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No.173

Issued: 2010.03.19

積極的な気候変動対策は経済にプラスかマイナスか

目次
2009年の中期目標策定の問題点
EUにおける新たな環境経済戦略
今後の経済発展の鍵となる気候変動対策

 環境対策は経済に対してプラスになるのかそれともマイナスになるのかという議論は、昔から大きな論争となってきた。
 昭和30年代頃から大きな社会問題となった日本の激甚公害。その解決に向けて昭和42年に制定された公害対策基本法には、いわゆる経済調和条項が含まれていた。これは生活環境項目にかかる公害対策を行う場合には経済の健全な発展との調和を図るものとする旨の規定であり、その背景には、環境対策と経済が背反(トレードオフ)の関係にあるという、当時の時代認識があった。
 その後、官民あげての努力が続けられ、自動車の排ガス規制の経験等を通じて、公害対策は決して経済に対してマイナス要因になるばかりではないとの認識が生まれ、公害対策を行うことは企業の社会的責任であることはもとより、企業の発展の基礎となり経済にとってもプラスの要因であること、すなわち“公害対策と経済の発展とは両立する”との認識が確立したのである。
 今日、気候変動対策と経済との間で、またもやそれがトレードオフの関係にあるのか、それとも両立するものなのかという議論が起きている。本稿では、その点に焦点を当てて、気候変動対策と経済の関係について考えてみたい。


2009年の中期目標策定の問題点

 2009年6月、前政権は、日本の温室効果ガスの削減の中期目標を策定した。このとき行われた、国民に対するパブリックコメントの募集に際しての政府の説明には、ひとつ大きな問題があった。
 当時、政府が示した中期目標案としては、1990年比で、2020年までにプラス4%の増加を許容する案から、25%の削減を求める案まで、段階的に定められた目標値6案が示され、それぞれの案について家計や経済への影響に関する説明がなされた。ところがその説明は、温室効果ガスの削減幅が大きくなればなるほど家計や経済への負担が重くなり、経済的な悪影響が高まるというきわめて明確な情報として国民に示されたのである。
 もちろん、厳しい削減目標は、生産や消費においてコスト増につながるという一面があり、需要の減退を通じて経済にマイナスの影響を与える面もある。しかし一方で、新しい産業や技術の創出や新たな価値観にもとづく新たな需要を生み出し、経済にプラスの影響を与える面もある。2020年までにそのような経済へのプラスの影響がただちに現れるかどうかという議論はあるものの、少なくとも中長期的には、マイナスの影響のみならず、プラスの影響についてこそきちんと認識すべきであるという考え方は、このパブリックコメントにおける政府の説明にほとんど反映されていなかった。
 要するに、積極的な気候変動政策が、一方的に経済にマイナスの影響を与えるものではなく、プラスの影響を与える面もあるという至極当たり前の考え方が、当時の政府関係者の間では未だに一般的ではなかったことが、このパブリックコメントで明らかになったように思われる。これでは、国民は環境対策と経済がトレードオフの関係にあるとの認識に立たざるを得ず、事実、このとき最も多かった意見が、中間的な目標値をとるべきであるとするものであった。
 過去を振り返ると、日本の1970年代から80年代にかけて、エネルギー効率が急激に改善した時期がある。それは2回にわたるオイルショックの時期と重なっている。このときなされた日本のエネルギー効率の改善は大きな財産となってその後の日本の経済の強みとなった。一方で、石油価格が比較的安い水準で安定化した1990年代以降、日本のエネルギー効率は上がっていない。積極的で厳しい気候変動政策が、経済にとってマイナスの効果だけではないことを示唆するデータのひとつであると言えよう。
 EUが現在行っている気候変動対策は、政策的に一種のオイルショック状態を市場に組み込み、意図的にエネルギー効率の改善や技術の進展を促している状況であると見ることができる。

EUにおける新たな環境経済戦略

 気候変動政策と経済との関係についてのEUの基本的な考え方は、時間の経過を通じて振り返ると、近年大きく変わってきていることが窺われる。
 1997年に京都議定書が採択された当時、EUにとっても気候変動政策は経済に負担がかかるものと捉えられていた節がある。すなわち、軍縮競争と同様、温室効果がスの削減幅は他国に比べてできるだけ少なくしたほうが、少なくとも経済の観点からは有利であるという考え方である。これに対して、現在のEUは、2009年末に予定されていた気候変動対策にかかる国際枠組みの合意を待たずに、2020年までに1990年比で20%の温室効果ガス削減を行うことを一方的に決定している。
 その理由は、積極的な気候変動政策は、地球規模での気候変動の安定化にとって不可欠であるという、もとからの考え方に加えて、EUの将来の経済にとっても、むしろ必要であるという考え方が台頭してきたからといえる。それを端的に示しているのが、2009年のはじめに決定された、京都議定書以降のEUの気候変動政策にかかる基本戦略となる『2013年以降のEU気候変動・エネルギーパッケージ』の3つの基本戦略目標である。
 第一の目標は、気候変動問題への対処であり、これが基本であることは当然であるものの、第二の目標に、EUのエネルギー安全保障の強化があげられており、第三の目標に、EU経済の国際競争力の強化があげられている。気候変動政策とエネルギー安全保障の強化や国際競争力の強化という経済政策を統合した政策の構築が大きな特徴といえる。
 EUのこのような考え方は、積極的な気候変動政策による温室効果削減が、特に先進国において経済的に極めて高くつくという考え方からは出てこない。2007年に公表された『スターン・レビュー』では、気候変動政策を経済の視点から分析し、「低炭素経済への転換は競争力という点からは大きな挑戦であるが、一方、経済成長への好機でもある」という考え方を示しているが、こうした発想の転換があって初めて表れてくるものである。

今後の経済発展の鍵となる気候変動対策

 EUの積極的な気候変動政策は、世界的に石油生産のピークが過ぎつつある状況や、新興途上国も含めた将来の資源獲得競争等の状況なども勘案しつつ、EU経済に対するプラス面とマイナス面の双方をにらみながら行われているものと思われる。もとより、経済の予測はきわめて難しく、温室効果ガスの削減コストも、将来どの程度のものとなり、経済にどのような影響を与えるかを正確に予測することは難しい。
 まして、数十年後にどのような新しい技術が出てくるか、消費者の好みがどう変化していくかということまで含めると、そのような変化による削減コストの低下を含めて、気候変動政策が高くつくか、そうでないかを正確に予測することはほとんど不可能といえる。ただし、はっきりしているのは、積極的な気候変動政策が、中長期的にみて経済的に極めて高くつくと一方的に確信をもって言えることはあり得ないということである。
 むしろ、気候変動問題への対応に関し、政府がきちんとした長期的政策フレームを明らかにし、二酸化炭素を排出することがコストとなることと、そのコストが今後さらに上昇する可能性が高いことを明確なメッセージとしてマーケットに出した場合、企業や国民はそれにダイナミックに応える機運が高まっているように思われる。その兆候は、例えばドイツにおける太陽光発電風力発電などの再生可能エネルギー事業の急速な進展や、日本におけるハイブリッドカーの大幅な普及に見ることができる。
 気候変動を安定化させるために先進国に求められている、「2050年までに少なくとも80%以上の温室効果ガスを削減する」という目標は、現在の産業構造、消費構造をもってしては決して達成できるものではない。それは、炭素税キャップつき排出量取引制度再生可能エネルギーの買取制度など、政府の賢い政策設計により、現在の産業構造、消費構造を積極的に変えていくことによってはじめて可能となる。その過程において、次々と出てくる革新的技術やビジネスモデル、さらには新たなライフスタイルといったものが、新たな需要や産業を生み出し、それが一国の経済競争力を強化し、新たな時代の環境負荷なき経済発展につながるというシナリオを描くことは決して荒唐無稽な話ではない。むしろ、旧来型の産業構造やビジネスモデルを後生大事に維持していくことの方が、米国の自動車産業の例を見るまでもなく、経済的にもリスクの高いシナリオとなる可能性が高い。
 そのため、積極的な気候変動対策が経済に与える影響についての予測に大きなエネルギーと多大の時間を費やすのではなく、まずは排出量取引制度の導入など、気候変動安定化に向けた積極的な対策の一歩を踏み出すことが必要である。その後は、排出クレジットの市場価格や経済への影響をにらみつつ、気候変動政策と経済の発展が両立できるよう、政策を現実に合わせながら調整していくというやり方が、気候変動の面でも経済の面でも、最もリスクの少ない現実的な政策となるのではないかと筆者は考えている。

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記事:一方井誠治(京都大学経済研究所先端政策分析研究センター教授)

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