No.002
Issued: 2019.04.22
第2回 立山町長・舟橋貴之さんに聞く、立山連峰と黒部ダムのある“二酸化炭素の削減を引き受ける町”の取り組み
ゲスト:立山町長 舟橋貴之(ふなはしたかゆき)さん
- 1965年5月17日生まれ。
- 明治大学商学部卒。
- サラリーマン、衆議院議員秘書を経て、
- 1998年2月より、立山町議会議員を2期務める。
- 2006年2月、立山町長に初当選。現在4期目。
座右の銘は「挑戦するものが成功する」
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎
標高12mから3015mの立山山頂まで、細長い地形の立山町
大塚理事長(以下、大塚)―
EICネットの「首長に聞く!」インタビューにご登場いただきありがとうございます。
今回は、富山県中新川郡立山町の舟橋町長にご登場いただきました。立山町は、中部山岳国立公園の霊峰・立山、堰堤の高さが日本一の黒部ダム、ラムサール条約に登録されている非常にきれいな湿地帯など、風光明媚なことについてはよく知られていると思いますが、ぜひ舟橋さんの目からみて、町全体の紹介をお願いしたいと思います。
舟橋町長―
立山町というと、最近では海外の方も含めて、雪の大谷のイメージが強くあるからか、東京に出てくると「いやー雪深いすごいところから来られましたね」と言われます。ところが、実際には富山市に隣接していて、私の家から富山駅までは車で20分くらいですし、役場庁舎からでも25分ほどです。町域は、細長い形をしていて、標高が低いところの12mから最高地点は立山の3,015mまでありますが、人が住んでいる場所は意外と平坦地なのです。
水が豊富なので水田が広がっていて、私も実家が農家で田んぼをやっていますが、ありがたいことに年間を通じて水に困ることはありません。我が家の生活用水はほぼ地下水です。水田が広がる麓から見える立山連峰は本当に屏風のように聳えています。われわれ町民にとっては当たり前の景色ですが、初めて来られた方は、皆さん本当に感動されます。
立山町にとっては、1963(昭和38)年に黒部ダムができたことで、今があると思います。長野県側から人が入るようになりましたが、富山県側からの道も切り拓こうと、名誉町民である故佐伯宗義さんが立山にトンネルを掘り、立山黒部アルペンルートができました。佐伯さんは元衆議院議員で、地元では鉄道会社もやっておられました。当時はしかし、「頭がおかしいんじゃないか」と散々言われたということを、ご家族の方に伺ったことがあります。
いずれにしても、その立山黒部アルペンルートがあるおかげで、町域に背骨が通るように電車が走っているわけです。
合併問題と保健福祉センターの建設場所が争点になった、初の町長選
大塚― 少し話題を変えて、舟橋さんご自身のことについて伺いたいと思います。
舟橋さんは立山町のご出身で、大学生時代は東京で過ごされ、その後Uターンして、立山町の町議を経て、2006(平成18)年より町長をなされています。東京時代も含めて、議員あるいは町長になろうとされた思い、めざそうとされたことなど、自己紹介を兼ねてお話いただけますか。
舟橋町長― 大学4年生の当時、リゾート法が施行されたばかりということもあり、地元の鉄道会社に就職を希望しました。内々定までいったのですが、その直後に健康診断で病気が見つかり、即入院、手術をしました。本命の企業の面接日も決まっていたのですが、その日は病院のベッドの上で過ごしていました。そんなわけで就職に失敗したのですが、入院中に学生時代から懇意にしていただいた衆議院議員の河野洋平先生からお見舞いをいただきまして、退院後にご挨拶に伺うと、「1年間サラリーマンを経験してから、議員秘書をやらないか」と誘っていただいたのです。健診に引っかからなければ死んでいたかもしれませんので、これも縁だと思い、1989(平成元)年に河野邸のあった神奈川県平塚市に引っ越して、8年間秘書を務めました。
大塚― 8年間ですか。
舟橋町長― おかげさまで大事にしてもらいましたが、子どももできたし、親も歳をとってきましたので、1997(平成9)年4月に家族を連れて富山に戻りました。しばらくは富山市内で勤めましたが、学生時代から政治に携わってきたので、町会議員選挙に出馬したのです。
大塚― 河野先生のところにご縁があったということは、やはり政治に関心がおありだったのでしょうね。
舟橋町長― ええ、関心がありました。当時は国政に関心が強かったのですが、子どもができて地元に帰ってから考え方が変わりました。道路にしても川にしても、子どもにとって危険がたくさんあります。そんな感覚が芽生えてきたので、地方議員を志し、2期8年間、町会議員を務めました。
大塚― 町長をめざされたきっかけについてはいかがですか。
舟橋町長― 合併問題ですね。私は、議員秘書時代の経験と町議時代に勉強したことから、多様な行政需要に対応するには、ある程度の職員数が必要と考え、富山市との合併を謳いました。当時1期目だった現職の町長は、実質的に、単独での町政をめざしていましたので、対立した結果になり、出馬することになったのです。
前町長の時代から懸案だった、新保健福祉センターの建設場所も大きな争点になりました。現職は町の郊外に駐車場を広くとれるところと考えておられましたが、私は公約に「コンパクトなまちづくり」「身の丈にあった行政」と書きました。立山町は面積が広く、公共施設が分散していたので、これを集約・複合化する方がいいと考えたのです。人口減と高齢化もありますし、廃線の危機にあった電車を残すためにも、駅に町保健センターと町健康福祉課、老人福祉センター、図書館、会議室などを一体化して建設することをめざしました。
大塚― すごく具体的な争点だったのですね。
舟橋町長― ありがたかったのは、応援してくれる人の中に建築士の方がいて、新保健福祉センターのイメージを描いてくれたのです。大きなインパクトがあり、初当選につながったと思います。
最初の4年間はなかなか思うようには進みませんでしたが、4年後の選挙で前町長がもう一度出馬されましたが、このときも勝ちました。2度も勝てば町民の意思だろうと自信をもって進めることができ、駅と図書館と保健センター・福祉センターが一体化した建物が実現しました。おかげさまで、町外から視察に来てもらえるような施設になっています。
大塚― これからの日本は、いろいろなタイプはあるにしても、コンパクトシティをめざしていかざるを得ないことは、多くの人の共通する意見だと思います。ただ、実際には、なかなかどこも進んでいないように感じています。そうした中で、立山町が一つの先行例になったのではないかと思いますが、町民からの反響などはいかがですか。
舟橋町長― 住民の皆さんからは大変喜ばれています。ただ、立山町のコンパクトシティは、例えば富山市のコンパクトシティとは全然違います。
立山町は、1954(昭和29)年に旧町村が合併してできましたから、広大な町域の中にたくさんの公共施設がありました。黒部ダムがあったおかげで、昔は財政的にも豊かでしたから、それだけの箱物が造れたのです。ところが、その後は重荷になってきまして、まずは公共施設の集約化が最優先でした。13年前の公約で「コンパクトなまちづくり」とかっこうよく謳いましたが、ここでいうコンパクトシティは公共施設の集約化なのです。ただ、国が進めようとしているコンパクトシティも公共施設の集約化ですよね。
富山市で進めようとしているコンパクトシティは、高齢者人口が増加していく中で、自動車に依存したライフスタイルを見直し、歩いて暮らせるまちをめざすというもので、はるかに大変です。人を動かすには、よほど政治力がないとできませんから、全国の町村はそれで苦労しているのかもしれません。
大塚― そうかもしれませんね。ただ、立山町には本当にいい事例を作っていただいたと思います。
舟橋町長― まだまだ途上です。
時代を先取りした、みどり維新の町宣言
大塚― 環境に関わる話を伺います。立山町は環境に関するユニークな事業を早い時期から展開されてきたと思います。先々代の冨樫町長の時代になると思いますが、立山町みどり維新の町を宣言され、みどりの憲章も制定されましたが、舟橋さんはどのようにお考えでしょうか。
舟橋町長― 1989年(平成元)年に制定された立山町みどりの憲章は、昨年4月29日に30年目を迎えました。前文には、「みどり維新の町をめざします」と明記してあります。これに遡ること2年、1987(昭和62)年の7月15日に京都で「緑維新京都宣言」が発表されています。明治維新、戦後の経済維新に次ぐ、第三の夜明けとして、自然の摂理に反した浪費文明を問い直すことから始めなければならないという意思表示だったそうです。これに共鳴したのが、当時の立山町長の冨樫清二さんでした。5期にわたって務められた大物町長で、富山県でも有名な方でした。私も冨樫町長時代に町会議員をしています。
みどり維新の町宣言について、当時の皆さんはあまりピンときていなかったかもしれませんが、あの頃に危惧されていた地球温暖化は、今まさに喫緊の課題となっています。まさしく今の時代にぴったりだと思いますね。
大塚― 時代を先取りした取り組みだったと思いますが、これほど環境に敏感だったのは、やはり自然に恵まれた地域だったからなのでしょうか。
舟橋町長― もちろんそれもありますが、立山町には、富山市をはじめとする5市町村のごみ処理を受け入れる県内最大の焼却場があります。だからこそ、当時の町長さんや議員さんたちが環境に対して一生懸命でした。みどりと水を守らなくてはという想いがあったのだろうと思います。
1991(平成3)年から始めた資源ごみの分別収集は、それ自体が全国的にも先駆的でしたが、さらに「立山方式」と呼ばれる報奨金制度が注目され、全国からの視察も多かったようです。この立山方式は、自治会ごとに分別収集したビン・缶などから得た売却益をそのまま自治会に還元するのに加えて、処理費が浮くので町から報奨金も渡します。これがインセンティブになって、皆さん本当に一生懸命取り組まれます。自治会ではこれをもとに、収集箱や啓発看板などの設置費用に充てています。こうした取り組みは、今でも続いています。
もう一つは、古紙の扱いです。いつからかわかりませんが、私の子どもの頃から、立山町では街中を巡回するちり紙交換の車を見たことがありません。というのも、地元に今年で創立101年になる製紙会社があり、昔から、古紙を引き受けてくださっています。PTAが各戸をまわり、古紙を回収して、製紙工場に持ち込むのです。その売却益と町からの報奨金が、それぞれの小学校の備品購入に充てられています。これは今も続けていますが、最近は、中山間地域でPTA自体が減ってきているのが課題です。なんとか続けたいと思っています。
大塚― ぜひ、続けていただきたいですね。
山が荒れているので対策が必要だった
大塚― 冨樫町長時代のこうした精神を受け継ぐ取り組みは、舟橋さんが町長になられてからますます進展していると思います。いくつか具体的な例をあげながら、ご紹介いただけますか。
舟橋町長― 生ごみの処理については、冨樫町長時代から試行錯誤してきましたが、予算もかかるためなかなか難しく、保留されたままでした。生ごみは水分を含んでいますから、クリーンセンターの焼却効率が低下するため、重さに応じて負担金が増えていきます。
私の代になって、何とか決着をつけなければと思いまして、公共施設から排出される野菜くずや残渣はすべて堆肥化し、肥料として販売することにしました。
家庭の生ごみについてはそれぞれの取り組みになりますが、我が家ではもみ殻に混ぜ込むことですべて堆肥化しています。
大塚― 堆肥化に対して、町としてもある程度援助しているのですか。
舟橋町長― 環境にやさしいタイプの生ごみ処理機に補助しています。温風乾燥はせず、時折思い出したように混ぜる機械式のタイプです。それだけで十分に堆肥になって、年に1度か2度くらい取り出すだけで、だいぶ減容できます。濃い堆肥ができるので、年に1回畑にまくとよい肥料になります。
大塚― 立山町ならではですね。
舟橋町長― 持ち家率1位の富山県では、庭や畑も多いので、住民の皆さんも、燃やすよりも堆肥にした方がいいという想いを持たれていると思います。
ここからが私が町長になってからの仕事だと思いますが、とにかく山が荒れているということで、対策を講じる必要がありました。今の時代だったらFIT制度を活用して発電事業をしようということになるのでしょうけど、当時はありませんでした。ちょうど灯油が値上がりしていたこともあり、灯油を燃やすボイラーの替わりに木質ペレットを使うことにしました。2007(平成19)年度に農水省の補助金で木質ペレットボイラーを導入しましたが、おそらく、富山県内では初めてだったと思います。
また、町役場の近くに新しく保育所を造ることになりましたが、2~3メートル掘ったら水が湧いてきます。だったらこれで地中熱空調をやってみようと思いました。保育所は、朝から夜まで稼働している施設ですから、少しでも光熱費を下げようという取り組みです。
全国17のモデル地域の一つに選定されたことで、環境省の補助事業を活用するようになった
大塚― 立山町では、環境省の補助事業もだいぶご活用されていると思います。
舟橋町長― ありがたいことです。1つの例をあげます。全国的に同様と思うのですが、防犯灯は集落単位で自治会の皆さんが自前で持っていることが多いのです。それぞれがバラバラに設置されていますし、自治会の区長さんは年度ごとに変わってしまいますから、コスト意識もあまりありません。まして、CO2削減という意識はまったくないのです。町の方で何とかしないと進まないと考え、自治会の皆さんにお願いして、2013(平成25)年度に環境省の小規模地方公共団体におけるLED街路灯等導入促進事業を活用し、3,453の防犯灯すべてをLEDに交換したのです。
大塚― すばらしいですね。
舟橋町長― 災害対策でも環境省の補助金を活用しています。富山県では近年あまり大きな災害はありませんが、全国の災害を見ていると、いつどこで何が起きるかわかりません。熊本にしても地震がないところだといわれていたにもかかわらず、あれだけの被害が生じたわけですし、北海道に停電があったときは本当に驚きました。
そこで、立山町ではまず体育館の水銀灯をLED照明に替えて、なおかつ停電にも対応できるように太陽光発電と蓄電池を導入することにしました。水銀灯は、電気代もかかるし、スイッチを押して明るくなるのにすごく時間がかかるのですよ。太陽光と蓄電池があれば、一晩くらいはしのげますし、電気料金も下がりますし、CO2排出量も削減できるわけです。
環境省の補助事業を活用させていただくきっかけになったのが、2015(平成27)年度の「低炭素・循環・自然共生」地域創生実現プラン策定事業への応募でした。立山町が全国17のモデル地域の一つに選定されたのです。私たちの提案書には、“二酸化炭素の削減を引き受ける町”と書いてあります。
確かに、CO2の削減を引き受けられるのです。山も多いし、何といっても黒部ダムがありますから、収支でいえば完全に黒字になります。
ただ、ごみ焼却場もありますし、過去の取り組みの経緯もありますから、もっとCO2削減に一生懸命取り組んでいかなくてはなりません。「しなやか」で「したたかに」という表題を付けましたが、まさに町のすべてを地域資源にして取り組んでいくという決意を書き込んだのです。
大塚― 先ほどから伺っていて、中央政府ではわからないことを、地域の現場からボトムアップで取り組まれてきたことに感銘を受けています。
舟橋町長― ありがとうございます。ともかくモデル地域に採択されましたので、いくつか実証実験を行いました。その成果が今に生きていますが、それとともに、環境省の方にいろいろとご指導いただいたことで、人間関係ができたことも大きかったと思います。
大塚― 立山町がモデル地域として環境省からも注目されたことで、町民の環境に対する意識はどう変わりましたか。
舟橋町長― 前の話に戻りますが、ごみ焼却場があって、目の前に立山連峰が見えていますから、都会の人たちに比べたらはるかに環境への取り組みは熱心です。分別ボランティアも結構いらっしゃいますし、生ごみもなるべく出さないようにしようと工夫されています。
大塚― CO2排出削減の話に戻ると、日本政府(環境省)のパリ協定をうけたCO2排出削減計画では、家庭部門での40%削減が必要で、そのためには地域社会の皆さんの取り組みに頼らざるを得ないと思います。
舟橋町長― 家庭からの排出については、住民の皆さんに「CO2の排出削減を!」と大上段に構えても、なかなか難しいところがあります。例えば、富山県内でも射水市に富山新港火力発電所がありますが、今、北陸電力の原発が止まっていますから、火力発電の比率が増えていきます。そうした中で、自分たちの小さな取り組みがCO2削減にどれだけ貢献するかといっても、皆さんなかなかピンとこないのです。
ですから、COOL CHOICEに取り組んで、まさに賢い選択をすることで、結果的に自分の家計にとってもお得ですよと言う方がわかってもらえると思います。町の事業を進めることで、公共施設のランニングコストが減りますし、なおかつ災害時の対応にもつながります。私はそんなふうにお伝えしています。そうすることで、自分もCO2の削減に協力していると思ってもらえたら、それでいいのではないかと思います。
立山町では10軒に1軒は75歳以上の一人暮らし
大塚― いろいろとお伺いしてきましたが、読者へのメッセージをお話いただけますでしょうか。
舟橋町長― 立山町は人口の割に面積が広く、他の多くの地域と同様、中山間地を抱えています。これらの地域の一番の悩みは、イノシシをはじめとする鳥獣被害です。本当に困っています。昔は──つい十数年前までといってもいいかもしれませんが──、富山県にイノシシはいなかったのです。もっと暖かいところにいるものだと思っていたのが、最近、突然増え始めました。イノシシは豚と同じで足が短いですから、雪深いところでは生きていけないはずでした。地球温暖化の影響で雪が減りイノシシが増えてきたのではないでしょうか。
財政的には厳しい状況で、黒部ダムがあるといわれますが、固定資産税はどんどん下がってきていますし、高齢化が進み医療や介護などの義務的負担がどんどん増えています。20年前、30年前には想像もしなかった行政需要が増えてきているわけです。
町としては支出を減らすしかないので、将来の町民の負担軽減につながると見込めるものについては、環境省などの補助金をいただいたりしながら、5年後、10年後のために、今思い切って設備投資をしていきたいと思います。町立中学校の卒業式で「挑戦するものが成功する」と話したこともありますが、私自身、この言葉を常に心がけています。
大塚― 人口高齢化をはじめ、他の地域にも共通する問題も多いのですね。
舟橋町長― 町民の方々に向けては、町の単独費で実施する事業として、暖房をなるべく高効率のエアコンにしませんかという補助金制度を予定しています。数年前から、エコキュートに換えましょうという補助金制度を始めましたが、結構需要があり、しかもそれが結果的に経済対策にもなっています。エコキュートに換えるのに合わせ、リフォームをするケースも多いのです。
新年度から実施するのは、高齢者だけになりますが、寝室のストーブを高効率のエアコンに買換えてもらうための補助金制度を考えています。立山町では10軒に1軒は75歳以上の一人暮らしです。高齢者の方々は、寝室の暖房に灯油ストーブは火事になって危ないからと、電気ストーブを入れていることが多いのです。電気代が安く、CO2も少ないと思っている人が多いようですが、それは違うのですよ。高効率のエアコンの方が暖かいし火事にもなりません。しかも、電気代も下がります。ところが高効率のエアコンは高い。そこで、75歳以上のお年寄りの寝室などで電気ストーブの代わりに高効率のエアコンを入れる場合に、価格の3分の1もしくは上限8万円までの補助金を出すという思い切った事業を進めていきます。
大塚― かなり大きな金額ですね。
舟橋町長― 町としては、火事が起きることをどうしても防ぎたいのです。ものすごくコストがかかりますから。高効率エアコンだと25万円くらいしますから、普通のエアコンとは10万円近い差額が生じます。量販店なら8万円くらいの差額で買えますから、補助金を呼び水に高効率エアコンを選んでもらえると期待しているのです。
大塚― かなり手を挙げる人が多いのではないでしょうか。
舟橋町長― やはり雪国ですから、通常のエアコンではダメで、やっぱり補助暖房器としてストーブやファンヒーターを置いてしまっているんですね。でもそれじゃあまったく意味がないですよね。
大塚― 舟橋さんから、町民の方々の生活、環境の問題など、地域の状況に合わせて行政を進めることの大事さをお話しいただいたと思います。
舟橋町長― 最後に一つ宣伝をさせてください。
立山黒部アルペンルートの乗り物はすべてが環境にやさしい乗り物です。美女平駅から立山室堂までの高原バスには、おそらく日本で初めてのことでしたが、排ガス規制されたハイブリッドやクリーンディーゼルエンジンなどのバスしか走っていません。このことについては、私が立山町長として県に強くお願いしたのです。
大塚― すばらしいですね。
舟橋町長― 立山黒部アルペンルートは4月15日から開通しますが、アルペンルート自体が環境のすばらしさを体感できる場所です。さらに、黒部ダムを見ていただいて、水力についても学んでいただきたいですね。途中で立山町を通っていただきますから、立山町の田園風景も見ていただければ、なおさらありがたいと思います。
大塚― 今日は長時間にわたり本当にありがとうございました。今後ますますのご活躍を期待しています。
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