No.108
Issued: 2006.10.12
ンゴロンゴロ保護区とマサイ族の暮らし
世界自然遺産に指定されているタンザニア連合共和国(以下タンザニア)のンゴロンゴロ保護区。保護区内のンゴロンゴロクレーターは野生動物の宝庫として世界的に有名です。しかし、この保護区の魅力はそれだけではありません。兵庫県と同じくらいの広さを持つ保護区は、火山が連なってできた土地で、「クレーターハイランズ」と呼ばれる高原が広がっています。フラミンゴの棲む湖もあれば、約2百万年前の初期人類アウストラロピテクスの人骨が発見されたオルドバイ渓谷もあります。豊かな生物多様性を保っている環境は、古生物学的、考古学的にも重要であり、高原の森から流れ出る水は、この地域の貴重な水源でもあります。何よりここは自然保護区としてのみ存在するわけではなく、マサイ族の暮らす土地でもあります。
今回はンゴロンゴロ保護区でのサファリおよびトレッキング体験をお伝えすると共に、この保護区の大きな特徴である、人間と野生動物の共生を考えます。
[コラム:ンゴロンゴロ保護区の概要]
- ●国・位置:
- タンザニアの北部。アルーシャ(北部の基点となる町)から西へ180km。セレンゲティ国立公園【1】の南東部と隣接している。
- ●面積:
- 保護区全体の面積は約8,300km2。うちンゴロンゴロクレーターは面積265km2。
- ●地形:
- 標高は約1,000mから3,500m近くまである。植生は草原(サバンナ)から森林までバラエティに富んでいる。アフリカを南北に縦断する大地溝帯西部に起こった隆起によって、形成された地形である。
ンゴロンゴロクレーターは、底の標高は約1,800m、直径約20km、外輪山の高さは400〜600m。周囲が完全に閉じたクレーターとしては世界最大である。 - ●歴史:
-
- 1928年
- この地域で狩猟が禁止される
- 1929年
- セレンゲティ・ゲームリザーブが設立される
- 1951年
- ンゴロンゴロ地域がセレンゲティ国立公園の一部となる
- 1959年
- ンゴロンゴロ保護区が設立される
- 1975年
- ンゴロンゴロクレーター内での農耕禁止令が制定される
- 1979年
- ユネスコ世界自然遺産に登録される
- 1985年
- 「ンゴロンゴロ保全および開発プログラム」が政府主導で発足する
人間と野生動物の共存を目指すンゴロンゴロ保護区
ンゴロンゴロ保護区が、タンザニアの他の国立公園と大きく異なる点は、「マルチプル・ランド・ユース(Multiple Land Use)」というコンセプトを掲げていることです。これは、保護区内を人間と野生動物が自然かつ伝統的な方法で共存する多目的利用地域とするもので、牧農、自然(野生動物)保護、観光を3つの大きな要素としています。
この地は数百万年前から人間が住んでいた土地です。研究と管理を徹底すれば、人間と壊れやすい自然のバランスも保てるに違いないという考えが根底にあります。
遊牧民であるマサイ族がこの土地にやってきたのは1800年代だったといわれています。ところが、1951年にセレンゲティ国立公園が設立されると、マサイ族は土地を追われました。遊牧する土地がなければ、生活の糧も失います。マサイ族の権利を守るため、1959年、セレンゲティ国立公園から独立して設けられたのがこのンゴロンゴロ保護区でした。セレンゲティ国立公園やキリマンジャロ国立公園のようにタンザニア国立公園局の管理下ではなく、ンゴロンゴロ保護区当局(NCAA:Ngorongoro Conservation Area Authority)という別機関が管理にあたります。
はじめのうちは、政府とマサイ族の関係構築はうまくいきませんでした。マサイ族はンゴロンゴロクレーター内で野生動物と競合し、土地の品質を低下させていると批判され、1974年には再びクレーター内から追い出されることになりました。しかし、この処置はクレーター内の“見張り役”がいなくなることを意味し、密猟者を増やすことになりました。1975年に法令が改正され、特にンゴロンゴロクレーター内の野生動物保護のためクレーター内での農耕は禁止されたものの、遊牧は許されることになりました。
動物の宝庫、ンゴロンゴロクレーター
世界的に有名なンゴロンゴロクレーターには、約25,000頭の動物が棲んでいるといわれています。ライオン、チーター、ハイエナ、ゾウ、ヌー、バッファロー、シマウマ、ガゼル、カバ、フラミンゴなど多くの野生動物を目にすることができます。タンザニアで見られるのはここだけといわれるクロサイもいます。クロサイはクレーター内でも密猟が絶えず、今では20頭前後に激減してしまいました【2】。
クレーターには柵がされているわけではないのですが、多くの動物は、水と食物が豊富なこのクレーターにとどまるといいます。さらにお隣のセレンゲティには見られない鳥が100種類以上もいることも確認されているそうです。
セレンゲティ国立公園とマサイマラ国立公園(ケニア共和国)を、毎年草を求めて大移動するヌー、シマウマなどは12月〜3月頃にンゴロンゴロにやってきます。
クレーターへの出入り口にはレンジャーポストがあって、観光者の入退場が厳しく管理されています。クレーター内でサファリできるのは7時から18時までで、滞在時間は6時間以内と決められています(2005年11月時点)。出入口のレンジャーポストで、入退場時間、入場者数、ツアー会社名などがチェックされています。
クレーター内では、決められた道しか走ることはできません。決められた場所でしか、車を降りることもできません。それでも動物を見る機会は十分にあります。サバンナでは、草食動物が平和そうに草を食む姿、ハゲタカが餌に群がる様子、遠くでチーターが寝そべっている姿など、自然界の営みを間近に目にすることができます。森ではバードウォッチングを楽しんだり、湖ではカバと水鳥を見たりすることができます。
クレーター内で、マサイ族は遊牧することが許されています。カバが休む湖の向こうで、マサイが牛を追っている姿というのも、世界中ここならではの風景でしょう。
マサイの土地を歩く
ンゴロンゴロクレーターのサファリの後、私たちは3泊4日のンゴロンゴロ保護区トレッキングツアーに参加しました【3】。このツアーは、マサイ族のガイドと共にンゴロンゴロクレーター北部の高原を歩き、他のクレーターや湖を訪れたり、保護区のすぐ外側にある活火山「オル・ドインヨ・レンガイ山」に登るというものです。オル・ドインヨ・レンガイ山は、マサイ族に「神の山」と呼ばれている山です。途中、マサイ族の村をいくつか通るので、自然を楽しむと共に、マサイ族の生活を垣間見ることができるというのも大きな特徴です。
ツアーは、ンゴロンゴロクレーターから北へ10kmほどいったところにあるナイノカノカという村から始まります。1日目は、高原を歩いてブラティという村のはずれまで行ってキャンプしました。途中、同じ道をいくシマウマや、牛を追うマサイ族に会いました。山並みの中にマサイ族のボマ【4】が転々と並ぶ姿は何とものどかな風景です。
2日目は、エンパカーイクレーターを訪れました。クレーターの底が湖になっていて、フラミンゴがやってきます。クレーターの外輪は標高約2,400mあって、低木林が広がります。ガイドいわく、ライオンやハイエナも棲んでいます。
クレーターを過ぎると、「神の山」オル・ドインヨ・レンガイ山を目の前に臨むナイヨビ村に出ます。この村はンゴロンゴロ保護区の境界に位置しており、ここで通行許可証のチェックがあります。
山麓に位置し水も確保できているこの村は、土もよいので農作物のできがよいそうです。
3日目は高原から一気に下り、フラミンゴで有名なナトロン湖の近くまで行きます。湖面がピンクに染まる風景は幻想的です。
「神の山」オル・ドインヨ・レンガイ山に登る
トレッキングツアー4日目は、早朝から標高2,880mのオル・ドインヨ・レンガイ山に登りました。富士山のように美しい円錐形をしたこの山は、世界で唯一、炭酸塩岩(カーボナタイト)でできた溶岩を噴出する活火山です。山頂までは普通に歩いて4〜5時間かかります。
山頂からは、クレーターの底に溶岩コーンと呼ばれる噴火の跡に残った三角柱がいくつも見られるそうでしたが、あいにく頂上は雲に覆われ、薄ぼんやりと影が見えるだけでした。下山途中、次第に雲が晴れ、昨日まで歩いてきた道や、ナトロン湖、セレンゲティ国立公園の一部と思われるサバンナまで見渡すことのできる絶景が広がりました。
この山では、ゴミがたくさん捨てられていました。特に目に付いたのは、ペットボトル。私たちはガイドと共にすぐに拾えるものは拾ってきましたが、個人の努力で解決する量ではありません。マサイ族は普段の生活でペットボトルなど使いませんし、レンガイ山に登山することも滅多にありません。観光客や調査隊の残したゴミが、マサイ族の「神の山」を汚す現実。とても残念なできごとでした。
観光が変えるマサイの生活
マサイ族は、伝統的に定住や農耕を好まない遊牧民です。牛を生活の糧にし、牛の血と乳を主栄養源として生活してきました【5】。ところが、このあたりでは遊牧できる土地を制限され、また観光地化が急速に進んだことで、その生活は変わりつつあります。
ンゴロンゴロ保護区では、遊牧をやめるか短期のみの遊牧で、定住生活を送るマサイ族が増えています。ガイドから聞いた話によると、このあたりに住むマサイ族は、結婚すると家を建て、畑を開墾することができると言います。
生活の糧は、牛や羊から農作物、そしてガイドや土産などの観光業による貨幣経済へと変わりつつあります。私たちがツアーに出るときも、ガイドやロバ使いとして雇ってほしいと、何人もの若者が立候補してきました。マサイのアクセサリーを持って話しかけてくる女性や子どもにも、何度も出会いました。写真を撮られるのも嫌うと聞いていたのですが、お金目当てに写真を撮らせる人々もいます。
変わりつつあるマサイ族の生活は、服装を見てもわかります。体に巻きつけているトレードマークの赤いブランケットの下は短パンにTシャツだったりします。ガイドの仕事をいち早く受けられるようにと携帯電話を持っている者もいました。
ンゴロンゴロ保護区の問題と展望
多目的利用の実験場として設立されたンゴロンゴロ保護区ですが、現状では様々な問題が持ち上がっています。
タンザニアの大人気スポットであるンゴロンゴロクレーター内では、観光客の影響が甚大です。1980年代には年間3万人程度だった観光客は、現在は約25万人。最大1日150台近くのサファリカーがクレーター内を行き交っているといいます。
限られた道路は混雑し、時にはルールに反して決められた道以外へ入る車もあるといいます。道路にできた轍が、雨季には泥化し、水の流れを変えてしまうこともあります。
また、クレーター内に流れ込む水量が減ってきているともいわれます。気候の変化も一因ですが、クレーターの周りで、観光客を受け入れるロッジができたり、定住人口が増加して、取水が増加していること、また、薪目的の伐採により森林の保水量が低下していることが挙げられます。
クレーター内の野生動物の棲息数は、ここ30年間でかなり変動しています【6】。ヌーは約14,000頭から9,000頭近くまで減りました。逆にバッファローは100頭あまりだったのが2,000頭近くにまで増えています。ライオンやハイエナなどの肉食獣は減ったといいます。原因ははっきりとは解明されていないものの、観光客の影響や水問題の他、マサイ族による焼畑が行われなくなったことで植生が変化し、害虫の発生が増加したという説もあります。このため、焼畑に代わる人工的な山火事管理を取り入れるべきとの意見も出ています。
一方、ンゴロンゴロクレーター以外では、保護区内のマサイ族や、保護区周辺の住民による森林の伐採が問題になっています。煮炊きの燃料とする薪をとるために森林が伐採されるのです。ンゴロンゴロ保護区当局では、植林を始めたそうです。
マサイ族の定住化により、保護区内の畑面積は拡大しています。1960年代後半、保護区内に住むマサイ族は9,000人弱でしたが、現在は5万人近く。急斜面に作った畑が土壌浸食を引き起こすこともあるそうです。本来、遊牧民であるからこそ、保護区内に住むことを許されたマサイ族。ンゴロンゴロクレーター内では禁止された農耕も、クレーターの外では自給自足の範囲内という限定付きで農耕が認められています。土地を追われ、大規模な遊牧が難しくなった彼らが食料を得るには農耕が欠かせなくなりました。
ンゴロンゴロ保護区の将来については、様々な問題が山積しています。でも、なかなか抜本的な打開策はありません。自然保護を優先するなら、観光を制限し、マサイ族をさらにどこかに移住させるしかありません。ただ、それではせっかくの試みが水泡に帰してしまいます。観光収入は自然保護の重要な資金源であり、マサイ族を追い出すことは何よりも多目的利用という目的に反します。
世界中から観光客の訪れるンゴロンゴロ保護区。タンザニアだけの問題ではありません。また、自然と人間の共生は世界各地で考えていかなければならないテーマです。世界各国が協力し、知恵を絞って、何とか解決をはかっていきたいものです。
- 【1】セレンゲティ国立公園
- タンザニアを代表する国立公園。ンゴロンゴロ保護区、およびケニア共和国のマサイマラ国立公園と接している。動物はこれらの公園・保護区内を自由に行き来することができ、ヌーやシマウマが季節ごとに大移動をすることで知られている。
かつてンゴロンゴロ保護区はセレンゲティ国立公園の一部に組み込まれていた時代もあり、切っても切れない関係にある。 - 【2】ンゴロンゴロクレーターのクロサイ
- フランクフルト動物学協会(Frankfurt Zoological Society)報告書
- 【3】ンゴロンゴロ保護区トレッキングツアー
- ツアーといっても決まった内容があるわけではない。道は限られているので、だいたいのルートは決まっているものの、スタートとゴール、どこでキャンプするかなどは、ガイドと相談して自由にアレンジすることができる。本来は、NCAAのレンジャー(ガイドいわく、その多くもマサイ族)が同行しなければならない決まりなのだが、実際にはレンジャーが出払っていて、現地の村のマサイ族ガイドが同行することも多いようだ。
- 【4】ボマ
- 木の柵で囲まれたマサイ族一家の敷地。同じ敷地内にいくつか家があることが多い。マサイ族は一夫多妻制なので、それぞれに妻と家族が住んでいるという。
- 【5】マサイ族について
- 牛の血を飲むときは、首の部分を切って血をとり、傷跡には糞を塗っておくそうだ。
なお、牛の肉は、伝統的に牛の取引(物々交換や売買)で生活していることもあって、儀式や祝い事の際には食べるものの、普段はあまり食べないという。 - Maasai Association
- 【6】クレーター内の野生動物棲息数
- 希少種保護財団(Rare Species Conservatory Foundation)のレポート
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なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
〜著者プロフィール〜
山田慈芳
2004年6月から、世界の美しい自然を求めて夫婦で旅に出る。アラスカから旅を始め、北米・南米を縦断、その後アフリカ大陸に入って8ヶ月弱を過ごし、2006年1月に帰国した。旅で訪れた国は4大陸28カ国、期間は525日にわたる。
Webサイト:美ら地球回遊記
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