No.018
Issued: 2002.02.14
水俣を訪ねて
昨年10月に、第6回「地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議」(水俣水銀国際会議)が水俣市で開催されました。
会議では、有機水銀による汚染問題とその健康被害(メチル水銀中毒症)が、水俣の過去のできごとではなく、今や世界中で考えていく必要のある環境問題のひとつであるということが指摘されています。
先日、水俣を訪れる機会に恵まれ、現在の水俣の姿に触れてきました。その様子を写真とあわせてご報告します。
水俣病への取組み
水俣病は、公害の原点のひとつといえます。水俣病がチッソ株式会社の工場廃水中に含まれる水銀(メチル水銀)によって汚染された魚介類を人が摂取することにより生じた公害であることは多くの人が知っています。
今一度、概要を鳥瞰するとしたら、水俣市立水俣病資料館の水俣病10の知識【1】をご覧ください。
公害という観点では、水俣病の発生以前に目を向ける必要があります。
チッソ(株)は、明治の終わりに水力発電の会社としてスタートしています。電力供給によって当初は金山への電力供給、その後カーバイド工場を水俣に設置、やがて化学肥料の生産を始め、日本にとって重要な化学会社として成長しています。
チッソ(株)は化学肥料のほか、酢酸、塩化ビニールやその成形に必要な可塑剤(かそざい)の生産にも力を入れました。こういった一連の流れは、水俣市の発展のみならず、日本の高度成長を支える一翼を担うことになりました。
一方で、酢酸や可塑剤などの原料となるアセトアルデヒドを作る工程で触媒として無機水銀を使用し、その過程で副生されたメチル水銀が1966年(昭和41)まで、ほとんど無処理のまま海に流されていました。
高度成長を担う工場からの排水が、魚介類を汚染し、それらを摂取した人がメチル水銀による中毒を起こすという流れは、ある意味、人が作り出したものが人に戻ってくるという不幸な循環の象徴といえます。言い古されたことかもしれませんが、発展や経済成長から享受される便利さや豊かさが、ときに予期せぬ不幸な循環を生み出すことを知らしめてくれます。「持続可能な開発」とは、まさにこの不幸な循環を未然に回避し、かつ発展や成長を遂げるための試みといえるのではないでしょうか。
ちなみ現在国内では、触媒として無機水銀の使用はありません。水俣湾内の汚染魚介類の流出を防ぐために設置されていた仕切り網も平成9年には安全が確認されて全面撤去されました【2】。
水俣は、水俣病ゆえに環境への意識の高さが実感されやすいともいえます。水俣市の環境への取組みひとつをとってみても、多彩かつ積極的さが伺えます。環境水俣賞、家庭版ISO、事業所ISO、学校版ISO、エコショップ、環境マイスターなどがあげられます。
一例として、ごみの分別収集をみてみましょう。平成5年から、全国に先駆けてごみの分別収集を行っている水俣市では、現在では23種類の分別をステーション方式で行っています【3】。
民間活動も「赤とんぼの街づくり」や、ホテル内で宿泊者にごみ削減とリサイクルの推進を呼びかけるなど、まちのいたるところで環境への取り組みを目にすることができます。
国立水俣病総合研究センター【4】では、水俣病を中心にした研究が、海外の同様の事例などに活かされています【5】。国立水俣病総合研究センターの水俣病情報センターは、同研究センターとは離れたところに、水俣市立水俣病資料館【6】や熊本県環境センター【7】とともに設置されています。水俣病情報センターや水俣市立水俣病資料館は水俣病に関する様々な情報を一般に提供し、また熊本県環境センターは県の環境学習拠点として環境教育などの推進に力を入れています。国・県・市の各施設が隣接した立地による相互補完の役割も果たしています。
環境としての取組みの広がりと継続
水俣病の場合、深刻な問題提起がなされた分、それら諸問題の解決の道のりにおいて得られた教訓など、これからの環境を考えていく上で注目すべき点が多くあります。
熊本県は新しい県の総合計画として「パートナーシップ21くまもと」を掲げています。この中で、基本計画の5つの柱のひとつとしてあげられている「次の世代へ継承する豊かな環境をはぐくむくまもと」のなかの基本政策の体系のひとつに、「水俣病を教訓とした情報発信と水俣病問題の解決に向けた対策の推進」があります。
また、地方自治体の広域連携を国が補助する「地域戦略プラン」では、水俣エリアを対象とした「水俣芦北環境創造プラン21」が実施されています。
もうひとつの水俣
水俣市は、早い時期から先端の都市文化を根付かせたところでもありました。
チッソ(株)などの企業の進出にともなって、技術者なども多く移住してきたこともあって、映画館など都市文化を担った施設が今も残存しています。また、九州では真っ先に水俣を訪ねてきた文化人・著名人なども少なくなかったということです。
海産物が美味しいところであります。
前述のように、仕切り網も平成9年には安全が確認されて全面撤去されています。内海的な穏やかさに独自の海流などもあって、水俣周辺で捕れる海産物は、季節ごとの味を提供してくれます。今回、水俣を訪ねた際にいただいた海鼠(なまこ)の刺身など、コリコリとした独特の食感と海鼠自体から滲み出る塩味が深く印象に残っています。
農産物もあります。
柑橘類の生産はもとより、「サラタマ」の幟(のぼり)をよく目にしました。「サラタマ」とは、「サラダたまねぎ」のことで、甘味があって生でも食べられる玉ねぎのことだそうです。ほとんど地元で消費されるほど好評とのことでした。春頃に出回るそうです、ぜひ一度現地に行ってご賞味されることをおすすめします。
温泉も、渡り鳥も。
湯の児・湯の鶴温泉などひなびた温泉があります。
車で30分ほどのところには、鶴(マナヅル・ナベヅルなど)の飛来で有名な出水市が位置しています。
- 【1】水俣病10の知識
- 水俣市立水俣病資料館「水俣病10の知識」
- 【2】
- 「消える象徴」(1997年7月、熊本日日新聞社 特集)
- 【3】ごみの分別収集
- 水俣市ホームページ「資源ごみの分類について」
- 【4】国立水俣病総合研究センター
- http://nimd.env.go.jp/
- 【5】水俣水銀国際会議
- 【6】水俣市立水俣病資料館
- https://minamata195651.jp/
- 【7】熊本県環境センター
- http://www.kumamoto-eco.jp/center/
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「水俣病」がいまも公害病の象徴というイメージを多くの人に残していることは想像に難くありません。しかし、ひとたび地元を訪ねてみると、水俣病からの再生の姿が各所に見て取れます。
環境問題は喫緊の課題であることに変わりはありませんが、水俣病から立ち上がった様々な経験に学ぶものが大いにあると感じた水俣訪問でした。
(文:安部孝徳、写真:内山一明)
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