グレートスモーキーマウンテンズ国立公園を訪れた翌日、テネシー大学にある米国地質調査所(USGS)
【8】南部アパラチア地域現地研究室を訪問し、責任者のフランク・ヴァン・マンネンさんから、グレートスモーキーマウンテンズ国立公園でのブラックベアーのモニタリング調査についてお話を伺った。ブラックベアーは、日本のツキノワグマとほぼ同種だが、性格はツキノワグマより比較的おとなしい。
このモニタリング調査は、USGS、テネシー大学と国立公園が共同で1968年以来実施しているもので、ヒアリングに伺った当時で、調査開始からちょうど35年目を迎えていた。調査の人手を大学側が確保して、許可や宿舎などの便宜、資金の一部を公園側が用意する。公園の職員が直接作業に参加するわけではない。
国立公園内にワナを仕掛け、再捕獲の頻度などにより生息数を推測している。8箇所の調査地域が設定されており、それぞれ9ヶ所ずつワナが仕掛けられている。捕獲個体から毛及び血液サンプルが採取され、DNA分析が行われる。公園内には約1700頭のブラックベアーが生息していると考えられている。
2つの調査グループが1調査地域ずつ15日間調査し、夏期の2ヶ月間で調査を終了する。私たちが同行した調査グループは、修士及び博士課程の学生2名により構成されていた。これらの学生はモニタリングプロジェクトのスタッフとして働き、その対価として授業料相当額と賃金が支払われる。
なお、この国立公園では、クマの胆目当ての違法捕獲が跡を絶たないという。アジアのマーケットで扱われているようだ。こんなところでも、アジアの経済活動との関係があることに驚かされる。
聞き取り調査の翌日、フランクさんの案内でブラックベアー調査に参加した。
プロジェクトスタッフは、公園内に仕掛けたワナを毎日見回る。もしクマがワナにかかっていたら麻酔を打って体重などを計測する。クマが衰弱しないように、できるだけ早く調査を終了し麻酔から覚醒させてあげなければならない。この作業を夏中続けることになる。責任者のケイティーさんは、修士課程の学生だった。学生を募集し、作業班に振り分ける。グレートスモーキーマウンテンズ国立公園は山が険しく雨も多いので、斜面は滑りやすい。わずか一日調査に同行しただけだったが、私たちにもその苦労が実感できた。
私たちのフィールドであるマンモスケイブは、石灰岩地形のなだらかな丘陵地だが、シンクホール(石灰岩地帯特有のくぼ地や開口部)や浮石、崖、マダニが多い。そんなお互いのフィールドの苦労を共有できるのもボランティアのいいところだ。
何ヶ所目のワナだったのだろうか。
「クマがワナにかかっています」
先行していた学生が戻ってきて私たちに伝える。
「少し興奮しているのでここで少し待っていてください」
学生は、ケイティーさんを伴ってワナへと急ぐ。遠くからクマの姿が見える。ワナにかかったまま木の周りをぐるぐる回っている。二人は、目測した体重から割り出した量の麻酔薬を吹き矢で注入する。ケイティーさんが戻ってきた。
「麻酔が効いてきたのでそろそろ大丈夫です」
ワナにかかっていたのは5〜6才のオスだった。
「クマはワナにかかると興奮します。体重の目測を誤らないこと、確実に麻酔をかけることが重要です」
ワナは、ワイヤーでできている。思ったより簡単な構造だ。木の根元に浅い穴を掘り、穴の周囲を囲うようにワイヤーの輪を設置する。穴にクマが脚を踏み入れると、ばね仕掛けにより輪がしまり固定される。クマがけがをしないよう、各所に工夫が凝らしてある。
「ワナは、1本立ちした木に仕掛けます。そうすると、クマはある程度自由に木の周りを歩き回る余裕があります。輪が脚を締めつけないよう、ストッパーなどもついています。でも、クマは利口で、ワナの位置や構造をすぐ学習します。また、あまり同じ木を使っていると枯れてしまいますので、ワナの設置場所にはいつも苦労させられます」
餌にはカタクチイワシの缶詰を使うそうだ。
麻酔が効いたクマは、地面の上に長々と横たわっている。意外とほっそりとした体つきだ。眼球が乾燥しないよう、湿らせたバンダナを顔にかける。体長や体重、体温などを計測して、血液、唾液、体毛サンプルを採取する。個体識別のための耳冠をつけ、唇の裏に刺青を入れる。作業終了後は覚せい剤を注射し、クマが森に帰って行くのを見届けてから、ワナをセットし直して、引き続き他のワナを確認するために移動する。
アメリカのブラックベアーは日本のツキノワグマと異なり、ワナにかかった直後の興奮時や、子熊を連れている場合でなければ、たとえ遭遇してもそれほど危険ではないという。とはいえ、興奮したクマへの麻酔注射や、計測作業中にも徐々にクマが覚醒してくることを考えると、やはり危険が付きまとう作業である。
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フランクさん(写真中央)のブラックベアー調査に同行した。皆泥まみれだ。 | | クマの体重測定の様子。写真向かって左端が責任者のケイティーさん。 |
この年の調査では、のべ64頭のブラックベアーを捕獲し、サンプリングや、標識の取り付けなどが行われ、採取した血液、体毛、唾液等のサンプルが分析された。捕獲頭数は平年並み。多い年には捕獲頭数が100頭あまりにものぼるという。
プロジェクト全体で計15名の補助職員が必要となるが、急峻な山岳地帯での調査作業でもあり、調査員の確保には毎年苦労しているとのことだった。調査員希望は全体で150名を超え、中にはアジアやオーストラリアなどからの応募もあるそうだ。しかし、賃金などの待遇、体力などの適性を満たす応募者は多くないそうだ。
「今年も、学生が一人途中で業務を放棄してしまいました。突然調査にこなくなってしまったのです。メンバーを励ましながら調査を続けていくのは大変ですが、とてもやりがいがある仕事です」
ケイティーさんは明るくたくましい。