No.072
Issued: 2005.06.02
『棚田保全』が最終目的ではないのです〜千葉県鴨川 大山千枚田がつなぐ人の輪〜
「日本タンポポと西洋タンポポの違い、わかる?」
「日本タンポポは顎が上向きで花にくっついていて、西洋のは下を向いてるんだ。」
──大山千枚田保存会の石田三示さんは、目の前に咲き誇るタンポポの群れを見ながら話はじめました。その視線の先には、田植えを待つ千枚田が静かに横たわっていました。ここ、千葉県鴨川市の大山千枚田では、畦に在来の植物しか植えないようにしているのだそうです。これは、何を意味するのでしょうか? もちろん、その土地固有の生態系を守るということもあるでしょう。でも、その先の目標を見据えた、さまざまな挑戦の中のひとつでもあるのです。
海と山、温暖な気候に恵まれた千葉県鴨川市とその周辺
房総半島の南東部、太平洋に面する鴨川市【1】の人口は約38,000人。暖流と寒流が合流する外洋、海岸線の起伏に富んだ岩礁がつくる漁場が豊かな海の幸を、嶺岡山系がもたらす重粘土質の土とミネラル分を含んだ水で作られるお米、野菜、花卉などは山の恵みをもたらしてくれます。ここで収穫される「長狭米」は江戸時代から良質なお米として知られ、明治天皇即位のときの大嘗祭に献上されたこともありました。ちなみに、長狭という地名は古事記や万葉集にも登場するほどで、この地に古くから人が住み、文化を築いてきたことがわかります。
徳川第八代将軍・吉宗の時代には、乳牛3頭を輸入し、山間部の嶺岡地区に既にあった軍馬用の牧場で飼育を開始。乳製品の製造を行ったことから、酪農発祥の地として、千葉県の史跡に指定されています。
JR鴨川駅から歩いて5分のところにある砂浜では、サーフィンを楽しむ人、潮風を受けてのんびりくつろぐ人々が見られ、温暖な気候と東京から特急で2時間というアクセスの良さが観光・レジャーにとっても魅力的な場所になっています。
日本の棚田百選
最近、鴨川にもうひとつ名所が増えました。1999年に農林水産省が認定した『日本の棚田百選』【2】に、長狭地域大山地区の大山千枚田が選ばれたのです。“千枚田”とは文字通り、山や海岸線などの傾斜地に、小さな田んぼがたくさん連なって、千枚もあるような状態からそう呼ばれているもので、棚田とほぼ同じ意味で使われます。
日本の中山間地域【3】に分布する棚田は、食料の安定供給や効率性を追求した農業生産、農業従事者の高齢化や後継者不足、さらには兼業化の進行などにより、年々減少してきました。けれども、棚田には、急勾配の多い厳しい立地条件を活かして培われてきた農家の知恵が詰まっています。また、地下に水資源を溜める涵養機能、土壌浸食や洪水を防止するなどの国土保全機能、生物の多様性、農村の美しい原風景や伝統・文化を引き継ぐ等、さまざまな価値が見直されています。そのため、棚田の保全や、保全のための整備活動を進め、農業や農村に対する理解を深めようと、『日本の棚田百選』を認定することになったのです。
選定にあたっては、
が基準となりました。
大山千枚田の他に全国134地区(117市町村)が認定され、現在では『百選』の認定以前から活動を続けてきた全国棚田連絡協議会【6】やNPO法人 棚田ネットワーク【7】などの全国的なネットワークとともに、『百選』の枠を超えてさまざまな棚田保全、活用の取り組みが行われています。
NPOと市が連携した地域おこし、都市と農村の交流
大山千枚田は、嶺岡山系のふもと、広さ3.2haの急傾斜地に、階段状に連なる大小375枚の水田です。最上段の田んぼから最下段の田んぼまでは直線距離で300m、標高差60m。ちなみに、建物の種類にもよりますが、調べてみると12〜16階建てのビルの高さが60mなので、相当な高低差です。ここの特徴は天水(雨水)だけを田んぼの水源にしていること。灌漑をして貯水池から水を引いている田んぼを見慣れていると、水路が見当たらない水田はとても不思議に思えます。重粘土質の土壌が、田に水を溜めて逃がさない役割を果たしているのです。
今では、各地からひっきりなしに人が訪れる、ここ大山地区も、農家の高齢化や後継者不足などが原因で耕作放棄地が増えていました。これをなんとかしようと、地元の有志が「都市住民との交流」をキーワードに、地域の財産である千枚田を保全し、地域に活気を取り戻す活動を開始。1997年に大山千枚田保存会を発足しました【8】。鴨川市も彼らの活動に理解と協力をするようになり、2000年から市の事業を保存会に委託する形でオーナー制度を始めました。初年度は39組からスタートし、現在は年間136組の受け入れを行うまでに。毎年、申込がいっぱいになってしまい、お断りする人もいるのだとか。2004年からは政府の構造改革特区に指定され「鴨川市棚田農業特区」【9】として、市内全域の棚田地域にこの制度を拡大しました。
自分の土地として契約するオーナー制度の他に、保存会が主体で行っているのが、ひとつの田んぼや畑を複数の人で耕し育てる「トラスト」です。今では、お米、大豆、酒造り用のお米を、会員となった人たちと一緒に作っています。そして、田植え、種まき、草取り、収穫、味噌作り...など、節目節目にイベントを企画し、農村部の人たちと、都市の人たちや市内でも農業に従事していない人たちとの交流を続けています。
里山は、そこに暮らす人がいて初めて環境や文化が守られる
東京から一番近い棚田は、またたくまに有名になりました。昨年は全国ネットのテレビ、全国紙のほとんどすべてが取材に訪れたとのこと。私がお邪魔している最中にも、取材の下見らしき人たちの姿を見かけました。
オーナー制度やトラストなどを通じた棚田保全をきっかけに、他所(よそ)の人がその土地の良さを認め、何度も通い続けることは、土地の出身者、地元の人にとって誇りになっていきます。そして、自分の住むところを誇りに思う親を見て育つ子どもは、またそれを誇りに思うようになります。加えて、都市と交流することが、都会の人のスキル、ネットワーク、情報を味方につけることになり、共有から、つながりが生まれていくのです。
大山千枚田保存会の石田さんは「棚田保全が最終目標ではないんです」と言います。「もちろん棚田を守ることも大事。でも、棚田を通して地元の人や都会の人が地域の良さを自覚し、そこに住み続け、これから先もずっと地域の生活・文化を作っていくことが本当の目的なんです」と。
たとえば、お米の文化的側面には、日本の主食であるということだけでなく、籾殻から稲わらまで、くまなく利用するという循環の考えも含まれていて、そこに暮らし(文化的景観)がない限り循環しません。棚田をはじめとする里山の風景を守るということは、公園のようにきれいに整備しつづけることではないのです。
地域に誇りを持ってそこに住み続けたいと思う人がいる一方で、農村人口や農地が減っているのは事実。そこで、棚田に興味を持つ→足を運ぶ→地域と交流する→その土地の風土や文化が気に入る→住んでみたいと思う→住んでみる、帰農する...そういう人を増やそうという思いが、保存会の活動には込められているのです。
大山千枚田保存会では、ホタル観察会や写真コンテスト(7月31日締め切り)など、オーナーやトラスト会員にならなくても参加できる機会を作っています。週末に、一度、出かけてみてはいかがですか?
- 【1】鴨川市
- 鴨川市
- 【2】日本の棚田百選
- 社団法人 農村環境整備センター
- 【3】中山間地域
- 平野の周辺部から山間部に至る、まとまった耕地が少ない地域のこと。これらの地域では、採算の合う農業経営が困難である一方、その維持管理は環境面や景観面など多面的な価値を持つ。このため、こうした中山間地域における農業支援策として、国では平成12年より、中山間地域等直接支払制度なども導入されてきている。
- 中山間地域等直接支払制度とは
- 【4】棚田オーナー制度
- 都市住民等の参加により、地域の農地を守ってゆく仕組みとして、全国各地に広まりつつある制度。
参加者である地域の非農家や地域外住民が会費を支払い、割り当てられた棚田の一定区画の水田の期間限定の利用者(=オーナー)として、米作りに参画する。“オーナー”には、秋に実った米などの収穫物等が手渡される。 - 【5】特別栽培米(特別栽培農産物)について
- 特別栽培農産物に係る表示ガイドラインの改正について(農林水産省)
- 【6】全国棚田連絡協議会
- 全国棚田連絡協議会
- 【7】NPO法人 棚田ネットワーク
- NPO法人 棚田ネットワーク
- 【8】大山千枚田保存会
- ※大山千枚田保存会のホームページをのぞくと、四季折々の千枚田の姿、イベント参加者の楽しそうな姿が見られます
- NPO法人大山千枚田保存会
- 【9】鴨川市棚田農業特区
- ・構造改革特区第1弾認定について(内閣府構造改革特区担当室 平成15年4月17日記者発表)
- ・認定された構造改革特別区域計画書(首相官邸)
- ・認定された構造改革特別区域計画の概要(首相官邸)
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(記事・写真:原田麻里子)
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