一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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エコチャレンジャー 環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

No.018

Issued: 2013.06.12

小澤紀美子東京学芸大学名誉教授に聞く、これまでとこれからの環境教育

小澤 紀美子(こざわ きみこ)さん

実施日時:平成25年5月22日(水)16:00〜16:30
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎
ゲスト:小澤 紀美子(こざわ きみこ)さん

  • 71年(株)日立製作所システム開発研究所研究員、93年東京学芸大学・同大学院研究科教授。現在は東京学芸大学名誉教授、東海大学大学院客員教授、こども環境学会会長。専門分野は環境教育学。
  • 社会活動では、中央環境審議会委員(環境省)、社会資本整備審議会元委員(国土交通省)、日本学術会議連携会員「環境思想・環境教育分科会」委員、中央教育審議会元委員(文部省)などを務める。編著書は『これからの環境学習─まちはこどものワンダーらんど』(風土社)、『子どもの・若者の参画』(萌文社)、『児童心理学の進歩 2005年版』(金子書房)など多数。
目次
学習指導要領の1989年の改訂告示のときに環境の内容が多く入り、現場の先生たち向けの環境教育指導資料が策定された
1990年ころから、国際的にもグローバルな問題が大きくなってきた
アジア共通のキーワードは「稲作文化」
環境教育・環境学習は総合的であること、目的を明確にして活動を目的化しないこと、そして体験を重視すること
ESDについては、日本が一番真面目に取組んでいる
地域について学習しようとするとき、NPOがアドバイザーとして相談に乗る
今につながる過去に学び、今を知り、未来がどうあったらいいのかを考える

学習指導要領の1989年の改訂告示のときに環境の内容が多く入り、現場の先生たち向けの環境教育指導資料が策定された

大塚理事長(以下、大塚)― 本日は、EICネットのエコチャレンジャーにお出でいただき、ありがとうございます。小澤さんは、長年にわたり環境教育の分野で活躍されておられます。世界でも日本でも関心が高まっている環境教育について、小澤さんの多くの経験をまじえてお話しを伺えればと思っています。宜しくお願いいたします。
環境教育は、幅広い内容を含んでいますが、まずは日本の学校教育の中で環境教育がどのように扱われ、どのように発展してきたかをお話しいただけますでしょうか。

小澤さん― ご存じのように、日本の学校教育の大枠は学習指導要領によって決められています。学習指導要領の1989年の改訂告示のとき(中学校1993年、高校1994年実施)に環境の内容が多く入りました。しかし、現場の先生たちが環境教育の内容を理解するのは難しいので、学習指導要領の実施前から準備をはじめ、中 学・高等学校の先生向けの環境教育指導資料(「環境教育指導資料(中・高校 編)」)が1991年に策定されたのです。そこに、学習指導要領の中で、各教科が扱う環境の内容が一覧表として示されました。環境教育指導資料の小学校版も、1992年に作られています。

大塚― 中学・高等学校の先生は専門の分野をおもちで、小学校の先生はそうではないと思いますが、学校の現場ではいかがだったのでしょうか。

小澤さん― たとえば環境教育指導資料では、各教科別に「目標」「内容」「内容の取り扱い」に記述されている環境教育の内容を紹介しています。環境教育指導資料は、文部省や政府刊行物販売所で入手でき、文部省の印刷物で長年にわたりベストセラーだったのです。
小学校の先生は、ご指摘のとおり、教科別の担当ではありません。ですから、指導資料策定時には小学校版は総合的に取り扱おうとしていたのですが、小学校の先生から、「そのような事例はない」という話が出てきました。しかし、何とか事例を探して小学校版を作りました。たとえば、「琵琶湖」を学習のトピックとして実施していた県の事例では、子どもたちがまず地域を「探検」し、家庭から水が排水溝を通って川に流れていることを「発見」(気づいて)しています。琵琶湖の水の汚れの元を発見して、子どもたちが「ほっとけん」として解決の方法を提案していくのです。このように、子どもたちが自ら課題を見つけて学習を展開した事例などを取り入れながら指導資料を策定し、環境教育の方法の提案も取り入れています。

大塚― 学習指導要領ができてからも、現場では苦労されたということですね。

小澤さん― そうですね。とくに環境教育の場合、第15期の中央教育審議会で議論され、「総合的な学習の時間」が新設されましたが、理科の教科だけでは生物の種類とか生態系のことは学べても、人間の活動が生態系に影響を及ぼすことは学べないのです。ですから、たんに環境問題Environmental problemを教えるのではなく、横断的・総合的な課題issue(多面的な視点から考える課題)をどう教えるかが中教審で議論されたのです。最終的に、1996年に中教審で「総合的な学習の時間」が新設され、2000年の移行期間を経て、2002年から、この時間で他教科と関連づけて環境、健康・福祉、国際理解、情報教育などの課題を通して学ぶことになったのです。

大塚― 総合的な学習の時間ができ、指導要領はどのようになったのでしょうか。

小澤さん― 小・中学校の学習指導要領が1998年に改訂され、2002年から新しい指導要領で授業が始まったのです。それぞれの地域のことを調べ学習を子どもたちに展開していた学校があった一方で、そうでない学校ではなかなか展開できなかったのです。そのため、文部科学省も指導資料策定や研修を開いてきました。今では、都道府県持ち回りで、各学校の事例の発表や研修など、いろいろな試みをしています。

1990年ころから、国際的にもグローバルな問題が大きくなってきた

大塚― 1990年代から環境教育が本格化したように感じましたが、問題もあったのでしょうか。

小澤さん― 1990年ころから、国際的にもグローバルな問題が大きくなってきました。ですから1991年の環境教育指導資料にも、グローバルな問題、地球温暖化あるいは温室効果ガスの排出が取り上げられています。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートでもわかるように、地球温暖化が人為的な活動、我々の生活や生産活動の結果として引き起こされていることは、高校生や中学生でも実感するようになってきているのですね。ところが、日本では1つ1つの環境問題を別々に扱う傾向が強いのです。先ほどissueと申し上げたのはこのことなのです。地球温暖化だけの問題ではありません。たとえば、日本の企業が1980年代から90年代に東南アジアで南洋材を切っており、だんだんと東南アジアの国々も南洋材をそのまま日本には輸出しなくなり、そうすると日本はロシアで森林伐採をして、永久凍土が溶け永久凍土に含まれていた温室化効果ガスが出てくるという構図を理解させる学習は弱かったのです。
もう一つ気になることがあります。数年前に超党派の国会議員で作っている国際的な組織の集会で、ある大学生が「こういう異常気象を起こすのは大人の責任じゃないか」と述べていたのです。他人に転嫁すればいいという問題ではなく、一緒に解決法を考えていくことが課題なのです。教え方によってはこういう問題も起きるということを認識しておかなければならないということです。

大塚― 自分で考えることをベースにすべきということでしょうか。

小澤さん― 環境庁(当時)が設置した環境教育懇談会は1988年に、「みんなで築くよりよい環境求めて」という答申を出しました。環境基本法(1993年)で環境教育・環境学習にかかわる第25条と、民間団体等の事業者や住民が地域にかかわり活動する第26条をうけ、環境保全活動・環境教育推進法(環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律)が、2003年に5つの省庁がかかわる議員立法で作られたのです。国土交通省は水辺の学校、農林水産省は森つくり、経済産業省はエネルギー関係を扱っており、どれも意味があることです。問題は、根底に横たわる事象を総合的に思考する回路が共有されているとは言い難いことです。
先ほどの文部科学省の環境教育指導資料も、1972年のストックホルムの人間環境会議の成果が基本になっています。人間環境会議の成果は価値の高いものですが、日本では以前から公害問題について社会科で扱っていました。1967年に公害対策基本法が制定され、全国小・中学校公害対策研究会が発足しています。1972年には自然環境保全法が制定され、1973年には環境週間・月間が制定されています。全国小・中学校公害対策研究会は、1975年に全国小・中学校環境教育研究会に名前を変え、活動を活発化させています。このような中で、学習指導要領が環境問題を重視し、さらに環境庁での1988年の「みんなで築くよりよい環境求めて」の答申につながったのです。

大塚― そのようなところに、酸性雨や地球温暖化などの地球環境問題が出てきたのですね。

アジア共通のキーワードは「稲作文化」

子どもの稲の刈り入れ体験(写真提供:NPO法人こども環境活動支援協会)

子どもの稲の刈り入れ体験(写真提供:NPO法人こども環境活動支援協会)

小澤さん― その上、持続可能性が謳われるようになったのです。持続可能性の概念は、1972年のストックホルム会議で提唱されていたのですが、なかなか理解されませんでした。1972年以降も、環境教育の国際会議や政府間会合なども開かれたのですが、後にノルウェーの首相になったブルントラント氏が委員長を務めた「環境と開発に関する世界委員会」が1987年に「我ら共有の未来」を公表し、広く知られるようになったのです。
とはいえ、日本の環境省などでは、持続可能性にかかわる自然生態系のことや社会との関わりを的確に捉えていました。以前から公害問題への対応があったとはいえ、自然を愛でる国民性、日本の自然の素晴らしさも大きいと思います。山があり、川があり、海があり、その「循環」の中に私たちの暮らしが成立っていたと思います。山や自然の恵みなども含め、私たちは自然の循環の中で生かされてきたという立場に立ちたいですね。環境教育でも、欧米の考え方だけでなく、人間の命の源泉である水を例にとると、ふった雨が大地に浸透し、土の栄養分を含んだ水が川に流れ、水は海にでて蒸発し、また山に恵みをもたらすという循環を大事にする日本の地形との関連での考え方も大事でしょう。

大塚― 里山などを含め、「循環」には親近感をもちますね。

小澤さん― 屋久島を例にあげると、屋久島はIUCN(国際自然保護連合)から危機遺産【1】に認定されるかもしれないのです。屋久島は島内での自然の循環により、江戸時代から「人間が2万人、猿が2万匹暮らせる容量」をもっているのです。ところが、今はオーバーユースで、年に10万以上の人びとが訪れ、縄文杉をはじめとする屋久杉の木の根が傷み、トイレ不足の問題も深刻になっています。自然の生態系を護ることの意味も、昔は手を加えないことだったのが、管理しながら護ることに変わってきています。
「循環」を象徴する稲作は、縄文時代後期から日本で始まりました。私は、アジアの共通のキーワードは「稲作文化」と思っています。まずは水、食料、それから自然の仕組みからも稲作といえます。また北アルプスの麓の人びとは、冷たい水を田に入れる前に、浅瀬の水路をつくり、その水路を通る間に太陽の熱で温めて田んぼに入れていたのです。

環境教育・環境学習は総合的であること、目的を明確にして活動を目的化しないこと、そして体験を重視すること

大塚― 今のお話は、生活の知恵といえるのかもしれません。一方で、環境教育推進法でも重視されている「個人の主体性」や「協働」についてはいかがでしょうか。

小澤さん― 環境教育推進法ができる前の1999年に、小委員長として中央環境審議会に答申「これからの環境教育・環境学習−持続可能な社会をめざして」を出したのですが、その答申を基に作られたパンフレットに、「つながりに気づき」「あなたから始めよう」「体験を通して学んでいこう」と書かれています。環境教育・環境学習の主体という点では、先生も学習しなければならない、生徒が先生を教えるかもしれないと考えています。環境基本法第25条に沿うものだからです。このパンフレットの表紙では、「あなたはきれいな地球を選びますか」「汚い地球を選びますか」というメッセージを込めました。また、環境教育・環境学習は総合的であること、目的を明確にして活動を目的化しないこと、そして体験を重視すること、地域に根ざし地域から広がることも書き込んでいます。
この答申に基づく第二次環境基本計画には、環境教育という言葉もきちんと入っています。第三次・第四次環境基本計画では化学物質の問題、水の問題など6つの重要項目を串刺しするように、環境教育(地域づくり・人づくり)、国際的取組み、投資のことなどが課題としてあげられています。大事なことは、基本方針や課題に対し、誰かにお任せでなく、主体性は自分たちにあるという、1972年のストックホルム会議以来の人と環境との関わり、あるいは人と自然との関わり、人と人、地域、人と地球との関わりなのです。

ESDについては、日本が一番真面目に取組んでいる

ESD研修の様子(写真提供:NPO法人こども環境活動支援協会)

環境教育とESD研修風景

大塚― 「国連持続可能な開発のための教育の10年【2】に、話を移したいと思います。

小澤さん― その前のことからお話しします。環境省では素晴らしい環境教育の教材を作りました。環境省が取組んできた環境教育のトピック(水、廃棄物、大気、みどり、エネルギー、地域)をCD-ROM化して普及させました。各対象を、それぞれ個別的でなく、自然の仕組み、人間活動が与える影響やかかわり方、その歴史的・文化的視点を含めて総合的・相互関連的に扱うような展開を示唆しているのです。
2002年のヨハネスブルグサミットで、NGOの努力もあり、当時の小泉首相が「国連持続可能な開発のための教育の10年(ESDの10年)」を提案したのです。その英語の頭文字をとって、DESDあるいはESDと呼ばれています。これまでも実施していますが去年の暮れからの企画で、環境省は文部科学省の協力を得て、ESDの視点を強化した環境教育に関して先生方の研修を始めています。

大塚― 「ESDの10年」の成果もご紹介ください。

小澤さん― ESDについては、日本が一番真面目に取組んでいるように思います。というのも、日本の学校教育には学習指導要領があります。欧米人はESDに取組んでいると言いますが、概念に関する議論が強く、さらに公平に学べる仕組みが無いと言えます。イギリスを例にとると、日本の学習指導要領に準じてナショナルカリキュラムを作りましたが、一方で2002年から環境教育という言葉がなくなり、シチズンシップを必須にする変更も起きています。さらにボンでのESDの中間報告での日本の事例は地域での取り組みが多く発表されていたのです。

大塚― 日本では、企業などが環境教育に関わろうとする動きも出てきていますが、小澤さんはどのように感じておられますか。

小澤さん― 私自身が関わっていることを、狭い範囲かもしれませんが紹介したいと思います。1995年に、「エコニコ学習」という、小学生を対象に一種の環境教育をしているスーパーの企画室の方から相談を受けたことがあります。未来の消費者に、環境に配慮した商品を理解してもらうのがテーマの1つだったのですが、お店を活用し、できるだけ分かりやすく、本人が「気づく」ことを大事にするような企画となり、店長や店員が現在も店舗を活用して地域の小学校の子どもたちに実施されています。
あるビールメーカーは、環境意識を育む「若武者育成塾」を運営しています。その基本は単に教えるのではなく、参加者が企画・体験を中心に自らが地域の環境の課題に取組んでいくことを重視しています。別の清涼飲料メーカーでは、環境にかかわる活動を子どもたちと進めている地域の方々、さらに次世代を育成するねらいで高校生・大学生を顕彰・奨励金を出しいるところもあります。日本各地で実践されている活動はすばらしい面も多いのですが、新しい環境教育促進法が強調している、多様なステークホルダーの協働の意味を企業側が十分に理解しているか、少々疑問に感じることもあります。企業に属している社員の方々も、地域のNPOの方々や児童・生徒、若者とともに「内発的な力」を高めることが、持続可能な発展に向け最も重要だと思うからです。

地域について学習しようとするとき、NPOがアドバイザーとして相談に乗る

大塚― 少し話題を変え、地域を対象とする環境教育について、小澤さんの経験やお考えをお聞かせ下さい。

ゴール会場は西宮市内での「ふるさとウォーク」(写真提供:NPO法人こども環境活動支援協会)

EWC展示をみる親子(写真提供:NPO法人こども環境活動支援協会)

小澤さん― いくつか事例を紹介します。気仙沼市とは2002年からお付き合いがあります。市の環境基本計画の中に、環境教育をしっかりと入れ、さらに持続可能性を入れている自治体で、地域が哲学を共有することが不可欠ですね。また、西宮市は2003年に環境学習都市宣言をし、こどもエコクラブのもとになった「地球ウォッチングクラブ(EWC)」を実施しています。小・中学校の教室内の学習にとどまらず地域の方々も熱心に行っており、現在は持続可能な地域づくりを目指して中学校区単位で地域住民の対話を促していることです。EWCエコカードや市民活動カードなどの仕組みをつくり、エココミュニティ活動自立発展プログラムを展開し、それらの活動をNPOが支援しているのです。阪神淡路大震災を経験して地域を知るための「語り部」を育成し、地域がもつ歴史的な意味をウォッチするのです。EWCでは子どもたちが勉強したことをポスターにし、3月に展示し、多くの地域住民が参観し、さらに対話を深めています。地域の災害の歴史については、NPOがコミュニティでも学校でも使えるように情報を提供しています。先生たちも地域に住んでいない方が多いので、地域について学習しようとするとき、NPOがアドバイザーとして相談に乗るのです。そういう意味では、先進的な事例といえます。
もう一つ、愛知県が2014年にESDの10年の催しをするのですが、豊田市の小学校では、木の葉を育てる教育は多くあるけれど木の根っこを育てる教育が無いことに気づき、教員と学校全体で取り組みを始めています。その木の根っことは、クリティカルに考える力、未来を予測して計画を立てる力、コミュニケーション能力、そして多面的に創意的に他者と協力する態度などの育成を目指しています。2年前、環境省で「今後の環境教育・普及啓発の在り方を考える」検討チームを創った際にも、「育成する能力」を中心に議論して報告書をまとめました【3】。学校の先生たちが持続可能性という概念を中心に、木の根っこをしっかり育てることが学びの基本と捉えているのです。私も、豊田市の学校の授業づくり(校内研修)に何度か伺い持続可能菜未来をめざす授業づくりを先生たちと行っています。

今につながる過去に学び、今を知り、未来がどうあったらいいのかを考える

大塚― 大変素晴らしい話を伺いました。最後に、今までの話と重複してもよろしいかと思いますが、EICネットのユーザーにメッセージをお願いいたします。

小澤さん― 学びとは、「今につながる過去に学び、今を知り、未来から学ぶ」ことで、未来社会がどうあったらいいのか、地域の未来がどうあったらいいのか、というビジョンを共有するところから始まります。東日本では、ジュニアリーダー育成という活動が行われています。今年3月に、皇太子様が国連で水と水害の歴史について講演されました。その時、南三陸町の18歳のジュニアリーダーの高校生も復興の地域づくりに「新しい町をつくっていくのは私たち。若者のもつ力に気づいて、10代の力を活かして」と講演し、提言したのです。若い人の力を信じ、若い人と一緒に活動していくことで、多様な世代が共感しながら、システム論的な見方ができることを望んでいます。1972年のオイルショックの時に、ローマクラブが「成長の限界」というレポートを出しましたね。人口が増え資源を浪費することによって起きる問題の危険性を提起したのですが、まさに今それが起きているのです。今につながる過去に学び、今を知り、未来がどうあったらいいのかを考える努力や現在の「学び」が思考回路の育成にもっとつながってほしいと願っています。

大塚― 本日は、多くの経験に基づくお話しをいただきました。環境教育がもつ広がりと重要性が改めて確認されたと思います。本当にありがとうございました。

東京学芸大学名誉教授の小澤紀美子さん(左)と、一般財団法人環境情報センター理事長の大塚柳太郎(右)。


注釈

【1】危機遺産(危機にさらされている世界遺産)
ユネスコの世界遺産条約に基づいて世界遺産に登録されたもののうち、世界遺産としての意義を揺るがすような脅威にさらされている(もしくはその恐れがある)もののこと。
条約履行のための作業指針に記載された登録基準に基づいて危機的要因について評価され、該当するものが危機遺産リストに登録される。例えば、保護に値すると評価された絶滅危惧種等の存続の危機や、自然美や科学的価値の深刻な劣化、物件の完全性を脅かすような上流部・境界部における人口流入などが原因となる決定的危機、及び地域の法的保護の変更や周辺地域の開発等計画や武力衝突の発生、または管理計画の不備等による潜在的危機などの基準が設定されている。
【2】国連持続可能な開発のための教育の10年(UN Decade of Education for Sustainable Development)
2005年から始まる10年間の取り組みとして、国連で採択されたもの。「DESD」または「ESDの10年」と呼ばれる。
「持続可能な開発のための教育(ESD)」は、国際的な政治経済の会議での議論を通じて形成されてきた概念で、ストックホルム会議(1972)以降に一般化した「環境教育」が、ブルントラント委員会報告『Our Common Future』(1984)に盛り込まれ注目を浴び、さまざまな場面で議論されてきた「持続可能な開発」という概念と並行して、持続可能性の概念を追及するための教育として発展してきた。テサロニキ宣言(1997)で、内容に関する一定の到達点をみることができる。
その具体的な取り組みを推進するため、2002年のヨハネスブルグサミットの実施計画交渉で、日本政府の提案により盛り込まれたDESD採択の検討の勧告を受けて、第57回国連総会において採択されたもの。
【3】今後の環境教育・普及啓発の在り方を考える検討チーム報告書(環境省)
環境省が、環境教育の普及啓発のあり方について考えることを目的に立ち上げた検討チーム(リーダーは樋高剛大臣政務官)。小澤さんは、有識者の一人として参加。
検討チームでは、これまでの環境教育のあり方をゼロベースで見直し、学校現場や地域教育、企業における教育、幼児教育などさまざまな角度から環境教育とその普及の在り方を検討。平成23年7月に検討成果を取りまとめた報告書を公表している。
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