No.041
Issued: 2015.05.22
慶應義塾大学教授・伊香賀俊治さんに聞く、建築の多面的特性と持続可能性工学が目指す視点
実施日時:平成27年4月22日(水)16:00〜
ゲスト:伊香賀 俊治(いかが としはる)さん
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎
- 慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授。
- 1959年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業、同大学院修了。その後、東京大学で博士(工学)を取得。(株)日建設計 環境計画室長、東京大学助教授などを経て、2006年より現職。
- 専門は建築・都市環境工学。主な研究課題は、健康長寿を実現する住まいとコミュニティの創造(社会実証研究)、低炭素性・健康維持増進性・知的生産性・震災時の生活業務継続性のコベネフィットに関する研究など。
- 著書に、『CASBEE入門』、『建築と知的生産性』、『健康維持増進住宅のすすめ』、『熱中症』、『LCCM住宅の設計手法』、『最高の環境建築をつくる方法』など。
持続可能性工学という新しい分野を切り拓く
大塚理事長(以下、大塚)― EICネットのエコチャレンジャーにお出ましいただきありがとうございます。わが国では建築部門のエネルギー消費量が増加をつづけ、持続可能な社会を構築する上でも大きな課題になっています。伊香賀さんは、建築分野における持続可能性工学を唱え、「住まいと健康」や「住まいとコミュニティ」など新たな視点に立つ研究を精力的に展開されておられます。本日は、将来を見据えた建築分野における戦略などについてお伺いします。どうぞよろしくお願いいたします。
持続可能性工学の内容を伺う前に、そのような視点をもたれるようになった経緯からお話しいただきたいと思います。
伊香賀さん― 私は大学の学部と大学院で建築学を専攻し、大学院修了後は民間の設計事務所に勤めました。大学で、省エネあるいは今でいう創エネ【1】 を研究する研究室で勉強し、設計事務所で実際に設計を行い設計した建物の省エネ性能を検証する中で、持続可能性を強く意識するようになりました。1990年ころ、多くの学問分野で地球環境問題への取組みが進み、建築分野でも建築学会として本格的に取組むこととなり、私もかかわったのです。
大塚― 建築学という分野は、環境問題を身近に捉えているのでしょうね。
伊香賀さん― 身近というより、省エネなどの環境配慮は当然なのに、十分な配慮がなされていない建物が世の中に氾濫していたという認識でした。そのころ、工業製品を対象にライフサイクルアセスメント(LCA)【2】分析が盛んになり、建築分野におけるLCAを私が担当したのです。
大塚― 担当されたというのは、どのようなことだったのですか。
伊香賀さん― 建築学会として、LCAの評価方法、計算の仕方、データのまとめ方などの指針をつくることになり、その作業を担当したのです。ちょうどそのころの2年間、東京大学生産技術研究所に教官として働く機会を得ました。研究所では、LCAをはじめとする研究が盛んで、持続可能性工学という新しい分野を切り拓かれていた山本良一先生、安井至先生がいらっしゃり、建築分野には村上周三先生がおられました。私もその仲間に入れていただき、持続可能性工学を旗印にさせていただくことになったのです。
2030年までにゼロエネルギー住宅を標準に
大塚― その前提になるかと思いますが、建築分野におけるエネルギー消費にかかわる状況をご紹介いただけますでしょうか。
伊香賀さん― 図1に示す、部門別のCO2(二酸化炭素)排出量の変化から分かるように、産業部門および運輸部門と違い、家庭部門・業務部門では排出量が1990年比で60%も増えています。この2つの部門が建築にかかわっており、家庭部門が住宅からのCO2排出量、業務部門がオフィス、学校、病院などの生産施設以外の建物からのCO2排出量を表すとみていいでしょう。
このような中で、国は2050年に向けCO2排出量を現行より8割減らすという目標をつくり、2030年までにゼロエネルギー住宅を標準にすることを環境省・国土交通省・経済産業省合同のロードマップに盛り込んだのです。
しかし、さまざまな法的な規制ができたにもかかわらず、最近まで厳しく守らなくてもいい状態がつづいていたのが実情です。
大塚― 状況は少しずつ変わってきたといえるのでしょうか。
伊香賀さん― 地球環境問題が表面化した1990年ころから、新しい技術がでてきたこともあり、大企業の本社ビルなどは徹底した省エネ対策を取り入れた建物でないと恥ずかしいという風潮になりました。また、国や自治体の建物も環境配慮を標榜するのが当然になりました。
とはいえ、大多数の建主の意識はまだ高くありませんし、以前に建てられた膨大な数の建物の省エネ性は旧態依然のままなのです。
現在の技術で、ネット・ゼロ・エネルギー住宅は少しお金をかけさえすれば可能
大塚― 本年3月に閣議決定された「建築物のエネルギー消費性能の向上に関する法律」【3】は、どのような効果が期待できるのでしょうか。
伊香賀さん― 今回の新法でようやく、大きなビル(延べ床面積が2000m2以上の非住宅建築物)に限定されてはいますが、2020年を期限に新しい建物の省エネ基準適合義務化が決まります。残念だったのは、先ほど申し上げた三省合同のロードマップにしたがい、2020年までにすべての新築建物の省エネ基準適合義務化に向かっていたのに、国会審議の最終場面で、小さい戸建て住宅がその対象から除外されたのです。
大塚― 大きなビルは目につきますが、小さい建物の方が圧倒的に多いでしょうから、たとえば床面積で比較するとどのようになるのでしょうか。
伊香賀さん― 床面の面積では、2000m2以上の建物の合計とそれ以下の建物の合計がほぼ同じくらいです。棟数では、小さい建物が約9割を占めています。
大塚― 国会審議で、小さい建物がなぜ対象から外されたのですか。
伊香賀さん― 小さい住宅の義務化が先送りされた理由の1つは、一般の人が自分のお金で建てる家に省エネ対策費用を義務づけると、家を建てる権利を奪うのではないかという点だったようです。
しかし、先進国の中で日本が遅れているのは確かです。大型ビルはようやくほかの先進国に追いついたものの、小さい住宅の省エネ基準の厳しさという点で日本は最低といえます。義務化が見送られた法案における基準ですら、先進国の中で最低レベルだったのです。
大塚― 小さい住宅で省エネを達成するのに必要な経費はどうなのでしょうか。
伊香賀さん― 現在の技術で、「ネット・ゼロ・エネルギー」【4】と言いますか、あるいは建ててから壊すまでのCO2のネットの排出量をゼロにする住宅は少しお金をかけさえすれば可能です。ネット・ゼロ・エネルギーを目指し、大学対抗で競って建てた住宅が図2に示すものです。ただし、この住宅の場合もそうですが、最初に建てるときにお金が少し多くかかり、建てられてからの光熱費などは安くなるとはいえ、それでも元が取れるまでにはかなりの時間がかかるのです。
私たちが力を入れているのは、たんに建築費や光熱費としての出費だけでなく、住宅の質にかかわる人の健康、知的生産性、あるいは震災への対応などを視野に、金額に還元しにくいメリットについても説明し、一般の人びとに理解していただくことです。この主張は、低炭素社会の実現を目指すIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートにも盛り込まれています。
交通事故死はこの20年間に半減しているのに、家庭内の事故死は増えつづけている
大塚― 住宅の価値を多面的に理解することが必要なのですね。
伊香賀さん― まず健康面ですが、日本の医療・介護は破たんに向かっています。10年後には医療費・介護費の総額は90兆円にのぼると予想され、今のような医療や介護を受けられなくなるのは目に見えています。国の政策も、予防を重視するように転換されたのですが、住環境の面からは、家単体あるいはコミュニティレベルでしっかり対策すれば、病気にかかる人の数も介護を受ける人の数も減らせるのではないかと考えています。
大塚― 具体的な事例で紹介いただけますか。
伊香賀さん― 事故死を取り上げると、交通事故死はこの20年間に半減するほど減っているのに、家庭内の事故死は増えつづけています。そのトップが溺死です。自宅のお風呂で溺れて亡くなる方が、交通事故で亡くなる方とほぼ同数おられるのです。病死と診断された「隠れお風呂事故」を含めると、自宅のお風呂で交通事故の3倍にあたる1万9000人が亡くなられているのですよ。ほかに、自宅で転倒して亡くなる方も多くおられます。
大塚― 事故死の実態に驚きましたが、温熱環境による影響はいかがでしょう。
伊香賀さん― 最近の高齢化の進行ともかかわり、大きな問題になっています。多くの方が家の中で熱中症で倒れ、一方では心筋梗塞や脳卒中で亡くなられています。私は、この主な原因が日本の省エネ行政・住宅行政の遅れにあると考えています。自動車は5年とか10年で新車に買い替えることが多く、性能が向上した車が増えたことが事故死を減らしている一因です。それに対して、家は1回建てたら30年とか40年にわたり手も入れずに住みつづけられます。現在、日本には5200万戸の住宅があるのですが、そのうち現行の省エネ基準を満たしているのは5%しかないのですよ。
性能が劣る寒い住宅がそのまま使われ、高齢者がどんどん増え、心筋梗塞や脳卒中の大きな原因になっています。心筋梗塞と脳卒中による死亡を、月別および住居のタイプ別にみるとよく分かります。1月と2月を中心とする冬に、自宅での死亡率が高まっているのです。図3に示すように、自宅での心筋梗塞や脳卒中の死亡数が、寒い季節に暖かい季節の2倍にもなるのは先進国の中で日本だけです。
私たちは、家の寒さと病気の関係について調査をつづけています。高知県や山口県では、断熱性の悪い住宅がほとんどで冬は寒いのです。寒さは血圧の上昇を引き起こすだけでなく、寒い住宅に住む人ほど歩行の回数が減るなど身体を動かさなくなることも分かりました。また、おなじ寒さによる血圧上昇の程度が高齢者ほど大きいことも見出しました。
住宅をよくすることが本人および家族の健康を護り、結果として家計の無駄を減らす
大塚― 具体的な研究に基づくことが大事ですね。
伊香賀さん― 日本再興戦略【5】が2013年に閣議決定され、健康寿命の延伸という大きな政策が掲げられました。その一環として、スマートウエルネス住宅とスマートウエルネスシティの推進が進められており、昨年から、断熱性の悪い住宅の断熱改修のための補助金を支給する国土交通省のプロジェクトがはじまりした。このプロジェクトでは、補助金を受け取る方に健康調査に協力してもらうようになっています。断熱改修に補助金が支給されるといっても自己負担も必要なのですが、このプロジェクトの最大の狙いは、住宅をよくすることが本人および家族の健康を護り、結果として家計の無駄を減らすことを理解してもらうことです。その先に期待されているのは、医療介護制度の破たんを免れることです。
大塚― 実際の例でご説明いただけますか。
伊香賀さん― 東京で戸建て住宅を建てる例をあげましょう(図4)。建物だけで3000万円かかるとして、現行の省エネ基準を満たすには、100万円を上乗せして、窓をペアガラスにし断熱をしっかりすればいいはずです。100万円をかけることにより建てた後の光熱費は安くなるのですが、元が取れるまでに29年もかかってしまいます(図4の青の線)。日本の住宅は寿命が短いこともあり、29年もすると、そろそろ建て替え時期になってしまうでしょう。というわけで、出費額だけでは説得力が弱いのです。
私たちは、1万軒1万人を対象とした調査結果に基づいて、病気にかかる頻度の低下による医療費の減少、および仕事を休む回数の減少による収入減の回避が起きること、その結果、16年で元が取れるようになることを説明しています(赤の線)。さらに、健康保険から補填されている医療費の7割は元々積み立てられていることも考慮すると、元が取れるまでの年数は29年の約3分の1にあたる11年になるのです(緑の線)。
大塚― 大変分かりやすい説明だと思います。先をみることが大切なのですね。
伊香賀さん― 投資額を回収する年数を短くするという点では、個々の住宅を良くするだけでなく、居住する街の状態を良くすることも共通しているようです。まだ机上計算の段階ですが、将来の都市計画を作成する際に、「街区」【6】という単位で住民の健康、知的生産性、震災時の機能維持などの要因を考慮して、どのような住宅や街をつくると投資効果があがるかなどの研究も進めています。
大塚― 成果があがることを期待しています。
住宅の省エネ性に十分配慮することがCO2の削減に寄与するだけでなく、ご自分やご家族の健康にもメリットをもたらす
大塚― 話題を少し変え、住宅の消費者あるいは発注者である一般の市民に、伊香賀さんから気をつけてほしいことなどのご指摘をいただけませんか。
伊香賀さん― 住宅には、すべての人が関心をもっていると思います。住宅を新築するのは一生に1回がふつうでしょうが、ちょうどそのタイミングの方もおられるでしょう。新築でなくても、リフォームあるいは住み替えをしようとされている方もおられると思います。また、しばらくは賃貸住宅に住み、後に自分の家を建てる、あるいは分譲マンションを買うなどという選択もあるでしょう。私が皆さまに知っていただきたいのは、どのような場合にも、住宅の省エネ性に十分配慮することがCO2の削減に寄与するだけでなく、ご自分やご家族の健康にもメリットをもたらすということです。その時点その時点で可能な住宅の省エネ性能、とくに断熱性能に気を配ってほしいのです。
このような住宅の供給側からの希望をもつとともに、私たちは、省エネ性に優れた住宅への動機づけになる情報を、もっともっと発信する努力をしなくてはならないと感じています。この意味からも、EICネットのような一般市民向けの情報発信は大変重要だと思っています。
住宅にかかわるすべてのセクターでの意識改革、そしてそのための情報提供の改善が進むことを願っています
大塚― EICネットとしても、ご期待に沿えるよう努力したいと思います。ところで、EICネットは、企業関係者をはじめ多くの方々にご覧いただいています。今までのお話しと重複することもあろうかと思いますが、EICネットの読者の皆さまに、伊香賀さんからのメッセージをお願いいたします。
伊香賀さん― 今までの話に付け加えるとすれば、住宅がつくられるまでには非常に多くの職種の方々がかかわっていることです。住宅を建てる、すなわち住宅供給側には設計事務所、建設業者、あるいはハウスメーカー、さらには大工さんや工務店の人たちがいます。一方で、住宅の部品である窓、断熱材、あるいは設備機器などの製品を供給する企業の方々がたくさんおられます。これらの人びとの関係については、いろいろな見方があるでしょうが、相互信頼や相互連携が十分とはいえないと感じています。たとえば、住宅を建てる職種の人びとは、住宅部品の性能が欧米のものほど高くないとみています。しかし、この点についてもよく考えると、部品のメーカーに性能が現在より高いものを求めたとき、価格が現在より高くなっても買うことを保証できないかもしれないのです。言い換えると、欧米並みに性能の高い製品を供給するメーカーが育つには、その製品を採用する設計者なり工務店が必要で、そのために出費が増えることを理解する発注者が必要なのです。さらに言えば、このよう状況ついての適切な情報提供が、企業にも市民にも必要なのです。
最近、このような状況の改善が少しずつはじまってはいます。たとえば、窓のメーカーが市民向けに省エネ性の高い製品の宣伝をするようになりましたし、ハウスメーカーもエコな暮らしを前面に出す宣伝やコマーシャルをするようになりました。とはいえ、多くの一般市民の方々が家を建てよう、あるいはリフォームしようというときに、建築資材の選択で省エネ性能を優先するにはいたっていないのです。住宅にかかわるすべてのセクターでの意識改革、そしてそのための情報提供の改善が進むことを願っています。
大塚― 建築がもつ多面的な特性、持続可能性工学が目指す視点、さらには情報発信がもつ意義など、多くのことを伺うことができました。伊香賀さんには、これからも研究と政策提言でますますご活躍いただきたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。
注釈
- 【1】創エネ
- 創エネルギーの略称。家庭においてエネルギーを節約するだけではなく、太陽光発電などのクリーンエネルギー(再生可能エネルギー)や家庭用燃料電池を利用して積極的にエネルギーをつくり出すこと。
- 【2】ライフサイクルアセスメント(Life Cycle Assessment)
- それぞれの工業製品を対象に、資源の採取から製造、使用、廃棄、輸送などのすべての段階をとおし、環境影響を定量的、客観的に評価する手法。LCAと略称される。
- 【3】建築物のエネルギー消費性能の向上に関する法律
- 2020年までの省エネ基準適合義務化の一環であり、平成27年3月24日に閣議決定された。主な内容は、①大規模な非住宅建築物(延べ床面積が2000m2以上)に対する適合義務及び適合性判定義務、②中規模以上の建築物(延べ床面積が300m2以上)に対する届出義務、③省エネ向上計画の認定(容積率特例)、④エネルギー消費性能の表示。平成27年度の通常国会で法案が成立すれば、平成29年4月1日の施行を目指す。
- 【4】ネット・ゼロ・エネルギー
- 建築物における一次エネルギー消費量を、建築物・設備の省エネ性能の向上、エネルギーの面的利用、オンサイトでの再生可能エネルギーの活用などにより削減し、年間での一次エネルギー消費量が正味(ネット)でゼロまたはおおむねゼロにすること。
- 【5】日本復興戦略
- 2013年6月14日に閣議決定された成長戦略。経済成長に向けて民間活力を引き出すことを主な目的に、投資減税を通じた企業活動の活性化など、産業基盤の強化策が打ち出された。2014年6月24日に、新しい成長戦略である「日本再興戦略改訂2014」が閣議決定された。
- 【6】街区
- 市区町村内の区画のことで、日常的には街路に囲まれた一区画を指す。
関連情報
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