巨大・地場ハクサイ、復活の夢から...

収穫祭でハクサイを掲げる 「烏山みずとみどりの会」事務局の松永静子さん。
「このまちで生まれた、その巨大白菜を見てみたい!」──平成10年の春、下山家の樹林地が「市民緑地」となった同じ頃、この地場産白菜の存在を知り下山さんにその約40年ぶりの復活を持ちかけたのは、地元で「地域の歴史・文化や自然環境を守る活動」に取り組む「烏山みずとみどりの会」【4】のメンバーでした。活動の一環として「是非、『下山千歳白菜の復活事業』を取り上げたい!」。その熱い想いに応じて下山さんが立ちあがり、関係者の協力も得て、同年秋、見事に、その栽培・収穫、採種が再開されることになったのです【5】。
地域の人たちが、地元での「農業体験」を通して「環境学習」を行なうと同時に、自分たちの手で「地域の資源、地場野菜の種を次代に残していこう」という趣旨で事業が動き出して5年。現在まで、近隣の小学校では毎年の「総合的な学習の時間」のテーマに取り上げられ、またボーイスカウトや一般市民も誘い合わせての収穫祭は恒例となるなど、その輪は更に広がりを見せているようです。
「こんな小さな種が、大きなハクサイに?!」

質問に答えて丁寧に説明する下山義雄さん(90)。
夏休みが明けて早々の平成15年9月2日(火)、下山さんの畑には、近所の世田谷区立烏山北小学校の3年生2クラス・総勢80余名が、先生方や『烏山みずとみどりの会』を中心としたボランティアの方たちと一緒にやってきました。「総合的な学習の時間」の授業で、『巨大・下山千歳白菜』の「種まき」をするためです。
12月までの3ヶ月の間、子どもたちは「種まき」から「収穫」までの作業の体験に訪れることで、「白菜の栽培」だけでなく、古い農家に残る建物(蔵、養蚕小屋など)や井戸、屋敷林、畑などの教材と、下山家や地域のボランティアの大人たちのお話から、地域の「農業、自然、文化」について広く学びます【6】。

重さ6〜9kg、通常の2倍にもなる巨大な白菜の種。「こんな小さな種が白菜になるの?!」と子どもたち。
平成生まれの都会っ子たちに農業の手ほどきをする下山義雄さんは、明治生まれの御年90歳。15歳で就農、22歳で経営主となり、独自に地道な「自家採種」の努力の末、40歳の頃、この「病気に負けない」品種の種苗登録に至りました【7】。
「本当は新学期の9月では、種まきには遅すぎるんです。でも、失敗するのも学びのうち。なぜ育たないかを体験してみるのもよいでしょう」とおおらかに指導をされ、「白菜というのは...」と嬉しそうに語る下山さん。そこには、その人生をかけてこのこだわりのハクサイを生み出した熟練農家の野菜づくりへの愛情と豊かな知恵が伺えます。

種まき風景

左=種まき指導をする下山繁雄さん(義雄さんのご長男)
右=畑に施されている肥料は、敷地内の落ち葉を積み上げ、寝かして、熟成した堆肥。鶏糞や馬糞を混ぜて発酵。ボランティアからは、「この近隣の地域でこんなふうに堆肥をつくれる場所なんて、まずほかにはありませんよ」との声」【8】。
「耐病性の品種の親」下山千歳白菜とは?
「やや晩生ではあるが、バイラス病(ウイルス病)・軟腐病に強く、貯蔵性に富んだ品種」。大きいものでは、重さが二貫目(約7.5kg)にもなる大玉。
今から半世紀ほど前、日本で「ハクサイ」の栽培がまだ難しかった頃、「病気に負けない品種をつくろう」と、一農家でありながら本格的に「育種(品種改良)」に挑んだ下山さん。
先代から独自に更新してきた下山家の種を引き継ぎ、毎年、「形がよく病気にかかりにくいものを選りすぐる」という地道な作業を根気よく繰り返した結果、今でも「耐病性品種の親」として使われているという、この丈夫で大きな『下山千歳白菜』の種を完成しました【9】。
はじめは、その大きさや形から評価されなかった下山家の白菜でしたが、関東一円で、ウイルス病や軟腐病が蔓延した昭和20年代半ば、多くの農家の白菜が病害で全滅する中、「ほとんど欠株なし!」「待望の耐病性ハクサイ現わる!」と、おおいに注目を集め、農林省に種苗登録されるきっかけになりました。
左=原種栽培畑、1954年。竹の棒を立てて、原種が倒れないように工夫。
右=白菜の貯蔵
(ともに、自家出版本『農に生きる──白菜育成にかけたわが人生』より転載)
一通りの体験を終えると、「ハクサイはどれくらいででるの?」「種の取り方は?「花の色は?」...と、ハクサイの栽培や育成について、次々と熱心に質問が出される。
お店で商品として並んでいる「白菜」しか知らなかった子どもたちが、畑で育まれる「いのち」としての野菜について学ぶきっかけに・・・。
井戸の水汲み・初体験
白菜の種をまき終わった子どもたちは畑から、今度は、竹林やケヤキの大木が作る木陰を通り抜け、「井戸端」へと向かいます。その道々、「気持ちいい〜」、「セミがいる〜」とのはしゃぎ声。晴れ渡った残暑の頃、小さな木陰の涼しさが格別に感じられる陽気でした。
右=井戸端での水汲み体験
左=「下山千歳白菜発祥之地」の記念石碑の前で下山照夫さん(「烏山みずとみどりの会」会長)の話を聞く子どもたち
井戸端では、「昔は水道がなかったんだよ...」と説明を受けると、子どもたちは交代で、深さ10メートルの地下水の水面を覗き込み、今度は「水汲み体験」です。
古井戸の手押しポンプを“ガシャンガシャン”と力一杯に動かして、出てきた井戸水にそっと手を差し伸べると、「学校の(水道)水って、なんか生ぬるいけど、ここの(水)は冷たい」との声。「そう、いいことに気づいたね。地下深くから水を汲み上げているから、気温が高くなっても、冷たい水が出てくるんだよ。...じゃあ、冬はどうなると思う? 今度、収穫のときにきたら、また触って、感じてごらん」とボランティア・スタッフ。今では珍しくなった井戸のおもしろさに、子どもたちは次回の体験への期待もふくらませているようでした。

敷地内に「市民緑地」としての利用方法を示した『北烏山九丁目・屋敷林』の看板。「市民緑地制度」は、都市部で所有される樹林地を、一定の条件の下、公園のように一般開放し、地域住民に「緑と安らぎの場」として提供することを推奨する制度で、契約した所有者には税制面などでの優遇措置が取られている【10】(【3】参照)。
いよいよ収穫祭
夏の種まきのあと、芽生えの確認・間引きの授業【11】を経て、12月5日(金)は、いよいよ待ちに待った収穫祭の日。今年のハクサイのできばえはどうでしょう?!
朝早くから、準備のためにボランティア・スタッフの面々、それにPTAのお母さん方が炊き出しに集まりました。――「狭い都会の中、みどり豊かで人の集える空間があると、やさしい気持ちになれる気がするんですよね」、「私は、子どもが2年生だった昨年から、(今年の授業の)役に立つからと誘われて、お手伝いさせていただきました。今年初参加の息子ともども、ほんとうに貴重な体験をさせてもらっています」 など、大人たちも楽しみながら参加しているのが印象的でした。

左=畑脇の道具置き場の前にコンロを出し、ホタテの干貝柱をだしに白菜汁作りに精を出すお母さんたち。コトコト煮込む間の会話も弾む。
右=畑のハクサイ(収穫前)
巨大さを体感! 収穫の喜び
「こうやって、左右に揺すってやると...」──下山繁雄さんが実演しながら、「ほら、抜けるでしょう」。
説明を聞いて、おもむろに引き抜こうとする子どもたち。3人がかりでもなかなか抜けません。ようやく引き抜くと、スーパーに並ぶ「白菜」からは想像もしなかった、太く立派な根っこ! これを何とか切り落とし、力を合わせて畑の脇のムシロまで運び出していきます。
子どもたちのまいた種が、約3ヶ月間、下山さんの細やかな手入れにかかり、今年も立派に育ちました。「自分たちでまいた」ハクサイを収穫した子どもたちの表情は満足気です。
見事な大玉の白菜の結球に喜ぶ子どもたちの姿を微笑ましく眺めながらも、「白菜の出来は昔のころと比較するとまだまだ不満」とプロのこだわりを見せる下山さんは、冷夏・長雨だったせいもあってか「今年はできが悪い...」とつぶやいておられました。

慣れない手つきで包丁を持ち、白菜の根っこを切る子どもたち。見守るスタッフの間で緊張感が高まった。
収穫を終えた後は、ハクサイをじっくり観察する時間。重さは? ハクサイの葉の枚数は? 事前の授業で、その予測を書いて、先生に提出していた子どもたち。葉が1枚ずつ剥がされるにしたがい、「39、40、41...」、「あれ〜もう過ぎちゃったよ!」と予想した枚数を超えて、なお中に詰まっている葉に驚きを隠せない様子でした。
実に77枚を数えて並べられたひと玉のハクサイの葉。壮観な眺めに感嘆し、覗き込む子どもたちの目は真剣そのものでした。

畑に敷いた白い紙マルチの上に、ハクサイの葉を外葉から1枚ずつ並べていく。最後には、ほとんど透けて見えるほど薄っぺらで、でもしっかりと「白菜の形」をしている77枚目の小さな葉が指先の上にポツンと乗った。

左=ひと仕事終わった後には、白菜汁が振る舞われた。よく煮込まれた格別の味に「おかわり」の声が続出
右=自分の育てた白菜は格別?!白菜の浅漬けにむさぼりつく子どもたち
下山千歳白菜の記憶
「あのころ、暮れになると、1個が一抱えもある重さ二貫目(約7.5kg)のハクサイの収穫で、朝から晩まで大変だったねぇ」─下山義雄さんの言葉に、奥さんの幸子さんも、「本当にねぇ。冷害の年はここら辺り、ずうっとハクサイがやられていて、うちの畑のハクサイを見に、ずいぶんと遠くから来んなさったですよ」と合いの手を入れます【12】。

1998年11月28日に開催された第1回復活収穫祭。旧母屋の縁側に座る下山義雄さん・幸子さんのご夫妻。
屋敷林に囲まれた閑静な下山邸の縁側で、遠い日々の記憶を手繰り寄せつつ、当時の情景を鮮やかに再現する下山さんご夫妻のお話。興味津々に聞き入っていた「烏山みずとみどりの会」の松永さんは、この後しばらく、まだ見ぬ巨大白菜のことがどうにも頭から離れなかったと言います。
この先、『下山千歳白菜』がどのような形で、次代へと引き継がれていくことになるのか──。ハクサイそのものは、大きさがネックで世田谷の地場産野菜として市場に出ることはないのかもしれません。けれども、以前のように「野菜供給地」としての役割は果たせないまでも、東京農業の名残りを次世代に伝え、地域の「コミュニティに根ざした環境学習」のきっかけを生み出すシンボルとして生き続けられれば素晴らしいでしょう。
同会が「下山千歳白菜復活事業」について、『地域の宝を育てる』という言葉で、『その喜びとおいしさをたくさんの大人や子ども達と分かち合いたい!』、『自分の住んでいるまちの畑で農作業の一部に触れ、いつもと違う時間と季節の流れを感じるよいチャンス!』とPRしているように、大人も子どもも下山家に集うことで、色々な人々とのふれあいの中、いのちの「つながり」や大切さを学べるかけがえのない空間が、そこにはあるように思えました。