ネオコンの恐怖
Aさんセンセイ、浮かぬ顔ですね。
H教授ああ、これほど大義のない戦争もめずらしい、ネオコンはこれからの世界のガンだね。
Aさんネオコン? ゼネコンとかボデイコンなら知ってるけど...。
H教授冗談言ってる場合か! ネオコンはネオコンサバテイブの略、新保守主義などと訳されているけど、ウルトラ米帝国主義とでもいったほうがいいんじゃないかな。
Aさんこれからイラクはどうなるんでしょう?
H教授ぼくとしては反フセイン・反ネオコンのイラク市民革命が起きて戦争を終結してほしいんだけど、春の夜の夢なんだろうなあ...。
Aさんセンセイ、そう落ち込まないで。こういうときこそセンセイの専門の環境問題を話してください。
H教授ぼくは環境問題の専門家なんかじゃないよ。たまたま環境庁に勤めていたから、門前の小僧が習わぬお経を読んでるに過ぎないよ。
Aさんそういじけないでくださいよ。
そういえば、第3回世界水フォーラムが開かれてましたね【1】。結構盛会だったみたいじゃないですか。こういうところからかすかな希望が生まれないですか?
H教授(気を取り直す)うん、そうだな。おもしろいと思ったのは、この水フォーラムは国土交通省、つまり旧建設省が後押ししていたんだけど、こんな場合、他の省庁はお付き合い程度ってのがふつうなんだ。ところが、今回はどの省庁も結構熱心に関与しようとしていたみたいだし、地方自治体レベルでは環境部局が非常に熱心に取り組んでいた。
それから、関連行事がやまほどくっついてて、それは行政サイドが上から組織したものだけでなく、いろんなNGOが押しかけ参加していたってことだ。自分たちが水フォーラム関連行事だと宣言し、主催者の運営委員会に通告すれば、関連行事になってしまったらしい。運営委員会でも全貌を把握しきれてなかったんじゃないかと思えたほどだ。あの組織論はちょっと昔のベ平連を思い出すよ。
Aさんベヘーレン? なんです、それ?
H教授いや、いい、死語だから。
Aさんふーん、で、この水フォーラムのみどころはなんだったんですか?
H教授1、2月はイラクや北朝鮮に霞んで、ほとんどメデイアにも取り上げられなかったけど、3月に入ってからメデイアでもよく取り上げられるようになったから、それを見てくれ。
一言でいうと、水質だとか水量だとか、そういった個別の視点ではなく、もっとトータルで国際的な水循環、水環境の永続的な保全利用の必要性が語られるようになったことかな。閣僚会議宣言もそれが色濃く滲んでたね【2】。国連安保理とえらいちがいだ。
Aさんでも、具体的な政策としてなにかあるんですか?
H教授うん、それがまさに問題だ。一発花火のお祭りで終わるのか、この動きが地下水脈のようにどんどん政策領域まで浸透していくかが問われている。キミはどう思う?
Aさんそんなのわかんないですよ。
H教授どうして?
Aさん所詮、ミズものですもん(笑)。
H教授(溜息)そんなことを言ってる場合か...。
Aさんちょっと笑ってくださいよ、そのために言いたくもない駄洒落を言ったんですから。
H教授そうか、キミにもそんな気配りができたんだ。
PCBの教訓
Aさんそれでセンセイ、そのほかに先月はなにかありました?
H教授そうそう、PCB処理計画がようやくまとまったって記事があったね。カネミ油症が1968年、その原因物質とされたPCBの製造禁止が1972年のことだ。処理技術・方針が確定されるまでPCB製品の保管を義務付けたんだけど、未だに処理方針が確定しないまま30年以上経った【3】。
新規化学物質というのは事前に十分チェックするとともに、その安全な廃棄処理技術を同時に開発しておくことが大事だと思うよ。
Aさんちょ、ちょっと、そんないきなりPCBだなんて言われたって、ワタシ知りませんよ。ワタシの生まれる十数年まえのことですもん。
H教授こらこら、また年齢詐称だぞ。
ま、キミが知らないのもムリはないな。PCBというのはポリ塩化ビフェニールという有機塩素化合物で、さまざまな優れた特性を持っていたので、コンデンサーだとかトランスだとかノンカーボン紙だとか広い範囲に使われていたんだ。
それが、じつはある事故をきっかけに毒性が話題になり、ついに製造禁止になった。ところがPCB入り製品は、もう至るところにあり、回収するすべも、処理技術も確立しないまま、とりあえず製品の所有者に保管を義務付けた。
ま、実際にはカーボン紙なんて、かなりの部分が行方不明になってしまったらしいけど。
その後、処理技術自体は開発されたんだけど、その際、ごく微量ではあるもののPCDDやPCDF【4】ができることから、処理施設の建設に周辺住民が反発して、いまだに部分的にしか処理されていないんだ。
AさんPCDD、PCDF? なんですかそれ。
H教授いわゆるダイオキシンだよ。こういえばわかるだろう?
Aさんキャー、ダイオキシンだって、こわいよお。
ダイオキシンの虚実
H教授じゃ、キミはポリ塩化ジベンゾ-パラ-ジオキシン、つまりダイオキシンのことをどの程度知っている?
Aさんえーと、非意図的化学物質ですよね。つまり作るつもりじゃないのにできてしまう物質。
H教授お、むつかしいコトバ知ってるな。意図的に作られる新規化学物質だったら「化審法」って法律があって【5】、毒性、分解性、蓄積性などの観点からのチェックがなされるんだけど、非意図的にできてしまうってやつは対応がむつかしい。
で、そのほかには?
Aさんまかしといてください。史上最強の毒物で、発ガン性があって、環境ホルモン作用もある、とっても恐ろしい物質ですよね。たしかごみ焼却場の排煙が最大の発生源ですよね。
H教授うん、日本では可燃ごみのほとんどは燃やして減量している。世界一のごみ焼却大国といっていい。だから、大気中の濃度も欧米より相当高かった。いまじゃ厳しい規制をしているから欧米並みになったけど。
魚や底泥を含む水系での検出地点の数も年々増えていっている。20年前には検出されなかったような場所からも続々検出されるようになった。
Aさんえー、ほんとですか。それってたいへんじゃないですか。
H教授事実だから仕方がない。もっとも、検出限界が下がったからだということでもあるけどね。
ダイオキシン類は難分解性の物質だから大気から水に移行、食物連鎖で魚に濃縮される。その大半は食物経由で人体に入ってくる【6】んだけど、日本は世界一の魚食国民だ。人体の各部や母乳のダイオキシン濃度も欧米並かそれ以上みたいだよ。
Aさんえー、ヤダー。こわくてワタシ、もうこどもが産めないよ。そういえば産廃処理場やごみ焼却場周辺じゃガンになったり流産したりする人が多いって新聞にあったですよねえ。
センセイ、なんとかしてください。
H教授という風な記事が一時期、滅多やたら出たよね。いずれも事実だけど、それは事実のひとつの側面でしかない。
Aさんどういうことですか。
H教授史上最強の毒物というのはそのとおりだ。ただし、それはある種の実験動物に対してであって、種ごとに毒性が大きく異なる。ヒトに対しては人体実験するわけにいかないから、より安全サイドに立って史上最強の毒物としているだけで、ほんとうのところはわからない。イタリアのセベソというところで化学工場の爆発事故が起きて、大量のダイオキシンが撒き散らされた【7】。そして、人々は避難、妊娠している人は中絶したらしい。でも、急性毒性で死んだ人もいなかったし、その後30年間追跡調査が行われているけど、ガンの多発みたいなことは未だ報告されていない。
Aさん発ガン性はどうなんですか?
H教授IARC【8】というところで発ガン物質の認定をしているんだ。一部のダイオキシンは「ヒトへの発ガン性あり」とされたけど、医学者の投票で辛うじての過半数だったそうだ。つまり発がん性はあるにしても、それほど強いものでもなさそうだ。
Aさんでも、20年まえには検出されていないところでどんどん検出されてるんでしょう。
H教授それは単に測定の検出限界が下がったからかもしれない。測定の技術進歩はすさまじいからねえ。昔の環境汚染物質というのはppm(百万分の一)からせいぜいppb(十億分の一)のオーダーだった。今日のいわゆる微量化学物質というのはppbからppt(一兆分の一)、ダイオキシンだとpptからppq(千兆分の一)なんて言われている。こんな超微量の測定も可能になったけど、いっぽう、その濃度でどういう影響があるかということはわからないことが多いんだ。だから不安感だけが一人歩きする。
でもねえ、ダイオキシンの日本全国での毎年の排出量って、もっとも毒性の強い2,3,7,8-TCDD【4】の毒性濃度に換算したら、わずか数kgなんだぜ。
Aさんじゃ、濃度が増えているかどうかも確かじゃないんですか。
H教授長年母乳の凍結保存をしているところで母乳中のダイオキシン濃度を分析したところ、1970年代がピークで以降は減ってきているという結果がでている【9】し、湖の湖底に溜まった泥の調査でも似たような結果がでている。
つまり1970年前後、大量に使われ、その後使用禁止になった有機塩素系農薬の不純物として含まれていたんではないかとのことだ。もちろん、PCBもその原因のひとつだろう。PCBの一種でコプラナーPCBというのも、いまではダイオキシン類ということになった【10】。
Aさんじゃ、ごみ焼却場や産廃処理場周辺でガンが多発しているとか、流産が多いとかいうのは?
H教授ぼくは未だに統計的な検証に耐えうる有意な差があるというデータを知らない。いずれにせよ大気から直接人体に移行するのはごくわずかだからねえ。
Aさんじゃ、問題はまったくない空騒ぎだと?
H教授そんなことは言ってないよ。リスクがあるのは確かだし、最近では環境ホルモン作用だのということも言われてきているし、できるだけ排出抑制をすることは必要だと思うよ。けど、それが、どの程度のリスクかということがわからない。
日本人は欧米人並か、あるいはそれより高いダイオキシン濃度だというのはそのとおりだけど、その割に日本は世界有数の長寿国という事実もあるもんな。正直言ってダイオキシンだけのリスクはそれほど大きくはないと思うよ。
テレビで能勢の焼却工場で高いダイオキシンに晒された従業員を診察した米国の専門家が「こんなひどいダイオキシン曝露はみたことがない、これは明らかに犯罪だ、あなたは毎日むりやり2箱のタバコを強制的に吸わされていたのに相当する」と発言しているのを聞いたことがある。犯罪だというのはそのとおりだと思うけど、すぐにでも死人が出るような騒ぎ方で煽るのはどうかと思うよ。だいいち、カラダに悪いと知っていながら、ついつい、毎日タバコ2箱を吸ってしまう人って世の中にいっぱいいるよね。
Aさん世の中にってセンセイがそうじゃないですか!
H教授いや、ぼくは3箱(笑)。
Aさんどうでもいいけど、ワタシのまえで吸うのはやめてください!
H教授わかった、わかった。
で、さっきのつづきだけど、ダイオキシンだけをスケープゴートにしてカネとヒトを注ぎ込むのはどうかと思うな。今ではpptオーダーだと何千何万という化学物質が検出される。そうした化学物質トータルのリスクは、ぼくはよくわからないけど、環境ホルモン作用のことも考えれば意外に大きいのかもしれない。
いわゆる環境ホルモンの話はまた今度するとして、結論だけ言えば、ダイオキシンだけじゃなくて、そうした化学物質全体の環境への放出を減らすような政策が必要だと思うよ。
Aさんじゃ、いまの政府のダイオキシン対策はどう思われます?
H教授まえにも言ったけど、ごみという都会のツケを押し付けられている人たちがダイオキシンをきっかけに反乱を起した。その結果、焼却場の新規建設がむつかしくなり、ごみの発生抑制から循環型社会ということが言われるようになった。これは結果的にはいいことだけど、冷静で客観的な正論が社会を変えたのでないというのは苦い真実として受け止めるしかないね。
ダイオキシン類対策特別措置法ができ、環境基準が定められ、産廃処分場や焼却場の規制強化がなされているのはいいことだと思うよ【11】。でも学校や家庭での小型焼却炉の使用自粛だとか、全国のごみ焼却場を集約統合し、数を3分の1に減らすというのは賛成できないな。
リスクがあろうがなかろうが、ごみはできるだけ出したひとの目に見えるところで処分するということが原則だ。そうしないとごみに関して無責任になってしまうし、そのことのリスクの方が大きいと思うよ。
いずれにしても微量化学物質の問題では、もっとリスクコミュニケーション【12】が必要だね。われわれの「豊かな」生活は化学物質とエネルギーで支えられている。そのことのネガテイブな面も自覚していく必要があると思うよ。さて、今回はこの程度にしておこうか。
Aさんダメですよ。センセイの体験談を話すって言う約束を果たしてください。カレとの待ち合わせの時間までだいぶあるから、時間つぶししなきゃいけないんだもん。
H教授約束はしたけど、あまり長くしすぎると編集部に怒られるからな。体験談はこの次の機会に としようか。
そもそもキミにヒマつぶししている時間なんてないはずだぞ。時間があるなら苦手な化学物質の勉強をすればいい。若いうちは、いくら勉強をしてもしすぎるってことはないんだからな。
Aさんセンセイからそんなこと言われたくないよー。
この間ある人から聞いたんだけど、センセイこそ若いときから遊んでばかりだったそうじゃないですか!
H教授...。