一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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No.087

Issued: 2019.05.20

陶磁研究家・森由美さんに聞く、土地の土と水と薪で焼かれる陶磁器で土地の料理を楽しむ、自然に寄り添った暮らし

森由美(もりゆみ)さん

実施日時:平成31年4月12日(水)10:00〜
ゲスト:森 由美(もり ゆみ)さん
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎

  • 東京生まれ。立教女学院高等学校卒。
  • 立教大学理学部化学科卒。
  • 東京藝術大学大学院美術研究科修了(保存科学専攻)。
  • 戸栗美術館で学芸員として東洋陶磁と展示企画を学び、日本陶磁協会では専門月刊誌『陶説』を9年間編集。
  • その後、独立して陶磁器や伝統文化に関する執筆、講演、企画制作などを行う。
  • 戸栗美術館学芸顧問、NHK文化センター講師。
  • 2014年に夫・森高一氏と株式会社森企画を設立。
  • 著書に『ジャパノロジー・コレクション 古伊万里』(角川ソフィア文庫)、『切り紙そばちょこ』(共著・エクスプランテ)ほか。
  • NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド」、テレビ「開運!なんでも鑑定団」出演。父は、日本の骨董商・古美術鑑定家の中島誠之助氏。
目次
修学旅行で高松塚古墳を見学したときに、なぜだかふと、こんな仕事をしたいなと思った
焼きものと化学というと、“作り手の化学”ばかりが論じられてきたが、鑑賞にも役立つ
器に盛りつけることで、見た目の価値がグッと上がる
その土地の土で、その土地で作った焼きものは、その土地で使うことで、循環の輪がつながる
子どもの頃に受けた印象がふっとよみがえってくることがある
焼きものの器を生活に取り入れて使うことで、とても豊かな時間を過ごすお手伝いをしてくれる

修学旅行で高松塚古墳を見学したときに、なぜだかふと、こんな仕事をしたいなと思った

大塚理事長(以下、大塚)― 本日は、陶磁研究家の森由美さんにお出ましいただきました。多方面でご活躍なので、テレビなどで拝見されたという方も多いのではないかと思います。今日は、ご専門のことにももちろん関係するのですが、日常の生活の中での自然や環境とのかかわりを中心にお伺いできればと思います。
さっそくですが、森さんが陶磁器にかかわろうとされたきっかけはどういうところにあったのでしょうか。

森さん― 私は東京藝術大学大学院美術研究科の出身ですが、その前、学部時代は立教大学の理学部化学科におりました。小さい頃は化学少女でして、美術系に進学するつもりはまったくありませんでした。ただ、実家が骨董屋でしたから、自宅には古いものがたくさんあったのは確かです。ですが、子どもの頃は、あまりそういう古いものに興味を持ったりすることはありませんでした。そもそもよくわかりませんでしたから。
思い出せるのは、“なんでうちの食器は全部、白地に青い模様のものばかりなの?”と疑問に思ったことです。自宅の食器は皆そうだったので、当たり前と思っていましたが、お友達の家に行くと、赤や黄色の鮮やかな色だったり、ガラスのお花の模様がついていたりするのを見て、非常にショックを受けまして、うちの食器って、どこかヘン!と、子ども心に思ったんです。

大塚― ご両親の方針だったのでしょうか。

森さん― いえ、方針というほどのことはなかったと思います。うちの父が骨董の店をやっていまして、江戸時代の焼きものの伊万里焼を扱っていたのです。メインのものが、染付という白地に青の模様の焼きものでした。例えば、5枚セットで販売するときに、6枚で仕入れて、傷物など1枚を除けて店頭に並べたりするのですが、そんな傷物や売れ残りばかりを使っていたのです。

大塚― 私の先輩で青磁が好きな方がいて、ご自宅の食器類が青系だったことを思い出しました。やはりそこはお父様なりの想いがあったのではないかと思います。今おっしゃられたのは、中学生の頃のことですか。

森さん― 小学生から中学生の頃でした。特に古いもの好きだったわけではありませんが、身のまわりにはたくさんあって、常に目にしていたことは確かです。
転機となったのは、高校生のときの修学旅行で奈良・京都に行ったことでした。奈良では高松塚古墳を見学したのですが、資料館に並んだ発掘されたものと修復したものを見ていて、なぜだかふと、こんな仕事をしたいなと思ったんです。“こんな仕事”というのが、当時の様子を再現した模写の絵を描く仕事なのか、発掘物を掘り出す考古学なのか、あるいは機械を使って調査する仕事なのか、明確なイメージはありませんでしたが、ふりかえるとそのときの思いが、美術品の修復のようなことへの興味の始まりでした。
大学では、もともと理系だったこともあって、化学を専攻しておけば、将来薬品を扱うときにも役に立つと理学部化学科に入学し、卒業後は東京藝術大学大学院の美術研究科文化財保存学専攻の保存科学研究室に入りました。文化財の修復や保存のための基礎研究をするのですが、藝大でありながら、試験科目が化学という特別な研究室でした。修士論文のテーマとして選んだのが、焼きものの素材分析で、これが学問として焼きものと付き合う、はじまりとなりました。

大塚― 素材分析というと、保存科学という学問分野で修復や保存に携わるのとは少し違うようにも感じますが。

森さん― 文化財保存学専攻には、保存修復領域という実技を学ぶところもありまして、そちらは彫刻や日本画を学んできた人が進学しています。一方、私のいた保存科学研究室は、当時はほとんど外の大学から、理系の勉強をしてきた人が進学してきていました。
保存科学は、例えば油絵を保存・修復するときに、将来100年〜200年もたせるためには、どんな顔料を使ったらいいかとか、何百年前の絵画に使われている顔料を調べて、それを再現するにはどうすればいいかといった基礎的な素材研究をする学問なのです。

大塚― とても興味深いですね。東京藝術大学以外にもあるのですか。

森さん― 今でこそ文化財保存学が盛んになって、いろいろな学校に開かれるようになりましたが、当時、保存科学を学ぶには、藝大の大学院に進学するか、もしくは東京学芸大学の学部に入学するか、その2つしか道はありませんでした。

江戸時代の古伊万里染付の皿。

焼きものを観察する。古伊万里の表面を拡大すると、こんな気泡が。


焼きものと化学というと、“作り手の化学”ばかりが論じられてきたが、鑑賞にも役立つ

大きな登り窯。近代までは、こうした窯が各地で稼働していた。

焼きものは、炎による化学反応で生まれる。

大塚― きっと大学院でいろいろな出会いや気付きがあったと思います。その後、美術館でお仕事をされますが、焼きものとのかかわりに変化はありましたか。

森さん― 修復系の仕事をしたいと思いながら、美術館に入りました。大きな組織ではありませんから、それこそ展示の企画や図録づくりもすれば、受付にも立ちましたし、いろいろなことをすべてやる、本当にいい経験をさせていただきました。保存・修復の道からは離れてしまいましたが、むしろそれによって焼きものに深くかかわるようになったといえます。

大塚― 最初の志の時の想いに近づくようなところもあったわけですね。

森さん― そうですね。文化財や美術品に、ある意味でより近いところに立てるようになったと思います。

大塚― 森さんが、陶磁器の美しさを感じることになった最初のきっかけは、普段使う陶磁器に囲まれていたとのことですが、どんなところが陶磁器のおもしろさや素晴らしさだと感じておられるのか、当時をふりかえりながらお話しいただければと思います。

森さん― 私は素材研究をテーマにしてきましたから、作品と接するときにも、素材から入ります。もう少し具体的に言うと、例えば、磁器の焼きものがなんだか冷ややかな感じがするというときに、それがなぜなのかというと、石を素材に、高い温度で焼き締まって、水も通さないようになっていることで、手で触った時に非常につやつやとしたり、ガラスみたいに光が透けたりするんだ、というふうに見ていきます。それで、ガラスが透けるその白さがこの器の魅力だという見方をします。
美術館に勤めていた時にはいろいろと文章も書かせていただきましたが、「焼きもの鑑賞のための化学」というテーマで書いたことがありました。焼きものは、土を水で捏ねて形を作って、高温で焼くことで結晶構造が変わり固形物になります。そうすると、もう2度と元の土には戻りません。そのプロセスは、まさに化学そのものなのです。

大塚― 人間が初めて利用した化学反応ですよね。

森さん― そうです。ただ、「焼きものの化学」というと、そうした“作り手の化学”ばかりが論じられてきました。でも、それだけじゃなくて、観賞するときにも化学的なことが役に立ったら楽しいなと思ったのです。
すごく簡単な例で言うと、青磁の青さは、釉薬というガラスの膜の中に溶け込んでいる微量の鉄分が、還元焼成されることで発色しているものです。青い顔料を練りこんでいるわけではないのです。ですから、鉄分の量でも色合いが変わるし、焼くときの窯の中の“雰囲気”といいますが、還元状態だったり酸性だったり、中性だったりすることでも色合いは変化します。
それと、焼きあがった後、どんな光の下で見るかによっても、色が変わって見えるのです。マグロのお刺身をスーパーで見ておいしそうと思って買って帰ると、蛍光灯の光では全然印象が違うという話もありますけど、ガラスの中の微妙な反応で出る青なので、まわりの光によって全く色が変わってしまうことがあります。
そうすると、「素晴らしいといわれていた壺が、実際に見たらあまり感動しなかったんですよ」と言われたときに、「それはもしかしたら、照明が悪かったのかもしれませんよ」などとお伝えすることもできます。そんなちょっとしたことで、なぜ感動したのか、あるいはよくわからなかったのはなぜなのかという理由が理解できたら素敵ですよね。
私自身、そうして素材的な部分から焼きものを鑑賞することを随分してきましたし、皆さんにもおすすめしています。

大塚― とてもわかりやすいお話ですね。


器に盛りつけることで、見た目の価値がグッと上がる

さまざまな素材の器。

日々の暮らしで焼きものを楽しむ。

大塚― ちょっと視点を変えてお伺いします。光の加減で見え方が変わるというのはさて置いて、作り手にとって、今おっしゃられた鉄の成分で色が変わるといったことは、試行錯誤されて確立してきたのか、あるいは産地の土の持つ成分によって変えようがないことなのか、いかがでしょうか。青磁のちょっとした色味の違いなどにこだわる方もいますよね。非常に複雑なプロセスが微妙な違いを生むのだと思いますが。

森さん― いわゆる陶芸家といわれる人たちは、自分自身の表現をものすごく研究されて焼きものをつくられていますが、それとは別に、日本の焼きものを見ていくと、日本各地でそれぞれ違う表情をしていて、特徴があります。 焼きものは、その土地の土を使って、その土地に伝えられた技術で、そこに生えている木を切った薪で焼き上げるというのが昔のやりかたでした。今はいろいろございますけれども、江戸時代まではそうやって生産されてきました。
そうすると、例えば、すごく薄い器を作りたいと思っても、土の性質によっては、ろくろで挽くときに薄くならなかったり、焼いたときにうまくいかなかったりすることがあります。ですから、焼きものは人が作ろうと思って作るというよりも、実は素材である土に作らされているところがあります。そのため、日本各地にその土地の土に合わせた形や厚み、それに焼き方が、実は全部バラバラにあることで、逆に個性が出てきているのだと思います。

大塚― なるほど、焼きものが非常に多様だということがよくわかります。今のお話と重複するかもしれませんが、こうした多様な焼きものを私たちはどんなふうに理解したり、楽しんだりすればよいのか、陶磁器の楽しみ方が深まるようなことがあれば、お願いします。

森さん― まず皆さんに知っていただきたいのは、焼きものと一言でいっても、すごくいろいろなものがあることです。
よく、「すぐに割れてしまった」「裏面がカビてしまった」「ちょっと使いにくい」などいろいろとおっしゃる方がいますが、よくよく話を聞いてみると、どうも素材の性質をご存知ないようなのです。素材の性質を知って、ちゃんと活かしてあげればすごくいいものなのですが、ちょっともったいないですね。別に難しいことではなくて、焼きものはとにかく土を練って固めて焼いているだけですし、その温度がちょっと高かったり低かったりしているだけなのです。

大塚― 今のお話で私なりに感じたのは、日々の暮らしの中で陶磁器を使うときに、いろいろなことに思い馳せながら使うと、変わることがあるということでしょうか。

森さん― そうですね。私、よくいろいろな焼きものの産地に行って、そこの焼きものを見て、土地の歴史を知って、実際にその器を使って土地のお料理をいただくという楽しみ方をしています。「三元巡り」と言って、焼きものの“窯元”と、造り酒屋の“蔵元”、それと温泉の“湯元” を巡りまわるのです。
お酒も、焼きものと同様に、原料の水は確実にその土地の水です。お米は最近いろいろなところのものを取り寄せることもありますけれど、土地の水を使って造ったお酒を、その土地の材料を使って焼き上げたぐい呑みでいただくことの幸せというのでしょうか、地域の素晴らしいお宝をいただき、そして地域の温泉に入るのは、最高の贅沢です。
ただ、常日頃そうやって楽しい旅行をしているわけにもいきませんので、家でもできるだけいろいろな器を使うようにしています。
以前に、焼きものファン拡大講座という産地の方の取り組みに参加したとき、おもしろい実験を経験しました。
きれいなプレートの上に、おかずをディスプレイして、「皆さんこのランチにいくら払いますか? いくらならこのランチをいただきますか?」と入札してもらったのです。
「これだったらワンプレート3,000円の、ちょっと豪華なランチでもいい」と言う人もいましたし、「1,200円くらいかな」という人もいましたが、種明かしは、料理自体は500円のコンビニ弁当だったのです。それを、器に盛りつけることで、見た目の価値がグッと上がるわけです。皆さんがそういうふうに受け止めたのですね。要はおいしそうに見えるのです。

大塚― でも、それは本当においしいですよね。

森さん― はい、それこそが、まさに器の力です。器に盛りつけていただくことがすごく大事だと思うんです。 特に和食の器では、いろいろな素材のものを使っています。洋食器だったら、同じ素材──例えば金属だったり、磁器といわれる白い器だったり──の揃いものが基本になりますが、日本の和食の器は、素材も焼きものだったり、ガラスだったり、竹だったり、葉っぱだったりと、いろいろなものがありますし、同じ焼きものだけだとしても、模様も形も違うものを取り合わせて使います。すごく楽しく、豊かなものなのです。

大塚― 日本の和食は無形文化遺産になりましたけれども、その中には器も入っていますよね。

森さん― 私は確実に入っていると思っているのですが、焼きもの業界には、案外そういう発想がない方もいらっしゃるんですね。「器も和食の一部なんだから、積極的に売り込もうよ!」と申し上げているのですが。


その土地の土で、その土地で作った焼きものは、その土地で使うことで、循環の輪がつながる

大塚― お話を聞いていると、やはり、人間と自然との距離感というのか、自然の中でいろいろなものを使って生きていくことのエッセンスが詰まっているお話だったと思います。
その裏返しのようなこともお聞きしたいのですが、森さんのおっしゃるような自然に非常に近いところで充実した生活ができるのと比べると、都会の忙しい生活では、合理化という名の下に、いろいろなものが薄っぺらになっていくように思うのです。森さんが今まで大事にされてきたようなことが部分的に崩れかかっているようにも感じるのですが、いかがでしょうか。

森さん― 自然とのかかわりということでしょうか。

大塚― 例えば、食器でもプラスチック製のものが出てきて、焼きものがどんどん置き換わっていますよね。ある程度はしょうがないかもしれませんが、それについてはどうお考えでしょうか。たぶん、森さんご自身はあまりそういうものは使わないのではないかと思いますが。

森さん― そうですね。私自身、もともと自然が大好きで、山ガールでしたから、常に自然を見て育ってきていまして、ペットボトルなどの使い捨てのプラスチック容器は、焼きものとかかわっていなかったとしても、できるだけ避けていこうという思いはありました。日本の季節の移り変わりも好きです。この季節ですと、とにかく山菜を食べなきゃと思うほど、大切にしています。
ただ、焼きものという視線からみると、昔からいろいろな素材の物に置き換わってきた歴史がございます。例えば、明治の時代に使われてきた大きな焼きもの製の甕は、運搬にしろ、貯蔵にしろ、それまでとてもたくさんの用途があったのが、金属製のものが出てきたことで、消えてしまっています。今、プラスチックの登場でどんどん物が消えていくと言われますけれど、実はそういうことって過去にもあったのですよ。

大塚― 私の子どもの頃は、味噌も大きな焼きものの甕に入れて保存していましたね。

森さん― そうですよね。貯蔵用の容器にはほとんど焼きものが使われていました。それから、貯水甕も、コンクリート製のプールに替えられてしまいました。ですから、素材はどんどん変わってきていて、でもそれは仕方がない部分だと思います。
今、会議の席ではペットボトルの飲み物を持ってきている方がたくさんいらっしゃいますよね。かつては朝顔型の湯呑みが使われ、たくさん生産していましたが、今や生産量も大きく減っています。でもそれも仕方がない、やはり時代の流れですから。

大塚― プラスチックの使い捨て容器は、最近のマイクロプラスチック問題で、使い方を見直そうという機運も出てきていますから、焼きものの復活があるといいですね。

森さん― そうですね。ただ、百円ショップで買えるような、焼きものでなくてもいいようなものをわざわざ焼きもので作ることはないと、私は思っています。ですから、「焼きものでしかできないことをしようよ!」と呼びかけています。
焼きものというのは、地元と密接な関係にある土でできているものですから、焼きものの価値を、地元の方々にきちんと理解してもらうようにすることが、とても大事だと思うのです。
もともと焼きものって、“その土地の土を使って、その土地で作って”と、先ほど申し上げましたけど、さらにもう一つ続きがありまして、“その土地で使う”だったのです。地域の中で循環していくものだったんですね。それが、大消費地である都(みやこ)ができて、流通網が発達したことで運搬され、地域内の小さな循環から、地域と都市部のより大きな循環ができあがっていくということが、焼きものの世界でもありました。
それが都市部に消費が偏って地元がないがしろになると担い手が育ちませんし、一方で、都市部で受け入れられなくなれば、生産地として成り立たなくなることが昔からありましたし、今も結局そうなってしまっています。ですから、地元の中で価値に気付いてもらえるようなものを作ろうという動きが、多くの産地でされているのです。

日本各地の焼きもの。(近年に廃窯したものも一部含みます)
[拡大図]

大きな甕。昔は貯蔵、運搬に必須の生活道具。徳島の大谷焼。
 

廃棄された焼酎壺を石垣に。常滑。


子どもの頃に受けた印象がふっとよみがえってくることがある

大塚― 今、森さんは「流通」という言葉を使われました。循環型社会づくりや地産地消を進めるうえで、地域が広くなったといえますが、閉鎖系だったものが開放系になったことが、ある意味では環境問題の根っこにあるような気もします。森さんが言われたように、土地の素材で作って使うことを大事にしてほしいですよね。

森さん― 九州の佐世保に、三川内焼という焼きものの産地があります。真っ白く、薄い磁器のタイプの焼きもので、よく中華料理屋さんの器に描かれているような唐子の絵が細かく手描きされています。本来高価なものですが、佐世保市の小学校の給食では、この三川内焼の茶碗を使おうという取り組みが行われています。
鳥取県でも、白磁で人間国宝にもなっている前田昭博さんという方が主宰して、芸術村をつくり始めていて、そこの作家さんたちがお互い呼びかけあって、学校の給食に、彼らの器を使ってもらえるようになってきたそうです。
そうすると、使った子どもたちが、地元にこんな器があるんだと知ることになります。

大塚― 小さい頃から地元の焼きものに触れられるのは、貴重な体験ですね。

森さん― 私はカルチャースクールなどでも教えています。生徒さんたちは年配の方が多いのですが、なぜ焼きものを学びにいらっしゃるのかと伺うと、「この歳になるまで焼きものには全く興味がなかったけど、最近、扱ったりするようになって、なぜか感動するのです」とおっしゃる方もいるのです。少し詳しく伺ってみると、お祖母様がお茶の先生をされている方がいたり、お祖父様が実は私もよく存じており書籍を拝読したこともある陶磁器の研究家の方だったりと、子どもの頃に焼きものと触れてこられた経験をお持ちの方が多いのです。長いこと忘れていたのは、お忙しかっただろうからいいのです。でもあるとき、子どもの頃に受けた印象がふっとよみがえってくることがあるわけですね。
給食の器に地元産の焼きものが使われていて、その時にはよくわからなくても、大人になったときに思い出すことがあるのですから、こういう運動は積極的に応援したいと思っています。

大塚― 大変すばらしいお話ですね。

三川内焼の試み。同じ素地に窯元ごとに絵付けした小皿で、多くの人に親しんでもらう。

陶器市も焼きものと親しむ場。作り手と会話を楽しめる益子の陶器祭り。


焼きものの器を生活に取り入れて使うことで、とても豊かな時間を過ごすお手伝いをしてくれる

大塚― 最後になりますが、これまでのお話に限らなくても結構ですので、EICネットをご覧の皆さまに、森さんからのメッセージをいただけますか。

森さん― ぜひ皆さん、焼きもの──いや焼きものに限らず、漆器やガラスの器など、人の手が作った工芸と言われる器で、ご飯をいただいたりして、生活を楽しんでいただきたいと思います。人の手が作った器には、その向こう側に作った人がいるのはもちろん、ちょっと昔の器であれば、それを使っていた人もいますし、伝えた人も過去にはいたわけです。そんなふうに、一つの器にとても多くの人たちがかかわっていることが、その背後に見えてくる楽しさもあります。
そんなに高価なものを集められないとおっしゃるかもしれませんが、なにも高価なものでなくてもよいので、ちょっといいなと思うものを一つでも生活に取り入れて使うことで、一日の中で、ほんの一瞬、とても豊かな時間を過ごすお手伝いを、焼きものの器がしてくれると思います。そんな時間をぜひ過ごしていただきたいと思います。

大塚― お話しいただいたように、子どもさんたちを含めて、いろいろな方々への働きかけには時間がかかるかもしれませんが、ぜひ今後も続けていただきたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。


陶磁研究家の森由美さん(右)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(左)。


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