No.038
Issued: 2002.12.05
ドイツの森でマウンテンバイクと歩行者による交通事故発生?!多様化する森林レクリエーションと看板・標識の役割
古色蒼然としながら堂々と聳え立つ美しく荘厳な古城や、ビール・ソーセージに舌鼓を打つビアレストランなどと並び、都市部からもすぐに足を伸ばせる広大なドイツの森は、日本人観光者にも馴染みの深いものです。ガイドブックの中では、「森の国」という表現で紹介されることすらあります。
ドイツでは、そんな自国の森を大切にはぐくみ、親しむ習慣を大事にしています。日々の生活の中でも、わずかな時間をみつくろっては森の中へと出かけていきます。週末はもちろん、平日でも、晴れ渡った青空の下で、またシトシト降りしきる雨や深々と降り積もる雪の中でも、森の中を散策する人の姿は絶えません【1】。歩く以外にも、乗馬を愉しむ姿が見られたり、またここ4−5年で、森の中でジョギングやマウンテンバイク(以下 MTB)を愛好する人たちが目覚ましく増えてきています【2】。これは、森に親しみ、自然に対する価値意識を育成するという観点から喜ばしい反面、異なる利用形態の混在がこれまでになかった軋轢を生み出すなど、さまざまな問題も表面化してきています。「MTBが猛スピードで通って危ない」という歩行者からの不満・非難の声、また「馬が歩くことで土壌や木が傷み、管理の費用がかさむ」といった森林管理者からの苦情。こうした問題への解決策のひとつとして、森の中に設置された看板・標識が一役買っているといいます。今回は、古くて新しいトピック、森の中の看板・標識に注目してみました。
新しいレクリエーションと森
「木と同じ数だけ、看板や標識がある」などと揶揄されることもあるほど、ドイツの森には、道案内をはじめ、植物種名や各種の注意書きを記した看板・標識が数多く設置されています。よく通る道では、逆にその存在すら意識しなくなるほどに、ありふれたものでもあります。
ところが最近、ジョギングやMTBの森林利用人口が急増し、看板・標識の役割がにわかに注目を浴びています。特にMTB、ジョギング、ハイキングなど活動種目別の看板・標識が新しく増設されてきています。多様化してきているレクリエーション形態に対して、利用の禁止や指定・制限、また教育目的に、政策実践の最小単位のひとつとして機能する看板・標識。決して大きな存在ではなく、また時代遅れのように映っても、その役割は小さくはありません。
看板・標識が果たす三つの役割
国立公園や森林公園などで利用者が急増したときに、看板・標識を用いて講じられる管理手法には、大きく分けると3通りあります。
まず第一に、利用そのものを禁止・制限するために使われるもの。具体的には、通行人や車両の通行禁止や数量制限などが実施されています。
第二には、利用あるいは活動の形態を指定する役割。これは、時間や空間で分けたゾーンの指定によって利用形態や目的を制限するものと、最近は利用者の流れを管理する方法とがあります。前者が「保護区ゾーン」や「8時から17時まで」など否定的で規制色が強いのに対し、後者は「ハイキングの方こちらへ」などと積極的なメッセージであることが特徴です。
第三に、看板・標識を通じて利用者への教育を指向するという間接的な目的に使われるもの。
看板や標識とは、こうした「禁止・制限、指定、教育」という3つの方法のどれをも担う「働き者」といえます。
禁止・制限
公園などに多い、ごみの散乱防止を呼びかける看板・標識や、芝生地などへの立入禁止の看板・標識。多くの場合に強制力を期待することは難しく、看板・標識への落書きや破損も絶えません。看板・標識がその役割を十分に果たしていない、失敗の典型例といえます。
こうした看板・標識が数多く設置されている一方で、看板・標識が定める禁止事項への人々の対応や認識は、ある種、社会のモラルを映し出す鏡となっています。
ひとつ具体的な例を紹介します(写真3参照)。
1980年代、ドイツ(当時西ドイツ)では、森林の枯死問題が大きな社会的関心を集めました。
1986〜7年にかけて「Robin Wood(ロビンウッド)」という環境NGOが風刺雑誌「Titanic(タイタニック)」と協力して展開したキャンペーンでは、「Waldsterben verboten(森の枯死を禁ず)」という架空の黄色い標識をでっち上げて、連邦政府を痛烈に皮肉ったポスターを制作しています。
ポスターは、黄色い標識が森の中に設置されたという設定(タイタニック誌制作の架空のもの)で、ぽつんと写真の中央に配置され、その横に「Unglaublich! BONN RETTET DEN WALD(なんと! 連邦政府が森林を救うってよ!)」というコピーが大書されました【3】。
指定・促進
看板・標識は、特定範囲内での利用目的や形態を指定し、適切な利用を誘導・促進する役割も持っています。
古くから整備されてきた「道標」はこの典型で、ドイツの森の林道や歩道には、主に林業関係者の業務上の利用範囲などを定める「林業関連車用舗道」の標識、また乗馬の専用道や、木造の障害物が設置されたフィールド・アスレチックなど、活動別にに利用可能な道を指定する道標などもあります。
「林業関連車用舗道」の標識は、レクリエーション利用の歩行者に対する影響はなく、通常はほとんど意識されることもありません。
また乗馬などに利用される道についても、歩道と併用されることも多い一方で、乗馬などの特定利用の頻度はそれほど高くないことなどから、散歩・散策での利用に際して意識されることはそれほどありません。
こうした中、近年MTB利用者の急増に伴うハイカー(歩行者)とのトラブルや生態系に及ぼす影響などが問題視されてきています。「MTB専用車道」の整備による歩行者との利用の棲み分けや、利用料の徴収を制度化する構想なども持ち上がってきています【4】。
ドイツでは都心の森でも、狩猟を目的とした利用が盛んです。狩猟期間の設定や狩猟免許制度による厳重な管理などによって、これまで歩行などの一般利用と狩猟目的利用との適切な棲み分けを実現してきた歴史的背景があります。森の中でのMTB利用でも同様に、歩行利用との棲み分けを図ることでトラブル回避につなげようとする構想が持ち上がってきたのも、そうした社会的伝統によるものといえます。
林道や歩道などの利用目的の特定という看板・標識の役割は、このほかにも活動形態に応じたさまざまな情報の提供によって、より適切なレクリエーションの促進・推奨を目指すという機能も果たしています。
森の中には、ジョギング利用のコースや歩行者用のコースなど用途別のコースが色別に示されたコース概要図が設置されている例もあります(写真4参照)。
例えば、ジョギング用に整備されたコースは青い線、歩行者用コースは黄色い線で色分けされ、距離や所要時間、カロリー消費量の目安なども示されています。目的・体力・時間などに応じた利用選択の幅を確保しているわけです。
教育と交流
「教育」は間接的な政策手段として認識されることが多いですが、子どもの時代に原体験として学ぶことの意味や、子を通じて親や周りの大人へと波及していく影響力の大きさなどから、むしろ近年のドイツでは、環境保護のための「近道」として認識されるようになってきています。「近道」という言葉はフライブルク営林署の職員の方が、森を案内しながら環境教育の必要性について説明する時にも強調されています。
「教育」目的で設置された看板・標識としては、森の中の木々の樹種名や、地域の文化歴史を解説したものが数多く設置されている他、小学生の観察やビオトープづくりのために区画を区切っているケースも少なくはありません(写真6参照)。写真の標識は、その先で学校の生徒たちがビオトープづくりに使っている区域があること、そして区域内に無闇に立ち入って邪魔しないようにと求めています。
看板・標識の「教育」的機能には、単に自然や文化・歴史の解説板を設置したり、学校などでの教育利用の表示や説明というだけではないとの指摘もあります。
看板・標識の特性とは、強制力による遵守というよりは利用者の自発的な自己抑制にあります。「自発的」というのは、利用者の個人的なマナーの問題だけでなく、利用者相互の声の掛け合いなどコミュニケーションを促すことでもあるのです。こうした利用者同士の関係性の創出や促進が、看板・標識の隠れた機能だとの指摘です。
近年、社会的な問題として表面化してきた森の中でのMTB利用者と歩行者とのトラブルを例にして、看板・標識の設置という観点から見た対応策の違いと効果について見てみます。
森の中でのMTB利用など新しいレクリエーションは若者世代が中心となって広まってきました。一方、散歩やハイキングなど旧来の歩行利用は中高年層が多くを占めています。MTB利用者と歩行者とのトラブルは、見方を代えれば世代間の衝突でもあるわけです。
森の中を猛スピードで走り抜けるなど荒々しく、激しい利用を好む若い世代。対して中高年世代は、都会の喧騒から脱して、ゆっくりと静かな時間を好む傾向を有します。こうした世代間の嗜好の違いや自然に対する価値観の相違が、MTB利用者と歩行者との衝突を生み出す最大の理由となっています。
若い世代が森に親しむ機会を奪うことにつながりかねない森でのMTB利用の禁止は決定し難い一方で、散歩やジョギング利用者との軋轢を避けるためにも何らかの対策が求められます。
前述の「MTB専用車道」の整備による利用の棲み分けを図る動きが検討されているのは、看板・標識の第二の機能である「指定」に着目したものといえます。これに対して、むしろ看板・標識の「教育」的機能に着目すべきだという指摘もあるのです。
ドイツでは、森の中で出会った人たちが挨拶を交わし、時に注意し合ったり、時に立ち話の中で互いのレクリエーションの楽しみや発見などを話し合う光景も散見されます。
専用道の整備による利用の指定は、こうした貴重な機会を失わせるとの警告です。
今後の動きが注目されます。
* ウェブでみる日本での「山サイ」論争
日本でもMTBを利用した山岳サイクリング、通称「山サイ(ヤマサイ)」を楽しむ方々が増えている。一方で、一部のハイキング利用の多い場所で「自転車乗り入れ禁止」の看板が掲げられるなど、「山サイ」派と旧来のハイキング派との間で摩擦が生じてきているとの報告もある。
Web上でも「山サイ」愛好者による情報発信は少なくない。「山サイ」の魅力をツアー報告などの形で写真とあわせて紹介するページのほか、自転車で山道を走る危険性や、タイヤによる踏みつけで土壌侵食や道の崩壊を引き起こす問題などについての情報・意見を掲載するもの、また「自転車乗り入れ禁止」の看板の写真を取り上げるなどして「山サイ」と登山・ハイキングの共存について問題提起するもの、またニュージーランドでの同様の問題に対して政府環境省が1995年に発表した論文「マウンテンバイクによるオフロードへの影響」の抄訳を掲載したものなども見られる。
- 【1】
- ドイツ連邦森林法により、所有のいかんに関わらず、何人もレクリエーション目的で森林に立ち入ることが原則的に認められている。ただし、車両の乗り入れは原則禁止。
- 【2】
- 森林内での歩行外利用については、地域により対応が異なる。北ドイツでは森林内の乗馬は認められていない。南ドイツでも乗馬やMTBに利用できる林道の道幅が定められている。MTB利用者増加の正確な統計値は出ていないが、ドイツ連邦環境保護庁(関連サイト参照)が「ハイキングとMTB利用者の摩擦と協力」といったセミナーを2002年九月に主催していることからも、事態の緊急性が分かる。
- 【3】「Titanic(タイタニック)」考案のキャンペーンポスター
- ドイツ歴史博物館(ベルリン、Deutsches Historisches Museum)で紹介されている風刺ポスター(民主主義に関する展示より)。
ボンは当時、西ドイツの首都。連邦政府を象徴して「BONN」と呼びかけているものとして解釈できる。「禁止」という否定的なニュアンスを逆手にとって、「こんな標識1枚で森を守ろうっていうの!?(もっと本腰入れた取り組みをしてもらわないと困るよ!)」と手厳しく批判している。
写真は、参考文献「ドイツ思い出の地」でも紹介されており、当時のドイツ国民に森の枯死が強いインパクトがあったことが分かる。ちなみに、この標識はタイタニック誌が考案した架空のもので、「森の枯死禁止」という標識は実在していない。 - 【4】
- MTBなどの利用は生態系への影響は大きく、専用道の建設や使用料の徴収も検討されているが、ドイツでは実現に到っていない。一方、ドイツの隣国オーストリアでは、MTBの購入時や、また旅行者などが移動に列車を使う(自転車の持込ができる)場合に駅で、森林整備に充てられる費用を徴収する制度も整備されている。
関連情報
- 日本「山サイ」関連サイト
日本マウンテンバイク協会
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(記事・写真:香坂玲)
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