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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第14話) ヨセミテ国立公園へ!
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Issued: 2008.01.10
ヨセミテ国立公園へ![2]
 目次
科学に基づく自然資源管理 ──管理火災
国立公園管理の課題
マンザナー国立史跡
<キングスキャニオン国立公園>
 1940年に、既存のグラント将軍国立公園(General Grant National Park;1890年10月設立)に、広大な峡谷部分が編入されるかたちで設立された。1984年には公園区域の多くがウィルダネス地域に指定された。キングス川の刻み込んだ大渓谷とシエラネバダ山脈の高峰からなる雄大な国立公園。面積約18.7万ヘクタール、2004年度の利用者数は155万人(セコイア国立公園分を含む)。
キングス川を目指し谷底に下る
キングス川を目指し谷底に下る。車道は絶壁にへばりつくようにつくられている。曲がりくねった道は狭い上に景色もいいため、景色に見とれたりスピードを出しすぎたりして対向車線にはみ出してくる車両が少なくない。

 <セコイア国立公園>
 1890年9月、イエローストーンに次いで2番目に設立された、面積約16万ヘクタールの国立公園。1984年に、公園区域の約70%がウィルダネス地域に指定されている。「世界で最大の生物」と呼ばれるジャイアントセコイアが生育する。また、モロ・ロックからのシエラネバダ山脈の眺めは圧巻。公園内には、アラスカを除く米国大陸48州でもっとも標高の高いホイットニー山(Mount Whitney;標高4,421m)が聳え立つ。ちなみに、セコイア国立公園の南東に位置するデスバレー国立公園内には全米でもっとも標高の低い地点(海面下約85m)があり、この地域の造山活動の激しさを物語っている。
セコイア国立公園の境界標識
セコイア国立公園の境界標識。巨木の森を守る国立公園にふさわしいデザインと質感
ロッジポール・ビジターセンターの入口標識
ロッジポール・ビジターセンターの入口標識
ジャイアントフォレスト・ミュージアム
ジャイアントフォレスト・ミュージアム
ミュージアムのジャイアントセコイアに関する展示
ミュージアムのジャイアントセコイアに関する展示。91,000個の種を集めてようやく1ポンド(約454グラム)になる。こんなに小さな種から巨木が育つというのは驚きだ。
標識の裏面
標識の裏面は隣接するセコイア国有林の境界標識となっている

ロッジポール・ビジターセンター
ロッジポール・ビジターセンター
ジャイアントフォレスト・ミュージアムの内部
ジャイアントフォレスト・ミュージアムの内部。室内は広々とした雰囲気
モロ・ロックからの眺め。西海岸の都市部から流入する汚染物質で、せっかくの雄大な景色が霞んでしまっている。

科学に基づく自然資源管理 ──管理火災
 管理火災(prescribed burning, prescribed fire)は、延焼防止対策を講じた上で、野火に替わって人工的に森林火災を発生させるものだ。森林内に蓄積された倒木や落枝を定期的に燃やすことで、火災の被害を軽減することが主な目的だ。
 かつて、国立公園内では野火に対して消火活動だけを行なってきたが、これがかえって被害の深刻化を招くことになった。いったん火災が発生すると火力が強くなりすぎ、自然状態では燃えるはずのないものまで消失してしまったのだ。その反省から、森林内に蓄積されたバイオマスの状態を調査し、バイオマス量に応じて計画的・人工的に燃焼させる人工的な火災が管理手法として取り入れられた。この管理火災は、自然の野火による生態系の更新機能を、「科学的」な情報に基づいて再現することによって自然環境の管理に用いるという、画期的なプログラムだ。
 この管理火災が初めて行われたのもセコイア国立公園であった。セコイア国立公園では、消火などによる人為的な火災抑制のため、ジャイアントセコイアが世代更新しないという問題を抱えていた。数十年間にわたる調査や試行錯誤の末、1964年に人工火災試験が行われ、ようやく1968年に試験が成功した。これを受けて、森林火災の生態系保全機能が見直され、徐々に公園の生態系の管理に取り入れられることになった。しかしながら、森林火災を管理のために用いるという考え方が一般国民に受け入れられるまでには、さらに20年間もの月日が必要だった。
 1988年、イエローストーン国立公園で、過去最悪の森林火災が発生した。この火災で、イエローストーン国立公園のおよそ半分の面積に相当する森林が燃失したと言われている。樹木が枯死した森林面積はそれよりも小さかったものの、7月から9月まで燃え続けた火災は多くのビジターの目に止まり、一般利用者や政治家からの批判を招いた。これを受けて、1989年に関係省庁共同の報告書が取りまとめられ、同国立公園の火災管理の方法が適当であったとの結論を下された。こうして、森林火災は自然のプロセスの一部であり、公園内の自然資源の管理に管理火災を取り入れるということが一般にも認められることとなった。
 なお、現在、セコイア・キングスキャニオン国立公園において実施されている管理火災は、近隣の農務省森林局の国有林や内務省公有地管理局(Bureau of Land Management)などと共同で実施されている。省庁横断型のファイヤー・マネージメント・プログラムが設立され、そのプログラムに基づき火災管理部隊が組織された。これは、それぞれの省庁が管理する保護区などでの管理火災や消火活動を一元的に行う組織だ。このようなプログラムがつくられた背景には、森林が複数の組織の管理地にまたがっていることが多いことに加え、管理火災の実施には専門的なトレーニングや装備が必要なことなどから、関係する組織が共同でプログラムを運営した方が、効率的でかつ効果的であるという理由があるようだ。
国立公園管理の課題
 セコイア・キングスキャニオン国立公園が抱える問題の中でも、大気汚染の影響は深刻だ。西海岸の人口密集地帯から流入してくる大気汚染物質は、樹木の抵抗性を損ない、害虫による立ち枯れを助長していると言われている。
 また、地域固有の生物の生育環境も悪化している。一例として、シエラネバダの山岳地帯にしか生息しないとされるマウンテン・イエローレッグ・フロッグ(Mountain Yellow-legged Frog)というカエルの個体数の急激な減少が挙げられる【8】
 100年以上前に、このカエルの生息域にトラウト(マス科の淡水魚)が人為的に導入された。それまで、マスなど肉食性の魚類は滝などによって遡上できず生息していなかったが、外来マスの導入によって捕食圧が高まり、個体数の減少を招いた。さらに、この外来マスなどが媒介するウイルスは、マウンテン・イエロー・フロッグの突然死を引き起こし、個体数の減少に拍車をかけた。前出の大気汚染物質に加えて、シエラネバダ山脈の麓に広がる全米屈指の大農業地帯サンホアキン・バレーからは、散布された農薬が大気流に乗ってこの地域に流れ込んでくる。これらの化学物質が、降雨・降雪などによって国立公園内に降り注ぎ、水質や土壌を汚染する。生存には清浄な水が欠かせない両生類にとって、このような生息環境の悪化は致命的であり、この種はまさに絶滅の危機に直面している。
【8】 マウンテン・イエローレッグ・フロッグに関する情報(ヨセミテ協会ウェブサイトより)
http://www.yosemite.org/
naturenotes/StekelMYF1.htm
マンザナー国立史跡
 セコイア・キングスキャニオン国立公園の東側、シエラネバダ山脈を越えたところに、「マンザナー国立史跡」がある。国立公園局の管理する歴史的な公園地だ。今回の訪問の際に立ち寄りたいと考えていたが、日程的に難しく断念した。

 「近々マンザナーで新しいビジターセンターの開所式があるんだけど、日本語のパンフレットがないんだ。訳してくれないか?」  今回の調査出発の直前、国立公園局本局国際課のルディーさん(第6話参照)から依頼があった。締め切りは2日後。とても急な話だったが、レッドウッドでの調査業務の合間に、妻と手分けして翻訳する。インターネットで調べると、第2次世界大戦当時の日本人強制収容所があった場所だとわかった。
 マンザナーはオーエンズバレーという盆地にある。シエラネバダなど盆地の西側(太平洋側)に聳える山脈によって、太平洋からの湿った空気がほぼ完全に遮ぎられ、気候は乾燥している。現在は何も残っていない荒涼とした平地には、日本人の収容施設が広がっていたのだ。
 米国連邦議会は、1992年3月3日に、面積550エーカー(約223ヘクタール)のマンザナー国立史跡を設立した(この史跡の管理はデスバレー国立公園の管理事務所が担当している)。
 マンザナー収容所(原文では、転住センター(relocation center))は、第2次世界大戦中に日系アメリカ人及び米国在留日本人が抑留されていた10ヶ所の収容所の一つだ。パールハーバー爆撃の2ヵ月後、当時のルーズベルト大統領は、西海岸に居住する日系人すべての収容を命じた。
 マンザナー収容所は1942年3月に建設が開始され、全米で最初の常設収容所として、最後の被収容者が施設を退去する1945年末まで使われていた。収容者数はもっとも多かった時点でおよそ10,000人にものぼると言われている。拘留施設全体はおよそ6,000エーカー(約2,400ヘクタール)もあり、拘留所の他、近接農業利用地域、貯水池、空港、墓地及び下水処理施設などもあった。そのうち、かつての居住区が、国立史跡として保存されている。ただし、現在では収容所の建物はほとんど残されていない。
 ヨセミテ国立公園の写真撮影で有名なアンセル・アダムス氏が、収容所の写真を撮影している【9】。戦争により引き起こされた強制収用の悲惨な歴史にもかかわらず、写真に残る人々の笑顔からは力強ささえ伝わってくる。

 日系人の強制収用のことをそれほど詳しく知らなかったこともあって、この翻訳作業は驚きの連続だった。教科書で学ぶ「歴史」とはまったく違う、生々しい事実の片鱗に触れたように感じた。今、自分が享受している平和や自由を実感し、大切に守っていくために、その事実を学び、次の世代に伝えていかなければならない「戦争の記憶」というものがあるように思えた。こうした意味において、かつての過ちを国立記念物公園という形で後世に伝えようという米国政府の姿勢は、評価に値するのではないだろうか。
【9】 アンセル・アダムスのフォトギャラリー(国立公園局ウェブサイトより)
http://www.nps.gov/manz/ photosmultimedia/ansel%2Dadams%2Dgallery%2Ehtm?eid=132396&root_aId=202#e_132396
マンザナー国立史跡(国立公園局ウェブサイトより)
マンザナー国立史跡の位置図(国立公園局ウェブサイトより)
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