから、司法が立法、行政をリードすることだってあるんじゃないかなあ。
まあ、こういったことを意見書として裁判所に提出した。
Aさん法律にド素人のセンセイが? そりゃ逆効果じゃないですか?
H教授な、なんだと! 法律は法律家や法学者のためにあるんじゃない。国民のためにあるんだ。ぼくは国民の一員としての素朴な意見を述べただけだ。
Aさんはい、はい、わかりました。ところでセンセイ、今回は環境省のあまり絡んでいない環境行政の話に終始しましたね。
H教授はは、ある人から、アンタのは環境行政時評じゃなく、環境省行政時評だっていわれたからね。でも、ヒートアイランドの関係府省会議では環境省は国土交通省とならんで事務局、取りまとめ役になっている。もっとも環境省自身の施策はあまりなさそうだけどね。
Aさんほかに何か動きはありましたか。
船舶の排ガス規制導入へ
H教授うーん、今年に入ってからは取材をさぼってるんだけど、そうだなあ、船舶について、はじめて排ガス規制をすることになりそうだ。
Aさんへえ、今までなかったんですか。
...なんにもセンパクだったんですね。
H教授く、くだらん!
...それはさておき、移動発生源【11】というとクルマばかりに注目が集っていたけど、船舶からの排出量の占める割合は、SOx【12】では大阪兵庫京都の近畿三府県では46%、NOx【13】でも近畿地方では16%に達するそうで、結構多いんだよね。
マルポール条約【14】が来年にも発効しそうだというので、海洋汚染防止法【15】を改正して規制する方針のようだ。日本船籍の船は大半クリアしそうだけど、外国船籍の船まで規制されるらしいよ。
Aさん移動発生源ならもうひとつ鉄道はどうなんですか?
H教授さあ? でも鉄道はほとんど電化されてるから必要ないだろう。
それより飛行機排ガスがまだ残っているんじゃなかったかな、いちど調べてみよう。昔、光化学スモッグに飛行機排ガスが大きく関係しているなんて説もあったしな。ま、いささか珍説、奇説の部類かもしれないけど。