一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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エコチャレンジャー 環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

No.031

Issued: 2014.07.10

登山家・田部井淳子さん曰く、自分で見て納得できるところが山の魅力

田部井 淳子(たべいじゅんこ)さん

実施日時:平成26年6月24日(火)13:00〜
ゲスト:田部井 淳子(たべいじゅんこ)さん
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎

  • 1939年福島県三春町生まれ。登山家。
  • 1969年『女子だけで海外遠征を』を合言葉に女子登攀クラブを設立。1975年世界最高峰エベレスト8848mに女性として世界で初めて登頂。
  • 1992年七大陸最高峰登頂者となる(女性世界初)。
  • 年数回海外登山に出かけ、現在までに60か国以上の最高峰に登頂。
  • 20〜40代女性のための山の会MJリンク呼びかけ人。メディアへの出演や執筆、健康山登り教室の講師、講演などを通じて山登りの楽しさを多くの人に伝えている。
  • 最近の出版物に『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋)、『山の単語帳』(世界文化社)などがある。
目次
女性だけでヒマラヤに行こうと、女子登攀クラブを結成したのが1969年
かつては特殊な世界の特殊な人でないと行かなかった山が自分たちの身近に、生活の中に入ってきた
避難生活をしているシニア世代の方たちとのハイキングから始まり、被災した東北の高校生を日本一の富士山へ
最初は40名ほどで実施した富士登山が、今年は100名に。目標は1000人登らせること
「日本の里山も山、森も山」 ──名も知られていない素晴らしいところが各市町村にいっぱいある
無理なく、ゆとりある計画を立てることと、準備をしっかりしていくことが基本
一歩山に実際に入ってほしい

女性だけでヒマラヤに行こうと、女子登攀クラブを結成したのが1969年

1970年アンナプルナIII峰7555m頂上にて(日本人初、女性初)。『女子だけで海外遠征を』を合言葉に参集した女子登攀クラブで、初めての海外遠征。

1970年アンナプルナIII峰7555m頂上にて(日本人初、女性初)。
『女子だけで海外遠征を』を合言葉に参集した女子登攀クラブで、初めての海外遠征。

大塚理事長(以下、大塚)― 本日はEICネットのエコチャレンジャーにお出ましいただき、ありがとうございます。田部井さんは、女性として世界初のエベレスト登頂、世界初の7大陸最高峰登頂などを成し遂げられ、その後は、多くの人びとが登山をはじめ自然に親しむ機会を広げる活動に取組んでおられます。本日は、夏山シーズンを前にして、登山の魅力や心構え、あるいは自然との接し方などについてお伺いしたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
まずお伺いしたのは、1975年に、女性として初のエベレスト登頂に成功されたとき、あるいはその前後に、田部井さんご自身はどのようなお気持ちをもたれたのでしょうか。当時ご苦労されたことの紹介も兼ね、お話しください。

田部井さん― 女性だけでヒマラヤに行こうと、女子登攀クラブを結成したのが1969年でした。当時は、組織に属していないと海外の山に登る許可が取れなかったからです。1970年にネパール・ヒマラヤが解禁になることが分かったので、女子登攀クラブとして、まず1970年に7031m級の山、その次に8031m級の山を目標としたわけです。私たちはヒマラヤの知識もほとんどなく、深田久弥さん【1】のお宅にお伺いし、初歩的な質問をさせてもらいました。深田さんはとても親切に教えて下さいました。たとえば、女性だけで行くのならキャラバン【2】は短い方がいいといわれました。1970年に最初の目標としてアンナプルナIII峰【3】を選んだのは、深田さんのご意見によるところが大きかったのです。

大塚― アンナプルナは写真でしか見たことがありませんが、きれいな山ですね。

田部井さん― Ⅰ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰、Ⅳ峰があって、Ⅰ峰が最も高く8031m級で、私たちが目指したⅢ峰はあまり登られておらず、日本人はもちろんですが、登っていたのはインド隊だけでした。私たちは本当に初めてで心配もありましたが、何とか女性9人で登頂に成功しました。
次に目標とした8031m級の山は、全部で14あります。女性だけでも登れる山を選ぼうと、消去法で考えました。「この山はキャラバンがむずかしい」「この山は壁がある」などなどです。そうして、「エベレストは日本人も登っていたし」「身近に資料もあるし」「経験者もいる」「8031mを超えてからはそんなにむずかしくはない」という理由で決めたのです。
あの頃は、1シーズンに1チームしか登山が許可されない時代でした。1971年に許可を申請したのですが、1972年も1973年もエベレストは予約済みでした。「1974年は?」と聞いたところ、世界の7か国が競合しているとのことで、「あなたたちに許可を与えられるのは1975年です」と。

かつては特殊な世界の特殊な人でないと行かなかった山が自分たちの身近に、生活の中に入ってきた

ネパール側から見たエベレストと月。
[拡大図]

大塚― 年に1パーティーしか行けないのに、1975年には競合するチームがなかったのですか。

田部井さん― 私たちは押して、押して、押しました。1974年にエベレストは7か国が競合しているから無理ですが、ほかの山だったらすぐに許可するとも言われたのを、「いや、私たちはエベレストでないとダメ」とがんばったのです。最終的に、「1975年に許可します」と言っていただきました。

大塚― まさに初志貫徹ですね。

田部井さん― 4年間を準備に充てました。ところが、1972年と1973年は石油ショックで、トイレットペーパーもなくなるほどでしたから、ヒマラヤに行く資金を出していただくのを期待できる状況ではなくなりました。

大塚― どうされたのですか。

田部井さん― 当初は多くの会社を回ろうと、計画書をもって私もずいぶん歩きました。しかし、全然相手にされず、女性だけでヒマラヤ登山ができるはずはないとか、90%以上の可能性がなければ社として援助はできないとか、私の年齢などまで質問され、人からお金をもらうとはこのようなことなのだと理解しました。たまたま、テレビ局と新聞社が援助してくださることになり、そのおかげで実行でき本当に感謝しています。
エベレストに登ってからは、スポンサーをつけることの制約もよく分かりましたので、スポンサーなしで山に行こうと決めました。今でも、スポンサーなしで行っています。

大塚― 田部井さんの原点ともいえることに触れていただきました。
ところで、日本では近年、山への関心が高まっていると思います。「山ガール」という言葉に代表される登山の大衆化もありますし、一方では、富士山の「世界文化遺産登録」も大きな意味をもつ気がします。田部井さんは、現在の状況をどのように感じておられますか。

田部井さん― かつて私たちが若い時、20代、30代で山に行った時代は、山は特殊な世界で特殊な人でないと行かないと、世間で取られていたと思います。最近はアクセスもよくなり、山小屋の改善もあり、トイレもきれいになり、いろいろな条件が整ってきて、中高年の方たちにも親しまれ、山ガールたちにも親しまれるようになったと思います。山が自分たちの身近に、生活の中に入ってきたと感じられます。私は、日本の山がこんなにきれいなことを多くの方に知っていただきたいと考えています。

避難生活をしているシニア世代の方たちとのハイキングから始まり、被災した東北の高校生を日本一の富士山へ

2011年6月13日裏磐梯 五色沼ハイキングの様子

2011年6月13日裏磐梯 五色沼ハイキングの様子

大塚― 田部井さんは福島県のご出身で、3年前の東日本大震災以降、いろいろな活動をされておられます。

田部井さん― まず、最初は避難生活をしているシニア世代の方たちをお誘いし、ハイキングをしたのが2011年の6月でした。

大塚― その時はどちらに行かれたのですか。

田部井さん― 裏磐梯にある五色沼の散策路です。ハンドバック1つで避難された方たちは登山靴も何もないですから、普段の格好でも歩ける五色沼の散策路を選んだのです。皆さんにすごく喜んでいただきました。「緑の中を歩くとこんなに元気になるのね」「久しぶりにこういう気分になった」と。原発の被害にあったのは浜通り【4】の方々ですから、同じ福島県に住んでいても会津に来るチャンスのない方が多かったようで、「五色沼って、写真でしか見たことなかったけど、本当にこんな色なんだね」「磐梯山って表からみたら1つだと思っていたら、裏からみたら2つあるんだね」と、驚きや喜びの声とともに、「少し前向きになったよ」との声も聞かれました。こういうことで元気になってもらえるならと、毎月つづけて今では39回になりました。

大塚― すばらしい取組みですね。その上、田部井さんは東北地方の高校生を富士登山に招待されておられます。

田部井さん― シニア世代の方たちを最初にお誘いしていたのですが、何とか次世代にも元気になってほしいと考えました。日本一に登ることが元気づけになるかなという思いで、被災した東北の高校生を日本一の富士山へという計画を思いついたわけです。
実行に移そうとすると、かなりお金がかかることが分かりました。お金を集めるのは大人の役目だと言ってくれる仲間もいたり、協賛してくれる会社もあったりで、実現にこぎつけることができました。


最初は40名ほどで実施した富士登山が、今年は100名に。目標は1000人登らせること

東北の高校生の富士登山2013年7月、富士山頂上にて(写真提供 東北の高校生の富士登山事務局)。

東北の高校生の富士登山2013年7月、富士山頂上にて(写真提供 東北の高校生の富士登山事務局)。

大塚― 富士山ではどのような状況だったのでしょうか。

田部井さん― 実際に行ってみたら、福島県には3000m級の山はありませんから、途中で高山病になったり、頭が痛くなったりとか、いろいろなことが起きました。けれども、多くの経験豊富なボランティアの方がサポートしてくださり、全員登ることができました。 出発するときは元気がなかった高校生が沢山いました。富士山ですから朝早く出ますよね。そのとき、私の顔も見ないで、「行ってきます」とうつむき加減で手を振っている生徒を見ると大丈夫かなと心配でした。3500mを超えたころから、「頭が痛い」「やってられない」などの声がトランシーバーに聞こえてきました。サポーターの方たちが、「ゆっくり休んでいいんだ」「水いっぱい飲んで」と指示するような状況でした。
ところが、全員登ることができ降りてきたときは顔つきがまるで別人でした。「行ってきましたー」「登ったよー」と、目をキラキラさせて帰ってきました。「また行きたいです」「一歩一歩辛かったけど、あきらめなくてよかった」「一歩一歩登っていけば、自分の目標って達成できるんだ」「進路に悩んでいたけどもああいう悩みなんて富士山から比べたら小さいもんだって分かった」と。それに、水1杯のありがたさというか、自分が何気なく水道から出していた水が実はすごく貴重なことが分かったとか、いろいろな感想を書いてくれました。こういうことで元気になってくれるのならと、去年も行いましたし、今年は100名上の応募がきています。

大塚― たくさん応募があるのですね。

田部井さん― 最初はバス1台でしたから40名ほどでした。それが去年は74名になり、今年は100名になります。今年から福島県の教育委員会の後援をいただけることになりました。多くの高校があり、高校生も被災したときとは別の高校に移っていることもあり、探すのが結構むずかしかったので助かります。いろいろな高校生がいますが、100名全員を登らせたいと思っています。私の目標は、1000人を登らせることです。

大塚― 是非がんばってください。
登山は自然を理解し、自然に親しむことに大変適していると思います。登山をとおして環境保全の意識を深めるなど、環境教育という面もあると考えるのですが、実際に若者たちと接してどう思われますか。

田部井さん― 実際に山に行くと、教科書にはないことがいっぱい出てくるわけですよ。富士山のでき方などを事前に勉強していくわけですが、伏流水【5】という意味が分からなかったけれども、こうやって水が出てくるとか、降った水が30年後に出てくるとか、目の前にして理解できるようになるのです。同じように、地形や植生、たとえば途中で倒木の皮が剥がれているのを見て、これはシカが食べた跡だとか、教科書で見るよりも生々しく分かりますよね。それから、おにぎりを食べて梅の種を捨てていいのかだめなのかとか、小さいことでも実際に考えるのです。トイレの問題も大事ですし、教科書にはないいろいろなことを実体験の中で、ああなるほどと感じてくれる高校生が非常に多いのです。体験に勝るものはないと思っています。日本の教育では体験に基づくことが少ないと不満に感じています。


「日本の里山も山、森も山」 ──名も知られていない素晴らしいところが各市町村にいっぱいある

湯の丸山。

湯の丸山。

大塚― 少し違う質問をさせてください。田部井さんは、世界の多くの山々に登ってこられました。山との接し方で、国による違いのようなものを感じられたことはございますか。

田部井さん― アジア人は、「群れる」というか団体行動をすることが多いと感じます。欧米の山に行くと、夫婦単位とか、1人あるいは2人の少人数が多いですよね。欧米の方は自然の中にいることを楽しむという風潮が強いでしょう。一方、日本人や韓国人もそうかもしれませんが、アジア人は鉢巻して「目指せ頂上」のような面が強いかなと感じます。山小屋ライフを楽しむとか、山そのものを楽しむのは苦手ですかね。
もっと自然を楽しんで、山裾でも楽しめるところがいっぱいあるのに、何か鉢巻をしてしまうところがあるかなと感じます。

大塚― 再来年から8月11日が「山の日」になります。今のお話にかかわるかもしれませんが、「山の日」に対して、田部井さんが期待されるのはどのようなことでしょうか。

田部井さん― 「山の日」というと、どうしても北アルプスや南アルプスという高く大きな山を想像させるかもしれません。けれども、私が多くの方々にもっと知ってもらいたいのは、「日本の里山も山、森も山」ということです。日本には名も知られていない素晴らしいところが各市町村にいっぱいありますから、それらを皆さんに知っていただく日になってほしいと思います。

大塚― 田部井さんに、いい企画を是非つくっていただきたいと思います。


無理なく、ゆとりある計画を立てることと、準備をしっかりしていくことが基本

大塚― これから夏山シーズンを迎えます。ハイキングのように山に行かれる方も、本格的に準備して山に行かれる方もおられるでしょう。気をつけることなど、アドバイスをお願いいたします。

田部井さん― いくら準備していても、思いがけないことが起きるのが自然です。準備をし、心構えもし、事前に必要なポイントを調べていくことはもちろん大事です。ところが、地図をもたずに行く人が結構多いのです。自分の位置が分からないようでは困ります。山に行くのはデパートに行くのとは違うのですから、地図をもつのは当然でしょう。それと、単独で行くのはなるべく避ける方がいいと思います。
今は携帯電話でも山の天気の情報が取れますので、それらを利用して、無理のない計画を立てることです。帰ってきてこそ次の山行があるのです。死んでしまったら終わりですから。そういう意味で、決して無理なく、たとえ頂上に行けなくても、たとえば雨だったら下の温泉でゆっくり過ごそうと、ゆとりをもつことですね。そういう計画を立てることと、準備をしっかりしていくことが基本と思います。

大塚― 登山が趣味という方でも、地図を読めないことも多いといわれています。大衆化するのはいいことかもしれませんが心配ですね。

田部井さん― 街に行くのとは違いますからね。街にはいっぱい信号がありますが、山には信号がないですから。そういう意味では自分で危険を察知できるよう、五感をきちっと働かせてもらいたいと思います。
今は登山教室も結構盛んです。カルチャーセンターにも登山教室がありますし、山の専門店や山の旅行会社が、初心者のための講座も開催しています。若い女性は結構勉強家ですね。山での遭難で話題になるのは60歳代以上の人が圧倒的に多く、山ガールの遭難はほとんど聞かないでしょう。山ガールの方々は己をよく知っていて、自分の範囲でできる楽しみをしているように思います。それでいて向学心がすごくあるから、地図の見方にしても、自然を理解するにしても、すごく熱心ですよ。

大塚― 植物の名前を覚えるとか、富士山の地形を理解するとか、自然をいろいろな角度から見る気持ちも大事ということですね。

田部井さん― そうですね。植生をとっても、場所によってすごく変わるじゃないですか。東北の山と関東の山では違うし、火山とそうでない山とでは違います。その場で見ないと教科書だけでは分からないことがありますよ。カール【6】とはこういうものかとか、氷河の跡はこうなるのかとか、自分で見て納得できるところが山の魅力ともいえると思います。


一歩山に実際に入ってほしい

大塚― いろいろとお伺いしてきましたが、EICネットは、企業にお勤めの方をはじめ多くの方々にご覧いただいています。田部井さんのファンもきっとたくさんおられるでしょう。今までの話と重複することもあろうかと思いますが、EICネットの読者に向け、登山のことあるいは自然との付き合い方などについて、メッセージをお願いいたします。

田部井さん― 体験に勝るものなしです。本で感激したり、演劇で感激するのももちろんいいのですけれども、実際に一歩外に出て、実際に触れてみると、もっと何で早く来なかったのだろうと感じる方が多いと思います。一歩山に実際に入ってほしい。山というと、ものすごくハードルが高いと感じている方が多いのですが、もちろん気をつけなければならない部分はありますけれども、日本の山のよさを少しでも早い時期から知ってほしいという思いです。

大塚― 今日は、田部井さんのお考えを分かりやすくお話しいただきました。東北の方々との散策や富士登山をはじめ、これからも、山そして自然の魅力を広げる活動をおつづけいただきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

登山家の田部井淳子さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。

登山家の田部井淳子さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。


注釈

【1】深田久弥
小説家及び登山家。山岳随筆「日本百名山」をはじめ、多くの作品を残している。
【2】キャラバン
隊商を意味するペルシャ語が転じて、登山隊にも用いられる。
【3】アンナプルナIII峰
アンナプルナ(Annapurna)は、ネパール・ヒマラヤの中央を東西約50 kmにわたって連なるヒマラヤ山脈に属する山群の総称。サンスクリット語で「豊穣の女神」を意味する。I峰(8,091m)、II峰(7,937m)、III峰(7,555m)、IV峰(7,525m)からなり、I峰は標高が世界第10位。
【4】浜通り
福島県東部で太平洋に面する沿岸部。西部の会津、中部の中通りとともに、福島県を構成する。
【5】伏流水
河川の流れが、川床の地質や土質に応じて川床より下に浸透し流れる地下水。富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけて伏流水として地下水脈を流れ湧き出てくる。
【6】カール
圏谷(けんこく)とも呼ばれる。氷河の浸食作用によって山頂近くにつくられた半円形の窪地。日本では飛騨山脈や日高山脈にみられる。
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