No.175
Issued: 2010.04.23
中国発:中国はどの程度二酸化炭素を削減できるか
世界一の二酸化炭素排出大国になった中国に今世界の目が集まっている。1978年の改革開放以来30年以上も平均で10%近い経済成長を実現し、膨張し続ける大国は近代史上例がないのではないだろうか(図1)。
特に21世紀に入ってからは連続して10%を超える高い経済成長を実現している。2008年秋に発生した世界同時不況・金融危機からもいち早く脱却し、世界経済復活の牽引役になっている。2009年、米国が低迷する中で中国は8.7%の経済成長を達成した。2010年第1四半期(1〜3月)には11.9%で、完全に金融危機前の水準まで回復している。中国自身はG2と呼ばれることをよしとしていないが、実質上、米国と肩を並べる2大大国となっていることはほとんどの国が認めるところである。
金融危機で米国に注文をつけた中国
米中間の力関係の変化を印象づける象徴的なできごとがあった。
世界的な金融危機真っただ中の2008年12月4日、北京で米中戦略経済対話が開かれた。その冒頭で中国側代表の王岐山副首相は、中国がすでに一連の大規模な措置(緊急経済対策)を講じたことを強調。そのうえで、米国側に経済と金融市場を安定させ、中国の米国での資産と投資の安全を確保することを強く求めた。これに対して、米国側代表のポールソン財務長官(当時)は、金融危機において中国が果たした役割を高く評価したとされている。
金融危機の震源地になった米国に対して、中国が自ら先行してとった緊急経済対策を強調しつつ米側に早急に適切な措置を講じるように迫ったものだ。このシーンは、米中両国のパワーバランスが転機を迎えつつあることの象徴的な光景だった。
COP15で強気に出た中国
この1年後にもさらに象徴的なできごとが見られた。それは2009年12月、デンマークのコペンハーゲンで開催した国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)における中国の対応だ。この時の態度は後に「中国傲慢論」を呼び起こすことになる。
COP15の交渉過程で中国は最初から強気の発言が目立った。交渉では最初に強気の姿勢を見せるのは常とう手段だが、このときの中国は最後まで一貫して強気のまま一歩も引かなかった。
例えば、毎日のように専用会場でプレス発表を開き、「先進国が再び空手形を出すことは許さない」というような過激な発言や、欧州連合(EU)、米国、日本などが示した中期目標案を個別に名指しで批判するなど、ひときわ尊大な行動が目立っていた。
もちろん、この強気の姿勢には裏付けがあった。COP15の直前(2009年11月26日)に「2020年までに単位GDP当たりの二酸化炭素排出量を2005年比で40〜45%削減」という見かけ上高い数字の国内削減目標を決定し、先に切り札を見せて中国の積極性と決意を示したという自信である。
中国傲慢論も
そして極めつけは温家宝首相が、主要国首脳による非公式会合に出席しなかったことだ。コペンハーゲン合意の原案を議論することになるこの会議に中国代表も“呼ばれていたはず”だったにもかかわらず、欠席した。この対応が中国傲慢論に対して火に油を注ぐことになる。
後に事務局のミスで中国側に案内(招待状)が届いていなかったため出席しなかったということが判明したが(2010年3月温家宝首相自身の説明)、いずれにしろ中国に対する世界の印象は悪化した。
このことは中国にとっても意外であった。中国としては40〜45%削減という随分思い切った目標を出したつもりで、もっと高い評価を受けると内心期待していたのに、思ったほど評価は高くなかった。これは日本が提示した25%削減目標も同じだ。結局、COP15ではどこの国の対応も高い評価を受けることはなかった。
高度経済成長が二酸化炭素排出削減の足枷に
中国が二酸化炭素の排出総量削減に踏み切れない実質的な大きな理由は、冒頭で触れた高い経済成長にある。省エネに努力してもエネルギー使用量が大きく伸びていく状況下(図2)では排出総量は増加してしまう。初歩的な計算によれば、仮に中国が2005年から2020年までの間、毎年4%の経済成長で抑え、一方、2005年比で単位GDP当たり45%の削減を実現できた場合に、二酸化炭素の排出総量はほぼ横ばいになる。しかし、現実は30年以上も高度経済成長を続けており、2005年以降も図1からわかるように4%を大きく上回る成長だから、誰もが2020年の排出総量は大きく増加すると思っている。
仮に2005年以降も毎年8%の経済成長を続けるとすると、単位GDP当たり45%の削減を実現できても排出総量は約1.74倍、年間約40億トン程度の二酸化炭素排出量が増加することになる。この大幅な増加が目の前に見えているから、皆中国の打ち出した削減目標を素直に歓迎することはできない。逆に“身内”ともいえる他の途上国からもさらなる削減努力を要求される始末だ。
中国はどこまで削減可能か
それでは、中国はいったいどの程度まで二酸化炭素排出量を抑制できるのであろうか。簡略化のため「単位GDP当たりのエネルギー消費量の低下率=単位GDP当たりの二酸化炭素排出量の低下率」とみなして議論を進める。
まず日本の経験を見ると、日本は第1次石油危機が起こった1973年以降、製造業における単位GDP当たりのエネルギー消費量の低下が進んだ。1973年から15年後の1988年には約半分程度にまで低減している。しかし、それ以降は何年経っても数%程度しか下がっていない。ラフな見方をすれば単位GDP当たりのエネルギー消費量の低減は、画期的な改善方法が期待できない限りは半減までが限界だ。そしてこの15年間の日本の経済成長は平均で毎年4%程度であった。
中国の単位GDP当たりのエネルギー消費の低下を見たのが図3である。2002年まで低下傾向にあったが、いったん増加に転じている。2005年をピークに減少に転じているのは「省エネ・汚染物質排出削減政策」(2010年には2005年に比して単位GDP当たりのエネルギー消費量を約20%低下させるという強力な政策)の効果によるものだが、中国がCOP15で示した削減目標は、この2005年を基準年として15年間で単位GDP当たりの二酸化炭素排出量を40〜45%低下させるというものであった。
少し乱暴な分析だが、日本の省エネ推進経験と実績から推定すればこの目標達成は可能であるし、さらに5〜10%は上積み可能とも言える。しかし、見方を変えれば画期的な技術革新などが期待できなければ、5〜10%しか上積みを期待できないということでもあり、この状況下では中国が毎年4%以上の経済成長を続ける限り、二酸化炭素の排出総量は増加してしまうという悲観的な現実を示すものだ。そして中国社会の現状は、8%程度の経済成長を維持していないと社会の安定を損ねるという厳しい現実に直面している。
この現実を前にして中国は、そして世界の主要国は、どのような実効ある選択ができるのであろうか。「持続可能な発展」と言葉にするのは易しいが、それを実現するための方法を明確に描くのは難しい。この隘路から抜け出すための革新的な研究と技術開発が求められている。
引用・参考文献
- 「環境問題のデパート中国」(小柳秀明、2010年4月、蒼蒼社)
- 「環境問題のデパート・中国の素顔」(小柳秀明)
- 「気候変動対応 ─日本は中国にどこまで迫るのか?」(小柳秀明、グローバルネット2010年4月号)
- 「中国の環境汚染の現状とその対策」(小柳秀明、中国情報ハンドブック2009年版、蒼蒼社)
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記事・写真:小柳秀明
小柳秀明 財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)北京事務所長
- 1977年
- 環境庁(当時)入庁、以来約20年間にわたり環境行政全般に従事
- 1997年
- JICA専門家(シニアアドバイザー)として日中友好環境保全センターに派遣される。
- 2000年
- 中国政府から外国人専門家に贈られる最高の賞である国家友誼奨を授与される。
- 2001年
- 日本へ帰国、環境省で地下水・地盤環境室長、環境情報室長等歴任
- 2003年
- JICA専門家(環境モデル都市構想推進個別派遣専門家)として再び中国に派遣される。
- 2004年
- JICA日中友好環境保全センタープロジェクトフェーズIIIチーフアドバイザーに異動。
- 2006年
- 3月 JICA専門家任期満了に伴い帰国
- 2006年
- 4月 財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)北京事務所開設準備室長 7月から現職
- 2010年
- 3月 中国環境投資連盟等から2009年環境国際協力貢献人物大賞(International Environmental Cooperation-2009 Person of the Year Award) を受賞。
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